| 七人の侍 Seven Samurai | |
|---|---|
![]() 1954年公開時のポスター(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン) | |
| 監督 | 黒澤明 |
| 製作 | 本木荘二郎 |
| 脚本 | 黒澤明、橋本忍、小国英雄 |
| 出演 | 三船敏郎、志村喬、木村功、稲葉義男、加東大介、千秋実、宮口精二、津島恵子、土屋嘉男、藤原釜足、左卜全 ほか |
| 撮影 | 中井朝一 |
| 音楽 | 早坂文雄 |
| ジャンル | 時代劇、アクション |
| 撮影期間 | 1953年5月27日 - 1954年3月19日 |
| 制作会社 | 東宝 |
| 配給 | 東宝 |
| フォーマット | モノクロ、スタンダードサイズ |
| 劇場公開 | 1954年4月26日(日本) |
| 配信 | U-NEXT(見放題)、Amazon Prime Video・Lemino ほか(レンタル)※2026年9月時点 |
| 上映時間 | 207分(休憩含む。海外輸出用短縮版は160分) |
| 製作費 | 約2億1000万円(宣伝費等込み) |
| 興行収入 | 配給収入2億6823万円(1954年度邦画3位) |
| 言語 | 日本語 |
概要[編集]
七人の侍(しちにんのさむらい)とは、1954年に公開された東宝製作・黒澤明監督の時代劇映画である。戦国時代末期、野武士の略奪に苦しむ百姓たちが腹をすかせた浪人を雇い、村を守るために戦う。上映時間207分、撮影に約10か月をかけた大作で、ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞。「七人を集める」「弱者を守るために戦う」という筋立ては『荒野の七人』をはじめ世界中で真似され、映画史上最高の作品の一本として語られ続けている。
詳細[編集]
「仲間集め映画」の元祖[編集]
この映画の筋は、ひと言でいえば「ワケありの腕利きを一人ずつスカウトしてチームを作り、圧倒的に不利な戦いに挑む」というものである。今ではヒーロー映画やアニメ、ゲームでおなじみのこの型を、ここまで面白く、ここまで長尺でやりきった最初期の作品が本作だとされる。前半は侍集め、中盤は村の防衛準備、後半は合戦という三段構えで、207分あるのに中だるみがほとんどないのが特徴だ。
七人はそれぞれキャラが立っている。冷静な軍師の勘兵衛、明るいムードメーカーの平八、剣の道を極めた寡黙な久蔵、勘兵衛の古い相棒の七郎次、そして侍のふりをした暴れん坊の菊千代。観客は「推し」を見つけながら見られる構造になっており、これが後のチームもの作品の雛形になった。
侍はカッコいいだけではない[編集]
本作の侍たちは、主君を失って食い詰めた浪人である。報酬はわずかな白い飯だけ。百姓側も一枚岩ではなく、落ち武者を狩って武具を隠し持っていたり、離れた家を見捨てる作戦に反発したりと、生々しく描かれる。三船演じる菊千代が「百姓をこんなふうにしたのは侍だ」と怒りをぶちまける場面は、侍と百姓どちらか一方を美化しない本作の姿勢をよく表している。
ラストで生き残った侍は三人だけ。村は救われるが、侍たちはどこか浮かない顔をしている。勘兵衛の「勝ったのは百姓たちだ」という趣旨の一言が、勧善懲悪の痛快アクションで終わらせない余韻を残す。
雨と泥の決戦[編集]
本作の名物は、豪雨の中で泥まみれになって戦うクライマックスである。黒澤は、アメリカの西部劇が砂ぼこりで迫力を出すなら、こちらは雨で行こうと考えたとされる。実際の撮影は真冬の2月で、大雪をスタッフ総出で3日かけて溶かし、消防ポンプで人工の雨を降らせた。俳優たちは極寒の中、ずぶぬれで馬と一緒に泥の中を走り回った。モノクロ画面の雨脚と泥しぶきは、今見てもまったく古びない。
技術革新のかたまり[編集]
撮り直しがきかない合戦や火事の場面で、複数のカメラを同時に回す「マルチカム撮影」が本作で初めて本格的に導入された。決戦では3台、山塞の焼き討ちでは8台のカメラが使われている。また遠くから人物を大きく写す望遠レンズも本格的に使い始め、走ってくる馬や侍の表情に圧縮された迫力を与えた。のちの映画界で当たり前になる手法を、1950年代前半の日本で実践していたことになる。
あらすじ[編集]
※結末まで記載する。
発端[編集]
戦国時代の末期。ある山村の百姓たちは、麦の刈り入れが終わったら野武士40騎が襲ってくることを知る。若い利吉は戦おうと主張し、村の長老・儀作は「腹の減った侍を雇え」と提案する。利吉、万造、茂助、与平の4人は米を持って宿場町へ向かうが、飯だけで命がけの仕事を引き受ける侍などなかなか見つからない。
侍集め[編集]
町では、盗人が子供を人質にして納屋に立てこもる騒ぎが起きる。初老の浪人・島田勘兵衛は髷を落とし、僧に化けて近づき、子供を救い出す。利吉たちは勘兵衛に頼み込むが断られる。しかし同じ宿の人足に百姓の苦しみを突きつけられ、勘兵衛は引き受ける。
勘兵衛の腕に惚れて弟子入りを願う若侍・岡本勝四郎、勘兵衛の人柄にひかれた片山五郎兵衛、勘兵衛のかつての部下・七郎次、薪割りをしていた陽気な林田平八、そして果し合いで相手を一刀で斬り捨てた剣の達人・久蔵が次々と加わる。さらに、勝手についてきた自称侍の菊千代が、のちに7人目として認められる。
村での準備[編集]
村に着くと、百姓たちは侍を恐れて隠れてしまう。菊千代が警報の板木を打ち鳴らし、慌てて出てきた百姓たちを侍の前に集めて一同の距離が縮まる。侍たちは地形を調べて柵や堀をめぐらせ、百姓に竹槍の使い方を教える。万造は娘の志乃を侍から守ろうと男装させるが、勝四郎は森で志乃と出会い、二人は惹かれ合う。
菊千代が落ち武者狩りの武具を持ち込んだことで、侍と百姓の溝が一気に表に出る。だが菊千代自身が百姓の出であることが分かり、侍たちは怒りを収める。また防衛線の外にある離れ家を見捨てる作戦に茂助たちが反発するが、勘兵衛が一喝してまとめる。
先制攻撃と最初の犠牲[編集]
偵察に来た野武士を捕らえて山塞の場所を聞き出し、久蔵、平八、菊千代、利吉が夜襲をかけて火を放つ。山塞には野武士にさらわれた利吉の女房がいたが、彼女は夫の顔を見ると炎の中へ戻ってしまう。この戦いで平八が鉄砲に撃たれて死ぬ。弔いの最中、菊千代は平八が作った旗を屋根に立て、そこへ野武士の大群が姿を現す。
攻防[編集]
柵と堀で野武士の侵入は防ぐが、離れ家と水車小屋は焼かれ、儀作は小屋を離れず死ぬ。菊千代は唯一助かった赤ん坊を抱いて泣き崩れる。勘兵衛は野武士を少数ずつ村に入れて討ち取る作戦で数を減らしていく。久蔵が単身で鉄砲を奪ってくると、張り合った菊千代が持ち場を離れて同じことを試み、その隙を突かれて与平らが討たれる。さらに五郎兵衛も鉄砲に倒れる。夜、勝四郎と志乃が結ばれたことが発覚して万造が激怒するが、利吉がこれを収める。
雨の決戦と結末[編集]
豪雨の朝、残る13騎の野武士に対し、勘兵衛はあえて全員を村に入れて総力戦を挑む。家に隠れた頭目の鉄砲で久蔵が撃たれ、菊千代も撃たれながら頭目を刺し、相討ちの形で息絶える。野武士は全滅する。
やがて村には平和が戻り、百姓たちは歌いながら田植えをする。志乃は勝四郎に背を向けて田へ入っていく。生き残った勘兵衛、七郎次、勝四郎の3人は、土まんじゅうに刀を刺した4人の侍の墓を見上げ、勘兵衛は勝ったのは自分たちではなく百姓だとつぶやく。
登場人物とキャスト[編集]
七人の侍[編集]
| 役名 | 俳優 | どんな人物か | 結末 |
|---|---|---|---|
| 島田勘兵衛 | 志村喬 | 七人のリーダー。歴戦の軍師で、冷静沈着 | 生存 |
| 菊千代 | 三船敏郎 | 侍を名乗る百姓出の暴れ者。7人目 | 戦死(頭目と相討ち) |
| 岡本勝四郎 | 木村功 | 勘兵衛に弟子入りした若侍。志乃と恋に落ちる | 生存 |
| 片山五郎兵衛 | 稲葉義男 | 温厚な実力者。勘兵衛の副将格 | 戦死(鉄砲) |
| 七郎次 | 加東大介 | 勘兵衛のかつての部下。槍の使い手 | 生存 |
| 林田平八 | 千秋実 | 腕は中くらいだが明るい性格。旗を作る | 戦死(山塞の夜襲で鉄砲) |
| 久蔵 | 宮口精二 | 寡黙な剣の達人 | 戦死(頭目の鉄砲) |
村人・その他の主な人物[編集]
| 役名 | 俳優 | 備考 |
|---|---|---|
| 利吉 | 土屋嘉男 | 戦おうと言い出した若い百姓 |
| 万造 | 藤原釜足 | 志乃の父。侍を警戒する |
| 志乃 | 津島恵子 | 万造の娘。勝四郎と恋仲になる |
| 与平 | 左卜全 | 気弱な百姓 |
| 茂助 | 小杉義男 | 離れ家の住人 |
| 儀作 | 高堂国典 | 村の長老。侍を雇えと提案する |
| 利吉の女房 | 島崎雪子 | 野武士にさらわれている |
| 盗人 | 東野英治郎 | 子供を人質に立てこもる |
| 町を歩く浪人 | 仲代達矢 | 数秒だけの通行人役 |
| 野武士の頭目 | 高木新平 |
製作の舞台裏[編集]
「本物の時代劇」を目指して[編集]
黒澤は1952年、『生きる』を撮っている頃から、それまでの様式的なチャンバラではない「本物の時代劇」を作りたいと考えていた。最初は侍のありふれた一日を細かく描く『侍の一日』を企画したが、当時の生活の資料が足りず断念。続いて剣豪の名勝負を並べる企画も立てたが、これも見送られた。
そこへ東宝の文芸部員が、戦国時代に百姓が浪人を雇って村を守らせたという話を見つけてきた。これが物語の骨組みになる。1952年12月、黒澤・橋本忍・小国英雄の3人は熱海の旅館にこもって脚本を書いた。黒澤は登場人物一人ひとりについて細かい設定ノートを作り、3人が同じ場面を別々に書いて良いものを選ぶ方式で練り上げたという。
菊千代は後から生まれた[編集]
当初の構想では、三船敏郎は剣の達人・久蔵を演じる予定だったとされる。ところが脚本作りの過程で、侍と百姓の間をつなぐ人物として菊千代が新たに作られ、三船がこの役に回った。三船は脚本を読んで、配役を言われる前に菊千代は自分だと察したという逸話がある。久蔵役の宮口精二は剣道の経験がなかったが特訓を受け、黒澤の「カメラでどうにでもする」という説得で引き受けたと伝わる。
予算超過と撮影中断[編集]
クランクインは1953年5月27日。予定は90日ほどだったが、黒澤のこだわりと天候不順で撮影は大幅に遅れた。7月には黒澤の入院で約2週間中断。9月の時点で撮れていたのは全体の3分の1ほどで、予算も底をついた。
東宝の重役会では続行か打ち切りかがもめたが、その間、黒澤は釣りをして過ごしていたとされる。黒澤は「一度出した金は回収しようとするはずだ」と読んでいたと語られており、実際に会社は追加予算を出して11月に撮影を再開した。翌1954年1月にも会社側の要請で再び止まり、粗編集版の試写が行われている。クランクアップは1954年3月19日、山塞の焼き討ちの場面だった。最終的な製作費は宣伝費などを含めて約2億1000万円にふくらみ、当時の日本映画としては破格の規模になった。
ロケ地とセット[編集]
村は一か所で撮られたわけではない。理想の地形が見つからず、約40日もロケハンをした末に、地形ごとに別々の場所をつなぎ合わせた。村の全景は静岡県函南町、水車小屋周辺は伊豆市、村の西側は御殿場市、裏山は箱根の仙石原などで撮影されている。村の中心部のオープンセットは東京都世田谷区の東宝撮影所近く、仙川沿いの田んぼに組まれた。屋内のセットは木賃宿、水車小屋、利吉の家の3つだけで、ほとんどが野外撮影である。
時代考証には日本画家の前田青邨が参加した。従来の時代劇の髷は高すぎると指摘され、月代を広く剃って髷を低くしたという。衣装は2か月かけて川に漬けたり泥に埋めたりして古びさせ、家の板は焼いて磨き古色を出した。
撮影中の事件[編集]
- 水車小屋は伊豆の現地に建てて燃やしたが、黒澤が燃え方に納得せず、作り直したとされる。
- 山塞の焼き討ちではガソリンをかけすぎて炎が逆流し、利吉役の土屋嘉男が顔にやけどを負った。
- 箱根の森で撮った勝四郎と志乃の場面では、スミレの代わりに野菊を植えて花畑を作り、暗い森に旅館の鏡を並べて日光を反射させた。志乃役の津島恵子はその強い光で目を傷めたという。
- 利吉役の土屋は撮影延長で予定がくるい、しばらく黒澤の自宅に居候していたと語られている。
技術・演出[編集]
マルチカム撮影と望遠レンズ[編集]
本作で初めて導入された複数カメラの同時撮影は、黒澤のその後の作品で定番になった。役者は「どのカメラに撮られているか分からない」状態になるため、芝居が自然になる効果もあったとされる。望遠レンズの多用もこの作品から始まり、撮影助手だった斎藤孝雄は、黒澤が試しに使ってみたところ以後手放さなくなったと証言している。
矢が刺さるトリック[編集]
人物に矢が突き刺さる場面は、衣装の下に板を仕込み、そこへ透明なテグスを張って矢を滑らせる方法でワンカット撮影された。テグスがたるむと危険なため、釣り用リールで張りを保ったという。与平役の左卜全で撮られたことから、現場では「卜全釣り」と呼ばれた。この方法はのちの『蜘蛛巣城』でも使われている。
また馬が走る地面には木の灰をまいて砂煙を立たせ、ジョン・フォードの西部劇のような絵を作った。菊千代が地面に何本も刀を突き立て、斬るたびに取り替える場面は、剣豪将軍・足利義輝の逸話にならったものとされる。
早坂文雄の音楽[編集]
音楽は黒澤の盟友・早坂文雄。肺結核を患いながら約1年をかけて作曲した。「侍」「野武士」「志乃」「菊千代」「百姓」の5つのテーマ曲を作り、場面ごとに楽器を変えて使い分けるライトモチーフ方式をとっている。菊千代のテーマにはボンゴとサックスが使われ、時代劇らしからぬ軽快さを出した。
有名な「侍のテーマ」は、早坂がボツにしてごみ箱に捨てた楽譜を黒澤が拾い上げて気に入ったものだという逸話がある。オーケストレーションには佐藤勝や、のちに世界的作曲家となる武満徹らも加わった。早坂は本作の翌年、1955年に亡くなっている。
公開と版の違い[編集]
1954年4月26日、ゴールデンウィーク興行として公開。配給収入は2億6823万円で、この年の邦画で3位のヒットになった。同じ年の11月には同じ東宝から『ゴジラ』が公開されており、勘兵衛役の志村喬は両方に出演している。
海外向けには黒澤自身が160分の短縮版を作り、この版が1954年のヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した。アメリカ合衆国では1956年に短縮版が公開されたが、そのときの英題はなんと「The Magnificent Seven」。のちのリメイク『荒野の七人』の英題と同じである。アメリカでの207分の完全版の正式公開は1983年まで待つことになる。
国内では1975年に4チャンネルステレオ版、1991年にドルビーサラウンド版が公開されており、後者では斬る音の効果音が足されている。
4Kリマスター[編集]
2016年版[編集]
東宝は2016年、『生きる』とあわせて本作の4Kデジタルリマスターを行った。オリジナルネガは所在が分からず、最も状態のいいマスターポジとデュープネガを素材に、傷やほこりを取り除き、欠けたコマは前後のコマから補った。音声もフィルムの光学録音から直接デジタル化してノイズを除去している。同年9月のヴェネツィア国際映画祭クラシック部門で上映され、10月から「午前十時の映画祭」で一般公開された。
2024年の新4Kリマスター版[編集]
公開70周年の2024年には「新4Kリマスター版」がカンヌ国際映画祭でお披露目され、東京国際映画祭でも上映された。北米ではジャナス・フィルムズの配給で2024年7月から各地の映画館で再公開。同年11月には、アメリカのクライテリオン・コレクションとイギリスのBFIから4K Ultra HD ブルーレイが発売された。クライテリオン版のブックレットによれば、この4K版は東宝アーカイブが35ミリのマスターポジから作ったものである。
評価[編集]
公開当時と、その後[編集]
意外なことに、公開当時の国内の批評家の評価はそこまで高くなく、1954年度のキネマ旬報ベスト・テンでは3位だった。娯楽活劇を一段低く見る風潮があったためとされる。しかし年を追うごとに評価は上がり、キネマ旬報の「日本映画史上ベスト・テン」では1979年、1989年、1999年の各回で1位に選ばれた。
海外の歴代ベスト[編集]
- 英国映画協会の雑誌「サイト・アンド・サウンド」の批評家投票では、1982年に3位、1992年に9位、2012年に17位、2022年に20位。10年に一度の投票で常に上位に入り続けている。
- 2018年、BBCが世界の批評家209人に聞いた「史上最高の外国語映画100」で1位。
- 英国の映画雑誌「エンパイア」の「世界の映画ベスト100」(2010年)で1位。
- 映画批評サイトのロッテン・トマトでは批評家の支持率100%、メタクリティックでは98点という、ほぼ満点の数字が並ぶ。
- ロジャー・イーバートは最高評価の4つ星を付け、ワシントン・ポストは「史上最高のアクション映画」と評した。
影響を語った映画人[編集]
ジョージ・ルーカスは大きな衝撃を受けたと語り、ジョン・ウーは「あらゆるアクション映画の手本」と呼んだ。マーティン・スコセッシは若い映画ファン向けの外国映画リストに選び、アンドレイ・タルコフスキー、ジム・ジャームッシュ、テリー・ギリアム、北野武らも好きな作品に挙げている。
日本では宮崎駿が1993年、黒澤本人と本作と『まあだだよ』をめぐって対談しており、この対談は日本テレビで放送されたのち、スタジオジブリから『何が映画か』という本にまとめられた。
影響を受けた作品[編集]
| 年 | 作品 | 種類 | ポイント |
|---|---|---|---|
| 1960 | 荒野の七人 | 米国映画(西部劇) | 公式リメイク。監督ジョン・スタージェス、主演ユル・ブリンナー。舞台をメキシコの農村に移した。続編も作られた |
| 1980 | 宇宙の7人 | 米国映画(SF) | ロジャー・コーマン製作。舞台を宇宙へ。惑星の名「アキール」は黒澤へのオマージュとされる |
| 1998 | バグズ・ライフ | 米国アニメ映画 | ピクサー作品。アリが用心棒の虫たちを集めてバッタと戦う筋が本作を下敷きにしているとされる |
| 2004 | SAMURAI 7 | 日本のアニメ | GONZO制作、監督は滝沢敏文。全26話。原作として本作をクレジットし、SF風の世界に置き換えた |
| 2016 | マグニフィセント・セブン | 米国映画(西部劇) | 『荒野の七人』の再リメイク。監督アントワーン・フークア、主演デンゼル・ワシントン。本作も原作としてクレジット |
| 2020 | Ghost of Tsushima | ゲーム | PlayStation向けの時代劇ゲーム。白黒・フィルム調で遊べる「黒澤モード」を搭載 |
| 2023 | REBEL MOON | 米国映画(SF) | Netflix配信。監督ザック・スナイダーが「宇宙版『七人の侍』」と表現した |
『荒野の七人』について、黒澤は1966年のインタビューで「楽しめるが失望した。『七人の侍』の別の版ではない」という趣旨の発言をしている。一方で、映画を見た黒澤がスタージェスに日本刀を贈ったという話も伝わっており、どこまでが本当かははっきりしない。なお『宇宙の7人』には『荒野の七人』に出演したロバート・ヴォーンが出ていて、似たような役どころを演じている。
ほかにもインド映画『炎』(1975年)、『スター・ウォーズ』関連のアニメや実写ドラマのエピソード、ウェス・アンダーソンの『犬ヶ島』など、本作の影響が指摘される作品は数えきれない。
裁判[編集]
2003年放送のNHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』の第1回が本作に似ているとして、黒澤明の遺族がNHKを相手に、放送の差し止めや損害賠償を求めて訴えたことがある。裁判所は、似ているのはアイデアの段階にとどまり、本作の表現上の特徴を『武蔵』から感じ取ることはできないとして、訴えを退けた(知的財産高等裁判所、2005年6月14日判決)。作品がどれだけ有名でも、それで保護の範囲が広がるわけではないという判断も示されている。
著作権[編集]
本作は旧著作権法の時代の映画である。黒澤明が監督した旧法時代の作品(『生きる』など8本)の著作権をめぐる2007年の東京地裁判決では、監督の黒澤を著作者の一人とみて、黒澤の没年(1998年)の翌年から38年間、つまり少なくとも2036年12月31日まで著作権が続くと判断された。
『七人の侍』そのものがこの裁判の対象になったわけではないが、同じ考え方を当てはめると2036年末まで保護されると見るのが一般的で、少なくとも日本でパブリックドメイン(著作権切れ)として扱われている作品ではない。現在の上映・配信でも東宝の著作権表記が付いている。いわゆる「格安DVD」で出回る類の作品ではないと考えてよい。
2025〜2026年の上映・配信状況[編集]
映画館[編集]
2025年10月17日から11月6日まで、全国66館の「午前十時の映画祭15」で新4Kリマスター版が上映された。この回の映画祭は通常1作品2週間だが、本作だけが3週間の上映枠を与えられ、一部の劇場では午後や夜の追加上映も組まれた。海外でも2026年6月にオーストラリアの美術館シネマで上映が予定されるなど、名画座や映画祭での上映が続いている。
配信・ソフト[編集]
動画サービスでは、2026年9月時点でU-NEXTが見放題で配信しており、Amazon Prime Video、DMM TV、Lemino、J:COM STREAMなどではレンタル(有料)で見られる。宅配レンタルのTSUTAYA DISCASでも扱いがある。NetflixやHuluでは配信されていない。U-NEXTは2018年、黒澤の没後20年に合わせて監督作29本を一挙に見放題配信しており、本作もそこに含まれていた。
ソフトは国内で東宝からブルーレイなどが出ているほか、海外のクライテリオン版4K UHDも輸入盤として手に入る(ただし日本語字幕はない)。配信状況は変わりやすいため、見る前に各サービスで確認したい。
余談[編集]
- 町の通行人として数秒だけ映る浪人役は、まだ無名だった仲代達矢。歩き方に何度もダメ出しを受けたという。黒澤はこのときの印象を覚えていて、のちに『用心棒』の敵役に抜擢した。仲代は2025年11月8日に92歳で亡くなった。
- 野武士の斥候役の一人は、同じ年の『ゴジラ』で着ぐるみに入った中島春雄である。
- 久右衛門の婆様を演じたのは、老人ホームで見つけてきた素人のおばあさん。本番で台本にない自分の体験を口走ったが、黒澤はそれをそのまま使ったという。
- 黒澤は撮影中、ドヴォルザークの『新世界より』を繰り返し聴いて、野武士襲来の場面のイメージをふくらませていたとされる。
- 「侍のテーマ」の録音は夜通し行われ、トランペットの音を壁に反射させて録ったため、近所から苦情が来たという。
- 2020年のゲーム『Ghost of Tsushima』(ソニー・インタラクティブエンタテインメント)の「黒澤モード」は、画面を白黒にしてフィルムのざらつきや風を強める機能で、本作をはじめとする黒澤時代劇への敬意から作られた。
