羅生門 (映画)
Rashomon
Rashomon_poster.jpg
1950年公開時のポスター(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン)
監督 黒澤明
製作 箕浦甚吾(企画:本木荘二郎)
脚本 黒澤明、橋本忍
原作 芥川龍之介『藪の中』『羅生門』
出演 三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、上田吉二郎、本間文子、加東大介
撮影 宮川一夫
音楽 早坂文雄
ジャンル 時代劇、ミステリー、ドラマ
撮影期間 1950年7月7日 - 8月17日
制作会社 大映(京都撮影所)
配給 大映
フォーマット モノクロ、スタンダードサイズ
劇場公開 1950年8月26日(日本)
配信 U-NEXT(見放題)、KADOKAWAチャンネル(Amazonチャンネル)、Amazon Prime Video・FOD ほか(レンタル)※2026年10月時点
上映時間 88分
興行収入 1950年度の大映作品で4位
言語 日本語



概要[編集]

羅生門(らしょうもん)とは、1950年に大映が製作・配給した黒澤明監督の時代劇映画である。芥川龍之介の短編『藪の中』を骨組みに、『羅生門』の舞台設定を重ねた作品で、一つの殺人事件を当事者たちがまるで違う話として証言する。1951年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、翌年にアカデミー名誉賞を受け、日本映画が世界に知られるきっかけになった。

詳細[編集]

「全員ウソつき」のミステリー[編集]

物語の中心にあるのは、山の中で起きた一件の事件だ。武士が死体で見つかり、その妻が盗賊に手ごめにされた。ここまでは全員の話が一致する。ところが「誰が、どうやって武士を殺したのか」になると、盗賊、妻、そして巫女の口を借りた死んだ武士本人の三人が、それぞれ自分に都合のいい、まったく違う話をする。

さらに後半、事件を最初に見つけた木こりが「実は全部見ていた」と四つ目の話を始める。だがその木こりにも隠しごとがある。真相を一つに決めず、人間は自分をよく見せるためなら死んでもウソをつく、という苦い結論を突きつけるのが本作の肝である。上映時間はわずか88分で、黒澤作品の中でもかなりコンパクトだ。

登場人物はほぼ8人、セットは2つ[編集]

出演者は主要キャストの8人だけと言っていい。舞台も、雨の降り続く羅生門、検非違使の庭、真夏の森の三つにほぼ限られる。黒澤は会社の首脳陣を説得する際、「セットは羅生門のオープンセットと検非違使庁の塀だけ、あとはロケ」と説明して安心させたという。

その代わり、ひとつしかない大セットである羅生門は大映京都撮影所に25日がかりで建てられた巨大なもので、間口約33メートル、高さ約20メートル。荒れ果てた都の門という設定に合わせ、屋根の半分をわざと崩してある。限られた材料で最大の画を作るという、低予算時代の工夫のかたまりのような作品でもある。

敗戦国の映画が世界一に[編集]

国内では公開当時、興行はそこそこ好調だったが、批評家の評判はぱっとせず、キネマ旬報ベスト・テンでは5位どまりだった。話が分かりにくい、というのが大方の受け止め方だったとされる。

ところが1951年、イタリア人の映画関係者の推薦でヴェネツィア国際映画祭に出品されると、まさかの最高賞・金獅子賞を受賞。まだ占領下にあった日本では、敗戦で自信を失っていた人々に希望を与えるニュースとして大きく報じられ、海外に住む日本人にも喜ばれたという。ここから「海外に売れる日本映画」という発想が生まれ、溝口健二や衣笠貞之助らの作品が次々に海外の映画祭へ送られていく流れができた。

あらすじ[編集]

※結末まで記載する。

羅生門の雨宿り[編集]

平安時代、荒れ果てた京の都。土砂降りの雨の中、崩れかけた羅生門の下で、杣売り(木こり)と旅法師が呆然と座り込んでいる。二人は、ある武士の殺害事件の参考人として検非違使に呼ばれた帰りだった。「わからねえ、さっぱりわからねえ」とつぶやく杣売り。そこへ雨宿りに駆け込んできた下人が興味を持ち、二人は奇妙な裁きの様子を語り始める。

杣売りは三日前、薪を取りに入った山で、武士・金沢武弘の死体を見つけて届け出た。旅法師は事件の前に、馬に乗った妻・真砂と、それを引く金沢の姿を道ですれ違って見ていた。そして捕らえられたのが、名うての盗賊・多襄丸である。

多襄丸の証言[編集]

多襄丸は大声で笑いながら語る。木陰で昼寝をしていたとき、風で女の顔を覆う布がめくれ、その美しさに目を奪われた。そこで金沢を「刀や鏡を埋めた古塚がある」とだまして藪の奥へ誘い、縛り上げたうえで、真砂を夫の目の前で手ごめにした。

ところが真砂は「二人の男に恥を見せた以上、どちらか一人に死んでもらわなければ」と言い、生き残った方についていくと迫った。多襄丸は金沢の縄を解いて正々堂々と斬り合い、二十三合目で相手を倒したと胸を張る。気がつくと女は逃げていた、というのが彼の話だった。

真砂の証言[編集]

検非違使の前に現れた真砂は、まったく違う話をする。手ごめにされたあと、多襄丸は笑って去っていった。泣きながら夫にすがった彼女が見たのは、怒りでも悲しみでもなく、冷たい蔑みの目だった。

その目に耐えられなくなった真砂は、短刀を手に「私を殺してください」と夫に迫り、そのまま気を失った。気がつくと、夫の胸には自分の短刀が刺さっていた。自分も死のうとしたが死にきれなかった、と彼女は泣き崩れる。

金沢の霊の証言[編集]

今度は巫女が呼ばれ、死んだ金沢の霊がその口を借りて語る。多襄丸は事のあと、妻を口説いて「自分の女になれ」と誘った。すると妻はうっとりとした顔でそれを受け入れ、しかも「あの人を殺して」と多襄丸に頼んだという。

これにはさすがの多襄丸も呆れ、妻を突き飛ばして「この女をどうする、殺すか、助けるか」と金沢に尋ねた。金沢はこの一言で盗賊を許す気になった。妻は逃げ、多襄丸も去った。一人残された金沢は、妻の短刀で自らの胸を突いて死んだ。薄れていく意識の中で、誰かが胸の短刀をそっと抜いていった、と霊は語る。

杣売りの告白[編集]

羅生門の下で、杣売りは「あれは全部ウソだ」と言い出す。実は彼は一部始終を見ていたのだ。多襄丸は真砂に土下座せんばかりに夫婦になってくれと頼み込んでいた。真砂は答える代わりに夫の縄を切ったが、金沢は「こんな女のために命を張る気はない」と妻を突き放す。

すると真砂は二人の男を罵り、あざ笑い、斬り合いをけしかけた。始まった決闘は、多襄丸の自慢話とは似ても似つかない、へっぴり腰で泥まみれの醜いものだった。多襄丸はまぐれのように金沢を刺し殺し、真砂は逃げ去った。

赤ん坊の泣き声[編集]

話を聞いた下人は「人間なんて自分に都合のいいウソをつくもんだ」と笑い飛ばす。そのとき、門の奥から赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。捨て子だった。下人は赤ん坊をくるんでいた着物を平然とはぎ取る。とがめる杣売りに、下人は「あの短刀はどうした。盗んだのはお前だろう」と言い返し、杣売りは何も言えなくなる。下人は着物を抱えて雨の中へ消えていく。

人間不信に陥りかけた旅法師から赤ん坊を受け取ろうとした杣売りに、法師は思わず身を引く。だが杣売りは「うちには子供が六人いる。六人育てるも七人育てるも同じだ」と言い、この子を育てると申し出る。法師は「あなたのおかげで、私は人を信じていくことができそうだ」と礼を言う。いつの間にか雨は上がり、赤ん坊を抱いた杣売りが門を出ていく後ろ姿で映画は終わる。

登場人物とキャスト[編集]

役名 俳優 人物
多襄丸 三船敏郎 都で噂の盗賊。豪快で野性的
真砂 京マチ子 金沢の妻。証言ごとに人物像が変わる
金沢武弘 森雅之 若狭の武士。事件の被害者
杣売り 志村喬 死体の第一発見者の木こり
旅法師 千秋実 事件前に夫婦とすれ違った僧
下人 上田吉二郎 羅生門に雨宿りに来た男
巫女 本間文子 金沢の霊を呼び出す
放免 加東大介 多襄丸を捕らえた役人

三船は当時30歳。黒澤は多襄丸を「人間をアニマルにしようと思った」と語り、アフリカの探検映画で見たライオンの動きを参考にするよう指示したという。京マチ子はこの作品が出世作となり、のちに『雨月物語』『地獄門』でも海外映画祭の顔となって「グランプリ女優」と呼ばれた。真砂役は当初、原節子が念頭に置かれていたが実現せず、大映の提案で京が起用された経緯がある。京は役作りで豹の映像を見て、その仕草を取り入れたとされる。

製作の舞台裏[編集]

橋本忍のデビュー作[編集]

脚本の出発点は、当時まだ無名の会社員だった橋本忍が書いた『雌雄』という脚本である。師匠筋にあたる伊丹万作の助言で芥川作品に目を向けた橋本が、『藪の中』を元に短期間で書き上げたものだった。これが佐伯清監督を経て黒澤の手に渡った。

黒澤は当時、東宝争議のあおりで東宝を離れ、他社で仕事をしていた。大映で撮る時代劇を探していた黒澤は脚本を気に入ったが、そのままでは短すぎた。そこで『羅生門』の舞台を足し、杣売りの「第四の証言」を加えて膨らませた。『羅生門』と組み合わせるアイデアがどちらの発案だったかは、橋本と黒澤の証言が食い違っていて、まさに「藪の中」になっている。橋本はこのあと『生きる』『七人の侍』でも黒澤と組み、日本を代表する脚本家になっていく。

会社はさっぱり分かっていなかった[編集]

大映の首脳陣はこの企画を「何がなんだか分からない」と渋ったが、企画の本木荘二郎の説得で製作にこぎつけた。社長の永田雅一は試写を見て「わけが分からん」と不満を示したとされ、海外出品にも消極的だった。ところが金獅子賞を取るや、まるで自分の手柄のように語り出したため、周囲から皮肉を込めて「シランプリ(知らん+グランプリ)」と呼ばれたという逸話が残っている。

助監督には、のちに『沓掛時次郎 遊侠一匹』などで知られる加藤泰がついていたが、脚本の解釈をめぐって黒澤とぶつかり、現場を外れた。加藤はその後、本作の予告編を作っている。

サイレント映画のように[編集]

黒澤は本作で、台詞に頼らず画で語る「サイレント映画の美しさ」を取り戻そうとした。フランスのアヴァンギャルド映画を研究し、森の中の場面では光と影、人物の表情、カメラの動きだけで心理を描こうとしている。早坂文雄の音楽も同じ発想で、真砂の証言場面にはラヴェルの『ボレロ』を思わせるリズムの曲が流れる。この曲は黒澤の注文で作られたものだが、のちにカンヌ国際映画祭への出品候補から外される一因になったともいわれる。

火事とトラブル続きの仕上げ[編集]

撮影は1950年7月7日から8月17日まで、わずか一か月半ほど。公開日が決まっていたため、編集とダビングは一週間で片づけなければならなかった。

ところが8月21日、撮影所の隣のステージで火事が起き、ダビングの機材が傷んだ。三船の録音の一部も失われ、すでに東京へ戻っていた三船を呼び戻して録り直している。翌日には映写機でフィルムに火がつき、有毒ガスでスタッフ30人あまりが倒れる騒ぎまで起きた。初号プリントは8月24日にどうにか完成し、夜行列車で東京へ運ばれた。

宮川一夫の撮影[編集]

太陽にカメラを向けた[編集]

撮影を担当したのは、大映京都の名カメラマン宮川一夫である。本作でいちばん有名なのが、森の中でカメラを真上の太陽に向けて、木の葉越しのぎらつく陽光をそのまま写したカットだ。当時はレンズでフィルムが焼けると考えられ、太陽を直接撮るのはタブーとされていた。それをあえてやり、真砂の唇が奪われる場面の陶酔と罪の気配を、太陽の光で表現してみせた。

鏡8枚で木漏れ日を作る[編集]

深い森は光が足りず、しかも刻一刻と変わる。宮川は大きな鏡8枚で日光を反射させて俳優に当てる方法を考え、木漏れ日のまだら模様を人工的に作り出した。さらに野球のネットに木の枝葉を張って影を落とし、その揺れ方で人物の心の動きを表している。森の明暗の変化に対応するため、当時の日本ではまだ珍しかった露出計も初めて本格的に使ったという。

白と黒のコントラスト[編集]

宮川は中間のグレーをできるだけ抑え、白と黒をくっきりさせる硬い調子を目指した。フィルムは国産のフジフイルムを使っている。三船が森を疾走する場面では、カメラにつないだロープで三船を縛り、カメラごと円を描くように走らせて撮った。モノクロなのに真夏の熱気と汗のにおいまで伝わってくる画面は、本作が「撮影の教科書」と呼ばれる理由になっている。

墨汁の雨[編集]

羅生門の場面の雨は、消防車3台とホース5本で降らせた。ただの水では明るい空に溶けて画面に写らないため、水に墨汁を混ぜて黒い雨にしている。灰色の空を背景に、太く黒々とした雨脚が叩きつけるあの画は、この工夫から生まれた。ロケ地は奈良市の奥山(春日山原始林周辺)や、京都府長岡京市の光明寺の裏山など。後年、宮川は溝口健二の『雨月物語』『山椒大夫』、市川崑の『炎上』『東京オリンピック』なども撮り、日本映画を代表するカメラマンとして名を残した。

評価・受賞[編集]

ヴェネツィアの金獅子賞[編集]

ヴェネツィア国際映画祭から日本映画の出品を求められたとき、日本映画連合会は作品選びを、イタリフィルム社長として日本にいたジュリアーナ・ストラミジョーリに任せた。彼女が推したのが本作だった。大映が字幕作りや送料を渋ると、ストラミジョーリは費用を自分で負担して出品したという。

1951年9月10日、本作は金獅子賞を受賞する。ところが日本からは誰も映画祭に行っておらず、トロフィーを受け取ったのは現地で見つけたベトナム人の男性だった、という嘘のような話が残っている。永田社長の部屋に飾られた本物の金獅子像はのちに行方不明になり、国立映画アーカイブにはレプリカが展示されている。1982年には、ヴェネツィア映画祭50周年の企画で「歴代金獅子賞の中の最高作」に選ばれた。

アカデミー名誉賞[編集]

1952年3月の第24回アカデミー賞では、名誉賞(その年最優秀の外国語映画として。現在の国際長編映画賞の前身)を受けた。このときも日本の映画関係者は出席せず、ロサンゼルスの日本政府在外事務所の吉田健一郎が代理で受け取った。翌年には美術の松山崇らが美術監督賞(白黒部門)にノミネートされている。

アメリカでは1951年12月にRKOの配給でニューヨーク公開され、ニューヨーク・タイムズの批評家ボズレー・クラウザーが撮影を絶賛した。後年には批評家ロジャー・イーバートが最高評価の星4つを与えている。インドのサタジット・レイは本作の光の使い方に強い衝撃を受けたと語った。

受賞がもたらしたもの[編集]

受賞後は各国の配給会社が買い付けに殺到し、「輸出映画」という言葉が業界用語になった。日本映画は1950年代に溝口健二、衣笠貞之助らの作品が次々と海外で賞を取る黄金期を迎えるが、その扉を最初に開けたのが本作である。黒澤自身もここから「世界のクロサワ」と呼ばれる道を歩み始め、『生きる』『七人の侍』『用心棒』へと続いていく。

「羅生門効果」[編集]

言葉になった映画[編集]

本作の影響でいちばん有名なのが、「羅生門効果」(英語ではRashomon effect)という言葉だ。同じ出来事について、関わった人それぞれが矛盾する証言や解釈をし、どれが正しいのか決められない状態を指す。心理学、法学、人類学、ジャーナリズムなどで使われ、1980年代には人類学者カール・ハイダーがこの名を冠した論文を書いている。裁判の証言の食い違いや、事故の目撃証言の分析といった場面でもよく引き合いに出される。

「ラショーモン形式」の物語[編集]

映画やドラマの世界でも、同じ出来事を複数の視点から描き分ける手法は「ラショーモン・アプローチ」などと呼ばれる。キューブリックの『現金に体を張れ』、アラン・レネの『去年マリエンバートで』、タランティーノの『レザボア・ドッグス』、ブライアン・シンガーの『ユージュアル・サスペクツ』、トム・ティクヴァの『ラン・ローラ・ラン』などが、本作の流れをくむ作品として挙げられる。

2021年のリドリー・スコット監督作『最後の決闘裁判』は、一つの事件を三人の視点で描く構成で、出演と脚本を兼ねたマット・デイモンが本作を例に出して監督を口説いたとされる。ベルイマンも『処女の泉』に取りかかる前、本作からヒントを得たといわれている。

リメイク・翻案[編集]

年 題名 形式 備考
1959 Rashomon ブロードウェイ舞台 盗賊役はロッド・スタイガー、妻役はクレア・ブルーム
1960 Rashomon 米国テレビドラマ シドニー・ルメット演出
1964 暴行 米国映画 マーティン・リット監督。舞台を西部に移し、ポール・ニューマンが盗賊(メキシコ人の無法者)を演じた
1991 アイアン・メイズ 日米合作映画 舞台をアメリカの寂れた製鉄所の町に置き換えた翻案とされる
2011 ウモーン・パー・ムアン-羅生門 タイ映画 ククリット・プラーモートの舞台翻案が原作

また、原作の題名「藪の中」そのものも本作の影響で、「真相が分からない」という意味の慣用句として定着している。

修復・上映・配信状況[編集]

2008年のデジタル復元[編集]

長年の上映でフィルムが傷んでいたため、2008年に角川映画、米国の映画芸術科学アカデミー、東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)が共同でデジタル復元を行った。費用はマーティン・スコセッシらのフィルム・ファウンデーションが助成している。日本映画がアカデミーとこの財団の共同で修復されたのは本作が初めてだった。2008年9月にアメリカでワールドプレミア、10月の東京国際映画祭で特別上映され、11月29日から「デジタル完全版」として劇場公開された。復元に関わった3者は、2010年に全米映画批評家協会賞の映画遺産賞を受けている。

4Kデジタル修復版[編集]

その後、4Kデジタル修復版も作られ、2018年12月にはNHKの新4K衛星放送の「4Kシアター」枠で放送された。イギリスでは英国映画協会(BFI)が新たな4K修復版を2023年1月から劇場公開している。公開70周年の2020年には、国立映画アーカイブで企画展「公開70周年記念 映画『羅生門』展」が開かれ、のちに京都文化博物館へも巡回した。2025年9月には東京・神保町シアターの特集「女優魂 2025」で、京マチ子の一本として4Kデジタル修復版が上映されている。

2026年の配信[編集]

2026年10月時点で、国内ではU-NEXTが見放題で配信しているほか、KADOKAWAの映画を扱うKADOKAWAチャンネル(Amazonプライム・ビデオチャンネル)でも見放題になっている。Amazon Prime VideoとFODではレンタル、Apple TVでは4K画質のレンタルや購入ができる。U-NEXTは2018年、黒澤の没後20年に合わせて監督作29本を一挙に見放題で配信しており、本作もその中に入っていた。現在の権利元は大映を引き継いだKADOKAWA(旧角川映画)である。配信状況は入れ替わりがあるので、見る前に各サービスで確かめたい。

余談[編集]

  • 羅生門のセットには、「延暦十七年」と彫られた瓦が4000枚も焼かれた。門に掲げられた大きな扁額は、高さ120センチ、幅215センチある。
  • 下人役の上田吉二郎は受賞後、「グランプリ受賞の羅生門出演」と刷り込んだ大きな名刺を作って配り、話題になったという。
  • 三島由紀夫はニューヨークで本作を見て、知識人のあいだでの評判の高さを書き残している。作家の遠藤周作は、フランス留学中に受賞の報を聞いて喜んだと記している。
  • 杣売りが斧を担いで森の奥へ分け入っていく場面は、台詞なしで移動撮影だけを積み重ねたもので、黒澤が目指した「サイレント映画の美しさ」がいちばん分かりやすく出ているくだりとしてよく挙げられる。
  • 本物の羅城門(羅生門)は京都市南区に跡地の石碑が残るだけで、建物は平安時代のうちに倒壊したとされる。映画のセットは完全な想像の産物である。
  • 本作の成功で、大映は以後『雨月物語』『地獄門』など海外映画祭向けの大作を作る路線を強めた。勝新太郎や若尾文子らが看板になる前の、大映の「国際派」時代の幕開けでもあった。

外部リンク[編集]

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