| 若尾文子 わかお あやこ / Ayako Wakao | |
|---|---|
![]() 大映時代のスチル写真(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン) | |
| 誕生日 | 1933年11月8日 |
| 年齢 | 92歳 |
| 出身地 | 東京都豊島区(戦時中は宮城県仙台市に疎開) |
| 国籍 | 日本 |
| ジャンル | 映画、テレビドラマ、舞台 |
| 活動期間 | 1952年 - |
| デビューアルバム | 1952年 映画『死の街を脱れて』 |
| 家族 | 夫・黒川紀章(建築家、1983年結婚、2007年死別) |
| 血液型 | A |
| 代表作 | 『祇園囃子』、『赤線地帯』、『青空娘』、『浮草』、『女は二度生まれる』、『妻は告白する』、『雁の寺』、『しとやかな獣』、『卍』、『清作の妻』、『刺青』、『赤い天使』 |
| あだ名 | あやや |
| その他 | 大映第5期ニューフェイス。「大映三大女優」の一人。ブルーリボン賞主演女優賞2回、キネマ旬報主演女優賞3回、毎日映画コンクール田中絹代賞 |
概要[編集]
若尾文子(わかお あやこ、1933年11月8日 - )とは、東京都出身の女優である。1951年に大映へ入社し、溝口健二・川島雄三・増村保造ら名匠の作品で主演を重ね、京マチ子・山本富士子と並ぶ「大映三大女優」と呼ばれた。清純な娘役から男を破滅させる悪女まで演じ分けた日本映画黄金期の顔で、出演作は160本以上。夫は建築家の黒川紀章。
詳細[編集]
代役デビューから「性典女優」へ[編集]
映画界に入るきっかけは、疎開先の仙台市で大スター・長谷川一夫に会ったことだった。とっさに「女優になりたい」と口にしたのが縁となり、家族が大映の新人募集に応募。1951年、大映の第5期ニューフェイスとして入社した。
デビューは1952年の『死の街を脱れて』。病気で降板した久我美子の代役という、言ってしまえば「ピンチヒッター」での銀幕入りだった。ところが翌1953年、島耕二監督の『十代の性典』で一気に人気者になる。思春期の少女たちの性の悩みを描いた作品で、続編が次々と作られて「性典ブーム」を巻き起こした一方、教育関係者からは批判も浴びた。この年だけで9本に出演するというハイペースで、10代の若尾は「性典女優」というレッテルとともに売り出されていった。
溝口健二が見抜いた本物[編集]
そのイメージを塗り替えたのが、同じ1953年に溝口健二監督が撮った『祇園囃子』である。京都・祇園で舞妓としてデビューする少女・栄子(美代栄)を演じ、新人ながら演技力で評価を勝ち取った。溝口はさらに1956年の『赤線地帯』でも若尾を起用。売春防止法の成立前夜を舞台に、吉原の娼婦たちを描いた群像劇で、若尾はしたたかに金を貯める娼婦やすみを演じた。この作品は溝口の遺作となった。
1959年には小津安二郎が大映で撮った唯一の作品『浮草』に出演。旅回り一座の若い女優・加代を演じ、京マチ子らと共演した。わずか数年のうちに、溝口・小津という日本映画を代表する二人の巨匠の作品に出たことになる。
増村保造という「特別な人」[編集]
若尾のキャリアを語るうえで欠かせないのが増村保造監督である。1957年の『青空娘』に始まり、およそ12年間で約20本のコンビ作を残した。増村は若尾を最も多く起用した監督で、若尾自身も「私にとって増村さんはとても特別な人」「ひときわいい刺激を与えてくださった方」と繰り返し語っている。個人的な会話は少なかったが、増村から「妹みたいなもの」と言われたこともあるという。
『青空娘』『最高殊勲夫人』の明るく健気なヒロインから、夫殺しの疑いで裁かれる妻を演じた『妻は告白する』(1961年)、谷崎潤一郎原作の同性愛と破滅を描いた『卍』(1964年)、夫を戦地へ戻らせないためにその目を潰す女を演じた『清作の妻』(1965年)、背中に女郎蜘蛛を彫られた女の『刺青』(1966年)、戦地の従軍看護婦を演じた『赤い天使』(1966年)まで、増村作品の若尾は情念と意志の強さで観客を圧倒した。清純派から「ファム・ファタール」へ。この振れ幅こそが若尾文子を特別な存在にしている。
川島雄三の3本と「いちばん難しかった役」[編集]
晩年の川島雄三が大映で撮った3本、『女は二度生まれる』(1961年)、『雁の寺』(1962年)、『しとやかな獣』(1962年)はいずれも若尾主演である。『女は二度生まれる』では奔放に生きる芸者・小えんを、水上勉原作の『雁の寺』では寺の住職の囲われ者・桐原里子を演じた。
『しとやかな獣』は団地に住む詐欺師一家と、彼らから金を巻き上げる会計係の女・三谷幸枝の物語。若尾は後年、この作品を約160本の出演作の中で「最も難しかった」と振り返り、「自分らしくない役で、どうしていいか分からないところが随分あった」と語っている。その一方で川島監督については「役者に自由にやらせてくれる人」とし、作品を「ちょっと変わった映画でしょ。でも色気のある面白い映画」と評した。
経歴[編集]
1933年 - 1951年:東京生まれ、仙台育ち[編集]
1933年11月8日、東京都豊島区に生まれる。5人きょうだいの末っ子だった。戦時中は宮城県仙台市に疎開した。学校では物静かで、家ではきょうだいに強気な少女だったという。女学生時代は読書に没頭し、友人からは「石仏」というあだ名をつけられていた。物語の登場人物に自分を重ねる感覚が、のちの女優志望につながったとされる。
仙台で長谷川一夫に会った際に女優志望を伝えたことがきっかけとなり、家族が大映の募集に応募。1951年、大映第5期ニューフェイスに合格した。
1952年 - 1950年代:スター街道[編集]
1952年、久我美子の代役として『死の街を脱れて』でデビュー。同年は『猛獣使いの少女』『明日は日曜日』などにも出演した。1953年に『十代の性典』がヒットし、同年の『祇園囃子』で溝口健二の評価を得る。1953年は1年で9本に出演している。
1956年に溝口の遺作『赤線地帯』、1957年に増村保造との最初のコンビ作『青空娘』、同年に『朱雀門』で和宮を演じた。1958年には大映オールスターの『忠臣蔵』にも出演。1959年は小津安二郎の『浮草』、増村の『最高殊勲夫人』と話題作が続いた。
1960年代:大映の看板として[編集]
1960年代前半は若尾の黄金期で、5年間に42本もの映画に出演したとされる。1960年には市川崑監督の『ぼんち』で京マチ子、越路吹雪らと共演。同年の増村監督『からっ風野郎』では、作家の三島由紀夫が主演を務め、若尾はその相手役を演じた。
1961年は『女は二度生まれる』と『妻は告白する』が公開され、この年の演技でブルーリボン賞とキネマ旬報の主演女優賞を受賞。1962年に『雁の寺』『しとやかな獣』『爛』、1963年に吉村公三郎監督の『越前竹人形』、市川崑監督の『雪之丞変化』に出演した。『雪之丞変化』は、かつて若尾が女優志望を打ち明けた長谷川一夫の主演作である。
1964年『卍』、1965年『清作の妻』、1966年『刺青』『赤い天使』、1967年『華岡青洲の妻』と増村作品が続き、1965年の演技で再びブルーリボン賞・キネマ旬報の主演女優賞を受賞。1968年度にもキネマ旬報主演女優賞を受け、同賞は通算3回となった。私生活では1963年に一度目の結婚をしたが、1969年に離婚している。
1970年代 - 1990年代:テレビと舞台へ[編集]
1970年には『座頭市と用心棒』に出演。1971年に大映が倒産すると、活動の場をテレビドラマや舞台へ移した。同年には山田洋次監督の『男はつらいよ 純情篇』でマドンナ・明石夕子を演じ、渥美清演じる寅さんを惑わせている。舞台は川端康成原作の『雪国』でデビューした。
テレビではNHK大河ドラマの常連となり、1972年『新・平家物語』の常盤御前、1975年『元禄太平記』に出演。1988年の大河ドラマ『武田信玄』では、戦国大名武田信玄の母・大井夫人を演じると同時にナレーションも担当した。1987年には市川崑監督の映画『竹取物語』、1998年には大河ドラマ『徳川慶喜』で慶喜の母・吉子を演じている。
1983年、建築家の黒川紀章と結婚した。
2000年代 - 2010年代:黒川紀章との別れ、白戸家[編集]
2003年の大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』では淀殿を演じた。2005年には行定勲監督が三島由紀夫原作を映画化した『春の雪』に、月修寺の門跡役で出演している。
2007年は夫婦にとって激動の年になった。黒川紀章が4月の東京都知事選挙に立候補(現職の石原慎太郎が当選)し、続く7月の第21回参議院議員通常選挙では黒川が結成した共生新党から若尾も比例代表で立候補。党内最多の6万5267票を得たが議席には届かなかった。同年10月12日、黒川が73歳で死去した。
2011年にはNHK連続テレビ小説『おひさま』で、主人公・陽子の晩年を演じつつ語り手も務め、朝ドラファンにも存在感を示した。2013年にはソフトバンクのCM「白戸家」シリーズに、お父さん犬の母・文子役で登場。同年、山梨文学シネマアワード2013で「リヤドロ・グランド・マスタークラス・アワード」を受賞した。2015年には出演作を一挙に上映する「若尾文子映画祭 青春」が開かれ、舞台挨拶で増村・川島作品の思い出を語った。
2020年 - 2024年:4K復元と2度目の映画祭[編集]
2020年2月28日から、2度目となる「若尾文子映画祭」が開催され、41作品を上映。『刺青』『赤線地帯』など6作が4K復元版で上映された。4K化によって大映作品の画面が鮮明によみがえり、若い映画ファンが大スクリーンで若尾を「発見」するきっかけにもなった。
2025年 - 2026年:3度目の映画祭と90代の現在[編集]
2025年、5年ぶり3度目となる「若尾文子映画祭 Side.A & Side.B」が開催された。明るく純粋な役柄を集めた「Side.A」と、濃厚で妖しい役柄を集めた「Side.B」の2部構成で、各18本・計36本を上映。角川シネマ有楽町でSide.Aが6月6日から19日、Side.Bが6月20日から7月3日まで上映され、6月21日からは大阪府のシネ・ヌーヴォでも始まり、以後全国を巡回した。Side.Aの『青空娘』『最高殊勲夫人』、Side.Bの『妻は告白する』『清作の妻』が4K版として初披露されたほか、戦後80年企画として正式デビュー前の出演作『長崎の歌は忘れじ』(1952年)も特別上映された。一人の女優の出演作が3度にわたって全国規模で特集上映されるのは異例とされる。
同じ2025年の4月27日から6月14日には、東京・ラピュタ阿佐ケ谷でも「若尾文子映画祭 大映〈プログラムピクチャー〉の職人監督と」と題し、島耕二・三隅研次・井上梅次・池広一夫ら職人監督と組んだ26作品が上映された。名匠の代表作だけでなく、量産時代の娯楽作まで掘り起こされたかたちである。
2026年に入っても再評価は続き、1月には文春オンラインが芝山幹郎の著書『スターは楽し』から若尾文子の章を掲載し、「何度も繰り返し観たくなる、まるで飲み飽きないブルゴーニュのような」スターと評した。3月にはBS10プレミアムが1960年代の出演作5本を特集放送し、『妻は告白する』『しとやかな獣』『卍』『清作の妻』『赤い天使』が朝と深夜の2枠で放送された。2026年11月8日で93歳を迎える。
大映三大女優[編集]
1950年代から60年代にかけての大映は、時代劇の市川雷蔵・勝新太郎と並んで、女優陣の層の厚さで知られた。その筆頭が京マチ子、山本富士子、そして若尾文子の3人で、「大映三大女優」と呼ばれる。
京マチ子は『羅生門』『雨月物語』などで国際的な評価を得た肉感的なスター、山本富士子は第1回ミス日本出身の正統派美人女優。最年少の若尾はこの二人と『赤線地帯』(京)、『浮草』(京)、『ぼんち』(京・山本)などで共演しながら、増村保造とのコンビで「現代的で自我の強い女」という独自の領域を切り開いた。2025年の映画祭でも、共演者として京マチ子、山本富士子、市川雷蔵、勝新太郎、田宮二郎らの名前が並んでいる。
大映は1971年に倒産し、その映画資産は現在KADOKAWAが受け継いでいる。若尾の映画祭がたびたびKADOKAWA系の劇場(角川シネマ有楽町など)で開かれ、4K復元が進められているのはこのためである。
主な出演作[編集]
映画[編集]
- 1952年『死の街を脱れて』(南節子) - デビュー作。久我美子の代役
- 1952年『明日は日曜日』(山吹桃子)
- 1953年『十代の性典』(高梨英子)
- 1953年『祇園囃子』(栄子/美代栄) - 溝口健二監督
- 1956年『赤線地帯』(やすみ) - 溝口健二監督の遺作
- 1957年『朱雀門』(和宮)
- 1957年『青空娘』(有子) - 増村保造との初コンビ作
- 1958年『忠臣蔵』(おすず)
- 1959年『浮草』(加代) - 小津安二郎監督
- 1959年『最高殊勲夫人』 - 増村保造監督
- 1960年『からっ風野郎』(小泉芳江) - 三島由紀夫主演
- 1960年『ぼんち』 - 市川崑監督
- 1961年『女は二度生まれる』(小えん) - 川島雄三監督
- 1961年『妻は告白する』(彩子) - 増村保造監督
- 1962年『雁の寺』(桐原里子) - 川島雄三監督、水上勉原作
- 1962年『しとやかな獣』(三谷幸枝) - 川島雄三監督
- 1962年『爛』 - 増村保造監督
- 1963年『越前竹人形』 - 吉村公三郎監督
- 1963年『雪之丞変化』(浪路) - 市川崑監督、長谷川一夫主演
- 1964年『卍』(徳光光子) - 増村保造監督、谷崎潤一郎原作
- 1965年『清作の妻』(お兼) - 増村保造監督
- 1966年『刺青』(お艶) - 増村保造監督、谷崎潤一郎原作
- 1966年『赤い天使』(西さくら) - 増村保造監督
- 1967年『華岡青洲の妻』 - 増村保造監督
- 1968年『鉄砲伝来記』(若狭)
- 1970年『座頭市と用心棒』(梅乃)
- 1971年『男はつらいよ 純情篇』(明石夕子) - マドンナ役
- 1975年『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(本人) - ドキュメンタリー
- 1987年『竹取物語』(田吉女) - 市川崑監督
- 2005年『春の雪』(月修寺門跡) - 行定勲監督
テレビドラマ[編集]
- 新・平家物語(1972年、NHK大河ドラマ) - 常盤御前
- 元禄太平記(1975年、NHK大河ドラマ)
- 武田信玄(1988年、NHK大河ドラマ) - 大井夫人、語り
- 徳川慶喜(1998年、NHK大河ドラマ) - 吉子
- 名探偵信濃のコロンボ(1998年、フジテレビ)
- 捜査検事・近松茂道(2002年)
- 武蔵 MUSASHI(2003年、NHK大河ドラマ) - 淀殿
- おひさま(2011年、NHK連続テレビ小説) - 晩年の丸山陽子、語り
CM[編集]
- ソフトバンク「白戸家」シリーズ(2013年) - お父さん犬の母・文子
舞台[編集]
- 雪国(川端康成原作) - 舞台デビュー作
受賞歴[編集]
- ブルーリボン賞 主演女優賞(1961年度、1965年度)
- キネマ旬報賞 主演女優賞(1961年度、1965年度、1968年度)
- 毎日映画コンクール 田中絹代賞(2005年度)
- 山梨文学シネマアワード2013 リヤドロ・グランド・マスタークラス・アワード(2013年)
1961年度は『妻は告白する』『女は二度生まれる』、1965年度は『清作の妻』など、いずれも増村保造・川島雄三と組んだ時期の演技が評価されたものである。
人物[編集]
- 美容と健康:美白の秘訣は睡眠だと語り、紫外線対策は日焼け止めより日傘・帽子・サングラス派。食べすぎない、寝る前には食べない、冬は神社の周りを早足で歩く、といった健康法を明かしている。
- 「石仏」と呼ばれた少女:女学生時代は本ばかり読み、物静かな様子から友人に「石仏」とあだ名された。のちに奔放な芸者や情念の女を演じる大女優の少女時代としては意外な一面である。
- 市川雷蔵との思い出:大映時代の共演者・市川雷蔵については、2014年のイベントで、雷蔵にイジられた過去を明かして会場を沸かせた。
- 越路吹雪との入浴シーン:『ぼんち』で京マチ子、越路吹雪と入浴シーンを撮った際、「越路さんって歌を歌っている方で映画の人ではないから、一緒にお風呂に入っていてビックリしちゃった」と振り返っている。
- 「あやや」:愛称は「あやや」。白戸家CMへの出演で若いファンが増えたことに驚いたと語っている。
家族[編集]
最初の結婚は1963年、30歳のとき。相手は西館宏幸で、1969年に離婚した。
1983年、50歳で建築家の黒川紀章と再婚した。二人が出会ったのはテレビ番組の対談で、黒川には当時妻子がいたため、正式に結婚するまで約7年かかったとされる。結婚後は互いに多忙ですれ違うことも多かったが、若尾が夫のために手作りの弁当を届けたという話が伝わっている。
2007年には黒川の政治活動に寄り添い、共生新党から参院選に立候補。その年の10月12日に黒川は73歳で亡くなった。最後の会話で若尾が「いい妻でなかったのでは」と尋ねると、黒川は心から愛していたと答えたという。二人の間に子どもはいない。
評価・影響[編集]
若尾文子の評価は、大映倒産から半世紀がたった今も上がり続けている。2015年・2020年・2025年と5年おきに開かれた映画祭はいずれも大規模なもので、4K復元版の上映が若い世代の観客を呼び込んだ。
評論家の芝山幹郎は、若尾を「同じ産地でも畑や年によって印象が変わる」ブルゴーニュのワインにたとえ、何度観ても飽きない女優だと評した。増村保造の作品群は「自分の欲望と意志で動く女」を描いた作品として語られることが多く、そのほとんどで主演を務めたのが若尾である。
同世代の女優には、同じ1933年生まれの草笛光子がいる。また、松竹の岩下志麻、日活の吉永小百合・浅丘ルリ子らより一世代上にあたり、原節子らと同じく、映画会社の専属スターとして撮影所で育った世代にあたる。
余談[編集]
- デビュー作『死の街を脱れて』は久我美子の代役。「代役から始まった大女優」という点で、のちのキャリアとのギャップがよく語られる。
- 『十代の性典』のヒットで「性典女優」と呼ばれた若尾が、のちに谷崎潤一郎原作の『卍』『刺青』で官能的な役を演じたことから、清純派と悪女の両方を極めた女優として語られる。
- 2025年の映画祭のポスターは2種類。Side.Aは『青空娘』のヒロイン、Side.Bは『妻は告白する』の彩子が使われ、「天使と悪魔」のような二面性を打ち出した。
- 女優志望を打ち明けた相手・長谷川一夫とは、のちに市川崑監督の『雪之丞変化』で共演している。
- ソフトバンクの白戸家CMでは、お父さん犬の母・文子という役名で、本人と同じ「文子」の名前だった。
- 大河ドラマ『武田信玄』では、各回の最後に大井夫人として語る「今宵はここまでに致しとうござりまする」が名物になったとされる。
