カンパニー松尾

カンパニー松尾
カンパニー まつお
ファイル:カンパニー松尾.jpg
誕生日 1965年6月29日
年齢 60歳
出身地 愛知県春日井市
国籍 日本
身長 182cm
職業 AV監督
肩書 HMJM(ハマジム)社員監督
活動期間 1988年 -
代表的な実績 「ハメ撮り」ジャンルの定着/『私を女優にして下さい』シリーズ


概要[編集]

カンパニー松尾(カンパニー まつお、1965年6月29日 - )は、日本のAV監督AV界に「ハメ撮り」というジャンルを定着させた第一人者 として知られ、ドキュメンタリー的な手法とポップな映像センスでアダルトビデオの表現を一段引き上げた伝説の監督。葵刀樹・工藤澪とともに「ハメ撮り御三家」と呼ばれることもある。座右の銘は「SEX, Curry and Rock'n'Roll」 という、もうそれだけで人柄が伝わってくるタイプの人である。

来歴[編集]

愛知県春日井市出身。春日井西高校を卒業後、東京の映像専門学校「東放学園専門学校」へ。卒業後はテレビ番組制作会社「テレキャスジャパン」に就職するも1年で倒産 という出だしのつまずきを経験する。その後はラーメン屋でバイトをしていたが、番組制作会社時代の知人がAV制作会社を立ち上げたのを機にそこで働き始めた。

1987年7月にV&Rプランニングへ入社。1988年3月、『あぶない放課後2』で監督デビューを果たす。そして1991年7月、『実録素人ドキュメント 私を女優にして下さい』 を発表。これが大ヒットしてシリーズ化され、彼の代名詞となった。

「ハメ撮り」と素人ロードムービー[編集]

全国のテレクラを巡り、出会った素人女性を相手に撮影していくロードムービー的なアダルトビデオ『私を女優にして下さい』シリーズ は、それまでのスタジオ撮影中心のAVとはまったく異質だった。撮る側の男(=監督自身)も画面に映り込み、ナンパから撮影までの過程そのものを作品にしてしまう手法は、後年の「ハメ撮り」ジャンルの原型となった。

さらにAVにポップな映像処理や音楽を積極的に取り入れるなど、映像表現の面からAV界に与えた影響は計り知れない。 後年の『劇場版テレクラキャノンボール』シリーズは、複数の監督が一台の車で各地を巡る祭典的企画として劇場公開までされ、サブカル層からも熱い支持を受けている。

その後の活動[編集]

1995年5月にV&Rプランニングを退社しフリーに。2003年にはAVメーカー「HMJM(ハマジム)」を立ち上げ、社員監督として定期的に作品をリリースしている。2019年3月にはテレビ東京『〜元気の出るごはん〜タチ喰い!』でテレビドラマ演出にも初挑戦した。AV以外では、ミュージシャン豊田道倫のライブを撮り続けて映像集を発表するなど、ライフワークとしての"映像を撮る"姿勢 は一貫している。

余談[編集]

  • 監督名「カンパニー松尾」は、高校時代に近所の店で「ほか弁」を仕入れて学校で売る活動を「松尾カンパニー」と呼んでいたことに由来する。商魂たくましい高校生の副業がそのまま芸名になった という珍しいケースである。
  • 「早熟のスケベはダメ」「セックスを知るのが遅いと、その溜めがAVへいきつくからいい」を持論とする。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • HMJM(ハマジム)公式サイト