Hiromi Go
ごう ひろみ
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『第68回NHK紅白歌合戦』のリハーサルで歌う郷ひろみ(2017年12月。出典:クランクイン!)
本名 原武裕美(はらたけ ひろみ)
誕生日 1955年10月18日
年齢 71歳
出身地 福岡県
国籍 日本
家族 既婚。子どもは娘2人(最初の結婚)、双子の息子(2014年生まれ)
身長 176cm
血液型 A型
学歴 堀越高等学校 卒業
職業 歌手、俳優
肩書 「新御三家」の一人、元アイドル
活動期間 1972年 -
代表的な実績 「男の子女の子」(1972年)、「よろしく哀愁」(1974年)、「お嫁サンバ」(1981年)、「2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-」(1984年)、「言えないよ」(1994年)、「GOLDFINGER'99」(1999年)
受賞 日本レコード大賞 新人賞(1972年)、同 大衆賞(1976年)、同 最優秀歌唱賞(1999年)
事務所 バーニングプロダクション
ファンクラブ 1971年発足(2026年で55周年)
あだ名 ひろみ、GO
その他 NHK紅白歌合戦通算38回出場(2025年で勇退)
リンク 公式サイト


概要[編集]

郷ひろみ(ごう ひろみ、1955年10月18日 - )とは、福岡県出身の日本の歌手・俳優である。1972年に「男の子女の子」でデビューし、西城秀樹・野口五郎とともに「新御三家」と呼ばれた。「よろしく哀愁」「2億4千万の瞳」「GOLDFINGER'99」などのヒットを持ち、NHK紅白歌合戦には通算38回出場。70歳を過ぎた今もツアーを回り続ける、昭和・平成・令和の現役スターである。

詳細[編集]

「ひろみです!」から始まった芸名[編集]

本名は原武裕美。1971年、映画『潮騒』の出演者オーディションを受けて落選したが、その会場で審査に関わっていたジャニー喜多川に見いだされ、ジャニーズ事務所に入った。当時の看板グループ・フォーリーブスのステージにバックダンサーとして立ち、旭川公演で「ひろみです!」と紹介されたところ客席が大きく沸いたことから、そのまま「ひろみ」で売り出すことになったという。名字の「郷」には「5人目のフォーリーブス」という意味が込められていたとされる。

ファンクラブはレコードデビュー前の1971年に早くも発足しており、2026年で55周年を迎えた。デビュー前からファンがついていたという、今では考えにくいスタートだった。

新御三家の「末っ子」[編集]

1972年1月、NHK大河ドラマ『新・平家物語』で俳優として先にデビューし、同年8月1日に筒美京平作曲の「男の子女の子」でCBS・ソニーから歌手デビューした。翌1973年にはブロマイドの年間売上で1位になり、同時期に人気を集めた西城秀樹・野口五郎とあわせて「新御三家」と呼ばれるようになる。かつての橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦の「御三家」になぞらえた呼び名で、1970年代の男性アイドルの頂点を示す言葉になった。

3人は同じ時代を競い合うライバルであると同時に、長く付き合いの続く仲でもあった。2016年には3人そろって還暦を迎えたことを記念する鼎談が行われている。2018年5月に西城秀樹が死去した際、郷は「ボクの中で長男は五郎、次男は秀樹、末っ子がボクでした」とコメントし、告別式では弔辞を読んだ。

50年以上同じレコード会社[編集]

郷のキャリアで意外と知られていないのが、デビューから半世紀以上、ずっとソニー系列のレーベルに所属し続けている点である。社名がCBS・ソニーレコードだった時代から一度も移籍しておらず、2022年11月にはソニーグループ本社で「レコードデビュー50周年記念式典」が開かれ、社長から記念プレートを贈られた。式典で郷は「今、頭の中には感謝しか浮かんでこない」と話している。

所属事務所は1975年春にジャニーズ事務所からバーニングプロダクションへ移っている。そのため、のちにたのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)や少年隊、光GENJIへと続くジャニーズのアイドル史とは途中で道が分かれたが、1974年の「よろしく哀愁」はジャニーズ事務所所属歌手として初のオリコン週間1位とされ、「元祖」としての存在感は今も語られる。

「ジャケットプレー」と全力のステージ[編集]

郷のステージの代名詞が、ジャケットの裾をつかんで広げたり翻したりする「ジャケットプレー」である。紅白でも毎年のように披露され、モノマネの定番にもなっている。2006年には埼玉スタジアムで行われたサッカーのキリンカップ(サッカー日本代表対スコットランド戦)で国歌を独唱し、その後スーツの裏地に仕込んだ日本サッカー協会の旗を見せるという「ジャケットプレー」で会場を沸かせた。

客席に降りて会場を走り回る演出も定番で、2025年の最後の紅白でも間奏中にNHKホールを一周して出演者とハイタッチを交わした。70歳でこれをやり切る体力が、後述する徹底した体づくりに支えられている。

経歴[編集]

1972年 - 1979年:アイドル時代[編集]

1971年に福岡から上京し、日本大学櫻丘高校に入学したのち、同年8月に堀越高校の芸能コースへ転校。仕事と両立しながら4年かけて1975年に卒業した。1976年には青山学院大学法学部を受験したが不合格だった、というエピソードも残っている。

1972年の「男の子女の子」で第14回日本レコード大賞の新人賞を受賞。1974年、筒美京平作曲の「よろしく哀愁」で初のオリコン週間1位を獲得した。同曲は郷自身が主演したドラマ『ちょっとしあわせ』(NET、現テレビ朝日)の主題歌で、通算10枚目の記念すべきシングルでもあった。

1977年にはTBSのドラマ『ムー』、翌1978年には『ムー一族』に出演し、劇中で樹木希林と歌った「林檎殺人事件」は『ザ・ベストテン』で1位を獲得した。1977年には『ムー』の効果もあり、ブロマイド年間売上の男性部門で再び1位になっている。映画でも『おとうと』(1976年)や秋吉久美子と共演した『さらば夏の光よ』(1976年)などに主演した。1976年には第18回日本レコード大賞の大衆賞を受賞したが、1979年にはレコード大賞などの音楽賞への出演を辞退すると公表している。

1980年代:「お嫁サンバ」とニューヨーク[編集]

1981年の「お嫁サンバ」は日本有線大賞の有線音楽賞を受賞するヒットに。当初は歌詞に戸惑ったものの、プロデューサーの酒井政利に「後世に残る歌になる」と言われてレコーディングに臨んだと本人が振り返っている。1982年には「哀愁のカサブランカ」がヒット。

1984年2月25日には、国鉄(現JR)の「エキゾチック・ジャパン」キャンペーンソング「2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-」(作詞:売野雅勇、作曲:井上大輔)を発売した。のちに郷の代名詞となるこの曲も、当時は大人の歌い手として抵抗感があったと語っている。

私生活では、交際を公にしていた松田聖子との関係が1985年1月に破局を迎えた。1986年3月には芸能活動を休止して単身ニューヨークへ渡り、約1年間ボイストレーニングなどに打ち込んだ。1987年6月に女優の二谷友里恵と結婚し、新居をニューヨークに構えて1989年に帰国している。

1990年代:バラード3部作と「アチチ」[編集]

1990年代前半、郷は大人のバラード路線で第2の全盛期を迎える。1993年の「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」、1994年の「言えないよ」、1995年の「逢いたくてしかたない」は「バラード3部作」と呼ばれ、ロック色の強かった当時の音楽シーンの中で幅広い世代に受け入れられた。「言えないよ」「逢いたくてしかたない」は日本有線大賞の有線音楽優秀賞にも選ばれている。

そして1999年7月23日、リッキー・マーティンの世界的ヒット「Livin' la Vida Loca」を日本語でカバーした「GOLDFINGER'99」を発売。TBS系『ワンダフル』のエンディングテーマなどに起用され、「アチチ、アチ」のフレーズが日本中で流行した。このフレーズは郷自身が提案して増やしてもらったものだという。同曲で第41回日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞し、44歳にして再び社会現象を起こした。

1998年4月には二谷友里恵との離婚を発表。同時に出版した告白本『ダディ』はミリオンセラーとなった。

2000年代:2度目のニューヨーク[編集]

2000年9月、松田聖子とのデュエット曲「True Love Story/さよならのKISSを忘れない」を発売。郷の側から声をかけて実現したもので、かつての恋人同士の共演は大きな話題になった。同年11月には一般女性と再婚している。

2001年の紅白出場を最後に音楽活動をいったん休止し、再びニューヨークへ移住。2005年4月の「愛より速く」で日本での活動を本格再開したが、同月に2度目の離婚を発表した。2007年には国土交通省「ビジット・ジャパン・キャンペーン」のテーマソング「Come On Baby」を担当し、大臣から感謝状を受けている。2009年には大阪・道頓堀のグリコ看板前に船で登場するゲリラ的な発売イベントも行った。

2010年代:紅白連続出場の時代[編集]

2010年10月18日、55歳の誕生日に日本武道館で全国ツアー55公演目のファイナル「55!伝説」を開催。同年末には9年ぶりに紅白へ復帰し、ここから2025年まで16年連続出場が続くことになる。2012年3月には一般女性との3度目の結婚を公表し、2014年6月には双子の男の子が誕生した。

2015年に還暦を迎え、同年はTBSの日曜劇場『天皇の料理番』(主演:佐藤健)に出演。2019年の紅白では令和最初の白組トップバッターを務め、「昭和・平成・令和の3時代で紅白に出場」と話題になった。同年にはデビュー47年目にして初のアイドル的なファンイベントを東京・池袋で開き、約3500人と交流している。

2020年 - 2024年:黄金の60代[編集]

2020年、60代を「黄金の60代」と名付けたエッセイ集『黄金の60代』(幻冬舎)を出版。同年のシングル「ウォンチュー!!!」は105枚目のシングルでオリコン7位を記録した。2021年には楽曲のストリーミング配信を解禁している。

2022年はデビュー50周年。通常ツアーに加え、バラード中心の特別ツアー「The Final Countdown」を11公演行い、12月26日には12年ぶりの日本武道館公演で全50曲を休憩なしの約3時間で歌い切った。チケットは9000席が完売し、埼玉県の高校生がサプライズでコーラス参加する一幕もあった。

2024年の紅白は通算37回目。前日に福岡でディナーショーを終えて戻ったばかりのリハーサルでは、「60代を黄金に例えたなら、70代はプラチナ」と語り、年齢に関係なく体と声が続く限り現役を続けると宣言した。

2025年:古希と紅白勇退[編集]

2025年10月18日、70歳の誕生日当日から2日間、日本武道館で「Hiromi Go at Nippon Budokan 2025 "THE GREATEST 70 SONGS"」を開催。春のツアー初日に「70歳で70曲歌うかも」と予告していた通り、1日35曲ずつ計70曲を披露し、約1万人を集めた。古希にちなんだ紫のジャケットで登場し、最後には涙を見せている。

同日にはファンへの感謝を正面から歌ったバラード「ALL MY LOVE」(作詞:いしわたり淳治)を配信リリースし、武道館で初披露した。10月19日・26日にはドキュメンタリー番組『情熱大陸』で約10か月に及ぶ密着の様子が2週にわたって放送された。

そして12月29日、紅白のリハーサル後に「今年を一区切りにしたい」として紅白からの勇退を発表。若い世代にも挑戦し続けてほしいという思いがあったとし、紅白は終わりではなく「節目」だと説明した。大みそかの第76回では白組のトップバッターとして「2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-」を歌い、「こんなに最高な『2億4千万の瞳』はなかなかない」と感謝を述べてステージを降りた。

2026年の近況[編集]

2026年1月、長年支えてくれた母が92歳で死去した。郷は母から言われた「ファンがいなければ、あんたの存在はない」という言葉を信念にしてきたと語っている。

5月23日、埼玉・越谷のサンシティホールでのファンクラブ限定公演から、全国ツアー「Hiromi Go Concert Tour 2026 〜ALL MY LOVE〜」(31会場45公演)が開幕。母の死後初のステージで、ファンクラブ会員のアンケートを基にしたセットリスト22曲を歌い、アンコールでは大粒の涙を流した。

デビュー記念日の8月1日には、通算112枚目のシングル「I'm Neo G」(作詞:岡嶋かな多、作曲・編曲:GRP)と、前年の武道館公演全70曲を収めたCD4枚組のライブアルバムを同時発売。MVにはサウナの熱波師が参加している。8月29日にはテレビ朝日系『博士ちゃん』に出演してサンドウィッチマンらと「2億4千万の瞳」をコラボ歌唱し、9月17日にはフジテレビの音楽番組『STAR』に初出演して「GOLDFINGER'99」と「I'm Neo G」を披露した。

ツアーファイナルは10月24日・25日の日本武道館2days公演。11月25日には1986年・1990年・1994年のライブを収めた映像作品『GOLDEN STAGE HIROMI GO THE LIVE BOX 1986/1990/1994』の発売も控えている。2027年のデビュー55周年に向けた流れを、本人は「ホップ・ステップ・ジャンプ」と表現している。

人物[編集]

ストイックな体づくり[編集]

「70歳に見えない」と言われ続ける郷の若々しさは、ほぼ修行のような生活習慣の積み重ねである。主な習慣として報じられているのは次の通り。

  • 毎朝5時55分に目覚ましなしで起きる。名前の「GO(5)」にかけた時刻だという。
  • 30年以上前から毎日運動を続けており、現在はジムに月・水・金の週3回通ってパーソナルトレーナーとトレーニングする。前日にコンサートがあっても月曜なら休まない方が体調がいいという。トレーナーのいない日も自主トレを欠かさない。
  • スポーツマッサージに月4〜5回通う。
  • 朝食は納豆ご飯など軽めで、午前中はトレーニングにあてる。油っこい物は避け、夜遅い時間には食べない。コンサート前は腹4〜5分目にとどめる。ただし甘い物は好きで、和菓子をよく食べる。
  • 大好きだったワインを含めて50代で酒を断った。「3年くらい」のつもりで始めた断酒は、2022年時点で丸10年続いていた。
  • 歯磨きは食前・食後の1日最低5回、1回13分ほど。歯ブラシ・歯間ブラシ・フロス・舌磨き・マウスウォッシュをフル活用する。1日の最後の歯磨き後は水しか飲まない。
  • 外出時は日傘・サングラス・マスクで紫外線を徹底ブロック。首や腕に日焼け跡があると、観客にステージ以外のことを考えさせてしまうから、という理由である。

運動を始めたい人へのアドバイスは「目標は低めに」。やる気が落ちる時期が来るのを前提にした方が続けやすい、という現実的な考え方である。

「郷ひろみ」として生きる[編集]

本人いわく、オンとオフの区別はほとんどなく、寝ている時以外は常に「郷ひろみ」。家でパジャマのまま過ごすことも「生き様に嘘があるようで嫌」だという。行動の基準は「郷ひろみとしてやるべきかどうか」の一点で、ステージでは「調子が悪い」といった言い訳を一切口にしない。

30年近く続けている習慣として、週1冊ペースで小説を読み、「Miscellaneous Notebook」と名付けた雑記帳に気になった言葉を書き留めている。自宅にはこのノートが何十冊もあるという。「若いですね」と言われることについては、若さを目指したのではなく、30代の頃から自分の空洞を埋める作業を続けてきた結果だと語っている。

食べ方のこだわり[編集]

2025年11月にフジテレビの情報番組に出演した際、ピザやスイカはナイフとフォークで一口大に切って食べること、トウモロコシは1粒ずつ食べるため半分で20分ほどかかることを明かし、スタジオを驚かせた。空腹はあまり感じず、水で食欲を抑えられるとも話している。

趣味[編集]

ゴルフ好きとして知られ、2020年11月にはホールインワンを達成した。1985年12月にはホノルルマラソンを完走している。

結婚・家族[編集]

これまでに3度結婚している。

  • 1度目は1987年6月、女優の二谷友里恵と結婚。娘2人をもうけ、1998年4月に離婚を発表した。
  • 2度目は2000年11月、一般女性と再婚。2005年4月に離婚を発表した。
  • 3度目は2012年3月に一般女性との入籍を公表。2014年6月に双子の男の子が誕生している。

最初の結婚の時期には、ニューヨークに新居を構えて約2年を過ごした。家族のプライベートについて郷は多くを語らないが、母の教えを大切にしてきたことは近年のインタビューやステージで繰り返し語っている。

主な作品[編集]

主なシングル[編集]

年 タイトル 備考
1972年 男の子女の子 デビュー曲。日本レコード大賞新人賞
1974年 よろしく哀愁 初のオリコン週間1位。ドラマ『ちょっとしあわせ』主題歌
1976年 あなたがいたから僕がいた
1978年 林檎殺人事件 樹木希林とのデュエット。『ムー一族』劇中歌
1981年 お嫁サンバ 日本有線大賞 有線音楽賞
1982年 哀愁のカサブランカ
1984年 2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン- 国鉄キャンペーンソング
1993年 僕がどんなに君を好きか、君は知らない バラード3部作の1作目
1994年 言えないよ 同2作目
1995年 逢いたくてしかたない 同3作目
1999年 GOLDFINGER'99 リッキー・マーティンのカバー。日本レコード大賞最優秀歌唱賞
2000年 True Love Story/さよならのKISSを忘れない 松田聖子とのデュエット
2005年 愛より速く 日本での活動再開シングル
2020年 ウォンチュー!!! 105枚目。オリコン7位
2022年 ジャンケンポンGO!! 108枚目。50周年
2025年 ALL MY LOVE 70歳の誕生日に配信
2026年 I'm Neo G 112枚目

主な出演[編集]

  • 『新・平家物語』(1972年、NHK大河ドラマ)- 俳優デビュー作
  • 『ちょっとしあわせ』(1974年、NET)- 初主演
  • 『ムー』(1977年、TBS)
  • 『ムー一族』(1978年、TBS)
  • 『おとうと』(1976年、映画)- 主演
  • 『さらば夏の光よ』(1976年、映画)- 主演
  • 『天皇の料理番』(2015年、TBS)
  • 『情熱大陸』(2025年、TBS系)- 密着ドキュメンタリー
  • 『STAR』(2026年、フジテレビ)

主な書籍[編集]

  • 『ダディ』(1998年)- ミリオンセラー
  • 『黄金の60代』(2020年、幻冬舎)

紅白歌合戦[編集]

初出場は1973年の第24回で、曲は「男の子女の子」。以後1985年まで13年連続で出場した。ニューヨーク滞在などで1986年から途切れ、1990年に「Wブッキング」で復帰。1994年から2001年までは8年連続で出場し、1999年には「GOLDFINGER'99」を歌っている。

2002年から2009年までは再渡米などで出場がなかったが、2010年に9年ぶりに復帰。そこから2025年まで16年連続で出場し、通算出場回数は38回に達した。2024年時点で、演歌歌手以外では歴代2位の出場回数と報じられた。2010年代以降は「2億4千万の瞳」が事実上の定番曲となり、2015年以降だけで何度もアレンジを変えて歌われた。

印象的な回も多い。2016年は「言えないよ」のエンディングで土屋太鳳と共演し、本人も忘れられないステージに挙げている。2020年は同年に死去した作曲家・筒美京平のトリビュートメドレーを担当。2022年は50周年メドレー、2023年はブレイキン(ブレイクダンス)のShigekixと共演し、70歳手前で練習を重ねてダンスに挑んだ。2024年は放送100年企画の「2億4千万の瞳 放送100年 GO!GO!SP」で、この年の司会は有吉弘行・橋本環奈・伊藤沙莉・鈴木奈穂子アナウンサーだった。

2025年の第76回(司会は綾瀬はるか・今田美桜・有吉弘行ら)が最後の紅白となり、白組トップバッターで「2億4千万の瞳」を歌い、「サンキュー紅白!紅白サイコー!」と叫んで会場を一周した。

炎上とバズ[編集]

『ダディ』騒動[編集]

1998年4月、二谷友里恵との離婚発表と同時に、結婚生活と離婚までの経緯をつづった告白本『ダディ』を出版した。発表と出版が同日だったことから大きな騒ぎとなり、賛否を集めながらもミリオンセラーになった。

紅白勇退のサプライズ発表[編集]

2025年12月29日のリハーサル後に突然勇退を表明したため、本番2日前のニュースとして各紙が大きく報道。スポーツ紙はファンクラブで真っ先に報告していたことも伝えた。大みそかのステージは「最後の2億4千万の瞳」としてSNSで話題になった。

食べ方トーク[編集]

2025年11月のテレビ出演で明かした「トウモロコシは1粒ずつ」「ピザはナイフとフォーク」「歯磨きは1回13分を1日5回」といった習慣は、ネットニュースで取り上げられ「さすが郷ひろみ」「ストイックすぎる」と話題を呼んだ。

余談[編集]

  • 「新御三家」の3人のうち、郷は自分を「末っ子」と位置づけていた。長男は野口五郎、次男は西城秀樹だという。
  • 1972年のレコードデビュー日は8月1日。2026年の新曲「I'm Neo G」も、この記念日に合わせて発売された。
  • 「5時55分起床」は名前の「GO=5」にかけたもの。数字の5へのこだわりはファンの間でもよく知られている。
  • 1980年代のアイドル水泳大会での活躍から「ミスター水泳大会」と呼ばれたこともあるとされる。
  • 2010年の武道館公演「55!伝説」は55歳の誕生日・全国ツアー55公演目、2022年は50周年で50曲、2025年は70歳で70曲と、年齢や節目の数字に合わせたライブ企画が恒例になっている。
  • 2024年の紅白リハーサルでは「60代は黄金、70代はプラチナ」と語っており、70代の目標まで言葉にしてから迎えている。

外部リンク[編集]

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