| 二十四の瞳 Twenty-Four Eyes | |
|---|---|
![]() 1954年版のポスター(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン) | |
| 監督 | 木下惠介 |
| 製作 | 桑田良太郎 |
| 脚本 | 木下惠介 |
| 原作 | 壺井栄『二十四の瞳』(1952年) |
| 出演 | 高峰秀子、月丘夢路、井川邦子、小林トシ子、田村高廣、笠智衆、夏川静江、浦辺粂子、清川虹子、浪花千栄子、天本英世 ほか |
| 撮影 | 楠田浩之 |
| 音楽 | 木下忠司 |
| ジャンル | ドラマ、文芸、反戦 |
| 撮影期間 | 1953年春 - 1954年春 |
| 制作会社 | 松竹大船撮影所 |
| 配給 | 松竹 |
| フォーマット | モノクロ、スタンダードサイズ |
| 劇場公開 | 1954年9月15日(日本。9月14日とする資料もある)/2007年3月3日(デジタルリマスター版リバイバル) |
| 配信 | U-NEXT・Hulu・FOD(見放題)、Amazon Prime Video(レンタル・購入、松竹系チャンネルで見放題)ほか ※2026年10月時点 |
| 上映時間 | 156分(1962年再編集のワイド版は約143分) |
| 言語 | 日本語 |
| リンク | 二十四の瞳映画村 |
概要[編集]
二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)とは、壺井栄が1952年に発表した小説と、それを原作に1954年に松竹が製作した木下惠介監督・高峰秀子主演の映画である。昭和初期の瀬戸内海の島で、岬の分教場に赴任した新米の「おなご先生」と12人の教え子が、戦争をはさんだ約18年を生きる姿を描く。映画は1954年度のキネマ旬報ベスト・テン第1位に輝き、のちに映画1本・テレビドラマ8作・アニメ1作が作られた。
詳細[編集]
タイトルの意味[編集]
「二十四の瞳」とは、12人の子どもの目が24個ある、という意味である。主人公の大石久子が新任の日に教室で出会う、1年生12人のきらきらした瞳のこと。のちに戦争で死ぬ子、貧しさで学校を去る子、行方がわからなくなる子が出て、その瞳は一つ、また一つと減っていく。そして戦後の同窓会で、戦場で目を失った教え子が「見えない目」で記念写真を指さす――タイトルの意味は、最後まで見て初めて重く響く仕掛けになっている。
原作は「同い年の12人」の物語[編集]
原作の小説は、キリスト教系の雑誌『ニュー・エイジ』に1952年2月から11月まで連載され、同年12月に光文社から単行本が出た。のちに新潮社(新潮文庫、1957年)、角川書店(1961年)からも文庫化され、今も読み継がれる定番の一冊である。
作者の壺井栄(1900年 - 1967年)は小豆島の出身。もともとは、両親に育てられた12人のきょうだい(兄弟姉妹)を子どもの目線で書く童話を構想していたが、社会情勢の悪化で断念し、「同い年の12人」の物語として書き直したとされる。語りかけるような文体、母性的な教師像、郷土色の濃さといった壺井文学の特色がよく出た代表作で、子どもにも大人にも読まれる家庭小説として紹介されることが多い。
「小豆島の話」になったのは映画から[編集]
意外なことに、原作の本文には具体的な地名がほとんど出てこない。冒頭で「瀬戸内海べりの一寒村」と書かれるだけである。これを作者の故郷・香川県小豆島に設定し、実際に島でロケを行ったのが1954年の木下版だった。映画の大ヒットで「二十四の瞳=小豆島」というイメージが定着し、以後の映像化作品もみな小豆島を舞台にしている。
撮影に使われた木造校舎は、明治35年(1902年)に建てられた苗羽小学校田浦分校。昭和46年(1971年)まで実際に学校として使われ、現在は「岬の分教場」として保存・公開されている。映画公開後は「教育の原点」とされ、今も全国から教員が見学に訪れるという。
「泣ける映画」の代名詞[編集]
1954年版は、戦後日本映画のなかでも「泣ける映画」の代表格として知られる。コトバンク所収の辞典では「戦後最大の催涙映画」とまで書かれているほどだ。ただし本作は、悪人が出てきて主人公をいじめるタイプの話ではない。誰かが大声で戦争に反対するわけでもない。ふつうの人々が、不況と軍国主義の時代に流され、気づけば大事な人を失っている。その「どうしようもなさ」を、美しい島の風景と子どもたちの歌声に乗せて淡々と見せるからこそ、多くの観客が泣いたのである。
大石先生と12人の子どもたち[編集]
大石久子(おなご先生)[編集]
主人公。1928年(昭和3年)4月、師範学校を出たばかりで岬の分教場に赴任する。洋服を着て自転車で通勤する姿は、保守的な村ではかなり目立ち、最初は村人から白い目で見られる。小柄なので、子どもたちからは「大石」ならぬ「小石先生」とあだ名をつけられる。戦後に分教場へ戻ってからは、教え子の名前を呼ぶだけで涙ぐむので「泣きミソ先生」と呼ばれる。1954年版では高峰秀子が20代から40代までを一人で演じきった。
12人の教え子[編集]
12人の内訳は男子5人・女子7人。原作・映画を通じた主な運命は次のとおり。
| 名前 | 性別 | 主な運命(原作の設定) |
|---|---|---|
| 岡田磯吉(ソンキ) | 男 | 戦場で負傷して失明する。戦後の同窓会で記念写真を「指さす」名場面の主 |
| 竹下竹一 | 男 | 戦死 |
| 相沢仁太 | 男 | 戦死 |
| 森岡正 | 男 | 戦死 |
| 徳田吉次 | 男 | 戦後まで生き延びる |
| 山石早苗 | 女 | 教師になって母校に勤め、恩師の歓迎会を呼びかける |
| 香川マスノ | 女 | 荒んだ時代を「海千山千」になって生き抜いたと嘆く |
| 川本松江 | 女 | 家の貧しさから学校を去り、波乱の人生を送る |
| 片桐コトエ | 女 | 病に倒れ、看取られずに亡くなる |
| 木下富士子 | 女 | 家が没落し、消息を絶つ |
| 西口ミサ子 | 女 | 戦後まで生き延びる |
| 加部小ツル | 女 | 戦後まで生き延びる |
男子5人のうち3人が戦死、1人が失明という数字が、この作品の容赦のなさをよく表している。
主なキャスト(1954年版)[編集]
| 役名 | 俳優 |
|---|---|
| 大石久子 | 高峰秀子 |
| 香川マスノ(成人後) | 月丘夢路 |
| 川本松江(成人後) | 井川邦子 |
| 山石早苗(成人後) | 小林トシ子 |
| 岡田磯吉(成人後) | 田村高廣 |
| 男先生 | 笠智衆 |
| 大石先生の母 | 夏川静江 |
| 男先生の妻 | 浦辺粂子 |
| よろずや | 清川虹子 |
| 飯屋のかみさん | 浪花千栄子 |
| 校長先生 | 明石潮 |
| 大石先生の夫 | 天本英世 |
| ちりりんや | 高原駿雄 |
のちに独特の怪演で知られる天本英世が、ここでは主人公の夫という「いい人」の役を演じているのも見どころである。
3600組から選ばれた「本物の兄弟姉妹」[編集]
1954年版最大の特徴が子役のキャスティングである。子どもたちは1年生時代と6年生時代で別の子役が演じるが、違和感を消すため、全国から「よく似た兄弟姉妹」を募集した。応募は3600組7200人にのぼり、その中から12組24人が選ばれた。弟・妹が1年生を、兄・姉が6年生を演じたわけである。さらに成人後を演じる大人の俳優も、子役に顔立ちが似た人が選ばれた。
子どもたちは演技経験のない素人で、撮影は学校の休みを中心に行われた。24人は撮影後も「瞳の会」という同窓会を続け、木下監督の葬儀には多くが参列したという。映画の中の師弟関係が、現実でもそのまま続いたことになる。
あらすじ(1954年版)[編集]
※結末まで記載する。
岬の分教場(1928年)[編集]
昭和3年春。瀬戸内海の小豆島、入り江の向こうの岬にある分教場に、新任の大石久子先生がやってくる。洋服姿で颯爽と自転車をこぐ先生に、村人たちは眉をひそめるが、受け持ちの1年生12人はすぐに先生になつく。先生は浜辺で子どもたちと唱歌を歌い、のどかな日々が過ぎていく。
ところがある日、子どもたちのいたずらで作られた落とし穴に先生が落ち、アキレス腱を切ってしまう。先生が来なくなって寂しくなった子どもたちは、親に黙って遠い先生の家までの道のりを歩き出す。腹をすかせ、泣きべそをかきながらたどり着いた子どもたちを見て、先生は胸がいっぱいになる。このとき撮った記念写真が、物語の最後で大きな意味を持つことになる。足が治っても自転車通勤ができなくなった先生は、本校へ転任する。
本校での再会と別れ(1933年頃)[編集]
5年後、子どもたちは本校に通うようになり、大石先生と再会する。しかし世の中は不況のどん底で、軍国主義の色も濃くなっていた。母を亡くした松江は家の事情で学校を去り、ほかにも満足に学校へ来られない子が出てくる。修学旅行で四国の金毘羅参りに出かけた先生は、旅先の飯屋で奉公している松江と思いがけず再会するが、言葉をかけることもままならない。
男の子たちは軍人になることを夢見て作文に書き、先生はそれを素直に喜べない。軍国主義に染まっていく教育に疑問を抱いた先生は、やがて教職を辞める。
戦争の時代[編集]
先生は船乗りの男性と結婚し、子どもにも恵まれる。だが戦争が始まると、教え子の男子たちは次々と兵隊に取られていく。徴兵検査に向かう教え子に、先生は「生きて戻ってくるのよ」とそっと声をかける(原作の設定では1941年)。
戦争は先生から多くのものを奪う。男子5人のうち竹一・仁太・正の3人が戦死し、磯吉は失明して帰ってくる。先生の夫も戦死し、母も、幼い末娘も相次いで世を去る。女子のコトエは病に倒れ、誰にも看取られずに死んでいく。
泣きミソ先生(1946年・結末)[編集]
終戦の翌年、先生は代用教員として、あの岬の分教場に戻ってくる。新しく受け持った1年生の中には、かつての教え子の子どももいる。出席を取るたびに昔を思い出して泣いてしまうので、子どもたちは先生を「泣きミソ先生」と呼ぶ。
ある日、生き残った教え子たちが先生の歓迎会を兼ねた同窓会を開く。席上、目の見えない磯吉は、1年生のときに撮ったあの記念写真を手に取り、写真に写った先生や仲間たち一人ひとりの位置を、指でなぞりながら言い当ててみせる。写真の像は、彼の記憶の中に焼き付いていたのだ。教え子の一人が「浜辺の歌」を歌い、一同は涙にくれる。
教え子たちはお祝いに新しい自転車を贈り、先生の目から涙があふれる。先生はその自転車にまたがり、再び岬の分教場へと向かっていく。物語はここで終わる。
製作の舞台裏[編集]
木下惠介と高峰秀子のコンビ[編集]
監督・脚本の木下惠介は、静岡県浜松市出身の松竹大船の看板監督。主演の高峰秀子とは1951年の『カルメン故郷に帰る』からコンビを組み、生涯で12本の作品を共にした。1954年は同じ木下・高峰コンビの『女の園』と本作が続けて公開され、高峰はこの年の主要な主演女優賞をほぼ独占した。翌1955年、高峰は木下組の助監督だった松山善三と結婚しており、仲人は木下が務めている。
1年がかりの島ロケ[編集]
撮影はおよそ1953年春から1954年春まで、季節の移ろいを追いかけながら小豆島で行われた。撮影は楠田浩之、音楽は木下監督の実弟・木下忠司、編集は杉原よ志。白黒のスタンダード画面に映る段々畑、入り江、海辺の一本道は、物語の舞台そのものとして強い印象を残す。
唱歌が「もう一人の主役」[編集]
本作は、劇中で子どもたちが歌う唱歌・童謡の多さでも有名である。音楽研究の論文などによると、主な使用曲は次のとおり。
| 曲名 | 使われ方 |
|---|---|
| 仰げば尊し | オープニングのタイトルバックから流れ、児童合唱へつながる。主題歌的な位置づけ |
| 七つの子 | 子どもたちの合唱のほか、劇中で何度もBGMとして使われる。同窓会で写真を見ながら歌われる |
| 村の鍛冶屋 | 島の子どもたちが歩きながら歌う |
| 汽車は走る/ひらいたひらいた/あわて床屋/荒城の月 | 子どもたちの合唱 |
| 露営の歌/暁に祈る | 若者が出征する場面で歌われる軍歌 |
| 浜辺の歌 | 戦後の歓迎会兼同窓会で、教え子の一人が歌う |
| 春の小川/蛍の光 | BGMとして使用 |
| アニー・ローリー | 歌詞なし。フルートとハープで、転任の告知や作文の場面、戦後に分教場へ向かう場面など物語の節目に流れる |
楽しい唱歌が、時代が進むにつれて軍歌に置き換わっていく構成になっているのがポイント。台詞で説明しなくても、歌だけで「世の中が変わっていく」ことが伝わる演出である。なお原作でも終盤に「荒城の月」が歌われる場面がある。
二つの版[編集]
1962年のリバイバル上映の際、画面の上下をトリミングしてワイド画面にした「ワイド(ビスタビジョン)版」(約143分)が作られ、木下自身が再編集に関わった。現在流通しているのはオリジナルのスタンダード版で、ワイド版は2005年のDVD-BOX特典ディスクと、2012年発売のBlu-rayの特典として収録されている。
評価[編集]
『七人の侍』を抑えてキネ旬1位[編集]
1954年度のキネマ旬報ベスト・テンで、本作は堂々の第1位。第2位は同じ木下監督の『女の園』、第3位が黒澤明の『七人の侍』だった。今では世界映画史のベスト級とされる『七人の侍』を、木下作品が2本そろって上回ったわけで、当時の木下人気のすさまじさがよく分かる。
そのほかの主な受賞は次のとおり。
- 第5回ブルーリボン賞 作品賞
- 第9回毎日映画コンクール 日本映画大賞
- 第12回ゴールデングローブ賞 外国映画賞
- 第5回世界映画祭(World Film Favorite Festival)ヘンリエッタ賞
1989年に文藝春秋が行った「大アンケートによる日本映画ベスト150」でも第7位に入っている。興行面でもヒットし、映画評論家の佐藤忠男も興行的成功作として挙げている。
海外での受け止め[編集]
海外では反戦映画の名作として紹介されることが多く、研究者のあいだではフェミニズムや左派的な要素も論じられてきた。イギリスのMasters of Cinema、アメリカのクライテリオン・コレクションからDVDが発売されている。一方で、2008年のアメリカの映画評では「現代の目と耳には、愛らしくもあり、押しつけがましくもある」と評されるなど、情に訴える演出の濃さは好みが分かれるポイントでもある。2025年8月にはニューヨークのジャパン・ソサエティーで、国際交流基金提供の35ミリプリントによる上映会が開かれた。
「教育の原点」として[編集]
日本国内では、教師と子どもの関係を描いた作品として教育界から特別に愛されてきた。ロケに使われた分教場の建物が「教育の原点」と呼ばれ、今も教員が見学に訪れるのはその象徴である。小津安二郎の『東京物語』、成瀬巳喜男の『浮雲』などと並んで、1950年代の日本映画黄金期を代表する一本として語られることも多い。
1987年版とその他の映像化[編集]
1987年版映画(田中裕子主演)[編集]
1987年7月11日には、松竹がカラーでリメイクした映画版が公開された。監督・潤色は朝間義隆、脚本は1954年版と同じく木下惠介名義、主演の大石先生役は田中裕子。上映時間は129分。朝間は山田洋次の共同脚本家として『男はつらいよ』シリーズを長く支えた人物で、本作も松竹の看板スタッフによる「正統な」リメイクといえる。
出演は田中裕子、武田鉄矢、紺野美沙子、川野太郎、佐々木すみ江、友里千賀子、左時枝、あき竹城、鈴木ヒロミツ、高木美保、野沢直子、松村達雄、乙羽信子、渥美清 ほか。音楽の三枝成彰は第11回日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞した。撮影は花田三史。
この1987年版のために小豆島に建てられたオープンセットが、のちの「二十四の瞳映画村」になる。
テレビドラマ化の一覧[編集]
テレビドラマは8作が作られている。2022年のNHK版は、映画・アニメを含めて「11回目の映像化」と紹介された。
| 放送年 | 放送局・枠 | 大石久子役 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1964年 | 東京12チャンネル(現・テレビ東京)金曜19時30分 | — | 4月17日 - 7月10日の連続ドラマ |
| 1967年 - 1968年 | 日本教育テレビ(現・テレビ朝日)系「大丸名作劇場」木曜21時 | — | 1967年10月19日 - 1968年3月28日 |
| 1974年 | NHK「少年ドラマシリーズ」 | — | 11月11日 - 20日。マスターテープが再利用され映像は現存しない |
| 1976年 | NHK「少年ドラマシリーズ」 | — | 1月5日 - 14日。1974年版の第二部 |
| 1979年 | TBS「花王愛の劇場」 | — | 7月9日 - 8月31日の昼帯ドラマ |
| 2005年 | 日本テレビ系「終戦60周年特別ドラマ」 | 黒木瞳 | 8月2日放送。視聴率18.7% |
| 2013年 | テレビ朝日系「日曜エンタ」ドラマスペシャル | 松下奈緒 | 8月4日放送。木下惠介生誕100年記念作品。玉山鉄二、吉行和子、中村梅雀、柄本明、濱田岳、桜庭ななみらが共演 |
| 2022年 | NHK BSプレミアム/BS4K「特集ドラマ」 | 土村芳 | 8月8日放送(BS4Kでは3月19日に先行放送)。脚本・演出は吉田康弘。同年1月に小豆島で撮影 |
どの版も、終戦の日が近い夏に放送されることが多いのが特徴。2013年版の発表会見では、松下奈緒のピアノ伴奏で子役たちが「七つの子」を合唱し、木下版以来の「唱歌の映画」という伝統を受け継いでみせた。2022年版の土村芳は、過去の映画版を見て圧倒されたうえで、真似ではない自分の表現を探したと語っている。
アニメ版(1980年)[編集]
1980年10月10日には、フジテレビ系「日生ファミリースペシャル」でテレビアニメ版が放送された。制作は東京ムービー新社。演出はウルトラシリーズで知られる実相寺昭雄で、物語の合間と最後に実写パートを挟むという変わった構成になっている。主題歌はオープニング「愛は輝く瞳」、エンディング「君の瞳」で、歌ったのは倍賞千恵子。
二十四の瞳映画村[編集]
映画のセットがテーマパークに[編集]
小豆島の田浦半島にある「二十四の瞳映画村」は、1987年版映画のオープンセットをそのまま活用して作られた施設である。約1万平方メートルの敷地に、昭和初期の小さな村の町並みが再現されており、セットには毎年手が入れられてきた。駐車場から入口までの「シネマ・アートウォール」には、映画のスチール写真約5400枚がずらりと並ぶ。
主な見どころ[編集]
- 松竹座映画館:昭和30年代の名画座を模した映画館。1954年版『二十四の瞳』を常時上映しており、鑑賞は無料(入村料は別途)。2階には「高峰秀子ギャラリー」やブックカフェ、劇団☆新感線のコーナーもある。
- キネマの庵:1950年代の日本映画各社の代表作を紹介するギャラリー。併設カフェでは、アルマイト食器に盛られた「給食セット」や揚げパンなどが食べられる。
- 壺井栄文学館:原作者の壺井栄と、その夫で詩人の壺井繁治を紹介する。
- 教室:岬の分教場を再現した教室には、全国の先生から子どもたちに宛てたメッセージボードが展示されている。
- 岬の分教場:映画村の約700メートル手前にある、1954年版のロケに使われた本物の校舎(旧苗羽小学校田浦分校)。一般財団法人岬の分教場保存会が管理しており、映画村とのセット券がある。
2020年には高峰秀子の没後10年企画として、高峰が生前お気に入りに挙げた映画を上映する「高峰秀子が愛した12本の映画」が映画村で開かれた。
2026年の様子[編集]
2026年秋も、映画村では約5万本のコスモス(秋桜)が咲き、10月下旬に見ごろを迎える見込みと案内されている。館内ギャラリーでは10月10日から12月6日まで企画展「MAYU × かどざる 二人展 小豆戯画」を開催。港と映画村を結ぶ渡し舟(大人片道500円)は11月30日まで運航し、10・11月は水・木曜が休航となっている。料金や運航は変わることがあるので、行く前に公式サイトで確認したい。
上映・配信状況[編集]
リマスターとソフト化[編集]
2007年、1954年版のデジタルリマスター版が作られ、3月3日から劇場でリバイバル上映されるとともにDVDが発売された。2007年以降の映像ソフトは、基本的にこのリマスターと同じマスターを使っている。
2012年には木下惠介生誕100年プロジェクトの一環として、4Kスキャニングによるデジタルリマスター版のBlu-rayが8月29日に発売された(税込4935円)。このとき、木下作品に影響を受けた監督たちが代表作の新しい予告編を作る企画があり、『二十四の瞳』は橋口亮輔監督が担当。予告編の冒頭には「日本という国 日本人の心というものは こんなにも美しいのです」という言葉が添えられた。
配信(2026年10月時点)[編集]
1954年版は主要な動画配信サービスで見られる。
- 見放題:U-NEXT、Hulu、FOD
- Amazon Prime Video:レンタル(300円)・購入。松竹系のPlus Shochiku Amazon ChannelやFOD Channelに加入すれば見放題
- Apple TV:レンタル・購入
無料で見られる配信は確認できなかった。配信ラインナップは入れ替わるので、視聴前に各サービスで確認するのが確実である。小豆島の映画村の松竹座でも常時上映している。
余談[編集]
- 1954年度キネマ旬報ベスト・テンの上位3本は、1位『二十四の瞳』、2位『女の園』、3位『七人の侍』。木下惠介が1・2位を独占し、黒澤明の超大作が3位という、今から見るとちょっと信じられない順位である。
- 子役は3600組7200人の応募から選ばれた「12組の兄弟姉妹」。1年生役の弟妹と6年生役の兄姉が、本当に血のつながった同じ顔をしているから、成長の場面に違和感がない。
- 1974年のNHK少年ドラマシリーズ版は、当時の放送局ではよくあったようにマスターテープが上書き再利用されたため、映像が残っていない。
- 1987年版の主演・田中裕子は、1983年のNHK連続テレビ小説『おしん』で主人公を演じた女優でもある。明治・大正を生き抜くヒロインの次に、昭和の戦争を生き抜く「おなご先生」を演じたことになる。
- 原作の初出誌『ニュー・エイジ』はキリスト教系の雑誌。国民的な反戦文学の代表作が、もともとは宗教系雑誌の連載だったというのは意外と知られていない。
- 映画村の松竹座では1954年版が無料で常時上映されている。島に行けば、ロケ地のすぐそばで、ロケ地が映った映画を見るという贅沢ができる。
