| 浮雲 Floating Clouds(英)/ Nuages flottants(仏) | |
|---|---|
![]() 1955年公開時のポスター(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン) | |
| 監督 | 成瀬巳喜男 |
| 製作 | 藤本真澄 |
| 脚本 | 水木洋子 |
| 原作 | 林芙美子『浮雲』 |
| 出演 |
高峰秀子 森雅之 岡田茉莉子 山形勲 中北千枝子 加東大介 |
| 撮影 | 玉井正夫 |
| 音楽 | 斎藤一郎 |
| ジャンル | 文芸映画、メロドラマ |
| 撮影期間 | 1954年10月 - |
| 制作会社 | 東宝 |
| 配給 | 東宝 |
| フォーマット | 白黒、スタンダード(1.37:1) |
| 劇場公開 | 1955年1月15日 |
| 配信 | U-NEXT(見放題)ほか |
| 上映時間 | 123分(資料により124分) |
| 言語 | 日本語 |
| レイティング | G |
概要[編集]
浮雲(うきぐも)とは、1955年に東宝が公開した日本映画で、林芙美子の同名小説を成瀬巳喜男が監督し、高峰秀子と森雅之が主演した作品である。戦時中の仏印で出会った男女が、敗戦後の日本で別れと再会を延々と繰り返す「腐れ縁」を描き、成瀬の最高傑作、ひいては日本映画史上屈指の恋愛映画とされる。
詳細[編集]
原作と成瀬巳喜男[編集]
原作は林芙美子の長編小説『浮雲』。雑誌連載を経て1951年に単行本化され、同年6月に林は急逝したため、事実上の晩年の代表作、最後の完成長編となった。林は物語の最後の舞台とするため、1950年に実際に屋久島を訪れている。鹿児島は林が少女時代を過ごした土地でもあり、屋久島には現在も林芙美子の記念碑・文学碑が残る。
監督の成瀬巳喜男は、1930年代から林芙美子作品の映画化を熱望していた人物である。松竹時代の1934年には林原作の企画を撮影所長に却下され、これがPCL(のちの東宝)への移籍の一因になったとも言われる。戦後、長い不振期を『銀座化粧』(1951年)や『めし』(1951年)で抜け出した成瀬は、以後『稲妻』『妻』『晩菊』と林原作を次々に映画化。『浮雲』は通算5本目の林作品で、成瀬自身が撮影開始時に「林文学の卒業論文」と位置づけたとされる。最終的に成瀬は林原作を6本撮り、1962年の『放浪記』で締めくくった。
脚本・水木洋子[編集]
脚本は、『ひめゆりの塔』『にごりえ』などで知られる女性脚本家の水木洋子。原作の筋立てにはかなり忠実でありながら、語りの順番を大胆に圧縮・組み替えている。原作の最終章(第67章)は意図的に映画化されず、物語はヒロイン・ゆき子の死の直後で幕を閉じる。
水木はゆき子と富岡がなぜ何度別れてもよりを戻すのかについて、身も蓋もなく「身体の相性が良かったからに決まっている」という趣旨の発言を残している。格調高い文芸映画のイメージとは裏腹に、作り手側はかなりドライに男女を見ていたわけである。
撮影[編集]
撮影は1954年10月に開始。成瀬は「全力を注ぐ」と宣言して臨んだとされる。撮影の玉井正夫、音楽の斎藤一郎、美術の中古智という、いわゆる「成瀬組」の主要スタッフが総結集し、チーフ助監督には若き日の岡本喜八が就いた。
仏印(現在のベトナム)と屋久島の場面は、現地ロケではなく伊豆(静岡県)で撮影されている。森の中の浮き橋などはこの伊豆ロケの産物である。一方、屋久島へ渡る船の出る港の場面は、実際に鹿児島で撮影された。冒頭のゆき子が引揚船で日本に上陸する場面は、当時の「日本ニュース」の実写映像を流用したものであることが研究で指摘されている。
公開と大成功[編集]
1955年1月15日に東宝系で公開。同年度のキネマ旬報ベスト・テンで日本映画第1位に輝き、ブルーリボン賞作品賞、毎日映画コンクール日本映画大賞と、主要映画賞を総なめにした。日本国内では成瀬作品の中で最も人気の高い1本であり、成瀬の評価を「職人監督」から「巨匠」へと押し上げた決定打となった。
あらすじ[編集]
※以下、結末までのネタバレを含む。
1943年(昭和18年)、タイピストの幸田ゆき子は、農林省の仕事で仏印(フランス領インドシナ)の高原の町ダラットに赴任する。そこで出会った農林省技師の富岡兼吾は、最初こそ冷淡だったが、やがて2人は恋に落ちる。富岡には日本に残した妻・邦子がいたが、彼は「日本に帰ったら妻と別れる」と約束する。
敗戦後、先に引き揚げた富岡を追って、ゆき子もようやく帰国する。しかし東京の富岡の家を訪ねてみると、彼は妻と別れておらず、煮え切らない態度を取るばかり。失意のゆき子は焼け跡の東京で米兵ジョーの情婦となって暮らしを立てる。
それでも2人は再び会い、関係はずるずると続く。富岡と旅に出た伊香保温泉で、2人は飲み屋「ボルネオ」の主人・向井清吉とその若い妻おせいに出会うが、富岡はおせいとも関係を持ってしまう。それを知ったゆき子は富岡のもとを去る。
やがてゆき子は富岡の子を妊娠していることに気づく。富岡を訪ねると、彼は清吉の家を飛び出してきたおせいと同棲していた。ゆき子は、かつて自分を囲っていた義兄・伊庭杉夫から金を借りて中絶する。その後、嫉妬に狂った清吉がおせいを殺害したことが新聞で報じられる。
伊庭は新興宗教「大日向教」の教祖に収まっており、ゆき子はその金を持ち出して富岡のもとへ走る。落ちぶれた富岡は、妻・邦子が病死したことを告げ、屋久島の営林署へ赴任することになったと話す。ゆき子は病身を押して同行するが、鹿児島で体調を崩し、雨の降り続く屋久島に渡った直後、富岡が山に入っている間に息を引き取る。知らせを受けて駆けつけた富岡は、ランプの灯りでゆき子の顔を照らしながら、泣きながら死化粧を施すのだった。
登場人物とキャスト[編集]
| 役名 | 俳優 | 備考 |
|---|---|---|
| 幸田ゆき子 | 高峰秀子 | 主人公。仏印でタイピストとして働いていた女性 |
| 富岡兼吾 | 森雅之 | 農林省の技師。妻帯者。当時は大映所属 |
| おせい | 岡田茉莉子 | 伊香保温泉の飲み屋「ボルネオ」の若妻 |
| 伊庭杉夫 | 山形勲 | ゆき子の義兄。のちに新興宗教の教祖に |
| 邦子 | 中北千枝子 | 富岡の妻 |
| 向井清吉 | 加東大介 | 「ボルネオ」の主人。おせいの夫 |
| 屋久島のおばさん | 千石規子 | 当時は東映所属 |
| 牧田 | 村上冬樹 | 仏印の所長 |
| 比嘉 | 大川平八郎 | 鹿児島の医者 |
| 加納 | 金子信雄 | 仏印の所員 |
| ジョー | ロイ・ジェームス | 米兵 |
| 大日向教教主 | 林幹 | |
| 太田金作 | 瀬良明 | |
| 富岡の母 | 木村貞子 |
主人公ゆき子を演じた高峰秀子は、子役時代から国民的スターだった女優で、本作の時点で既に木下惠介の『二十四の瞳』(1954年)で国民的評価を得ていた。清純派の大石先生から一転、ずるずると男に引きずられていく女を演じきったことで、演技派としての地位を決定的にした。ニューヨークのジャパン・ソサエティは2025年の上映解説で、本作の高峰を「おそらく彼女の最高の演技」と紹介している。
富岡役の森雅之は、作家・有島武郎の長男で、黒澤明の『羅生門』や溝口健二の『雨月物語』にも出演した大映の看板俳優。優柔不断で女にだらしなく、それでいて妙に色気のある「ダメ男」の典型を演じ、富岡は日本映画史に残るダメ男キャラクターとしてしばしば挙げられる。
おせい役の岡田茉莉子は当時20代前半。成瀬の『舞姫』(1951年)で映画デビューした、いわば成瀬門下の若手で、本作の撮影は主演作『芸者小夏』(1954年)と並行して行われた。
原作との違い[編集]
映画は原作の大筋を忠実になぞっているが、細部には成瀬と水木による意図的な改変が多い。研究者による比較で指摘されている主な違いは以下の通りである。
| 項目 | 原作小説 | 映画 |
|---|---|---|
| 結末 | ゆき子の死後も物語が続く(最終第67章) | 最終章を省き、ゆき子の死と富岡の慟哭で終わる |
| 富岡の妻の家を訪ねる場面 | ゆき子は戸口でためらう | ゆき子は即座に邦子と対面し、衝動的で大胆に見える |
| ゆき子の人物像 | 自意識の強い成熟した女性 | マフラーや甘えた口調など、子供っぽい仕草が加えられている |
| 伊庭との過去 | 上京後まもなく関係を強いられ、約3年続いた経緯が書き込まれている | 短い衝撃的な回想シーンとして処理 |
| 伊庭と蕎麦屋で会う場面 | 向かい合って座り、ゆき子が優位に立つ | 並んで座り、伊庭がゆき子に覆いかぶさるように迫る |
| 屋久島への船出の音楽 | ドヴォルザーク「新世界より」 | 「蛍の光」に変更 |
| 鹿児島の医者・比嘉 | 若い医師 | 中年の医師(大川平八郎)として、別れの場面が膨らまされている |
全体として、映画版のゆき子は原作よりも主体性を削られ、「男に振り回される被害者」としての側面が強調されている、とする研究もある。一方で、高峰秀子の演技によってゆき子の情念の強さはむしろ増幅されているという見方もあり、このあたりは今も議論が続くポイントである。
ラストシーンをめぐる攻防[編集]
実は成瀬は当初、ゆき子の死を描くことに消極的だった。1954年、水木が脚本を執筆している段階で、成瀬は「2人が鹿児島を発つ前で終わらせたい」と求めたとされる。これに水木が抵抗し、最終的に物語は屋久島まで描かれることになった。
ところが公開後の1955年、成瀬は高峰秀子との対談で「鹿児島で終わってもよかったが、遠い土地で死んでいくゆき子の孤独を出すには屋久島がよかった」という趣旨の発言をしており、撮る過程で考えが変わったことがうかがえる。
最後の枕元の場面も、脚本と完成版では大きく異なる。脚本では富岡がゆき子のまぶたを開き、髪を梳く動作が書かれていたが、成瀬はこれをカットし、代わりにランプでゆき子の顔を照らして口紅を引く死化粧の場面にした。プロデューサーの藤本真澄はこのラストについて「これでは映画が終わらない」と難色を示し、成瀬を怒らせたという話が伝わっている。
製作[編集]
高峰秀子の出演拒否[編集]
意外なことに、高峰秀子は当初この役を断ったとされる。「大恋愛映画は自分にはできない」というのが理由だったが、その意思表示として台本を全部読み上げたテープを送ったところ、それがかえって「やる気の表れ」と受け取られ、いっそう強く出演を依頼される結果になった、という逸話が残っている。
成瀬組と高峰秀子[編集]
成瀬と高峰の本格的なコンビは『稲妻』(1952年)から始まり、この協力関係が成瀬の後半生を決定づけたと評される。高峰はその後も『あらくれ』(1957年)、『女が階段を上る時』(1960年)、『放浪記』(1962年)、『乱れる』(1964年)など成瀬作品に出演し続け、2人の組んだ作品は戦前の『秀子の車掌さん』(1941年)を含め十数本に及ぶ。『浮雲』はその頂点に位置する作品である。
成瀬は現場でほとんど演技指導をしない監督として知られた。2025年に岡田茉莉子が語ったところによれば、成瀬に褒められたのはただ一度、高峰と森を見送った後に家の戸を閉める所作だけだったという。伊香保温泉の場面も、成瀬から具体的な指示はなく、森と2人で自由に演じた結果だったと振り返っている。
演出の工夫[編集]
仏印時代の回想シーンは、既に撮った素材の使い回しではなく撮り直されており、脚本にあったミモザの花や木陰のテーブルといったイメージは削られ、ゆき子の表情もずっと明るいものになっている。この場面では、成瀬作品としては珍しく富岡の視点ショットが使われている。また、仏印での口づけと東京の宿での口づけを同じ構図でつなぎ、2つの時代を溶け合わせる編集も施されている。
成瀬の映画は「歩く映画」と評されることがあり、本作でもゆき子と富岡が焼け跡や裏通りを延々と歩き続ける場面が繰り返し登場する。戦後の食糧難、住宅難、敗戦の虚脱、米兵相手の売春といった時代の空気が、2人の行き詰まりと重ね合わされている、という指摘は海外の研究者からもなされている。
評価[編集]
受賞歴[編集]
| 賞 | 部門 | 対象 |
|---|---|---|
| 第29回キネマ旬報ベスト・テン(1955年度) | 日本映画第1位 | 浮雲 |
| 監督賞 | 成瀬巳喜男 | |
| 主演女優賞 | 高峰秀子 | |
| 主演男優賞 | 森雅之 | |
| 第6回ブルーリボン賞(1955年度) | 作品賞 | 浮雲 |
| 第10回毎日映画コンクール(1955年度) | 日本映画大賞 | 浮雲 |
| 監督賞 | 成瀬巳喜男 | |
| 女優主演賞 | 高峰秀子 | |
| 録音賞 | 下永尚 |
オールタイム・ランキング[編集]
公開から70年が経った今も、日本の映画人・評論家によるオールタイム・ベストの常連である。
| 年 | ランキング | 順位 |
|---|---|---|
| 1959年 | キネマ旬報「日本映画60年記念」ベスト・テン | 第6位 |
| 1989年 | キネマ旬報「日本映画史上ベスト・テン」 | 第4位 |
| 1989年 | 文藝春秋「大アンケートによる日本映画ベスト150」 | 第5位 |
| 1995年 | キネマ旬報「オールタイムベスト・テン」日本映画編 | 第3位 |
| 1999年 | キネマ旬報「映画人が選ぶオールタイムベスト100」日本映画編 | 第2位 |
| 2009年 | キネマ旬報「映画人が選ぶオールタイムベスト・テン」日本映画編 | 第3位 |
小津安二郎の『東京物語』や黒澤明の『七人の侍』と並び、日本映画のオールタイム・ベスト上位を争う常連の1本と言ってよい。
小津安二郎の絶賛[編集]
本作の評価を語る上で欠かせないのが、小津安二郎のエピソードである。小津は公開時に本作を観て、日記に「名作」と記したとされる。さらに「俺にできないシャシンは溝口の『祇園の姉妹』と成瀬の『浮雲』だけだ」と語ったという話が広く知られている。自他ともに認める完璧主義者で、他人の映画をめったに褒めなかった小津が、溝口健二の戦前の傑作と並べて名を挙げたことは、成瀬の評価を語る際の定番エピソードになっている。
海外での評価[編集]
成瀬は長らく黒澤明・溝口健二・小津安二郎に次ぐ「日本の第4の巨匠」と呼ばれ、海外では前の3人に比べて紹介が遅れた。それでも1980年代以降、バークレー・アート・ミュージアム(1981年)、ニューヨーク近代美術館(1985年)、ハーバード・フィルム・アーカイブ(2005年)、シネマテーク・フランセーズ(2012年・2018年)などで回顧上映が重ねられ、フランスでは1984年に初公開されている。2025年にはニューヨークのジャパン・ソサエティが成瀬特集を組み、公開70周年記念として上映した本作の回は完売した。
4K修復版と近年の再評価[編集]
2025年カンヌ国際映画祭[編集]
2025年、東宝アーカイブ株式会社が東宝グローバル株式会社と協力して本作の4Kデジタル修復を実施。この修復版は第78回カンヌ国際映画祭の「カンヌ・クラシックス」部門に公式選出され、上映されて高い評価を受けた。映画祭の公式サイトは、本作を成瀬による林芙美子原作の6本の映画化作品のひとつとして紹介している。
フランスでは配給会社カルロッタ・フィルムズが権利を持ち、2025年10月15日に『Nuages flottants』のタイトルで劇場リバイバル公開された。さらに2026年2月17日には、新4K修復版を元にしたフランス初のBlu-rayが発売され、カンヌでの上映時の紹介映像や、林芙美子についてのドキュメンタリーなどが特典として収録されている。
日本での4K版初上映[編集]
日本では、2025年11月1日、第38回東京国際映画祭「日本映画クラシックス」部門の「生誕120年 成瀬巳喜男特集」で、角川シネマ有楽町にて新4Kデジタルリマスター版が日本初上映された。上映後には、おせい役の岡田茉莉子(当時92歳)が70年前の台本を手に登壇。久しぶりに観直しても「退屈しなかった」と語り、成瀬の優しさや、友人のように接してくれた高峰秀子、役柄とは正反対に明るく冗談好きだった森雅之の素顔を振り返った。この特集では本作のほか『めし』『銀座化粧』の4K版も上映されている。
なお、それ以前にも「4Kデジタルリマスター版」と銘打ったバージョンは存在しており、2019年に神保町シアターで2K上映されている。2025年の修復版はこれとは別の新たな修復である。
2026年の状況[編集]
2026年には、CS放送の日本映画専門チャンネルで新4Kデジタルリマスター版(2Kダウンコンバート)が8月末から9月にかけて放送された。また、第39回東京国際映画祭(2026年)では、成瀬の『女が階段を上る時』(1960年)と遺作『乱れ雲』(1967年)の4K版が世界初上映されることが発表されており、『浮雲』『めし』に始まった成瀬作品の4K化プロジェクトは継続中である。
視聴方法[編集]
2026年10月時点で確認できる主な視聴方法は以下の通り。配信状況は変動するため、各サービスで確認されたい。
| 種類 | サービス | 備考 |
|---|---|---|
| 見放題配信 | U-NEXT | 通常版 |
| レンタル・購入 | Amazon Prime Video、Lemino、J:COM STREAM、music.jp | 通常版 |
| 宅配レンタル | TSUTAYA DISCAS | |
| 放送 | 日本映画専門チャンネル | 2026年8〜9月に新4K版(2K放送) |
4K修復版そのものの配信は、2026年10月時点で国内では確認できていない。
余談[編集]
- 1980年代には、吉永小百合と松田優作の共演でリメイクが企画されたことがある。しかし吉永が「私には演じられない」と断ったため、実現しなかったとされる。
- 小津安二郎が「自分には撮れない」と名を挙げたもう1本は、溝口健二の『祇園の姉妹』(1936年)。主演は山田五十鈴である。
- 成瀬は暗く救いのない作風から、名前をもじって「ヤルセ・ナキオ」と呼ばれていた。『浮雲』はまさにその真骨頂と言える作品である。
- おせい役の岡田茉莉子は、2025年の東京国際映画祭で、70年前の撮影台本を持参して登壇した。出演者の多くが鬼籍に入った中、ほぼ唯一の主要キャストの証言者となっている。
- 米兵ジョー役のロイ・ジェームスは、のちに日本のテレビで司会者・タレントとして活躍した人物。
- 研究によれば、冒頭の引揚船の上陸シーンにはニュース映画「日本ニュース」の実写映像が流用されている。敗戦直後の日本のリアルな空気を、劇映画の中に直接持ち込んだ形である。
- 富岡が最後にゆき子に口紅を引く死化粧の場面は、脚本段階には無く、成瀬が撮影時に変更したもの。今では本作を代表する名場面になっている。
