| 香川京子 Kyōko Kagawa | |
|---|---|
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香川京子(1954年。出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン) | |
| 本名 | 牧野香子(旧姓:池辺) |
| 誕生日 | 1931年12月5日 |
| 年齢 | 94歳 |
| 出身地 | 東京都(出生地は茨城県行方郡麻生町とする資料もある) |
| 国籍 | 日本 |
| 家族 | 夫・牧野拓司(読売新聞記者) |
| 身長 | 162cm |
| 学歴 | 東京都立第十高等女学校(現・東京都立豊島高等学校)卒業 |
| 職業 | 女優 |
| 活動期間 | 1949年 - |
| 代表的な実績 | 『東京物語』『山椒大夫』『近松物語』『天国と地獄』『赤ひげ』『まあだだよ』 |
| 受賞 | 紫綬褒章(1998年)、旭日小綬章(2004年)、FIAF賞(2011年・日本人初)、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞(1994年)ほか |
| 関連活動 | ひめゆり学徒隊の取材・語り継ぎ、映画資料の寄贈 |
| その他 | 新東宝ニューフェイス出身、1953年からフリー |
概要[編集]
香川京子(かがわ きょうこ、1931年12月5日 - )とは、日本の女優である。溝口健二・小津安二郎・黒澤明・成瀬巳喜男・今井正という日本映画の巨匠たちの作品に軒並み出演した、昭和映画黄金期の「生き証人」と言うべき存在だ。90歳を過ぎても映画出演を続け、映画資料の保存やひめゆり学徒隊の体験の語り継ぎでも知られる。
詳細[編集]
生い立ちと戦争体験[編集]
1931年(昭和6年)12月5日生まれ。プロフィール上は東京都出身とされることが多いが、日本語版ウィキペディアなどでは茨城県行方郡麻生町(現・行方市)の生まれとされ、資料によって記載が分かれている。生後まもなく父親の仕事の関係で兵庫県芦屋に移り、幼少期を芦屋で過ごした。小学校入学の1年前に東京へ戻っている。
女学校に入った1944年、空襲を避けて茨城県下館に疎開し、のちに母の疎開先だった麻生町へ移った。戦時中の女学校生活は勤労奉仕が中心で、勉強どころではなかったという。1945年に東京へ戻り、1949年に東京都立第十高等女学校(現・東京都立豊島高等学校)を卒業した。本人は後年、自分は戦争を「実体験」として深く知っていたわけではなく、『ひめゆりの塔』の撮影で初めて戦争を学んだと語っている。
新東宝ニューフェイスとしてデビュー[編集]
もともとは英語の勉強やバレリーナを志していたが、家庭の事情や年齢の問題で断念。そんなとき新聞で見つけたのが、東京新聞主催の「ニューフェイス・ノミネーション」の募集記事だった。応募者は約6,000人とされる難関に合格し、1949年に新東宝へ入社。ちょうど一般企業の入社試験と日程が重なったが、母の助言を受けて女優の道を選んだという。
同年の『帰国(ダモイ)』で映画に初出演し、本格デビュー作は1950年の『窓から飛び出せ』とされる。会社側が用意した芸名がしっくりこなかったため、家族と本人で相談し、本名「香子」の「香」の字を残して「香川京子」と名付けた。新東宝時代は『細雪』(1950年)、『銀座化粧』(1951年)など、デビューからわずか数年で年間10本前後に出演する売れっ子になっている。
フリー転向という「先見の明」[編集]
香川京子のキャリアを決定づけたのが、1953年のフリー転向である。この直後、大手映画会社が専属俳優の引き抜きや貸し出しを制限する「五社協定」を結んだため、各社の専属俳優は他社作品に出づらくなった。協定成立前にフリーになっていた香川は、松竹、東宝、大映、東映、日活と会社の垣根を越えて出演できる、当時としては珍しい立場を手に入れた。
この「どこにも属さない」立場こそが、松竹の小津、大映の溝口、東宝の黒澤・成瀬、独立プロの今井正という、所属会社がバラバラの巨匠たちの作品を渡り歩くことを可能にした。日本映画史上の名作群に横断的に名を連ねる女優が生まれた背景には、この絶妙なタイミングがあった。
清純派から「巨匠の女優」へ[編集]
転機は今井正監督の『ひめゆりの塔』(1953年)である。沖縄戦で看護要員として動員された女学生たちを描いた本作で、香川は学徒の一人を演じた。今井監督からは「なぜ学徒隊に志願したのか」を作文に書くよう求められ、それが役作りの助けになったという。この作品を境に女優としての意識が大きく変わったと本人は振り返っている。
同じ1953年には小津安二郎の『東京物語』に出演し、翌1954年には溝口健二の『山椒大夫』『近松物語』に続けて出演。清潔感のある佇まいと自然な演技で人気を集め、「巨匠に愛された女優」というイメージが定着していった。
経歴[編集]
1950年代:巨匠たちとの出会い[編集]
フリー転向前後から、成瀬巳喜男作品に次々と起用された。『おかあさん』(1952年)では田中絹代演じる母を支える長女・年子を演じ、『稲妻』(1952年、主演:高峰秀子)、『驟雨』(1956年、主演:原節子)、『杏っ子』(1958年、原作:室生犀星)と、成瀬との仕事は1950年代を通じて続いた。
『東京物語』では、尾道で老いた両親と暮らす小学校教師の末娘・平山京子を演じた。小津との出会いのきっかけは、映画プロデューサーだった叔父・永島一朗に連れられて行った銀座の中華料理店で、ここは小津の行きつけの店だった。その後、松竹大船撮影所近くの食堂で小津と話をしたことがあり、本人は後に「あれがオーディションだったのでは」と振り返っている。尾道ロケには約1週間滞在したが、撮ったのはわずか2カットだったという。
溝口健二作品では、森鷗外原作の『山椒大夫』(1954年)で安寿を、近松門左衛門の浄瑠璃を原作とする『近松物語』(1954年)で大経師の妻・おさんを演じた。溝口は前年に『雨月物語 (映画)』でヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞を受けており、『山椒大夫』も同映画祭で銀獅子賞を受賞している(香川は『雨月物語』には出演していない)。
1956年には豊田四郎監督の『猫と庄造と二人のをんな』(原作:谷崎潤一郎、共演:森繁久彌・山田五十鈴)、1957年には吉村公三郎監督の『大阪物語』に出演。『大阪物語』は本来、溝口が次回作として準備していた企画で、溝口は香川の出演も望んでいたが、1956年の溝口の死去により吉村が引き継いで完成させた。
黒澤明作品と三船敏郎[編集]
黒澤明作品への初出演は、ゴーリキー原作の『どん底』(1957年)のかよ役。以降、『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)、『天国と地獄』(1963年)、『赤ひげ』(1965年)と黒澤作品の常連となった。三船敏郎の恋人役・妻役を務めることが多く、三船との共演は9回に及ぶ。
『悪い奴ほどよく眠る』では、汚職を追及する主人公(三船)と政略結婚する岩淵佳子を演じた。撮影中、車から降りる場面で事故に遭い、顔を何針も縫う大怪我を負った。女優生命の危機に引退も覚悟したというが、入院中の病室の前では三船が取材陣を追い返してくれたとされる。『天国と地獄』では、誘拐事件に巻き込まれる靴メーカー重役・権藤(三船)の妻・伶子を、『赤ひげ』では加山雄三演じる若い医師・保本の前に現れる狂女を演じ、清純派のイメージとは違う凄みを見せた。
1961年には東宝特撮映画『モスラ』に新聞社のカメラマン・花村ミチ役で出演し、ゴジラシリーズにもつながる東宝怪獣映画の世界にも足跡を残している。
結婚とニューヨーク時代[編集]
1963年、読売新聞記者の牧野拓司と結婚。1965年頃に出産し、同年、夫の海外赴任に伴ってニューヨークへ渡った。約3年間は映画界から完全に離れ、現地では1965年の北アメリカ大停電も経験している。人気絶頂期の女優が家庭と海外生活を優先して第一線を離れるのは、当時としてもかなり思い切った選択だった。
1968年に帰国した頃には、テレビの普及で映画産業はすっかり斜陽化していた。香川はテレビドラマや舞台に軸足を移し、新東宝時代からの親友である石井ふく子のプロデュース作品や、橋田壽賀子脚本のドラマに多く出演した。『肝っ玉かあさん』(1968年 - 1972年)、のちの『渡る世間は鬼ばかり』(1993年 - 1994年)への出演もこの流れにある。
母親役の時代と『式部物語』[編集]
映画では山本薩夫監督の『華麗なる一族』(1974年)で本格復帰。1979年には『男はつらいよ 寅次郎春の夢』(第24作)でマドンナ・高井圭子を演じ、渥美清の寅さんと共演した。山田洋次作品のマドンナを、溝口・小津・黒澤を経験した女優が務めたことになる。
ただ、40代後半から50代にかけては母親役ばかりが続き、一時は引退も考えたという。そこで転機になったのが、熊井啓監督の『式部物語』(1990年)だった。初めて老女役に挑んだ本作で、キネマ旬報助演女優賞と日本アカデミー賞優秀助演女優賞を獲得し、「老いを演じる女優」として新たな道が開けた。
『まあだだよ』と晩年の黒澤[編集]
1993年、黒澤明の遺作となった『まあだだよ』で、内田百閒をモデルにした先生(松村達雄)の奥さん役を演じた。『赤ひげ』以来28年ぶりの黒澤作品で、毎日映画コンクール田中絹代賞、ブルーリボン賞助演女優賞、そして日本アカデミー賞最優秀助演女優賞などを一気に受賞。黒澤の最初期の現場(『どん底』)と最後の現場の両方を知る、数少ない俳優の一人になった。
その後も周防正行監督の『Shall we ダンス?』(1996年)、小泉堯史監督の『阿弥陀堂だより』(2002年)など、話題作に要所で出演している。
90代の現役女優[編集]
2010年代以降もペースを落としながら出演を続け、『天使のいる図書館』(2017年)、日台合作の『おもてなし』(2018年)、三船敏郎のドキュメンタリー『MIFUNE: THE LAST SAMURAI』(2018年)、『モルエラニの霧の中』(2021年)などに出演。テレビではTBSの連続ドラマ『この世界の片隅に』(2018年)に出演し、久々の連続ドラマ出演として話題になった。
2022年には、役所広司主演の『峠 最後のサムライ』(主人公・河井継之助の母・お貞役、共演:松たか子)と、沖縄戦を描いた『島守の塔』が相次いで公開された。『島守の塔』では、戦中を吉岡里帆、戦後の現代を香川が演じる形で、沖縄県職員・比嘉凛の二役の片方を担当。公開時点で90歳だった。
ひめゆり学徒隊との関わり[編集]
『ひめゆりの塔』から始まった縁[編集]
1953年の『ひめゆりの塔』は、まだ沖縄が米軍統治下にあった時代の作品で、撮影は本土で行われた。香川はこの作品で初めて沖縄戦の実相を学んだという。映画そのものは一本の出演作として終わってもおかしくなかったが、彼女にとってはここから数十年に及ぶ関わりが始まった。
1979年の沖縄訪問と同窓会入り[編集]
1979年、テレビのリポーターとして沖縄を訪れた香川は、戦争で卒業証書を受け取れなかった元学徒たちの卒業式に立ち会った。生存者たちが戦後長く体験を語らず、「自分だけ助かって申し訳ない」という思いを抱えてきたことに衝撃を受け、その後ひめゆり同窓会にも加わっている。
著書『ひめゆりたちの祈り』[編集]
1992年には、元学徒たちの戦後の歩みを取材した著書『ひめゆりたちの祈り 沖縄のメッセージ』(朝日新聞社)を刊行した。結婚、子育て、孫の誕生といった人生の節目を経て、生存者たちが少しずつ体験を語り始めた過程を記録したものである。
近年も高校教諭からの依頼で生徒に話をするなど、戦争の記憶を伝える活動を続けている。2022年の『島守の塔』への出演も、ひめゆりの生存者と親しく交流してきた経緯から「本当に大事な役」として引き受けたもので、撮影ではかなり緊張したと語っている。
映画保存への貢献とFIAF賞[編集]
香川は、撮影時の記念写真アルバムや若い頃のポートレート、出演作に関わった映画人の旧蔵資料などを、東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)に寄贈してきた。こうした資料は展示などで公開され、日本映画史研究の貴重な材料になっている。
この貢献が評価され、2011年に国際フィルム・アーカイブ連盟(FIAF)から「FIAF賞」を授与された。日本人として初めて、またアジアの女優としても初の受賞である。授賞式は同年の東京国際映画祭の会期中に行われた。
受賞を記念して、2011年には次のような企画が組まれた。
| 企画 | 会場 | 期間 |
|---|---|---|
| 展示「映画女優 香川京子」 | 東京国立近代美術館フィルムセンター | 2011年9月13日 - 12月25日 |
| 特集上映「香川京子と巨匠たち」 | TOHOシネマズ六本木ヒルズ、TOHOシネマズ シャンテ(東京国際映画祭) | 2011年10月24日 - 28日 |
| 上映企画「映画女優 香川京子」(出演作約50本) | フィルムセンター大ホール | 2011年11月8日 - 12月25日 |
主な出演作[編集]
映画[編集]
| 公開年 | 作品名 | 監督 | 役名・備考 |
|---|---|---|---|
| 1950 | 窓から飛び出せ | 島耕二 | 本格デビュー作とされる |
| 1950 | 細雪 | 阿部豊 | 新東宝作品、原作:谷崎潤一郎 |
| 1952 | おかあさん | 成瀬巳喜男 | 福原年子(主演:田中絹代) |
| 1952 | 稲妻 | 成瀬巳喜男 | 主演:高峰秀子 |
| 1953 | ひめゆりの塔 | 今井正 | 女学生(学徒)役 |
| 1953 | 東京物語 | 小津安二郎 | 平山京子(末娘) |
| 1954 | 山椒大夫 | 溝口健二 | 安寿。ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞 |
| 1954 | 近松物語 | 溝口健二 | おさん(ヒロイン) |
| 1956 | 猫と庄造と二人のをんな | 豊田四郎 | 共演:森繁久彌・山田五十鈴 |
| 1956 | 驟雨 | 成瀬巳喜男 | 主演:原節子 |
| 1957 | 大阪物語 | 吉村公三郎 | 溝口の遺稿企画 |
| 1957 | どん底 | 黒澤明 | かよ |
| 1958 | 杏っ子 | 成瀬巳喜男 | 原作:室生犀星 |
| 1959 | 日本誕生 | 稲垣浩 | 美夜受姫 |
| 1960 | 悪い奴ほどよく眠る | 黒澤明 | 岩淵佳子 |
| 1961 | モスラ | 本多猪四郎 | 花村ミチ(カメラマン) |
| 1963 | 天国と地獄 | 黒澤明 | 権藤伶子 |
| 1965 | 赤ひげ | 黒澤明 | 狂女 |
| 1974 | 華麗なる一族 | 山本薩夫 | 美馬一子。映画復帰作 |
| 1979 | 男はつらいよ 寅次郎春の夢 | 山田洋次 | 高井圭子(マドンナ) |
| 1990 | 式部物語 | 熊井啓 | 大友伊佐 |
| 1993 | まあだだよ | 黒澤明 | 奥さん。黒澤の遺作 |
| 1996 | Shall we ダンス? | 周防正行 | 岸川恵子 |
| 2002 | 阿弥陀堂だより | 小泉堯史 | 幸田ヨネ |
| 2009 | BALLAD 名もなき恋のうた | 山崎貴 | 吉乃 |
| 2017 | 天使のいる図書館 | ウエダアツシ | 芦高礼子 |
| 2018 | MIFUNE: THE LAST SAMURAI | スティーヴン・オカザキ | ドキュメンタリー(証言) |
| 2021 | モルエラニの霧の中 | 坪川拓史 | ふき子 |
| 2022 | 峠 最後のサムライ | 小泉堯史 | お貞 |
| 2022 | 島守の塔 | 五十嵐匠 | 比嘉凛(戦後) |
| 2026(日本公開) | The Ozu Diaries/小津ダイアリー | ダニエル・レイム | ドキュメンタリー(回想) |
テレビドラマ[編集]
| 放送年 | 作品名 | 備考 |
|---|---|---|
| 1958 | 橋づくし | 石井ふく子との縁で出演 |
| 1964 | 二十四の瞳 | 東京12チャンネル(現・テレビ東京)、大石先生役 |
| 1968 - 1972 | 肝っ玉かあさん | TBS |
| 1993 - 1994 | 渡る世間は鬼ばかり | TBS |
| 2003 | ちゅらさん2 | NHK |
| 2018 | この世界の片隅に | TBS |
| 2019 | サギデカ | NHK |
『二十四の瞳』は木下惠介の映画版(二十四の瞳)で高峰秀子が演じた大石先生を、テレビで演じたものである。
受賞・受章歴[編集]
| 年 | 賞・栄典 | 対象 |
|---|---|---|
| 1978 | 日本アカデミー賞 優秀助演女優賞 | 『翼は心につけて』 |
| 1990 | キネマ旬報賞 助演女優賞 | 『式部物語』 |
| 1990 | 日本アカデミー賞 優秀助演女優賞 | 『式部物語』 |
| 1993 | 日本映画批評家大賞 女優賞 | 『まあだだよ』 |
| 1993 | 毎日映画コンクール 田中絹代賞 | |
| 1993 | ブルーリボン賞 助演女優賞 | 『まあだだよ』 |
| 1994 | 日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞 | 『まあだだよ』 |
| 1995 | 日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞 | |
| 1998 | 紫綬褒章 | |
| 2002 | 日本映画批評家大賞 助演女優賞 | 『阿弥陀堂だより』 |
| 2004 | 旭日小綬章 | |
| 2006 | 日本映画批評家大賞 サファイア大賞 | |
| 2008 | 川喜多賞(第26回) | |
| 2011 | FIAF賞(国際フィルム・アーカイブ連盟) | 日本人初 |
| 2018 | 日本アカデミー賞 会長功労賞 | |
| 2022 | 山路ふみ子映画賞 映画功労賞 | 『島守の塔』など |
田中絹代賞は、『おかあさん』で母娘を演じた田中絹代の名を冠した賞であり、かつての共演者の名の賞を受けたことになる。
近況(2025〜2026年)[編集]
2026年10月時点で、香川京子の訃報は報じられておらず、94歳で存命とみられる。
近年の大きな話題は、小津安二郎の生誕120年を記念して製作されたドキュメンタリー『The Ozu Diaries/小津ダイアリー』(監督:ダニエル・レイム、製作:Adama Films・松竹)への登場である。小津の日記や書簡、未公開のホームムービーなどをもとにその素顔に迫る作品で、香川は俳優・城澤勇夫、プロデューサー・山内静夫とともに、小津と同時代を過ごした映画人として回想を寄せている。黒沢清、ヴィム・ヴェンダース、リュック・ダルデンヌ、ツァイ・ミンリャンら国内外の監督も出演している。
同作は2025年9月のヴェネツィア国際映画祭クラシックス部門でワールドプレミア、同年の東京国際映画祭でジャパンプレミア上映され、日本では2026年10月9日に劇場公開された。公開に合わせ、Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下では小津作品11本の特集上映も行われている。『東京物語』の撮影から70年以上を経て、小津組を知る数少ない俳優として証言を残したことになる。
それ以前にも、2023年2月には「大映4K映画祭」(角川シネマ有楽町)で『近松物語』4K版上映後のトークに登壇し、溝口健二との思い出を語った。2018年には「小津4K」の特集上映(角川シネマ新宿)でトークを行い、2021年には『モスラ』4Kデジタルリマスター版が「幻の序曲」発見とともに上映されるなど、出演作の修復・リバイバル上映の機会が続いている。
人物[編集]
- 溝口健二からはほとんど演技指導を受けなかったが、「反射して下さい」という言葉だけは繰り返し言われたという。相手の動きや言葉に反応してこそ芝居になる、という意味で、香川はこれを「芝居の根本」として大切にしてきた。黒澤組でも、セリフのない場面で周囲に反応する演技が多く、この教えが役立ったと語っている。
- 『近松物語』撮影当時は22歳の独身。京都弁、着物での所作、人妻役のすべてが初めてで、母親役の浪花千栄子に言葉や振る舞いを教わりながら乗り切ったという。
- 小津については、本人が「世の中のことに興味はない」と言っていたのを覚えているが、後年に小津が社会や「もののあはれ」について書いたノートを読み、人間を自然に描くことで社会が伝わるのだと理解したという。
- 2023年のトークでは、長い女優人生を振り返って「嫌なことは一つもなかった」と笑顔で語った。
- 若い俳優や監督と仕事をすることが元気の源だと語っており、生涯現役の姿勢を見せている。
余談[編集]
- 芸名に「香川」とあるが、香川県とは特に関係はない。本名の「香子」の一字を残して付けた名前である。
- 『近松物語』で香川は、当初は女中のお玉役を演じる予定だったという。ヴェネツィア国際映画祭に『山椒大夫』と『七人の侍』を持ち込んで帰国した直後、空港で大映の永田雅一社長から「おさん役をやることになった」と告げられたという。溝口が『山椒大夫』での香川を気に入って熱望していたことを知ったのは後のことだった。
- 溝口が亡くなる前、京都の病院へ見舞いに行ったが、まだ元気そうだったため、そんなに早く亡くなるとは思わなかったという。
- 『東京物語』では大ファンだった原節子と共演できたことが何よりうれしく、小津のことはよく知らないまま撮影に臨んでいたと語っている。スクリーンでは品があってミステリアスな原が、素顔は明るく気さくな人だったという。
- 石井ふく子とは新東宝時代からの親友。五社協定の時代に、所属会社と対立してまで石井のテレビドラマ『橋づくし』(1958年)に出演したとされる。
- 『犬ヶ島』のプロモーションで来日した映画監督ウェス・アンダーソンが、ぜひ会いたいと面会を希望し、実際に対面している。
- 2018年には映画評論家・立花珠樹を聞き手とする語り下ろし本『凛たる人生 映画女優 香川京子』(ワイズ出版)が出版された。巨匠たちとの撮影秘話に加え、娘による文章や、戦争について語ったパート「平和を祈る」も収録されている。
- 仲代達矢、京マチ子、若尾文子、杉村春子らと同様、日本映画の黄金期を支えた世代の一人だが、香川は溝口・小津・黒澤・成瀬の4人すべての作品に出演しており、この点が「巨匠の女優」と呼ばれるゆえんである。