| 市川崑 いちかわ こん / Kon Ichikawa | |
|---|---|
![]() 市川崑(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン) | |
| 本名 | 市川儀一 |
| 誕生日 | 1915年11月20日 |
| 死亡日 | 2008年2月13日 |
| 死亡年齢 | 92歳 |
| 出身地 | 三重県宇治山田市(現・伊勢市) |
| 国籍 | 日本 |
| 家族 | 妻:和田夏十(脚本家) |
| 学歴 | 大阪・市岡商業学校 |
| 職業 | 映画監督 |
| 肩書 | 映画監督、脚本家、アニメーター(初期) |
| 活動期間 | 1933年 - 2008年 |
| 代表的な実績 | 『ビルマの竪琴』『炎上』『野火』『おとうと』『東京オリンピック』『犬神家の一族』『細雪』、テレビ時代劇『木枯し紋次郎』 |
| 受賞 | ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジョ賞(『ビルマの竪琴』)、カンヌ国際映画祭審査員特別賞(『鍵』)、カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞(『東京オリンピック』)、紫綬褒章(1982年)、文化功労者(1994年)、東京国際映画祭黒澤明賞(2006年)、旭日重光章(没後) |
| 関連活動 | テレビドラマ・CMの演出、「四騎の会」メンバー |
| 別名 | 久里子亭(妻・和田夏十らとの共同脚本名義) |
| その他 | キネマ旬報ベスト・テン入選作は18本 |
概要[編集]
市川崑(いちかわ こん、1915年11月20日 - 2008年2月13日)とは、日本の映画監督である。アニメーターから出発し、『ビルマの竪琴』『炎上』『野火』などの文芸映画、論争を呼んだ記録映画『東京オリンピック』、そして石坂浩二主演の金田一耕助シリーズまで、60年近くにわたって第一線で撮り続けた。極太の明朝体タイトルなど、スタイリッシュな映像感覚で今も多くのクリエイターに影響を与えている。
詳細[編集]
どんな監督なのか[編集]
市川崑をひとことで言うと「なんでも撮れて、なんでも自分の色に染める人」である。都会的なコメディ、戦争映画、文芸映画、記録映画、ミステリー、時代劇、テレビドラマ、CMと、ジャンルの幅は日本映画の監督の中でもトップクラス。それでいて画面を見れば「あ、これは市川崑だ」と分かる独特のタッチがある。
1950年代には黒澤明、木下惠介、小林正樹とともに「四騎の会」を結成した、いわば昭和の巨匠の一角だ。ただ、黒澤のような「重厚さ」や小津安二郎のような「様式」とは違い、市川の持ち味は軽やかさとモダンさ。ポップでクールな映像センスは、アニメ出身ならではのものとよく言われる。
「崑タッチ」の正体[編集]
市川作品の特徴は、細かいカット割りとリズミカルな編集である。1コマ(24分の1秒)単位でフィルムの長さを目で判断できたといわれ、ダビングの段階でもコマを足したり削ったりして調整した。長年の編集担当だった長田千鶴子の存在が、いわゆる「崑タッチ」を支えたとされる。
音にも強いこだわりがあり、ロケ地の「空気」の音を録音しておき、それを仕上げで使った。光と影のコントラスト、斜めの構図、極端なクローズアップなども多用し、横溝正史ミステリーの「おどろおどろしさ」と「スタイリッシュさ」を同居させた。
妻・和田夏十という相棒[編集]
市川崑を語るうえで外せないのが、妻で脚本家の和田夏十(わだ なっと)である。東宝の労働争議の際、ともに分裂派(のちの新東宝側)についた同僚で、のちに市川と結婚した。
和田は『ビルマの竪琴』『炎上』『野火』『おとうと』『東京オリンピック』など、1950〜60年代の主要作の脚本を次々と手がけ、市川作品の骨格を作った。夫が映像、妻が言葉という分業は、日本映画史でも屈指の夫婦コンビとして知られる。和田は『東京オリンピック』を最後に脚本の第一線から退き、のちに乳がんを患って1983年2月に62歳で亡くなった。完成前だった『細雪』のラストシーンには、和田が書いた部分が使われているという。
経歴[編集]
1915年 - 1947年:アニメーターから助監督へ[編集]
1915年、三重県宇治山田市(現在の伊勢市)に生まれた。本名は市川儀一。幼いころに大阪、京都へと移り、チャンバラ映画が大好きで、俳優の似顔絵を描いていたという。17〜18歳ごろ、叔父の勧めで「崑」と名乗るようになった。漫画家・清水崑にちなんだともされる。
1933年、京都のJ.O.スタジオのトーキー漫画部に入り、アニメーターの助手として映画の世界に入った。短編アニメ『新説カチカチ山』を手がけたが、漫画部が閉鎖されたため実写の助監督に転向する。J.O.スタジオが合併して東宝になると、石田民三、伊丹万作、阿部豊らの下で修業を積んだ。
戦争末期には2度召集を受けている。広島に住んでいた家族8人は原爆を生き延び、市川自身は当時東京にいた。
1948年 - 1955年:モダンな喜劇の旗手[編集]
1946年の東宝争議で分裂派につき、1948年、新東宝で『-「眞知子」より- 花ひらく』を撮って正式に監督デビュー。同年の『三百六十五夜』は前後編のヒット作となった。
1951年に東宝へ戻ると、『足にさわった女』『プーサン』『青色革命』など、風刺の効いた都会的なコメディで注目を集めた。当時の日本映画では珍しい、テンポのいい洒落た喜劇は「和製ハリウッド」的な新しさとして受け止められた。
1955年 - 1965年:文芸映画と大映時代[編集]
1955年に日活へ移り、夏目漱石原作の『こころ』、そして『ビルマの竪琴』(1956年)を撮る。後者はヴェネツィア国際映画祭でサン・ジョルジョ賞を受け、市川の名を世界に知らしめた。
1956年からは大映に移籍。三島由紀夫の『金閣寺』を映画化した『炎上』(1958年)、谷崎潤一郎原作の『鍵』(1959年)、大岡昇平原作の『野火』(1959年)、幸田文原作の『おとうと』(1960年)と、文芸映画の傑作を立て続けに発表する。『鍵』はカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受け、『おとうと』は自身初のキネマ旬報ベスト・テン1位に輝いた。
ほかにも島崎藤村原作の『破戒』(1962年)、長谷川一夫の出演300本記念作『雪之丞変化』(1963年)、石原裕次郎主演でヨット単独太平洋横断を描いた『太平洋ひとりぼっち』(1963年)など、この時期の作品は質・量ともに充実している。
1965年 - 1975年:『東京オリンピック』とテレビの時代[編集]
1965年公開の『東京オリンピック』は大ヒットを記録した一方、「記録か芸術か」という大論争を巻き起こした(後述)。
その後は映画界の斜陽もあり、テレビやCMにも活躍の場を広げる。1965〜66年には毎日放送でドラマ『源氏物語』を演出し、1972年にはフジテレビの時代劇『木枯し紋次郎』を監修・演出して社会現象級のヒットを生んだ。映画では萩原健一主演の股旅もの『股旅』(1973年)、漱石原作の『吾輩は猫である』(1975年)を撮っている。
1976年 - 1999年:金田一ブームと円熟期[編集]
1976年、角川映画の第1作『犬神家の一族』が大ヒットし、横溝正史ブームの立役者になる。以後、石坂浩二主演の金田一シリーズを東宝で計5本撮った。手塚治虫原作の実写+アニメ映画『火の鳥』(1978年)もこの時期の作品である。
1980年代は山口百恵の引退作『古都』(1980年)、谷崎原作の『細雪』(1983年)、吉永小百合が田中絹代を演じた『映画女優』(1987年)、沢口靖子がかぐや姫を演じた特撮大作『竹取物語』(1987年)と、文芸からSFまで振れ幅は健在。1985年には自作『ビルマの竪琴』を中井貴一主演でセルフリメイクし、大ヒットさせた。
1994年には高倉健主演の忠臣蔵映画『四十七人の刺客』を発表し、同年に文化功労者に選ばれた。
2000年 - 2008年:晩年と2度目の『犬神家』[編集]
2000年には、黒澤明・木下惠介・小林正樹と「四騎の会」で書いた脚本を映画化した『どら平太』(役所広司主演)を公開。四騎の会のメンバーは1998年の時点で市川ひとりになっていた。
2006年、90歳にして『犬神家の一族』を石坂浩二主演でセルフリメイク。東京国際映画祭でクロージング上映され、同映画祭で黒澤明賞も受けた。これが劇場用映画としての遺作となった。2008年2月13日、肺炎のため東京都内の病院で死去。92歳だった。落語「芝浜」を題材にした新作を構想中だったという。
作風と代表作[編集]
代表作の見どころ[編集]
- 『ビルマの竪琴』(1956年/1985年)
- 竹山道雄の児童文学が原作。終戦後のビルマで、竪琴を弾く日本兵・水島上等兵が仲間と別れ、僧となって戦死者を弔う道を選ぶ。1956年版は安井昌二、三國連太郎らが出演し、日活で二部構成で公開された。1985年のセルフリメイク版は中井貴一主演でカラー化され、当時の邦画の配給収入記録を塗り替える大ヒットとなった。
- 『炎上』(1958年)
- 三島由紀夫の『金閣寺』が原作。吃音に悩む若い僧が、美の象徴である寺に火を放つまでを描く。主演は二枚目スターだった市川雷蔵で、イメージを覆す役柄に挑んだ。撮影は名カメラマン・宮川一夫。国内の映画賞を多数受け、ロンドンやヴェネツィアの映画祭でも上映された。
- 『野火』(1959年)
- 大岡昇平原作。敗戦間近のフィリピン・レイテ島で、結核を患い部隊から見捨てられた兵士がさまよう。飢餓と人肉食という極限状況を、乾いたタッチで描いた戦争映画の金字塔。主演の船越英二は役作りのために極端な減量をしたことで知られる。
- 『おとうと』(1960年)
- 幸田文の自伝的小説が原作。不良の弟(川口浩)を見守る姉(岸惠子)の姿を描く。宮川一夫が、フィルムの現像で銀をわざと残す「銀残し」という手法を初めて使った作品として有名で、くすんだ独特の色調はのちに世界中の映画で応用された。
『東京オリンピック』と「記録か芸術か」論争[編集]
1964年東京大会の公式記録映画は、当初は黒澤明が総監督を務める予定だった。しかし予算や組織をめぐって折り合わず黒澤が降板し、大映社長・永田雅一の要請を受けて市川が引き受けた。
市川はこれを単なるスポーツ中継の延長ではなく、「オリンピックという祭りに集まった人間と都市」の映画として撮った。多数のカメラと2000ミリの超望遠レンズを動員し、選手の汗や筋肉の動き、観客の表情、敗者の姿までを捉えた。100メートル走をハイスピード撮影のスローモーションで見せるなど、熱狂よりも冷静な視線が貫かれている。
ところが試写を見た五輪担当大臣・河野一郎が「記録性に欠ける」と発言し、新聞が大きく報じたことで「記録か芸術か」の論争に発展した。一方で公開されると観客動員は1900万人を超えたとされ、カンヌ国際映画祭では国際批評家連盟賞を受けた。今では五輪記録映画の古典として評価が定まっており、2020年大会の公式記録映画を担当した河瀬直美も、この作品の構成力やアスリートの肉体美の捉え方を高く評価している。
金田一耕助シリーズ[編集]
1976年の『犬神家の一族』は、出版社の角川書店が映画製作に乗り出した記念すべき第1作である。角川春樹による大々的なメディアミックス宣伝と、市川の映像センスが噛み合い、大ヒットを記録した。キネマ旬報ベスト・テンでは5位、読者選出では1位に選ばれている。
石坂浩二が演じる金田一耕助は、よれよれの袴にお釜帽、頭をかくとフケが飛ぶ飄々とした名探偵。湖から突き出た2本の足、白いゴムマスクの佐清(すけきよ)といったインパクト抜群のビジュアルは、現在までパロディの定番になっている。金田一少年の事件簿の主人公が「金田一耕助の孫」という設定なのも、こうした金田一人気の延長線上にある。
シリーズは東宝で『悪魔の手毬唄』(1977年)、『獄門島』(1977年)、『女王蜂』(1978年)、『病院坂の首縊りの家』(1979年)と続いた。加藤武は毎回、作品ごとに設定がリセットされた警察幹部役で登場し、「よし、分かった!」と見当違いの推理を披露するのがお約束のギャグになった。
2006年のセルフリメイク[編集]
2006年12月16日公開の『犬神家の一族』は、1976年版とほぼ同じ脚本・カット割りで撮り直した、珍しい「完全セルフリメイク」である。金田一は30年ぶりに石坂浩二が演じ、犬神佐兵衛を仲代達矢、ヒロインの珠世を松嶋菜々子が務めた。
ほかに尾上菊之助、富司純子、松坂慶子、萬田久子、深田恭子、奥菜恵、岸部一徳、大滝秀治、草笛光子、中村玉緒、そして再び警察署長役の加藤武らが出演。『木枯し紋次郎』の中村敦夫、旧作で竹子を演じた三條美紀、さらに三谷幸喜までが顔をそろえるという、新旧ファンへのサービス満点のキャスティングだった。草笛光子と加藤武は1976年版にも出演しており、「30年後の同窓会」のような一本でもある。
『木枯し紋次郎』[編集]
1972年にフジテレビで放送された時代劇。笹沢左保の小説が原作で、中村敦夫演じる無宿渡世人・紋次郎が長い楊枝をくわえ、「あっしには関わりのねえことでござんす」とつぶやきながら旅を続ける。市川は監修を務め、第1〜3話と最終話を自ら監督した。
テレビ時代劇ながらフィルム撮影で作られ、泥臭くリアルな殺陣、乾いた虚無感、上條恒彦の主題歌「だれかが風の中で」などが話題を呼んだ。それまでの勧善懲悪の時代劇とは一線を画すスタイルは、その後のテレビ時代劇に大きな影響を与えたとされる。1993年には市川自身の監督で映画『帰って来た木枯し紋次郎』も作られた。
明朝体の極太タイトル[編集]
市川はデビュー作の頃から、作品のタイトルデザインを自ら手がけていた。タイトルは映画の「顔」だというのが持論で、とくに明朝体を好んだ。『犬神家の一族』では、画面いっぱいの極太明朝体の文字を、L字や鉤(かぎ)型に折り曲げて配置するという大胆なデザインを見せている。エンドマークに「終」ではなく「完」を使うのもこだわりだった。
この「極太明朝体+直角に折れ曲がる文字組み」は、庵野秀明監督のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のタイトルカードやサブタイトルに影響を与えたとされる。エヴァで使われた書体はフォントワークスの「マティスEB」で、のちに公式フォントとして市販されるほど有名になった。映画監督の岩井俊二も、少年時代に『犬神家の一族』の極太明朝体のタイトルに衝撃を受けたと語っている。
作品一覧[編集]
主な監督作品のみを挙げる(テレビ作品は一部)。
| 公開年 | 作品名 | 製作・配給 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1948 | -「眞知子」より- 花ひらく | 新東宝 | 正式な監督デビュー作 |
| 1948 | 三百六十五夜 | 新東宝 | 前後編のヒット作 |
| 1952 | 足にさわった女 | 東宝 | 都会派コメディ |
| 1953 | プーサン | 東宝 | 風刺喜劇 |
| 1955 | こころ | 日活 | 夏目漱石原作 |
| 1956 | ビルマの竪琴 | 日活 | ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジョ賞 |
| 1956 | 日本橋 | 大映 | 初のカラー作品 |
| 1958 | 炎上 | 大映 | 三島由紀夫『金閣寺』原作、市川雷蔵主演 |
| 1959 | 鍵 | 大映 | 谷崎潤一郎原作、カンヌ国際映画祭審査員特別賞 |
| 1959 | 野火 | 大映 | 大岡昇平原作、船越英二主演 |
| 1960 | ぼんち | 大映 | 山崎豊子原作、市川雷蔵主演 |
| 1960 | おとうと | 大映 | 幸田文原作、キネマ旬報ベスト・テン1位 |
| 1961 | 黒い十人の女 | 大映 | 船越英二主演のブラックコメディ |
| 1962 | 破戒 | 大映 | 島崎藤村原作、市川雷蔵主演 |
| 1963 | 雪之丞変化 | 大映 | 長谷川一夫の出演300本記念作 |
| 1963 | 太平洋ひとりぼっち | 日活・石原プロ | 石原裕次郎主演 |
| 1965 | 東京オリンピック | 東宝 | 公式記録映画、カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞 |
| 1972 | 木枯し紋次郎(テレビ) | フジテレビ | 監修、第1〜3話・最終話を監督 |
| 1973 | 股旅 | ATG | 萩原健一主演 |
| 1975 | 吾輩は猫である | 東宝 | 夏目漱石原作 |
| 1976 | 犬神家の一族 | 角川春樹事務所・東宝 | 角川映画第1作、石坂浩二主演 |
| 1977 | 悪魔の手毬唄 | 東宝 | 金田一シリーズ |
| 1977 | 獄門島 | 東宝 | 金田一シリーズ |
| 1978 | 女王蜂 | 東宝 | 金田一シリーズ |
| 1978 | 火の鳥 | 東宝 | 手塚治虫原作、実写とアニメの融合 |
| 1979 | 病院坂の首縊りの家 | 東宝 | 金田一シリーズ第5作 |
| 1980 | 古都 | 東宝 | 山口百恵の引退作 |
| 1983 | 細雪 | 東宝 | 谷崎潤一郎原作 |
| 1985 | ビルマの竪琴 | フジテレビほか・東宝 | セルフリメイク、中井貴一主演 |
| 1987 | 映画女優 | 東宝 | 吉永小百合が田中絹代を演じる |
| 1987 | 竹取物語 | 東宝 | 沢口靖子主演 |
| 1991 | 天河伝説殺人事件 | 角川書店・東映 | 内田康夫原作 |
| 1993 | 帰って来た木枯し紋次郎 | 東宝 | 中村敦夫主演 |
| 1994 | 四十七人の刺客 | 東宝 | 高倉健主演 |
| 1996 | 八つ墓村 | 東宝 | 豊川悦司が金田一を演じる |
| 2000 | どら平太 | 日活ほか | 四騎の会の脚本、役所広司主演 |
| 2006 | 犬神家の一族 | 東宝 | セルフリメイク、劇場用映画の遺作 |
人物像・逸話[編集]
現場の顔[編集]
- 大のヘビースモーカーとして知られ、くわえ煙草で演出する姿がトレードマークだった。
- 撮影現場は和やかだったという証言が多い。金田一シリーズの常連だった加藤武は、市川が「名優、お願いします」と冗談めかして指示を出すなど楽しい現場だったと振り返っている。一方で、萩原健一とは折り合いが悪かったことが知られている。
- ミステリー好きで、脚本の共同ペンネーム「久里子亭(くりす てい)」は、アガサ・クリスティをもじったものである。
岩井俊二との師弟的な関係[編集]
映画監督の岩井俊二は、中学生のときに『犬神家の一族』を見て市川作品にのめり込んだ一人である。1990年代半ばに市川と知り合い、自宅に通うようになった。雑談の中では、戦時中の『四つの結婚』撮影時に太宰治が高峰秀子を口説こうとするのを止めた、という愉快な昔話も聞いたという。2006年には市川の半生を描いたドキュメンタリー『市川崑物語』を監督している。
市川は晩年、横溝正史の『本陣殺人事件』の映画化に意欲を燃やし、岩井との前後編の共同監督案まで出ていた。撮影直前まで準備が進んだものの実現せず、晩年にも市川から再始動の電話があったが、間に合わないまま市川は亡くなった。岩井は2024年末の寄稿で、その遺志をいつか継ぎたいと書いている。
評価と影響[編集]
キネマ旬報ベスト・テンに入った作品は18本にのぼり、国内外の映画祭でも多くの賞を受けた。黒澤明、小津安二郎、溝口健二らと並ぶ戦後日本映画の代表的な監督の一人とされる一方、ジャンルを選ばず、商業映画でもヒットを連発した「職人」でもある点がユニークだ。
影響は映画界にとどまらない。極太明朝体のタイトルはアニメやゲーム、テレビ番組のテロップにまで受け継がれ、金田一シリーズの演出はミステリー映像化の「お手本」になった。2019年の大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』では三谷幸喜が市川崑役を演じ、『東京オリンピック』の制作がドラマの終盤を彩った。市川の作品は、2020年代に入ってからもリメイクや修復によって新しい観客に届き続けている。
2020年代の上映・配信[編集]
4K修復と角川映画祭[編集]
2021年11月、角川映画45周年を記念した「角川映画祭」で、『犬神家の一族』(1976年)の4Kデジタル修復版が世界初上映された。4K修復版はUltra HD Blu-rayとしてソフト化もされている。
そして2026年、角川映画50周年記念の「角川映画祭」では、市川崑の生誕111年を記念した特集が組まれた。2026年5月1日から9月17日まで角川シネマ有楽町を中心に開催され、『鍵』『ぼんち』『黒い十人の女』『破戒』の4本が4K版で初披露されたほか、『おとうと』『雪之丞変化』『犬神家の一族』の4K修復版、『天河伝説殺人事件』も上映された。大阪のシネ・ヌーヴォ、名古屋、京都などを巡回し、神戸のパルシネマしんこうえんでは2026年10月25日から11月14日まで上映中である。
無料公開とテレビ放送[編集]
2023年11月には、KADOKAWAが旧作映画専門の公式YouTubeチャンネル「角川シネマコレクション」を開設し、その第1弾として1976年版『犬神家の一族』を2週間限定で無料公開した。2006年版もテレビ東京系の映画枠などでたびたび放送されている。
配信状況[編集]
2026年秋時点の配信情報サイトの掲載によると、1976年版『犬神家の一族』はU-NEXT、Hulu、FOD、Amazon Prime Videoの「KADOKAWAチャンネル」で見放題、Amazonなどでレンタル・購入が可能となっている。『東京オリンピック』はU-NEXTで見放題、FODなどでレンタル配信されている。一方で、1956年版『ビルマの竪琴』の第二部などは主要な配信サービスで見つからず、DVD・ブルーレイや特集上映で見るしかない作品も多い。配信状況は変わりやすいので、各サービスで確認したい。
リメイクと再評価[編集]
2021年の東京2020大会の年には、映画史・時代劇研究家の春日太一が、テレビ中継の過剰な演出に疲れた人への「解毒剤」として『東京オリンピック』を推すコラムを書くなど、市川版の冷めた視線が改めて注目された。2022年には、市川版から60年ぶりに『破戒』が間宮祥太朗主演で再映画化されている。
余談[編集]
- デビュー前の出発点はアニメーターで、のちに人形劇映画『トッポ・ジージョのボタン戦争』(1967年)や、実写とアニメを組み合わせた『火の鳥』も撮っている。アニメとのつながりは生涯続いた。
- 1979〜80年にはNHK・民放共同制作の年越し番組『ゆく年くる年』の総監督も務めた。CMでも才能を発揮し、サントリーのCMでカンヌ国際広告祭のフィルム部門金賞を受けている。
- 最晩年には三谷幸喜監督の『ザ・マジックアワー』(2008年)に俳優として出演しており、公開は亡くなった後だった。その三谷が、2019年の大河ドラマで市川崑役を演じたことになる。
- 2015年の生誕100周年には、東京国際映画祭で記念上映が行われ、市川崑映画祭に合わせて映画館の手描き看板を復活させる企画も話題になったことがある。
