三田佳子
みた よしこ / Yoshiko Mita
Mita-Yoshiko-1.jpg
東映時代の三田佳子(出典:Wikimedia Commons「Mita-Yoshiko-1.jpg」)
本名 高橋嘉子(旧姓:石黒)
誕生日 1941年10月8日
年齢 85歳
出身地 大阪府大阪市
国籍 日本
学歴 東京女子美術大学付属高等学校 卒業
ジャンル 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間 1960年 -
デビューアルバム 1960年 映画『殺られてたまるか』(第二東映)
家族 夫(元NHKプロデューサー、1974年結婚)、長男(俳優)、次男
事務所 プロダクション尾木(2017年 - )
代表作 『廓育ち』、『Wの悲劇』、『いのち』、『外科医 有森冴子』、『極道の妻たち 三代目姐』、『利休』、『遠き落日』、『花の乱』
ファンクラブ みたっち倶楽部
関連活動 NHK紅白歌合戦紅組司会(1989年・1990年)
その他 日本アカデミー賞最優秀助演女優賞(1986年)、同最優秀主演女優賞(1993年)、ブルーリボン賞主演女優賞(2回)、田中絹代賞(1987年)、旭日小綬章(2014年)


概要[編集]

三田佳子(みた よしこ、1941年10月8日 - )とは、大阪府大阪市出身の女優である。1960年に第二東映からデビューし、看板女優として活躍したのち1967年にフリーへ転向。大河ドラマ『いのち』『花の乱』で2度の主演、NHK紅白歌合戦の紅組司会を2年連続で務め、1990年代初頭には俳優部門の高額納税者番付で4年連続首位に立った「昭和・平成のお茶の間の顔」である。2026年11月5日時点で80代半ばを迎えてもなお映画・ドラマに出演を続けている。

詳細[編集]

慶應ファンが選んだ芸名[編集]

本名は高橋嘉子(旧姓・石黒)。大阪市天王寺区で生まれ、生後半年で東京へ移り、3歳のときには戦争を避けて一家で山梨県へ疎開した。戦後は東京の下北沢、中野区で育ち、小学2年生のときに両親が離婚。以後は母親に引き取られ、母娘2人で暮らしたとされる。中学3年で児童劇団「ちどり」に入り、テレビやラジオに出始めたのが芸能活動の出発点である。芸名の「三田」は、候補として挙がった早稲田の「高田」、明治の「神田」、慶應の「三田」の中から、慶應義塾大学野球部のファンだったという理由で選んだという、なんとも学生野球らしいエピソードが伝わっている。

スカウトを断り続けた高校時代[編集]

東京女子美術大学付属高校に在学中から複数の映画会社にスカウトされたが、本人はこれを断り続けていた。最終的に1960年春、いわゆる「東映ニューフェイス」の公募ではなく、東映の第二系統として作られた「第二東映」に入社する形で映画界入りした。同年の『殺られてたまるか』で18歳でデビューするが、この作品では相手役に予定されていた若手俳優・波多伸二が撮影中の事故で亡くなるという悲劇に見舞われ、三田自身もその場に居合わせたとされる。華やかなデビューの裏に重い記憶を抱えたスタートだった。

「三田派」と「佐久間派」[編集]

デビュー当初から主役級で起用され、同じく東映の看板だった佐久間良子と並び称される存在になった。社内では「三田派」「佐久間派」が生まれたと報じられるほどで、当時の東映がいかに2人を軸に女優路線を組んでいたかがうかがえる。新人時代には梅宮辰夫とのコンビで売り出されたこともあるが、このコンビは早々に解消されている。男性スター主体の任侠・時代劇路線の中で「大人の女性らしさ」を求められ、早朝から翌朝まで撮影が続いて撮影所近くの旅館に泊まり込む日々もあったという。

フリー転向とテレビへの軸足[編集]

1961年には文芸プロダクション「にんじんくらぶ」に参加し、1964年の『廓育ち』で社会派の演技を見せて評価を高めた。1967年に東映を退社してフリーとなるが、同年の松竹作品『夜のひとで』では、本人の承諾なくヌードシーンに代役が使われたことに抗議し、映画界で干されかけたと報じられている。以後はテレビと舞台を主戦場に移し、これが結果的に「お茶の間の大女優」三田佳子を生む転機になった。

経歴[編集]

東映の看板女優時代(1960年 - 1967年)[編集]

第二東映時代は量産体制の真っ只中で、年間の出演本数も多かった。1961年にはエランドール賞新人賞を受賞している。この時期の出演作には『王将』(1962年)、『武士道残酷物語』(1963年)、萬屋錦之介(当時は中村錦之助)と共演した『鮫』(1964年)、そして代表作の一つとされる『廓育ち』(1964年)などがある。フリー転向後の1968年には勝新太郎主演の『座頭市喧嘩太鼓』にも出演しており、東映出身でありながら他社の看板シリーズにも顔を出していた。

テレビ・舞台の時代(1967年 - 1983年)[編集]

テレビでは早くから大河ドラマに縁があり、1965年の『太閤記』で淀殿、1973年の『国盗り物語』で深芳野を演じた。1974年にはドラマ出演を通じて知り合ったNHK大阪の制作部副部長(のちプロデューサー)と結婚。1981年にはTBSの正月時代劇『関ヶ原』で再び淀殿を演じ、「淀殿女優」のイメージも定着した。映画では1978年の『赤穂城断絶』、1983年の日中合作『未完の対局』などに出演している。

黄金期(1984年 - 1995年)[編集]

三田佳子のキャリアの頂点と言われるのがこの約10年間である。1984年の角川映画『Wの悲劇』で、薬師丸ひろ子演じる新人女優をスキャンダルに巻き込むベテラン舞台女優・羽鳥翔を演じ、各映画賞を総なめにした。1986年には橋田壽賀子脚本の大河ドラマ『いのち』に主演。1989年と1990年には紅白の紅組司会を務め、1990年からは日本テレビのドラマ『外科医 有森冴子』シリーズで主演した。1992年の『遠き落日』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、1994年には大河ドラマ『花の乱』で2度目の主演を果たし、1991年から1994年まで俳優・タレント部門の高額納税者番付で4年連続首位という、文字通り「女優といえば三田佳子」の時代を築いた。

闘病と復帰(1996年 - 2010年代)[編集]

1996年に子宮体がんが見つかり緊急入院。手術と5度の抗がん剤治療を経て退院した。その後、家族の問題(後述)もあって活動が縮小した時期があったが、2003年には旧知の映画評論家・水野晴郎が『シベリア超特急3』の主演に起用して復帰を後押し。2004年の映画『海猫』、同年のフジテレビ版『犬神家の一族』での犬神松子役、2007年のTBS単発ドラマ『ひまわり〜夏目雅子27年の生涯と母の愛〜』で夏目雅子の母を演じるなど、再び話題作に名を連ねるようになった。2014年には旭日小綬章を受章している。

新境地の老け役(2016年 - 現在)[編集]

2017年2月にプロダクション尾木へ移籍。近年は祖母役・母役など老齢の役柄で新境地を開いている。2018年のテレビ朝日系ドラマ『明日の君がもっと好き』では、寝たきりの夫にお茶をかけるという強烈な役どころを演じ、その修羅場の演技は「三田佳子劇場」と評された。2020年の実写映画『約束のネバーランド』(主演:浜辺美波)、2022年の『天間荘の三姉妹』、2024年の『湖の女たち』など映画出演も続き、2026年5月29日公開の映画『お終活3 幸春!人生メモリーズ』では認知症を患う母・加藤豊子を演じた。

代表作と演技[編集]

『Wの悲劇』の羽鳥翔[編集]

澤井信一郎監督の『Wの悲劇』(1984年)は、薬師丸ひろ子の代表作であると同時に、三田佳子の演技派としての評価を決定づけた作品でもある。演じた羽鳥翔は、自分のスキャンダルを新人女優に肩代わりさせる大女優という、ある意味で「女優が女優を演じる」難役。この演技でキネマ旬報ベスト・テン助演女優賞、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞(『春の鐘』と合わせて)などを受賞した。2016年の角川映画祭で32年ぶりに本作を見直した際には「2度とできない」と当時の自分に驚いてみせ、薬師丸については「かわいいけれど芯があった」と振り返っている。澤井監督とは東映時代に女優と助監督として出会った旧知の仲だった。

『遠き落日』の母シカ[編集]

神山征二郎監督の『遠き落日』(1992年)は、細菌学者・野口英世(演:三上博史)の生涯を、母シカとの絆を軸に描いた伝記映画。三田は16歳から晩年までのシカを1人で演じ切った。撮影当時50歳前後で「16歳役」に起用されたことには本人も驚いたというが、ノーメイクのもんぺ姿もよく似合っていたと製作総指揮の奥山和由は語っている。老年期は特殊メイクで、メイクの着脱にそれぞれ数時間を要した。畑を耕す場面では監督が無理をしなくてよいと伝えたにもかかわらず、手を寒さで赤く見せるために氷水に手を浸してから撮影に臨んだという。興行収入は40数億円とされ、奥山は自身最大のヒット作だと述べている。この作品で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞とブルーリボン賞主演女優賞を受賞した。

映画の主な出演作[編集]

年 作品 役・備考
1960 殺られてたまるか デビュー作(第二東映)
1962 王将
1963 武士道残酷物語
1964 鮫 中村錦之助(萬屋錦之介)と共演
1964 廓育ち 社会派の演技で評価
1968 座頭市喧嘩太鼓 勝新太郎主演
1978 赤穂城断絶
1983 未完の対局 日中合作
1984 Wの悲劇 羽鳥翔
1985 春の鐘
1987 別れぬ理由 日本アカデミー賞優秀主演女優賞
1988 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 第40作のマドンナ
1989 極道の妻たち 三代目姐 主演
1989 利休 利休の妻・りき
1992 遠き落日 野口シカ
2003 シベリア超特急3 主演
2004 海猫
2014 破壊の繭とディアンシー 声の出演(ポケモン映画)
2020 約束のネバーランド
2022 天間荘の三姉妹 財前玲子
2024 湖の女たち 市島松江
2026 お終活3 幸春!人生メモリーズ 加藤豊子

『男はつらいよ』のマドンナ[編集]

1988年の『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』で、シリーズ第40作のマドンナを務めた。山田洋次監督、渥美清演じる寅さんが信州・小諸で出会う女医に想いを寄せるという筋立てで、タイトルは当時ベストセラーとなった俵万智の歌集から取られている。東映の看板女優出身で、松竹の看板シリーズのマドンナを務めたという点でも珍しい経歴である。

『極道の妻たち』シリーズ[編集]

1989年の『極道の妻たち 三代目姐』では主演を務めた。岩下志麻が築いた「極妻」シリーズの一作で、上品で真面目なイメージの強かった三田が姐さん役を務めたことになる。同年の『利休』『寅次郎サラダ記念日』と合わせて日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した。古巣・東映の看板シリーズに主演として戻ってきた形でもあり、本人のフィルモグラフィーの中でも振り幅の大きさを象徴する一本となっている。

テレビドラマ[編集]

大河ドラマ『いのち』と『花の乱』[編集]

1986年の大河ドラマ『いのち』は、橋田壽賀子のオリジナル脚本で、戦後から昭和の激動期を舞台に、苦労を乗り越えて女医として生きる女性・高原未希の半生を描いた作品。三田は主人公を演じ、平均視聴率29.3%という大河ドラマ歴代でも上位の記録を残した。戦国・幕末ものが並ぶ大河の歴代視聴率上位10作の中で、昭和を舞台にした現代劇はこの作品だけとされ、昭和以降を本格的に描いた大河は、この後2019年の『いだてん』まで33年間途絶えた。1994年には市川森一脚本の『花の乱』で、応仁の乱の原因をつくったとも言われる日野富子を演じ、2度目の主演を果たした。大河ドラマで2度主演した女優は三田のみとされている。2015年の『花燃ゆ』にも出演した。

『外科医 有森冴子』[編集]

1990年から日本テレビで放送された井沢満脚本のシリーズで、三田は主人公の外科医・有森冴子を演じた。連続ドラマとスペシャルを含めて2000年まで続いた人気シリーズで、三田にとっては「女医」役のイメージを決定づけた作品の一つ。脚本の井沢とはこの作品以降も縁が続き、2018年の『明日の君がもっと好き』でも再びタッグを組んでいる。取材の場で井沢から「修羅がよぎる」と評された三田が、自分にも修羅があると冗談めかして返し、2人で笑い合ったというエピソードもある。

そのほかの主な出演[編集]

  • 『太閤記』(1965年、NHK大河ドラマ) - 淀殿
  • 『国盗り物語』(1973年、NHK大河ドラマ) - 深芳野
  • 『関ヶ原』(1981年、TBS) - 淀殿
  • 『女系家族』(1984年、読売テレビ)
  • 『犬神家の一族』(2004年、フジテレビ) - 犬神松子
  • 『ひまわり〜夏目雅子27年の生涯と母の愛〜』(2007年、TBS) - 夏目の母・スエ(夏目役は仲間由紀恵)
  • 『花燃ゆ』(2015年、NHK大河ドラマ)
  • 『明日の君がもっと好き』(2018年、テレビ朝日) - 里川静子
  • 『ゆりあ先生の赤い糸』(2023年)
  • 『終りに見た街』(2024年、テレビ朝日)

紅白歌合戦の司会[編集]

三田は1989年と1990年の2年連続でNHK紅白歌合戦の紅組司会を務めた。大河ドラマで主演を務めた女優が紅白の紅組司会を担当したのは三田が初めてとされ、これが後に大河や朝ドラの主演女優が紅組司会を務める流れの先駆けになったとも言われる。1989年は昭和から平成へ改元された年で、平成最初の紅白の「顔」を任されたことになる。当時の三田はCMでも引っ張りだこで、製作者からも「女優といえば三田佳子」と言われる存在だったと証言されており、国民的な知名度を背景にした起用だった。

受賞歴[編集]

  • 1961年 - エランドール賞 新人賞
  • 1984年 - キネマ旬報ベスト・テン 助演女優賞(『Wの悲劇』)
  • 1986年 - 日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞(『Wの悲劇』『春の鐘』)
  • 1987年 - 田中絹代賞
  • 1988年 - 日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(『別れぬ理由』)
  • 1990年 - 日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(『寅次郎サラダ記念日』『極道の妻たち 三代目姐』『利休』)
  • 1992年 - 都民文化栄誉賞、ブルーリボン賞 主演女優賞(『遠き落日』)
  • 1993年 - 日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞(『遠き落日』)
  • 2014年 - 旭日小綬章

ブルーリボン賞主演女優賞は第30回・第35回の2度受賞している。日本アカデミー賞では最優秀助演・最優秀主演の両方を手にしている。

人物・評価[編集]

「感情移入できる女優」[編集]

三田の評価としてよく挙げられるのが、強烈な個性で押すタイプではなく、多くの視聴者が自分を重ねて感情移入できる女優だったという点である。『いのち』の主人公が「逆境に負けない女性像」として当時の視聴者の共感を集めたように、真面目で芯の強い女性を等身大に演じる力が、高視聴率と高額納税者番付首位という数字につながったと分析されている。一方で『Wの悲劇』の羽鳥翔や『明日の君がもっと好き』の里川静子のように、毒や狂気をはらむ役でも強い印象を残しており、本人は難しい役は期待の裏返しと受け止め、やり遂げられなければ役者として「すたる」という覚悟で臨んでいると語っている。

共演者から見た素顔[編集]

映画『お終活3』で初共演した高畑淳子は、大河ドラマや『Wの悲劇』を見て以来三田に憧れていたといい、共演前は怖い人かもしれないと緊張していたが、実際は非常に優しい人だったと明かしている。完成作を観た三田からは「いい映画になったわね」と声をかけられたという。高畑は、舞台『かたき同志』で藤山直美と丁々発止のやりとりを繰り広げた三田の姿も絶賛している。また、2018年に亡くなった菅井きんについて三田は、老け役を変幻自在に演じる一方で素顔は若々しく明るく行動的だったと振り返っている。

ブログでの発信[編集]

近年はAmebaの公式ブログで日常を発信している。2022年9月には定期検診で血圧・血糖値などが良好だったことを報告し、医師から塩分控えめを勧められたと明かしつつ、夫と銀座で外食した様子を「ちょっと食べ過ぎかしら」と茶目っ気たっぷりに綴った。2025年10月の84歳の誕生日には「いよいよ覚悟を持って最終章!」というタイトルで投稿し、40年以上支えてくれたファンクラブ「みたっち倶楽部」の会員に感謝を伝えている。

家族[編集]

1974年、NHK大阪の制作部副部長だった高橋康夫と結婚。長男は俳優の森宮隆。次男も一時俳優として活動していた。

炎上とバズ[編集]

次男の事件と会見[編集]

三田のキャリアに大きな影を落としたのが次男をめぐる一連の事件である。次男は未成年時に最初の事件を起こし、その後2000年、2007年11月に覚醒剤取締法違反で逮捕され、2007年の件では2008年に懲役1年6月の実刑判決を受けたと報じられている。その後も2018年9月(4度目)、2022年10月(5度目)に同法違反容疑で逮捕されたと報道された。

最初の事件の際には、親が多額の小遣いを与えていたことが報じられ「過保護」との批判が三田に集まった。2007年の逮捕翌日の会見では謝罪文を涙ながらに読み上げ、問題は自身の「養育、教育の失敗に起因するものだと思い」と述べ、引退も考えたと語った一方、「彼を切り捨てられない」と母親としての心情も明かした。この会見をめぐっては、同情する声と、成人した子の問題で親が会見し支援を続けることへの疑問の声の両方が上がった。

「三田佳子劇場」[編集]

2018年の『明日の君がもっと好き』での鬼気迫る演技は「三田佳子劇場」と呼ばれて話題になった。本人も演じるうちに自分の顔が怖くなり「やだな」と思いながら演じ切ったと語っており、70代後半にして新たなバズを生んだ形である。

余談[編集]

  • デビュー当初は梅宮辰夫とのコンビで売り出されたが、早々に解消されている。
  • 1999年には『料理の鉄人』のファイナルバトルで審査員を務めた。
  • 2014年のポケモン映画『破壊の繭とディアンシー』では、伝説のポケモン・ゼルネアスの声を担当している。大女優とポケモンという意外な組み合わせである。
  • 2026年4月の『お終活3』のイベントでは初共演の高畑淳子と並んで登壇し、「ビビりましたよ、最初は」という言葉が飛び出して初共演の裏話で盛り上がった。
  • 『遠き落日』で母シカを演じた際、実母からは体を壊すからやめるよう言われたが、演じずにはいられなかったと語っている。
  • 『Wの悲劇』の上映会では、深いスリットの衣装をまとった当時と比べて今はスクリーンでの色気が失われたと自虐して笑いを誘い、最後には澤井監督に次回作の予定を尋ねて出演を希望した。
  • 2004年版『犬神家の一族』で演じた犬神松子は、映画版では高峰三枝子が演じた名物キャラクター。三田もこの「怖い母」役で強い印象を残した。

外部リンク[編集]

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