| 吉永小百合 よしなが さゆり / Sayuri Yoshinaga | |
|---|---|
![]() 吉永小百合(1962年。出典:Wikimedia Commons) | |
| 本名 | 岡田小百合(旧姓:吉永) |
| 誕生日 | 1945年3月13日 |
| 年齢 | 81歳 |
| 出身地 | 東京都渋谷区 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 東京都立駒場高等学校(中途転校)、精華学園女子高等学校(中退)、早稲田大学第二文学部西洋史学専修(1969年卒業) |
| ジャンル | 映画、テレビドラマ、歌手、朗読 |
| 活動期間 | 1957年 - |
| デビューアルバム | 1959年 映画『朝を呼ぶ口笛』(松竹)、1962年 シングル「寒い朝」(歌手) |
| 家族 | 夫(1973年結婚、2024年死別) |
| 代表作 | 『キューポラのある街』、『愛と死をみつめて』、『夢千代日記』、『細雪』、『おはん』、『長崎ぶらぶら節』、『北のカナリアたち』、『母と暮せば』、『こんにちは、母さん』、『てっぺんの向こうにあなたがいる』 |
| 関連活動 | 歌手(「いつでも夢を」で第4回日本レコード大賞)、原爆詩の朗読 |
| あだ名 | 小百合ちゃん、サユリさん |
| その他 | ブルーリボン賞主演女優賞を昭和・平成・令和の3時代で受賞(史上初)、紫綬褒章(2006年)、文化功労者(2010年)、第38回東京国際映画祭 特別功労賞(2025年) |
概要[編集]
吉永小百合(よしなが さゆり、1945年3月13日 - )とは、東京都渋谷区出身の女優・歌手である。日活の青春映画で10代からトップスターとなり、『キューポラのある街』と橋幸夫とのデュエット「いつでも夢を」で国民的人気を獲得。熱烈なファンは「サユリスト」と呼ばれた。以後60年以上にわたって主演を張り続け、映画出演は124本、2027年公開予定の125本目も控える「最後の映画スター」である。
詳細[編集]
15歳で映画俳優になった少女[編集]
芸能活動の出発点はラジオだった。小学6年生だった1957年、ラジオ東京(現在のTBS)の連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』のオーディションに合格。応募者は約1万人とされ、本人はのちに「いろいろ幸運が重なってのデビューだった」と振り返っている。同年にはテレビ版『赤胴鈴之助』にも出演した。
映画デビューは1959年の松竹作品『朝を呼ぶ口笛』。通っていた児童合唱団の指導者の縁で声がかかったという。中学卒業後の1960年、15歳で日活撮影所に入社。2026年の新作発表時にも「15歳で映画俳優になって」と語っており、本人の中では「映画俳優」という肩書きへのこだわりが強い。
日活青春映画のヒロイン[編集]
1960年代前半の日活は、石原裕次郎や小林旭のアクション映画と並んで、明るい青春映画を量産していた。そのヒロインとして看板になったのが吉永である。同年代の浜田光夫とのコンビは「純愛コンビ」と呼ばれ、共演作は40本以上にのぼる。和泉雅子、松原智恵子とあわせて「日活三人娘」とも呼ばれた。
転機は1962年の『キューポラのある街』。鋳物工場が並ぶ埼玉県川口市を舞台に、貧しさの中でも前を向く中学3年生ジュンを16歳で演じ、第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞した。同じ年に橋幸夫とのデュエット曲「いつでも夢を」が大ヒットし、第4回日本レコード大賞を受賞。映画と歌の両方で頂点に立ち、一気に「国民的アイドル」になった。
清純派から「大人の女優」へ[編集]
1960年代後半になると日活は路線を転換し、やがて日活ロマンポルノへ移っていく。純愛映画を作れる環境が細り、吉永も活動の軸を一時テレビへ移した。1970年代は『男はつらいよ』シリーズのマドンナ(2回出演)や、清純派のイメージを破った『青春の門』(1975年)などで少しずつ役柄を広げた。
決定打になったのが、1981年のNHKドラマ『夢千代日記』である。被爆して病を抱えながら山陰の温泉町で置屋を営む女性・夢千代は吉永の当たり役となり、続編、映画版まで作られた。1983年の東宝『細雪』、1984年の『おはん』などで日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞し、「元アイドル」ではなく日本映画を背負う主演女優として評価が固まった。
80代でも主演し続ける[編集]
1990年代以降は映画に専念し、ほぼ毎回主演というスタイルを貫いている。山田洋次、阪本順治、成島出ら一線の監督と組み続け、2014年の『ふしぎな岬の物語』では自ら企画・プロデュースにも名を連ねた。
2025年10月公開の『てっぺんの向こうにあなたがいる』は124本目の出演作で、80歳での主演。第38回東京国際映画祭のオープニング作品に選ばれ、吉永自身は日本人俳優として初めて同映画祭の特別功労賞を受けた。2026年8月には125本目となる『母の待つ里』(2027年秋公開予定)が発表されている。
経歴[編集]
生い立ち[編集]
1945年3月13日、東京都渋谷区に生まれる。終戦の約5か月前だった。父は鹿児島県出身。父の事業がうまくいかず、家計が苦しい時期もあったと本人は語っている。少女時代は児童合唱団に通い、この縁が芸能界入りにつながった。
1957年、小学6年生でラジオドラマ『赤胴鈴之助』に出演。渋谷区立代々木中学校を経て、1960年に東京都立駒場高等学校へ進学したが、在学中に日活に入社したため、のちに精華学園女子高等学校へ転入し、仕事の多忙から中退した。
1959年 - 1964年:日活のトップスターに[編集]
1959年、松竹『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。1960年に日活へ入り、赤木圭一郎主演の『拳銃無頼帖 電光石火の男』などに出演した。1962年の『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)でブルーリボン賞主演女優賞を受賞。当時17歳での受賞だった。同年は石原裕次郎主演の『若い人』にも出演している。
1962年4月に主演作『赤い蕾と白い花』の主題歌「寒い朝」で歌手デビューし、9月発売の「いつでも夢を」が大ヒット。翌1963年には同名の映画『いつでも夢を』も作られた。1963年の『伊豆の踊子』、『泥だらけの純情』、1964年の『愛と死をみつめて』と主演作のヒットが続き、『愛と死をみつめて』では難病の女子大生ミコを演じて社会現象を起こした。
1965年 - 1970年代:早稲田と結婚[編集]
多忙なスケジュールの合間に大学入学資格検定に合格し、1965年に早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学。撮影と並行して通学を続け、1969年に次席で卒業した。1965年のNHK紅白歌合戦には「天満橋から」で出場している。
1966年には渡哲也と共演した『愛と死の記録』に主演。広島を舞台に、被爆者の青年と恋に落ちる女性を演じた作品で、のちの原爆詩朗読へ通じる原点の一つとされることが多い。1970年には大河ドラマ『樅ノ木は残った』に出演。
1973年、15歳年上のテレビディレクターと結婚。人気絶頂の28歳での結婚は大きく報じられた。1972年『男はつらいよ 柴又慕情』、1974年『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』で寅さんのマドンナ・歌子を2度演じ、1975年には『青春の門』で清純派のイメージを破る演技を見せた。
1980年代:夢千代と100本目[編集]
1980年、東映の『動乱』で高倉健と共演。本人は、高倉のストイックな役作りに圧倒され、俳優人生が変わったと語っている。1981年のNHK『夢千代日記』が大きな評価を受け、1982年の続編でギャラクシー賞選奨を受賞。1985年には映画版『夢千代日記』(浦山桐郎監督の遺作)に主演した。この撮影中、監督と意見が食い違って撮影が止まった際に、共演の樹木希林が救いになる言葉をかけてくれたという。
1983年の市川崑監督『細雪』では岸惠子、佐久間良子、古手川祐子と四姉妹を演じた。1984年の『おはん』と『天国の駅』で、1985年に日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を初めて受賞。1986年からはボランティアで原爆詩の朗読を始めた。1988年の市川崑監督『つる -鶴-』で映画出演が通算100本に到達し、同年には深作欣二監督の『華の乱』で与謝野晶子を演じた。
1990年代 - 2000年代:映画一本に[編集]
1990年代以降は映画が活動の中心になり、『外科室』(1992年)、『女ざかり』(1994年)、『時雨の記』(1998年)などに主演。1997年には原爆詩の朗読CD『第二楽章』で第39回日本レコード大賞企画賞を受けた。2000年の『長崎ぶらぶら節』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞と、38年ぶりとなるブルーリボン賞主演女優賞を受賞した。
2005年の『北の零年』では、明治初期の北海道に移住した武士の妻を演じ、夫役は渡辺謙、成長した娘役は石原さとみ。2005年の紅白歌合戦では中継で原爆詩を朗読した。2006年に紫綬褒章を受章。2008年には山田洋次監督の『母べえ』に主演し、ここから「母」を演じる作品が増えていく。
2010年代:プロデューサーにも[編集]
2010年に山田洋次監督『おとうと』に主演し、同年に文化功労者に選ばれた。2012年の『北のカナリアたち』では阪本順治監督と初めて組み、北海道の離島の元教師を演じた。2014年の『ふしぎな岬の物語』(成島出監督)では企画から参加して初のプロデュースを務め、モントリオール世界映画祭で審査員特別賞グランプリを受賞。共演は阿部寛ら。同年3月には『笑っていいとも!』の最終回に撮影先から生中継で出演した(後述)。
2015年、長崎を舞台にした山田洋次監督『母と暮せば』で、原爆で亡くなった息子(二宮和也)の幻と再会する母を演じた。共演は黒木華ら。同年に菊池寛賞を受賞。2018年の『北の桜守』(滝田洋二郎監督)は120本目の出演作で、息子役を堺雅人、夫役を阿部寛が演じた。2019年の『最高の人生の見つけ方』では天海祐希とW主演し、ムロツヨシ、満島ひかりらと共演。余命宣告を受けた2人が「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行していく物語で、ももいろクローバーZのライブに参加するシーンも話題になった。
2020年代:122本目から124本目へ[編集]
2021年の『いのちの停車場』(成島出監督)で在宅医療に向き合う医師を演じた。共演は広瀬すず、松坂桃李、西田敏行ら。父親役は田中泯が務めた。この作品で第45回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受けている。
2023年の『こんにちは、母さん』は山田洋次監督作で、123本目。下町の足袋屋を営む母を演じ、息子役は大泉洋、孫役は永野芽郁。この作品などで2024年に第66回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞し、史上初めて昭和・平成・令和の3つの時代で同賞の主演女優賞を獲得した。
2024年9月、夫と死別。2025年1月には東映最後の直営館・丸の内TOEIの閉館発表に際し、惜別のコメントを寄せた。同年10月31日、124本目の『てっぺんの向こうにあなたがいる』が公開された(詳しくは後述)。
2026年:125本目の発表[編集]
2026年6月、『てっぺんの向こうにあなたがいる』がネパールの第23回カトマンズ国際山岳映画祭で観客賞を受賞した。8月には、『細雪』で姉妹役を演じた岸惠子の訃報を受けて「大好きな先輩でした」と追悼コメントを発表。撮影中にラッシュを見た岸に褒められたことがうれしかった、と振り返っている。同じ8月、日活時代の主演作『あゝひめゆりの塔』(1968年)がBS12で放送され、改めて注目された。
8月28日には、浅田次郎の小説を原作とする主演映画『母の待つ里』の製作が発表された。125本目の出演作で、浅田作品への出演は初めて。人生に疲れた3人の男女を温かく迎える「心の母」藤原ちよを演じる。監督は『九十歳。何がめでたい』の前田哲、脚本は『おくりびと』の小山薫堂。岩手県遠野市を中心に2026年5月から撮影が始まり、春夏編は7月にクランクアップ。秋冬編を撮って2027年1月に撮了し、同年秋に公開する予定とされる。吉永は当初スケジュールの都合で一度断ったが、プロデューサーの言葉に心を動かされ、台本を読み直して出演を決めたと明かした。
主な出演映画[編集]
吉永の映画出演は、2025年の『てっぺんの向こうにあなたがいる』で124本を数える。以下は代表的なもの。
| 公開年 | 作品 | 役 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1959年 | 朝を呼ぶ口笛 | 映画デビュー(松竹) | |
| 1962年 | キューポラのある街 | 石黒ジュン | 浦山桐郎監督、ブルーリボン賞主演女優賞 |
| 1962年 | 若い人 | 石原裕次郎主演 | |
| 1963年 | いつでも夢を | ひかる | 橋幸夫、浜田光夫と共演 |
| 1963年 | 伊豆の踊子 | 踊子・薫 | |
| 1964年 | 愛と死をみつめて | 小島道子(ミコ) | 浜田光夫と共演 |
| 1966年 | 愛と死の記録 | 渡哲也と共演 | |
| 1968年 | あゝひめゆりの塔 | ||
| 1972年 | 男はつらいよ 柴又慕情 | 歌子 | マドンナ役 |
| 1974年 | 男はつらいよ 寅次郎恋やつれ | 歌子 | 2度目のマドンナ |
| 1975年 | 青春の門 | ||
| 1980年 | 動乱 | 高倉健と共演(東映) | |
| 1983年 | 細雪 | 雪子 | 市川崑監督(東宝) |
| 1984年 | おはん | おはん | 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞 |
| 1985年 | 夢千代日記 | 夢千代 | 浦山桐郎監督の遺作 |
| 1988年 | つる -鶴- | つる | 映画出演100本目 |
| 1988年 | 華の乱 | 与謝野晶子 | 深作欣二監督 |
| 2000年 | 長崎ぶらぶら節 | 愛八 | 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞 |
| 2005年 | 北の零年 | 小松原志乃 | 渡辺謙と共演 |
| 2008年 | 母べえ | 野上佳代 | 山田洋次監督 |
| 2010年 | おとうと | 高野吟子 | 山田洋次監督 |
| 2012年 | 北のカナリアたち | 川島はる | 阪本順治監督 |
| 2014年 | ふしぎな岬の物語 | 柏木悦子 | 初の企画・プロデュース |
| 2015年 | 母と暮せば | 福原伸子 | 二宮和也と共演 |
| 2018年 | 北の桜守 | 江蓮てつ | 120本目 |
| 2019年 | 最高の人生の見つけ方 | 北原幸枝 | 天海祐希とW主演 |
| 2021年 | いのちの停車場 | 白石咲和子 | 広瀬すずらと共演 |
| 2023年 | こんにちは、母さん | 神崎福江 | 123本目、大泉洋と共演 |
| 2025年 | てっぺんの向こうにあなたがいる | 多部純子 | 124本目、阪本順治監督 |
| 2027年(予定) | 母の待つ里 | 藤原ちよ | 125本目、前田哲監督 |
主なテレビドラマ[編集]
- 赤胴鈴之助(1957年、ラジオ東京テレビ) - テレビデビュー
- 樅ノ木は残った(1970年、NHK大河ドラマ)
- 夢千代日記(1981年、NHK) - 夢千代
- 続・夢千代日記(1982年、NHK) - 夢千代
- 新・夢千代日記(1984年、NHK) - 夢千代
てっぺんの向こうにあなたがいる[編集]
田部井淳子をモデルにした124本目[編集]
2025年10月31日公開。1975年に女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功し、1992年には女性初の七大陸最高峰登頂を果たした登山家・田部井淳子(2016年没)をモデルにした作品である。吉永は主人公の多部純子を演じ、青年期の純子をのんが演じた。夫役は佐藤浩市、登山の盟友役は天海祐希。監督は『北のカナリアたち』以来13年ぶりのタッグとなる阪本順治。
物語では、晩年にがんを患った主人公が、家族や仲間に支えられながら、東日本大震災で被災した高校生たちと富士山に登る姿も描かれる。吉永は2012年に田部井本人と会い、明るく積極的な人柄に惹かれて「大ファン」になったという。撮影では標高3000メートル級の山でのロケにも挑んだ。
80歳で初めてのピアス[編集]
2025年5月の完成報告会見で、吉永は役作りのために人生で初めて耳にピアスの穴を開けたことを明かした。ピアスをしていた田部井にならったもので、80歳での「初挑戦」として大きく報じられた。
9月の完成披露試写会では、のんが撮影していた雪の富山県まで一人で新幹線に乗って会いに行き、クランクアップでハグしたというエピソードが披露された。佐藤浩市は吉永と本作で初めて夫婦役を演じ、吉永に「お母さん」と呼ばれた際の反応に戸惑ったと話している。
東京国際映画祭のオープニングを飾る[編集]
本作は第38回東京国際映画祭のオープニング作品に選ばれ、10月27日の開幕式で吉永は特別功労賞を受賞した。日本人俳優の受賞は初めて。スピーチでは、3年前に同じ賞を受けたスクリプターの野上照代に触れて「大好きな先輩」が受賞した賞で光栄だと述べ、「一歩一歩映画の道を歩いていけたら」と語った。和装の帯の正面には田部井の写真、背面には田部井が登頂時に撮った山の写真をあしらっていた。
初日舞台挨拶では、前夜は天気予報が悪くて「胃がしくしく」したと告白。企画から完成まで約3年かかった作品をようやく届けられたと喜んだ。翌2026年6月にはカトマンズ国際山岳映画祭で観客賞を受賞している。
歌手活動[編集]
「寒い朝」と「いつでも夢を」[編集]
歌手としてのデビューは1962年4月の「寒い朝」(和田弘とマヒナスターズとの共唱)。主演作『赤い蕾と白い花』の主題歌だった。作曲家・吉田正の門下として多くのレコードを吹き込み、同年9月発売の橋幸夫とのデュエット「いつでも夢を」が大ヒット。第4回日本レコード大賞を受賞し、今も昭和歌謡を代表するデュエット曲として歌い継がれている。
1960年代には「伊豆の踊子」「勇気あるもの」など映画とセットになったヒット曲を次々に出し、NHK紅白歌合戦にも出場した。日活の青春スターがそのまま歌手としても売れる、という当時の「歌って演じるスター」の典型である。
朗読という「もう一つの声の仕事」[編集]
1970年代以降は歌の比重が下がり、代わりに続けてきたのが詩の朗読である。1986年に始めた原爆詩の朗読はボランティアとして長く続けられ、1997年の朗読CD『第二楽章』は第39回日本レコード大賞企画賞を受けた。2011年の東日本大震災と原発事故以降は、福島の詩人の作品なども朗読の対象に加えている。
映画の中でも歌う場面はあり、本人は映画でフルコーラスを歌うシーンがあったことを振り返っている。夫が亡くなる直前、病室で昔の歌を大きな声で歌い出したのは、自分に歌を練習させなければという思いからだったのだろう、と語ったこともある。
人物[編集]
水泳と筋トレ[編集]
- 水泳歴は40年超:健康のため40代で水泳を始めた。一時はスクールに通い、年2回の合宿に参加するほど熱中し、1年で365キロ泳いだこともあるという。現在はタイムを気にせず、体をストレッチするような気持ちで一人で泳いでいる。
- 腹筋100回は高倉健直伝:『動乱』で共演した高倉健に「腹筋を何回やれば体調を維持できるか」と尋ね、100回と教えられたとテレビで明かしている。自宅ではスクワット60回、腹筋100回、ストレッチを基本とし、一度にやると大変なので数回に分けているという。
- ジム通い:骨折をきっかけに筋力トレーニングを始めたとされ、週1回ジムに通って特に太ももを鍛えている。76歳のときに25キロのバーベルを持ち上げる様子がテレビで放送され、話題になった。
- 続けるコツ:運動について「義務だと思っていないから」続けられると語り、大きなカレンダーにその日の運動内容や体重、体脂肪を記録している。撮影現場でも椅子に座らず立っていることが多いという。
食事・美容[編集]
- 食事は昔からよく食べるほうだとされ、運動量でバランスを取っているといわれる。特定の食事制限で体型を保っているタイプではないようだ。
- 汗をかきやすいことからメイクは自分で行い、同じウォータープルーフのアイライナーを長年使い続けているとされる。
趣味・こだわり[編集]
- スポーツ観戦:プロ野球は西武ライオンズのファン、大学ラグビーは母校・早稲田大学のファンとして知られる。
- 将棋と鉄道:将棋好きで、1976年には将棋会館の建設に寄付をしている。鉄道好きも公言している。
- 登山:20代の頃は山登りが好きだったといい、『てっぺんの向こうにあなたがいる』の山岳ロケも楽しんだと話している。
- 日記:10代から20代の日記について、「自分はまだまだ一生懸命生きてないっていうような、苛立たしさみたいなのもありました」と振り返っている。
社会的な活動[編集]
本人の公表活動として、1986年から原爆詩の朗読を続けているほか、2011年以降は原子力発電に否定的な立場を公にしており、脱原発を掲げる候補の応援や自然エネルギー推進の団体への賛同などを行ったことが報じられている。広島・長崎を題材にした『愛と死の記録』『母と暮せば』などへの出演とあわせて、平和への関心は本人の活動の柱の一つになっている。
「キューポラ」を超えたい[編集]
出世作『キューポラのある街』について、本人は「なんとか『キューポラのある街』を超える作品に出たい、という思いで続けてきた」と語っている。2025年の初日舞台挨拶でも、年齢を重ねても「まだダメだ」と感じるが、次はもっと成長できるはずだと思うと発言し、天海祐希に「だから美しい」と感心された。80歳を過ぎても「まだ上がある」と言い続ける姿勢が、吉永小百合という俳優の一番の特徴かもしれない。
サユリスト[編集]
「サユリスト」とは[編集]
吉永の熱烈なファンを指す呼び名。1960年代の日活全盛期に生まれた言葉で、当時の若い男性を中心に爆発的に広がった。同時代のライバル的存在だった栗原小巻のファン「コマキスト」と並べて語られることも多い。作家や文化人にも自称サユリストは多く、60年以上たった今も現役の言葉として使われている。
タモリと「いいとも!」[編集]
有名なサユリストの一人がタモリである。長年吉永のファンを公言しており、2014年3月31日の『笑っていいとも!グランドフィナーレ』では、番組側の依頼で吉永が千葉の映画撮影現場から生中継で出演した。吉永が「いつか船に乗せてほしい」と頼むと、タモリは顔を真っ赤にして「いいとも!」と返答。番組の最後には逆にタモリが「また食事に行ってもいいかな?」と尋ね、吉永が「いいとも!」と応じた。
当時吉永が撮影していたのは『ふしぎな岬の物語』で、劇中で船を操縦しており、「タモリさんのことを思いながら操船しています」と語って笑いを誘った。
受賞歴[編集]
- 1962年度 - 第13回ブルーリボン賞 主演女優賞(『キューポラのある街』)
- 1962年 - 第4回日本レコード大賞(「いつでも夢を」、橋幸夫と)
- 1982年 - ギャラクシー賞 選奨(『続・夢千代日記』)
- 1985年 - 第8回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞(『おはん』『天国の駅』)
- 1997年 - 第39回日本レコード大賞 企画賞(朗読CD『第二楽章』)
- 2000年度 - ブルーリボン賞 主演女優賞、2001年 - 第24回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞(『長崎ぶらぶら節』)
- 2001年 - 芸術選奨文部科学大臣賞
- 2003年 - NHK放送文化賞
- 2006年 - 紫綬褒章
- 2010年 - 文化功労者
- 2015年 - 第63回菊池寛賞
- 2022年 - 第45回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(『いのちの停車場』)
- 2023年度 - 第66回ブルーリボン賞 主演女優賞(2024年1月発表)、第47回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞
- 2025年 - 第38回東京国際映画祭 特別功労賞
余談[編集]
- デビューのきっかけとなったラジオドラマ『赤胴鈴之助』のオーディションには約1万人が応募したとされる。
- 日活の仕事と学業を両立させ、早稲田大学第二文学部を次席で卒業した。高校は中退しているため、大学入学資格検定を経ての入学だった。
- ブルーリボン賞主演女優賞は1962年、2000年、2023年度と3回受賞。1回目から3回目まで約61年空いている。
- 『てっぺんの向こうにあなたがいる』の撮影で初めて耳にピアスの穴を開けたのは80歳のとき。
- 『笑っていいとも!』最終回の生中継は、長年サユリストを公言してきたタモリとの「念願の初共演」として報じられた。
- 『北のカナリアたち』と『てっぺんの向こうにあなたがいる』はいずれも阪本順治監督作で、どちらも「北」「山」と厳しい自然の中での撮影だった。
- 共演の天海祐希とは『最高の人生の見つけ方』『てっぺんの向こうにあなたがいる』の2作で組んでおり、プライベートでも親しいとされる。
- 2026年の新作発表では、浅田次郎作品の映画化に初めて出演できることを「うれしくて舞い上がっています」と表現した。
