ちあきなおみ
Naomi Chiaki
基本情報
本名 瀬川三恵子(せがわ みえこ)
誕生日 1947年9月17日
年齢 79歳
出身地 東京都板橋区育ち(神奈川県生まれ)
国籍 日本
ジャンル 歌謡曲、演歌、ポップス、シャンソン、ファド、ジャズ
活動期間 1969年 - 1992年
デビューアルバム シングル「雨に濡れた慕情」(1969年6月10日)
家族 夫・郷鍈治(1978年結婚、1992年死去)、義兄・宍戸錠
身長 / 体重 ― cm / ― kg
レーベル 日本コロムビア → ビクター → テイチク
事務所 セガワ事務所(夫・郷鍈治が社長を務めた個人事務所)
関連活動 女優、ミュージカル(『LADY DAY』『Song Days』)
その他 第14回日本レコード大賞(「喝采」)、NHK紅白歌合戦出場9回



概要[編集]

ちあきなおみ(1947年9月17日 - )とは、日本の歌手・女優である。1972年の「喝采」で日本レコード大賞を受賞し、演歌からシャンソン、ファドまで歌いこなす圧倒的な表現力で「伝説の歌姫」と呼ばれる。1992年に夫・郷鍈治と死別して以来、30年以上にわたって一切表舞台に立っていないが、CDや配信は今も売れ続けている。

詳細[編集]

「歌わない喝采歌手」という唯一無二の存在[編集]

ちあきなおみは、昭和の歌謡界で「歌が上手い人」の話になると、ほぼ必ず名前が挙がる歌手である。デビュー当初は「四つのお願い」「X+Y=LOVE」などで“お色気アイドル路線”を走っていたが、1972年の「喝采」で一気に実力派の頂点へ。その後は船村徹の演歌、中島みゆきや友川カズキのフォーク系作品、シャンソン、ポルトガルの民衆歌謡ファドと、ジャンルの壁を次々に越えていった。

ところが1992年9月、夫で俳優の郷鍈治が亡くなると、彼女は「時間が必要」という趣旨のコメントを出したきり、テレビ・ステージ・取材のすべてから姿を消した。引退宣言はしていないが、以後30年以上、新たな歌唱も公の場への登場もない。日刊ゲンダイの連載では「歌わない喝采歌手」として伝説だけが広まっている、と表現されている。

休止後も「売れ続ける」異例の現象[編集]

普通、活動を止めた歌手のカタログは少しずつ忘れられていく。ちあきなおみはその逆で、休止から8年後の2000年に出たCD-BOX『ちあきなおみ全集 ねえあんた』が予想外のヒットとなり、以後もBOXやコンセプトアルバムが定期的に出ては売れている。2022年のアルバム『残映』は、オリコン週間アルバムランキングの「演歌・歌謡」ジャンルで1位を獲得し、前作『微吟』が2位に入って1・2位を独占した。

2024年のデビュー55周年には、在籍した3社(日本コロムビア・ビクター・テイチク)の音源が初めてデジタル配信で一斉解禁された。すると50年以上前の「喝采」がレコチョクやiTunesのランキングで1位になり、若い世代からも「初めて聴いて驚いた」という声がSNSにあふれた。配信は本人の「ファンの方々が望んでくださるなら」という同意を得て実現したと報じられている。

テレビが何度も「特集」を組む歌手[編集]

本人が一切出演しないにもかかわらず、NHKや民放BSは繰り返しちあきなおみの特番を制作している。2005年のNHK-BS2『歌伝説・ちあきなおみの世界』に始まり、テレビ東京の『たけしの誰でもピカソ』、NHK総合『SONGS』、BSテレ東・BS-TBSの特番と続き、2024年にはデビュー55周年企画が相次いだ。

2025年もNHK BSで特集第2弾『ちあきなおみⅡ~NHK秘蔵映像で贈る名曲シリーズ~』が放送され、年末には第1弾と第2弾が2日連続でアンコール放送された。「新しい映像がもう撮れない」歌手が、アーカイブだけで何度も番組を成立させてしまう。それ自体が、ちあきなおみという歌手の特異さを物語っている。

経歴[編集]

幼少期〜下積み[編集]

1947年9月17日、神奈川県で三姉妹の末っ子として生まれ、東京都板橋区で育つ。4歳でタップダンスを始め、5歳のときには日劇の舞台を踏んでいる。子どもの頃から米軍キャンプでジャズを歌っていたという筋金入りのステージっ子だった。

小学2年生のときに藤沢市辻堂へ転居し、中学時代には大田区、新宿区と何度か転校している。日本コロムビアのオーディションを経て、作曲家・鈴木淳のもとで約1年4か月にわたりレッスンを受けた。この時期には橘幸夫やこまどり姉妹らの前座も務め、下積みを重ねた。

デビューと「お色気路線」[編集]

1969年6月10日、21歳で「雨に濡れた慕情」で日本コロムビアからデビュー。芸名の「ちあき」はフジテレビのプロデューサーの姓から、「なおみ」は坂本龍馬の名(諱)に由来する、と伝えられている。

翌1970年4月10日に発売された「四つのお願い」(作曲・鈴木淳)がオリコン最高4位、累計37.6万枚のヒットとなり、初のオリコントップ10入りを果たす。同年の第21回NHK紅白歌合戦にこの曲で初出場した。ただ本人はこの明るい曲が自分に合わないと感じていたようで、「ああ、こりゃダメだ、この曲で私も終わりだと思った」と振り返っている。続く「X+Y=LOVE」もヒットし、“セクシー路線のアイドル歌手”として人気を集めた。

「喝采」でレコード大賞[編集]

1972年9月10日、13枚目のシングル「喝采」(作詞・吉田旺、作曲・中村泰士)を発売。発売からわずか3か月で第14回日本レコード大賞を受賞した。発売から受賞までの期間は史上最短記録とされる。当初は小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が最有力候補だったとされ、作曲者にとっても受賞は意外だったという。同年の第23回紅白歌合戦でも「喝采」を歌唱した。

その後は「劇場」「夜間飛行」と続く“ドラマチック歌謡”路線を展開。1970年の初出場から1977年の第28回まで、紅白には8年連続で出場している。

歌いたい歌を探す時代[編集]

1975〜76年にかけては船村徹作品の「さだめ川」「酒場川」などで演歌に本格的に取り組んだ。1976年の「酒場川」のB面に収められたのが、のちに大ヒットする「矢切の渡し」(作詞・石本美由起、作曲・船村徹)である。

1977年には中島みゆき作詞・作曲の「ルージュ」、友川かずき(友川カズキ)作詞・作曲の「夜へ急ぐ人」を発表。後者を歌った第28回紅白のパフォーマンスは、今も語り草になっている。1978年には河島英五の「あまぐも」をリリース。同年、俳優の郷鍈治と結婚した。

1980年代にはビクターを経てテイチクへ移籍。1988年には「役者」「紅とんぼ」、ASKA作の「伝わりますか」を発表し、同年の第39回紅白に11年ぶりに出場した(通算9回目)。1989〜1990年にはジャズ歌手ビリー・ホリデイを描いたミュージカル『LADY DAY』、1991年には『Song Days』に主演している。

1992年、表舞台からの退場[編集]

1991年には水原弘の名曲「黄昏のビギン」をカバー。1992年には、現時点でのラストシングルとされる「紅い花」を発表した。

1992年9月11日、夫で個人事務所の社長兼マネージャー・プロデューサーでもあった郷鍈治が死去する。ちあきは、夫の死を受け入れるための時間が必要だという趣旨のコメントを出し、以後すべての芸能活動を休止した。マスコミの取材にも応じず、事実上の引退状態が続いている。本人が引退を明言したわけではない、とする報道もある。

代表曲の解説[編集]

喝采(1972年)[編集]

ちあきなおみ最大のヒット曲で、オリコン集計で約80万枚、日本コロムビア調べでは累計約130万枚を売り上げた。オリコンでは週間2位止まりだったが、これは宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」に阻まれ、12週にわたって2位に留まったためである。年間チャートでは1973年度の4位に入っている。

作詞の吉田旺は「歌い手」をテーマに詞を書こうと考え、当初のタイトルは「幕が開く」だった。プロデューサーの東元晃が難色を示し、「喝采」に改められている。作曲の中村泰士は「四つのお願い」などで彼女の歌声に惚れ込み、自らコロムビアの文芸部に楽曲提供を申し入れた人物。曲は「蘇州夜曲」や「アメイジング・グレイス」をベースに、演歌で使われるヨナ抜き音階をポップスに取り入れて作られた。

発売当時は、ちあき本人の実体験に基づく「私小説歌謡」として売り出された。しかし吉田は彼女の経験を知らずに詞を書いており、偶然の一致を宣伝に活かしたものとされる。歌謡曲では避けられがちな「喪服」のような地味な言葉をあえて使い、それを迫真の歌唱で歌い上げたことで、聴き手は「本当にあった話なのでは」と錯覚した。レコーディングでは周囲を黒いカーテンで囲み、裸足で臨んだという逸話も残る。

カバーも非常に多く、1973年には石原裕次郎と由紀さおりが歌っているほか、尾崎紀世彦、徳永英明、島津亜矢、八代亜紀、一青窈、桑田佳祐(2014年)、宮本浩次(2020年)らが取り上げている。

四つのお願い(1970年)[編集]

作曲は育ての親である鈴木淳。アップテンポで可愛らしい曲調で、オリコン最高4位、1970年の年間22位を記録した。フジテレビ系のバラエティ番組『祭りだ!ワッショイ!』では歌謡アニメとしても使われている。

累計37.6万枚は「喝采」に次ぐ売上で、彼女の“アイドル時代”を象徴する1曲。本人の評価は前述の通り散々だったが、2024年のNHK特番では1970年『ふるさとの歌まつり』の超レア映像が発掘され、話題になった。

夜へ急ぐ人(1977年)[編集]

フォーク歌手・友川かずきが作詞・作曲した異色作。歌謡曲の枠を大きくはみ出した前衛的な曲で、1977年の第28回紅白での鬼気迫るパフォーマンスは、紅白の歴史の中でもとりわけ強烈な名場面として繰り返し再放送されている。

2025年6月10日の『うたコン』(NHK総合)でも、デビュー日にちなんだ特集として紅白での「喝采」「夜間飛行」「夜へ急ぐ人」がノーカットで放送された。カバーでは一青窈の歌唱が『The Covers』で紹介されている。

紅とんぼ(1988年)[編集]

船村徹作曲の歌謡曲で、酒場を舞台にした女性の心情を描いた1曲。1988年のNHK『歌謡パレード'88』で披露された映像が、2025年のNHK BS特集第2弾でも紹介された。1980年代後半のちあきなおみが到達した、力みのない“語るような歌唱”の代表例として、ファンの人気が高い。

黄昏のビギン(1991年カバー)[編集]

原曲は1959年に水原弘が歌った曲(作詞・永六輔、作曲・中村八大)。ちあきなおみ版は1991年にリリースされ、同年の京成電鉄「スカイライナー」、1999〜2003年のネスレ日本「ネスカフェ・プレジデント」、2011年のトヨタ自動車の企業CM「ReBORN DRIVE FOR TOHOKU」など、長年にわたってCMで使われ続けた。

休止後に「ちあきなおみを初めて知った」という人の多くが、このCMソング経由だったとも言える。結果として、彼女の代表曲の一つとして定着した。

その他の主な曲[編集]

  • 「雨に濡れた慕情」(1969年) - デビュー曲
  • 「X+Y=LOVE」(1970年) - お色気路線期のヒット
  • 「劇場」「夜間飛行」(1973年) - 「喝采」と並ぶドラマチック歌謡
  • 「円舞曲(ワルツ)」(1974年)
  • 「さだめ川」(1975年) - 船村徹作曲。第26回紅白で歌唱
  • 「矢切の渡し」(1976年) - 「酒場川」のB面
  • 「ねえあんた」(1975年発表) - 1曲7分を超える一人芝居のような大作
  • 「ルージュ」(1977年) - 中島みゆき作
  • 「あまぐも」(1978年) - 河島英五作
  • 「役者」「冬隣」(1988年)
  • 「伝わりますか」(1988年) - ASKA作
  • 「紅い花」(1992年) - 現時点でのラストシングル
  • 「朝日のあたる家(朝日楼)」 - アメリカ民謡に浅川マキが日本語詞をつけた“幻の名曲”

「矢切の渡し」とレコード大賞の因縁[編集]

「矢切の渡し」は、制作陣がA面を望んだものの、ちあき本人の希望で「酒場川」がA面になり、B面として埋もれていた曲である。ところが1982年、梅沢富美男の舞踊演目で使われて話題になり、同年10月21日に本作をA面としたシングルが改めて発売された。

翌1983年2月には細川たかしが同じ日本コロムビアからカバー版を発売し、こちらが大ヒット。細川は同年の日本レコード大賞を受賞した。ちあき版は細川版の発売翌年に生産中止となったが、有線チャートではちあき版が1位を獲得している。

作曲者の船村徹は、ちあき版を曲のイメージに合った「手漕ぎの櫓(ろ)」、細川版を「モーター付きの船」にたとえて評した。どちらが良い悪いではなく、歌い手の個性の違いを端的に表したコメントとして知られる。

独特の表現力と後進からの評価[編集]

「歌う」より「演じる」[編集]

ちあきなおみの歌は、しばしば「一人芝居」にたとえられる。役柄に入り込むように声色や間を変え、同じ1曲の中で少女にも老女にもなる。「喝采」が実話だと信じられたのも、「夜へ急ぐ人」が今も語り継がれるのも、この憑依型ともいえる表現力によるところが大きい。

ジャンルの幅も規格外で、演歌、歌謡曲、フォーク、ジャズ、シャンソン、ファドまで録音を残している。1988年のNHK『加山雄三ショー』では、ファドに惹かれた理由を本人が語るトークも残されている。テレビ東京の特番では「ハンブルグにて」や「18才の彼」などシャンソンの歌唱も紹介され、「表現者としての真骨頂」と位置づけられた。

作曲家・関係者の証言[編集]

デビュー前から彼女を育てた鈴木淳は、その声を最大の財産と評した。義兄の宍戸錠は「美空ひばりより上手い」と考えていたとされ、船村徹は美空ひばりとの違いについて「ひばりは裏声が出せたこと」くらいだと語ったと伝えられる。

プロデューサーの東元晃(元テイチクレコード社長)は、彼女を「徹底した完璧主義」と評している。レコーディングで納得できなければ、時間をかけてでもやり直していたという。休止後の作品群を監修しているのもこの東元である。

後進歌手によるカバー[編集]

後輩世代の歌手によるカバーは今も途切れない。NHKの音楽番組『The Covers』では2024年に「ちあきなおみ名曲カバーナイト!」が組まれ、島津亜矢が「朝日のあたる家(朝日楼)」を、ちあきと多くの作品やライブで共演した倉田信雄のアレンジで披露した。番組では過去の放送から宮本浩次の「喝采」、一青窈の「夜へ急ぐ人」、郷ひろみの「黄昏のビギン」、鈴木雅之の「紅い花」も紹介されている。

2025年4月の『放送100年フェス』でも郷ひろみが「喝采」を歌唱。2026年4月には、Ms.OOJAが初の演歌カバーアルバム『Ms.ENKA〜OOJAの演歌〜』に「冬隣」を収録した。報道によれば、この「冬隣」こそがMs.OOJAが演歌に挑戦するきっかけになった曲だという。ほかにも大竹しのぶが『うたコン』で「夜へ急ぐ人」を歌ったことが話題になるなど、歌い手が挑戦したくなる“難曲の宝庫”になっている。

中島みゆきとの邂逅[編集]

1976年、中島みゆきが研ナオコに提供した「あばよ」を聴いたちあきなおみは、中島に直接楽曲提供を依頼した。中島の側も以前からちあきに曲を書きたいと考えていたという。

こうして生まれたのが1977年4月のシングル「ルージュ」である。同年7月の同名アルバム『ルージュ』には、中島が提供した「うかれ屋」「帰っておいで」のほか、「流浪の歌」「雨が空を捨てる日は」、そして研ナオコの「あばよ」のカバーまで収録された。井上陽水や因幡晃らニューミュージック勢の楽曲も取り上げ、「歌いたい歌を歌う」方向へ舵を切った1枚として伝説的なアルバムとされている。

「ルージュ」は1979年に中島みゆき自身がアルバム『おかえりなさい』でセルフカバー。さらに1992年には、この曲を原曲とする広東語版「容易受傷的女人」をフェイ・ウォン(王菲)が歌い、中華圏で大ヒットした。ちあきなおみが依頼した1曲が、海を越えて別の大ヒットを生んだことになる。

休止後の作品とヒット[編集]

CD-BOXブーム[編集]

  • 2000年 - CD6枚組『ちあきなおみ全集 ねえあんた』。予想外の好セールスを記録
  • 2001〜2003年 - 5枚組『アンソロジー・オブ・ちあきなおみ』、10枚組の通信販売用BOX
  • 2008年 - CD-BOX『歌姫 ちあきなおみ』。未発表のライブ音源も収録

コンセプトアルバム三部作[編集]

休止後の“新作”として注目されたのが、東元晃監修のコンセプトアルバムシリーズである。ヒット曲を並べたベスト盤ではなく、歌唱力・表現力を味わえる楽曲を集めた「裏ベスト」的な性格を持つ。

発売日 タイトル 収録曲数 トピック
2019年4月17日 『微吟』 18曲 デビュー50周年記念。第61回日本レコード大賞企画賞を受賞。4万枚以上のセールス
2022年10月19日 『残映』 17曲 全曲最新リマスタリング。オリコン「演歌・歌謡」ジャンル1位、『微吟』が2位で上位独占
2024年3月20日 『銀嶺』 16曲 「人の優しさ」「様々な愛のかたち」がテーマ

『微吟』には「星影の小径」「冬隣」「四つのお願い」「紅とんぼ」「矢切の渡し」「朝日のあたる家(朝日楼)」「黄昏のビギン」「喝采」などを収録。『残映』には「伝わりますか」「東京砂漠」「夜霧よ今夜も有難う」「ラ・ボエーム」「夜へ急ぐ人」「紅い花」などが並ぶ。CDショップでのパネル展、ジャズ誌や演歌・カラオケ誌、ラジオでの紹介が重なり、ジャンルを超えて再評価が進んだとされる。

2024年、デビュー55周年の配信解禁[編集]

デビュー記念日の2024年6月10日、シングルと全オリジナルアルバムを合わせた300曲以上(報道によっては425曲)が、在籍3社から初めてデジタル配信された。「喝采」がレコチョクとiTunesのランキングで1位を獲得し、50年以上前の楽曲が最新チャートの上位に並ぶという異例の光景が生まれた。

女性自身の報道では、書家の根本知が大河ドラマ『光る君へ』の題字を、ちあきなおみの歌を聴きながら書いていたというエピソードも紹介されている。

2025年 - 2026年の動き[編集]

NHK BS『アナザーストーリーズ』(2025年2月)[編集]

2025年2月3日、NHK BSのドキュメンタリー『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』で「ちあきなおみ 〜喝采と沈黙の間で〜」が放送された。「喝采」の異色の歌詞や異例のレコーディングといった誕生秘話をひもとくとともに、1992年に突然活動を休止し、沈黙を続ける背景に迫る内容だった。

『放送100年フェス』で郷ひろみが「喝采」(2025年4月)[編集]

2025年4月6日、NHK BSの『放送100年フェス 第1夜』(MC:リリー・フランキー、上白石萌歌)で、郷ひろみが「喝采」をカバー。同じ回には工藤静香らも出演している。放送100年という節目の番組で、ちあきなおみの楽曲が選ばれた形だ。

NHK BS特集第2弾(2025年5月)[編集]

2024年9月の『ちあきなおみ~NHK秘蔵映像で贈るデビュー55周年~』(ナビゲーター:リリー・フランキー、全11曲)が大きな反響を呼んだことから、第2弾『ちあきなおみⅡ~NHK秘蔵映像で贈る名曲シリーズ~』が制作された。NHK BSプレミアム4Kで2025年5月3日に先行放送、NHK BSで5月10日に放送されている。

セットリストは第28回紅白の「夜へ急ぐ人」、1977年『ビッグショー』の「喝采」、1972年放送のモノクロ映像による「X+Y=LOVE」、第26回紅白の「さだめ川」、1988年『加山雄三ショー』の「港が見える丘」「かもめの街」、シャンソン「ボン・ボヮヤージュ」、『歌謡パレード'88』の「役者」「紅とんぼ」、そして1992年『愉快にオンステージ』の「ねえあんた」(7分超のフルサイズ)の全10曲。第1弾に入りきらなかった「超レア&伝説の名演集」と銘打たれた。

『うたコン』でちあきなおみ特集(2025年6月)[編集]

デビュー記念日の2025年6月10日、NHK総合の生放送『うたコン』で、1974年の紅白を振り返る「プレイバック紅白」企画とあわせてちあきなおみ特集が組まれた。紅白での「喝采」「夜間飛行」「夜へ急ぐ人」をノーカットで放送している。同じ回では西城秀樹の「傷だらけのローラ」なども紹介された。

年末の2日連続アンコール放送(2025年12月)[編集]

2025年12月28日と29日、NHK BSで第1弾・第2弾の特集が2日連続でアンコール放送された。番組紹介では、デジタル配信を通じて若い世代や海外のリスナーにも歌声が広がっていることが触れられている。

Ms.OOJAが「冬隣」をカバー(2026年)[編集]

2026年4月22日発売のMs.OOJA『Ms.ENKA〜OOJAの演歌〜』に「冬隣」(1988年)が収録された。美空ひばり「愛燦燦」、八代亜紀「雨の慕情」、都はるみ「北の宿から」などの名曲と並んでの選曲で、令和の歌い手にとっても、ちあきなおみが演歌・歌謡曲の“教科書”であることを示した。

「復活」はあるのか[編集]

2024年の女性自身の取材で、東元晃は今も本人と月に数回連絡を取り合っており、元気に過ごしていると語った。チャート1位を報告すると、本人はとても喜んでいたという。本人は今も歌が好きで、日本の昔の歌やシャンソン、ファドなどを幅広く聴いているとのこと。

東元は「タイミングが合えば歌う可能性は十分にある」との見方を示し、「誰よりももう一度彼女に歌ってほしい」と話している。ただし本人からの公式な発信はなく、2026年10月時点でも表舞台への復帰は実現していない。

主な出演[編集]

テレビ(現役時代)[編集]

CM[編集]

  • 「タンスにゴン」(1987年 - 1990年代) - 1990年の美川憲一との共演版が人気を呼んだ
  • 「黄昏のビギン」は本人出演ではないが、京成電鉄、ネスレ日本、トヨタ自動車のCMソングとして使用

舞台[編集]

  • ミュージカル『LADY DAY』(1989年、1990年) - 主演
  • 『Song Days』(1991年) - 主演

休止後の主な特番[編集]

放送 局 番組名
2005年11月 NHK-BS2 『歌伝説・ちあきなおみの世界』
2007年2月、2008年1月 テレビ東京 『たけしの誰でもピカソ』
2009年11月 NHK-BS2 『歌伝説 ちあきなおみ・ふたたび』
2013年11月16日 NHK総合 『SONGS』
2019年6月16日 BSテレビ東京 『ちあきなおみ 再び始まる歌姫伝説』
2020年10月 BS-TBS 『魂の歌!ちあきなおみ 秘蔵映像と不滅の輝き』
2023年2月 BS-TBS 『表現者ちあきなおみ ジャンルを超えた魅惑の歌声』
2024年5月 BSテレ東 『ちあきなおみ デビュー55周年~心を照らす不滅の歌声~』
2024年8月 NHK BS 『The Covers』ちあきなおみ名曲カバーナイト!
2024年9月16日 NHK BS 『ちあきなおみ~NHK秘蔵映像で贈るデビュー55周年~』
2025年2月3日 NHK BS 『アナザーストーリーズ』「ちあきなおみ 〜喝采と沈黙の間で〜」
2025年5月 NHK BS 『ちあきなおみⅡ~NHK秘蔵映像で贈る名曲シリーズ~』
2025年6月10日 NHK総合 『うたコン』ちあきなおみ特集
2025年12月28日・29日 NHK BS 特集第1弾・第2弾のアンコール放送

BS-TBSはTBSテレビ系列のBS局。BSテレ東の55周年特番は、テレビ東京に残る映像を中心にした2時間スペシャルで、中野サンプラザでの初リサイタル、日劇でのワンマンショー、船村徹との絆、石原裕次郎の「粋な別れ」のカバーなどが紹介された。

受賞歴[編集]

  • 1972年 - 第14回日本レコード大賞(「喝采」)
  • 2019年 - 第61回日本レコード大賞 企画賞(『微吟』)

余談[編集]

  • 芸名の「なおみ」は坂本龍馬の諱(いみな)に由来するとされる。坂本龍馬ファンには意外なトリビア。
  • 「喝采」がオリコン1位になれなかったのは、ぴんからトリオ「女のみち」が12週も1位に居座ったため。それでもレコード大賞は「喝采」が獲った。
  • 「喝采」のレコーディングでは周囲を黒いカーテンで囲み、裸足で歌ったという。
  • デビュー前は5歳で日劇の舞台に立ち、米軍キャンプでジャズを歌っていた。ジャズやシャンソンへの傾倒は、ここに原点があるとも言える。
  • 中島みゆきに依頼して生まれた「ルージュ」は、フェイ・ウォンの広東語カバーで中華圏の大ヒット曲になった。
  • 「矢切の渡し」はもともと彼女のB面曲。細川たかし版がレコード大賞を受賞したが、有線チャートではちあき版が1位を獲っている。
  • 2024年の配信解禁の際、プロデューサーと本人の会話は大谷翔平の話題や天気など、他愛もない世間話が中心だと報じられた。
  • 元マネージャーの古賀慎一郎は2020年に著書『ちあきなおみ 沈黙の理由』を出版している。

外部リンク[編集]

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