| Shonentai しょうねんたい | |
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![]() 18年ぶりにテレビで共演した錦織一清と植草克秀(BS-TBS『MUSIC CROSS』、2025年。出典:PR TIMES/BS-TBSプレスリリース) | |
| 出身地 | 日本 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 男性アイドルグループ(3人組) |
| 活動期間 | 1985年12月12日(レコードデビュー) - (2020年末以降は事実上の活動休止) |
| 代表的な実績 | デビュー曲「仮面舞踏会」(オリコン週間1位、1986年年間3位)、「君だけに」「ABC」「まいったネ 今夜」、ミュージカル『PLAYZONE』主演(1986年 - 2008年、通算957公演)、NHK紅白歌合戦 8回連続出場(1986年 - 1993年) |
| 受賞 | 第28回日本レコード大賞 最優秀新人賞(1986年)、第24回ゴールデン・アロー賞 最優秀新人賞(1986年)、第31回ゴールデン・アロー賞 演劇賞(1993年) |
| 事務所 | ジャニーズ事務所(当時) |
| 関連活動 | ミュージカル『PLAYZONE』(青山劇場) |
| 別名 | Bチーム、ジャニーズ少年隊(結成初期の呼び名) |
| その他 | メンバー:錦織一清(ニッキ、リーダー)、植草克秀(かっちゃん)、東山紀之(ヒガシ)/レーベル:ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン) |
概要[編集]
少年隊(しょうねんたい)とは、1985年に「仮面舞踏会」でレコードデビューした、ジャニーズ事務所出身の男性アイドルグループである。メンバーは錦織一清、植草克秀、東山紀之の3人。歌って踊れる本格派として知られ、23年間続いたミュージカル『PLAYZONE』で舞台の少年隊というイメージを確立した。2020年末に錦織・植草が退所して以降、グループ名は残ったまま事実上の活動休止状態にある。
詳細[編集]
「Bチーム」から始まったグループ[編集]
「ジャニーズ少年隊」という名前は、もともと特定のグループではなく、ジャニーズ事務所に所属する20〜30人ほどの少年たちをまとめて呼ぶ総称だった。1981年秋、テレビ東京の音楽番組『ザ・ヤングベストテン』で、錦織一清・植草克秀・松原康行の3人が「Bチーム」としてたのきんトリオの田原俊彦や近藤真彦ら先輩のバックを務めるようになったのが直接の出発点である。ちなみに当時の「Aチーム」が、のちのシブがき隊だ。
このとき東山紀之は高校受験のため活動を休んでいた。1982年、松原がドラマ出演を機に抜け、入れ替わるように東山が復帰して3人体制が固まる。こうして「ジャニーズ少年隊」が生まれ、のちに「少年隊」へ短縮された。
デビューまで4年かかった「最高傑作」[編集]
少年隊はレコードデビュー前から人気があり、1982年には第8回ハワイ音楽祭で金賞と振付賞を受賞している。それでもレコードデビューは1985年12月12日まで待たされた。結成からおよそ4年、同じBチーム出身のシブがき隊が1982年にさっさとデビューしていったのとは対照的である。
その分だけ準備は入念で、キャッチコピーは「日本発、世界行」。アメリカでのデビューも発表され、実際に現地でレコーディングまで行われたが、全米デビューは実現しなかった。ジャニー喜多川は少年隊を自身の「最高傑作」と呼んでいたと伝えられており、事務所の力の入れ方は当時から別格だったとされる。
3色のイメージカラー[編集]
リーダーは錦織。イメージカラーは錦織が赤、東山が黒、植草が黄色である。この色分けは、グループとして初めて出演した企業CMである明治製菓のチョコレートのパッケージに由来するという。ファンの間では今も「❤️💛🖤」の3色がグループの象徴として使われている。
3人ともマイケル・ジャクソンやジャクソン5などアメリカのショービジネスを研究しており、植草は初期にはステップを丸ごとコピーして練習していたと語っている。3人全員がバック宙をこなせるのも有名で、「仮面舞踏会」のラストでは錦織と東山がマイクを持ったまま宙返りを決めるのが見せ場になっていた。
経歴[編集]
「仮面舞踏会」で鮮烈デビュー(1985年〜1986年)[編集]
デビュー曲「仮面舞踏会」は作詞・ちあき哲也、作曲・筒美京平、編曲・船山基紀という布陣。作詞のちあき哲也は錦織の希望で起用されたと伝えられている。当初は「サクセス・ストリート」がデビュー曲の候補だったが、ジャニー喜多川らの要望でこの曲に差し替えられたという。船山による5拍子のイントロは、当時のアイドル曲としてはかなり異例だった。
シングルはB面違いの3種類(A盤「日本よいとこ摩訶不思議」、B盤「春風にイイネ!」、C盤「ONE STEP BEYOND」)で発売され、初回各15万枚は黄・緑・ピンクのカラーレコード仕様。この「複数形態商法」の先駆けもあって、デビュー曲ながらオリコン週間1位に初登場し、1986年のオリコン年間シングルランキングでは3位に入った。TBS『ザ・ベストテン』でも6週連続1位を記録している。
1986年は、第28回日本レコード大賞の最優秀新人賞をはじめ、FNS歌謡祭最優秀新人賞、ゴールデン・アロー賞最優秀新人賞など新人賞を総なめにした。同じ年のレコード大賞で大賞を獲ったのは「DESIRE -情熱-」の中森明菜で、少年隊は同年代のアイドルたちと並んで80年代半ばの音楽番組を彩った。この年はおニャン子クラブ旋風の真っ只中でもあり、中山美穂や南野陽子ら1985年デビュー組とも同じ時代を走っている。
ヒットの連発と紅白8回連続出場(1986年〜1993年)[編集]
1986年は「デカメロン伝説」「ダイヤモンド・アイズ」「バラードのように眠れ」、1987年は「STRIPE BLUE」「君だけに」「ABC」とヒットを重ねた。中でも「君だけに」は、ファン投票でデビュー曲を抑えて1位になるほどの人気バラードである。1989年の「まいったネ 今夜」は、ビッグバンド調の大人っぽい曲調で、グループ最後の大ヒットとも言われる。
NHK紅白歌合戦には1986年の第37回に初出場し、1993年まで8回連続で白組から出場した。初出場時、白組司会の加山雄三が曲名を「仮面ライダー」と紹介してしまった珍事は、今もグループ最大級の伝説として語り継がれている。1987年には後輩の光GENJIがデビューし、ジャニーズの人気の中心はローラースケートの彼らへ移っていくが、少年隊は「踊れる大人のグループ」として独自の立ち位置を築いていった。
舞台とソロ活動の時代(1990年代〜2000年代)[編集]
1990年代に入るとシングルのリリースは間遠になり、1998年の「湾岸スキーヤー」、1999年の「情熱の一夜」、2006年の「想 SOH」などを散発的に発表する形になった。代わりに比重が増したのが、毎年夏の『PLAYZONE』と、3人それぞれのソロ活動である。
東山は俳優として時代劇や刑事ドラマの主演を重ね、1993年にはNHK大河ドラマ『琉球の風』でジャニーズ所属タレントとして初めて大河の主演を務めた。植草はTBSの長寿ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』にレギュラー出演し、錦織は舞台の演出家として頭角を現していく。2008年に『PLAYZONE』の少年隊主演が終わると、3人がそろってステージに立つ機会はほぼなくなった。
錦織・植草の退所(2020年)[編集]
デビュー35周年の2020年9月20日、ジャニーズ事務所は公式サイトで、錦織と植草が同年12月31日をもって退所すると発表した。事務所は2人の功績と意向を尊重し、「少年隊」というグループ名は事務所に残すとした。一方で、今後グループとしての活動予定はないとされ、事実上の活動休止となった。
発表時、錦織は「一番甘えていたのは自分」という趣旨で事務所への感謝を述べ、居心地のいい環境から厳しい環境へ挑戦すると語った。植草は人生のほとんどをジャニーズで過ごしてきたとして、年明けから新たな気持ちでスタートしたいと「卒業」を表明。事務所に残る東山は、2人を「最高の戦友」と呼び、家族以上に濃い時間を過ごしてきたと感謝をつづった。同年12月12日には全シングルを収めたベスト盤『少年隊 35th Anniversary BEST』と、『PLAYZONE』の映像をまとめたボックスが発売されている。
東山の社長就任と引退(2023年)[編集]
2023年、ジャニー喜多川による性加害問題が大きな社会問題となるなか、東山は同年9月5日付でジャニーズ事務所の代表取締役社長に就任した。前社長・藤島ジュリー景子の後任である。9月7日の会見では、経営に専念するため年内で芸能活動から引退すると表明。同年10月17日に社名は「SMILE-UP.」へ変更され、所属タレントのマネジメントは新会社のSTARTO ENTERTAINMENTへ移ることになった。
東山は2023年12月に最後の舞台を務め、同月31日に芸能界を引退した。テレビ朝日系の『必殺仕事人』シリーズ、『刑事7人』、『大岡越前』、報道番組『サンデーLIVE!!』のキャスターなど、多くのレギュラー仕事もこれに伴って終了している。
40周年とSMILE-UP.社長退任(2025年〜2026年)[編集]
デビュー40周年を迎えた2025年4月13日、BS-TBS『MUSIC CROSS』で錦織と植草がテレビでは18年ぶりとなる共演を果たし、「仮面舞踏会」「君だけに」「デカメロン伝説」、そして後輩の中山優馬を交えて「Oh!!」を披露した。共演者には早見優、松本伊代らがいた。2026年7月26日にはNHK BS『歌える!青春のベストソング』に2人がそろって出演し、「STRIPE BLUE」「ABC」の当時の映像を交えて少年隊の思い出を語っている。
一方の東山は、2026年9月28日に会見を開き、任期満了に伴い同年9月末でSMILE-UP.の社長を退任すると発表した。後任には同社の最高コンプライアンス責任者で弁護士の山田将之が10月1日付で就任し、藤島ジュリー景子は代表取締役に留任した。会見時点で補償窓口への申告者は1,047人、補償内容を通知した人は587人と報告されている。東山は「被害者救済に区切りをつけるということではない」と述べ、社長を離れても個人としてこの問題に向き合っていくとした。芸能界復帰については一部で観測記事が出ているが、2026年10月時点で公式な発表はない。
メンバー[編集]
錦織一清(にしきおり かずきよ)[編集]
1965年5月22日生まれ、東京都出身。リーダーで、愛称は「ニッキ」。郷ひろみファンだった姉が履歴書を送ったことがきっかけで1977年にジャニーズ事務所に入った。郷ひろみがいなければ少年隊のリーダーもいなかったかもしれない、というわけだ。初めて買ったレコードは西城秀樹のシングルで、矢沢永吉の大ファンとしても知られる。
グループ時代から舞台演出に携わり、退所後の2021年1月からはフリーで活動。同年にインディーズレーベル「Uncle Cinnamon Records」を立ち上げ、2022年11月には株式会社アンクル・シナモンを設立した。『サラリーマンナイトフィーバー』(作・演出)、『蒲田行進曲完結篇』、『熱海殺人事件』、『毒薬と老嬢』など演出作は多数。2026年8月には東京・三越劇場などで舞台『あゝ同期の桜』を企画・演出し、自らも老人と上官の2役で出演した。2023年からはパパイヤ鈴木とのダンスボーカルユニット「Funky Diamond 18」でも活動している。2026年5月には還暦イヤーの締めくくりとして初の写真集『言魂 ―10カラットの呟きと共に―』を発売した。
植草克秀(うえくさ かつひで)[編集]
1966年7月24日生まれ、千葉県出身。愛称は「かっちゃん」。ブラックバス釣りが趣味で、若手時代の長瀬智也や岡田准一ら後輩を釣りに連れて行っていたことでも有名。レーシングカートやキャンプも好むアウトドア派である。
2021年1月に個人事務所「2Steps」を設立し、ソロコンサート『MOVING ON』シリーズやディナーショーを中心に活動。2022年2月には水の江瀧子を題材にした舞台『TARKIE THE STORY』で初演出を手がけた。ステージでは少年隊の楽曲を積極的に歌い続けており、ファンからは「ひとり少年隊」とも呼ばれる。2026年2月26日のZepp Haneda公演では、少年隊のシングル全25曲を1人で歌い切ったと報じられた。同年7月の還暦記念ライブ「Cheers to 60 years!」では、少年隊に楽曲提供してきた作曲家・井上ヨシマサとの新ユニット「ROX66」の結成をサプライズ発表し、9月16日にミニアルバム『SIDE BY SIDE』をリリース。少年隊への提供曲「PGF」も新アレンジで再録している。
東山紀之(ひがしやま のりゆき)[編集]
1966年9月30日生まれ、神奈川県出身。愛称は「ヒガシ」。1979年5月、渋谷のスクランブル交差点でスカウトされたという逸話を持つ。父方にロシア系のルーツがあることを本人が公表している。
俳優としては『必殺仕事人』シリーズ、『刑事7人』、『大岡越前』などで主演を務め、時代劇の顔として長く活躍した。ストイックな体づくりでも知られ、2005年にはホノルルのトライアスロンを完走、2009年からはボクシングにも取り組んだ。2010年10月に女優の木村佳乃と結婚。2023年に芸能界を引退してSMILE-UP.の社長を務め、2026年9月末に退任した。同年9月30日に60歳を迎えている。
作品・ディスコグラフィ[編集]
主なシングル[編集]
- 「仮面舞踏会」(1985年12月12日)- デビュー曲。作詞:ちあき哲也、作曲:筒美京平。オリコン初登場1位
- 「デカメロン伝説」(1986年3月24日)
- 「ダイヤモンド・アイズ」(1986年7月7日)
- 「バラードのように眠れ」(1986年11月28日)
- 「STRIPE BLUE」(1987年3月3日)
- 「君だけに」(1987年6月24日)- 人気投票1位の代表的バラード
- 「ABC」(1987年11月11日)
- 「ふたり」(1988年3月23日)
- 「What's your name?」(1988年7月8日)
- 「じれったいね」(1988年11月10日)
- 「まいったネ 今夜」(1989年6月19日)
- 「封印LOVE」(1990年4月10日)
- 「FUNKY FLUSHIN'」(1990年7月7日)
- 「砂の男」(1990年12月12日)
- 「You're My Life -美しい人へ-」(1993年4月29日)
- 「Oh!!」(1995年12月1日)
- 「湾岸スキーヤー」(1998年1月28日)
- 「情熱の一夜」(1999年6月23日)
- 「想 SOH」(2006年)
ベスト盤『少年隊 35th Anniversary BEST』(2020年12月12日)には全シングルが収録された。
ファンが選ぶ人気曲[編集]
2021年に「ねとらぼ」が実施した人気曲投票(2,770票)では、1位「君だけに」(13.8%)、2位「仮面舞踏会」(12.5%)、3位「バラードのように眠れ」(10.9%)という結果になった。以下「ABC」「まいったネ 今夜」「STRIPE BLUE」「ダイヤモンド・アイズ」「デカメロン伝説」「Oh!!」「ふたり」と続く。デビュー曲を僅差でバラードが上回ったあたりに、ダンスだけではない少年隊の「歌」の強さが表れている。
PLAYZONE[編集]
青山劇場の夏の風物詩[編集]
『PLAYZONE』は、1986年に始まったジャニーズのオリジナル・ミュージカルシリーズ。第1作『PLAYZONE'86 MYSTERY』は同年7月5日から27日まで東京・青山劇場で30公演が行われた。以後、毎年夏に新作を上演するのが恒例となり、大阪・名古屋でも公演が行われた。少年隊は1986年から2008年まで23年連続で主演を務め、少年隊主演期だけで通算957公演、観客動員は約138万人に達した。
演目は『TIME-19』(1987年)、『MASK』(1990年)、『SHOCK』(1991年)、『WINDOW』(1993年)、『King & Joker』(1995年)など多彩で、2004年にはブロードウェイの名作『ウエスト・サイド・ストーリー』を上演した。1991年の『SHOCK』は、のちに堂本光一主演で長く続いたミュージカル『SHOCK』の原型とされる。1993年には第31回ゴールデン・アロー賞演劇賞を受賞し、「舞台の少年隊」の評価を決定づけた。
終幕とその後[編集]
2008年の『少年隊 PLAYZONE FINAL 1986〜2008 SHOW TIME Hit Series Change』をもって少年隊の主演は終了。2009年からは後輩のKis-My-Ft2らが主演を引き継ぎ、2015年1月、青山劇場の閉館とともにシリーズは幕を下ろした。シリーズ全体では通算1,232公演、約174万人を動員している。
2020年12月には少年隊時代の全作品をまとめた映像ボックスが発売された。ただし著作権の都合で、2004年の『ウエスト・サイド・ストーリー』だけは収録されなかった。報道では、3人が同じステージに立ったのはこの『PLAYZONE』終幕の2008年が最後とされている。
炎上とバズ[編集]
紅白「仮面ライダー」紹介事件[編集]
1986年の紅白初出場時、白組司会の加山雄三が「仮面舞踏会」を「仮面ライダー」と紹介してしまった。理由については、衣装がショッカーの戦闘員に似ていたからという説、楽屋で「仮面ライダーみたいなタイトル」と話題になっていたからという説など、加山本人や関係者の証言が複数ある。少年隊はこれを逆手にとり、1992年の紅白の企画コーナーで「レッツゴー!! ライダーキック」を歌ってみせた。
東山をめぐる報道[編集]
2023年、東山の社長就任に前後して、元ジャニーズJr.の著書に東山からのハラスメントをうかがわせる記述があるとして報道された。東山は会見で一部について「記憶にない」とし、性加害については否定した。社長として性加害問題の補償を担う立場だったこともあり、その発言や処遇は大きな注目を集めた。
「温度差」報道[編集]
40周年の節目以降、週刊誌などでは再結成をめぐって錦織と植草の間に「温度差」があると報じられている。一方で錦織は2026年のインタビューで植草とは「しょっちゅう会う」と語り、植草が錦織の還暦公演に花を贈ったことを冗談まじりに明かすなど、2人の関係は良好な様子がうかがえる。
余談[編集]
- 1983年の紅白では、デビュー前の錦織と東山が近藤真彦「ためいきロ・カ・ビ・リー」のバックで出演している。植草はこのとき盲腸で欠場していたという。
- 1985年8月12日、少年隊は日本航空123便に搭乗する予定だったが、予定を変更して東京にとどまり、事故を免れたという話がある。
- 錦織は格闘ゲームのアニメ作品でテリー・ボガードの声を担当したことでも知られる。
- シブがき隊の薬丸裕英は、デビュー前に近藤真彦のCMでバックダンサーを務めた際、一緒に踊っていたのが東山だったと語っている。BチームとAチームの縁は、デビュー前から続いていたわけだ。
- 1986年には『ザ・ベストテン』にラスベガスから生中継で出演したとされ、「日本発、世界行」のキャッチコピーを地で行く演出だったという話がある。
- 植草と井上ヨシマサの「ROX66」は2人とも1966年生まれの「還暦ユニット」で、インタビューでは「とりあえず66歳まではやらなきゃ」と語っている。井上との縁は中山美穂の楽曲をきっかけに33年前から続いていると報じられた。
- 錦織は、グループ時代は2人がどこに住んでいるかすら知らず、今もメンバーにメールアドレスを教えていないと語っている。
