| Masayuki Suo Masayuki Suo | |
|---|---|
![]() 周防正行(出典:映画.com 人物ページのプロフィール写真) | |
| 本名 | 周防正行 |
| 誕生日 | 1956年10月29日 |
| 年齢 | 69歳 |
| 出身地 | 東京都 |
| 国籍 | 日本 |
| 家族 | 妻・草刈民代 |
| 学歴 | 立教大学文学部仏文科 |
| 職業 | 映画監督、脚本家 |
| 活動期間 | 1984年 - |
| 代表的な実績 | 『シコふんじゃった。』『Shall we ダンス?』『それでもボクはやってない』 |
| 受賞 | 日本アカデミー賞最優秀監督賞、ブルーリボン賞監督賞、紫綬褒章 ほか |
| 事務所 | アルタミラピクチャーズ |
| 関連活動 | 法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」委員、再審法改正をめざす市民の会 共同代表 |
| 別名 | 矢島周平(ピンク映画時代の名義) |
概要[編集]
周防正行(すお まさゆき)とは、日本の映画監督・脚本家である。1956年生まれ、東京都出身。ピンク映画で監督デビューしたのち、『シコふんじゃった。』『Shall we ダンス?』で国民的ヒットメーカーになり、さらに『それでもボクはやってない』で刑事司法の問題に切り込んだ。寡作だが、一本撮るたびに社会現象を起こす監督として知られている。
詳細[編集]
「知らない世界」を面白がる監督[編集]
周防作品の多くは、ずぶの素人がそれまで縁のなかった世界に放り込まれ、戸惑いながらも、その世界のルールや奥深さにはまっていくという構図をとる。修行僧の世界(『ファンシイダンス』)、学生相撲(『シコふんじゃった。』)、社交ダンス(『Shall we ダンス?』)、刑事裁判(『それでもボクはやってない』)、京都の花街(『舞妓はレディ』)、サイレント映画の活動弁士(『カツベン!』)と、題材は毎回まったく違う。
それでも見終わると「周防の映画だ」とわかるのは、徹底した取材にもとづくディテールと、笑いを大事にした語り口が共通しているからである。本人も、作品づくりでは笑いを大切にしていると語っている。
寡作で知られる[編集]
1989年の『ファンシイダンス』から2019年の『カツベン!』までの30年間で、劇場用の長編劇映画は8本ほどしかない。『Shall we ダンス?』(1996年)から『それでもボクはやってない』(2007年)までは、実に11年の空白がある。
この間、周防は『Shall we ダンス?』の北米公開キャンペーンなどで世界を回り、次の題材を慎重に選んでいた。その結果たどり着いたのが痴漢冤罪というテーマで、ここから周防のキャリアは「娯楽映画の名手」から「日本の刑事司法に物申す映画監督」へと大きく広がっていく。
草刈民代とのコンビ[編集]
妻はバレリーナで女優の草刈民代。『Shall we ダンス?』のヒロイン役として出会い、1996年に結婚した。夫婦そろって作品に関わることが多く、『終の信託』では草刈が主演、『ダンシング・チャップリン』では草刈のバレエを映画にしている。2009年には夫婦で「プラチナ夫婦アワード」を受賞した。
経歴[編集]
生い立ちと蓮實重彦との出会い[編集]
1956年10月29日、東京都目黒区に生まれ、その後神奈川県川崎市で育った。少年時代の夢はプロ野球選手と寿司屋で、野球をやるために武蔵工業大学附属中学校・高等学校(現・東京都市大学付属中学校・高等学校)へ進んだ。しかし中学2年で肘を痛め、野球の道はあきらめることになった。
高校卒業後に2年間の浪人生活を経て、立教大学文学部仏文科に入学。ここで受講した蓮實重彦の講義「映画表現論」が人生を変えた。蓮實の講義からは黒沢清や青山真治らも育っており、立教は「蓮實門下」の監督を数多く送り出したことで知られる。周防も映画監督を志し、イメージフォーラム映像研究所でも学んだ。
ピンク映画の助監督から監督デビュー[編集]
映画界への入り口はピンク映画だった。高橋伴明、若松孝二、井筒和幸らの現場で助監督として修業を積み、1984年に『変態家族 兄貴の嫁さん』で監督デビューを果たす。
このデビュー作は、周防が敬愛する小津安二郎の作風を徹底的に模倣したオマージュ作品として有名である。固定カメラのローアングル、人物が正面を向いて交互に話す切り返し、家族の静かな会話劇など、小津映画の様式をピンク映画の枠内で再現してみせた。出演者には若き日の大杉漣もいる。のちに国際的にも再評価され、2018年のベルリン国際映画祭のピンク映画特集では4K版で上映された。
その後は伊丹十三監督作のメイキングビデオ『マルサの女をマルサする』『マルサの女IIをマルサする』などを手がけ、伊丹の現場を間近で記録した経験は、のちの作品づくりにも生きたとされる。
『ファンシイダンス』で一般映画へ[編集]
1989年、岡野玲子の漫画を原作とする『ファンシイダンス』で一般映画に進出。主演は本木雅弘で、ロック好きの今どき青年が実家の寺を継ぐため禅寺で修行する、という物語である。現代っ子が厳しい禅寺のしきたりに放り込まれるという設定は、その後の周防作品の原型ともいえる。
『シコふんじゃった。』で大ブレイク[編集]
1992年公開の『シコふんじゃった。』は、再び本木雅弘を主演に迎え、廃部寸前の大学相撲部に入れられた学生たちの奮闘を描いたスポーツコメディ。興行・評価ともに大成功し、日本アカデミー賞最優秀作品賞をはじめ、国内の映画賞を多数受賞した。周防自身もブルーリボン賞監督賞を獲得している。
この作品で共演した竹中直人、柄本明、清水美砂らは、その後も周防作品の常連となっていく。2022年には、30年後の大学相撲部を描いたドラマシリーズ『シコふんじゃった!』がDisney+で配信された。
アルタミラピクチャーズ設立[編集]
1993年、プロデューサーの桝井省志らとともに制作会社アルタミラピクチャーズの設立に参加した。同社はその後、周防作品のほか、矢口史靖監督の『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』なども製作し、日本の娯楽映画を支える制作会社として知られるようになる。
『Shall we ダンス?』と世界進出[編集]
社交ダンスブームを起こす[編集]
1996年公開の『Shall we ダンス?』は、平凡なサラリーマン(役所広司)が、通勤電車の窓から見えたダンス教室の女性(草刈民代)に惹かれ、社交ダンスにのめり込んでいく物語である。ダンス仲間を演じた竹中直人、渡辺えりらの怪演も話題になった。
公開されるや記録的なヒットとなり、日本中に社交ダンスブームを巻き起こした。第20回日本アカデミー賞では最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀主演男優賞・最優秀主演女優賞など主要部門を総なめにし、周防は再び国内の映画賞を独占する形となった。
全米公開とハリウッドリメイク[編集]
作品はミラマックスの配給で北米でも公開され、日本の実写映画としては異例のヒットを記録した。放送映画批評家協会賞など全米各地の映画賞で外国語映画賞を受賞し、周防はアメリカでの宣伝キャンペーンでローレン・バコールやライザ・ミネリと踊ったという逸話も残している。1997年にはミラマックスとファーストルック契約も結んだ(現在は失効)。
2004年にはリチャード・ギア、ジェニファー・ロペス主演でハリウッドリメイク版『Shall We Dance?』が製作された。また、2023年にはピクサー映画『マイ・エレメント』の監督が、同作に『Shall we ダンス?』の影響があると明かしたことも話題になっている。
刑事司法との関わり[編集]
『それでもボクはやってない』[編集]
2007年公開の『それでもボクはやってない』は、11年ぶりの監督作。満員電車で痴漢に間違われた青年(加瀬亮)が、無実を訴えながら逮捕・勾留・起訴され、刑事裁判にかけられていく過程を描いた。周防は数年かけて裁判を傍聴し、弁護士や冤罪被害者に取材を重ねたうえで脚本を書いた。
日本の刑事裁判における有罪率の高さや、長期勾留、取り調べの密室性といった問題を、娯楽映画の形で真正面から描いたこの作品は大きな反響を呼び、2007年度キネマ旬報ベスト・テン日本映画部門1位、ブルーリボン賞監督賞などを獲得した。
法制審議会の委員に[編集]
この映画をきっかけに、周防は映画の外でも刑事司法改革に関わるようになる。2011年6月、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件などを受けて法制審議会に設けられた「新時代の刑事司法制度特別部会」の委員に、映画監督として異例の起用を受けた。
部会では法律の専門家ではない立場から、取り調べの全面可視化(録音・録画)、証拠の全面開示、いわゆる「人質司法」の改善を主張した。議論の結果、2016年の刑事訴訟法改正で一部事件の取り調べの録音・録画義務化などが実現したが、対象が限定されたことには不満も残り、その経緯は著書『それでもボクは会議で闘う』にまとめられている。
再審法改正運動[編集]
その後も冤罪問題への関わりは続いている。大崎事件の再審請求では、クラウドファンディングで費用を集め、事件当時の状況を再現した映像を撮影して証拠作りに協力した。また「再審法改正をめざす市民の会」の共同代表の一人として、再審請求における証拠開示の制度化などを訴えている。
袴田事件の再審無罪(2024年)などを経て、再審制度の見直しは国の議論の場にも上り、2026年には法制審議会が再審制度に関する要綱を答申した。ただし全面的な証拠開示や検察官抗告の禁止は盛り込まれず、市民団体や弁護士会からは批判の声が上がっている。周防はインタビューで、次に司法を扱う映画を撮るなら「裁判官の独立」をテーマにしたいとも語っている。
作品[編集]
2010年代の作品[編集]
2011年の『ダンシング・チャップリン』は、ローラン・プティ振付によるチャールズ・チャップリンを題材にしたバレエ作品を映画化したもの。草刈民代のバレエ引退前後の舞台であり、夫婦の共同作業ともいえる一本である。
2012年の『終の信託』は、現役弁護士・朔立木の小説が原作。草刈民代と役所広司が『Shall we ダンス?』以来16年ぶりに共演し、終末期医療をめぐって刑事責任を問われる女医を描いた。共演は浅野忠信、大沢たかお。前作『それでもボクはやってない』の取材で原作者と知り合ったことがきっかけで、司法を扱った作品の第2弾ともいえる。第67回毎日映画コンクールで日本映画大賞を受賞した。
2014年の『舞妓はレディ』は、京都の花街を舞台にしたミュージカル映画。鹿児島弁と津軽弁を話す少女が舞妓を目指す物語で、オーディションで選ばれた上白石萌音が主演し、長谷川博己、富司純子、田畑智子らが共演した。『マイ・フェア・レディ』を下敷きにした方言レッスンの場面などが話題になり、周防は20年近く温めてきた企画だったと語っている。
『カツベン!』[編集]
2019年の『カツベン!』は、映画がまだ「活動写真」と呼ばれ、無声映画の上映に活動弁士の語りが欠かせなかった約100年前を舞台にした人情喜劇。主演は成田凌で、黒島結菜、永瀬正敏、高良健吾、井上真央、音尾琢真、竹野内豊らが共演した。成田は活弁の厳しい特訓を受けて撮影に臨み、毎日映画コンクール男優主演賞を受賞している。
公開前、周防は全国47都道府県を回る「周防正行の日本全国しゃべくり道中」を敢行し、延べ134日間で300以上の媒体の取材に応じた。タイトルを付けた責任として、活動弁士とは何かを多くの人に知ってほしかったと語っている。
主な監督作品[編集]
- 変態家族 兄貴の嫁さん(1984年)
- ファンシイダンス(1989年)
- シコふんじゃった。(1992年)
- Shall we ダンス?(1996年)
- それでもボクはやってない(2007年)
- ダンシング・チャップリン(2011年)
- 終の信託(2012年)
- 舞妓はレディ(2014年)
- カツベン!(2019年)
作風と評価[編集]
素人が異世界に入る構図[編集]
前述のとおり、周防作品の定番は「主人公が知らない世界のルールに戸惑いながら、だんだんその魅力に取りつかれていく」という構図である。観客は主人公と一緒にその世界を学んでいくことになり、専門的な題材でも置いてきぼりにされない。『それでもボクはやってない』でさえ、刑事裁判という「異世界」に主人公が迷い込む話として組み立てられている。
竹中直人ら常連俳優[編集]
周防作品には常連俳優が多い。特に竹中直人は『ファンシイダンス』から『カツベン!』まで多くの作品に顔を出し、毎回強烈なキャラクターで笑いを担当してきた。ほかにも本木雅弘、役所広司、柄本明、渡辺えり、草刈民代、田口浩正らが繰り返し起用されている。
小津安二郎への敬愛[編集]
最も好きな監督は小津安二郎で、印象に残る俳優として笠智衆の名を挙げている。デビュー作が丸ごと小津オマージュだったことに加え、2019年には小津に関する論集に「なぜ小津だったのか」と題した文章を寄せている。サイレント映画への関心は小津の無声映画にもつながっており、それが『カツベン!』の題材選びにも表れているといえる。
主な受賞・栄典[編集]
1993年に『シコふんじゃった。』でブルーリボン賞監督賞、2008年に『それでもボクはやってない』で同賞を再び受賞。2013年に『終の信託』で毎日映画コンクール日本映画大賞、2014年に山路ふみ子映画賞文化賞を受けた。2016年には紫綬褒章を受章している。
人物[編集]
熱狂的なヤクルトファン[編集]
野球少年だった名残か、東京ヤクルトスワローズの熱狂的なファンとして知られる。
映画以外の仕事[編集]
2007年から太田出版の監査役を務めているほか、伊丹十三賞の選考委員も務めた。刑事司法に関する講演やシンポジウムへの登壇も多く、映画監督でありながら「冤罪問題の論客」としての顔も持つ。
2026年現在[編集]
2026年10月時点で、『カツベン!』(2019年)以降の劇場用長編の新作は公表されていない。一方で、再審法改正を求める活動や刑事司法をテーマにした講演などは続けており、映画と社会の両方に関わる活動を続けている。
余談[編集]
- 『シコふんじゃった。』の舞台は架空の「教立大学」だが、周防の母校・立教大学がモデルとされる。後年、立教大学相撲部の監督に就任したとも報じられた。
- 『Shall we ダンス?』は、アカデミー外国語映画賞の日本代表には選ばれなかった。全米で評判になっただけに、当時は惜しむ声もあった。
- ピンク映画時代には「矢島周平」名義で活動していたとされる。
- 『カツベン!』の全国行脚の締めくくりは、浅草寺境内の映画弁士塚の前で行われた出陣式だった。
