| 山本晋也 Shinya Yamamoto | |
|---|---|
| 本名 | 伊藤直 |
| 誕生日 | 1939年6月16日 |
| 年齢 | 87歳 |
| 出身地 | 東京市神田区(現・東京都千代田区) |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 映画監督、タレント、俳優、リポーター |
| 活動期間 | 1965年 - |
| 代表的な実績 | 「未亡人下宿」シリーズ/ピンク・コメディーの開拓 |
| あだ名 | カントク |
概要[編集]
山本晋也(やまもと しんや、1939年6月16日 - )は、日本の映画監督・タレント・俳優・リポーター。本名は伊藤直。サングラスにちょび髭がトレードマークで、愛称は「カントク」。1960〜70年代に約250本ものピンク映画を撮りまくった量産職人であり、「未亡人下宿」シリーズを大ヒットさせたピンク映画のドル箱メーカーらしい。後年はワイドショーのレポーターとして「すごいですねぇ」「ほとんどビョーキ」の名調子でお茶の間の人気者になった、業界きっての二刀流である。村西とおるや代々木忠ら同時代のエロス映像の巨匠たちと並ぶ、日本のアダルト映像史の重要人物の一人。
神田の江戸っ子からカントクへ[編集]
東京・神田生まれの生粋の江戸っ子。中学時代から落語が好きで寄席に通い、早稲田高校を経て1963年に日本大学芸術学部演劇学科へ進学した。卒業後は日本教育テレビ(現・テレビ朝日)のアシスタントディレクターを務め、1964年に岩波映画製作所で羽仁進に師事して助監督になるという、意外にもちゃんとした映画エリートコースを歩んでいる。
ピンク映画の量産王[編集]
1965年、松井康子主演の成人映画『狂い咲き』で監督デビュー。以後1970年代にかけて約250本もの作品を撮影した、まさにピンク映画の量産王である。多くがコメディータッチだったことから「"ピンク・コメディー"というジャンルを開拓したパイオニア」とも評される。中でも「未亡人下宿」シリーズは外部買取作品でありながら、まだソフト・オン・デマンドも存在しない時代のにっかつのドル箱になり、続編が次々と作られた。助監督だった滝田洋二郎(後に『おくりびと』でアカデミー賞)にも、その喜劇演出は影響を与えたといわれている。
レポーター転身と「ほとんどビョーキ」[編集]
1965年頃、銭湯ドラマ『時間ですよ』が人気だったが、放送コードの関係で女湯の裸はチラ見せ程度。「だったら俺の映画でたっぷり見せてやろうじゃないか」と発奮したという逸話もある。やがてタレント業が中心となり、ワイドショーのレポーターとして連発した「すごいですねぇ」「ほとんどビョーキ」が流行語になった。一方で映画監督としては「DVD化が少なく正当に評価されていない」とも言われ、若松孝二や高橋伴明らに比べて再評価が追いついていないのが惜しいところらしい。
余談[編集]
- 学生運動が激しかった日芸時代は右翼学生の立場だったが、後に視野が広がって左派的な平和主義へと転じたという。
- 毒蝮三太夫が所属するまむしプロダクションと業務提携している。