八千草薫
やちぐさ かおる / Kaoru Yachigusa
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八千草薫(1955年。出典:Wikimedia Commons)
本名 谷口瞳(たにぐち ひとみ、旧姓:松田)
誕生日 1931年1月6日
死亡日 2019年10月24日
死亡年齢 88歳(数え年89)
出身地 大阪府大阪市
国籍 日本
学歴 聖泉高等女学校(現・プール学院)在学中に宝塚音楽学校へ
ジャンル 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間 1947年 - 2019年
デビューアルバム 1947年 宝塚歌劇団で初舞台、1951年 映画『宝塚夫人』
家族 夫・谷口千吉(映画監督、1957年結婚、2007年死別)
身長 / 体重 154cm cm / ― kg
事務所 柊企画
代表作 『宮本武蔵』三部作(お通)、『蝶々夫人』、『ガス人間第一号』、『男はつらいよ 寅次郎夢枕』、『岸辺のアルバム』、『阿修羅のごとく』、『ディア・ドクター』、『くじけないで』、『やすらぎの郷』
関連活動 宝塚歌劇団34期生(1947年 - 1957年)、エッセイ執筆
あだ名 ヒトミちゃん
その他 紫綬褒章(1997年)、旭日小綬章(2003年)、日本アカデミー賞優秀助演女優賞(『阿修羅のごとく』)、毎日映画コンクール田中絹代賞、宝塚歌劇の殿堂入り(2014年)、名誉都民(2015年)、日本アカデミー賞会長功労賞(2017年)


概要[編集]

八千草薫(やちぐさ かおる、1931年1月6日 - 2019年10月24日)とは、大阪府大阪市出身の女優である。宝塚歌劇団の娘役から映画界に進み、『宮本武蔵』のお通、日伊合作『蝶々夫人』で一躍スターに。「お嫁さんにしたい女優」の常連として清純派の象徴とされながら、『岸辺のアルバム』で不倫する主婦を演じて世間を驚かせた。88歳で亡くなる直前まで現役を貫いた、昭和・平成を代表する女優の一人である。

詳細[編集]

「夢のある世界」にあこがれた戦中の少女[編集]

1931年、大阪市に生まれる。サラリーマンだった父を2歳のときに亡くし、母子家庭で育った。思春期はまるごと戦争の時代と重なり、自宅も空襲で焼けている。本人はのちに、色も夢もない毎日のなかで「夢のような世界に憧れて」宝塚を目指したと振り返っている。

聖泉高等女学校(現・プール学院)在学中に宝塚音楽学校に合格し、1947年に宝塚歌劇団へ入団(34期生)。入団時の成績は50人中19位と、決してエリートではなかった。もともと引っ込み思案な少女だったとされる。

子狸から若紫へ[編集]

宝塚での最初の当たり役は、なんと『分福茶釜』の子狸。本人いわく「最初は動物役が多かったんです」。コミカルな役でじわじわ人気を集め、1952年の『源氏物語』初演で若紫を演じて一気にブレイクした。

同じ1952年に新設された「映画専科」に所属し、宝塚在籍のまま東宝映画に出演するようになる。1951年の『宝塚夫人』で銀幕デビューを果たしたあとは、映画と舞台の二足のわらじで活躍。雑誌の「お嫁さんにしたい有名人」ランキングで何度も首位に立ち、「清楚な娘役」のイメージが全国区になった。

清純派のまま、清純派を壊した女優[編集]

1950年代の八千草は、三船敏郎の相手役として『宮本武蔵』のお通を演じ、イタリアで撮影された『蝶々夫人』では主役に抜擢された。可憐で控えめ、しかし芯は強い――という「日本女性の理想像」を体現する存在として、まさに清純派の看板だった。

ところが1977年、TBSのドラマ『岸辺のアルバム』で、家族に隠れて年下の男性と不倫する専業主婦を演じる。「あの八千草薫が!」という衝撃は大きく、良妻賢母のイメージを自ら覆した演技は高く評価された。以後、山田太一、倉本聰、向田邦子といった名脚本家たちに次々と指名される「脚本家に愛された女優」になっていく。

最期まで現役[編集]

晩年はおばあちゃん役で幅広い世代に親しまれ、2013年には『くじけないで』で詩人・柴田トヨを演じて主演。2017年にはテレビ朝日の帯ドラマ『やすらぎの郷』で往年の大女優・九条摂子を演じ、「姫」と慕われる役どころが本人のイメージそのものだと話題になった。

2017年以降はがんの手術と治療を続けながら仕事を続け、2019年2月に続編『やすらぎの刻〜道』の降板と治療専念を公表。同年10月24日、88歳で亡くなった。結果的に『やすらぎの刻〜道』が遺作となった。

経歴[編集]

1931年 - 1946年:生い立ち[編集]

1931年1月6日、大阪市で生まれる。本名は松田瞳。父を幼くして亡くし、祖父の家に預けられた時期もあった。戦時中に自宅を空襲で焼失するなど、少女時代は苦労の連続だった。

1947年 - 1957年:宝塚歌劇団[編集]

1947年、宝塚歌劇団に入団。『分福茶釜』の子狸役で注目され、1952年の『源氏物語』で若紫を演じて人気娘役となった。同年、映画専科の所属となり、東宝作品への出演が本格化する。

1954年、稲垣浩監督・三船敏郎主演の『宮本武蔵』でヒロイン・お通に抜擢。続く『続宮本武蔵 一乗寺の決斗』(1955年)、『宮本武蔵 完結編 決闘巌流島』(1956年)の三部作すべてでお通を演じた。第1作は第28回アカデミー賞で名誉賞(現在の国際長編映画賞に相当)を受賞している。

同じ1954年には、カルミネ・ガローネ監督による日伊合作映画『蝶々夫人』の主役・蝶々さんに選ばれ、イタリアへ渡った。1955年に日本公開。1956年には谷口千吉監督の『乱菊物語』に主演し、これが生涯の伴侶との出会いになる。1957年5月31日付で宝塚を退団。最後の舞台は花組公演『みにくい家鴨の子』『王春讃歌』だった。

1957年 - 1960年代:結婚と東宝時代[編集]

1957年7月21日、19歳年上の映画監督・谷口千吉と結婚。東宝と専属契約を結び、1957年の『雪国』、1960年の特撮映画『ガス人間第一号』(本多猪四郎監督)などに出演した。『ガス人間第一号』では、日本舞踊の家元・春日藤千代を演じている。

1958年にはテレビにも進出。テレビではおっとりとした良妻賢母役が好評を博し、お茶の間の顔になっていった。1964年には長門裕之・南田洋子夫妻とともに人間プロダクションの設立に参加。1965年にはアジア映画祭で助演女優賞を受賞した。

1970年代:脚本家たちとの出会い[編集]

1972年、『男はつらいよ 寅次郎夢枕』でシリーズ第10作のマドンナ・お千代坊を演じる。同年には舞台『二十四の瞳』で大石先生を演じ、モデルとなった小豆島の分校も訪れた。1974年には寺山修司監督の『田園に死す』にも出演している。

1975年、『赤い疑惑』で山口百恵・三浦友和らと共演。同年の『俺たちの旅』(中村雅俊主演)では「日本のお母さん」的な存在として愛された。そして1977年、山田太一脚本の『岸辺のアルバム』で主演し、テレビ大賞主演女優賞を受賞。1979年にはNHKで向田邦子脚本の『阿修羅のごとく』に出演し、四姉妹の次女・巻子を演じた。

1980年代 - 1990年代:名実ともに大女優へ[編集]

1980年、ドラマ『源氏物語』で桐壺と藤壺の二役を演じる。1981年にはTBSの『茜さんのお弁当』で主演した。1986年には舞台『女系家族』『エドの舞踏会』で菊田一夫演劇賞を受賞し、舞台女優としても評価を固めた。

1987年に都民文化栄誉章、1991年にNHK放送文化賞、1995年に文化庁長官表彰を受け、1996年には春の園遊会に招待された。1997年には紫綬褒章を受章している。

2000年代:夫との別れと映画での再評価[編集]

2003年、森田芳光監督による映画版『阿修羅のごとく』で、かつてテレビ版で演じた次女ではなく四姉妹の母親役を演じ、日本アカデミー賞優秀助演女優賞と毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞。同年、旭日小綬章を受章した。

2007年、50年連れ添った夫・谷口千吉と死別。悲しみのなかでも仕事への意欲は衰えず、2009年の西川美和監督作『ディア・ドクター』では、笑福亭鶴瓶演じる村医者に通われる未亡人・鳥飼かづ子を好演。毎日映画コンクール女優助演賞、報知映画賞助演女優賞など映画賞を総なめにした。

2010年代:晩年の主演作と『やすらぎの郷』[編集]

2010年、ドラマ撮影中の転倒で右膝を負傷。それでも現場に戻り、2013年にはフジテレビの『最高の離婚』、映画『舟を編む』に出演した。同年の主演映画『くじけないで』では、90歳を過ぎて詩集を出した柴田トヨを演じている。2015年には岡本喜八監督の妻・中みね子の初監督作『ゆずり葉の頃』で主演し、仲代達矢と共演した。

2014年、宝塚歌劇団創立100周年を記念した「宝塚歌劇の殿堂」の最初の100人に選出。2015年に名誉都民、2017年に日本アカデミー賞会長功労賞を受けた。2017年4月から放送された倉本聰脚本の『やすらぎの郷』では、浅丘ルリ子、加賀まりこ、石坂浩二らと共演し、往年の大女優・九条摂子を演じた。

2019年:降板と死去[編集]

2017年にがんの手術を受け、2018年1月にも大きな手術を受けたが、その後も仕事を続けた。2019年1月に新たな病変が見つかり、2月に『やすらぎの刻〜道』のヒロイン・しの役の降板を発表。代役は風吹ジュンが務め、八千草の出演は『やすらぎの郷』パートの九条摂子の場面を加える形となった。

2019年5月26日、日本生態系協会の催しで公の場に姿を見せたのが最後の公式な登場になった。同年10月24日午前、東京都内の病院で死去。88歳だった。葬儀は本人の遺志により近親者のみで行われ、お別れの会も開かれなかった。

主な出演作[編集]

映画[編集]

公開年 作品名 役名・備考
1951年 宝塚夫人 映画デビュー作
1954年 宮本武蔵 お通(稲垣浩監督、三船敏郎主演。アカデミー賞名誉賞)
1955年 続宮本武蔵 一乗寺の決斗 お通
1955年 蝶々夫人 蝶々さん(日伊合作、カルミネ・ガローネ監督)
1956年 宮本武蔵 完結編 決闘巌流島 お通
1956年 乱菊物語 主演(谷口千吉監督)
1957年 雪国
1960年 ガス人間第一号 春日藤千代(本多猪四郎監督)
1972年 男はつらいよ 寅次郎夢枕 お千代(マドンナ)
1974年 田園に死す 寺山修司監督
2003年 阿修羅のごとく 四姉妹の母(日本アカデミー賞優秀助演女優賞)
2009年 ディア・ドクター 鳥飼かづ子(西川美和監督)
2013年 舟を編む
2013年 くじけないで 柴田トヨ(主演)
2015年 ゆずり葉の頃 小河市子(主演、中みね子監督)

テレビドラマ[編集]

放送年 作品名 局 役名・備考
1975年 赤い疑惑 TBS 途中降板
1975年 俺たちの旅 日本テレビ
1977年 岸辺のアルバム TBS 田島則子(主演、山田太一脚本)
1979年 阿修羅のごとく NHK 次女・巻子(向田邦子脚本)
1980年 源氏物語 TBS 桐壺・藤壺の二役
1981年 茜さんのお弁当 TBS 茜(主演)
1986年 女たちの場所 主演
1994年 女の言い分 主演
2001年 長崎ぶらぶら節
2005年 二十四の瞳
2013年 最高の離婚 フジテレビ
2017年 やすらぎの郷 テレビ朝日 九条摂子
2019年 やすらぎの刻〜道 テレビ朝日 九条摂子(遺作)

舞台・その他[編集]

  • 宝塚歌劇『分福茶釜』(子狸)、『源氏物語』(若紫)
  • 舞台『二十四の瞳』(1972年、大石先生)
  • 舞台『女系家族』『エドの舞踏会』(1986年、菊田一夫演劇賞)
  • 舞台『黄昏』(主演)
  • CM:ヤマハ・パッソル(1977年)
  • 著書:『優しい時間』(1999年)、『あなただけの、咲き方で』(2015年)、『まあまあふうふう。』(2019年、主婦と生活社)

宮本武蔵と蝶々夫人[編集]

お通は「日本のヒロイン」の原型[編集]

吉川英治の小説を原作とする稲垣浩監督の『宮本武蔵』三部作は、東宝が総力を挙げたカラー大作だった。武蔵を演じたのは三船敏郎。その武蔵をひたすら待ち続ける恋人・お通を演じたのが、宝塚在籍中の八千草である。

第1作は1956年の第28回アカデミー賞で名誉賞を受賞。日本映画としては前年に続く2年連続の受賞で、八千草は20代前半にして「世界で評価された日本映画のヒロイン」になった。一途で控えめ、しかし決して折れないお通像は、のちの彼女の「清純派」イメージの土台となる。

イタリアで撮った『蝶々夫人』[編集]

『蝶々夫人』は東宝とイタリアのリッツォーリ・フィルム、ガローネ・プロによる合作。日本家屋のセットを空輸してローマのチネチッタ撮影所に組み立てるという大がかりな作品で、八千草とともに宝塚の生徒17人もイタリアに渡ったとされる。撮影期間は約40日間だった。

プッチーニのオペラを映画化した作品のため、歌はすべてイタリアのオペラ歌手による吹き替え。八千草は口の動きを歌に合わせて演じ、まるで本人が歌っているように見えると評された。この作品でカンヌ、ヴェネツィア、香港の映画祭にも参加しており、のちに2013年『くじけないで』でオーストラリアの日本映画祭に招かれた際は「58年ぶりの海外映画祭」として話題になった。

岸辺のアルバムと脚本家たち[編集]

一度は断った不倫妻の役[編集]

『岸辺のアルバム』は1977年6月から9月までTBSの金曜22時枠で放送された、山田太一脚本の連続ドラマ。多摩川沿いの一戸建てに暮らす4人家族が、それぞれ秘密を抱えて崩れていく姿を描き、最終回では台風の水害で自宅が流され、家族が思い出のアルバムを持ち出す。昭和ドラマの最高傑作の一つに数えられることが多い。

八千草が演じたのは専業主婦の則子。夫(杉浦直樹)に隠れて、電話をかけてきた男性(竹脇無我)と不倫関係に陥っていく役だった。当初は出演を断ったが、山田太一に改めて頼まれて引き受けたという。「お嫁さんにしたい女優」の代名詞だった彼女の不倫妻は大きな衝撃を与え、イメージを覆す転機となった。

倉本聰「やられた!」[編集]

後年、倉本聰は追悼の言葉の中で、八千草が『岸辺のアルバム』で好評を得たとき「やられた!」と思ったと明かしている。倉本と山田は、どちらが八千草を役に近づけられるかを競い合っていたという。演出の一人だった堀川とんこうは、彼女を「世の男性にとって、永遠の初恋の人と呼べる存在だった」と評した。

向田邦子とは1979年の『阿修羅のごとく』で初めて組み、夫の浮気に疑心暗鬼になる次女・巻子を演じた。山田作品では『シャツの店』にも出演している。2020年、日本映画専門チャンネルは「八千草薫さんを偲んで 名脚本家に愛された女優」と題した特集を組んでおり、この3人の脚本家との縁は、彼女のキャリアを語るうえで欠かせない軸になっている。

谷口千吉との結婚[編集]

「乱菊物語」で出会った19歳差[編集]

夫の谷口千吉は『銀嶺の果て』などで知られる東宝の映画監督。1956年の『乱菊物語』で監督と主演女優として出会った。谷口は率直で厳しい物言いで知られ、八千草にも容赦なかったが、彼女はその率直さを新鮮に感じ、惹かれていったとされる。本人は「このころから女優の仕事が面白くなってきて、たぶん結婚はしないだろうと思いはじめていました」と語っており、まさかの展開だった。

谷口にとっては3度目の結婚で、年齢差は19歳。母親は強く反対したという。1957年7月21日、東京會舘で挙式。媒酌人は『蝶々夫人』のイタリアロケで世話になった川喜多長政夫妻で、披露宴には鶴田浩二、越路吹雪、石原慎太郎らが出席した。会見で谷口は「今度は終わりをまっとうしたい」と語っている。

半世紀のおしどり夫婦[編集]

その言葉どおり、2人は2007年に谷口が亡くなるまで50年連れ添った。子どもはいなかったが、おしどり夫婦として知られた。結婚直後は「しばらく仕事は来なくなりました」と本人が語るように、人気娘役の電撃結婚は仕事にも影響したという。

谷口が私財を投じた映画で約5000万円の持ち出しが出た際、夫が「借金は俺が返すよ」と言うと、八千草は「もっと働いて返してくれないかなと思っているでしょ」と返し、夫が言葉を失ったという微笑ましいエピソードもある。趣味の山歩きは夫の影響で始めたもので、谷口からは「いい加減に生きなさい」(=ちょうどいい加減で生きなさい)と言われていたという。

人物[編集]

柔らかな笑顔と仕事への厳しさ[編集]

いつもにこやかで、話すことはあまり得意ではなかったとされる。『くじけないで』で共演した武田鉄矢は、舞台挨拶で八千草が話し下手であることを明かしている。一方で、映画の宣伝担当者からは「仕事に対して非常に厳しい人」と評されており、柔和な笑顔の奥に強い芯を持った人だった。

信条は「ちょっとだけ無理をする」こと。晩年も1日5000歩以上歩くことを日課にし、愛犬の散歩を欠かさなかった。宝塚時代から何匹も犬を飼っていたという。

自然と山を愛した人[編集]

山歩きが趣味で、八ヶ岳高原を「大好きな場所」と呼んでいた。自然環境保全審議会の委員や日本生態系協会の理事を務めるなど、自然保護にも関わっている。最後の公の場も、同協会の昆虫の家のお披露目だった。

携帯電話は渋々持っていた程度で、「すぐに情報に頼ると役者の想像力が弱くなる」という考えの持ち主だった。好きなものは長く使いたいと手入れを欠かさない、丁寧な暮らしぶりでも知られた。

評価[編集]

清純派の象徴[編集]

宝塚時代から「お嫁さんにしたい女優」の常連で、昭和の男性にとって「美人」の代名詞のような存在だった。山田洋次は没後、「八千草薫さんは日本人の憧れだった」と語っている。年齢を重ねても清楚で上品な雰囲気が変わらなかったことは、多くの評者が口をそろえる点だ。

ただし、八千草の評価は「清純派」だけでは終わらない。『岸辺のアルバム』の不倫妻、『阿修羅のごとく』の疑心暗鬼の妻、『ディア・ドクター』の秘密を抱えた未亡人と、清楚なイメージを逆手に取ったような役で次々と評価を高めた。イメージを守りながら、同時にそれを裏切ることができた稀有な女優である。

受賞・栄誉[編集]

年 賞・栄誉
1965年 アジア映画祭 助演女優賞
1977年 テレビ大賞 主演女優賞(『岸辺のアルバム』)
1986年 菊田一夫演劇賞
1987年 都民文化栄誉章
1991年 NHK放送文化賞
1997年 紫綬褒章
2003年 旭日小綬章、日刊スポーツ映画大賞 助演女優賞
2004年 日本アカデミー賞 優秀助演女優賞、毎日映画コンクール 田中絹代賞
2009年 毎日映画コンクール 女優助演賞、報知映画賞 助演女優賞、山路ふみ子映画賞 映画功労賞 ほか
2010年 日本映画批評家大賞 助演女優賞
2014年 宝塚歌劇の殿堂入り
2015年 名誉都民
2017年 日本アカデミー賞 会長功労賞

没後の特集と最新動向[編集]

追悼上映と追悼特集(2019年 - 2020年)[編集]

訃報は2019年10月28日に公表され、ゆかりの人々から追悼の声が相次いだ。2020年1月26日から31日には、東京・池袋の名画座・新文芸坐で「追悼・八千草薫 ~その可憐、薫風の如く~」が開催され、『蝶々夫人』『宮本武蔵』三部作、『乱菊物語』、『男はつらいよ 寅次郎夢枕』の6作品が35mmフィルムで上映された。

2020年5月には日本映画専門チャンネルが「八千草薫さんを偲んで 名脚本家に愛された女優」を放送し、NHK版『阿修羅のごとく』(全3話)と『阿修羅のごとく パートII』(全4話)、『シャツの店』などがオンエアされた。

2025年:『阿修羅のごとく』がNetflixでリメイク[編集]

2025年1月9日、是枝裕和監督によるNetflixシリーズ『阿修羅のごとく』が配信開始。八千草が1979年に演じた次女・巻子の役は尾野真千子、四女・咲子は広瀬すずが演じた。是枝版は四姉妹の「自立」を重視して現代向けにアップデートされたとされ、配信をきっかけに八千草らが出演したオリジナル版を振り返る声も上がった。

2026年:『岸辺のアルバム』初舞台化と『ガス人間』リブート[編集]

2026年春には『岸辺のアルバム』が倉持裕の脚色、木野花の演出で初めて舞台化され、東京芸術劇場シアターイーストを皮切りに大阪でも上演された。八千草が演じた母・則子の役は小林聡美が務め、同年9月にはWOWOWで放送・配信された。半世紀前に八千草が演じた則子を、新しい世代の俳優がどう演じるかが注目された。

さらに2026年7月2日には、八千草がヒロイン・藤千代を演じた『ガス人間第一号』をリブートしたNetflixシリーズ『ガス人間』(片山慎三監督、全8話)が配信開始。小栗旬、蒼井優、広瀬すずらが出演する完全オリジナルストーリーだが、原作映画との共通点や違いを解説する記事も多く出され、1960年版と八千草の名前が改めて話題に上った。

余談[編集]

  • 宝塚時代、戦後間もない東京公演で食糧難のさなかに「お寿司が食べたいわぁ」と口にして、周囲からひんしゅくを買ったことがあるという。
  • 1975年の『赤い疑惑』では、共演の山口百恵のスケジュールの都合で細切れの収録が続くことに納得できず、自ら途中降板した。おっとりした見た目に反して筋を通す人だった。
  • 1977年のヤマハ・パッソルのCMに出演した際、当時は免許を持っていなかったため、ヤマハの施設で免許を取得した。キャッチコピー「やさしいから好きです。」は、ホンダとヤマハのバイク販売競争を過熱させるきっかけになったとされる。
  • 『ガス人間第一号』については、あまり好きではなかったらしく、インタビューで撮影を覚えていないと話していたという話がある。
  • 2019年6月刊行のエッセイ『まあまあふうふう。』では、これまでの人生を「幸せだったなあ」と振り返っている。
  • がんの告知を受けた直後、「まあ、ついに来たわね」と落ち着いて受け止めたと事務所関係者が明かしている。

外部リンク[編集]

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