Masaki Kanda
かんだ まさき
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神田正輝(2018年撮影。出典:デイリースポーツ)
本名 神田正輝
誕生日 1950年12月21日
年齢 75歳
出身地 東京都港区
国籍 日本
家族 母:旭輝子(女優、2001年死去)
元妻:松田聖子(歌手、1985年 - 1997年)
長女:神田沙也加(歌手・女優、2021年死去)
学歴 日本大学日吉高等学校 卒業
日本大学芸術学部映画学科 卒業
職業 俳優、タレント、司会者
肩書 元石原プロモーション取締役、『朝だ!生です旅サラダ』2代目総合司会
活動期間 1973年 -
代表的な実績 『太陽にほえろ!』ドック(西條昭)役(1980年 - 1986年)、『朝だ!生です旅サラダ』総合司会(1997年 - 2024年)、『赤い霊柩車』シリーズ 黒沢春彦役(1990年代 - 2023年)、『とおりゃんせ〜深川人情澪通り』主演(1995年)
事務所 石原プロモーション(1973年 - 2021年)→ フリー
関連活動 石原軍団
あだ名 ドック、マサキ
その他 1985年の松田聖子との結婚は「聖輝の結婚」と呼ばれた


概要[編集]

神田正輝(かんだ まさき、1950年12月21日 - )とは、日本の俳優・タレント・司会者である。石原プロモーションの俳優として『太陽にほえろ!』のドック刑事で人気を得て、1985年には松田聖子と「聖輝の結婚」で世間を沸かせた。1997年から2024年まで27年半、土曜朝の『朝だ!生です旅サラダ』の顔を務めた。

詳細[編集]

「ドック」と石原軍団[編集]

世代によって神田正輝の「顔」は違う。1980年代の刑事ドラマ世代にとっては『太陽にほえろ!』のドック刑事、つまり医大を中退して刑事になった西條昭であり、石原裕次郎率いる石原プロモーション、通称「石原軍団」の一員である。大学4年のとき、東京・赤坂のホテルで偶然石原裕次郎と言葉を交わしたことがきっかけで芸能界に入り、以後2021年に石原プロが解散するまで約半世紀にわたり同社に所属し続けた。

石原プロでは渡哲也が社長になって以降、舘ひろしとともに会社を支える立場になり、取締役も務めた。阪神・淡路大震災や東日本大震災の際には、石原軍団名物の被災地での炊き出しでも先頭に立ったと伝えられている。同じ軍団の中でも、渡が「重厚」、舘が「ダンディ」なら、神田は「軽妙な二枚目」という立ち位置で、ダジャレとアドリブで現場をなごませる役回りだった。

「聖輝の結婚」[編集]

もう一つの顔が、松田聖子の夫としての神田正輝である。1985年の映画『カリブ・愛のシンフォニー』で共演したことがきっかけで交際に発展し、同年6月24日に東京のサレジオ教会で結婚式を挙げた。聖子は少し前に郷ひろみとの破局会見を開いたばかりで、そこからわずか数か月での電撃婚。二人の名前から一字ずつ取った「聖輝(せいき)の結婚」という呼び名は、「世紀の結婚」とかけた当時のマスコミの造語である。

1986年には長女の神田沙也加が生まれた。トップアイドルが結婚・出産後も第一線で歌い続けるという、当時としては新しいモデルの裏側にいたのが神田だったともいえる。結婚生活は12年続き、1997年1月に二人連名の手書きFAXで離婚が発表された。

土曜朝の「旅サラダの神田さん」[編集]

1990年代後半以降の世代にとって、神田正輝は何より「土曜の朝に旅番組をやっている人」である。1997年4月、ABCテレビ制作・テレビ朝日系の生放送『朝だ!生です旅サラダ』の2代目総合司会に就任。初代の草野仁が務めた4年間を目標にしていたが、結果的には27年半という長期政権になった。

大阪のABCのスタジオから毎週生放送で国内外の旅を紹介し、自ら海外ロケにも出た。番組では親父ギャグを連発する好々爺キャラとして定着し、「また来週も見てください。素敵な週末を!」という締めの言葉はお茶の間の定番フレーズになった。卒業の日の最後の言葉も、結局このいつも通りのあいさつだった。

スポーツマンでダジャレ好き[編集]

二枚目俳優でありながら、本人の気質は「体を動かすのが好きな、ダジャレ好きのおじさん」。特技はスキー、アクアラング、ゴルフ、テニスと幅広い。大学時代はスキー板開発のテスターのアルバイトをしており、世界各地のスキー場や氷河を滑っていたという。高給だった一方で危険も多く、本人は後に「スキーが嫌いになった」と語ったこともある。それでもスキーの腕前はプロ級で、『太陽にほえろ!』の雪山ロケ回ではスタントなしで滑走している。

1997年からは長野県の志賀高原で自身の名を冠したスキー大会「神田正輝カップ」を毎年開催し、技術代表として自らコースを滑ることでも知られる。健康のためにエレベーターではなく階段を使い、つま先歩きで足腰を鍛えるといったストイックな一面もあった。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1950年12月21日、東京都港区に生まれた。父は石油販売会社の社長の息子で後継者だった神田正次、母は松竹少女歌劇団出身の女優・旭輝子。「正輝」という名前は、両親の名前から一字ずつ取って付けられた。父が母の実印を使って借金を作り、自宅に差し押さえの紙が届いたことがきっかけで両親は別れている。父の前妻との間に異母姉が二人いる。

港区立赤坂小学校に入学し、2年後に新宿区立四谷第四小学校へ転校。新宿区立四谷第一中学校を経て、日本大学日吉高校に進んだ。大学は推薦で日本大学芸術学部映画学科へ進学し、卒業している。幼い頃、祖母に抱かれて市川猿之助の車を見送った記憶があるといい、芸能の世界は生まれた時から身近にあった。

1973年 - 1979年:石原プロ入りと俳優デビュー[編集]

大学4年生だった1973年頃、赤坂のホテルのレストランで石原裕次郎と知り合ったことが転機になった。日活の撮影所見学を経て、ドラマに端役で出演し、そのまま石原プロモーションに入社する。

デビュー当時、裕次郎から「台本なんか捨ててしまえ」と言われたのを文字通り受け取り、本当に台本を捨てて現場に入った結果、セリフがまったく言えず、共演の宍戸錠にあきれられたという逸話がある。本人はこの話を後年、勝俣州和のYouTubeチャンネルでも笑いながら披露している。

1976年、『大都会 闘いの日々』(日本テレビ)に新聞記者役で出演し、本格的な俳優デビューを果たす。1977年から1978年には『大都会 PARTII』で刑事役を務めた。その後は『青春ド真中!』『ゆうひが丘の総理大臣』『俺たちは天使だ!』などに出演し、「気弱な美男子」という役どころで知られるようになる。

1980年 - 1986年:『太陽にほえろ!』ドック刑事[編集]

1980年7月18日放送の第415話「ドクター刑事登場!」で、『太陽にほえろ!』に西條昭(ドック)役で初登場した。殉職した島公之(殿下)の後任として、警視庁捜査一課から七曲署捜査一係に転属してきたという設定である。開業医の家に生まれ、医学部を3年で中退して警察官になった男で、愛称の「ドック」は「ドクター」に由来する。初登場時は自分の推理と解剖所見が食い違い、先輩に「ヤブ」と呼ばれてしまうという、ほろ苦いスタートだった。

ドックは回転式拳銃ではなくオートマチック拳銃を持ち、足より車で捜査するという、それまでの七曲署の刑事とは毛色の違うキャラクターだった。スポーツ万能でスキーはプロ級という設定は、神田本人の特技をそのまま生かしたもの。神田がアドリブで繰り出すダジャレも、ドックの軽妙なキャラクターを形作る要素になった。

ドックは1986年11月14日の最終話(第718話)まで出演し、番組後半の6年余りを支えた。若手刑事のリーダー格を引き継ぎ、続編の『太陽にほえろ!PART2』にも全話出演している。マカロニ刑事の萩原健一らから始まった「新人刑事の成長物語」の系譜の中で、最終盤を担った一人がドックだった。

1985年 - 1997年:結婚、時代劇、司会業[編集]

1985年に松田聖子と結婚し、1986年に長女の神田沙也加が誕生した。同時期には歌手としてもアルバム『if -予感-』(1984年)、『サンセット物語』(1985年)、『Blue Dahlia』(1987年)を発表している。

1980年代後半からは司会業も増え、今田耕司らと『極楽スポーツ家族』の司会を担当したほか、1992年にはTBSの『第34回日本レコード大賞』で司会を務めた。『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ)などクイズ・バラエティ番組にも数多く出演している。

俳優としては、1995年にNHKの金曜時代劇『とおりゃんせ〜深川人情澪通り』で主人公・笑兵衛を演じ、時代劇で初主演した。本人はこの作品を大変気に入り、2004年には自ら舞台化を実現。これが初舞台・初主演の舞台となった。1997年1月、松田聖子との離婚を発表。同年4月から『朝だ!生です旅サラダ』の総合司会を務め始め、ここから「土曜朝の顔」としての時代が始まる。

1997年 - 2020年:旅サラダと2時間ドラマ[編集]

『旅サラダ』の司会と並行して、2時間ドラマでも息の長い当たり役を得た。山村美紗原作の『赤い霊柩車』シリーズ(フジテレビ)では、片平なぎさ演じる葬儀社社長・石原明子の婚約者で医師の黒沢春彦を、第3作から2023年の最終作まで演じ続けた。「いつまでたっても結婚しない婚約者」というポジションは、シリーズの名物になっている。

ほかにも『ラーメン刑事「龍」の殺人推理』で主演し、『鬼平犯科帳』『水戸黄門』『渡る世間は鬼ばかり』『官僚たちの夏』『大岡越前3』『下町ロケット』(2018年)などにも出演。2016年にはNHK BSプレミアムの『クロスロード』で、舘ひろしと共演し、冤罪事件を追う新聞記者・板垣公平を演じた。

石原プロでは取締役として経営にも関わったが、2011年3月28日に取締役を辞任し、所属俳優の立場に戻った。CMでは日本石油、JTB、ノーシン、三菱電機などに出演し、2001年から2009年までは日本興亜損保のCMで渡哲也・舘ひろしと共演している。

2020年 - 2023年:石原プロ解散、娘の死去、激やせ報道[編集]

2020年8月、石原プロの社長を務めてきた渡哲也が死去した。神田は舘ひろしとともに渡の自宅を訪れ、遺骨に手を合わせたと報じられている。石原プロは石原裕次郎の遺志に従い、2021年1月16日に解散。神田は特定の芸能事務所には移らず、フリーとして活動を続けることになった。

2021年12月、長女の神田沙也加が35歳で死去した。神田はその後も『旅サラダ』の生放送を休むことなく続けた。

2023年3月、30年以上続いた『赤い霊柩車』シリーズが第39作で完結した。同じ年の春頃から、頬がこけるなど容姿の変化が視聴者の間で話題になり、体調を心配する声が相次いだ。同年8月、NEWSポストセブンの取材に対し、本人は「1年半前から、ファスティングはじめてね。だから病気とかそんなんじゃないから」と答えている。2023年11月18日の放送からは「体のメンテナンスのため」として『旅サラダ』を休演した。

2024年:旅サラダ卒業[編集]

2024年1月23日、番組公式サイトで復帰が発表され、1月27日の生放送で約2か月半ぶりに戻った。2月の放送では恵方巻を大口で完食し、オープニングで連続ボケを繰り出すなど、いつもの調子を見せている。4月27日の放送では、福岡県久留米市を紹介するVTRの際に「昔の奥さん、久留米」と、松田聖子の出身地であることを自らネタにしてスタジオをざわつかせた。

7月6日、ABCテレビは神田が9月28日の放送をもって番組を卒業すると発表した。神田は「前任の草野仁さんがMCを務められた4年間を目標に頑張ってきました。気がつけば旅サラダは5年、10年、20年、そして32年目になりました」とコメントしている。同月には勝俣州和のYouTubeチャンネル「勝俣かっちゃんねる」に出演し、激やせの理由や、撮影中の九死に一生エピソードを語った。

9月28日の最終出演は、松下奈緒・勝俣州和との「グアムSP」。恋人岬の観光、クルーズでの釣り対決、スーパーで買った食材での神田流バーベキューを届けた。生放送では「一生懸命やったことは27年半、1回もないんですよ」「その日その日夢中になってやってた」と語り、後任の新レギュラーは置かれなかった。この日は「旅サラダ」がXのトレンド1位になり、ABCの前には出待ちのファンも集まった。

2025年 - 2026年[編集]

2025年3月、『旅サラダ』の新MCとして4月から藤木直人が就任することが発表された。藤木は、神田の「一生懸命やった事はない。夢中にやっていただけ」という言葉を引き、自分も夢中になって番組を楽しみたいと抱負を語っている。同じ3月には、週刊女性PRIMEが都内の焼き鳥店に向かう神田の姿を報じ、体重が戻り血色も良くなった様子を伝えた。

2025年7月には、『太陽にほえろ!』で殿下を演じた小野寺昭が、同作のプロデューサーを囲むランチパーティーの写真を公開。竜雷太(ゴリさん)、木之元亮(ロッキー)、長谷直美(マミー)らとともに神田も写っており、ふっくらした姿に安堵の声が上がった。

2026年1月22日には、俳優の西岡徳馬がInstagramで、里見浩太朗・神田との3ショットを公開した。「里見浩太朗さんの黄門様 私と神田正輝の助さん角さんで ゴルフやりました」という投稿で、寒波の中3人でゴルフをした後、都内で食事をしたという。赤いセーターにジーンズ、ヒゲ姿の神田に「元気そう」とファンから反響が寄せられた。

2026年10月時点で、レギュラー番組や俳優としての新作の発表はない。週刊誌はこの状態を「事実上の引退状態」と表現しているが、本人が引退を表明したことはない。

主な出演作[編集]

テレビドラマ[編集]

  • 『大都会 闘いの日々』(1976年、日本テレビ)- 新聞記者役
  • 『大都会 PARTII』(1977年 - 1978年、日本テレビ)- 刑事役
  • 『青春ド真中!』『ゆうひが丘の総理大臣』(1978年 - 1979年、日本テレビ)
  • 『太陽にほえろ!』(1980年 - 1986年、日本テレビ)- 西條昭(ドック)役
  • 『太陽にほえろ!PART2』(1986年 - 1987年、日本テレビ)- 西條昭役
  • 『大捜査線』『ゴリラ・警視庁捜査第8班』(石原プロ制作)
  • 『西部警察 SPECIAL』- 敵役
  • 『とおりゃんせ〜深川人情澪通り』(1995年 - 1996年、NHK)- 主演・笑兵衛役
  • 『赤い霊柩車』シリーズ(フジテレビ、第3作 - 2023年の第39作)- 黒沢春彦役
  • 『ラーメン刑事「龍」の殺人推理』- 主演
  • 『鬼平犯科帳』『水戸黄門』『渡る世間は鬼ばかり』
  • 『官僚たちの夏』『大岡越前3』
  • 『クロスロード』シリーズ(2016年 - 2018年、NHK BSプレミアム)- 板垣公平役
  • 『下町ロケット』(2018年、TBS)

石原プロ制作の刑事ドラマにまんべんなく顔を出している一方、『西部警察 SPECIAL』では刑事ではなく敵役を演じているのが珍しい。火曜サスペンス劇場や『ホステス探偵危機一髪』『不倫調査員・片山由美』など、2時間ドラマへの出演本数も多い。

映画[編集]

  • 『俺たちは天使だ!』(1979年、東宝)
  • 『カリブ・愛のシンフォニー』(1985年)- 松田聖子と共演

バラエティ・司会[編集]

  • 『朝だ!生です旅サラダ』(1997年4月 - 2024年9月、ABCテレビ・テレビ朝日系)- 2代目総合司会
  • 『極楽スポーツ家族』- 司会
  • 『第34回日本レコード大賞』(1992年、TBS)- 司会
  • 『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ)
  • 『タモリの新・哲学大王!』『超IQ!ひらめきパパ』
  • 『ダウトをさがせII』- パネラー
  • 『舘&神田ゴルフ苦楽部』(2001年)- 舘ひろしと共演

CM[編集]

  • 日本石油「ダッシュガソリン」(1984年)
  • JTB(1985年)
  • ノーシン(1985年 - 1987年)
  • 三菱電機(1985年 - 1987年)
  • 日清食品「家族の焼そば」(1994年)- 松田聖子と共演
  • 日本興亜損保(2001年 - 2009年)- 渡哲也・舘ひろしと共演
  • 宝酒造「松竹梅 上撰」(2015年 - 2016年)

音楽[編集]

  • アルバム『if -予感-』(1984年)
  • アルバム『サンセット物語』(1985年)
  • アルバム『Blue Dahlia』(1987年)

神田正輝と家族[編集]

母・旭輝子[編集]

母の旭輝子は1924年生まれの女優。1939年に松竹少女歌劇団に入団して娘役として活躍し、退団後はエノケン劇団などを経て映画・ドラマ・舞台で活躍した。大河ドラマ『花の生涯』(1963年)、『細うで繁盛記』(1970年)、『Gメン'75』(1976年)などに出演している。2001年12月31日に77歳で死去した。

つまり神田は「女優の息子」として生まれ、「トップアイドルの夫」となり、「歌手・女優の父」になったことになる。祖母、母、本人、娘と、三代以上にわたって芸能と縁のある家系である。

元妻・松田聖子[編集]

松田聖子とは1985年6月24日に結婚し、1997年1月10日に離婚を発表した。離婚の発表は、二人連名の手書きのFAXがマスコミ各社に届くという形で行われた。仕事と家庭の両立に悩み、夫婦のバランスを崩したため、離れて人生を見つめ直すことにした、という趣旨の内容だった。その後、二人はそれぞれ別に会見を開いている。

結婚中には日清食品「家族の焼そば」のCMで夫婦共演も果たした。離婚後、神田は再婚していない。2024年の『旅サラダ』で「昔の奥さん、久留米」と自ら元妻に触れた場面は、生放送で元妻の話題を出すのは異例として週刊誌でも取り上げられた。

長女・神田沙也加[編集]

1986年に生まれた長女の神田沙也加は、のちに歌手・女優・声優として活躍した。神田と沙也加は普段から仕事の話をすることは少なく、頻繁に会うわけではなかったが、沙也加のライブに神田が顔を見せることもあったとされる。沙也加は2021年12月、35歳で死去した。

神田正輝と石原プロモーション[編集]

神田の芸能人生は、ほぼそのまま石原プロモーションの歴史と重なっている。石原裕次郎との偶然の出会いから入社し、裕次郎・渡哲也・舘ひろしらと「石原軍団」を形成。テレビ映画を自社制作する石原プロのスタイルの中で、『大都会』『大捜査線』『ゴリラ・警視庁捜査第8班』といった作品に出演し、若手時代から現場の空気を吸ってきた。

1987年の裕次郎の死去後は、渡が社長として会社を率い、神田は舘とともにそれを支える役回りになった。取締役も務めたが、2011年に辞任して所属俳優に戻っている。2020年8月に渡が亡くなった直後の『旅サラダ』では、渡や石原プロについて番組内で触れることはなく、そのことが記事にもなった。この日は奇しくも、渡の故郷である兵庫県淡路島を紹介するVTRが放送されている。

2021年1月16日、石原プロは解散した。解散は石原裕次郎の遺言によるもので、所属俳優のマネジメント業務も同日で終了した。神田はその後、大手事務所には移らずフリーで活動している。舘ひろしとは同じ年代の軍団の中核として、ゴルフ番組やCM、ドラマ『クロスロード』などで長く共演した間柄である。

朝だ!生です旅サラダ[編集]

27年半の歩み[編集]

『朝だ!生です旅サラダ』は、ABCテレビが大阪から全国ネットで生放送する土曜朝の旅情報番組。神田は1997年4月に草野仁から2代目総合司会を引き継ぎ、2024年9月まで務めた。本人によれば、就任当初は「朝8時から、こんなもんを見てくれないだろ」と思っていたという。

神田は毎週大阪市のABCのスタジオに入り、生放送に臨んでいた。新型コロナ禍の2020年には4月からリモート出演が続き、8月22日に5か月ぶりにスタジオからの生放送が再開。リモート期間中に伸ばしていたヒゲをそって登場したことも話題になった。共演者は時期によって変わり、三船美佳、松下奈緒、勝俣州和、中丸雄一らが番組を支えた。

旅の哲学[編集]

神田は旅について「仲間に入るっていうのが旅なんだよ」と語っている。観光名所を回るだけでなく、その土地の人の輪に入っていくことこそが旅の醍醐味という考え方で、ABCの社長からは「番組に対して哲学を持っておられる方」と評された。

最終回では、後任として残る松下奈緒に「悲しいことじゃないのよ。俺、見てて文句言いにいくから。気引き締めてやれよ」と辛口のエールを送った。勝俣が「ゲストとして来ますから」と声をかけると、「ゲストは来ないよ、俺。カメラ回ってる前横切って。奈緒、何考えているんだって」と返して笑いを誘っている。新しいチームには、前任の続きではなく自分たちの番組を作ってほしいと呼びかけ、「安心して譲れます」と締めくくった。

最新動向[編集]

2024年9月の『旅サラダ』卒業以降、神田はテレビのレギュラー出演から離れている。週刊女性は、セリフを覚えることや長時間の拘束が難しいことから俳優業を控えていると伝えており、2026年に入ってからも新たなドラマ出演や番組出演の発表はない。

一方で、俳優仲間との交流は続いている。2025年7月には『太陽にほえろ!』の出演者・スタッフが集まるランチパーティーに顔を出し、2026年1月には里見浩太朗・西岡徳馬とゴルフと食事を楽しんだ。関係者のInstagramにも、会合での神田の姿が載ったと報じられている。2026年1月の写真には「さらに痩せたような」という声と「元気そう」という声の両方が寄せられた。

2026年10月には女性自身が、『旅サラダ』卒業から2年となる神田の近況を「静かな日々」として報じた。本人がメディアに直接コメントする機会はほとんどなく、近況はもっぱら仲間のSNSや週刊誌を通じて伝わってくる状況である。

炎上とバズ[編集]

「激やせ」と毎週のトレンド入り[編集]

2023年頃から、『旅サラダ』に映る神田の痩せた姿がSNSで繰り返し話題になり、毎週土曜の放送のたびに神田の名前がXのトレンドに入るという現象が起きた。投稿の多くは体型の変化を取り上げたものだったが、無関係な飲食店や釣りアカウントまでが神田の名前をタグ付けして投稿していたと報じられ、ITジャーナリストからは同じ文面をコピーして拡散する「コピペ」的な手法の可能性も指摘された。

週刊誌では重病説が飛び交い、2024年1月には女性自身が「老衰状態」とまで報じた。これに対し神田本人は、2024年7月の「勝俣かっちゃんねる」で、激やせの理由はファスティング(断食)だったと説明している。「お腹が出っ張って足の爪を切るのがしんどくなったから」始めたもので、1日17時間は食べず残り7時間で好きなものを飲食する方法を、知人の勧めで始めたという。

本来は3週間程度で終えるものだと知らず、1年半も続けてしまったといい、「コロナ禍の外出自粛の時期で、慣れてしまえば全然苦しくなかった。1年半ボクサーをやっているみたいだった」と振り返った。休養については「体調を整えるために休んだ。体格を戻すためのトレーニングをしていた」と語り、「(ファスティングは)正しいやり方でやらなきゃいけないと学んだ」と反省の弁も述べている。

卒業の日のトレンド1位[編集]

2024年9月28日の最終出演日には、番組名がXのトレンド1位になり、「またゲストで戻ってきて」といった感謝の投稿があふれた。27年半毎週生放送に出続けた人物の卒業は、旅番組の枠を超えて「土曜朝の風景が変わる」出来事として受け止められた。

余談[編集]

  • 『太陽にほえろ!』で、飛行中のヘリコプターに縄ばしごで乗り込む撮影中、コートがはしごに引っかかって上がれなくなったことがある。上空約400mで命綱なし、腕をはしごに絡め、親指をコートのボタンに引っかけて耐えたといい、本人は「よく死ななかったよね」と振り返っている。
  • ドック刑事のために、銃を腰の後ろに差す「バックサイドホルスター」を考案した。ガンマニアの間では「ドック・ホルスター」と呼ばれて親しまれたとされる。
  • カツラ疑惑がたびたびネタにされるが、事務所は「ただのネタ」と説明し、本人も自らカツラの話題を持ち出すなどオープンな姿勢だったとされる。
  • 2026年1月の西岡徳馬の投稿では、水戸黄門役で知られる里見浩太朗を中心に、西岡と神田が「助さん角さん」に見立てられていた。西岡は神田について「四才歳下の正暉」とつづっている。
  • 卒業後の焼き鳥店通いを報じた週刊誌の見出しは「サラダを忘れさせる店」。週に2、3回通うお気に入りの店があるとされる。

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