京マチ子
きょう まちこ / Machiko Kyō
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1954年の宣材写真(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン)
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『羅生門』(1950年)のプレス用スチル。三船敏郎と(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン)
本名 矢野元子(やの もとこ)
誕生日 1924年3月25日
死亡日 2019年5月12日
死亡年齢 95歳(数え年96)
出身地 大阪府大阪市
国籍 日本
ジャンル 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間 1936年 - 2006年(少女歌劇時代を含む)
デビューアルバム 1949年 映画『最後に笑う男』
家族 生涯独身
身長 / 体重 160cm cm / ― kg
代表作 『羅生門』、『雨月物語』、『地獄門』、『赤線地帯』、『浮草』、『鍵』、『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』
関連活動 大阪松竹少女歌劇団(現・OSK日本歌劇団)のレビュー・スター
あだ名 グランプリ女優
その他 紫綬褒章(1987年)、勲四等宝冠章(1994年)、日本アカデミー賞会長功労賞(2017年)


概要[編集]

京マチ子(きょう マチこ、1924年3月25日 - 2019年5月12日)とは、大阪出身の女優である。本名は矢野元子。大阪松竹少女歌劇団のダンサーから大映に入り、『羅生門』『雨月物語』『地獄門』と海外の映画祭で最高賞級の賞を取った作品に続けて主演したことから「グランプリ女優」と呼ばれた。日本映画を世界に知らしめた最初の女優の一人で、晩年まで舞台とテレビで活躍した。

詳細[編集]

「グランプリ女優」と呼ばれる理由[編集]

京マチ子の代名詞が「グランプリ女優」である。きっかけは1950年の黒澤明監督『羅生門』。芥川龍之介の短編「藪の中」を中心に、平安時代の森で起きた殺人事件を、盗賊・殺された武士・その妻・目撃者がそれぞれ食い違う証言で語る物語で、京は武士の妻・真砂を演じた。同作は1951年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受け、翌1952年には米国アカデミー賞の名誉賞も受けた。日本映画が世界的な映画祭で最高賞を取ったのはこれが初めてで、戦後まもない日本映画界にとって大事件だった。

勢いはこれで終わらない。1953年の溝口健二監督『雨月物語』はヴェネツィアで銀獅子賞、同年の衣笠貞之助監督『地獄門』は1954年のカンヌ国際映画祭でグランプリ(現在のパルム・ドールに相当)を受け、米国アカデミー賞でも名誉賞と衣装デザイン賞を得た。わずか数年のうちに、ヒロインがすべて京マチ子という作品が三つの国際的な賞を持ち帰ったわけで、「グランプリ女優」の異名はここから生まれた。

肉体派から演技派への脱皮[編集]

大映入社直後の京は、少女歌劇で鍛えた体を前面に出した「肉体派女優」として売り出された。1949年の『痴人の愛』(木村恵吾監督、谷崎潤一郎原作)では、まじめな会社員を翻弄する奔放な娘ナオミを演じて「ヴァンプ(妖婦)女優」と呼ばれ、1950年の『浅草の肌』でもその路線が続いた。身長160cmと、当時の日本女性としては大柄で堂々とした体格も目を引いた。

ただ、本人は「肉体派」と呼ばれることを嫌がっていたとされる。転機は『羅生門』だった。真砂の役はもともと原節子が予定されていたが都合がつかず、京に回ってきた役だったという。京は眉をそり落として撮影に臨み、四人の証言ごとにまったく違う女の顔を演じ分けた。黒澤は後年、京が台本を手に自分の枕元に座り込み、演技の教えを請うてきたと振り返っている。この一本で、京は「肉体の女優」から「演じ分けのできる女優」へと評価を一変させ、巨匠たちが競って起用するようになった。

四大巨匠すべての作品に主演級で出た女優[編集]

京マチ子のフィルモグラフィーで特筆されるのが、黒澤明・溝口健二・小津安二郎・成瀬巳喜男という日本映画の巨匠たちの作品に、そろって主要な役で出演していることである。溝口とは『雨月物語』『楊貴妃』『赤線地帯』の3本、成瀬とは『あにいもうと』(1953年、室生犀星原作)で組んだ。

小津とは1959年の『浮草』でただ一度組んでいる。小津が1934年の自作『浮草物語』を大映で撮り直したカラー作品で、三重県の港町にやって来た旅回り一座の座長(二代目中村鴈治郎)と、その連れ合いで一座の看板女優・すみ子を京が演じた。座長がかつての女(杉村春子)と息子に会いに通っていると知ったすみ子が嫉妬を爆発させ、どしゃ降りの雨の中、狭い路地をはさんで座長と罵り合う場面は、名カメラマン宮川一夫の撮影と相まって日本映画屈指の名場面として語り継がれている。一座の若い女優役で若尾文子も出演しており、大映の新旧看板女優が小津作品で顔をそろえた一本でもある。

谷崎とがっぷり組んだ『鍵』[編集]

同じ1959年には、市川崑監督の『鍵』に主演した。原作は谷崎潤一郎の同名小説で、京都を舞台に、老いを感じた骨董鑑定家(中村鴈治郎)が、自分の嫉妬心をあおるために妻・郁子(京)と若い医師・木村(仲代達矢)を近づけようとする、という奇妙な夫婦の物語。娘の敏子を叶順子が演じた。官能的な題材を扱いながら、終盤にかけてブラックユーモアに転じていく市川崑らしい一本で、1960年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を受けた。

『痴人の愛』の小悪魔ナオミから10年、同じ谷崎作品でも、京は欲望を内に秘めて静かに夫を追い詰める中年の妻を演じ、デビュー直後の「肉体派」とは別次元の色気を見せた。市川とは『穴』(1957年)、『ぼんち』(1960年)でも組んでいる。

経歴[編集]

1924年 - 1949年:大阪の少女歌劇スター[編集]

1924年3月25日、大阪市に一人っ子として生まれた。幼いころに父が家を出たまま戻らず、母と祖母のもとで育った。少女歌劇によく連れて行ってくれたのは親類の伯父だったという。

1936年、12〜13歳で松竹系の大阪松竹少女歌劇団(OSSK、現在のOSK日本歌劇団の前身)に入団し、「京マチ子」の芸名で舞台に立った。宝塚歌劇団と並ぶ関西の少女歌劇で、京は戦時中から娘役スターとして活躍。戦後、24歳のころにはブギウギを踊って評判を呼んだ。

1949年、大映にスカウトされる。面会した大映の幹部は、大阪弁丸出しでニキビ面の娘を見て落胆したといわれるが、テスト撮影のフィルムに映った京には独特のオーラがあり、評価が一変したという。

1949年 - 1953年:大映入社と「グランプリ女優」[編集]

1949年、大映に入社し、安田公義監督『最後に笑う男』で映画デビュー。同年の『痴人の愛』で一躍人気女優となった。1950年の『羅生門』で真砂を演じ、ヴェネツィアでの金獅子賞によって海外にも名前が知られるようになる。同年の『偽れる盛装』(吉村公三郎監督)と合わせて、毎日映画コンクール主演女優賞を受けた。

1951年には大映創立10周年記念作品『源氏物語』(吉村公三郎監督)に出演。1953年は京にとって特別な年で、溝口健二の『雨月物語』では、焼き物を売りに出た男(森雅之)を妖しく誘い込む亡霊の姫・若狭を演じ、衣笠貞之助の『地獄門』では、菊池寛の戯曲を原作に、武士・盛遠(長谷川一夫)に横恋慕される人妻・袈裟を演じた。『地獄門』は大映初のイーストマン・カラー作品で、京にとっても初のカラー映画だった。

1954年 - 1960年:国際派女優の黄金期[編集]

1954年の『千姫』『或る女』(豊田四郎監督)、1955年の溝口作品『楊貴妃』(森雅之共演)、同年の『藤十郎の恋』と、大作・文芸作の主演が続いた。1956年には溝口の遺作となった『赤線地帯』で、売春防止法をめぐって揺れる吉原の娼婦の一人・ミッキーを奔放に演じた。同作には若尾文子も出演している。

同じ1956年には、ハリウッドのMGM映画『八月十五夜の茶屋』(ダニエル・マン監督)に出演。戦後のアメリカ軍政下の沖縄の村を舞台にしたコメディで、マーロン・ブランド、グレン・フォードの相手役として芸者ロータス・ブロッサムを演じ、ゴールデングローブ賞の主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされた。京にとって唯一の外国映画出演である。1957年には『地獄門』でフィンランドのユッシ賞主演女優賞も受けている。

1957年の『夜の蝶』(吉村公三郎監督、川口松太郎原作)では、銀座の一流バーのマダム・マリを演じ、京都から乗り込んできたライバルのマダム・おきく役の山本富士子と火花を散らした。1957年『いとはん物語』、1958年『大阪の女』では、地元・大阪の言葉を生かしたコメディエンヌぶりも見せている。1959年は『浮草』『鍵』『細雪』と話題作が並び、1960年には田中絹代が監督した『流転の王妃』で、満州国皇帝の弟に嫁いだ女性をモデルにした主人公を演じた。同年、市川崑の『ぼんち』、増村保造の『足にさわった女』にも出ている。

1961年 - 1984年:大映後期から映画の締めくくりへ[編集]

1962年には、江戸川乱歩原作・三島由紀夫脚色の戯曲を映画化した『黒蜥蜴』(井上梅次監督)で女賊・黒蜥蜴を演じたほか、森本薫の戯曲を増村保造が映画化した『女の一生』に主演した。明治から終戦までの約40年間、嫁いだ商家を切り盛りしていく布引けいの一代記で、杉村春子が文学座の舞台で生涯の当たり役にした役でもある。共演には田宮二郎、叶順子らがいた。1963年には山崎豊子原作の『女系家族』にも出演した。

1964年の『甘い汗』(豊田四郎監督)では、キネマ旬報ベスト・テンと毎日映画コンクールの主演女優賞を受けた。1966年には安部公房原作・勅使河原宏監督の前衛的な作品『他人の顔』に出演し、大映の外でも存在感を示した。1969年には川端康成原作の『千羽鶴』(増村保造監督)に出ている。

1970年代は、山本薩夫監督の『華麗なる一族』(1974年)で銀行頭取の愛人・高須相子を、『金環蝕』(1975年)にも出演し、社会派大作の重しとなった。1976年には山田洋次監督の『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』でシリーズのマドンナ・柳生綾を演じている。映画出演は1984年の『化粧』が最後となった。

1964年 - 2006年:テレビと舞台の大女優[編集]

テレビドラマには1964年の『あぶら照り』あたりから本格的に出演し、1977年には「横溝正史シリーズ」の『犬神家の一族』で犬神松子を演じた。1979年には橋田壽賀子脚本のNHKドラマ『四季の家』に出演。1981年から1984年にかけては『必殺仕舞人』『新・必殺仕舞人』『必殺仕切人』など必殺シリーズで主役級を務め、時代劇ファンにも親しまれた。1999年にはNHK大河ドラマ『元禄繚乱』に出演、2000年のNHKドラマ『晴れ着ここ一番』がテレビでの最後の大きな役となった。

舞台では、TBSのプロデューサー・石井ふく子とのコンビで数多くの作品に主演した。橋田壽賀子作・石井演出の『喜劇離婚』『大家族』、佐藤愛子原作の『夕やけ小やけでまだ日は暮れぬ』などが代表的で、1987年には菊田一夫演劇賞の大賞を受けている。2006年6月には京都・南座で赤木春恵とともに『ああ離婚』に主演し、同年9月の『女たちの忠臣蔵』(橋田作・石井演出)で瑶泉院を演じたのが最後の舞台となった。80歳を過ぎての主演だった。

2007年 - 2019年:静かな晩年と死去[編集]

2006年の舞台を最後に表舞台からは事実上退き、静かな老後を送った。2017年には第40回日本アカデミー賞で会長功労賞を受けている。同年6月、テレビ番組『徹子の部屋』に出演した仲代達矢は、93歳の京について「お元気です」と近況を伝え、一緒に飲もうと約束していると明かした。同席した黒澤組のスクリプター・野上照代は、90歳の京が大通りを小走りで渡っていたというエピソードを紹介している。

2019年はデビュー70周年にあたり、2月から全国で「京マチ子映画祭」が始まっていた。その最中の5月12日午後0時18分、心不全のため東京都内の病院で死去した。95歳。死去は14日に東宝から発表された。本人の遺志により、同日、石井ふく子ら数人の友人が立ち会って密葬が営まれた。京は元気なころに大好きだったハワイを訪れ、自ら墓を手配していたといい、同年11月にハワイ・オアフ島の墓に納骨された。

主な出演作[編集]

映画[編集]

公開年 作品 監督 役・備考
1949年 最後に笑う男 安田公義 映画デビュー作
1949年 痴人の愛 木村恵吾 ナオミ。谷崎潤一郎原作
1950年 羅生門 黒澤明 真砂。ヴェネツィア金獅子賞
1950年 浅草の肌 木村恵吾
1951年 偽れる盛装 吉村公三郎 毎日映画コンクール主演女優賞
1951年 源氏物語 吉村公三郎 大映創立10周年記念作品
1953年 雨月物語 溝口健二 若狭。ヴェネツィア銀獅子賞
1953年 地獄門 衣笠貞之助 袈裟。カンヌ・グランプリ
1953年 あにいもうと 成瀬巳喜男 室生犀星原作
1954年 或る女 豊田四郎
1955年 楊貴妃 溝口健二 楊貴妃(主演)
1955年 藤十郎の恋 森一生
1956年 赤線地帯 溝口健二 ミッキー。溝口の遺作
1956年 八月十五夜の茶屋 ダニエル・マン ロータス・ブロッサム。MGM作品
1957年 夜の蝶 吉村公三郎 マリ。山本富士子と共演
1957年 穴 市川崑
1957年 いとはん物語 伊藤大輔
1958年 大阪の女 衣笠貞之助
1958年 悲しみは女だけに 新藤兼人
1959年 浮草 小津安二郎 すみ子
1959年 鍵 市川崑 郁子。カンヌ審査員賞
1959年 細雪 島耕二
1960年 流転の王妃 田中絹代 主演
1960年 ぼんち 市川崑
1960年 足にさわった女 増村保造
1962年 黒蜥蜴 井上梅次 黒蜥蜴
1962年 女の一生 増村保造 布引けい
1963年 女系家族 三隅研次 山崎豊子原作
1964年 甘い汗 豊田四郎 キネマ旬報主演女優賞
1966年 他人の顔 勅使河原宏 安部公房原作
1969年 千羽鶴 増村保造 川端康成原作
1974年 華麗なる一族 山本薩夫 高須相子
1975年 金環蝕 山本薩夫
1976年 男はつらいよ 寅次郎純情詩集 山田洋次 マドンナ・柳生綾
1984年 化粧 池広一夫 最後の映画出演

テレビドラマ[編集]

  • 1964年『あぶら照り』
  • 1977年『犬神家の一族』(犬神松子) - 横溝正史シリーズ
  • 1979年『家路』『家路PART2』
  • 1979年『四季の家』 - NHK、橋田壽賀子脚本
  • 1980年『額田女王』
  • 1981年『必殺仕舞人』、1982年『新・必殺仕舞人』、1984年『必殺仕切人』
  • 1982年 - 1983年『ああ離婚』 - TBS、石井ふく子プロデュース
  • 1986年 - 1988年『姥ざかり』
  • 1999年『元禄繚乱』 - NHK大河ドラマ
  • 2000年『晴れ着ここ一番』 - NHK

舞台[編集]

  • 『喜劇離婚』 - 橋田壽賀子作、石井ふく子演出
  • 『大家族』 - 橋田壽賀子作、石井ふく子演出
  • 『夕やけ小やけでまだ日は暮れぬ』 - 佐藤愛子原作、石井ふく子演出
  • 2006年『ああ離婚』 - 京都・南座、赤木春恵とダブル主演
  • 2006年『女たちの忠臣蔵』(瑶泉院) - 最後の舞台

受賞・栄典[編集]

  • 1950年 毎日映画コンクール 主演女優賞(『羅生門』『偽れる盛装』)
  • 1957年 ユッシ賞(フィンランド)主演女優賞(『地獄門』)
  • 1957年 ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)ノミネート(『八月十五夜の茶屋』)
  • 1964年 キネマ旬報ベスト・テン 主演女優賞(『甘い汗』)
  • 1964年 毎日映画コンクール 主演女優賞(『甘い汗』)
  • 1987年 菊田一夫演劇賞 大賞
  • 1987年 紫綬褒章
  • 1994年 勲四等宝冠章
  • 1995年 日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
  • 2017年 第40回日本アカデミー賞 会長功労賞
  • 2000年には『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の3位に選ばれた。

大映の看板女優たちとの関係[編集]

大映には、京マチ子を筆頭に、山本富士子、若尾文子という三枚看板の時代があった。京が国際映画祭の常連として「大映の顔」を務めた1950年代前半、1950年のミス日本から入社した山本、1952年デビューの若尾が続き、京は二人の先輩格にあたる。

共演作も多い。若尾とは溝口の『赤線地帯』、小津の『浮草』で、山本とは『夜の蝶』で銀座のマダム同士の対決を演じた。同じ撮影所で看板を張りながら、それぞれ違う色の大輪を咲かせた三人である。英語圏の資料には、山本が京を「とても気さくな人」と評したという話も残っている。

若尾とは晩年まで親しかった。2015年、若尾は舞台あいさつで、近年は石井ふく子に招かれ、京や奈良岡朋子とともに正月のお雑煮をごちそうになっていると明かしている。石井によれば、晩年の京は世話をしていたマネージャーに先立たれて一人になり、石井や奈良岡、若尾と近い場所で暮らすようになったという。石井は京の好物の煮物を作って届け、一緒に食卓を囲む仲だった。

ほかに、京と同じ大映の後輩だった大楠道代は、学生時代から京に憧れており、大映京都撮影所で見た京を「別世界に咲く大輪の花」と表現している。大映以外でも、晩年は森光子と連れ立って観劇する姿が報じられたことがある。

作品の評価とリバイバル上映[編集]

海外での評価[編集]

京マチ子は「世界でもっとも有名な日本の女優」と呼ばれることもある。『羅生門』『雨月物語』『地獄門』はいずれも海外の映画史の定番教材で、京の名前はそれとともに世界の映画ファンに記憶された。2020年2月の第92回米国アカデミー賞授賞式では、前年に亡くなった映画人を追悼する「In Memoriam」のコーナーで京の名前が紹介された。2000年の『キネマ旬報』の投票では20世紀の日本女優の3位に入り、田中絹代や原節子と並べて「昭和の三大女優」と語られることも多い。

2010年代〜2020年代の4K修復とリバイバル[編集]

京の出演作は、大映作品の権利を持つKADOKAWA(旧・角川)を中心にデジタル修復が進められてきた。『羅生門』は角川文化振興財団と米国映画芸術科学アカデミーなどによる復元プロジェクトで、2008年に4K解像度スキャンによる復元が紹介された。『地獄門』の4Kデジタル修復版は、2017年の第30回東京国際映画祭で上映され、よみがえった色彩に大きな拍手が起きた。

2017年12月には大映創立75周年の「大映女優祭」が角川シネマ新宿ほかで開かれ、一部作品が4Kリマスターで上映された。2019年2月からはデビュー70周年を記念した「京マチ子映画祭」が角川シネマ有楽町を皮切りに全国を巡回し、代表作32本を上映。溝口の『赤線地帯』は4K修復版での国内初上映となり、『流転の王妃』など3本が初めてDVD化された。期間中に京が亡くなったため、8月からは東京・YEBISU GARDEN CINEMAで追悼上映が行われ、9月から10月には大阪のシネ・ヌーヴォで『雨月物語』『浮草』の4K版を含む15本の「名女優・京マチ子 追悼上映」が組まれた。

2020年には『羅生門』の公開70周年を記念した展覧会が国立映画アーカイブで開かれ、2021年には京都文化博物館に巡回した。2021年2月から3月には東京・新文芸坐で三回忌の追善特集「大映映画の大輪の華 京マチ子」が開かれ、『痴人の愛』『女の一生』など主演作が上映された。2023年1月からの「大映4K映画祭」(角川シネマ有楽町、シネ・ヌーヴォほか)では、全28本の中に『羅生門』『雨月物語』『赤線地帯』『浮草』『流転の王妃』と京の出演作が並び、4Kでの再評価が進んでいる。2025年から2026年にかけても、週刊誌系ウェブメディアの連載で「肉体派から国際派へ」の歩みや晩年の交友が取り上げられるなど、没後も話題に上り続けている。

人物・エピソード[編集]

  • 生涯独身:一度も結婚せず、私生活の話題がほとんど報じられなかった女優である。脚本家の橋田壽賀子は、京を「少女のような方」と評し、それが独身を通した理由ではないかと語っている。
  • グチを言わない人:橋田は少女歌劇時代から京のファンで、NHKドラマ『四季の家』の仕事を機に、マネージャーを通じて個人的に親しくなった。京はよく橋田を食事に連れ出しておごってくれたといい、橋田は「京さんは一度もグチや人の悪口を言わなかった」と自分と比べて振り返っている。
  • ヴィヴィアン・リーに学ぶ:40代のころニューヨークを訪れた京は、『風と共に去りぬ』の大女優ヴィヴィアン・リーがブロードウェイのオーディションを受けている場面に居合わせた。帰国した羽田空港で「あんな大女優になっても、オーディションを受けるものなのね」と語り、新しいことに挑戦する姿勢を学んだと話したという。映画記者の島久夫は、この体験がその後何十年も現役を続ける原動力になったのではないかと書いている。
  • 石井ふく子との名コンビ:『ああ離婚』などテレビ・舞台で長く組んだ石井ふく子は、京を「大女優さんとお呼びするにふさわしいお芝居をされる方」と評し、「京さんのような方はもう現れない」と惜しんだ。
  • 大阪弁の人:大映入社時は大阪弁丸出しだったといわれ、のちの『いとはん物語』『大阪の女』では、その大阪弁が武器になった。2019年には故郷・大阪のシネ・ヌーヴォでも追悼上映が組まれている。

余談[編集]

  • 『羅生門』では、眉をそり落として撮影に臨んだと報じられている。
  • 『羅生門』の主要キャストの中で、京は最後まで存命だった一人である。
  • 『浮草』は小津安二郎作品で唯一、三重県でロケが行われた作品とされる。京と若尾文子、杉村春子が一つの画面に並ぶ贅沢な一本でもある。
  • 『地獄門』は大映初のイーストマン・カラー作品で、京にとって初のカラー映画。カンヌでの受賞に加え、米国アカデミー賞の衣装デザイン賞も受けている。
  • 2019年の「京マチ子映画祭」で上映された『有楽町で逢いましょう』(1958年)は、会場の角川シネマ有楽町が入るビルの前身、旧・有楽町そごうが舞台の映画だった。
  • 1973年の第24回NHK紅白歌合戦では審査員を務めている。

外部リンク[編集]

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