| 横溝 正史 Seishi Yokomizo | |
|---|---|
![]() 横溝正史(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン) | |
| 本名 | 横溝 正史(よこみぞ まさし) |
| 誕生日 | 1902年5月24日 |
| 死亡日 | 1981年12月28日 |
| 死亡年齢 | 79歳 |
| 出身地 | 兵庫県神戸市 |
| 国籍 | 日本 |
| 家族 | 妻・孝子、長男・横溝亮一(音楽評論家) |
| 学歴 | 大阪薬学専門学校(現・大阪大学薬学部の前身) |
| 職業 | 小説家、推理作家、編集者 |
| 肩書 | 元『新青年』編集長 |
| 活動期間 | 1921年 - 1981年 |
| 代表的な実績 | 金田一耕助シリーズ(『本陣殺人事件』『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』)、『人形佐七捕物帳』 |
| 受賞 | 第1回探偵作家クラブ賞(『本陣殺人事件』)、勲三等瑞宝章(1976年) |
| 関連活動 | 横溝正史ミステリ&ホラー大賞(旧・横溝正史賞)に名を残す |
| 別名 | 筆名「正史」は本名の音読み |
| その他 | 生年月日は5月25日とする資料もある |
概要[編集]
横溝正史(よこみぞ せいし、1902年 - 1981年)とは、日本の推理作家で、名探偵・金田一耕助の生みの親である。戦前は雑誌『新青年』の編集長として江戸川乱歩らと探偵小説の黄金期を支え、戦後は岡山の疎開先で『本陣殺人事件』『獄門島』『八つ墓村』を書いて日本の本格ミステリーを確立した。旧家、因習、見立て殺人という「横溝ワールド」は、1970年代の角川映画ブームで国民的な人気を得た。
詳細[編集]
「日本のカー」と呼ばれた本格の父[編集]
横溝正史の名前を聞いてまず浮かぶのは、湖から突き出た逆さの両脚、白いゴムマスク、「祟りじゃー!」という絶叫だろう。どれも横溝の小説を原作とする映像作品から生まれたイメージで、作家本人を知らない人でも、その世界観にはどこかで触れている。
ミステリー史の上では、英国の密室ものの名手ジョン・ディクスン・カーに学び、論理で解ける謎を日本の風土に持ち込んだ作家として評価されている。「日本のカー」という呼び名もあるほどで、家の血筋、遺産、閉鎖的な村、俳句や手毬唄になぞらえた見立て殺人など、和の道具立てで本格推理を組み立てる手法は、後の作家たちの手本になった。
編集者として、作家として[編集]
横溝は書き手であると同時に、すぐれた編集者でもあった。20代で博文館の看板雑誌『新青年』の編集長を務め、江戸川乱歩に原稿を書かせ、海外の探偵小説を翻訳・紹介した。乱歩とは生涯の盟友で、乱歩の電報一本で上京したという逸話が残っている。
一方で、作家としての道のりは平坦ではなかった。若くして結核を患い、長い療養生活を送った。戦時中は探偵小説そのものが当局ににらまれ、時代小説で食いつなぐ日々が続いた。金田一耕助が誕生したのは、そうした苦難の末、戦争が終わった直後のことである。
一度は「古い」と言われた作家の大逆転[編集]
1960年代に入ると、松本清張に代表される社会派推理小説が主流となり、横溝の作風は時代遅れと見なされて執筆量が激減した。60年代後半はほとんど断筆に近い状態だったとされる。
ところが1970年代、角川文庫での復刊と映画化をきっかけに、横溝は「再発見」される。70歳を過ぎてから新作長編を次々と発表し、角川文庫の横溝作品は累計5500万部以上を売り上げたとされる。一度は忘れられかけた作家が、晩年になって社会現象の中心に立った例は、日本の文学史でもあまり例がない。
経歴[編集]
神戸の少年時代とデビュー[編集]
1902年、神戸市に生まれる。実家は生薬などを扱う薬種商で、横溝も家業を継ぐつもりで育った。少年時代から探偵小説を読みふけり、友人と英米の探偵小説を貸し借りしていたという。
第一銀行に勤めていた1921年、短編「恐ろしき四月馬鹿」が『新青年』の懸賞に入選してデビューした。その後、大阪薬学専門学校に進んで1924年に卒業し、薬剤師の資格を取って実家の薬局を手伝いながら、創作と翻訳を続けた。1925年には、神戸に来ていた江戸川乱歩と知り合い、乱歩を中心とする「探偵趣味の会」の結成に加わっている。
博文館と『新青年』編集長時代[編集]
1926年、乱歩に呼ばれる形で上京し、出版社・博文館に入社。翌1927年ごろから『新青年』の編集長を務めた(就任年は1928年とする資料もある)。その後は『文芸倶楽部』『探偵小説』の編集にも携わった。
雑誌『サライ』の記事によると、新婚当初の横溝は給料日になると銀座や浅草で仲間と飲み明かし、給料をほとんど家に入れなかった。家には机もなく、月末に布団に腹ばいになって原稿を書き飛ばす姿に、妻の孝子が泣いたこともあったという。酔って横浜から乗った電車で寝過ごし、横須賀まで運ばれたこともあったとされる。
結核と信州での療養[編集]
1932年に博文館を退社して専業作家となるが、翌1933年に喀血し、肺結核と診断される。長野県の上諏訪などで療養生活に入り、乱歩ら仲間の支援を受けながら筆をとった。この時期に書かれた「鬼火」(1935年)、「蔵の中」、『真珠郎』、『夜光虫』などは、耽美的で怪奇色の強い作品として知られる。名探偵・由利麟太郎と新聞記者・三津木俊助のコンビもこの頃に生まれた。
体調不良で『新青年』の原稿を落としたとき、その穴埋めに掲載されたのが新人・小栗虫太郎の作品で、これが小栗の出世作になったという話がある。後年、小栗が急死したとき、横溝が穴を埋める形で書いたのが『蝶々殺人事件』だったとされ、因縁めいたエピソードとして語られている。
戦時中の『人形佐七捕物帳』[編集]
日中戦争が始まると、探偵小説は検閲の対象となり、発表の場がどんどん狭まった。そこで横溝が打ち込んだのが時代小説で、1938年に始まった『人形佐七捕物帳』は、美男の岡っ引き・佐七が江戸の事件を解く人気シリーズになった。後に何度もテレビドラマ化されている。
戦時中は収入も乏しく、結核の特効薬もない時代で、暮らしは苦しかった。この時期に新聞連載された長編『雪割草』は、戦時の新聞統合などで記録が埋もれ、長く「幻の作品」となっていた。2017年に二松學舍大学の山口直孝教授らによって全貌が確認され、2018年に初めて単行本化されている。
岡山疎開と金田一耕助の誕生[編集]
1945年、空襲の激化を受けて、横溝は家族とともに岡山県吉備郡岡田村(現在の倉敷市真備町)に疎開した。1948年に東京へ戻るまでの約3年間、農作業を手伝ったり、村の人々から古い因習や土地の話を聞いたりしながら暮らした。
終戦で探偵小説の執筆が自由になると、横溝は溜め込んでいた構想を一気に吐き出す。1946年、雑誌『宝石』で『本陣殺人事件』の連載を始め、ここで金田一耕助が初登場した。同じ年には『蝶々殺人事件』も発表。続く『獄門島』(1947年 - 1948年)、『八つ墓村』(1949年 - 1951年)にも岡山の風土が色濃く反映され、のちに「岡山もの」と呼ばれる作品群になった。『本陣殺人事件』は第1回探偵作家クラブ賞(現在の日本推理作家協会賞)を受賞している。
1947年11月には江戸川乱歩が翻訳家の西田政治とともに岡田村の横溝を訪ね、三人で連句を巻いたという記録が残る。
戦後の黄金期[編集]
東京に戻った横溝は、1950年から1951年にかけて講談社の雑誌『キング』に『犬神家の一族』を連載。さらに『女王蜂』『悪魔が来りて笛を吹く』『悪魔の手毬唄』(1957年 - 1959年)と、金田一ものの代表作を立て続けに発表した。1955年には東京・成城に書斎を建て、亡くなるまでここで執筆を続けた。
社会派ブームによる沈黙と、角川ブームによる復活[編集]
1960年代、リアリズムを重んじる社会派推理小説が台頭すると、横溝の作品は「古い」と言われ、新作はほとんど書かれなくなった。転機は1960年代末、『八つ墓村』が講談社の『週刊少年マガジン』で漫画化されたことだった。
1971年からは角川文庫で金田一ものが次々と刊行され、画家・杉本一文によるおどろおどろしい表紙絵とともに若い読者を獲得した。1975年のATG映画『本陣殺人事件』を経て、1976年に角川春樹が自ら製作した角川映画第1作『犬神家の一族』(監督・市川崑)が大ヒット。「横溝ブーム」が社会現象となった。同年には勲三等瑞宝章を受章している。
ブームのさなか、70代の横溝は『仮面舞踏会』(1974年完成)、金田一最後の事件となる『病院坂の首縊りの家』(1975年 - 1977年)、『悪霊島』(1979年 - 1980年)などを発表し、現役作家として存在感を示した。
晩年と死去[編集]
1980年には、横溝の名を冠した新人賞「横溝正史賞」が創設された。翌1981年12月28日、結腸がんのため東京都新宿区の病院で死去。79歳だった。死後、妻の孝子は、横溝が構想していながら書かれなかった長編2作のタイトルを書き残したメモを見つけたという。
作風と特徴[編集]
本格推理と怪奇趣味の融合[編集]
横溝作品の最大の特徴は、論理的な謎解きと、怪奇・伝奇的なムードの組み合わせにある。密室、首なし死体、見立て殺人、入れ替わりといった本格ミステリーの定番トリックを使いながら、舞台は山奥の旧家や瀬戸内の孤島、没落した華族の屋敷。そこに血縁や遺産をめぐる愛憎が絡み、読者を戦慄させる。
ただし、怪奇は雰囲気づくりのためのもので、最後には必ず人間の犯行として論理的に解決される。この「お化け屋敷のように怖いのに、謎はきちんと理屈で解ける」というバランスこそが、横溝作品が長く読み継がれる理由とされる。
「なぜ殺したか」を描く[編集]
金田一耕助は、犯人を暴くだけでなく、事件の背後にある家の因習や、加害者・被害者それぞれの悲しみに寄り添う探偵として描かれる。横溝の孫にあたる人物は英紙の取材に、祖父の作品には「必ず救いがある」と語り、どうやって殺したかだけでなく、なぜ殺したかを描いている点を強調している。
主な作品[編集]
| 作品 | 発表 | 備考 |
|---|---|---|
| 恐ろしき四月馬鹿 | 1921年 | デビュー作 |
| 鬼火 | 1935年 | 療養中に書かれた耽美的な中編 |
| 人形佐七捕物帳 | 1938年 - | 戦中から書き継がれた時代小説シリーズ |
| 髑髏検校 | 1939年 | 『ドラキュラ』を江戸に移した伝奇小説 |
| 本陣殺人事件 | 1946年 | 金田一耕助の初登場作。第1回探偵作家クラブ賞 |
| 蝶々殺人事件 | 1946年 - 1947年 | 由利麟太郎ものの本格長編 |
| 獄門島 | 1947年 - 1948年 | 俳句の見立て殺人。国内ベスト投票の常連 |
| 八つ墓村 | 1949年 - 1951年 | 「祟りじゃ」で有名 |
| 犬神家の一族 | 1950年 - 1951年 | 斧・琴・菊の見立て |
| 悪魔が来りて笛を吹く | 1951年 - 1953年 | 没落華族の家を舞台にした事件 |
| 悪魔の手毬唄 | 1957年 - 1959年 | 手毬唄の見立て殺人 |
| 病院坂の首縊りの家 | 1975年 - 1977年 | 金田一最後の事件 |
| 悪霊島 | 1979年 - 1980年 | 最後の長編 |
映像化と横溝ブーム[編集]
角川映画と市川崑・石坂浩二コンビ[編集]
1976年の映画『犬神家の一族』は、テレビCMを大量に流す前代未聞の宣伝戦略で大ヒットし、角川映画の出発点となった。金田一を演じた石坂浩二と監督の市川崑のコンビは、東宝で『悪魔の手毬唄』『獄門島』『女王蜂』『病院坂の首縊りの家』と続き、2006年には『犬神家の一族』をセルフリメイクしている。
1977年には松竹が『八つ墓村』を映画化。金田一役は渥美清で、予告編やCMで流れた「祟りじゃー!」は流行語になった。角川映画はこの後も『人間の証明』『野性の証明』など角川文庫作家の原作で次々とヒットを飛ばし、薬師丸ひろ子らのスターを生んでいくが、その起点にあったのは横溝作品だった。
テレビの金田一たち[編集]
テレビでは、1977年に毎日放送制作・TBS系で『横溝正史シリーズ』が始まり、古谷一行が金田一耕助を演じた。古谷はその後も長く金田一役を務め、「テレビの金田一といえば古谷一行」というイメージを定着させた。
2000年代にはフジテレビ系で稲垣吾郎が金田一を演じたシリーズが放送され、2016年にはNHKのBSで長谷川博己主演の『獄門島』が作られた。NHKのシリーズはその後、吉岡秀隆の金田一で『悪魔が来りて笛を吹く』『犬神家の一族』などが続いている。1947年の映画『三本指の男』から背広姿の金田一を演じた片岡千恵蔵や、東映版で颯爽とした金田一を演じた高倉健など、時代ごとに「自分の金田一」がいるのも横溝作品の面白さだ。
海外での再評価[編集]
長く英語圏ではほとんど翻訳されていなかったが、2019年に英国の出版社Pushkin Vertigoが『The Honjin Murders』(本陣殺人事件)を刊行。以後『The Inugami Curse』『The Village of Eight Graves』『Death on Gokumon Island』などが続き、2026年には『夜歩く』の英訳『She Walks at Night』も出た。『本陣殺人事件』は米誌TIMEの「史上最高のミステリー&スリラー100冊」にも選ばれている。
2026年の映像化と最新動向[編集]
映画『八つ墓村』(清水崇監督)[編集]
2026年9月18日、新たな映画『八つ墓村』が公開された。監督は『呪怨』シリーズで知られるホラーの名手・清水崇で、脚本は清水と尾ヶ井慎太郎の共同。配給は松竹とソニー・ピクチャーズ エンタテインメント、上映時間は117分。
金田一耕助を演じたのは歌舞伎俳優の尾上松也で、トレンチコートにシャツ、中折れ帽という現代的な装いが話題になった。主人公の井川辰弥を奥智哉、森美也子を堀田真由、双子の老婆・小竹と小梅を高島礼子、田治見要蔵と久弥の二役を滝藤賢一、磯川警部を小籔千豊が演じている。
NHKドラマ『悪魔の手毬唄』[編集]
NHKの金田一耕助シリーズ第5弾として『悪魔の手毬唄』が制作され、2026年4月にNHK BS4Kで先行放送された。吉岡秀隆が金田一耕助、宮沢りえが共演し、脚本は『進撃の巨人』などで知られる小林靖子、演出は吉田照幸。90分の前後編で、2025年11月下旬から12月下旬にかけて岡山市、倉敷市、高梁市などでロケが行われた。
2026年11月4日時点の発表では、NHK BSで前編が11月28日、後編が12月5日に放送される予定である。
出版・コミカライズ[編集]
KADOKAWAは2026年1月22日、名作を漫画化する「KADOKAWA Masterpiece Comics」の第1弾として、宮川舟による『本陣殺人事件』のコミカライズをカドコミで開始し、3月に単行本を刊行した。2025年12月には、杉本一文が描いた角川文庫の表紙絵120点以上を集めた『公式 角川文庫横溝正史カバー画集』も出ている。
横溝正史ミステリ大賞[編集]
賞の歴史[編集]
1980年、角川書店が横溝正史の名を冠した新人賞「横溝正史賞」を創設した。第1回では横溝本人も選考委員に名を連ねている(選考会は欠席したとされる)。2001年に「横溝正史ミステリ大賞」へ改称し、2018年には「日本ホラー小説大賞」と統合されて「横溝正史ミステリ&ホラー大賞」となった。回数は旧賞から通算され、統合後は第39回から数えている。
大賞の正賞は金田一耕助像。対象は広義のミステリーまたはホラーの未発表長編で、400字詰め原稿用紙300枚から600枚が目安とされる。
主な受賞者と2026年の結果[編集]
第1回の斎藤澪をはじめ、作詞家の阿久悠、柴田よしき、山田宗樹、のちに直木賞を受ける伊与原新、『火喰鳥を、喰う』の原浩、『をんごく』の北沢陶など、多くの作家がこの賞から世に出た。
2026年4月15日に開かれた第46回の選考会では、応募342作品の中から水沢文尾「初髪下ろし」が大賞と読者賞をダブル受賞した。選考委員は綾辻行人、有栖川有栖、黒川博行、湊かなえの4人で、副賞は賞金300万円。贈呈式は2026年11月に都内で行われる予定とされている。
ゆかりの地[編集]
横溝正史疎開宅(岡山県倉敷市真備町)[編集]
疎開時代に家族と暮らした家は、倉敷市が買い取って2002年に「横溝正史疎開宅」として公開された。地域住民による管理組合が運営し、入館は無料。奥座敷では横溝本人の音声解説が流れる演出もある。近くの真備ふるさと歴史館には書斎の再現や遺品が展示され、館の前には金田一耕助の銅像が立つ。井原鉄道の川辺宿駅からは「名探偵金田一耕助ミステリー遊歩道」も整備されている。
横溝正史館(山梨県山梨市)[編集]
1955年に建てられた東京・成城の書斎は、横溝の死後25年ほど使われずに老朽化していたが、2006年に長男の横溝亮一から自筆原稿などとともに寄贈され、山梨市に移築された。現在は「横溝正史館」として公開され、『八つ墓村』『犬神家の一族』『獄門島』の原稿や、江戸川乱歩からの書簡などを見ることができる。
炎上とバズ[編集]
- 2026年の映画『八つ墓村』では、金田一耕助が着物と袴ではなくトレンチコート姿で登場することが公開前から話題になった。原作ファンの間では賛否が分かれ、映画.comのユーザー評価は2026年11月時点で平均2.5点前後となっている。
- 一方、NHK版『悪魔の手毬唄』の制作発表では、吉岡秀隆の金田一の続投を喜ぶ声がSNSで多く見られた。
余談[編集]
- 閉所恐怖症で、とくに電車など乗り物に乗るのが大の苦手だった。人付き合いもあまり得意ではなかったとされる。
- 1939年の伝奇小説『髑髏検校』は、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』を江戸時代に置き換えたような作品で、評論家の小谷真理は日本の吸血鬼文学の原型と評している。
- 江戸川乱歩は『本陣殺人事件』を高く評価しつつ、犯人の描き方に不満を述べる評を書いた。乱歩から事前に原稿を送られた横溝は、「匕首を突きつけられたよう」に感じたと語ったとされる。
- 名探偵コナンに登場する神奈川県警の横溝重悟と、その兄の横溝参悟は、横溝正史にちなんだ名前とされる。
- 漫画『金田一少年の事件簿』の主人公・金田一一(はじめ)は、金田一耕助の孫という設定。横溝作品はミステリー漫画にも大きな影響を残している。
- 同時代の坂口安吾も本格推理『不連続殺人事件』を書いており、戦後間もない時期の本格ミステリーの盛り上がりを横溝とともに支えた。
- 金田一耕助の「金田一」の姓は、疎開前に住んでいた吉祥寺の近所の家の表札から取られたという。
