| 安達かおる Kaoru Adachi | |
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出身校の獨協大学キャンパス(Wikimedia Commons・CC BY-SA 3.0) | |
| 本名 | 三枝 進 |
| 誕生日 | 1952年1月27日 |
| 年齢 | 74歳 |
| 出身地 | 東京都 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | AV監督、実業家 |
| 肩書 | V&Rプランニング創業者・元代表取締役 |
| 活動期間 | 1986年 - |
| 代表的な実績 | V&Rプランニングの設立、多数の個性派AV監督を育成、映像制作者ネットワーク(CCN)の設立 |
概要[編集]
安達かおる(あだち かおる、1952年1月27日 - )とは、日本のAV監督・実業家。本名は三枝進(さえぐさ すすむ)。過激で実験的な作風で知られるアダルトビデオメーカーV&Rプランニングの創業者であり、カンパニー松尾やバクシーシ山下、TOHJIROといった作家性の強い監督を多数輩出したことから、「AVの作家性の源流」をつくった人物の一人とされる。
1986年に34歳でアダルトビデオの制作を始め、美少女路線が主流だった時代に、ドキュメンタリー仕立てのSM作品や海外の衝撃映像シリーズの日本版、障害者の性をテーマにした作品など、商業AVの枠からはみ出す作品を次々と世に送り出した。2010年代後半以降は業界の制作者側の権利を守る団体「映像制作者ネットワーク(CCN)」を立ち上げ、2017年には自伝『遺作』を出版している。
詳細[編集]
生い立ちと学生時代[編集]
東京都出身。幼少期には外交官だった父に随行してイランの首都テヘランで暮らした経験を持つ。1970年に國學院大學久我山高等学校を卒業し、1974年に獨協大学外国語学部ドイツ語学科を卒業した。
大学卒業後はテレビ番組の制作会社に入り、ドキュメンタリー部門で働いた。しかし営業上の建前の多さに疲れ、「末端で暮らす人々の生の声を聞きたい」という思いから退職。その後はスーパーマーケット「ジャストイン」の運営に携わるなど、映像業界とは異なる仕事も経験している。この「現場の生の声を撮る」という問題意識は、のちのドキュメンタリー色の強いAV作品に色濃く反映されることになる。
V&Rプランニングの創業(1986年)[編集]
1986年4月、安達はV&Rプランニングを立ち上げた。創業時の社員はわずか2人、事務所はワンルームマンションという小さな出発だった。社名の「V&R」は「Visual & Retail」の略とされる。知人の用事に付き添ってAV会社を訪れた際、「作品が足りない」と頼まれてアルバイト感覚で撮影を引き受けたことが、AV監督としての出発点だったと本人は語っている。
同年5月には日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)に加盟。当時人気のSM路線でデビュー作『SMドキュメント 調教24時間 ─地獄篇─』を撮影し、以後マニア向け作品を中心に量産していく。1986年7月には同社から出た伊勢鱗太朗監督の『侵犯』がメディアで話題になり、メーカーとしての知名度が上がった。
また同時期には、海外の衝撃映像を集めたドキュメンタリーシリーズ『フェイシズ・オブ・デス』の日本版(1986〜1989年)を手がけ、ブラジルで撮影した『ジャンク』など、アダルトの枠を越えた「マッドビデオ」路線でも存在感を示した。
世田谷の自社ビルと「梁山泊」の時代(1990年代)[編集]
1987年には『ジーザス栗と栗鼠スーパースター』を発表。のちに林由美香らも出演し、同社を代表するシリーズとなった。1991年3月には東京都世田谷区に自社ビルを構え、同年5月に法人化。同年10月にはバクシーシ山下が入社し(1996年退社)、カンパニー松尾、インジャン古河、TOHJIROらとともに、個性派監督が集まる「梁山泊」と呼ばれる時代を迎える。
1993年には障害者の性をテーマにした『ハンディキャップをぶっとばせ!』を制作。ビデ倫の審査を通らず販売はかなわなかったが、作品は後年の2015年8月に映画として劇場公開され、改めて注目を集めた。同じ1993年3月、V&Rプランニングはビデ倫を脱退し、独自の流通路線を歩むことになる。
1997年から1999年にかけては、平野勝之監督の『由美香』『流れ者図鑑』『白 THE WHITE』のいわゆる「自転車三部作」の制作にも関わった(いずれもV&Rプランニング作品として発表)。これらは劇場でも公開され、AV出身の映像作家が一般映画の観客にも届いた例として語られる。
失踪騒動と復帰、海外展開(2000年代)[編集]
2000年の現場復帰に先立って、酒に溺れた安達が会社に姿を見せなくなる「社長行方不明事件」と呼ばれる騒動が起きた。その後立ち直った安達は、2000年5月に監督として現場に復帰している。
復帰後は事業の多角化を進め、2001年8月にブラジル・サンパウロに「V&Rインターナショナル」を設立。2004年8月には「V&Rプロダクツ」、2009年1月には「CRAZY JAPAN」を立ち上げるなど、国内外で活動の幅を広げた。2010年代後半には、特定のマニア向けジャンルに絞った作品制作に専念するようになった。
映像制作者ネットワーク(CCN)と自伝[編集]
2017年4月以降、安達はAVの制作者側の立場を守る団体「映像制作者ネットワーク」(CCN)を設立した。2019年9月にはCCN名義で公正取引委員会に申し立てを行い、業界の取引慣行について問題提起をしている。
2017年6月には自伝『遺作:V&R破天荒AV監督のクソ人生』(メディアソフト)を出版。創業から門下生たちとの日々、失踪騒動までを自ら振り返った一冊となっている。
主な門下生・関係者[編集]
| 名前 | 安達・V&Rとの関わり |
|---|---|
| カンパニー松尾 | V&Rで監督デビュー。ハメ撮り・ドキュメンタリー路線の代表格となる |
| バクシーシ山下 | 1991年10月入社、1996年退社。社会派の問題作で知られる |
| TOHJIRO | V&R出身。のちにメーカードグマを設立 |
| インジャン古河 | V&R時代の個性派監督の一人 |
| 伊勢鱗太朗 | 1986年の『侵犯』でV&Rの名を広めた |
| 平野勝之 | 自転車三部作(1997〜1999年)で協業 |
| 林由美香 | 『ジーザス栗と栗鼠スーパースター』シリーズに出演 |
年表[編集]
| 年月 | 出来事 |
|---|---|
| 1952年1月 | 東京都に生まれる(生年は1952年説が一般的) |
| 1970年 | 國學院大學久我山高等学校を卒業 |
| 1974年 | 獨協大学外国語学部ドイツ語学科を卒業。テレビ制作会社のドキュメンタリー部門へ |
| 1986年4月 | V&Rプランニングを創業(社員2人・ワンルームでのスタート) |
| 1986年5月 | 日本ビデオ倫理協会に加盟 |
| 1986年7月 | 伊勢鱗太朗監督『侵犯』が話題に |
| 1986〜1989年 | 『フェイシズ・オブ・デス』日本版を展開 |
| 1987年 | 『ジーザス栗と栗鼠スーパースター』を発表 |
| 1991年 | 3月に世田谷区へ自社ビル、5月に法人化、10月にバクシーシ山下が入社 |
| 1993年 | 3月にビデ倫を脱退。『ハンディキャップをぶっとばせ!』を制作 |
| 1997〜1999年 | 平野勝之監督の自転車三部作 |
| 2000年5月 | 「社長行方不明事件」を経て監督に復帰 |
| 2001年8月 | ブラジル・サンパウロにV&Rインターナショナルを設立 |
| 2004年8月 | V&Rプロダクツを設立 |
| 2009年1月 | CRAZY JAPANを設立 |
| 2015年8月 | 『ハンディキャップをぶっとばせ!』が劇場公開 |
| 2017年 | 4月以降に映像制作者ネットワーク(CCN)を設立、6月に自伝『遺作』を出版 |
| 2019年9月 | CCN名義で公正取引委員会に申し立て |
作風と評価[編集]
安達作品の特徴は、ドキュメンタリー出身らしい「仕込みのない現場」へのこだわりと、商業性よりも作り手の個性を優先する姿勢にある。カンパニー松尾は、当時のAV業界は商売本位の人間が多かった中で、安達は「メジャーで撮れないからアダルトに来た」タイプではない異質な存在だったと振り返っている。
宇宙企画に代表される美少女路線の全盛期にあって、V&Rプランニングは過激・実験的な作品でまったく別の立ち位置を築いた。その結果、門下生たちが後年のAV表現を切り拓いていったことから、安達は「監督を育てる場」をつくった人物として評価されている。一方で、作品の過激さゆえに審査団体や流通と衝突することも多く、評価は大きく分かれる。
余談[編集]
- AV監督になったきっかけは、知人の付き添いで訪れたAV会社で「作品が足りない」と頼まれたアルバイトだったという、偶然の産物である。
- 社名の「V&R」は「Visual & Retail」の略とされ、スーパー運営の経験が名前にも表れている。
- TOHJIROに「好きに撮っていい」と任せたことが、のちのドグマ設立の遠因になったとも語られる。
- 『ハンディキャップをぶっとばせ!』は制作から22年を経て劇場公開されるという、異例の経緯をたどった作品である。