雨月物語
Ugetsu Monogatari / Ugetsu
Ugetsu_monogatari_poster.jpg
1953年公開時のポスター(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン)
監督 溝口健二
製作 永田雅一
脚本 川口松太郎、依田義賢
脚色 川口松太郎、依田義賢
原作 上田秋成『雨月物語』(「浅茅が宿」「蛇性の婬」)、ギ・ド・モーパッサン「勲章」(参考)
出演 京マチ子、田中絹代、森雅之、水戸光子、小沢栄(小沢栄太郎)
撮影 宮川一夫
音楽 早坂文雄
ジャンル 時代劇、怪奇・幻想、ドラマ
撮影期間 1953年
制作会社 大映(京都撮影所)
配給 大映
フォーマット 白黒、スタンダード(1.37:1)、モノラル
劇場公開 1953年3月26日(日本)
1954年9月7日(アメリカ・ニューヨーク)
配信 時期・サービスにより変動
上映時間 96分(4Kデジタル修復版は約97分)
言語 日本語



概要[編集]

雨月物語(うげつものがたり)とは、1953年に大映が製作・配給した、溝口健二監督の日本映画である。上田秋成の怪異小説集『雨月物語』の「浅茅が宿」「蛇性の婬」を下敷きに、戦国時代の琵琶湖畔で欲に駆られた男たちと、戦乱に翻弄される女たちを描いた。第14回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞し、羅生門と並んで日本映画を世界に知らしめた古典中の古典である。

詳細[編集]

「怪談映画」の皮をかぶった反戦映画[編集]

タイトルだけ見ると幽霊が出てくる怪談映画を想像しがちだが、実際に観ると印象はだいぶ違う。物語の軸は、戦で一儲けしようとする陶工・源十郎と、侍として成り上がりたい義弟・藤兵衛という「欲深い二人の男」と、そのせいで地獄を見る妻たちの話だ。幽霊は確かに出てくるが、本当に怖いのは戦争と、それに便乗する人間の欲のほうである。

脚本の依田義賢によれば、溝口は当初から反戦映画を撮るつもりではなかったという。上田秋成の原作が持つ感覚や透明感を映像にしたいというのが出発点だったが、脚本を練るうちに反戦のテーマが繰り返し浮上し、最終的には作品の主題になった。溝口は依田に「戦争に名を借りた暴力が、民衆を肉体的にも精神的にも抑圧し苦しめる」ことを描きたいと語っていたとされる。

大映・永田雅一の「全権委任」[編集]

本作の直前、溝口は『西鶴一代女』(1952年)を撮り、同作でヴェネツィア国際映画祭の国際賞を受賞していた。これを受けて、旧知の仲だった大映社長・永田雅一は溝口に潤沢な予算と芸術面の完全な裁量を約束したとされる。大映は1951年に黒澤明の『羅生門』でヴェネツィアの金獅子賞を獲っており、「海外映画祭で勝てる芸術映画」を狙う空気が社内にあった時期である。

ただし「完全な裁量」は額面どおりではなく、溝口は結末をもっと救いのあるものにするよう圧力を受けたという。また溝口は、藤兵衛と阿濱のサブプロットを、戦時下で性暴力にさらされた女性たちの現実に近い、より不幸な結末にしようとして大映と揉めたとも伝えられる。完成版で藤兵衛が改心して村へ帰るのは、この綱引きの産物とされる。

1953年という時代[編集]

公開された1953年は、敗戦から8年、日本が独立を回復した翌年にあたる。戦争の記憶が生々しく残る観客にとって、戦乱で夫を失い、兵に襲われ、家を焼かれる女たちの姿は決して遠い時代劇ではなかった。アメリカの映画研究者マーサ・P・ノキムソンは、本作を戦時中に国策色の強い『元禄忠臣蔵』(1941〜42年)を撮った溝口自身の悔恨の表れと読み、藤兵衛のエピソードに慰安婦問題の影を見ている。

一方、映画評論家ロビン・ウッドは、若狭も宮木も結局は男性中心の社会によって殺される存在であるとして、家父長制へのフェミニズム的批判として本作を読んだ。どちらの解釈を取るにせよ、「女性が犠牲になる」という溝口作品の一貫したテーマが、戦争という最大の暴力と結びついたのが本作だといえる。

日本映画黄金期の頂点[編集]

1950年代前半の日本映画は、国際映画祭で次々と賞を獲る「黄金期」にあった。『羅生門』(1951年ヴェネツィア金獅子賞)、『西鶴一代女』(1952年同国際賞)、本作(1953年同銀獅子賞)、そして翌1954年には溝口の『山椒大夫』と黒澤の『七人の侍』が揃って銀獅子賞を受賞している。溝口は3年連続でヴェネツィアの賞を手にしたことになる。

同じ1953年には小津安二郎の『東京物語』も公開されており、現在でも英国の映画誌『Sight & Sound』のオールタイム・ランキングでは『東京物語』『七人の侍』と並ぶ日本映画の常連である。

あらすじ[編集]

※以下、結末までのネタバレを含む。

前半:戦で儲けを夢見る男たち[編集]

戦国時代、近江国・琵琶湖北岸の中ノ郷村。貧しい百姓で陶工の源十郎(森雅之)は、妻の宮木(田中絹代)と幼い息子・源市とともに暮らしている。戦の影響で町の市場が活気づいていると聞いた源十郎は、焼き物を荷車に積んで長浜へ売りに行き、大金を手にして戻ってくる。

その儲けに味をしめた源十郎は金儲けにのめり込んでいく。一方、宮木は「家族が揃って暮らせることが一番の幸せ」と夫をたしなめる。源十郎の義弟・藤兵衛(小沢栄)は侍になって出世することを夢見ており、妻の阿濱(水戸光子)の制止も聞かない。

やがて柴田勝家の軍勢が村に迫り、村人は山へ逃げる。男は人足として駆り出され、女は兵に襲われる危険にさらされる。混乱の中、源十郎たちは窯に入れたままだった焼き物を取り出すと、皮肉にも見事な出来栄えだった。

中盤:湖上の舟と朽木屋敷[編集]

一行は舟で琵琶湖を渡り、焼き物を売りに出る。霧の湖上で、海賊に襲われて瀕死の男を乗せた舟と遭遇し、危険を悟った源十郎は宮木と源市を岸へ戻らせる。この霧の湖の場面は、本作でも屈指の名シーンとして知られる。

町では焼き物が飛ぶように売れる。藤兵衛は分け前を手にするや阿濱を置き去りにし、具足と槍を買って武士の陣へ紛れ込む。夫を探してさまよう阿濱は雑兵たちに捕まり、乱暴されてしまう。

源十郎のもとには、気品ある女性・若狭(京マチ子)が侍女の右近を連れて現れ、焼き物を屋敷まで届けてほしいと頼む。朽木屋敷で歓待された源十郎は、織田信長に滅ぼされた朽木家の生き残りだという若狭の美しさに溺れ、そのまま屋敷に居着いてしまう。

後半:まぼろしの終わり[編集]

藤兵衛は、敗将の首を討ち取った者から首を横取りして手柄にし、家来を従える武将に成り上がる。意気揚々と馬を連ねて遊郭に立ち寄った藤兵衛は、そこで遊女に身を落とした阿濱と再会し、ひれ伏して許しを請う。

源十郎が若狭のために着物を買おうとすると、店主は届け先が朽木屋敷だと聞くなり代金を受け取らずに追い返す。帰り道で出会った老僧は、源十郎の顔に死相が出ていると告げ、すぐ家族のもとへ帰れと諭して、彼の体に梵字を書き付ける。屋敷に戻った源十郎に若狭は触れることができず、正体を現した彼女ともみ合ううちに源十郎は気を失う。

目覚めると、屋敷は焼け跡の廃墟だった。源十郎は神社の宝物を盗んだ疑いで捕まりかけるが、牢も戦で焼けていたため放免される。手元に残っていた金も取り上げられ、彼は一文無しで村へ向かう。

結末[編集]

荒れ果てた家に帰り着くと、囲炉裏の前に宮木がいて、何事もなかったように食事を用意して迎えてくれる。源十郎は安堵して眠りにつく。しかし翌朝、名主から、宮木は落ち武者に殺されていたこと、源市は名主が預かっていたことを知らされる。昨夜の宮木は幽霊だったのだ。

藤兵衛と阿濱も村に戻り、藤兵衛は心を入れ替えて百姓に戻る。源十郎は再びろくろを回し、どこからか宮木の声が、自分はいつもそばにいると語りかけ、仕事に励む夫を見守る。ラストでは源市が母の墓に食べ物を供え、カメラはゆっくりと上昇して村全体を見下ろして終わる。

登場人物とキャスト[編集]

役名 俳優 人物
源十郎 森雅之 中ノ郷村の陶工。戦で儲けようとして家を空け、若狭の屋敷に溺れる
若狭 京マチ子 朽木屋敷の姫。信長に滅ぼされた一族の生き残りを名乗るが、その正体は……
宮木 田中絹代 源十郎の妻。家族の平穏だけを願う
阿濱 水戸光子 藤兵衛の妻。夫に置き去りにされ、遊女に身を落とす
藤兵衛 小沢栄(小沢栄太郎) 源十郎の義弟。侍になって出世することを夢見る
源市 澤村市三郎 源十郎と宮木の息子
右近 毛利菊枝 若狭の侍女(乳母)
名主 香川良介 村の名主。源市を預かる
老僧 青山杉作 源十郎の死相を見抜く僧
衣裳屋 上田吉二郎 朽木屋敷への届けを拒む店主
神官 南部彰三

藤兵衛役の小沢栄太郎は、当時「小沢栄」名義で出演している(俳優座所属)。若狭役の京マチ子は『羅生門』で国際的な注目を浴びた直後で、本作の若狭は、引眉(ひきまゆ)を施した能面のようなメイクと衣裳で強烈な印象を残した。溝口作品への出演は戦中の『團十郎三代』(1944年)以来とされる。

宮木役の田中絹代は溝口作品の常連で、『西鶴一代女』に続く起用である。田中は、幽霊でありながら「生きている妻」として振る舞わなければならない帰宅の場面が、本作で最も神経をすり減らした演技だったと振り返っている。源十郎役の森雅之は、のちに成瀬巳喜男の『浮雲』(1955年)で知られる名優で、本作では欲と色に溺れる弱い男を演じた。

スタッフ[編集]

担当 氏名
監督 溝口健二
製作 永田雅一
原作 上田秋成
脚本 川口松太郎、依田義賢
撮影 宮川一夫
照明 岡本健一
録音 大谷巖
美術 伊藤熹朔
音楽 早坂文雄
衣裳考証 甲斐庄楠音
編集 宮田味津三
助監督 田中徳三

脚本の川口松太郎は直木賞作家で、のちに大映の重役も務めた溝口の古い盟友。依田義賢は1936年の『浪華悲歌』以来、溝口作品の大半を手がけた専属脚本家的存在である。助監督の田中徳三はのちに監督に昇格し、勝新太郎の『悪名』シリーズなどを手がけた。

製作[編集]

「絵巻物のように」[編集]

溝口は撮影の宮川一夫に「絵巻物のように切れ目なく繰り広げられる映画にしたい」と注文したとされる。スタッフは中国の南宗画(文人画)を手本に、淡い墨絵のような画面を目指した。宮川は照明を低く抑え、状況が許す限り日没に近い時間帯に撮影したという。

宮川は1992年の回想で、本作のカットの約7割がクレーン撮影だったと述べている。ゆっくりと移動し、上昇し、また降りていくカメラが、現世とあの世、過去と現在を地続きのものとして見せる。ラストの墓前からの上昇ショットはその集大成だ。なお溝口は自分でカメラを覗くことも照明を指示することもなく、宮川によれば、溝口から撮影を褒められたのは後にも先にも本作だけだったという。宮川は『羅生門』の撮影者でもある。

霧の湖はプールだった[編集]

名場面として名高い琵琶湖上の舟のシーンは、実際の琵琶湖ではなく撮影所のプールで撮られた。スモークを焚いて霧を作り、冷たい水の中で助監督たちが舟を押して動かしていたという。幻想的な画面の裏では、なかなか過酷な人力作業が行われていたわけである。

朽木屋敷のセットは、京都市の桂離宮を参考に設計された。美術監督の伊藤熹朔は舞台美術の第一人者で、本作で毎日映画コンクール美術賞を受賞している。

溝口の完全主義[編集]

溝口は撮影中も脚本の手直しを要求し続け、依田は現場で絶えず書き直しに追われたという。溝口の「ダメ出し」の厳しさは有名だが、ある場面を撮り終えた後、森雅之の演技に満足した溝口が自ら森のタバコに火を点けてやったという逸話があり、これは溝口なりの最大級の賛辞だったとされる。

音楽と能[編集]

音楽の早坂文雄は、黒澤作品でもおなじみの作曲家。本作では歌舞伎の下座音楽を取り入れ、超自然的な場面にのみハープを用いた。クレジットされていないが、斎藤一郎と望月太明吉も音楽に参加している。溝口自身は音楽にはほとんど口を出さず、早坂と助監督たちに任せていたという。

若狭の場面には能の様式が色濃く取り入れられている。英国の評論家トニー・レインズは、能を思わせるイメージで「この世ならぬもの」を表現した最初の映画が本作であり、のちの黒澤明『蜘蛛巣城』(1957年)にも影響を与えたと指摘している。

原作との違い[編集]

本作は上田秋成が1776年(安永5年)に刊行した読本『雨月物語』全9篇のうち、「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2篇を組み合わせ、さらにモーパッサンの短編「勲章」(原題 Décoré!、1883年)の要素を加えている。大筋は「浅茅が宿」の枠組みで、主人公が家を空けている間の出来事を「蛇性の婬」に置き換えた構成だ。

項目 原作 映画
主人公の旅 「浅茅が宿」の勝四郎は、絹を売りに京へ上る 源十郎は焼き物を売りに長浜・大溝へ出る
舞台 「浅茅が宿」は下総国葛飾郡真間 近江国・琵琶湖北岸(原作で勝四郎が帰路に病で倒れる土地が近江)
妻の名 宮木 宮木(固有名詞で原作と一致するのはほぼこれだけ)
家を空ける期間 勝四郎は7年間戻らない 戦乱の中のごく短い期間
誘惑する女 「蛇性の婬」の真女児(まなご)、正体は大蛇の精 若狭、正体は滅亡した朽木家の亡霊
誘惑される男 「蛇性の婬」の豊雄 源十郎
退治・救済の方法 僧が袈裟をかぶせて封じる 老僧が源十郎の体に梵字を書き、若狭が触れられなくなる
子ども 登場しない 息子・源市が登場し、ラストで墓に供え物をする
藤兵衛と阿濱 原作にはいない モーパッサン「勲章」をヒントにしたオリジナル

モーパッサンの「勲章」は、妻の不貞に目をつぶることでレジオン・ドヌール勲章を手に入れる男の話で、「妻の貞操と引き換えに名誉を得る」という構図が、侍に出世する裏で妻が遊女に落ちる藤兵衛と阿濱の物語に重なる。ただし筋書きがそのまま一致するわけではなく、あくまでモチーフの借用である。

ちなみに若狭の朽木家は「信長に滅ぼされた」とされているが、史実の朽木氏は滅ぼされておらず、むしろ信長に協力した側の一族である。

評価[編集]

ヴェネツィアでの受賞[編集]

本作は1953年の第14回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、銀獅子賞を受賞した。この年は金獅子賞が「該当なし」だったため、事実上の最高賞にあたる。あわせてパシネッティ賞も受賞した。

ヴェネツィア行きは溝口にとって初の海外渡航で、依田義賢と田中絹代が同行した。溝口は滞在中、ホテルの部屋に観音の掛け軸をかけて受賞を祈り続けたという。授賞式の前夜には「負けたら恥ずかしくて日本に帰れない」とまで思い詰め、部屋にこもって祈っていたと伝えられる。コンペにはウィリアム・ワイラーの『ローマの休日』も出品されており、監督賞の本命と噂されていた。

受賞・ノミネート一覧[編集]

年 賞 部門 結果
1953 第14回ヴェネツィア国際映画祭 銀獅子賞 受賞
1953 第14回ヴェネツィア国際映画祭 パシネッティ賞 受賞
1953 キネマ旬報ベスト・テン 日本映画 第3位
1953 毎日映画コンクール 録音賞(大谷巖) 受賞
1953 毎日映画コンクール 美術賞(伊藤熹朔) 受賞
1953 文部省 撮影賞(宮川一夫) 受賞
1956 第28回アカデミー賞 衣裳デザイン賞(白黒)(甲斐庄楠音) ノミネート

海外の批評[編集]

アメリカでは1954年9月7日にニューヨークで Ugetsu の題で公開された。当初の反応は割れており、『ニューヨーク・タイムズ』のボズレー・クラウザーは「難解で当惑させられる」と評した。一方でポーリン・ケイルは「繊細で暴力的、それでいて魔術的」と称え、日本映画研究の第一人者ドナルド・リチーは日本映画史上もっとも完璧な作品の一つと評価した。

フランスでは1959年に公開され、『カイエ・デュ・シネマ』誌の年間ベストテンで第1位に選ばれた。ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、ジャック・リヴェットらヌーヴェルヴァーグの映画作家たちは溝口を熱烈に崇拝し、本作から大きな影響を受けたとされる。

ロジャー・イーバートは2004年に本作を自身の「Great Movies」に加え、四つ星を与えた。マーティン・スコセッシやアンドレイ・タルコフスキーも好きな映画の一本に挙げている。『タイム』誌の「オールタイム100本」(2005年)、『ヴィレッジ・ヴォイス』の「20世紀映画ベスト」(2000年、第29位)にも選出された。Rotten Tomatoesでは批評家支持率100%を記録している。

Sight & Sound ランキングの推移[編集]

英国映画協会(BFI)の映画誌『Sight & Sound』が10年ごとに行う「史上最高の映画」投票での順位の推移は以下のとおり。

年 批評家投票の順位 備考
1962 第5位 溝口の死から6年後。トップ10入り
1972 第10位 2回連続でトップ10入り
1982 第33位前後
1992 第26位前後
2002 第34位前後
2012 第50位 監督投票では第67位
2022 第90位(タイ)

1962年の第5位が最高で、以後は徐々に順位を下げているものの、70年近くトップ100圏内に残り続けている。日本映画では『東京物語』『七人の侍』と並ぶ常連といえる。

4K修復版と近年の上映・配信[編集]

4Kデジタル修復版[編集]

本作は、スコセッシが設立した映画保存団体ザ・フィルム・ファウンデーションとKADOKAWA(大映作品の権利を継承した角川)の共同で4Kデジタル修復が行われた。作業はニューヨークのシネリック・ラボラトリーズで行われ、2016年のカンヌ国際映画祭「カンヌ・クラシック」部門でお披露目された。その後、ボローニャの復元映画祭(Il Cinema Ritrovato)、同年のニューヨーク映画祭でも上映されている。

大映作品のライブラリーは現在KADOKAWAが管理しており、角川映画ブランドの旧作とともに修復・ソフト化が進められている。

テレビ放送[編集]

日本ではNHKが2018年12月に新設されたBS4Kの「4Kシアター」枠で、2018年12月22日に「雨月物語 4Kデジタル修復版」を放送した。2026年9月21日にもNHK BSP4Kの「シネマ4K」枠で放送されたとされる。

2026年・没後70年企画[編集]

溝口健二は1956年8月24日に死去しており、2026年は没後70年の節目にあたる。国立映画アーカイブでは展覧会「没後70年 映画監督 溝口健二」が2026年8月11日から12月13日まで開催中。さらに第39回東京国際映画祭との共催企画「TIFF/NFAJ クラシックス 映画監督 溝口健二」として、2026年10月27日から11月1日まで同館長瀬記念ホールOZUで溝口作品13本が英語字幕付きで上映され、本作も「デジタル修復版」としてラインナップに入った。

ソフト化[編集]

発売日 メディア 発売元 備考
1993年11月24日 レーザーディスク ボイジャー(米)
2005年11月8日 DVD(2枚組) クライテリオン・コレクション(米) 新藤兼人のドキュメンタリー『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(約150分)を収録
2008年4月 DVD ユーリカ「Masters of Cinema」(英) 『お遊さま』とカップリング
2012年4月23日 Blu-ray ユーリカ「Masters of Cinema」(英)
2017年6月6日 Blu-ray クライテリオン・コレクション(米) 4Kデジタル修復版を収録
2025年4月1日 4K Ultra HD+Blu-ray クライテリオン・コレクション(米) 4K UHD版、白黒・1.37:1・非圧縮モノラル

クライテリオン版の特典に入っている新藤兼人監督のドキュメンタリーは、溝口の弟子筋にあたる新藤が関係者の証言を集めた長尺の記録映画で、溝口の人物像を知るうえで欠かせない資料となっている。なお輸入盤には日本語字幕が付かない点に注意。

配信[編集]

国内の動画配信は、U-NEXTやAmazon Prime Videoなど各サービスで見放題・レンタルの扱いが時期によって入れ替わる。2026年時点で特定のサービスで常時見放題と確認できる情報はなく、視聴前に各サービスの作品ページで最新の配信状況を確認するのが確実である。海外では英国のBFI Playerなどで配信された実績がある。

影響[編集]

本作は、黒澤明の『羅生門』とともに日本映画が西洋で広く知られるきっかけとなった作品の一つである。ゴダールやトリュフォー、脚本家・監督のポール・シュレイダーらに影響を与えたとされ、インドのラジェンドラ・ナート・シュクラ監督『Mrig Trishna』(1975年)は本作に着想を得たといわれる。

溝口の「ワンシーン・ワンカット」と流れるようなクレーン移動は、のちのアート系映画の長回し演出の源流の一つとして語られることが多い。また「幽霊は怖い存在ではなく、生者を見守る哀しい存在として描く」という本作の宮木の描き方は、日本の怪談映画の系譜の中でも独特な位置を占める。

同時期の大映京都撮影所は、京マチ子主演の『地獄門』(1953年、カンヌ国際映画祭グランプリ)なども生み出しており、大映が「芸術映画の大映」として世界に名を売った時代の象徴的な一本である。のちに市川雷蔵や勝新太郎の時代劇で知られる大映京都の技術陣の多くも、この時期に溝口の現場で鍛えられた。

余談[編集]

  • ヴェネツィア受賞の翌年、溝口は『山椒大夫』で再び銀獅子賞を受賞しており、このとき同時受賞したのが黒澤明の『七人の侍』だった。溝口と黒澤は同じ年に同じ賞を分け合ったことになる。
  • 黒澤明は溝口を尊敬しており、溝口の死後、『蜘蛛巣城』などで能の様式を本格的に取り入れている。本作の若狭の能面的な造形がその先駆けだという見方がある。
  • 宮川一夫は溝口から撮影を褒められたことがほとんどなく、本作だけが例外だったと語っている。厳しい完全主義者だった溝口らしいエピソードである。
  • 本作の霧の湖の場面は「日本映画史上最も美しいシーンの一つ」としてしばしば引用されるが、前述の通り実際はスタジオのプールにスモークを焚いて撮影したもので、舟は助監督たちが冷たい水に浸かって押していた。
  • 宮川一夫の長男・宮川一郎は、2018年にニューヨークで開かれた父の回顧上映の際、京都にはいまも暗闇や湿気が残っており「『雨月物語』のような霧が、空気の中にある感じ」と語っている。
  • 劇中で若狭の一族とされる朽木家は、史実では信長に滅ぼされておらず、むしろ協力関係にあった。脚色上のフィクションである。
  • アカデミー賞の衣裳デザイン賞にノミネートされた甲斐庄楠音は、もともと大正期に活躍した日本画家で、溝口作品の時代考証・衣裳を数多く担当した異色の経歴の持ち主である。
  • 同じ1953年、溝口は若尾文子の初期の代表作となる『祇園囃子』も撮っている。本作と並び、2026年の没後70年企画でも上映された。

外部リンク[編集]

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