| 檀一雄 Dan Kazuo | |
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| ファイル:檀一雄.jpg | |
| 本名 | 檀一雄 |
| 誕生日 | 1912年2月3日 |
| 死亡日 | 1976年1月2日 |
| 死亡年齢 | 63歳 |
| 出身地 | 山梨県 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 東京帝国大学経済学部 |
| 職業 | 小説家・作詞家・料理家 |
| 肩書 | 「最後の無頼派」 |
| 活動期間 | 1930年代 - 1976年 |
| 代表的な実績 | 《火宅の人》《リツ子・その愛/その死》、直木賞、檀流クッキング |
| 受賞 | 直木賞(1951年)、読売文学賞、日本文学大賞 |
概要[編集]
檀一雄(だん かずお、1912年2月3日 - 1976年1月2日)は、昭和の小説家・作詞家・料理家。私小説、歴史小説、そして料理エッセイと幅広く活躍し、「最後の無頼派」と呼ばれた豪快な文士。
太宰治の無二の親友としても知られ、放浪と情熱に彩られた生き方そのものが伝説となっている。代表作『火宅の人』は自らの破天荒な恋愛遍歴を赤裸々に描いた畢生の大作で、料理本『檀流クッキング』では「男子厨房に入る」を地で行った元祖でもあるらしい。
生い立ちと文壇登場[編集]
山梨県に生まれた。少年期に母が若い学生と出奔した体験が、文学への原点になったといわれる。東京帝国大学経済学部在学中の処女作が認められ、佐藤春夫に師事して日本浪曼派に加わった。1930年代、檀は太宰治と出会い、連日連れ立って放蕩を重ねる盟友となる。檀は早くから太宰の天才を見抜き、二度目に会ったときに「君は、天才ですよ」と告げたという逸話が残る。
沈黙の十年と復帰[編集]
従軍と中国放浪のため、檀には約十年の文学的沈黙の時期があった。戦後の1950年、先妻・律子の生と死を描いた連作『リツ子・その愛』『リツ子・その死』で文壇に復帰し、清新な感動を呼ぶ。翌1951年には『長恨歌』『真説石川五右衛門』で直木賞を受賞した。歴史小説にも健筆をふるい、波乱に富んだ題材を得意とした。
『火宅の人』[編集]
舞台女優・入江杏子との生活と破局を、家庭を顧みない「火宅」の男の業として描いた代表作『火宅の人』は、1961年から各誌に断続的に発表され、20年以上にわたるライフワークとなった。妻子のある身でありながら愛欲に身を焦がす自己を容赦なく見つめたその作品は、無頼派文学の到達点の一つとされ、1986年に映画化されて大きな反響を呼んだ。
料理家・作詞家として[編集]
檀は無類の料理好きでも知られ、世界を放浪して各地の味を体得した。1970年に出版した『檀流クッキング』は、男性が台所に立つことがまだ珍しかった時代に「料理は楽しく格好いい」という価値観を提示し、大きな反響を呼んだ。作詞家としても活動し、多才ぶりを発揮した。晩年はポルトガルのサンタクルスに移り住むなど、最後まで放浪の人だった。
評価と一族[編集]
太宰治・坂口安吾・織田作之助・石川淳ら無頼派のなかでも、檀は最も生き方そのものが「無頼」だった作家とされる。長女は女優の檀ふみ、長男はエッセイストの檀太郎で、その一族もよく知られている。豪快に生き、豪快に書き、豪快に食べた──まさに「最後の無頼派」の名にふさわしい生涯だった。