| Tatsuo Umemiya Tatsuo Umemiya | |
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![]() 2013年、映画『バレット』公開記念イベントでの梅宮辰夫(右)と“体モノマネ”のロバート秋山竜次(左)(出典:シネマトゥデイ) | |
| 誕生日 | 1938年3月11日 |
| 死亡日 | 2019年12月12日 |
| 死亡年齢 | 81歳 |
| 出身地 | 満洲(現・中国東北部) |
| 国籍 | 日本 |
| 家族 | 妻:クラウディア/長女:梅宮アンナ/従甥:高橋克典 |
| 学歴 | 早稲田高等学校、日本大学法学部中退 |
| 職業 | 俳優、タレント、実業家 |
| 肩書 | 東映ニューフェイス第5期 |
| 活動期間 | 1959年 - 2019年 |
| 代表的な実績 | 「不良番長」シリーズ全16作主演、『仁義なき戦い』シリーズ、『前略おふくろ様』、『特命係長 只野仁』、「辰ちゃん漬」 |
| 関連活動 | 料理番組、釣り番組、漬物・飲食店のプロデュース |
| 別名 | 辰兄、辰ちゃん |
| あだ名 | 夜の帝王、元祖・不良番長 |
概要[編集]
梅宮辰夫(うめみや たつお、1938年3月11日 - 2019年12月12日)とは、東映の不良番長・ヤクザ映画スターとして昭和を駆け抜け、後半生はバラエティと料理で「辰兄」として親しまれた日本の俳優である。長女はタレントの梅宮アンナ、ドラマ『特命係長 只野仁』で共演した高橋克典は親戚にあたる。
詳細[編集]
満洲生まれの「番長」少年[編集]
父は医師で、旧満洲の病院に勤務していた。一家は奉天やハルビンなど満洲の各地で暮らし、終戦後の1946年に引き揚げて日本に戻った。梅宮は5人きょうだいの長男で、のちに茨城県水戸市に移り住む。
水戸時代は小学校高学年から中学卒業まで「番長」で通し、同時に生徒会長も務めたという、のちの役柄そのままのような少年時代を送った。地元の言葉を嫌って東京弁を貫いたという逸話もある。高校から東京に移り、早稲田高校では剣道部を自ら立ち上げている。
医者の家系を継ぐことを期待されていたが医学部受験には失敗し、日本大学法学部に進学(のちに中退)。この大学時代が、運命の分かれ道になる。
3万人超から選ばれたニューフェイス[編集]
大学在学中、繊維メーカーのモデルのアルバイトをしていたところをスカウトされ、1958年に東映ニューフェイス第5期に合格した。この期の応募者は3万3000人を超えていたとされる。役者になった動機について本人は「いい女、いい酒、いい車、海の見える家」という、実に昭和スターらしい四つの目標を挙げている。
翌1959年、江戸川乱歩原作の『少年探偵団 敵は原子潜航挺』で主演デビュー。初期は『遊星王子』など子ども向けヒーロー映画にも主演した。1960年に東映東京の若手スター候補だった波多伸二が急逝すると、のちの東映社長・岡田茂プロデューサーの一声で「次世代の看板」として売り出されることになる。
「女を泣かせる梅宮」の誕生[編集]
1960年代半ばの「夜の青春シリーズ」では、女性を泣かせる色男役を連発。任侠映画の大スター鶴田浩二と並べて「男を泣かせる鶴田、女を泣かせる梅宮」という惹句まで生まれた。私生活でもほぼ毎晩のように銀座のクラブへ通い、この時代に定着したのが「夜の帝王」のイメージである。
1970年から1972年にかけては『夜遊びの帝王』『女たらしの帝王』などの「帝王シリーズ」にも主演しており、「帝王」の称号はスクリーンと私生活の両方から生まれたものだった。
俳優としての経歴[編集]
不良番長シリーズ(1968年 - 1972年)[編集]
梅宮のキャリアを語るうえで外せないのが「不良番長」シリーズである。新宿を根城にするバイク愚連隊「カポネ団」のリーダー・神坂を演じ、仲間たちと小銭稼ぎや女の子へのちょっかいに明け暮れるうち、最終的にヤクザ組織と大抗争になる――という「お約束」の展開で、わずか5年ほどの間に全16作が作られた。
共演は山城新伍、安岡力也、鈴木ヤスシ、谷隼人ら。監督の内藤誠と野田幸男がほぼ交互に担当し、内藤作品は青春映画寄り、野田作品は下ネタ満載のナンセンスギャグ寄りと、作品ごとに色が大きく違うのも特徴とされる。ホンダCB450やCB750FOURなど当時の国産バイクが大暴れすることから、バイク好きの間で「隠れた名作」として語られることもある。
梅宮本人はこのシリーズを自身の代表作と位置づけており、役が決まったときには「俺のために用意された役だ」と喜んだとされる。シリーズ後期の一本では「俺は四十まで番長だからな!」というセリフも飛び出す。2009年に東京・銀座の映画館で『不良番長 一獲千金』がリバイバル上映された際にはトークショーに登壇し、「若い女の子たちと『不良番長』をもう一回やりたい」と意欲を見せた。
仁義なき戦い(1973年 - 1974年)[編集]
深作欣二監督の実録ヤクザ映画『仁義なき戦い』では、第1作で土居組若頭・若杉寛を演じた。主人公・広能昌三(菅原文太)と義兄弟の盃を交わし、最後は警官に撃たれて散る役どころである。続く『代理戦争』『頂上作戦』では一転、明石組幹部・岩井信一として登場し、眉を剃り落とした凄みのある風貌でファンに強烈な印象を残した。
実録作品ならではの裏話も多い。役のモデルとなった人物の関係者を名乗る男が京都の撮影所に「事実と違う」と抗議に来たことがあり、梅宮は「俺に言われても困るよな」と苦笑交じりに振り返っている。深作監督とは役者と一緒に祇園で朝まで飲み歩き、その熱量のまま抗争シーンを撮ったという。梅宮いわく、現場では演技論など一切なく「酒と女の話」しかしていなかった。
晩年のインタビューでも「一番楽しかったのは若い頃のヤクザ役」と語り、深夜まで満席の映画館で通路に新聞紙を敷いてまでスクリーンに見入る観客の姿が忘れられないと話している。ヤクザ映画の衰退については、警察の目が厳しくなり脚本の事前提出を求められるようになったことを挙げ、「今作っても絶対に受ける」と最後まで持論を曲げなかった。
テレビドラマへの転身[編集]
映画産業の斜陽とともに活動の場をテレビへ移し、1975年からフジテレビで放送された倉本聰脚本『前略おふくろ様』(主演:萩原健一)で、主人公が憧れるベテラン板前・秀次を演じた。それまでの「不良」「色男」のイメージを一変させた役で、本人にとっても料理に目覚めるきっかけになった作品である。
その後も『スクール☆ウォーズ』(TBS)では和田アキ子と中華料理店の夫婦役、『はぐれ刑事純情派』(テレビ朝日)では警察署長役など、「頼れる親分肌」「話の分かるおやじ」を数多く演じた。2007年の倉本作品『拝啓、父上様』で再び板前役を演じ、2019年にはテレビ朝日の帯ドラマ『やすらぎの刻〜道』で、石坂浩二演じる主人公の亡き父親(天国から現れる幽霊)を演じている。倉本からのオファーには「やっぱり来たか!」と応じ、「昭和の役者の良さを感じてもらえたら」と語った。
特命係長 只野仁[編集]
2003年に始まったテレビ朝日系ドラマ『特命係長 只野仁』では、大手広告代理店・電王堂の会長で、主人公・只野(高橋克典)に“裏の任務”を与える黒川重蔵を演じた。原作漫画『只野仁』にはない立ち位置の役で、2008年の劇場版公開時には、高橋の母が自分のいとこである縁から「強引に割り込んだ」と笑わせている。
シリーズはテレビ朝日版の終了後、2017年から2018年にAbemaTVオリジナルとして復活し、梅宮も闘病中ながら会長役で出演を続けた。高橋は追悼会見で「最後の15年ほど共演できたことを(梅宮が)喜んでくれていた」と明かしている。
料理人・実業家としての顔[編集]
料理への目覚め[編集]
『前略おふくろ様』の板前役に加え、1974年に大病を経験したことも転機になった。夜遊びを控えて早起きし、台所に立つ生活へと切り替えたのである。腕前は玄人はだしで、自宅には家族用とは別に「梅宮専用」の冷蔵庫があったという。
娘・アンナの話によれば、中学から高校までの6年間、毎朝4時から台所に立ってのり弁を作り続けた。ヒレ肉、たらこ、卵、のりまで素材はすべて吟味し、のりは小さく切って三段に敷き詰めるのがお決まり。同級生にも評判で、アンナはおかず交換によく応じていたという。
一方でハンバーグやスパゲティ、カレールーを使った普通のカレーなど「家庭の洋食」は一度も作らなかったそうで、市販ルーのカレーは「邪道」。何種類ものスパイスで作る本格カレーにこだわり、娘とのカレー対決では「俺のが一番うまい」と譲らなかった。書きためたレシピノートは20冊以上にのぼるとされる。
料理番組での活躍[編集]
1985年から約2年間、フジテレビの長寿料理紀行番組『くいしん坊!万才』で6代目リポーターを担当。1994年11月には同局の人気番組『料理の鉄人』に挑戦者として登場し、“和の鉄人”道場六三郎と対決した。結果は敗北だったが、芸能人が本職の鉄人に真っ向勝負を挑んだ回として語り草になっている。なお道場はその後もYouTubeチャンネル『鉄人の台所』などで現役を続けている。
辰ちゃん漬と飲食ビジネス[編集]
「辰ちゃん漬」で知られる「梅宮辰夫漬物本舗」を立ち上げ、フランチャイズ展開を行った。ほかにも1994年にはコロッケ店「梅辰亭」を開店、焼肉店「梅宮辰夫の炭焼き家 炎園」など飲食店を手がけ、料理本も多数出版。晩年はおせち料理のプロデュースにも携わっていた。
ちなみに1972年頃には自身の個人事務所が倒産し多額の借金を背負った時期もあり、俳優業以外のビジネスで浮き沈みを経験した人物でもある。
バラエティでの顔[編集]
「怖そう」から「おもしろいおじさん」へ[編集]
1980年代後半から本格的にバラエティへ進出。強面のイメージと、実際の気さくで豪快な語り口のギャップが受け、若い世代にも「辰兄」として浸透した。ダウンタウンの番組にも数多く出演している。
テレビ朝日系(ABC制作)の正月特番『芸能人格付けチェック』には通算46回出演し、17勝29敗。一流芸能人を見極める番組で負け越しているのも愛嬌で、司会の浜田雅功からは「正露丸みたいやな」とツッコまれたこともある。
「爆烈お父さん」のモデル[編集]
フジテレビ『めちゃ×2イケてるッ!』の人気コント「爆烈お父さん」で加藤浩次が演じた頑固おやじ・加藤辰夫は、梅宮がモデルだといわれる。直接出演していなくても「梅宮辰夫」というキャラクターがお笑いのフォーマットになるほど、バラエティでの存在感は大きかった。
ロバート秋山の「体モノマネ」[編集]
バラエティでの梅宮を語るうえで欠かせないのが、ロバート・秋山竜次の「体モノマネ」である。梅宮の顔写真のお面をかぶり、日焼けした上半身の“体型”だけで本人を再現する芸で、秋山の代名詞のひとつになった(秋山は現在、ロバート秋山の「クリエイターズ・ファイル」などで知られる)。
2013年の映画イベントで初めて本人の前で披露した際、梅宮は「これは芸なのか?」と首をかしげつつも公認を与えた。秋山が梅宮の妻クラウディアのことを「タイプ」と口にすると、すかさず突き放して会場を沸かせている。2017年に北九州市で共演した際には「最初は内心すごく心配だった。ウケなかったら俺の恥にもなる」と本音を明かしつつ、「今はCMにも出られるようになった」と芸を認め、「どうせなら長く続けて、俺が死んでもやってくれよ」とエールを送った。日焼けサロン頼みの秋山には「太陽で焼いてくださいね」とアドバイスしている。
秋山によると、秋山の父はかつて俳優志望のエキストラで、梅宮の主演作でヤクザに斬られる役として出演したことがあるという、不思議な縁もある。
吹き替えにも挑戦[編集]
2013年には盟友・松方弘樹とともに映画『L.A. ギャング ストーリー』の日本語吹き替え(宣伝用特別映像)に初挑戦。「カメラの前とマイクの前じゃまったく違う。やっぱり声優さんはすごい」と素直に脱帽していた。
人物[編集]
豪快な「帝王学」[編集]
若手時代の後輩に対する指導(?)は伝説的である。後輩俳優の岡崎二朗が新宿二丁目で飲んでいると聞けば「それじゃ三流の俳優だ。銀座で飲め!」。所持金が足りないと尻込みすると「スターは金の心配なんかしない。誰かが払ってくれるもんだ」。電車ではなくスポーツカーに乗れと勧め、実際にスポンサーやディーラーに電話して車を用意させてみせたという。
「“世話になりました”じゃない、“付き合ってやった”だ」というのが梅宮流のスター論。当時のギャラは1本約50万円とされるが、本人は「カネねぇな」「貯金の仕方が分からねぇよ」と笑い飛ばし、「ちまちま蓄えてるヤツは売れねぇからな」と言い切った。
アンナ誕生で変わった生き方[編集]
1972年にクラウディア・ヴィクトリアと結婚し、同年に長女アンナが誕生。プロポーズは「何もしなくていい。床の間に飾っておきたい」、あるいは「何もしなくていいから、いつも笑っていてくれ」だったとされ、52年に及ぶ結婚生活でこの約束を守り、家事や育児、学校行事への参加までほぼ一人でこなしたという。
高橋克典は追悼会見で、梅宮が「子どもができたら優先順位が変わる」と話し、アンナの誕生を機に生き方を変えたことを明かし、「父親の先輩として格好いい」と語った。家庭では「雷おやじ」だったが外では仏のように優しく、虫一匹殺さない人だった、ベランダの植物一つひとつに毎朝声をかけていた――というのはアンナの証言である。
盟友たちとの絆[編集]
- 松方弘樹:釣りを通じた盟友で、海外の釣り番組ロケに同行した回数は25回以上。映画での共演より多いとも言われる。2017年に松方が亡くなるまで月に一度は見舞いに通い、密葬には家族以外で唯一参列した。
- 山城新伍:ニューフェイスで1期下。「兄弟」と呼び合う仲で、2009年のお別れの会では発起人を務めた。
- 安岡力也:「不良番長」の共演者で、梅宮を「兄貴」と慕った。2012年のお別れの会では代表発起人。
- 和田アキ子:「あんちゃん」「アッコ」と呼び合う兄妹のような関係。和田は「不良番長」にも出演していた。
芸能界への憂い[編集]
晩年は、優等生的なタレントばかりになった芸能界に危機感を抱き、令和改元の頃には「このままいったら消滅しちゃうよ」と警鐘を鳴らした。芸能界は大衆が憧れる世界でなければならない、というのが持論。最近のドラマや映画を見ては「線が細い」と高橋克典に電話をかけてくることもあったという。そして、芸能界の行く末を見届けて高倉健、菅原文太、松方弘樹に報告するのが「生き残った者の役割」だと語っていた。
晩年と死去[編集]
1974年に大病を克服して以降も、生涯で複数回のがん手術を受けたことを公表しており、晩年は人工透析を受けながら仕事を続けた。2019年12月12日朝、慢性腎不全のため81歳で死去。妻と娘が最期をみとった。
亡くなる直前の入院の最終日には、病院を抜け出して高橋克典と書店で待ち合わせ、一緒に買い物を楽しんだという。墓には大きな「辰」の一文字と愛犬の足跡が刻まれ、アンナは「太陽と海と富士山が見える場所」を選んだとSNSで明かしている。
主な出演作[編集]
映画[編集]
- 『少年探偵団 敵は原子潜航挺』(1959年)- デビュー作
- 「夜の青春シリーズ」(1960年代)
- 『花札渡世』(1967年)- 本人が「一番思い出深い」と語った作品
- 「不良番長」シリーズ(1968年 - 1972年、全16作)
- 「帝王シリーズ」(1970年 - 1972年)
- 『仁義なき戦い』(1973年)- 若杉寛役
- 『仁義なき戦い 代理戦争』(1973年)- 岩井信一役
- 『仁義なき戦い 頂上作戦』(1974年)- 岩井信一役
- 『特命係長 只野仁 最後の劇場版』(2008年)- 黒川重蔵役
テレビドラマ[編集]
- 『前略おふくろ様』(1975年 - 1977年、フジテレビ)- 板前・秀次役
- 『スクール☆ウォーズ』(TBS)
- 『はぐれ刑事純情派』(テレビ朝日)- 警察署長役
- 『特命係長 只野仁』シリーズ(2003年 - 、テレビ朝日/AbemaTV)- 黒川重蔵会長役
- 『拝啓、父上様』(2007年、フジテレビ)
- 『やすらぎの刻〜道』(2019年、テレビ朝日)- 菊村栄一役
バラエティ・情報番組[編集]
- 『くいしん坊!万才』(1985年 - 1987年、フジテレビ)- 6代目リポーター
- 『料理の鉄人』(1994年、フジテレビ)- 挑戦者
- 『芸能人格付けチェック』(ABC・テレビ朝日系)- 通算46回出演
著書[編集]
- 『不良役者 梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚』(双葉社、2019年)
- 料理本多数
炎上とバズ[編集]
羽賀研二との交際騒動(1994年〜)[編集]
1994年、娘のアンナとタレントの羽賀研二の交際が発覚すると、梅宮は羽賀を「希代のワル」と呼んで猛反対し、連日ワイドショーをにぎわせた。のちの対談では、初対面の日から「パパ」と呼ばれ「今日、結婚式場を予約してきました」と言われ、「この野郎、ふざけんな」と思ったと明かしている。娘を説得しきれず涙を流す姿も報じられ、「アンナパパ」とからかわれても嫌な顔を見せなかったという。
結局二人は破局し、のちに羽賀が詐欺事件などで逮捕・服役すると、「最初から見抜いていた」と梅宮の眼力が再評価された。「娘の彼氏に反対する頑固親父」の元祖的存在として、今も語られる騒動である。
死後も続く「辰夫バズ」[編集]
2026年、アンナががんと家族の日々をつづった著書『フルコース』を刊行し、文春オンラインで秋山竜次と対談。秋山は「業界で悪口を言う人がいない人」「生き様そのものが芸」と梅宮を評し、梅宮が台本の自分のセリフ部分だけを持って現場入りしていた、松方弘樹監督のVシネマ現場で「弘樹、今日俺はお前の敵なの?味方なの?」と尋ねた――といった新たな逸話が明かされ話題になった。
よくある質問[編集]
- Q. 梅宮辰夫は何者?
- A. 東映出身の俳優。1960〜70年代に「不良番長」シリーズや『仁義なき戦い』で人気を集め、後年は『前略おふくろ様』『特命係長 只野仁』などのドラマ、バラエティ、料理番組で活躍した。「夜の帝王」「辰兄」の愛称で知られる。
- Q. 現在は?いつ亡くなった?
- A. 2019年12月12日、慢性腎不全のため81歳で亡くなっている。
- Q. 出身校は?
- A. 早稲田高等学校を経て日本大学法学部に進学(中退)している。
- Q. 梅宮アンナとの関係は?
- A. 実の父親。アンナは1972年生まれの長女で、母はクラウディア夫人。
- Q. 高橋克典とはどういう関係?
- A. 高橋の母が梅宮のいとこにあたり、高橋は幼い頃から「辰夫おじさん」と呼んでいた。『特命係長 只野仁』では親戚同士で共演している。
- Q. 「夜の帝王」と呼ばれた理由は?
- A. 若手時代に毎晩のように銀座のクラブで飲み歩いた私生活と、色男役を演じた「夜の青春シリーズ」や「帝王シリーズ」のイメージが重なったため。
- Q. ロバート秋山のモノマネは本人公認?
- A. 公認。2013年に本人の前で初披露して「お墨付き」を得て、2017年には「俺が死んでもやってくれよ」とエールを送っている。
- Q. 出演作はどこで見れる?
- A. 「不良番長」シリーズなど東映作品の一部はAmazonプライム・ビデオなどの動画配信サービスで配信されていることがある(配信状況は時期により変動)。『特命係長 只野仁』のAbema版はABEMAで制作された。
余談[編集]
- デビュー当初は三田佳子とゴールデンコンビとして売り出されたが、コンビは早々に解消されている。
- 7歳ごろに始めた釣りが生涯の趣味で、自前の釣り船の名前はずばり「番長」。1977年には尖閣諸島の大正島で磯釣りをしたこともある。
- 本人が一番思い出深い作品に挙げた『花札渡世』の共演者・鰐淵晴子を「この俺をときめかせた数少ない女優」と評した。
- 『料理の鉄人』で道場六三郎に敗れはしたが、和食の師と仰いだのは日本料理店「分とく山」の野崎洋光。妻クラウディアは、野崎直伝のまかない「レタス丼」を特にリクエストしていたという。
- 『不良番長 一網打尽』のラストでは、エンドマークの後に梅宮と山城新伍が割り込んで次回作の宣伝を始めるという自由すぎる演出がある。
- 2017年の北九州のイベントで秋山から「来年も出てほしい」と頼まれ、「いいですよ」と即答。冬の日焼け対策には「パプアニューギニアで焼く」と冗談で返した。
- 2021年には、アンナと秋山竜次がそろって墓参りに訪れたことが話題になった。
