| 栗原小巻 くりはら こまき / Komaki Kurihara | |
|---|---|
![]() 2025年11月4日、プーシキン・メダル授与式にて(出典:ウィキメディア・コモンズ、CC BY 4.0) | |
| 誕生日 | 1945年3月14日 |
| 年齢 | 81歳 |
| 出身地 | 東京都世田谷区 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 東京バレエ学校卒業、俳優座養成所(第15期) |
| ジャンル | 舞台、映画、テレビドラマ |
| 活動期間 | 1960年代 - |
| デビューアルバム | 1968年 舞台『三人姉妹』(初舞台、イリーナ役) |
| 家族 | 父・栗原一登(劇作家)、弟・加来英治(演出家) |
| 血液型 | O |
| 事務所 | エイコーン |
| 代表作 | 『三人家族』、『二人の世界』、『忍ぶ川』、『サンダカン八番娼館 望郷』、『モスクワわが愛』、『男はつらいよ』シリーズ(マドンナ2回) |
| 関連活動 | ロシア文化フェスティバル IN JAPAN 日本組織委員会委員長、日本中国文化交流協会副会長 |
| その他 | 毎日映画コンクール女優演技賞(『忍ぶ川』)、紀伊國屋演劇賞個人賞、芸術祭賞、プーシキン・メダル(2025年、ロシア) |
| リンク | ACORN エイコーン |
概要[編集]
栗原小巻(くりはら こまき、1945年3月14日 - )とは、東京都出身の女優である。俳優座養成所から抜擢され、TBSの木下恵介アワー『三人家族』『二人の世界』で茶の間の恋人になり、吉永小百合のファン「サユリスト」と人気を二分した「コマキスト」を生んだ。日ソ合作『モスクワわが愛』をはじめ国際共作にも多数出演し、80歳を過ぎた今もチェーホフやトルストイ、ピアフの一人芝居で全国の舞台に立ち続けている。
詳細[編集]
バレエ少女から俳優座の看板へ[編集]
父は児童劇などで知られた劇作家の栗原一登。幼いころからクラシック・バレエを学び、1963年に東京バレエ学校を卒業した。同年、新劇の名門俳優座の養成所に第15期生として入所し、在籍中から早くも抜擢されてテレビや映画に顔を出すようになる。
1967年にはNHK大河ドラマ『三姉妹』に出演して一気に注目を集め、翌1968年、日生劇場の『三人姉妹』(チェーホフ作)のイリーナ役で初舞台を踏んだ。バレエで鍛えた立ち姿と、凛としたまなざしは「新劇女優」という言葉のイメージそのものだった。以後、俳優座の看板女優として約半世紀にわたって在籍し、2013年に退団している。演劇界の大御所・千田是也の演出作品にも数多く出演し、『ルル』などで主演を張った。
木下恵介アワーと「茶の間の恋人」[編集]
栗原小巻の名前をお茶の間に決定的に刻んだのが、TBSの木下恵介アワーである。1968年から1969年にかけて放送された『三人家族』(表記は『3人家族』とも)では、竹脇無我演じる青年と偶然出会い、少しずつ距離を縮めていく稲葉敬子を演じた。山田太一が脚本を手がけたこの作品は、すれ違いと恋心を丁寧に描いた連続ドラマとして人気を呼び、栗原は日本放送作家協会賞の女性演技者賞を受けている。
続く1970年から1971年の『二人の世界』(全26話)では再び竹脇無我とコンビを組み、街で出会って一目惚れし、結婚してスナックを開く夢を追う夫婦の妻・麗子を演じた。前作から引き続きあおい輝彦も出演している。新婚夫婦が助け合い、ぶつかり合いながら暮らしを築いていく物語は、高度成長期の若い夫婦の憧れと重なり、「竹脇無我と栗原小巻」は理想のカップル像として語られるようになった。
サユリスト vs コマキスト[編集]
1960年代後半から70年代にかけて、清純派スターの二大巨頭とされたのが吉永小百合と栗原小巻である。吉永のファンが「サユリスト」と呼ばれたのに対し、栗原のファンは「コマキスト」と呼ばれ、両者はアイドル的人気を二分した。
日活の青春映画で国民的スターになった吉永に対し、栗原は新劇出身でテレビドラマから火がついたという出自の違いがあり、「親しみやすい小百合、知的で高貴な小巻」という対比で語られることも多かった。スポーツ紙でも「吉永小百合と並ぶ〝別格〟名女優」と紹介されている。どちらに転ぶかで男性の好みが分かれる、という当時の空気は、昭和の芸能史を語るうえで欠かせない定番の話題になっている。
国境を越えた女優[編集]
栗原のキャリアのもう一つの柱が国際共作である。1974年の日ソ合作映画『モスクワわが愛』(アレクサンドル・ミッタ監督、吉田憲二共同監督、モスフィルムと東宝の共同製作)では、モスクワのボリショイ劇場にバレエ留学した広島出身の日本人ダンサー・百合子を演じた。現地の彫刻家と恋に落ちるが、被爆の影を背負った血液の病に倒れるという悲恋ものである。バレエ経験がそのまま役に生きた作品で、ソ連でも大きな反響を呼んだ。
その後も日ソ合作『白夜の調べ』(1978年)、『未来への伝言』(1990年、企画にも参加)と、ソ連との合作映画には計3本に出演。モスクワ国際映画祭では1975年と1981年の2度、審査員を務めた。中国でも1978年に『サンダカン八番娼館 望郷』、1979年に『愛と死』が上映されて人気が爆発し、1990年代には中国映画『乳泉村の子』に主演している。日本と旧ソ連・ロシア、中国をつなぐ「文化外交の顔」として、50年以上にわたり活動してきた。
経歴[編集]
1945年 - 1966年:生い立ちと養成所時代[編集]
1945年3月14日、東京都世田谷区に生まれる。父・栗原一登は劇作家で、のちに演出家となる弟・加来英治とともに、演劇が身近にある家庭で育った。クラシック・バレエに打ち込み、1963年に東京バレエ学校を卒業。同年、俳優座養成所に第15期生として入所した。
養成所在籍中から抜擢され、1964年のドラマ『虹の設計』、1966年のドラマ『若者たち』などに出演。新劇の研究生がテレビに出ること自体がまだ珍しかった時代に、早くから映像の現場を経験している。
1967年 - 1971年:大河ドラマと木下恵介アワー[編集]
1967年、NHK大河ドラマ『三姉妹』で雪役を演じて注目され、エランドール賞新人賞を受賞。映画『ゴメスの名はゴメス・流砂』にも出演した。1968年には日生劇場の『三人姉妹』でイリーナ役として初舞台を踏み、新劇女優としての一歩を記した。
同年10月から『三人家族』がスタートし、ブレイク。日本放送作家協会賞の女性演技者賞、第1回テレビ大賞の優秀タレント賞を立て続けに受賞した。1970年からの『二人の世界』で人気は頂点に達し、「コマキスト」という言葉が生まれる。
映画では1969年に『尻啖え孫市』(小みち役)、1970年に山田洋次監督の『新・男はつらいよ』で幼稚園の先生・春子を演じ、渥美清演じる寅さんのマドンナを務めた。1970年と1971年には山本薩夫監督の大作『戦争と人間』第一部・第二部(日活)で中国人女性・趙瑞芳を演じている。1971年には『愛と死』『いのちぼうにふろう』(おみつ役)にも出演。同年、舞台『そよそよ族の叛乱』で紀伊國屋演劇賞個人賞を受けた。
1972年 - 1979年:『忍ぶ川』と国際派への道[編集]
1972年、熊井啓監督の映画『忍ぶ川』で料亭で働く女性・志乃を演じ、毎日映画コンクール女優演技賞、ゴールデンアロー賞映画賞などを受賞。映画女優としての評価を不動のものにした。同年は大河ドラマ『新・平家物語』で北条政子も演じている。
1974年は特に濃い一年で、熊井啓監督の『サンダカン八番娼館 望郷』で、からゆきさんの歴史を追う女性史研究家・三谷圭子を演じた。同作は第25回ベルリン国際映画祭に出品されている。同じ年に日ソ合作『モスクワわが愛』が公開され、舞台では日生劇場で『アンナ・カレーニナ』のアンナを初めて演じた。TBSの東芝日曜劇場『灯の橋』にも出演し、同作は芸術祭大賞を受けた。
1977年には森谷司郎監督の『八甲田山』で、雪中行軍を指揮する神田大尉の妻・はつ子を演じた。1978年に日ソ合作第2弾『白夜の調べ』、大河ドラマ『黄金の日日』(美緒役)、東宝版ミュージカル『マイ・フェア・レディ』のイライザ役と、映像・舞台・ミュージカルをまたいで活躍。1979年には『配達されない三通の手紙』(紀子役)に出演した。
1980年 - 1989年:チェーホフ、蜷川マクベス、2度目のマドンナ[編集]
1980年はチェーホフ『かもめ』のニーナ、そして蜷川幸雄演出の『NINAGAWAマクベス』でレディ・マクベスを演じた。1981年にはソ連から演出家を招いた『櫻の園』でラネーフスカヤを演じ、1982年・1983年にも同役を重ねる。同じ1981年には『ロミオとジュリエット』のジュリエットで芸術祭優秀賞を受賞し、テレビでは『関ヶ原』で細川ガラシャを演じた。
1982年は映画『ひめゆりの塔』で宮城先生役。1983年から1984年にかけてはフジテレビ系『大奥』に出演した。1985年には『NINAGAWAマクベス』で英国のエジンバラ芸術祭に参加し、のちにアムステルダム、ロンドン、ニューヨーク、オタワ、シンガポールでも上演されるという、日本の舞台作品としては異例の国際ツアーを経験している。
同じ1985年、『男はつらいよ 柴又より愛をこめて』で式根島の小学校教師・真知子を演じ、15年ぶりに寅さんのマドンナに返り咲いた。シリーズで2度マドンナを務めた女優の一人である。1986年には『恋愛論』を自らプロデュースして主演し、のちにモスクワでも上演。同年はブレヒト『セツアンの善人』でシェンテ/シュイタを演じ、北京・上海・広州・香港でも公演を行った。1988年には『プレンティ』に主演している。
1990年 - 2012年:合作映画と『欲望という名の電車』[編集]
1990年、日ソ合作映画『未来への伝言』に出演し、企画にも携わった。1991年には舞台『復活』のカチューシャで芸術祭賞を受賞。同時期には中国映画『乳泉村の子』で主演を務め、中国での人気を改めて示した。1994年にはチェーホフの3作品を1本にまとめた『あれは美しい夢だった』で、ニーナ、マーシャ、ラネーフスカヤの3役を演じ分けた。
1995年から2000年にかけては、テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』のブランチ役で主演し、公演回数は281回に達した。1999年から2000年にはブレヒト『肝っ玉おっ母とその子どもたち』にも出演している。2000年代はテレビの2時間ドラマにも多く出演し、2003年の日本テレビ系『箱根湯河原温泉交番』、2006年のテレビ朝日系『新・京都迷宮案内III』などに顔を見せた。2004年には映画『ミラーを拭く男』で紀子を演じている。2009年からはエイコーン制作の『アンナ・カレーニナ』で全国の演劇鑑賞会を巡演し始めた。
2013年 - 2024年:俳優座退団、直虎、一人芝居[編集]
2013年、約半世紀在籍した俳優座を退団。以後はエイコーンを拠点に活動する。2014年にはCBCのドラマ『月に行く舟』に出演し、2015年には中国中央テレビ(CCTV)の子ども向け番組にも登場した。
2017年、大河ドラマ『おんな城主 直虎』で徳川家康の母・於大の方を演じ、久々の大河出演が話題になった。2022年には山田火砂子監督の映画『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』で三浦綾子の声を担当。同年5月には日本橋の三越劇場で、日本の新劇女優の草分け松井須磨子の生涯を描く一人芝居『松井須磨子』を上演し、9月には島根県益田市で『忍ぶ川』の朗読会も行っている。
2023年は一人芝居『愛の讃歌―ピアフ』で、5月から6月に中国地方5県、9月から10月に東海・北陸の5県を巡演。シャンソンの女王エディット・ピアフを、ピアノとドラムの生演奏とともに一人で演じ、歌った。2024年9月には『徹子の部屋』に出演し、自宅の家具を木材から手作りしていることや、主演舞台の衣装を自らデザインしていることが紹介された。同月にはBSで『スリランカの愛と別れ』『配達されない三通の手紙』『サンダカン八番娼館 望郷』の3作が放送されている。
2025年 - 2026年:プーシキン・メダルと80代の巡演[編集]
2025年は2月に熊本県立劇場(熊本市民劇場の例会)、3月1日から3日に日本橋の三越劇場で『アンナ・カレーニナ[新版]』に主演した。弟・加来英治の脚色・演出で、共演は清水綋治、こだま愛、加藤頼、赤羽秀之。1974年に初めてアンナを演じてから半世紀を経て、同じ役に新たな版で挑んだことになる。
2025年11月4日、ロシアの祝日「国民統一の日」に、モスクワのクレムリンでプーチン大統領から文化勲章「プーシキン・メダル」を授与された。日ソ合作映画への出演をはじめとする長年の文化交流が授与の理由とされる。一方で報道では、ウクライナ侵攻を続けるロシア側が、国際的に孤立していないことをアピールする狙いもあるとの見方が伝えられた。
2026年は4月から一人芝居『愛の讃歌 ピアフ』で東北地方を巡演し、4月11日・12日には福島県のいわきアリオス中劇場でも上演された(上演時間1時間30分、休憩なし)。同年5月には、日ロ国交回復70周年と「ロシア文化フェスティバル IN JAPAN」創立20周年を記念するレセプションに、日本組織委員会委員長として出席したとされる。81歳の現在も、地方の演劇鑑賞会を中心に年単位で舞台を続けている。
主な出演作[編集]
映画[編集]
- 1967年『ゴメスの名はゴメス・流砂』
- 1969年『尻啖え孫市』(小みち)
- 1970年『新・男はつらいよ』(春子) - マドンナ役
- 1970年・1971年『戦争と人間』第一部・第二部(趙瑞芳) - 山本薩夫監督、日活
- 1971年『愛と死』
- 1971年『いのちぼうにふろう』(おみつ)
- 1972年『忍ぶ川』(志乃) - 熊井啓監督。毎日映画コンクール女優演技賞
- 1974年『サンダカン八番娼館 望郷』(三谷圭子) - 熊井啓監督。ベルリン国際映画祭出品
- 1974年『モスクワわが愛』(百合子) - 日ソ合作。アレクサンドル・ミッタ監督
- 1977年『八甲田山』(神田はつ子) - 森谷司郎監督
- 1978年『白夜の調べ』 - 日ソ合作
- 1979年『配達されない三通の手紙』(紀子)
- 1982年『ひめゆりの塔』(宮城先生)
- 1985年『男はつらいよ 柴又より愛をこめて』(真知子) - 2度目のマドンナ役
- 1990年『未来への伝言』 - 日ソ合作。企画にも参加
- 1991年『戦争と青春』
- 1992年『乳泉村の子』 - 中国映画。主演
- 2004年『ミラーを拭く男』(紀子)
- 2022年『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』(三浦綾子の声) - 山田火砂子監督
テレビドラマ[編集]
- 1964年『虹の設計』
- 1966年『若者たち』
- 1967年『三姉妹』(雪) - NHK大河ドラマ
- 1968年 - 1969年『三人家族』(稲葉敬子) - TBS・木下恵介アワー
- 1970年 - 1971年『二人の世界』(榊原麗子) - TBS・木下恵介アワー
- 1972年『新・平家物語』(北条政子) - NHK大河ドラマ
- 1974年『灯の橋』(下川文子) - TBS・東芝日曜劇場。芸術祭大賞
- 1978年『黄金の日日』(美緒) - NHK大河ドラマ
- 1981年『関ヶ原』(細川ガラシャ) - TBS
- 1983年 - 1984年『大奥』(お江与、瀧山) - フジテレビ
- 1994年『犬神家の一族』
- 2003年『箱根湯河原温泉交番』 - 日本テレビ
- 2006年『新・京都迷宮案内III』 - テレビ朝日
- 2014年『月に行く舟』 - CBC
- 2017年『おんな城主 直虎』(於大の方) - NHK大河ドラマ
舞台[編集]
- 1968年『三人姉妹』(イリーナ) - 初舞台。日生劇場
- 1969年『KEAN』(アンナ・ダンビー)
- 1971年『そよそよ族の叛乱』 - 紀伊國屋演劇賞個人賞
- 1973年『オセロ』(デスデモーナ)
- 1974年『アンナ・カレーニナ』(アンナ) - 日生劇場
- 1977年『ルル』(ルル) - 千田是也演出
- 1978年『マイ・フェア・レディ』(イライザ) - 東宝版
- 1980年『かもめ』(ニーナ)
- 1980年『NINAGAWAマクベス』(レディ・マクベス) - 蜷川幸雄演出。1985年エジンバラ芸術祭参加
- 1981年 - 1983年『櫻の園』(ラネーフスカヤ)
- 1981年『ロミオとジュリエット』(ジュリエット) - 芸術祭優秀賞
- 1986年『恋愛論』(リューバ) - 自らプロデュース。モスクワでも上演
- 1986年『セツアンの善人』(シェンテ/シュイタ) - 北京・上海・広州・香港公演
- 1988年『プレンティ』(スーザン・トラハーン)
- 1991年『復活』(カチューシャ) - 芸術祭賞
- 1994年『あれは美しい夢だった』(ニーナ/マーシャ/ラネーフスカヤ) - チェーホフ三部作
- 1995年 - 2000年『欲望という名の電車』(ブランチ) - 281回公演
- 1999年 - 2000年『肝っ玉おっ母とその子どもたち』(アンナ)
- 2009年 - 『アンナ・カレーニナ』 - エイコーン制作で全国巡演
- 2022年『松井須磨子』 - 一人芝居。三越劇場
- 2023年・2026年『愛の讃歌―ピアフ』 - 一人芝居。全国巡演
- 2025年『アンナ・カレーニナ[新版]』(アンナ) - 熊本県立劇場、三越劇場
受賞・栄典[編集]
- 1967年 エランドール賞新人賞
- 1967年 日本映画製作者協会新人賞
- 1968年 日本放送作家協会賞 女性演技者賞(『三人家族』ほか)
- 1968年 第1回テレビ大賞 優秀タレント賞
- 1971年 紀伊國屋演劇賞 個人賞(『そよそよ族の叛乱』)
- 1972年 毎日映画コンクール 女優演技賞(『忍ぶ川』)
- 1972年 ゴールデンアロー賞 映画賞
- 1972年 エールフランス女優賞
- 1981年 芸術祭賞 優秀賞(『ロミオとジュリエット』)
- 1991年 芸術祭賞(『復活』)
- 2025年 プーシキン・メダル(ロシア連邦)
国際交流[編集]
ソ連・ロシア[編集]
栗原とロシアの縁は、1974年の『モスクワわが愛』に始まる。モスフィルムと東宝が組んだこの作品は、日ソ合作映画として大きな話題を呼び、主演の栗原はソ連でも広く知られる存在になった。その後『白夜の調べ』『未来への伝言』と合作を重ね、出演したソ連との合作映画は計3本にのぼる。
舞台でもロシア文学とは切っても切れない関係にある。チェーホフ『三人姉妹』のイリーナで初舞台を踏み、『かもめ』のニーナ、『櫻の園』のラネーフスカヤと、チェーホフの代表的ヒロインをほぼ網羅。1981年の『櫻の園』はソ連から演出家を招いた公演だった。トルストイ作品では『アンナ・カレーニナ』を1974年から半世紀にわたって演じ続け、『復活』のカチューシャでも芸術祭賞を受けている。
現在は「ロシア文化フェスティバル IN JAPAN」の日本組織委員会委員長を務める。2025年のプーシキン・メダル授与は、こうした半世紀に及ぶ文化交流の延長線上にあるものとして報じられた。
中国[編集]
中国では、1978年に『サンダカン八番娼館 望郷』、1979年に『愛と死』が上映されたことで一躍人気女優になった。文化大革命後の中国で公開された日本映画は、高倉健主演作などとともに社会現象的な人気を集めたことで知られ、栗原もその代表的な顔の一人とされる。1986年には『セツアンの善人』を北京・上海・広州・香港で上演し、1990年代には中国映画『乳泉村の子』に主演。2015年にはCCTVの子ども向け番組にも出演した。日本中国文化交流協会の副会長も務めている。
欧米・アジア[編集]
1985年、蜷川幸雄演出『NINAGAWAマクベス』のレディ・マクベスとして英国のエジンバラ芸術祭に参加。同作はアムステルダム、ロンドン、ニューヨーク、オタワ、シンガポールでも上演され、日本の演劇が海外で評価される先駆けの一つになった。
人物[編集]
- バレエが原点:特技はクラシック・バレエ。『モスクワわが愛』でボリショイ劇場に留学するバレリーナ役を演じられたのも、東京バレエ学校で鍛えた素養があったからこそである。
- 家具も衣装も自作:2024年の『徹子の部屋』では、自宅の家具を木材から手作りしていることが紹介された。主演舞台の衣装デザインも15年ほど前から自ら手がけている。
- 演劇一家:父は劇作家の栗原一登、弟は演出家の加来英治。近年の『アンナ・カレーニナ[新版]』『愛の讃歌―ピアフ』『松井須磨子』は、いずれも弟の加来が構成・演出を担当しており、姉弟タッグでの舞台づくりが続いている。
- 名誉館長:福岡市の福岡県立ももち文化センター(さわらピア)の名誉館長も務めている。
- 鑑賞会の女優:近年は東京での大劇場公演よりも、全国各地の演劇鑑賞会の例会を回る巡演が活動の中心。熊本、中国地方、東海・北陸、東北と、毎年のように地方の観客の前に立っている。
炎上とバズ[編集]
2025年11月のプーシキン・メダル授与は、ウクライナ侵攻下のロシアで、プーチン大統領から直接勲章を受けたことから大きく報じられた。報道では、ロシア側が国際的に孤立していないことを示す狙いがあるとの見方も伝えられ、授与の時期をめぐって注目が集まった。栗原自身は長年、日ロの文化交流の現場に立ってきた人物であり、本人の活動と政府側の政治的文脈は分けて考える必要があるという指摘もある。
余談[編集]
- 寅さんのマドンナを2度務めた。1970年の『新・男はつらいよ』と、15年後の1985年『柴又より愛をこめて』である。シリーズで複数回マドンナを務めた女優には浅丘ルリ子などがいる。
- 『モスクワわが愛』の共演者には、のちにソ連を代表する俳優になるアレクサンドル・アブドゥロフが新郎役で出ている。
- モスクワ国際映画祭の審査員を2度(1975年・1981年)務めた日本人女優でもある。
- 『欲望という名の電車』のブランチ役は5年間で281回。一つの役をこれだけの回数演じた例は新劇でも多くない。
- 『アンナ・カレーニナ』は1974年の初演から2025年の[新版]まで、約50年にわたり同じ役を演じ続けている。
- 東京スポーツの「今週の秘蔵フォト」では、33歳当時の写真が「吉永小百合と並ぶ〝別格〟名女優」として紹介された。
