TOHJIRO

TOHJIRO
とうじろう
ファイル:TOHJIRO.jpg
誕生日 1956年6月17日
年齢 70歳
出身地 東京都港区六本木
国籍 日本
職業 AV監督・映画監督・実業家
肩書 株式会社オムプロダクション代表取締役
活動期間 1976年 -
代表的な実績 自主映画『ゴンドラ』/AVメーカードグマ設立


概要[編集]

TOHJIRO(とうじろう、1956年6月17日 - )は、日本のAV監督・映画監督・実業家。株式会社オムプロダクション代表取締役で、伝説のAVメーカードグマの創設者。もともとは海外映画祭で評価された自主映画監督という、AV業界では異色すぎる経歴の持ち主で、「作家性の塊のような監督」として知られる。アートとアダルトの境界線を平気で踏み越えてきた人らしい。

映画監督を志した青年時代[編集]

小学生時代にチャップリンの『キッド』などに衝撃を受け、映画の道を志す。定時制高校在学中には円谷プロで特撮『ミラーマン』の美術部アルバイトとして現場を経験。1974年に明治大学付属中野高校全日制に転籍し、1975年には横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)の第一期生となった。1976年、在籍中に映画監督の森﨑東に誘われ、映画『黒木太郎の愛と冒険』の脚本製作と役者(映画監督を目指す青年「銃一」役)として参加している。

1979年には映像プロデューサーの貞末麻哉子とともにミニシアター「クリエイティブ・スペースOM」を六本木に開設。石井聰亙(石井岳龍)や山本政志らと上映会を開き、仲代達矢の劇団・無名塾の公演に演出助手として関わるなど、しっかり"映画青年"の王道を歩んでいた。

自主映画『ゴンドラ』[編集]

1984年、5000万円もの借金をして自主映画『ゴンドラ』の制作を開始。1986年に完成するも、諸事情で国内上映が困難になる。ところが試写を観た森﨑東や川喜多かしこに絶賛され、海外の映画祭で多数の賞を受賞。映画評論家マルセル・マルタンらにも高く評価された。1988年には国内でも正式に劇場公開され、谷川俊太郎ら著名人からも評価を得た。ただし制作時の巨額の借金だけはしっかり残ってしまった という、夢と現実の落差がエグい話である。

AVとの出会い、そしてドグマ[編集]

1989年、借金で苦しんでいたところにアダルトビデオメーカーV&Rプランニングを紹介され、「好きに撮っていい」と言われたことをきっかけにAV制作へ。『ゴンドラ』以前からの知人だった溜池ゴローと脚本を共作した『ブルーフィルム』(冴島奈緒主演)でAV監督デビューを果たす。

制作費を超える作品を撮り続けてまた借金がかさむが、出演する女性たちに自身が『ゴンドラ』で描いたものに通じる何かを感じ、のめり込んでいった。1997年にレンタルからセルビデオへ活動の場を移し、2001年4月、ついに自身のメーカードグマを設立。 森下くるみを専属に据え、二村ヒトシ溜池ゴローら強烈な個性の監督陣を擁する"ディレクターズメーカー"として、AV業界に作家主義の旗を立てた。

余談[編集]

  • 「アダルトビデオ=粗製濫造」というイメージとは真逆に、常に制作費オーバーで赤字を出すタイプの監督 というのが、いっそ清々しい。
  • AV監督としての名声が定着した後も、ルーツである自主映画『ゴンドラ』『黒木太郎』への思い入れは強く、映画人としてのアイデンティティを手放していない。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 株式会社オムプロダクション 公式サイト