萩原健一
Kenichi Hagiwara
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萩原健一(出典:デイリースポーツ 2019年3月28日付記事)
本名 萩原敬三(はぎわら けいぞう)
誕生日 1950年7月26日
死亡日 2019年3月26日
死亡年齢 68歳
出身地 埼玉県北足立郡与野町(現・さいたま市中央区)
国籍 日本
家族 妻・冨田リカ(2011年結婚)
血液型 O型
学歴 聖橋高等学校中退
職業 俳優・歌手
活動期間 1967年 - 2019年
代表的な実績 『太陽にほえろ!』マカロニ刑事、『傷だらけの天使』、『前略おふくろ様』、「大阪で生まれた女」
受賞 キネマ旬報ベスト・テン主演男優賞(『青春の蹉跌』)、日本アカデミー賞優秀主演男優賞(『恋文』)、報知映画賞主演男優賞(『居酒屋ゆうれい』)、日本レコード大賞特別功労賞(2019年)ほか
関連活動 ザ・テンプターズ、PYG
あだ名 ショーケン、マカロニ
リンク http://www.kenichihagiwara.com/


概要[編集]

萩原健一(はぎわら けんいち、1950年7月26日 - 2019年3月26日)とは、日本の俳優・歌手である。愛称は「ショーケン」。グループ・サウンズのザ・テンプターズのボーカルとして10代でデビューし、その後『太陽にほえろ!』のマカロニ刑事、『傷だらけの天使』などで1970年代の若者のカリスマとなった。波乱だらけの私生活も含めて「永遠の不良」と呼ばれた、昭和を代表するスターの一人である。

詳細[編集]

GSのアイドルから俳優へ[編集]

埼玉県与野町(現在のさいたま市中央区)出身。本名は萩原敬三。1967年、16歳でザ・テンプターズのボーカルとして「忘れ得ぬ君」でデビューし、ザ・スパイダースの弟分的なバンドとして売り出された。「神様お願い!」「エメラルドの伝説」などのヒットで、ザ・タイガースの沢田研二と人気を二分するGSのアイドルとなった。

テンプターズ解散後は、沢田研二らとロックバンドPYGを結成するが、バンドは長続きせず、萩原は俳優業へと軸足を移していく。この転身が大当たりし、1970年代のテレビドラマと映画で次々と代表作を生むことになる。

70年代の「反逆児」[編集]

1972年、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』で初代新人刑事・早見淳(通称マカロニ)を演じてブレイク。翌1973年に劇中で殉職して番組を去ったが、この「新人刑事が殉職で去る」というスタイルは後に同番組の名物となった。続く『傷だらけの天使』(1974年 - 1975年)では、社会の片隅で生きる探偵社の調査員・木暮修を演じ、水谷豊との名コンビで伝説的な作品となった。

さらに倉本聰脚本の『前略おふくろ様』で、不器用で心優しい板前を演じて新境地を開拓。不良、アウトロー、純朴な青年までを一人で演じ分け、テレビの枠を超えた存在感を示した。

映画と音楽の二刀流[編集]

映画では神代辰巳監督とのコンビで『青春の蹉跌』『アフリカの光』『もどり川』などを残し、黒澤明監督の『影武者』にも出演した。一方で歌手としても1975年のアルバム『惚れた』からソロ活動を本格化させ、「大阪で生まれた女」などのライブパフォーマンスで熱狂的な支持を集めた。

80年代以降は逮捕や離婚などで何度も表舞台から遠ざかったが、そのたびに復帰を果たしている。晩年は2011年に4度目の結婚をし、以後は「丸くなった」とも言われた。2019年3月26日、消化管間質腫瘍(GIST)のため68歳で死去。遺作は没後に放送されたNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』である。

経歴[編集]

生い立ちとテンプターズ[編集]

1950年、埼玉県で生まれる。東京都荒川区の聖橋高校に進学したが、高校2年で中退している。10代の頃から地元の仲間とバンド活動に親しみ、ブルースを好んで歌っていたとされる。

1967年、ザ・テンプターズのボーカルとしてシングル「忘れ得ぬ君」でデビュー。ギターの松崎由治が書いた「神様お願い!」、そして「エメラルドの伝説」「おかあさん」などがヒットし、グループ・サウンズブームのど真ん中で少女たちの絶叫を浴びた。アルバム『ザ・テンプターズ・イン・メンフィス』ではアメリカ南部の本場のサウンドにも挑んでいる。バンドは1970年12月のコンサートを最後に解散した。

PYGの結成[編集]

1971年、GSブーム終焉後の新たな挑戦として、元ザ・タイガースの沢田研二・岸部一徳、元ザ・スパイダースの井上堯之・大野克夫らとPYGを結成した。GSの人気者2人を擁するいわば「スーパーグループ」であったが、アイドル時代のファンとロック志向の観客との間の溝もあり、思うような成功は得られなかった。萩原は1972年12月に音楽活動を停止し、PYGは事実上解散した。

もっとも、PYGの面々との縁は切れず、井上堯之と大野克夫は後に『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』の音楽を手掛けている。萩原のドラマの背後で鳴っていたのは、かつてのバンド仲間の音だったわけである。

マカロニ刑事[編集]

1972年に始まった日本テレビの『太陽にほえろ!』で、石原裕次郎演じる「ボス」藤堂係長のもとに配属される新人刑事・早見淳を演じた。初出勤時にパンタロンスーツを着ていたことから先輩刑事に「マカロニ・ウエスタン」とからかわれ、あだ名が「マカロニ」になるという設定である。

長髪にラフな服装で走り回る若い刑事像は当時の刑事ドラマでは型破りで、若い視聴者の圧倒的な支持を得た。1973年7月13日放送の第52話「13日金曜日 マカロニ死す」で殉職。番組から「殉職」で去るという形式は萩原の提案によるものとされ、以後松田優作のジーパン刑事をはじめ、歴代新人刑事が殉職して去る伝統の出発点となった。

傷だらけの天使[編集]

1974年10月から1975年3月まで日本テレビで放送された『傷だらけの天使』で主人公・木暮修を演じた。怪しげな探偵事務所に雇われる若者・修と、彼を「アニキ」と慕う弟分の亨(演:水谷豊)のコンビが、都会の裏側をさまよう物語である。岸田今日子、岸田森らが脇を固め、深作欣二、恩地日出夫、工藤栄一、そして神代辰巳ら映画界の監督が演出に参加した。

オープニングでトマトやコンビーフにかぶりつく姿、最終回で死んだ亨をドラム缶に入れてリヤカーで夢の島まで運ぶラストシーンは、今なお語り草となっている。全26話という短さながら、後世のクリエイターに多大な影響を与えたカルトドラマである。

前略おふくろ様[編集]

1975年から放送された『前略おふくろ様』(日本テレビ)では、東京・深川の料亭で修業する山形出身の板前・片島三郎(サブ)を演じた。脚本は倉本聰。故郷の母(演:田中絹代)に宛てた手紙のような三郎のモノローグで物語が進む構成で、桃井かおり、梅宮辰夫、室田日出男、川谷拓三らが共演した。

マカロニや木暮修のような尖ったキャラクターとは打って変わり、口下手で純朴な青年を演じきったことで、俳優としての幅広さを世間に印象付けた。好評を受けて1976年から続編も放送されている。

80年代以降[編集]

1980年には黒澤明監督の『影武者』で武田勝頼役を務めた。同作はカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞している。同年に女優のいしだあゆみと結婚するが、1983年に大麻取締法違反で逮捕され、1984年には離婚を発表した。

その後も『恋文』(1985年)、『226』(1989年)などの映画、『課長サンの厄年』(1993年)などのドラマに出演し、1994年の『居酒屋ゆうれい』で報知映画賞主演男優賞を受賞するなど第一線で活動を続けた。2005年の逮捕と有罪判決を受けて事実上の活動休止に入ったが、2008年に復帰。2009年には映画『TAJOMARU』で足利義政を演じている。

晩年と死去[編集]

2011年2月、モデルの冨田リカと結婚。実はこの頃から消化管間質腫瘍(GIST)を患っていたが、本人の強い希望で病名は公表されなかった。2017年にはデビュー50周年を迎え、ビルボードライブやライブハウスを回るツアーを開催。2018年には22年ぶりの新曲「Time Flies」を初の自主レーベル「Shoken Records」から発表した。

同年にはNHKドラマ『不惑のスクラム』で、末期の胃がんを患うラグビーチームの創設者を演じている。2019年3月26日、都内の病院で死去。68歳。最期はリカ夫人が看取り、葬儀は家族のみで営まれた。没後の2019年6月30日放送の『いだてん〜東京オリムピック噺〜』第25回から、生前に収録済みだった高橋是清役で登場し、これが遺作となった。同年11月には日本レコード大賞の特別功労賞を受賞している。

神代辰巳作品[編集]

萩原のキャリアを語るうえで欠かせないのが、映画監督神代辰巳との関係である。日活ロマンポルノで頭角を現した神代の、即興性を重んじる長回しの演出と、萩原の生々しい演技は抜群の相性を見せた。

青春の蹉跌[編集]

1974年の『青春の蹉跌』は石川達三の小説が原作。出世のために恋人を捨てようとする法学部の学生を演じ、桃井かおり、檀ふみと共演した。この演技でキネマ旬報ベスト・テン主演男優賞を受賞し、映画俳優としての評価を決定的なものにした。

アフリカの光[編集]

1975年の『アフリカの光』は丸山健二の小説が原作。北海道の港町を舞台に、アフリカ行きの船に乗ることを夢見ながら燻る若者二人の姿を描いた作品で、田中邦衛と共演している。

もどり川・恋文・離婚しない女[編集]

1983年の『もどり川』は連城三紀彦の小説を原作とし、大正時代の歌人を演じた。同作の公開前後に萩原は大麻事件で逮捕されており、作品は事件の渦中で世に出ることになった。1985年の『恋文』も連城三紀彦原作で、倍賞美津子、高橋惠子と共演し、日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。1986年の『離婚しない女』では倍賞千恵子・倍賞美津子姉妹と共演した。

神代作品のほか、『傷だらけの天使』にも神代が演出として参加しており、テレビと映画の両面で二人の共同作業は続いた。

主な出演作[編集]

映画[編集]

  • 『約束』(1972年、斎藤耕一監督) - 岸惠子と共演
  • 『股旅』(1973年、市川崑監督)
  • 『青春の蹉跌』(1974年、神代辰巳監督)
  • 『アフリカの光』(1975年、神代辰巳監督)
  • 『八つ墓村』(1977年、野村芳太郎監督)
  • 『影武者』(1980年、黒澤明監督) - 武田勝頼役
  • 『魔性の夏 四谷怪談より』(1981年)
  • 『誘拐報道』(1982年)
  • 『もどり川』(1983年、神代辰巳監督)
  • 『恋文』(1985年、神代辰巳監督)
  • 『離婚しない女』(1986年、神代辰巳監督)
  • 『226』(1989年)
  • 『居酒屋ゆうれい』(1994年)
  • 『TAJOMARU』(2009年) - 足利義政役

テレビドラマ[編集]

  • 『太陽にほえろ!』(1972年 - 1973年) - 早見淳(マカロニ)役
  • 『勝海舟』(1974年) - 岡田以蔵役(大河初出演)
  • 『傷だらけの天使』(1974年 - 1975年) - 木暮修役
  • 『前略おふくろ様』(1975年 - 1977年) - 片島三郎役
  • 『祭ばやしが聞こえる』(1977年 - 1978年)
  • 『太平記』(1991年) - 新田義貞役(ケガのため途中降板)
  • 『課長サンの厄年』(1993年)
  • 『琉球の風』(1993年)
  • 『元禄繚乱』(1999年) - 徳川綱吉役
  • 『利家とまつ』(2002年) - 明智光秀役
  • 『不惑のスクラム』(2018年)
  • 『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(2019年) - 高橋是清役(遺作)

音楽活動[編集]

ソロ歌手として[編集]

俳優としての名声が先行しがちだが、萩原はキャリアを通じて歌うことをやめなかった。1975年のアルバム『惚れた』でソロ歌手としての活動を本格的に開始。1979年の『Nadja3 エンジェル・ゲイト』ではロック色を前面に出し、柳ジョージ&レイニーウッドとのライブ盤『熱狂雷舞』も発表した。

代表曲はなんといっても「大阪で生まれた女」(1979年)。もとはBOROの楽曲だが、萩原のステージでの絶唱によって広く知られるようになった。ほかに映画『竜二』の主題歌「ララバイ」(1983年)、「愚か者よ」(1987年)などがある。

ライブ・パフォーマー[編集]

1980年の『DONJUAN』、1982年の『D'ERLANGER』などのアルバムで、語りかけるように崩して歌う独特のボーカルスタイルを確立した。インドでのスタジアム公演と日本武道館公演を収めた『SHANTI SHANTI LIVE』のように、ライブ盤の評価が高いのも特徴で、スタジオ盤よりステージでこそ真価を発揮するタイプの歌手であった。

1990年代にはBunkamuraシアターコクーンで2週間にわたるコンサートを行い、2010年にはセルフカバーアルバム『ANGEL or DEVIL』を発表している。

最後のシングル[編集]

2017年のデビュー50周年ではツアーを行い、スタジオライブ盤『LAST DANCE』をリリース。2018年5月には22年ぶりのシングル「Time Flies」を自主レーベル「Shoken Records」から発売した。カップリングは「Dejavu」「Good Action」で、本人は10代の頃に歌っていたブルースに立ち返った「原点回帰」の作品だと語っている。

没後の2019年7月26日には、横浜のライブハウスでの公演を収めた『Final Live 〜Forever Shoken Train〜』が発売された。

人物[編集]

演技スタイル[編集]

台本どおりに演じるより、その場の感覚やアドリブを大切にするタイプの俳優として知られる。遺作となった『いだてん』でも、阿部サダヲ演じる田畑政治から土産の木靴を受け取る場面で、アドリブで阿部を木靴で叩いたと阿部本人が明かしている。一方で台本に多くの書き込みをするなど、役作りには熱心だったと伝えられる。

影響[編集]

その破天荒な存在感は多くの後進に影響を与えた。俳優では松田優作、お笑い芸人では小堺一機、とんねるず、ダウンタウン、ミュージシャンではサンボマスターの山口隆などが影響を受けたとされる。とりわけ『傷だらけの天使』は、ファッションや生き方も含めて一世代の若者の憧れとなった。

晩年の変化[編集]

若い頃は気性の激しさで知られ、トラブルも多かった。しかし2011年にリカ夫人と結婚してからは物腰が柔らかくなり、周囲からは「ショーケンが丸くなった」と言われたという。本人も自身の人生を「嵐のように激しく生きてきた」と振り返っていた。

私生活[編集]

生涯に4度結婚している。

  • 1970年代後半、モデルの小泉一十三と結婚。約3年で離婚。
  • 1980年、女優・歌手のいしだあゆみと結婚。1984年に離婚を発表。
  • 1996年、ヘアメイクアーティストの女性と結婚。2006年に離婚。
  • 2011年2月、モデルの冨田リカと結婚。リカ夫人は闘病を支え、最期を看取った。

炎上とバズ[編集]

逮捕歴[編集]

生涯で4度逮捕されている。1983年4月に大麻取締法違反で逮捕され、懲役1年・執行猶予3年の有罪判決を受けた。1984年には飲酒運転による人身事故で業務上過失傷害の容疑で逮捕されている。

2004年10月には交通事故で業務上過失致傷の容疑により現行犯逮捕された。さらに2005年2月、出演予定だった映画の降板をめぐって映画プロデューサーを恐喝しようとした容疑で逮捕され、同年6月に懲役1年6か月・執行猶予3年の判決を受けた。この事件を機に活動を休止し、2008年に復帰している。

没後の注意喚起[編集]

2026年8月、公式サイトに「萩原健一の写真・動画・グッズ等の無断利用および不法販売について」とする注意喚起が掲載された。没後も根強い人気が続くなか、無許可の商品販売などへの注意を呼びかける内容である。

余談[編集]

  • 1993年、四国八十八箇所のお遍路を37日間で歩き通している。
  • 『傷だらけの天使』の衣装は、デザイナー菊池武夫が手掛けたとされ、当時の若者のファッションにも影響を与えた。
  • 『太陽にほえろ!』の劇伴を担当した井上堯之バンドのメンバーは、PYG時代のバンド仲間でもあった。
  • 大河ドラマは『勝海舟』から『いだてん』まで計6作に出演した。逮捕歴が4度ありながら大河を降板したことはなく、唯一の途中降板は『太平記』でのケガによるものである。
  • 自伝として『俺の人生どっかおかしい』(1984年)、『ショーケン』(2008年)があり、没後の2019年5月には『ショーケン最終章』(講談社)が刊行された。
  • 2019年末には追悼番組『ショーケンFOREVER 追悼・ボクらが知ってる萩原健一さん』が放送された。

外部リンク[編集]

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