| 東京物語 Tokyo Story | |
|---|---|
![]() 『東京物語』公開当時のポスター(出典:Wikimedia Commons) | |
| 監督 | 小津安二郎 |
| 脚本 | 野田高梧、小津安二郎 |
| 出演 | 笠智衆、東山千栄子、原節子、杉村春子、山村聰、三宅邦子、香川京子、東野英治郎、中村伸郎、大坂志郎、十朱久雄 ほか |
| 撮影 | 厚田雄春 |
| 音楽 | 斎藤高順 |
| ジャンル | ホームドラマ(家族劇) |
| 撮影期間 | 1953年7月25日撮影開始 |
| 制作会社 | 松竹(大船撮影所) |
| 配給 | 松竹 |
| フォーマット | モノクロ、スタンダード |
| 劇場公開 | 1953年11月3日 |
| 配信 | U-NEXT、Amazon Prime Video、Hulu、FOD ほか(2026年10月時点) |
| 上映時間 | 135分(136分と表記される場合もある) |
| 興行収入 | 配給収入 1億3165万円(1953年度邦画8位) |
| 言語 | 日本語 |
| リンク | https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2851 |
概要[編集]
東京物語(とうきょうものがたり)とは、1953年に公開された小津安二郎監督・松竹製作の日本映画である。尾道から東京の子どもたちを訪ねた老夫婦の数日間を通して、戦後の家族がゆっくり離れていく姿を静かに描いた。2012年の英国「Sight & Sound」誌の投票で、世界の映画監督が選ぶ史上最高の映画1位に輝いた、日本映画の代表作である。
詳細[編集]
どんな映画?[編集]
主人公は広島県尾道に暮らす平山周吉(笠智衆)と妻・とみ(東山千栄子)。二人は末娘に留守を任せ、東京で暮らす長男・長女のもとへ初めての上京旅行に出る。ところが医者の長男も美容院を営む長女も自分の生活で手一杯。両親を歓迎したい気持ちはあっても、だんだん「持て余して」しまう。そんな中、ただ一人まごころを込めて二人をもてなしたのが、戦死した次男の妻・紀子(原節子)だった。
派手な事件は何も起きない。誰も怒鳴らないし、悪人も出てこない。それなのに見終わったあと、親のこと、子どものこと、自分が年を取ることを考えずにいられなくなる。若いころに見て「退屈」と感じた人が、親になってから、あるいは親を見送ってから見直して号泣する、というのがこの映画の定番の「刺さり方」だ。
基本データ[編集]
監督は小津安二郎、脚本は小津と長年コンビを組んだ野田高梧。撮影は厚田雄春、美術は濱田辰雄、音楽は斎藤高順と、いわゆる「小津組」の顔ぶれがそろう。松竹大船撮影所で製作され、1953年11月3日に公開された。モノクロ・スタンダードサイズで、本編は約135分。昭和28年度の文化庁芸術祭参加作品でもある。
公開当時から評価は高く、第27回キネマ旬報ベスト・テン(1953年度)で第2位。興行面でも配給収入1億3165万円を記録し、その年の邦画配収ランキングで8位に入った。「芸術映画だから客が入らなかった」わけではなく、ちゃんとヒットした作品なのである。
着想と元ネタ[編集]
脚本の構想は1953年2月ごろから練られ、4月8日に神奈川県茅ヶ崎の旅館「茅ヶ崎館」で執筆を開始、5月28日に脱稿した。小津と野田はこの宿にこもって酒を酌み交わしながら台本を練り上げるのが常だった。
物語の下敷きになったとされるのが、レオ・マッケリー監督のアメリカ映画『明日は来らず』(1937年)。年老いた夫婦が子どもたちに疎まれていく話で、骨格はよく似ている。ただし小津版は舞台を戦後日本に移し、戦争で夫を失った嫁・紀子という存在を置いたことで、まったく別の味わいの作品になった。ちなみに周吉が紀子に形見の時計を渡す場面は、ジョン・フォード監督『わが谷は緑なりき』の一場面から採られたという説もある。
撮影の舞台裏[編集]
撮影は1953年7月25日に大船撮影所のセットで始まった。屋内シーンは東京駅の待合所を除いてすべて大船のセットで撮られている。尾道ロケは同年8月12日から19日にかけて行われ、小津はロケハンで車を使わず坂道を歩き回り、浄土寺などのロケ地を自分の足で決めたという。
熱海の場面は、当初は東京の日比谷公園を想定していたが、構想段階で静岡県熱海に変更された。また三男・敬三の役は当初佐田啓二が予定されていたが、スケジュールが合わず大坂志郎が演じることになった。尾道弁の習得にはテープレコーダーが使われ、台本の言葉も現地で修正されたとされる。
あらすじ(結末まで)[編集]
※以下は結末までのネタバレを含む。
上京[編集]
尾道で暮らす周吉ととみは、小学校教師の末娘・京子に留守を頼み、東京の子どもたちを訪ねる。最初に泊まるのは下町で小さな医院を開く長男・幸一の家。幸一は両親を東京見物に連れて行こうとするが、出がけに急患が入って予定は流れてしまう。孫たちも祖父母にはどこかよそよそしい。
次に二人は、美容院を営む長女・志げの家に移る。だが志げ夫婦は商売で忙しく、両親は二階でぼんやり時間をつぶすしかない。困った志げは、戦死した次男・昌二の妻である紀子に「両親を案内してやってほしい」と頼む。紀子は会社を休み、二人を東京の名所に案内し、夜は自分の小さなアパートに招いて精一杯もてなす。
熱海と「宿なし」の夜[編集]
幸一と志げは金を出し合い、両親を熱海の温泉旅館へ送り出す。体のいい厄介払いだが、二人は素直に喜んで出かける。ところが宿は若者の団体客でにぎやかで、夜中まで騒ぎが続き一睡もできない。翌朝、海辺の堤防に並んで座った二人は「もう帰ろうか」と話し、予定を切り上げて東京へ戻る。
早く帰ってきた両親に、志げはあからさまに迷惑顔。今夜は家で会合があるという。行き場をなくした二人は別々に夜を過ごすことにし、とみは紀子のアパートへ、周吉は尾道時代の旧友・服部と沼田(東野英治郎)を訪ねる。とみは紀子に、もう昌二のことは忘れて再婚してほしいと語り、紀子のやさしさに涙を流す。一方の周吉は旧友たちと痛飲し、泥酔して志げの家に担ぎ込まれる。
帰郷と母の死[編集]
帰りの列車でとみが体調を崩し、二人は途中の大阪で国鉄に勤める三男・敬三の家に立ち寄って休む。回復したとみと周吉は、子どもたちは昔とは変わってしまったと嘆きつつも、自分たちはまだ幸せなほうだ、と互いの人生をしみじみ振り返る。
尾道に戻ってまもなく、東京の子どもたちのもとに「ハハキトク」の電報が届く。幸一、志げ、紀子が駆けつけるが、とみは意識を取り戻さないまま亡くなる。敬三は臨終に間に合わなかった。映画はとみが息を引き取る瞬間を映さず、夜明けの光景と、周吉の淡々とした一言で死を伝える。
葬儀のあと[編集]
葬儀が終わると、幸一と志げは仕事を理由にそそくさと東京へ帰り、志げは母の形見の着物まで欲しがる。敬三も帰ってしまい、紀子だけが数日残る。京子は兄姉の身勝手さに憤るが、紀子は、大人になれば誰でも自分の生活が大事になるものだと義兄姉をかばう。京子の「いやあねえ、世の中って」という言葉に、紀子は微笑みながら「そう、いやなことばっかり」と答える。
紀子が帰京する日、周吉は彼女に心から礼を言い、昌二のことは忘れて再婚して幸せになってほしいと告げる。紀子は「わたくし、ずるいんです」と、亡き夫を思い出さない日もある自分の本心を打ち明けるが、周吉はそんな紀子を「ええ人じゃ」と受け止め、とみの形見の時計を手渡す。紀子は声を上げて泣く。東京へ向かう列車の中で、紀子は時計を見つめる。そして尾道の家では、がらんとした部屋で周吉がひとり、うちわを使いながら静かな海を眺めている。
登場人物とキャスト[編集]
| 役名 | 立場 | 俳優 |
|---|---|---|
| 平山周吉 | 尾道に住む父 | 笠智衆 |
| 平山とみ | 周吉の妻 | 東山千栄子 |
| 平山紀子 | 戦死した次男・昌二の妻。東京の会社に勤める | 原節子 |
| 金子志げ | 長女。東京で美容院を営む | 杉村春子 |
| 平山幸一 | 長男。東京の下町で医院を開業 | 山村聰 |
| 平山文子 | 幸一の妻 | 三宅邦子 |
| 平山京子 | 次女(末娘)。尾道の小学校教師 | 香川京子 |
| 金子庫造 | 志げの夫 | 中村伸郎 |
| 平山敬三 | 三男。大阪の国鉄職員 | 大坂志郎 |
| 沼田三平 | 周吉の旧友 | 東野英治郎 |
| 服部修 | 周吉の旧友 | 十朱久雄 |
| よね | 服部の妻 | 長岡輝子 |
平山周吉(笠智衆)[編集]
物語の中心にいる老父。口数が少なく、子どもたちに不満があっても声を荒らげることはない。演じた笠智衆は当時まだ49歳前後で、実年齢よりはるかに年上の老人を、背中を丸めた所作とゆったりした口調で演じ切った。「ほうか」「ええ人じゃ」といった尾道ことばの短い返事は、この映画を象徴する声として語り継がれている。
平山紀子(原節子)[編集]
血のつながらない嫁なのに、実の子どもたちより親身に義父母を気づかう女性。原節子が小津作品で演じた「紀子」は『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、本作の3本で、ファンの間では「紀子三部作」と呼ばれる(3本とも名前が同じだけで別人物)。ラストの「わたくし、ずるいんです」の告白は、戦争未亡人として生きる彼女の孤独と迷いが一気にあふれる名場面だ。
金子志げ(杉村春子)[編集]
本作の「憎まれ役」とも言える長女。両親を厄介者扱いし、葬儀のあとには形見の着物を欲しがる。ただし悪人として描かれているわけではなく、生活に追われるうちに情が薄れていく「ふつうの大人」のリアルさが際立つ。杉村春子のせりふ回しの巧さもあって、観客が自分の姿を重ねてしまうキャラクターでもある。
平山とみ(東山千栄子)[編集]
おっとりと穏やかな母。紀子のアパートで、再婚を勧めながら涙ぐむ場面は多くの観客の胸を打つ。新劇の大女優・東山千栄子の柔らかな存在感が、物語後半の喪失感をいっそう深くしている。
小津調の演出[編集]
ロー・ポジションと動かないカメラ[編集]
『東京物語』は、いわゆる「小津調」が完成の域に達した作品とされる。最大の特徴は、カメラを低い位置に据える「ロー・ポジション」だ。畳に座った人物の目線に合わせたとも言われるが、撮影の厚田雄春によれば、畳のへりが目立たないようにするための工夫でもあったという。低い三脚は撮影所で「お釜の蓋」と呼ばれた。
レンズは柱や障子の縦線がゆがまないよう、主に50mmを使用。カメラはほとんど動かず、アングルもほぼ水平に保たれる。ヴィム・ヴェンダースは「小津のカメラは世界で最も動かない」と評したとされる。
計算しつくされた画面[編集]
人物や小道具を「相似形」に並べる構図も小津の十八番。周吉ととみが同じ姿勢で並んで座る熱海の堤防の場面は、まさにその代表例である。小津は俳優が入る前にやかんや箪笥、ちゃぶ台の位置をセンチ単位で調整したとされ、劇中の看板の文字の多くも小津自身の筆によるものと言われる。
ディゾルブ(場面が溶け合うように切り替わる技法)やフェードといった編集上の「つなぎ」は使わず、場面の変わり目には人物のいない風景や建物のショットが挟まれる。尾道の寺の屋根、煙突、物干し、汽車といった静かなショットが、時間の流れと場所の移り変わりを伝える役割を担っている。
「見せない」演出[編集]
人物が正面を向いて語りかけるような切り返しのカットも独特で、観客は登場人物と向き合っているような感覚になる。一方で、物語上いちばん大きな出来事であるとみの死そのものは画面に映らない。死はドラマチックな見せ場としてではなく、昨日と同じ日常の延長として描かれる。この抑制こそが海外の映画人から高く評価される理由の一つだと指摘されている。
蚊取り線香の燃え具合で時間の経過を示したり、うちわの動きで夏の暑さと人物の心情を伝えたりと、せりふに頼らず「気配」で物語を運ぶ工夫も随所にある。何度見ても新しい発見がある、と言われるゆえんだ。
評価と影響[編集]
Sight & Sound 2012年監督投票で1位[編集]
英国映画協会(BFI)の映画誌「Sight & Sound」は、1952年から10年ごとに「史上最高の映画」投票を行っている。2012年版では、世界の映画監督358人が投票した「監督投票」で『東京物語』が48票を集めて堂々の1位に。2位『2001年宇宙の旅』と3位『市民ケーン』(ともに42票)を抑えての首位だった。
同じ2012年の「批評家投票」(846人)でも『めまい』『市民ケーン』に次ぐ3位に入り、監督・批評家の両方でトップ3に入ったことで「世界の映画人が認める日本映画の最高峰」という評価が決定的になった。次の2022年版でも批評家投票(1,639人)で4位、監督投票でもトップ5に名を連ねており、評価は揺らいでいない。
海外での発見[編集]
ただし公開直後から海外で知られていたわけではない。「日本的すぎて外国人には理解されない」と考えられ、海外初公開は1957年のロンドンでの上映だった。翌1958年には英国の映画賞サザーランド杯(第1回)を受賞。1972年にはニューヨークでも公開されて批評家の絶賛を浴び、以後、世界的な名作としての地位を固めていった。ニューヨーク近代美術館(MoMA)にも収蔵されている。
1995年には英BBCの「21世紀に残したい映画100本」に選ばれ、レビュー集計サイトRotten Tomatoesでは批評家支持率100%(平均9.3点)を記録している。
影響を受けた作品・オマージュ[編集]
本作に影響を受けた監督は数知れない。ヴィム・ヴェンダースは小津への敬愛を込めたドキュメンタリー『東京画』(1985年)を撮り、ジュゼッペ・トルナトーレ『みんな元気』、侯孝賢『珈琲時光』、ドーリス・デリエ『HANAMI』なども本作へのオマージュとして知られる。ジム・ジャームッシュ『ストレンジャー・ザン・パラダイス』では、競馬の馬の名前に「Tokyo Story」が登場する。
日本のテレビでも何度もリメイクされており、1967年にフジテレビで前後編のドラマ化、1971年にNHKで『海の見える家』(ギャラクシー賞受賞)、1982年にNHK『新東京物語』、1989年にTBS『新・東京物語』などが作られた。ドラマ『半沢直樹』の最終回で、大和田常務が本作を見ている場面があるのも、知る人ぞ知る小ネタである。
リメイク『東京家族』[編集]
山田洋次が捧げた「現代版」[編集]
2013年1月19日に公開された『東京家族』は、山田洋次監督の81本目の監督作。山田自身が「小津安二郎の『東京物語』に捧げる」作品として撮った、事実上の現代版リメイクである。山田は『男はつらいよ』シリーズで知られる松竹の看板監督で、小津と同じ松竹大船の流れをくむ。ちなみに『男はつらいよ』で柴又帝釈天の御前様を演じたのは、本作の周吉役・笠智衆だ。
脚本は山田と平松恵美子の共同。舞台は平成の日本に移され、老夫婦の故郷は尾道から瀬戸内海に浮かぶ広島県の大崎上島に変更された。上映時間は146分で、原作より10分ほど長い。
震災で延期、キャストも交代[編集]
当初は2011年12月の公開を予定し撮影準備が進んでいたが、東日本大震災を受けて延期。山田は脚本を書き直し、次男とその恋人が南相馬のボランティア活動で出会ったという設定などを加えた。延期に伴い、老夫婦役は菅原文太・市原悦子から橋爪功・吉行和子に、長女役は室井滋から中嶋朋子に交代している。
キャスト対照表[編集]
| 役どころ | 東京物語(1953年) | 東京家族(2013年) |
|---|---|---|
| 父・周吉 | 笠智衆 | 橋爪功 |
| 母(とみ/とみこ) | 東山千栄子 | 吉行和子 |
| 長男・幸一 | 山村聰 | 西村雅彦 |
| 長男の妻・文子 | 三宅邦子 | 夏川結衣 |
| 長女(志げ/滋子) | 杉村春子 | 中嶋朋子 |
| 長女の夫・庫造 | 中村伸郎 | 林家正蔵 |
| 紀子 | 原節子(戦死した次男の妻) | 蒼井優(次男の恋人) |
| 次男(昌二/昌次) | (戦死して登場しない) | 妻夫木聡 |
| 旧友・沼田 | 東野英治郎 | 小林稔侍 |
最大の違いは「紀子」の立場だ。原作では戦死した次男の未亡人だった紀子が、『東京家族』では生きている次男(妻夫木聡)の恋人として登場する。戦争の影を背負った原作に対し、現代版は震災後の日本で若い世代が家族をつなぎ直す物語になった。
公開初週は全国317スクリーンで初日2日間の動員約19万5000人・興行収入約2億960万円のスタートを切り、最終興行収入は18.2億円。第37回日本アカデミー賞でも多くの部門で評価された。なお山田は2012年・2013年に新派の舞台版『東京物語』の脚本・演出も手がけている。
4Kデジタル修復[編集]
原ネガは焼失していた[編集]
実は『東京物語』のオリジナルネガは現存しない。1960年に横浜の現像所で起きた火災で焼失してしまい、現在残っているのは16ミリのデュープネガから起こした35ミリのデュープネガなど、世代を重ねた複製素材だけである。古いプリントに傷やノイズが多かったのはこのためだ。
修復の歩み[編集]
最初の大規模なデジタル修復は、小津生誕100年にあたる2003年の記念事業として行われた。続いて2011年、NHK BSプレミアムの企画に合わせて、松竹とNHKの協力のもと、IMAGICAが4K解像度での修復を実施。当時の撮影助手・川又昂が監修し、1コマずつ4Kスキャンしたうえで傷消しと階調の調整が行われた。音声も松竹の修復担当者の手で磨き直されている。
この修復版は「ニューデジタルリマスター」として2013年のベルリン国際映画祭クラシック部門で上映され、同年には小津生誕110年記念としてブルーレイ・DVDも発売された。日本盤ソフトとしては初めて英語字幕と日本語字幕を収録し、1984年収録のオーディオコメンタリーも付いた。
4K版のお披露目と海外展開[編集]
松竹の公式サイトによれば、4K版は2018年の第71回カンヌ国際映画祭(クラシック部門)でワールドプレミア上映された。4K素材は海外の名作ソフトレーベル「クライテリオン・コレクション」にも提供され、新たに作られた35ミリのインターポジからのスキャンをもとにしたブルーレイが海外でも流通している。
2023年は小津の生誕120年・没後60年の節目。第36回東京国際映画祭ではポスタービジュアルが本作へのオマージュとなり、特集上映でも本作が上映された。小津の誕生日であり命日でもある12月12日には、NHK BSでデジタルリマスター版が放送されている。
どこで見れるか[編集]
配信サービス[編集]
2026年10月時点の配信状況(JustWatch調べ)では、U-NEXT、Amazon Prime Video、Hulu、FOD、Amazonプライム・ビデオ内の「Plus Shochiku」チャンネルなどで見放題配信されている。レンタルや購入はAmazon VideoやApple TVで可能だ。動画配信サービスのラインナップは時期によって入れ替わるので、見る前に各サービスで確認するのが確実である。
ソフトは松竹からニューデジタルリマスター版のブルーレイ・DVDが発売されている。映画館での特集上映も定期的に行われており、4Kデジタル修復版をスクリーンで見られる機会も多い。
パブリックドメインの扱い[編集]
『東京物語』は、日本では「著作権の保護期間が切れた映画」として扱われることが多い作品でもある。いわゆる「1953年問題」がからむためだ。2004年の著作権法改正で映画の保護期間は公開後50年から70年に延びたが、1953年公開作品にこの延長が適用されるかどうかで争いになった。
最高裁は2007年12月18日、同じ1953年公開の洋画『シェーン』をめぐる裁判で、1953年公開の映画の保護期間は2003年末で満了しており、延長は適用されないと判断した。英字紙ジャパンタイムズは当時、この判決で廉価版DVDの販売が可能になる作品の例として『東京物語』の名を挙げている。
その後、黒澤明作品などをめぐる裁判で「監督個人が著作者とみなされる古い映画は、監督の死後38年まで保護される」という判断も示されたが、小津は1963年に亡くなっているため、この計算でも2001年末で保護期間が終わる計算になる。こうした事情から、本作は日本国内ではパブリックドメイン扱いされることが多く、正規版とは別の廉価版ソフトが出回ってきた。
ただし注意点もある。松竹が手間と費用をかけて作った4K修復版の映像や字幕は、あくまで松竹のソフト・配信として提供されているもの。また著作権の扱いは国ごとに異なり、海外では保護が続いているとされる国もある。「パブリックドメイン=どこでも何をしてもよい」ではない点は押さえておきたい。
最新動向[編集]
昭和100年(2025年)と再評価[編集]
昭和元年から数えて100年にあたる2025年は、昭和の名作を見直す企画が相次いだ年でもある。小学館の雑誌サライのWEB版では、連載「面白すぎる日本映画」で「昭和100年の今、あらためて観たい」作品として本作を取り上げ、扇風機もない猛暑の夏、うちわと開け放した窓で暑さをしのぐ登場人物たちに共感した、と記している。
2025年11月には香川県善通寺市で映画監督の解説付き上映会も開かれ、「寺と地蔵の距離がだんだん近づいていく」「蚊取り線香で時間の流れを表す」といった細部の演出が解説された。地方の上映会でも根強い人気を保っている。
ドキュメンタリー『The Ozu Diaries/小津ダイアリー』[編集]
2025年のヴェネツィア国際映画祭クラシック部門でワールドプレミア上映されたドキュメンタリー『The Ozu Diaries/小津ダイアリー』(ダニエル・レイム監督、アメリカ製作、138分)が、松竹の配給で2026年10月9日から日本で順次公開された。小津の日記や書簡、写真、ホームムービーを軸に、個人的な喪失や戦争体験が『晩春』『麦秋』『東京物語』『秋刀魚の味』にどう結びついたかを追う内容だ。
インタビューには黒沢清、ヴィム・ヴェンダース、リュック・ダルデンヌ、ツァイ・ミンリャンらに加え、『東京物語』で京子を演じた香川京子も登場する。公開に合わせ、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下では10月9日から29日まで小津作品11本の特集上映が行われ、『東京物語』は4Kデジタル修復版で上映されている。公開から73年たった今も、本作は新しい観客と出会い続けている。
余談[編集]
- 尾道ロケでは、原節子が到着した日に尾道駅の入場券が3,000枚も売れ、浄土寺での撮影には約2,000人の見物客が押し寄せたとされる。
- 尾道を舞台に選んだ理由には、東京からの距離感のほか、志賀直哉の小説『暗夜行路』の舞台だったことも挙げられている。
- 平山家として撮影に使われた尾道の民家は、2008年ごろに取り壊されている。
- のちに『転校生』などの「尾道三部作」で知られる映画監督・大林宣彦は、15歳のときに本作の尾道ロケを見学したと語っている。
- 公開から60年後に作られた『東京家族』のBD/DVDは、『東京物語』のニューデジタルリマスター版と同日に発売された。
- 大阪弁のせりふに苦労した大坂志郎が、小津に厳しく叱られたという逸話が残っている。
