いしだあゆみ
Ayumi Ishida
Ishida-Ayumi-1965-1.jpg
1965年頃(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン)
本名 石田良子(いしだ よしこ)
誕生日 1948年3月26日
死亡日 2025年3月11日
死亡年齢 76歳(数え年78)
出身地 長崎県佐世保市生まれ、大阪府池田市育ち
国籍 日本
学歴 上野学園高等学校卒業
ジャンル 歌謡曲、映画、テレビドラマ
活動期間 1961年 - 2024年
デビューアルバム 1962年 シングル「夢みる恋」(ソノブックス)
家族 4人姉妹の次女。姉:石田治子、妹:石田ゆり(義弟:なかにし礼)
事務所 イザワオフィス
代表作 「ブルー・ライト・ヨコハマ」「あなたならどうする」、『北の国から』『阿修羅のごとく』『金曜日の妻たちへ』『駅 STATION』『火宅の人』
関連活動 元夫:萩原健一(1980年 - 1984年)
その他 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞(『火宅の人』『時計 Adieu l'Hiver』)、ブルーリボン賞主演女優賞、旭日小綬章(2021年)


概要[編集]

いしだあゆみ(1948年3月26日 - 2025年3月11日)とは、日本の歌手・女優である。本名は石田良子。1968年の「ブルー・ライト・ヨコハマ」がミリオンセラーとなり、昭和歌謡を代表する歌姫になった。その後は女優に軸足を移し、『北の国から』『阿修羅のごとく』『火宅の人』などで「影のある大人の女」を演じ切った。2025年3月、76歳で死去した。

詳細[編集]

鳴かず飛ばずの4年間[編集]

長崎県佐世保市で生まれ、大阪府池田市で育った。4人姉妹の次女である。生後2か月で肺炎にかかり、米軍基地の病院でペニシリンを打ってもらって命拾いしたという話が伝わっている。5歳からフィギュアスケートを始めて選手として活動し、同時に児童劇団「ともだち劇場」に入って芝居を学んだ。1961年には梅田コマ劇場で初舞台を踏んでいる。

1962年、14歳で上京して作曲家いずみたくに師事し、同年「夢みる恋」でレコードを出した。1964年に日本ビクターへ移り、「いしだあゆみ」という芸名は同年4月に永六輔が名付けたものである。ドラマ『七人の孫』にも出演して歌と芝居の二刀流で売り出されたが、4年間で23枚出したシングルの最高売上は2作目「サチオ君」の約5万枚どまり。今で言う「なかなか売れないアイドル」状態が続いた。

「ブルー・ライト・ヨコハマ」の大逆転[編集]

1968年6月に日本コロムビアへ移籍。同年12月に出したのが、作詞・橋本淳、作曲・筒美京平の「ブルー・ライト・ヨコハマ」である。これが累計150万枚を超えるミリオンセラーとなり、オリコン週間1位、1969年の年間チャート3位を記録した。いしだにとっても、のちに日本の歌謡界を代表するヒットメーカーとなる筒美京平にとっても、初のオリコン週間1位だった。筒美はこの曲で日本レコード大賞の作曲賞を受けている。

この大ヒットで、1969年のNHK紅白歌合戦に初出場。続く「あなたならどうする」(1970年、オリコン最高2位)、「砂漠のような東京で」(1971年、同3位)もヒットし、紅白には通算10回出場した。紅白で「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌ったのは1969年、1973年、1993年の3回である。

歌手から女優へ[編集]

1970年代に入ると女優業の比重が増していく。1973年の大作映画『日本沈没』に出演し、1977年の『青春の門 自立篇』で報知映画賞助演女優賞と第1回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を獲得した。30歳前後からは女優業に専念する形になり、NHKの『阿修羅のごとく』、フジテレビの『北の国から』、TBSテレビの『金曜日の妻たちへ』と、のちに「伝説」と呼ばれるドラマに次々と出演していく。

1986年には映画『火宅の人』と『時計 Adieu l'Hiver』で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞、報知映画賞、毎日映画コンクールの主演女優賞をまとめて手にした。歌手として頂点を極めた人が、女優としても頂点に立った瞬間である。それでも本人は肩書きに「女優」と書かれると申し訳ない気持ちになると語るほど謙虚で、取材にもマネジャーを連れず1人で現れたという。

ブルー・ライト・ヨコハマ[編集]

「カワサキ」になるはずだった名曲[編集]

作詞の橋本淳は、麻雀仲間のいる横浜を訪れて海を眺めているうちに着想を得たとされる。当時の海沿いは暗く、遠くの京浜工業地帯の灯りが青く見え、そこにフランス・カンヌの夜景を重ねたという。ところが最初のタイトルは「ブルー・ライト・カワサキ」だった。橋本が電話で伝えると、筒美京平が「“ヨコハマ”の方が良くないですか?」と提案し、現在のタイトルになった。もし筒美のひと言がなければ、川崎市が日本屈指のご当地ソングを手にしていたかもしれない。

ヒット中の1969年2月24日、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』で歌っている最中に、いしだが号泣してしまう一幕があった。共演していた森進一がハンカチで涙をぬぐってあげたという。本人はのちに「私物凄く上がってしまい、何歌ってるのか分からなくなった」と振り返っている。

横浜の歌、そして韓国の歌[編集]

横浜市が行ったご当地ソングのアンケートでは、童謡「赤い靴」を大きく引き離して1位になった。2008年12月からは京急本線の横浜駅で接近メロディとして使われている。漫画『サザエさん』にも、サザエが駅の窓口で横浜行きの切符を買う際に曲名を口走って赤面する場面がある。是枝裕和監督の映画『歩いても 歩いても』(2008年)のタイトルも、この曲の歌詞から取られた。

意外なのは韓国での人気である。日本の大衆音楽が規制されていた時代にも、ソウルや釜山で知られていたほぼ唯一の歌謡曲とされ、「韓国人が最もよく知る日本の歌」と紹介されることがある。朴正煕大統領も宴席で歌っていたといわれ、BIGBANGなどK-POP側のアーティストからもこの曲の影響を語る声がある。

カバーの山[編集]

これだけのスタンダードになると、カバーも数えきれない。ちあきなおみ(1970年)、欧陽菲菲、研ナオコ、内山田洋とクール・ファイブ、近藤真彦(1982年)、香西かおり、サザンオールスターズ(2005年)、八代亜紀、由紀さおり&ピンク・マルティーニ、徳永英明、アイナ・ジ・エンド(2021年)、松本孝弘(2024年)など、ジャンルも世代も超えて歌い継がれている。2004年には上原多香子がカバーし、NHK連続テレビ小説『てるてる家族』の挿入歌にもなった。

女優としての代表作[編集]

『阿修羅のごとく』(1979年)[編集]

向田邦子脚本のNHKドラマで、竹沢家の四姉妹を加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュンが演じた。いしだの役は三女・滝子。図書館に勤める女性で、老いた父の浮気が発覚したことから始まる四姉妹の騒動の中で、姉妹それぞれの本音と嫉妬がぶつかり合う。2025年には是枝裕和監督がNetflixでリメイクし、滝子役は蒼井優、四女役は広瀬すずが務めている。

『北の国から』(1981年 - )[編集]

倉本聰脚本のフジテレビの国民的ドラマ。いしだが演じたのは黒板五郎(田中邦衛)の妻で、純と蛍の母である令子である。東京で美容師として働く令子の浮気をきっかけに、五郎は2人の子を連れて富良野へ帰郷する。つまり、物語全体の出発点をつくった人物だ。

令子は、富良野で生きる五郎と対照的な「東京」の象徴として描かれ、連続ドラマの中で世を去る。後年のスペシャル『2002遺言』では、大人になった蛍(中嶋朋子)のふとした表情や話し方が「在りし日の令子」に似ていると評された。いしだは倉本聰作品の常連でもあり、晩年の『やすらぎの刻〜道』(2019年 - 2020年、テレビ朝日)にも出演している。

『駅 STATION』と『男はつらいよ』(1981年・1982年)[編集]

降旗康男監督の映画『駅 STATION』(1981年)では、高倉健演じる刑事・英次の元妻・直子を演じた。この役は公開当時から話題になり、日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受けた。

翌1982年には、山田洋次監督の『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』でマドンナのかがりを演じ、渥美清演じる寅さんと共演。同年の『野獣刑事』とあわせて日本アカデミー賞優秀主演女優賞、ヨコハマ映画祭主演女優賞を受賞した。

『火宅の人』(1986年)[編集]

檀一雄の私小説を深作欣二監督が映画化した作品で、主人公の作家・桂一雄を緒形拳、愛人を原田美枝子、旅先で出会う女を松坂慶子が演じた。いしだは一雄の妻・ヨリ子役。夫が愛人のことを打ち明けると「知ってます」と答える、感情を見せない妻である。普段は不機嫌でクールなのに、ときどき見せる笑顔に多幸感があふれるという落差が絶賛され、キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞などを受けた。劇中には太宰治の文学碑の除幕式の場面も出てくる。

同年の『時計 Adieu l'Hiver』とあわせ、この年の主演女優賞を総なめにしている。

『金曜日の妻たちへ』(1983年・1985年)[編集]

TBS系で放送され、郊外のニュータウンに暮らす夫婦たちの不倫と友情を描いて社会現象になったドラマ。親友の小川知子とも共演した。いしだの晩年まで「金妻」はプロフィールで必ず挙がる代表作であり続けた。

その他の主な出演作[編集]

  • 1973年『日本沈没』(阿部玲子)
  • 1977年『青春の門 自立篇』(カオル)
  • 1977年 - 『祭ばやしが聞こえる』(日本テレビ系) - 萩原健一と共演
  • 1979年『闇の狩人』(おりは)
  • 1982年『野獣刑事』(山根恵子)
  • 1983年『積木くずし』(穂波美知江)
  • 1985年『夜叉』(冬子)
  • 1986年『時計 Adieu l'Hiver』(早見令子)
  • 1996年『学校II』(北川玲子) - 監督:山田洋次
  • 2000年『長崎ぶらぶら節』(古賀艶子)
  • 2019年 - 2020年『やすらぎの刻〜道』(テレビ朝日)
  • 2024年『室井慎次 敗れざる者』『室井慎次 生き続ける者』(市毛きぬ) - 遺作

経歴[編集]

1948年 - 1967年:少女歌手時代[編集]

1948年3月26日、長崎県佐世保市生まれ。大阪府池田市で育ち、大阪学芸大学附属池田小学校(現・大阪教育大学附属池田小学校)を卒業した。フィギュアスケートと児童劇団で鍛えられ、1961年に梅田コマ劇場で初舞台。1962年4月に「夢みる恋」(原題:Walkin' Back To Happiness)を発表し、同年上京していずみたくに師事した。1964年に日本ビクターから「ネェ、聞いてよママ」を出し、同年からドラマ『七人の孫』に出演している。上野学園高等学校を卒業。

1968年 - 1976年:ヒット歌手の時代[編集]

1968年6月に日本コロムビアへ移籍し、12月に「ブルー・ライト・ヨコハマ」を発売。翌1969年に紅白初出場を果たし、1970年「あなたならどうする」、1971年「砂漠のような東京で」とヒットを重ねた。1973年の映画『日本沈没』では、日本列島が沈むパニック大作のヒロイン格を演じている。

1977年 - 1980年代:女優としての黄金期[編集]

1977年、細野晴臣らのティン・パン・アレーと組んだアルバム『アワー・コネクション』を発表。歌謡曲の歌手がニューミュージック側の腕利きミュージシャンと作った意欲作で、のちのシティポップ・ブームで再評価された。1981年には松任谷由実や岩谷時子が作詞したアルバム『いしだあゆみ』も出している。

同じ1977年からの日本テレビ系ドラマ『祭ばやしが聞こえる』で萩原健一と共演し、1980年に結婚。1979年『阿修羅のごとく』、1981年『北の国から』『駅 STATION』、1982年『野獣刑事』『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』、1983年『金曜日の妻たちへ』、1986年『火宅の人』『時計 Adieu l'Hiver』と代表作が集中した。1986年には渡哲也とのデュエット曲「わかれ道」も出している。

1990年代 - 2024年:ベテラン女優として[編集]

1993年の紅白で久々に「ブルー・ライト・ヨコハマ」を披露。1996年の『学校II』で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受けた。2000年には『長崎ぶらぶら節』に出演。2008年にはNHKラジオ『ラジオ深夜便』で新曲「オアシス」を発表している。

2019年から2020年にかけて、倉本聰脚本の『やすらぎの刻〜道』に出演。同作では『北の国から』の純役・吉岡秀隆とも共演した。2020年に文化庁長官表彰、2021年に旭日小綬章を受けた。2024年には『踊る大捜査線』シリーズのスピンオフ映画『室井慎次 敗れざる者』『室井慎次 生き続ける者』に出演。柳葉敏郎演じる室井の周囲に現れる市毛きぬを演じ、これが最後の出演作となった。

2025年:死去[編集]

2025年3月11日午前4時48分、甲状腺機能低下症のため東京都内の病院で死去した。76歳。77歳の誕生日(喜寿)を15日後に控えていた。最期は妹が看取った。所属事務所のイザワオフィスが3月17日に公表し、葬儀は近親者のみで済ませ、本人の遺志によりお別れの会は開かないとした。

私生活[編集]

萩原健一との結婚と離婚[編集]

1977年のドラマ『祭ばやしが聞こえる』での共演がきっかけで、2歳年下の萩原健一と交際し、1980年に結婚した。報道によれば、熱を上げたのは萩原の方だったが、いしだも彼をかわいがっていたという。

結婚生活中の1983年、萩原が大麻事件で逮捕された際には家宅捜索に立ち会った。翌1984年に萩原が飲酒運転で人身事故を起こした際も「どんなバカ男と言われようが、彼は私の夫。見捨てません」と擁護したと報じられている。しかし同年に離婚し、結婚生活は約4年で終わった。2019年に萩原が亡くなった際には「ご冥福をお祈りします」と追悼している。その後、再婚はしていない。

姉妹と家族[編集]

4人姉妹の次女で、姉は石田治子、妹は石田ゆり。石田ゆりは作詞家なかにし礼の妻で、なかにしはいしだにとって義弟にあたる。なかにしの息子で音楽プロデューサーの中西康夫は甥にあたり、訃報後にいしだの晩年の暮らしぶりを証言している。

晩年の暮らし[編集]

還暦を過ぎてからは持ち物を極力減らすシンプルな暮らしを送っていたとされる。甥の中西康夫によれば、夜7時ごろに寝て深夜から早朝に起きる生活リズムで、身の回りのことは一人でこなしていたという。同じマンションに住んでいた時期もあったが、食事を共にすることはなく、エントランスでたまに挨拶する程度だったとのこと。親友の小川知子は、尼僧のような規則正しい生活を送り、人生には「もう何も未練はない」と話していたと明かしている。

訃報と追悼[編集]

  • 小川知子:16歳の頃からの「無二の親友」。先に歌手としてヒットした小川をいしだがうらやましがり、翌年「ブルーライト」が大ヒットすると2人で抱き合って喜んだという思い出をInstagramでつづった。困った時や悲しい時には、いつも小川の家に来て思いを吐き出していたとも明かし、「拍手で送りたい」と結んだ。
  • 小柳ルミ子:同じ事務所の後輩としてたびたび共演した仲。テレビの速報で知り「あまりに突然で気が動転しています」とブログに記した。
  • 柳葉敏郎:遺作『室井慎次』で共演した柳葉は、撮影時のものとみられるツーショット写真をInstagramに投稿して追悼した。
  • 倉本聰:『北の国から』の脚本家として、どんな役も演じられる女優だったとその死を惜しんだと報じられた。
  • 和田アキ子、小林幸子らも追悼のコメントを出している。

訃報の後、2025年8月には『北の国から』連続ドラマ全24話が関東ローカルで再放送され、11月には遺作の『室井慎次』2部作がNetflixで見放題配信となった。2026年1月発表の第49回日本アカデミー賞では、長年の映画界への貢献をたたえて会長特別賞が贈られている。

受賞歴[編集]

  • 1969年 第11回日本レコード大賞 作曲賞(筒美京平、「ブルー・ライト・ヨコハマ」)
  • 1977年 報知映画賞 助演女優賞(『青春の門 自立篇』)
  • 第1回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞(『青春の門 自立篇』)
  • 第5回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞(『駅 STATION』)
  • 第4回ヨコハマ映画祭 主演女優賞(『野獣刑事』)
  • 第6回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(『野獣刑事』『寅次郎あじさいの恋』)
  • 第10回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞(『火宅の人』『時計 Adieu l'Hiver』)
  • 第29回ブルーリボン賞 主演女優賞(同上)
  • 第11回報知映画賞 主演女優賞(同上)
  • 第41回毎日映画コンクール 女優主演賞(同上)
  • 第60回キネマ旬報ベスト・テン 助演女優賞(『火宅の人』)
  • 第24回ゴールデン・アロー賞 大賞・映画賞
  • 第20回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(『学校II』)
  • 2020年 文化庁長官表彰
  • 2021年 旭日小綬章
  • 2026年 第49回日本アカデミー賞 会長特別賞

余談[編集]

  • 芸名の「いしだあゆみ」は、1964年に永六輔が名付けたものである。
  • 「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、当初「ブルー・ライト・カワサキ」になる予定だった。
  • 千葉真一の熱狂的なファンだったとされる。
  • 2008年の是枝裕和監督作『歩いても 歩いても』は、「ブルー・ライト・ヨコハマ」の歌詞からタイトルを取り、劇中でも曲を使っている。
  • 女優賞を総なめにしながら、「女優」と肩書きに書かれると申し訳ないと語っていた。
  • 『阿修羅のごとく』が2025年に是枝監督でリメイクされた際も、オリジナル版の四姉妹の一人として改めて注目された。
  • 77歳の誕生日を目前にした死去で、日刊ゲンダイは「喜寿」を目前にしていたと伝えた。

外部リンク[編集]

  • 所属事務所の公式プロフィールは確認できなかった。

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