| 司葉子 つかさ ようこ / Yōko Tsukasa | |
|---|---|
![]() 1955年の司葉子(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン) | |
| 本名 | 相澤葉子(旧姓:庄司) |
| 誕生日 | 1934年8月20日 |
| 年齢 | 92歳 |
| 出身地 | 鳥取県西伯郡渡村(現・境港市渡町) |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 鳥取県立境高等学校、共立女子短期大学卒業 |
| ジャンル | 映画、テレビドラマ、舞台、司会 |
| 活動期間 | 1954年 - |
| デビューアルバム | 1954年 映画『君死に給うことなかれ』 |
| 家族 | 夫・相澤英之(元大蔵事務次官、元衆議院議員、2019年没)、義理の娘・相田翔子(三男の妻) |
| 血液型 | AB型 |
| 事務所 | 東宝芸能 |
| 代表作 | 『秋日和』、『用心棒』、『小早川家の秋』、『その場所に女ありて』、『紀ノ川』、『乱れ雲』、「社長シリーズ」 |
| 関連活動 | 日本大正村 第2代村長(1999年 - 2015年)、東京福祉大学特任教授 |
| その他 | 『紀ノ川』でキネマ旬報賞・ブルーリボン賞・毎日映画コンクールの主演女優賞(1966年度)、紫綬褒章(2003年)、旭日小綬章(2010年)、日本アカデミー賞会長功労賞(2020年) |
概要[編集]
司葉子(つかさ ようこ、1934年8月20日 - )とは、鳥取県境港市出身の女優である。1954年に東宝からデビューし、「清く正しく美しく」の東宝カラーを体現する清純派の看板女優として活躍。小津安二郎、成瀬巳喜男、黒澤明という巨匠の作品に立て続けに出演し、1966年の『紀ノ川』で主要な主演女優賞を総なめにした。夫は元大蔵官僚の政治家・相澤英之。2026年10月時点で存命で、90歳を超えた今もイベントに登壇している。
詳細[編集]
代役から始まった「一本だけ」のつもりの女優人生[編集]
司葉子の女優人生は、完全に「たまたま」から始まっている。共立女子短期大学に在学中、モデルを探していた美容家メイ牛山の縁で雑誌『家庭よみうり』の表紙を飾ったところ、これが東宝の目に留まりスカウトされた。ところが当人はこの時点で女優になる気はなく、短大卒業後の1954年4月には大阪の新日本放送(現在の毎日放送)に入社し、社長秘書として働いていた。
家族も芸能界入りには大反対だった。それでも東宝と契約し、同年の映画『君死に給うことなかれ』で銀幕デビューを果たす。実はこれ、病気で降板した有馬稲子の代役だった。本人は「一本だけ」のつもりだったが、主演の池部良に強く勧められて女優を続けることになった。芸名の「司葉子」も池部が考えたとされる。たった一本の代役が、70本ほどの出演作を数える大女優のキャリアの出発点になったわけである。
小津・成瀬・黒澤をすべて経験した東宝の清純派[編集]
東宝は「清く正しく美しく」を社是に掲げ、健全で上品なお嬢さん像を売りにしていた。司はまさにその路線の中心にいた女優で、上品な顔立ちと落ち着いた物腰から、良家の令嬢や嫁入り前の娘の役を数多く演じている。森繁久彌主演の「社長シリーズ」(1956年 - 1970年)にも多数出演し、娯楽映画の顔としてもおなじみだった。
その一方で、巨匠との仕事ぶりも華やかである。成瀬巳喜男とは『鰯雲』(1958年)、『ひき逃げ』(1966年)、遺作『乱れ雲』(1967年)で組み、黒澤明の『用心棒』(1961年)にも出演。さらに小津安二郎の『秋日和』(1960年)と『小早川家の秋』(1961年)に連続で起用された。日本映画黄金期の三大巨匠すべての作品に出た女優は多くなく、司のフィルモグラフィーの大きな財産になっている。
小津映画の「娘」として[編集]
1960年の『秋日和』は松竹作品で、東宝専属の司は他社出演の形で参加した。原作は里見弴。亡き友人の七回忌に集まった中年男3人が、未亡人の秋子(原節子)と娘アヤ子の縁談にお節介を焼く話で、司は24歳の娘・三輪アヤ子を演じた。長年「娘役」の代名詞だった原節子が初めて母親役に回った作品で、司はいわばその「娘」のバトンを受け取った格好である。『東京物語』など父と娘を描き続けた小津が、母と娘に置き換えて撮った一本でもある。
翌1961年の『小早川家の秋』は、宝塚映画の創立10周年記念作品として小津を招いたもので、小津が東宝系で撮った唯一の作品になった。表向きは、原節子と司が『秋日和』に松竹へ出向いたことへの「お返し」とされたが、実際には東宝のプロデューサー藤本真澄らが熱心に招いた結果だったという。京都・伏見の造り酒屋を舞台に、司は次女の紀子を演じ、札幌へ転勤する大学時代の友人への思いを胸に、最後に自分の進む道を決める娘を好演した。
『紀ノ川』で演技賞を独占[編集]
女優・司葉子の評価を決定づけたのが、1966年の松竹映画『紀ノ川』(中村登監督)である。有吉佐和子の同名小説が原作で、紀州(現在の和歌山県)の旧家を舞台に、明治32年(1899年)の花の嫁入りから明治・大正・昭和、そして戦後までの女三代を描く173分の大作。司は主人公の花を、若い花嫁から老年まで一人で演じ通した。娘の文緒を岩下志麻、姑の豊乃を東山千栄子が演じ、音楽は武満徹が担当した。
伝統を守る花と、それに反発する文緒のぶつかり合いが見どころで、司はこの役でキネマ旬報賞、ブルーリボン賞、毎日映画コンクールの主演女優賞などを受賞。この年の演技賞を7つ独占したとされる。「清純派のお嬢さん」というイメージから、女の一生を背負える演技派へと評価が一変した一本である。
経歴[編集]
生い立ち[編集]
1934年8月20日、鳥取県西伯郡渡村(現在の境港市渡町)に、庄司繁二郎の三女として生まれた。実業家・政治家の庄司廉は伯父にあたる。6歳ごろに父を亡くし、母のもとで育った。地元の鳥取県立境高等学校を卒業後に上京し、共立女子短期大学に進学。1954年に卒業した。
東宝入社と黄金期(1954年 - 1960年代)[編集]
1954年、『君死に給うことなかれ』で映画デビュー。翌1955年には豊田四郎監督の『夫婦善哉』に出演した。1957年には『美貌の都』で主演し、『青い山脈』にも出演。1958年に芸術座で初舞台を踏み、映画では『鰯雲』『愛情の都』に出演した。1959年には稲垣浩監督の大作『日本誕生』で弟橘姫を演じ、同年ベルリンとミュンヘンで開かれた日本映画の催しに東宝代表の一人として出席している。海外渡航が自由化される前の時代で、貴重な欧州行きだった。
1960年代に入ると『秋日和』『暗黒街の対決』(岡本喜八監督)、1961年『用心棒』『小早川家の秋』、1962年『その場所に女ありて』『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(瑤泉院役)と話題作が続く。1963年には『妻という名の女たち』『丼池』で主演。1966年の『紀ノ川』で各賞を独占し、1967年には成瀬巳喜男の遺作『乱れ雲』、小林正樹監督の『上意討ち 拝領妻始末』(笹原いち役)に出演した。1968年には『連合艦隊司令長官 山本五十六』、1969年には『新選組』にも出ている。
結婚と政治家の妻として(1969年 - )[編集]
1969年、15歳年上の大蔵官僚・相澤英之と結婚した。相澤は再婚で、司は当時35歳。結婚式では、父・繁二郎との縁があった島根の名家の当主・田部長右衛門(23代)が親代わりを務めた。相澤はその後、大蔵事務次官を経て司の地元・鳥取から衆議院議員選挙に出馬して当選し、経済企画庁長官なども務めた。
選挙では司も婦人講演会や個人演説会に参加して夫を支えた。1971年以降は家庭を優先して出演を絞り、1975年には一時的な活動休止を表明している。それでもテレビでは大河ドラマ『春の坂道』(1971年)で春日局を演じたほか、『氷壁』(1972年)、『悪女について』(1978年)などに出演。1977年から1978年にはワイドショー『3時のあなた』のメイン司会を務めた。映画でも1974年の『ノストラダムスの大予言』、1978年の市川崑監督『女王蜂』などに顔を見せている。
大正村村長、そして晩年(1999年 - 現在)[編集]
1999年、岐阜県恵那市にある野外博物館「日本大正村」の第2代村長に就任し、2015年まで16年間務めた。退任後は恵那市観光協会の「花の特命大使」を務めている。2003年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章を受章。2009年からは東京福祉大学の特任教授も務めた。2011年にはNHK連続テレビ小説『おひさま』の最終話に出演している。
2018年には夫婦の共著『人生100歳「一日生涯」』(双葉社)を出版。しかし2019年4月4日、夫・相澤英之が99歳で死去し、その1か月後には夫の連れ子である長男も亡くした。2020年には第43回日本アカデミー賞で会長功労賞を受賞。2021年3月28日には日本大正村に「日本大正村司葉子記念館」が開館した。2022年7月には国立映画アーカイブで、東宝創立90周年記念の企画上映に合わせて上白石萌音とトークショーに登壇。2024年には出身地の境港市でデビュー70周年を記念したポスター展が開かれた。2026年10月時点で死去の報道はなく、存命である。
主な出演作[編集]
映画[編集]
| 公開年 | 作品名 | 監督 | 役名・備考 |
|---|---|---|---|
| 1954年 | 君死に給うことなかれ | デビュー作。有馬稲子の代役 | |
| 1955年 | 夫婦善哉 | 豊田四郎 | |
| 1956年 - 1970年 | 「社長シリーズ」 | 『へそくり社長』『社長三代記』『社長行状記』『社長学ABC』など多数 | |
| 1957年 | 美貌の都 | 主演 | |
| 1957年 | 青い山脈 新子の巻・雪子の巻 | ||
| 1958年 | 鰯雲 | 成瀬巳喜男 | |
| 1959年 | 日本誕生 | 稲垣浩 | 弟橘姫 |
| 1960年 | 秋日和 | 小津安二郎 | 三輪アヤ子(松竹作品) |
| 1960年 | 暗黒街の対決 | 岡本喜八 | |
| 1961年 | 用心棒 | 黒澤明 | 小平の女房・ぬい |
| 1961年 | 小早川家の秋 | 小津安二郎 | 小早川紀子(宝塚映画製作) |
| 1962年 | その場所に女ありて | 鈴木英夫 | 矢田律子(主演) |
| 1962年 | 忠臣蔵 花の巻・雪の巻 | 稲垣浩 | 瑤泉院 |
| 1963年 | 妻という名の女たち | 主演 | |
| 1966年 | 紀ノ川 | 中村登 | 花(主演、松竹作品) |
| 1966年 | ひき逃げ | 成瀬巳喜男 | |
| 1967年 | 上意討ち 拝領妻始末 | 小林正樹 | 笹原いち |
| 1967年 | 乱れ雲 | 成瀬巳喜男 | 江田由美子(主演)。成瀬の遺作 |
| 1968年 | 連合艦隊司令長官 山本五十六 | 木村澄江 | |
| 1969年 | 新選組 | つね | |
| 1974年 | ノストラダムスの大予言 | 西山伸枝 | |
| 1978年 | 女王蜂 | 市川崑 | |
| 2001年 | DRUG | ||
| 2003年 | 福耳 | ||
| 2018年(日本公開) | MIFUNE: THE LAST SAMURAI | スティーヴン・オカザキ | ドキュメンタリー。証言者として出演 |
テレビ[編集]
| 年 | 作品名 | 備考 |
|---|---|---|
| 1964年 | 第15回NHK紅白歌合戦 | 審査員 |
| 1965年 | 細雪 | 東芝日曜劇場 |
| 1970年 | めし | 銀河ドラマ |
| 1971年 | 春の坂道 | 大河ドラマ、春日局 |
| 1972年 | 氷壁 | |
| 1977年 - 1978年 | 3時のあなた | メイン司会 |
| 1978年 | 悪女について | |
| 1983年 | 大奥 | |
| 1983年 | 女たちの大坂城 | お市 |
| 1989年 | 織田信長 | |
| 2011年 | おひさま | 連続テレビ小説、最終話に出演 |
人物・エピソード[編集]
『用心棒』で浴びた山田五十鈴の一発[編集]
『用心棒』で司が演じたのは、小平の女房・ぬい。本人いわく「ちょっと出て、殴られて、おしまい」という哀れな役である。ぬいを殴るのは、おりん役の山田五十鈴。ほんの1カットだったが、司は後年「鬼のようだった」と身震いしながら振り返っている。
この一発は後の代表作につながった。『紀ノ川』で、逃げ出す娘・文緒(岩下志麻)を裸足で追いかけて叱りつける場面を撮る際、司は『用心棒』で見た山田五十鈴の迫力を思い出し、その演じ方を参考にしたという。そしてこの役で演技賞を総なめにした。脇役で浴びた先輩女優の一発が、主演女優賞に化けたわけである。
三船敏郎と黒澤明の思い出[編集]
三船敏郎との共演は多く、『日本誕生』『用心棒』『上意討ち 拝領妻始末』『連合艦隊司令長官 山本五十六』『新選組』などで顔を合わせている。三船との共演回数は、女優の中でもトップクラスとされる。2018年の東京・有楽町の日劇閉館イベントでは、撮影中は役に没頭していた三船が、夜9時ごろオープンカーで黒澤邸の前に乗りつけて「馬鹿野郎!」と叫び、周囲は「また始まった」と受け流していた、という逸話を披露して会場を沸かせた。黒澤については、普段は優しいが本番では厳しかったと語っている。
三船への思いは強く、1997年末に三船が亡くなると、当時の首相・橋本龍太郎に三船への国民栄誉賞授与を直訴したことがある(実現はしなかった)。
『乱れ雲』こそ代表作[編集]
司自身が「自分の代表作」と語るのが、成瀬巳喜男の遺作『乱れ雲』(1967年)である。東宝創立35周年記念作品で、通産省勤務の夫を交通事故で亡くした妻・由美子と、その事故を起こした商社マン・三島史郎(加山雄三)が、憎しみと罪悪感を抱えながら惹かれ合ってしまう物語。由美子は夫の実家から籍を抜かれ、十和田湖の実家に戻る。許されない愛を抑制された演出で描いた、成瀬らしい一本である。
2018年の日劇でのトークでは、十和田湖ロケで加山と初めて撮影した際、加山の頭に硬貨大の円形脱毛があり、メイク担当が懸命に隠していたという秘話を「今日は最後ですから」と前置きして明かし、加山に詫びていた。
「その場所に女ありて」のやり手OL[編集]
1962年の『その場所に女ありて』(鈴木英夫監督)は、高度経済成長期の広告業界を舞台にしたキャリアウーマン物で、司は広告代理店「西銀広告」のやり手営業ウーマン・矢田律子を演じた。ライバル社「大通広告」の坂井を宝田明が演じ、共演には森光子、山崎努、児玉清らも並ぶ。製薬会社の広告予算を巡る競争と裏切りの中で、仕事も恋も割り切って男社会を生き抜く女性像は、清純派のイメージとは正反対だった。
2022年の国立映画アーカイブでのトークでは、タバコやお酒を扱う「やり手の女性」の役は初めてで、特にタバコの吸い方を練習したと振り返り、演技の出来栄えに自信をのぞかせた。同席した上白石萌音は、タバコや麻雀の場面でも品がある姿に感銘を受け、「かっこよくタバコを吸える女優を目指す」と宣言した。司は上白石に、外出時はいつも一張羅を着るという教えを今も大切にしていると助言している。
夫・相澤英之との二人三脚[編集]
夫の相澤英之は1919年生まれの大蔵官僚出身の政治家で、衆議院議員を長く務め、晩年は弁護士や東京福祉大学の学長としても活動した。ゴルフ、乗馬、ヨット、囲碁、将棋、剣道、清元、浪花節と、とにかく多趣味な人だったという。司は夫を「最高の先生であり便利屋さん」と評し、政治・経済・世界情勢を何でも即答してくれたと語っている。相澤は「家事だったら誰がやってもキミより上手にやれるだろう」と言って、司にしかできない仕事をするよう励ましたとされる。
一方、司も政治家の妻として、毎朝鏡の前で舞台に立つつもりで丁寧に化粧をしていたという。夫の死後も、地下書庫にあふれる数万冊の蔵書や資料を「生きた証」として処分できずにいると『婦人公論』で明かしている。三男は医師の相澤宏光で、その妻は元Winkの歌手・相田翔子。つまり相田翔子は司の義理の娘にあたる。
悲しみからの立ち直り[編集]
2019年前後の約2年の間に、司は大阪で暮らしていた姉、高校時代からの親友で付き人も務めた女性、夫、そして長男を相次いで亡くした。ショックで眠れない日が続き、体も動かなくなって入院したという。大きな病気ではなかったものの、広い自宅で一人暮らしを続けられるかという不安に襲われた。
立ち直るきっかけは意外なところにあった。退院の日に美容院で読んだ雑誌の占いに、8月生まれの2020年は「生涯で最高の一年」と書かれていたのである。これで心が晴れ、少しずつ体調も回復したと本人は語っている。実際、その2020年に日本アカデミー賞の会長功労賞を受けているのだから、占いもあながち外れていなかったと言えそうだ。
交友関係[編集]
芸能界入りのきっかけを作った美容家メイ牛山とは、半世紀以上にわたって親交が続いた。『秋日和』『小早川家の秋』で共演した原節子とは、原の引退後も亡くなるまで交流があったとされる。東宝の後輩女優たちとの縁も深く、2018年に東宝出身の星由里子が亡くなった際には、沢口靖子とともに追悼コメントを寄せている。
評価・影響[編集]
司葉子は、東宝の「健全なお嬢さん」路線を代表する清純派としてスタートしながら、巨匠たちとの仕事と『紀ノ川』の大役を経て、演技派の主演女優へと脱皮した稀有な例である。小津・成瀬・黒澤という三大巨匠すべての作品に出演し、しかも成瀬の遺作でヒロインを務めたことは、日本映画史の中でも特筆される。川本三郎の『君美わしく 戦後日本映画女優讃』など、戦後の映画女優を論じた書籍でもたびたび取り上げられている。
『その場所に女ありて』は、近年は鈴木英夫監督の特集上映などで改めて注目され、2022年には東宝からDVDが発売された。現代の若手女優からの支持も厚く、浜辺美波は憧れの女優として司の名前を挙げている。2024年のデビュー70周年には出身地の境港市でポスター展と『秋日和』の上映会が開かれ、郷土の誇りとして今も親しまれている。同世代では山本富士子や若尾文子とともに、90歳を超えてなお健在な「昭和の大女優」の一人として紹介されることも多い。
余談[編集]
- デビューしたときは女優を続けるつもりがなく、大阪の新日本放送(現・毎日放送)で社長秘書をしていた。代役で出た「一本だけ」の映画が、70年を超えるキャリアの出発点になった。
- 2018年に閉館した東京・有楽町の日劇は1933年開業で、司は「日劇は85年、私と同い年」と語っていた。日劇には修学旅行で初めて訪れて感動したという。
- 1959年に東宝代表として西ドイツを訪問したのは、日本人の海外渡航が自由化される前のこと。当時としてはかなり貴重な体験だった。
- 日本大正村の村長を16年も務めたことから、村内の記念館には楽屋や衣装など300点余りが展示されている。
- 出身地の境港市は、紀行番組『新・人国記』で「小神戸」と紹介され、司は地元を代表する女性として取り上げられたという。
- 夫の相澤英之は将棋五段・囲碁三段の腕前だったとされる。夫婦共著の『人生100歳「一日生涯」』は、夫が99歳で亡くなる前年に出版された。
