| 伊勢鱗太朗 Rintaro Ise | |
|---|---|
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | AV監督、プロデューサー |
| 活動期間 | 1987年 - |
| 代表的な実績 | AV史初のハメ撮り作品とされる『勝手にしやがれ』/「原発ピンク列島」シリーズ |
| 別名 | 鱗太朗 |
| あだ名 | イセリン |
概要[編集]
伊勢鱗太朗(いせ りんたろう)は、日本のAV監督・プロデューサー。「鱗太朗」名義もあり、愛称は「イセリン」。「伊勢鱗太郎」と間違えられがちだが、正しくは「鱗太朗」である。V&Rプランニングの史上初ヒット作を生み、AV史上初とされるハメ撮り作品を世に出し、さらには原発の是非をAVで問うてしまった異色中の異色監督。エロスとアングラとジャーナリズムを一緒くたに撮ってしまう、ちょっと類を見ないタイプの人らしい。
V&R史上初のヒット『侵犯』[編集]
1987年7月、V&Rプランニングから発表した『侵犯』が同社史上初のヒット作となった。社長の安達かおるが『FLASH』や『週刊読売』の記者に「伊勢はやらせだと言ってるけど、本当はそうじゃないんですよ」と煽り、それを真に受けたメディアが報じたことで売上が一気に1千本を突破したという、今では考えられない売り方だった。この『侵犯』が、後のバクシーシ山下『女犯』へと繋がっていく、V&R過激路線の原点である。
AV史初のハメ撮り[編集]
1987年には実験的な撮影手法や、当時珍しかった8ミリカメラを駆使した作品で注目を浴びた。1988年発売の『勝手にしやがれ』は、単体作品の映像を集めたものだが、AV史上初のハメ撮り作品だとされている。後にカンパニー松尾や工藤澪が「ハメ撮り御三家」として一大ジャンルに育てていく撮影手法の、まさに源流に位置する一本である。
ジャズバーのマスターから「裸の王様」へ[編集]
安い監督料と激務に疲れて一時はAV業を引退し、下北沢でジャズバーのマスターをやっていた時期もある。だが1990年、村西とおるからプロデューサー兼任の誘いを受けて現場に復帰。「ビックマン」レーベルを立ち上げ、さらに若手監督を集めた「裸の王様」レーベルも始動させた。発足記念ポスターは、王冠をかぶった上半身裸の蛭子能収が子豚を抱くという強烈なビジュアル。「裸の王様」では高杉弾、平口広美、市原康祐といった面々をプロデュースしている。
原発ピンク列島[編集]
伊勢は社会問題への関心が深く、原子力発電の危険性をAVで訴えようと、1990年に「原発ピンク列島」シリーズを発表した。福井県の美浜原発の海岸などでゲリラ的にロケを敢行し、出演者にはまだ無名だった松尾スズキや温水洋一もいたという。AVでありながら社会派ドキュメンタリーのような問題作で、エロスを表現の自由の最前線と捉える伊勢の真骨頂であった。