加山雄三
かやま ゆうぞう / Yuzo Kayama
Kayama-Yuzo-1965-1.jpg
1965年ごろ(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン)
本名 池端直亮(いけはた なおあき)
誕生日 1937年4月11日
年齢 89歳
出身地 神奈川県横浜市(茅ヶ崎市育ち)
国籍 日本
学歴 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
ジャンル 映画、テレビドラマ、歌謡曲、エレキインスト、ロック
活動期間 1960年 -(コンサート活動は2022年で終了)
デビューアルバム 1960年 映画『男対男』(俳優)、1961年 シングル「夜の太陽」(歌手)
家族 父:上原謙(俳優)、母:小桜葉子(女優)、妻:松本めぐみ(元女優)、次男:加山徹(俳優、旧芸名・山下徹大)、長女:梓真悠子(女優)、次女:池端えみ(女優)
事務所 加山プロモーション
代表作 『若大将』シリーズ、『椿三十郎』、『赤ひげ』、『帰ってきた若大将』、楽曲「君といつまでも」「お嫁においで」「海 その愛」「サライ」(作曲)
関連活動 歌手、作曲家(作曲名義「弾厚作」)、ギタリスト(ザ・ランチャーズ)、画家、船の設計
あだ名 若大将
その他 日本レコード大賞特別賞(1966年)、芸術選奨文部科学大臣賞(2011年)、旭日小綬章(2014年)、茅ヶ崎市名誉市民
リンク https://www.kayamayuzo.com/


概要[編集]

加山雄三(かやま ゆうぞう、1937年4月11日 - )とは、日本の俳優・歌手・作曲家である。本名は池端直亮。東宝の青春映画『若大将』シリーズで国民的スターとなり、「弾厚作」名義で「君といつまでも」などを自作したシンガーソングライターの草分けでもある。ニックネームはそのまま「若大将」。2022年末にコンサート活動を終えたが、その後も節目ごとに表舞台に姿を見せている。

詳細[編集]

「若大将」とは何者か[編集]

加山雄三を一言で表すなら「昭和の若大将」である。1961年から1971年まで東宝で全17作が作られた『若大将』シリーズで、加山はすき焼き屋「田能久」の跡取り息子・田沼雄一を演じた。大学の運動部のエースで、歌もギターもうまく、女の子にモテる。毎回スポーツの種目と舞台が変わり、マラソン、ヨット、スキー、アメフト、カーレースなどあらゆる競技で活躍する。

この「なんでもできる好青年」というキャラクターが、そのまま加山本人のイメージとして定着した。実際の加山もスキーで国体に出場し、日本で最初期にサーフィンを楽しんだ人物として新聞で紹介されたほどのスポーツマンで、役と素顔の距離が非常に近かった。これが半世紀以上たっても「若大将」と呼ばれ続ける理由である。

シンガーソングライターの元祖[編集]

加山のもう一つの顔が作曲家・弾厚作(だん こうさく)である。名前は尊敬する作曲家の團伊玖磨と山田耕筰を組み合わせたものとされる。昭和30年代の歌謡界は、作詞家・作曲家が書いた曲を歌手が歌う分業制が当たり前だった。その中で、自分で作曲して自分で歌い、しかも大ヒットさせた加山は、日本のシンガーソングライターの先駆けと位置づけられることが多い。

代表曲「君といつまでも」(1965年)は350万枚を売ったとされ、1966年の日本レコード大賞で特別賞を受けた。作詞の多くは岩谷時子が担当し、「お嫁においで」など岩谷と弾厚作のコンビによる名曲は数多い。のちに作曲だけを手がけた「サライ」(1992年)は、日本テレビ『24時間テレビ』のエンディング曲として30年以上歌い継がれている。

エレキと海の男[編集]

加山はエレキギターブームの立役者でもある。1965年にザ・ベンチャーズとテレビ番組で共演して交友が始まり、従弟らと組んだバンド、ザ・ランチャーズでエレキインストを演奏した。代表的なインスト曲「ブラック・サンド・ビーチ」は、今もエレキ好きの定番曲である。

そして何より「海の男」である。14歳でカヌーを自作して以来、大小10隻ほどの船を設計したとされ、映画界に入った動機の一つも船を造る資金が欲しかったからだという。自ら設計したクルーザー「光進丸」は加山の分身のような存在だった。「海 その愛」は、こうした海への思いを歌った代表曲として紅白でも歌われた。

なぜ若者にも知られているのか[編集]

昭和のスターでありながら、加山は平成・令和の若い世代にも名前が通っている珍しい存在である。理由は大きく三つある。一つは大のゲーム好きであること。二つ目はヒップホップやロックの若手と積極的に組んだこと。三つ目はYouTubeの公式チャンネルや「バーチャル若大将」など、ネットの新しい試みに自ら乗ったことである。詳しくは後述の「ゲームとネットの若大将」の節を参照。

経歴[編集]

生い立ち(1937年〜1950年代)[編集]

1937年4月11日、神奈川県横浜市で生まれる。父は松竹の二枚目スター・上原謙、母は女優の小桜葉子という芸能一家である。幼いころは病弱で、父の判断で3歳ごろに海の近い茅ヶ崎に移り住んだ。この茅ヶ崎の海が、加山の人生を決めることになる。

母方をたどると、明治の元勲・岩倉具視が高祖父にあたる。地元の小中学校を経て慶應義塾高校、慶應義塾大学法学部政治学科へ進学した。高校時代にスキーを始め、大学在学中の1959年には国体の蔵王大会に出場している。大学時代には自作のモーターボートで伊豆大島沖を3日間漂流し、余った部品でエンジンを直して自力で帰ってきたという武勇伝もある。

東宝入社と若大将ブーム(1960年代)[編集]

大学卒業後の1960年に東宝へ入社し、映画『男対男』でデビュー。芸名は会見では「加賀百万石」「富士山」「英雄」「小林一三」から一字ずつ取ったと説明されたが、実際には母方の祖母が姓名判断で選んだ名前だと、のちに本人が著書で明かしている。

1961年に「夜の太陽」で歌手デビューし、同年『大学の若大将』が公開されてシリーズが始まる。黒澤明監督の作品にも出演し、『椿三十郎』(1962年)では若侍の一人を、『赤ひげ』(1965年)では赤ひげに反発しながら成長していく青年医師・保本登を演じた。『赤ひげ』は三船敏郎との共演で、加山の俳優としての評価を大きく高めた作品である。

1965年は加山にとって決定的な年だった。夏にザ・ベンチャーズと共演し、12月には『エレキの若大将』が公開され、その劇中歌「君といつまでも」が空前のヒットとなる。翌1966年も「お嫁においで」「霧雨の舗道」「蒼い星くず」などのヒットが続き、人気は頂点に達した。

どん底の1970年[編集]

ところが1970年前後、加山の人生は急転する。役員を務めていた茅ヶ崎のパシフィックホテル茅ヶ崎の運営会社が倒産し、手形の相殺後も23億円という巨額の負債が残った。同じ年に母・小桜葉子が亡くなり、翌1971年には『若大将』シリーズも『若大将対青大将』で幕を閉じる。

大事な光進丸まで差し押さえられ、苦しい時期が続いた。この1970年に女優の松本めぐみと結婚しており、妻と卵1個を分け合って食べた時期もあったと本人は振り返っている。借金は約10年かけて完済した。

復活と「帰ってきた若大将」(1970年代後半〜1990年代)[編集]

1975年ごろ、名画座のオールナイト上映で『若大将』シリーズが若者に再発見され、ブームが再燃する。1976年には「海 その愛」を発表。1981年には芸能生活20周年記念作『帰ってきた若大将』が公開され、配給収入10億円の大ヒットとなった。

1986年から1988年にかけてはNHK紅白歌合戦の白組司会を3年連続で務めた。1992年には『24時間テレビ』の番組内企画で谷村新司が作詞、加山が作曲した「サライ」が誕生する。同じ1992年にはTBSテレビでドラマ『社長になった若大将』も放送されている。1994年にはバンド「加山雄三&ハイパーランチャーズ」を結成した。

若手との共演と全国ツアー引退(2000年代〜2010年代)[編集]

2010年の芸能生活50周年には、森山良子、谷村新司、南こうせつ、さだまさし、THE ALFEEらと「ザ・ヤンチャーズ」を結成した。2011年には芸術選奨文部科学大臣賞、2014年には旭日小綬章を受けている。

2013年にロックフェスARABAKI ROCK FEST.に出演したのをきっかけに、2014年にはMONGOL800のキヨサク、THEATRE BROOKの佐藤タイジらとロックバンド「THE King ALL STARS」を結成。2017年の80歳記念盤『加山雄三の新世界』では若手ラッパーらが楽曲をリミックスした。一方で2015年には全国コンサートツアーからの引退を表明している。

2012年から2015年にかけてはテレビ朝日の散歩番組『若大将のゆうゆう散歩』に出演した。2018年4月1日、停泊中の光進丸が西伊豆の漁港で火災に遭い、4日に横倒しになって水没。1982年の進水から30年以上連れ添った船を失い、本人は火災後約10日の記憶がほとんどないと語っている。

病気とコンサート引退(2019年〜2022年)[編集]

2019年11月に軽い脳梗塞を発症し、コンサートを延期した。2020年8月には誤嚥で救急搬送され、軽度の小脳出血が判明。11月に退院し、2021年3月にはテレビ番組で左半身の軽いまひと言語障害が残っていることを明かした。それでもリハビリを続け、同年4月には自作の未発表曲「紅いバラの花」を配信している。

2022年6月、年内でのコンサート活動引退を発表した。8月の『24時間テレビ』で「サライ」をラスト生歌唱し、「感無量」と語った。9月9日には東京国際フォーラム ホールAでラストショーを開催。12月には名誉船長を務める客船「飛鳥II」のクルーズコンサートが最後の公演となった。そして12月31日の第73回NHK紅白歌合戦で「海 その愛」を歌い、85歳での出場は紅白史上最高齢として話題になった。公式サイトはこの紅白をもって人前でのパフォーマンスから「勇退」したとしている。

引退後(2023年〜2026年)[編集]

2023年4月、茅ヶ崎ゆかりの人物館で企画展「加山雄三展 湘南・茅ケ崎と若大将」が始まり、楽屋で使っていたイスなど初公開の愛用品が展示された。同年には茅ヶ崎市名誉市民に決まり、2024年4月11日には茅ヶ崎市役所前に銅像が建てられて除幕式が行われた。同月には著書『俺は100歳まで生きると決めた』(新潮社)を出している。

2025年4月11日、88歳の米寿と芸能生活65周年を迎え、新曲とトリビュートライブを発表した。コロナ禍の自宅整理で見つかった150本以上のオープンリールテープの中から、1960年代に作曲用に録音したデモ音源を選び、さだまさしが詞を書き下ろした新曲「旅人の詩」が7月の海の日に合わせて配信された。名義は「加山雄三&ザ・ヤンチャーズ」で、加山にとっては5年ぶりの新曲となった。7月には海を愛するアーティストたちとの合作「風の寄る辺」も配信されている。

2025年9月12日、東京国際フォーラム ホールAでザ・ヤンチャーズによる「トリビュートライブ 加山雄三のすべて」が開かれた。加山は出演しない予定と告知されていたが、最後の曲の後にステージが暗転し、照明がつくと本人が立っているというサプライズ演出で登場。しっかりした足取りで出演者と握手し、約5000人の観客を前に何度も「ありがとう」と繰り返した。報道陣の前に出たのは前年の銅像除幕式以来だった。この公演は同年12月にテレ朝チャンネル1で放送されている。

2025年には長嶋茂雄、仲代達矢の訃報に際して公式サイトで追悼文を出した。仲代は『椿三十郎』の共演者でもある。2026年4月11日に89歳となり、同年夏には妻・松本めぐみと並んだ近影が公開され、「お元気そう」とネットニュースで話題になった。

主な出演作[編集]

映画[編集]

  • 『男対男』(1960年)- デビュー作
  • 『独立愚連隊西へ』(1960年)- 初主演
  • 『大学の若大将』(1961年)- 若大将シリーズ第1作
  • 『椿三十郎』(1962年、黒澤明監督)
  • 『赤ひげ』(1965年、黒澤明監督)- 保本登役
  • 『エレキの若大将』(1965年)
  • 『帰ってきた若大将』(1981年)- 20周年記念作

若大将シリーズ(全17作)[編集]

公開年 作品
1961 大学の若大将
1962 銀座の若大将/日本一の若大将
1963 ハワイの若大将
1965 海の若大将/エレキの若大将
1966 アルプスの若大将/歌う若大将
1967 レッツゴー!若大将/南太平洋の若大将/ゴー!ゴー!若大将
1968 リオの若大将
1969 フレッシュマン若大将/ニュージーランドの若大将
1970 ブラボー!若大将/俺の空だぜ!若大将
1971 若大将対青大将

お約束の展開は、若大将がヒロインの澄子と出会い、ライバルの「青大将」こと石山新次郎(田中邦衛)が邪魔をして、最後は若大将の活躍でハッピーエンドというもの。澄子役は星由里子、父・久太郎役は有島一郎、祖母・りき役は飯田蝶子が務めた。青大将の名前は石原裕次郎の兄弟をもじったものとされる。作品同士に話のつながりはなく、男はつらいよとは違って毎回リセットされる一種のパラレルワールドになっている。

テレビ[編集]

  • 『ぼくの妹に』- 同名の挿入歌もヒット
  • 『社長になった若大将』(1992年、TBS)
  • 『若大将のゆうゆう散歩』(2012年 - 2015年、テレビ朝日)
  • 『徹子の部屋』- 最多出演ゲストの一人として知られる

音楽活動[編集]

主な楽曲[編集]

  • 「夜の太陽」(1961年)- 歌手デビュー曲
  • 「君といつまでも」(1965年)- 約350万枚。1966年日本レコード大賞特別賞
  • 「夜空の星」- のちにTHE ALFEEがカバーし、加山が「逆カバー」したこともある
  • 「お嫁においで」(1966年)
  • 「霧雨の舗道」「蒼い星くず」「旅人よ」(1966年)
  • 「ブラック・サンド・ビーチ」- ランチャーズとのエレキインスト
  • 「海 その愛」(1976年)- 2022年紅白で歌唱
  • 「サライ」(1992年)- 作詞・谷村新司、作曲・弾厚作。『24時間テレビ』のエンディング曲
  • 「紅いバラの花」(2021年)- 自作の未発表曲を配信
  • 「旅人の詩」(2025年)- 加山雄三&ザ・ヤンチャーズ名義

シングルは65枚、オリジナルアルバムは27枚を数える。弾厚作の作品には、モーツァルトのケッヘル番号にならって「K番号」が振られているという凝りようである。

バンド[編集]

  • ザ・ランチャーズ - 1964年に従弟の喜多嶋瑛・喜多嶋修、大矢茂と第二期を再結成
  • 加山雄三&ハイパーランチャーズ(1994年 -)
  • ザ・ヤンチャーズ(2010年 -)- 2020年には「加山雄三 & The Rock Chippers」名義で「Forever with you」を発表
  • THE King ALL STARS(2014年 -)

ザ・ベンチャーズとモズライト[編集]

1965年夏にザ・ベンチャーズとテレビで共演して以来、長い交友が続いた。ベンチャーズが来日公演で使っていたモズライトのギターが加山の手に渡り、『エレキの若大将』の劇中で使われたことは有名である。1966年3月には来日中のメンバーから直接ギターの指導を受けている。1993年にはモズライトから加山雄三モデルが発売され、2000年には芸能生活40周年記念モデルが40本限定で作られた。

NHK紅白歌合戦[編集]

紅白への出場は通算17回で、そのうち1986年から1988年の3回は白組司会を務めた。1986年は「キャプテン」名義での司会で、少年隊の「仮面舞踏会」を「仮面ライダー」と紹介してしまった言い間違いは、紅白の名(迷)場面として今も語り草である。

最後の出演は2022年の第73回で、コンサート活動引退の年に「海 その愛」を披露した。85歳での出場は当時の紅白史上最高齢だった。NHKの舞台でキャリアの締めくくりを飾った形である。

ゲームとネットの若大将[編集]

筋金入りのゲーマー[編集]

加山は老化防止も兼ねてゲームを始めたとされ、特にカプコンのバイオハザードシリーズに熱中した。1作目をナイフだけでクリアした、テレビ番組で19時間ぶっ続けで遊んだと語った、など逸話は多い。同じくカプコンの『鬼武者』を57分でクリアしたという話も伝わる。

ゲーム業界との縁も深く、ハドソンのスーパーファミコン用ソフト『鮫亀』ではゲーム音楽とイメージソングを作曲した。2016年にはスマホゲーム『Terra Battle』の250万ダウンロード記念で、加山の描いたイラストがタイトル画面の背景に使われている。こうした話題から、ニコニコ動画の大百科にも「ゲーム好きの若大将」として記事が作られており、ネットでは「ゲーム実況をしてほしい」という声がたびたび上がってきた。

YouTuberデビュー[編集]

2015年9月27日、日清食品「どん兵衛」の企画としてYouTubeチャンネル「どんぱれ 加山雄Tuber」を開設した。第1弾ではドローンでカップ麺の空撮に挑んだが、操縦に苦戦してドローンを壊してしまい、加山の謝罪で動画が終わるというオチがついた。開設直後の再生数が伸び悩んだことも「切ない」とネットで話題になった。

バーチャル若大将[編集]

小脳出血のあとには、加山の声を再現した「バーチャル若大将」(ネットでは「バーチャル加山」とも呼ばれる)が登場した。公式YouTubeチャンネルで、加山が選んだヒット曲をカバーする「若大将ザ・ベスト」シリーズを展開し、2021年10月28日には新シリーズ「若大将ザ・フォーカス」の第1弾としてBABYMETALの「ギミチョコ!!」をカバーした。加山は東京ドーム公演に足を運ぶほどのBABYMETAL好きで、「かわいいとメタルのギャップが面白い」という趣旨のコメントを寄せている。同日にはNHKの番組でリハビリやバーチャル歌声の制作についても語った。

若手アーティストとの交流[編集]

ももいろクローバーZとは『ミュージックステーション』での共演から縁ができ、年末の「ももいろ歌合戦」に何度も出演した。メンバーの玉井詩織には黄色く塗ったモズライトを贈っている。2015年にはラッパーのPUNPEEが加山の曲をカバーし、80歳記念盤ではヒップホップ勢がリミックスに参加するなど、世代とジャンルを越えた共演が続いた。

家族[編集]

父は戦前から松竹の二枚目スターとして活躍した上原謙(本名・池端清亮)、母は女優の小桜葉子(本名・池端具子)。母は加山の苦境が重なった1970年に亡くなっている。母方の高祖父が岩倉具視という、芸能と歴史の両方にまたがる家系である。

妻は1970年に結婚した元女優の松本めぐみ。倒産、母の死、シリーズ終了が重なった苦しい時期に結婚し、借金返済の時期を支えた存在として語られている。

子どもは2男2女。次男は俳優の加山徹(1975年生まれ)で、2019年1月までは本名の山下徹大名義で活動していた。父の曲に詞を提供したこともある。長女の梓真悠子、次女の池端えみも女優として活動した。2019年時点で孫は4人と語っている。

受賞・栄典[編集]

  • 1966年 - 日本レコード大賞特別賞(「君といつまでも」)
  • 2010年 - 茅ヶ崎市民栄誉賞
  • 2011年 - 第61回芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)
  • 2014年 - 旭日小綬章
  • 2023年 - 茅ヶ崎市名誉市民に決定(2024年4月授与)

人物・エピソード[編集]

  • 茅ヶ崎の後輩にあたる桑田佳祐(サザンオールスターズ)は加山を大きな存在として挙げており、2006年には野外フェスで共演した。2017年の80歳の誕生日パーティーは、桑田と山下達郎がそれぞれの妻とともに主催した。
  • 山下達郎は、中学1年で初めて買った日本の歌のレコードが「君といつまでも」だったと語っている。
  • 高校時代に祖母と大雄山で座禅修行をしたことがある。
  • 若大将時代、大学の成績が「可」ばかりだったことにかけて「可山優三」とからかわれた。
  • 2019年には日本セーリング連盟とともに「海 その愛基金 海洋環境クリーンプロジェクト」を立ち上げ、海洋プラスチック問題への危機感を語っている。
  • 将来の夢として、災害救助にも使える「エコシップ」の建造構想を語っていた。

余談[編集]

  • 3代目光進丸は1982年4月11日、加山の誕生日に進水した。借金で差し押さえられた際には、国税局と交渉して週1回は船を動かす許可を得たとされ、差し押さえの紙の上にサメの写真を貼って乗っていたという話もある。
  • 2018年発売の企画盤『演歌の若大将~Club光進丸』のジャケット写真は、火災のわずか10日前に光進丸の船内バーで撮られたものだった。
  • 「浄化槽のふたで焼き肉」という『若大将』シリーズ名物のギャグは、最初の案だったマンホールのふたがプロデューサーに却下されて生まれたとされる。
  • 1981年の『帰ってきた若大将』のヒロインは坂口良子が務めた。
  • 2007年には茅ヶ崎駅前に「海 その愛」の言葉が刻まれたモニュメントが設置されている。
  • 画家としても活動しており、個展を開くほどの腕前である。

外部リンク[編集]

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