| Shibugakitai しぶがきたい | |
|---|---|
![]() 元シブがき隊の薬丸裕英(デビュー記念日の2020年5月5日の記事より。出典:デイリースポーツ) | |
| 出身地 | 日本 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 男性アイドルグループ(3人組) |
| 活動期間 | 1982年5月5日 - 1988年11月2日(「解隊」) |
| 代表的な実績 | デビュー曲「NAI・NAI 16」、「100%…SOかもね!」、「ZOKKON 命」、「スシ食いねェ!」、第24回日本レコード大賞 最優秀新人賞(1982年)、NHK紅白歌合戦 5回出場(1982年 - 1986年) |
| 受賞 | 第24回日本レコード大賞 最優秀新人賞、第13回日本歌謡大賞 放送音楽新人賞(いずれも1982年) |
| 事務所 | ジャニーズ事務所(当時) |
| 関連活動 | 『2年B組仙八先生』(TBS、1981年) |
| 別名 | 仙八トリオ、悪ガキトリオ、シブがきトリオ(いずれも結成初期の呼び名) |
| あだ名 | シブがき |
| その他 | メンバー:本木雅弘(モックン)、薬丸裕英(ヤックン)、布川敏和(フックン)/レーベル:CBS・ソニー(現Sony Music系) |
| リンク | ソニーミュージック シブがき隊ページ |
概要[編集]
シブがき隊(しぶがきたい)とは、1982年から1988年まで活動した、ジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループである。メンバーは本木雅弘(モックン)、薬丸裕英(ヤックン)、布川敏和(フックン)の3人。デビュー曲「NAI・NAI 16」で日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得し、「スシ食いねェ!」などの和風ノベルティソングで一時代を築いた。1988年に「解隊」している。
詳細[編集]
「仙八先生」から生まれたトリオ[編集]
3人の出発点は、1981年にTBSで放送された学園ドラマ『2年B組仙八先生』である。よく「金八先生出身」と紹介されがちだが、正確には金八の後番組にあたる『仙八先生』(主演はさとう宗幸)の生徒役として共演したのがきっかけだった。3人ともこれが俳優デビュー作で、劇中で目立つ存在だったことから、当初は「仙八トリオ」「悪ガキトリオ」などと呼ばれていた。
ちなみに3人は全員1965〜66年生まれの同学年組。布川が1965年8月4日、本木が1965年12月21日、薬丸が1966年2月19日の生まれで、デビュー時は16歳前後だった。デビュー曲のタイトル「NAI・NAI 16」の「16」は、まさにこの年齢を背負っている。
グループ名は雑誌の公募[編集]
グループ名は1981年夏、雑誌『Seventeen』での一般公募によって「シブがきトリオ」に決まった。「渋い悪ガキ」くらいのニュアンスである。ところが当時は芸能界にトリオ名義のユニットがあふれており、他と差をつけたいというジャニー喜多川の意向で「トリオ」を「隊」に改め、「シブがき隊」が誕生した。同じ1981年には、バラエティ番組発のイモ欽トリオが「ハイスクールララバイ」で大ヒットを飛ばしており、「トリオだらけ」だった時代の空気がうかがえる。
メンバーのイメージカラーは、布川が黄色、本木が赤、薬丸が青。薬丸はデビュー時のセンターで責任感も強かったことから「リーダー」と呼ばれることがあったが、公式にリーダーが決められていたわけではない。
「花の82年組」の中の男子組[編集]
1982年5月5日、こどもの日にシングル「NAI・NAI 16」でレコードデビュー。キャッチコピーは「YMF 正面突破」で、YMFは薬丸(Y)・本木(M)・布川(F)の頭文字である。この年は女性アイドルの当たり年で「花の82年組」と呼ばれるが、シブがき隊はその中で数少ない男性グループとして存在感を放った。
デビュー年のうちに第24回日本レコード大賞の最優秀新人賞、第13回日本歌謡大賞の放送音楽新人賞(「100%…SOかもね!」)を獲得。初年度からNHK紅白歌合戦にも出場し、先輩の田原俊彦・近藤真彦と並んで、ヒットチャートや歌番組のランキング上位の常連となった。
経歴[編集]
デビューから全盛期(1982年〜1985年)[編集]
デビュー曲「NAI・NAI 16」は作詞・森雪之丞、作曲・編曲・井上大輔。売上は約25.9万枚とされるヒットになった。以後もほぼ2〜3か月おきという猛ペースでシングルを出し続け、1983年には「処女的衝撃!」「ZOKKON 命」「Hey! Bep-pin」「挑発∞」、1984年には「サムライ・ニッポン」「喝!」「アッパレ! フジヤマ」「べらんめぇ! 伊達男」と、タイトルだけで勢いが伝わる楽曲を連発した。
この時期の大きな特徴が、「サムライ」「フジヤマ」「伊達男」といった和風のモチーフを前面に出した、いわゆるトンチキ路線である。売野雅勇・井上大輔コンビによる「挑発∞」「アッパレ! フジヤマ」などがその代表格で、こうした路線は後のジャニーズグループの「ちょっと変わった曲」の源流のひとつとも語られている。並行して3人主演の映画『シブがき隊 ボーイズ&ガールズ』(1982年、東映)、『ヘッドフォン・ララバイ』(1983年)、『バロー・ギャングBC』(1985年)なども制作され、音楽番組『レッツGOアイドル』の司会も務めた。
ライバルの登場と「いびつなトライアングル」[編集]
1984年頃になると、チェッカーズや吉川晃司といった新しいライバルが台頭する。ここでメンバー間の温度差が表面化した。ライバルに敵対心を燃やした薬丸に対し、本木と布川はチェッカーズのメンバーらと親しくなり、グループ内は「2対1」の構図に。のちに薬丸自身が「いびつなトライアングル」と表現する状態が生まれた。
2018年12月放送のフジテレビ『ダウンタウンなう』に出演した薬丸は、当時の不仲説について「本当です」と認めた。同番組では妻・石川秀美の親友である早見優が「だいたい2(本木・布川)対1(薬丸)で分かれてた」と証言し、薬丸自身も、ファンを奪っていくチェッカーズらと本木・布川が仲良くしているのが面白くなかったと振り返っている。
薬丸の大ケガと「スシ食いねェ!」誕生[編集]
1985年3月16日、薬丸はテレビ番組『これがトリックだ! III』のロケで、船の科学館でのスタント中に転落し、右手首と前腕を骨折して入院した。予定されていたツアーは本木と布川の2人で続行されることになり、MCを担っていた薬丸の穴を埋めるため、急ごしらえで作られたのがラップ調の「スシ食いねェ!」である。
布川とバンドのベーシストが中心になって作ったこの曲は、当初はライブ限定でレコード化の予定もなかった。ところがファンの間で人気を呼び、1985年12月からはNHK『みんなのうた』で放送されることに。NHKでの放送を追い風に、同年の紅白歌合戦では、シングル発売前にもかかわらず「スシ食いねェ!」が歌唱された。レコードは1986年2月1日に発売され、英語版「OH! SUSHI」まで作られるほどの代表曲となった。
失速と「代役の代役」紅白(1986年)[編集]
1985年末に少年隊がデビューすると、メンバーは「勝てない」と感じたとされる。1986年3月頃からは3人それぞれがドラマやバラエティでソロの仕事を始め、グループとしての活動と並行する形になった。
1986年の紅白歌合戦では、4年連続出場していたシブがき隊は一度は選考から漏れた。ところが年末、出場予定だった北島三郎と山本譲二が暴力団関係者の宴席に出席していたとして出場を辞退。代役に立てられた歌手も同様の理由で辞退したため、「代役の代役」としてシブがき隊に声がかかった。この年は「トラ!トラ!トラ!」を歌唱し、結果的にこれが最後の紅白出場となった。
解隊へ(1988年)[編集]
1987年に光GENJIがデビューし、ジャニーズのアイドル勢力図が大きく塗り替わるなか、1988年8月7日、東京厚生年金会館で解散を発表した。シブがき隊らしく、表現は「解散」ではなく「解隊」。同年11月2日、国立代々木競技場第一体育館で解隊コンサートを開き、約6年半の活動に幕を下ろした。このコンサートに限っては観客の写真撮影が許可されたという。ラストシングルは同年10月8日発売の「君を忘れない」。
解隊の経緯は、のちに本人たちがそれぞれ語っている。本木は2016年10月放送のTBS『サワコの朝』で「(グループを)終えさせたのは私」と明かし、芝居をやりたい、パリなど海外へ行くことも考えていたとして、2人に辞めたいと切り出したと説明した。布川は「そうしたいならいいよ」と受け入れ、グループを愛していた薬丸は続けたがっていたという。薬丸はザ・ドリフターズのような「活動休止」を望んでいたとされ、最終的には2対1で解隊が決まった。
一方の布川は、2015年に日本テレビ系の番組で「このままシブがき隊としておじいさんまでやっていけるのか? どうせなら人気のあるうちに解散しよう」と3人で決めたと語っており、さらに後年には、18歳の頃に父親の中古車業を継ぐため最初に解散を口にしたのは自分だったとも明かしている。言い出しっぺの「名乗り」が複数あるのも、このグループらしいところだ。本木は2026年6月にも、解散当時について「賞味期限切れ始めてるかな」と感じていたと振り返ったと報じられた。
楽曲・ディスコグラフィ[編集]
シングル[編集]
全28作。発売日順に並べると、活動期間中の勢いがよくわかる。
- 「NAI・NAI 16」(1982年5月5日)- デビュー曲。作詞:森雪之丞、作曲:井上大輔
- 「100%…SOかもね!」(1982年7月21日)- 作詞:森雪之丞、作曲:井上大輔。初の紅白歌唱曲
- 「ZIG ZAG セブンティーン/Gジャン ブルース」(1982年10月28日)
- 「処女的衝撃!」(1983年2月25日)
- 「ZOKKON 命」(1983年5月5日)
- 「Hey! Bep-pin」(1983年8月8日)
- 「挑発∞」(1983年10月13日)- 作詞:売野雅勇、作曲:井上大輔
- 「サムライ・ニッポン」(1984年1月15日)
- 「喝!」(1984年3月30日)
- 「キャッツ&ドッグ」(1984年6月1日)
- 「アッパレ! フジヤマ」(1984年7月7日)
- 「べらんめぇ! 伊達男」(1984年10月3日)
- 「男意ッ気」(1985年1月11日)
- 「DJ in My Life」(1985年4月3日)
- 「月光淑女!」(1985年6月29日)
- 「KILL」(1985年10月2日)
- 「トラ! トラ! トラ!」(1986年1月22日)
- 「スシ食いねェ!」(1986年2月1日)
- 「OH! SUSHI」(1986年4月10日)- 「スシ食いねェ!」の英語版
- 「飛んで火に入る夏の令嬢」(1986年6月1日)
- 「千夜一夜キッス倶楽部」(1986年9月5日)
- 「恋人達のBlvd.」(1986年11月21日)
- 「ドリーム・ラッシュ」(1987年3月21日)
- 「反逆のアジテイション」(1987年7月22日)
- 「演歌なんて歌えない」(1987年11月21日)
- 「PSST PSST」(1988年2月26日)
- 「恋するような友情を」(1988年7月15日)- 作詞:阿久悠。解隊発表の直前に発売
- 「君を忘れない」(1988年10月8日)- ラストシングル
主なアルバム[編集]
- 『Summer 16 ボーイズ&ガールズ』(1982年)
- 『for '83』(1982年)
- 『夏・Zokkon』(1983年)
- 『LOVE∞MUGENDAI』(1983年)
- 『純情元年五月五日』(1984年)
- 『Honesty〜まじ〜』(1984年)
- 『バローギャングBC』(1985年)
- 『情熱的新世界』(1986年)
- 『HOROSCOPE』(1986年)
- 『NEXT STAGE』(1987年)
- 『2374DAYS』(1988年)
- 『解隊コンサート・ライブ』(1988年)
2008年には、ソニー・ミュージックダイレクトからCD5枚組のボックス『シブがき隊 1982-1988』が企画され、収録するアルバム曲をファン投票で選ぶ形がとられた。投票には3,000件を超えるリクエストが集まったという。
ファンが選ぶ人気曲[編集]
2021年に「ねとらぼ」が実施した人気曲投票では、「ZOKKON 命」が得票率24.5%でぶっちぎりの1位。2位はシングル「べらんめぇ! 伊達男」のカップリング曲「100万粒の涙」(8.5%)、3位は海外曲のカバー「DJ in My Life」(7.7%)だった。以下「KILL」「100%…SOかもね!」「君を忘れない」「恋するような友情を」「NAI・NAI 16」と続く。懐メロ番組では「スシ食いねェ!」ばかりが流れがちだが、ファンの評価はけっこう違う、というのが面白いところである。
紅白歌合戦[編集]
NHK紅白歌合戦には1982年から1986年まで5年連続で出場した。
| 年 | 回数 | 曲目 |
|---|---|---|
| 1982年(第33回) | 初出場 | 100%…SOかもね! |
| 1983年(第34回) | 2回目 | 挑発∞ |
| 1984年(第35回) | 3回目 | アッパレ! フジヤマ |
| 1985年(第36回) | 4回目 | スシ食いねェ!(発売前の歌唱) |
| 1986年(第37回) | 5回目 | トラ! トラ! トラ!(「代役の代役」での出場) |
1985年の「スシ食いねェ!」歌唱については、コミカルな曲で紅白に出ることに薬丸が複雑な思いを抱き、楽屋で「俺達、スシですよ」と涙したという逸話も伝えられている。
メンバーのその後[編集]
本木雅弘(モックン)[編集]
埼玉県桶川市出身。解隊後まもなくジャニーズ事務所を離れ、俳優の道へ進んだ。映画初主演作『ファンシイダンス』(1989年)では役のために頭を剃り、続く『シコふんじゃった。』(1992年)で数々の主演男優賞を受賞。1992年の紅白には今度はソロ歌手として出場し、井上陽水のカバー「東へ西へ」を歌った。
1995年に内田也哉子と結婚し、婿養子として樹木希林・内田裕也の義理の息子となった。主演映画『おくりびと』(2008年)は第81回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞し、日本映画界の顔のひとりになった。その後も『日本のいちばん長い日』(2015年、昭和天皇役)、『永い言い訳』(2016年)、主演作『海の沈黙』(2024年)などに出演。2025年12月に60歳を迎え、2026年6月には写真集の発売や映画『黒牢城』の公開が続いた。シブがき隊時代と俳優としてのイメージは、意識的に切り分けてきたとされる。
薬丸裕英(ヤックン)[編集]
東京都出身。他の2人より約1年遅れてジャニーズ事務所を離れた。1990年6月、元アイドル歌手の石川秀美と結婚。1996年から2014年3月まで、TBSの朝の情報番組『はなまるマーケット』で岡江久美子とともに約17年半にわたって司会を務め、「朝の顔」として主婦層からの人気を確立した。
その後もテレビ東京の『なないろ日和!』や『よじごじDays』、1995年から出演する『出没!アド街ック天国』、2024年4月開始のBS-TBS『薬丸マネー塾』など、司会・レギュラー出演を中心に活動している。布川いわく、もともとは「こわもて」な口調だったのが、『はなまるマーケット』をきっかけに雰囲気が大きく変わったという。
布川敏和(フックン)[編集]
1965年8月4日生まれ。1988年の解隊後にジャニーズ事務所を離れ、俳優・タレントとして活動。1991年11月に女優のつちやかおりと結婚したが、2014年に別居・離婚が報じられた。2005年には映画『バッシュメント』の企画・監督も手がけている。ジャニーズ在籍中から自身のアパレルブランドを持っていたというのも、当時としては珍しい話である。
2010年8月4日、45歳の誕生日に「ふっくん布川」名義で「そば食いねぇ!」を発売し、22年ぶりに歌手活動を再開。「スシ食いねェ!」のアンサーソングで、日本蕎麦協会の公式ソングにも認定された。2020年11月からは長男が立ち上げた事務所に所属している。2026年3月にはABEMAのドキュメンタリー番組で、還暦を機に長年住んだ一軒家を手放し、愛犬と暮らす現在が紹介された。
再結成と3人の関係[編集]
再結成はあるのか[編集]
1988年の解隊以降、3人がそろって公の場に並んだことはない。一方で、2人ずつの共演は何度か実現している。本木と布川は、それぞれ薬丸が司会する『はなまるマーケット』にゲスト出演。特に本木の出演は、早見優が「感動して泣いた」と振り返るほどの話題になった。2009年に『おくりびと』がアカデミー賞を受賞した際には、薬丸が同番組で本木を生中継でインタビューしている。
2008年には布川と薬丸が日本テレビ系『オジサンズ11』の収録で数年ぶりに顔を合わせ、布川はブログで2人の関係を「同期の桜・戦友みたいな関係」と表現した。2012年の『ぴったんこカン・カン』では3人が同じ回に登場したものの、本木と布川はVTR出演で、厳密な「共演」ではなかった。
2020年代の発信[編集]
デビュー記念日の2020年5月5日には、薬丸と布川がそろってブログを更新。布川は「NAI・NAI 16」のジャケット写真を添えて「解隊してもなお、シブがき隊を愛し続けて下さっているファンの皆様」に感謝をつづり、薬丸もデビュー39年目を迎えたことを報告した。
還暦が近づいた2024年末から2025年初頭のインタビューでは、布川が「このタイミングで、3人で歌でも映画でもドラマでも何かやれたら」という趣旨の希望を語った。LINEでのやり取りから「やっくん(薬丸)も同じ思い」だとしたうえで、「決定権はもっくんが握っている」と本木からの連絡を待つ姿勢を見せている。ただし2026年10月時点で、再結成や3人での共演が正式に発表されたという報道はない。
「仲が悪いわけじゃない」[編集]
2026年2月放送のテレビ大阪『大阪おっさんぽ』で布川は、本木を「ちょっと神経質」、薬丸を「心配性」と評し、今は3人で遊ぶことはないと明かした。それでも薬丸とは誕生日にLINEでメッセージを送り合う仲で、「仲悪いんじゃないんですよ? 性格が合わない」とのこと。若い頃の「2対1」を経て、ほどよい距離感に落ち着いたというのが現在の3人のようだ。
炎上とバズ[編集]
不仲説を本人が認める[編集]
長年ささやかれてきた不仲説について、2018年に薬丸本人が『ダウンタウンなう』で「本当です」と認め、ネットニュースで大きく取り上げられた。2026年にも布川が「性格が合わない」と語って再び記事化されるなど、3人の関係は定期的に話題になる。
モックンの紅白パフォーマンス[編集]
解隊後の1992年、本木がソロで紅白に出場した際、避妊具を連ねた首飾りで登場するなど過激な演出で物議を醸した。エイズ啓発の意図があったとされるが、元シブがき隊の「モックン」の変貌ぶりも含めて、当時大きな話題となった。
布川の「断捨離」生活[編集]
2026年3月、ABEMAの番組で布川の離婚後の生活ぶりが長男の証言とともに紹介され、還暦を機に家を手放して「9割断捨離」した現在がスポーツ紙などに取り上げられた。報道では、自宅売却に際してシブがき隊のCDも処分したと伝えられている。
余談[編集]
- 解隊を「解散」ではなく「解隊」と呼んだのは、グループ名の「隊」にかけたもの。ファンの間でも今も「解隊」という言い方が使われている。
- 「スシ食いねェ!」の歌詞は、ホテルの一室で見た注文メモの「中トロ、コハダ、アジ…」がヒントになったと布川が語ったと報じられている。本人いわく「印税は大したことない」そうだ。
- 「NAI・NAI 16」のフレーズは、1990年代に富士フイルムの「写ルンです」関連のCMにも使われたとされる。
- 薬丸は1980年、まだデビュー前に近藤真彦のCMでバックダンサーを務めたことがあり、このとき一緒に踊っていたのが少年隊の東山紀之だったという。
- 2016年には薬丸が国分太一・井ノ原快彦と「100%…SOかもね!」を披露したことがニュースになった。
- 3人の子どものうち複数が芸能界入りしており、「メンバー全員が2世芸能人の親」という珍しいグループでもある。
