Hidemi Ishikawa
いしかわ ひでみ
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薬丸裕英の還暦祝いに集まった石川秀美と「花の82年組」の同期たち(2026年2月。出典:デイリースポーツ)
本名 薬丸秀美(旧姓:石川)
誕生日 1966年7月13日
年齢 60歳
出身地 愛知県瀬戸市
国籍 日本
家族 夫・薬丸裕英(1990年結婚)、3男2女(長男・薬丸翔は俳優、長女・薬丸玲美はタレント)
学歴 明治大学付属中野高等学校 定時制 卒業
職業 元歌手・女優、ジュエリーブランドのプロデューサー
肩書 元アイドル歌手
活動期間 1982年 - 1990年
代表的な実績 デビュー曲「妖精時代」(1982年)、「ゆ・れ・て湘南」、「もっと接近しましょ」、「愛の呪文」、NHK紅白歌合戦出場(1985年・第36回)、『ザ・ベストテン』8曲ランクイン
受賞 1982年の各音楽祭で新人賞
事務所 芸映プロダクション(現役当時)
別名 薬丸秀美
その他 「花の82年組」の一人。西城秀樹の「2代目の妹」


概要[編集]

石川秀美(いしかわ ひでみ、1966年7月13日 - )とは、愛知県瀬戸市出身の日本の元アイドル歌手・女優である。西城秀樹の「妹」オーディションを経て1982年に「妖精時代」でデビューした「花の82年組」の一人で、「ゆ・れ・て湘南」「もっと接近しましょ」などのヒットを持つ。1990年に元シブがき隊の薬丸裕英と結婚し、芸能界を引退した。

詳細[編集]

西城秀樹の「2代目の妹」[編集]

芸能界入りのきっかけは、1981年夏に西城秀樹の所属事務所・芸映プロダクションが主催した「第2回HIDEKIの弟・妹募集オーディション」である。応募総数は5万5460人。同年12月13日に東京・九段会館で開かれた決戦大会で選ばれた。審査では秀樹本人が強く推したと伝えられている。

第1回の同オーディションから世に出たのは河合奈保子で、石川はそれに続く「2代目・秀樹の妹」という触れ込みでデビューすることになった。1982年3月、地元の中学校を卒業すると同時に上京している。

この「兄妹」の縁は引退後も切れなかった。1990年の結婚の際、秀樹は薬丸に「俺の妹を泣かしたら、ただじゃおかないぞ」と釘を刺したという。薬丸本人が2018年に明かしたエピソードである。

激戦の「花の82年組」[編集]

1982年4月21日、松本隆作詞・小田裕一郎作曲の「妖精時代」でRVCからデビューした。この年は早見優、松本伊代、堀ちえみ、小泉今日子、三田寛子、中森明菜、つちやかおり、そしてシブがき隊などが一斉にデビューし、のちに「花の82年組」と呼ばれる当たり年になった。

同期のライバルがひしめく中で、石川の持ち味は「健康的」「元気」路線だった。中学時代はバスケットボール部で県大会に出場したほどのスポーツ少女で、50メートル走7秒4の俊足。芸能人運動会でも活躍し、健康的な美脚もトレードマークになった。

2作目の「ゆ・れ・て湘南」(作詞:松本隆、作曲:小田裕一郎)は、夏らしい爽やかなアイドルポップとして今も彼女の代表曲に挙げられる。2026年の報道でも、石川の紹介は決まって「ヒット曲『ゆ・れ・て湘南』で知られる」から始まっている。

「もっと接近しましょ」と路線の転換[編集]

デビュー当初は小田裕一郎作曲の清純派ポップスが中心だったが、やがて路線を変えていく。シンガーソングライターの松宮恭子が作詞・作曲を手がけた「Hey!ミスター・ポリスマン」「ミステリーウーマン」「愛の呪文」といったアップテンポのダンスナンバーで、アイドルとしての存在感を強めた。

中でも作詞SHOW・作曲黒住憲五の「もっと接近しましょ」は、ノリのいいダンスビートの一曲で、石川の代名詞的なナンバーとなった。後年は芹澤廣明、林哲司、加藤和彦、MICHAEL KORGENら多彩な作家の曲を歌い、アルバム曲では本人が作詞を手がけた「Quarter Back」もある。

『ザ・ベストテン』と紅白[編集]

人気の目安となったTBSの『ザ・ベストテン』には、1983年から1985年にかけて8曲が計16週ランクインした。最高位は「ミステリーウーマン」と「愛の呪文」の7位である。アルバムでは3作がオリコンのベスト10入りし、1983年の『16・祭』が週間4位を記録した。

1985年の第36回NHK紅白歌合戦には「愛の呪文」で初出場。それも紅組のトップバッターという大役で、白組の同じ枠で歌ったのは同じく初出場の吉川晃司(「にくまれそうなNEWフェイス」)だった。この回にはのちの夫・薬丸のいるシブがき隊も出場しており、「スシ食いねェ!」を歌っている。紅白出場はこの1回となった。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

生後2歳半で父の故郷である愛知県瀬戸市に移り、同市で育った。地元の小中学校で学んだ。父は航空自衛官だったが、石川が小学4年生の夏に交通事故で急逝し、その後は母の手で育てられた。

上京後は、多くのアイドルが通った明治大学付属中野高等学校の定時制に進み、芸能活動と両立しながら卒業している。同期のつちやかおりも同じ定時制の卒業生である。

アイドル時代(1982年〜1986年)[編集]

デビュー年の1982年には各音楽祭で新人賞を獲得。以後、「ゆ・れ・て湘南」「めざめ」「涙のペーパームーン」など小田裕一郎作品を中心にシングルを重ね、1983年にはファーストアルバム『16・祭』を発表した。

続いて「Hey!ミスター・ポリスマン」「もっと接近しましょ」「愛の呪文」などのダンス路線で人気のピークを迎え、前述の紅白初出場につながった。歌番組のほか、ラジオではTBSラジオ『るんるんナイト コサラビワオ!』(1983年)、ニッポン放送『石川秀美 みんとくらぶ』、文化放送『秀美と田代のひっかけナイト』、地元・東海ラジオ『石川秀美のさわやかジョッキー』などを担当した。

女優業へのシフト(1984年〜1990年)[編集]

歌手活動と並行して女優としての仕事も増えていった。1984年にはフジテレビの月曜ドラマランド『新・翔んだカップル』で山葉圭役を演じ、1985年には同局の新春ドラマスペシャル『化粧』に出演。1987年から1988年にかけてはテレビ朝日の刑事ドラマ『ベイシティ刑事』に河合あゆみ役でレギュラー出演した。

1989年にはTBSの「ドラマ23」枠『東京ホテル物語』で風子役、1990年には花王愛の劇場『おむこさん』に出演している。音楽面でも1988年のアルバム『Private nude』、1989年の『PRECIOUS』など、大人の女性像を打ち出した作品を発表した。

結婚と引退(1990年)[編集]

1990年6月4日、シブがき隊の元メンバー・薬丸裕英との婚約を記者会見で発表し、同時に妊娠6か月であることも公表した。4日後の6月8日に入籍。同年10月には長男が誕生している。

当初は出産に伴う「活動休止」とされていたが、出産後も復帰することはなく、そのまま事実上の引退となった。トップアイドル同士の結婚は当時大きく報じられ、2人は「元祖アイドル夫婦」と呼ばれるようになる。

引退後(1990年代〜2010年代)[編集]

引退後は家庭に専念し、3男2女の5人の子どもを育てた。表舞台に出ることはまれだったが、1995年のライオン「スパーク」では夫婦でCMに出演。2010年には資生堂「IN&ON」のCMで、伊藤つかさ・荻野目洋子・河合その子という80年代アイドル仲間と共演し話題になった。2012年には「ほけんの窓口」のCMにも登場している。

2013年、長女のハワイの大学進学をきっかけに、下の子とともにアメリカ合衆国ハワイ州へ生活の拠点を移したと報じられた。2014年には自身のジュエリーブランド「ALOHILANI(アロヒラニ)」を立ち上げ、現地のホテル内ショップやネット通販で販売している。薬丸の勧めで始めた仕事で、デザイン画から商品化まで夫婦で協力しているという。2019年の取材には「今はお客さまを輝かせることが仕事です」と語った。

2015年6月8日、結婚25周年の銀婚式に合わせて、それまで挙げていなかった結婚式を挙げた。

西城秀樹との別れ(2018年)[編集]

2018年5月、「兄」である西城秀樹が63歳で死去した。石川はハワイから帰国し、5月26日の告別式に夫とともに参列。薬丸は報道陣に対し、妻が大きなショックを受けながらも秀樹への感謝を口にしていたことを伝え、ブログには会場でヒット曲のメドレーを聴きながら涙を流していたとつづった。

人物[編集]

  • 子どものころからの運動好きで、アイドル時代は運動会番組の常連。俊足とスタミナは「82年組」の中でも有名だった。
  • 引退後は料理上手としても知られ、薬丸のブログにはしばしば妻の手料理が登場する。2024年11月にはハワイで作ったタコライスや、来客をもてなす牛のたたきが紹介された。
  • 夫婦仲の良さは結婚から30年以上たっても健在で、薬丸は毎年6月8日の結婚記念日にツーショットを公開するのが恒例になっている。2024年の34回目の記念日には「いつもありがとう」とつづった。
  • 2014年には薬丸がブログで「久しぶりのスッピンで水着」の妻の写真を公開し、アイドル時代の水泳大会を思い出したファンから反響が寄せられた。

主な作品[編集]

主な楽曲[編集]

曲名 作詞 作曲 備考
妖精時代 松本隆 小田裕一郎 デビュー曲(1982年4月21日)
ゆ・れ・て湘南 松本隆 小田裕一郎 2作目。代表曲
めざめ クロエジュン 小田裕一郎
涙のペーパームーン 麻木かおる 小田裕一郎
Hey!ミスター・ポリスマン 松宮恭子 松宮恭子 ダンス路線の起点
もっと接近しましょ SHOW 黒住憲五 代名詞的ナンバー
ミステリーウーマン 松宮恭子 松宮恭子 『ザ・ベストテン』最高7位
愛の呪文 松宮恭子 松宮恭子 『ザ・ベストテン』最高7位、紅白歌唱曲
あなたとハプニング 安井かずみ 加藤和彦
サイレンの少年 〜遠くで抱きしめて〜 売野雅勇 芹澤廣明
熱風 鈴木博文 林哲司

オリジナルアルバム[編集]

  • 『16・祭』(1983年5月1日)- オリコン週間最高4位
  • 『セミ・スイート』(1983年12月21日)
  • 『サマー・ブリーズ』(1984年7月21日)
  • 『シークレット』(1984年12月5日)
  • 『ハプニング』(1985年6月15日)
  • 『I』(1985年12月18日)
  • 『PASTICHE』(1986年7月21日)
  • 『BLANCHE』(1986年12月5日)
  • 『シュール』(1987年7月13日)- 21歳の誕生日に発売
  • 『Private nude』(1988年10月5日)
  • 『PRECIOUS』(1989年10月21日)

テレビドラマ[編集]

  • 『新・翔んだカップル』(1984年、フジテレビ)- 山葉圭 役
  • 『化粧』(1985年、フジテレビ)
  • 『すてきな三角関係 壁際族に花束を』(1987年、TBS)
  • 『ベイシティ刑事』(1987年 - 1988年、テレビ朝日)- 河合あゆみ 役
  • 『東京ホテル物語』(1989年、TBS)- 風子 役
  • 『おむこさん』(1990年、TBS)
  • 『若い人』- 江波恵子 役
  • 『女と女・華やかな春』- 森下真紀子 役

主なCM[編集]

  • ニコン(1985年)
  • コーセー「ミクロタッチファンデーション」(1985年)
  • ハウス食品「フルーチェ」(1987年)
  • 花王「ソフィーナ」(1988年)
  • サンデン(1989年)
  • ライオン「スパーク」(1995年、薬丸裕英と共演)
  • 資生堂「IN&ON」(2010年)
  • ほけんの窓口(2012年)

紅白歌合戦[編集]

年 回 曲目 備考
1985年 第36回 愛の呪文 初出場。紅組トップバッター、対戦相手は吉川晃司

司会は紅組が森昌子、白組が鈴木健二。同じ回にはシブがき隊も出場しており、のちに夫婦となる2人が同じ大みそかのステージに立っていた。

家族[編集]

薬丸裕英との結婚[編集]

夫の薬丸裕英は、シブがき隊の「ヤックン」として同じ1982年にデビューした同期である。結婚後、薬丸は1996年から約17年半にわたってTBS『はなまるマーケット』の司会を務め、「朝の顔」として主婦層の人気を集めた。

石川がハワイに拠点を移してからは、薬丸が日本での仕事を続けながら週末などにハワイを訪れる「行き来」の生活が続いていると報じられている。逆に石川が一時帰国する際には、薬丸が出迎える様子をブログで報告している。

芸能活動をする子どもたち[編集]

2人の間には3男2女がいる。このうち公に芸能活動をしているのは2人である。

長男の薬丸翔は1990年10月生まれで、2007年に「SHO」の名で俳優デビューした。現在は本名の薬丸翔で活動し、映画『聖地X』(2021年)、『PLAY! 〜勝つとか負けるとかは、どーでもよくて〜』(2024年)などに出演している。

長女の薬丸玲美(REMI)は1996年生まれ。ハワイの大学を卒業後、日本でタレント活動を始め、DJとしても活動している。

最新動向[編集]

2024年[編集]

4月、加藤茶とハワイで再会したことが報じられた。かつて『8時だョ!全員集合』で共演して以来、34年ぶりの再会だったという。

6月8日には34回目の結婚記念日を迎え、薬丸がブログで寄り添う夫婦のツーショットを公開した。11月には一時帰国し、「花の82年組」の同期会に夫婦で参加。薬丸は「集まるとエンドレストーク」と同期の仲の良さを伝えている。同月下旬には、ハワイでのドライブデートや、つんく♂夫妻を招いたホームパーティーの様子もABEMAのニュースサイトで取り上げられた。

2025年[編集]

4月、ハワイで開かれた長女と三男の誕生日パーティーに、つんく♂や池畑慎之介が参加したことが報じられた。池畑のブログに石川の姿が写り、ファンからは「懐かしい秀美さん登場!」といった声が上がった。

2026年[編集]

2月、薬丸の還暦祝いに同期の三田寛子・松本伊代・早見優が駆けつけ、三田がSNSに集合写真を投稿した。3人は即興で振り付けをつけて歌を披露したという。久々に公の写真に登場した石川について、デイリースポーツは「59歳の透明感」と報じた。

6月に結婚36周年を迎え、7月には夫婦で新幹線に乗り、目当てのナポリタンを食べに行く日帰り旅行を楽しんだことを薬丸がブログで報告している。7月13日には石川自身も60歳の還暦を迎え、三田寛子・松本伊代・早見優ら同期が誕生日を祝った。薬丸は夫婦そろって節目の年を迎え、「人生第二章」をスタートさせると感慨をつづっている。

炎上とバズ[編集]

「透明感エグっ」の近影[編集]

石川は表舞台に出ないため、夫や同期のSNSに写るたびにニュースになる。2026年2月に三田寛子が投稿した集合写真は、デイリースポーツが「うわっ!石川秀美さんだ!」と見出しを打つほどの反響で、59歳とは思えない若々しさが話題になった。

結婚記念日の恒例ショット[編集]

薬丸が毎年公開する夫婦ショットも、各メディアで記事化されるのが恒例。結婚から30年以上たっても腕を組んで写る2人の姿は、そのたびに「元祖アイドル夫婦」の近況として話題になる。

余談[編集]

  • 1985年の紅白では、石川が紅組のトップを務め、同じ回でシブがき隊が「スシ食いねェ!」を歌った。のちの夫婦が同じ年の紅白に出ていたことになる。
  • 「もっと接近しましょ」は、ゲーム『ぺんぎんくんWARS』のBGMに使われた。また、アメリカの歌手・パーカッショニストのシーラ・Eの楽曲に似ていると指摘されることもある。
  • 1988年には「危ないボディ・ビート」が香港の歌手ヴィヴィアン・チョウ(周慧敏)によって広東語でカバーされた。
  • アルバム『シュール』の発売日は1987年7月13日で、石川の21歳の誕生日当日だった。
  • 夫婦は2人とも1966年生まれで、2026年に相次いで還暦を迎えた。薬丸は2月、石川は7月である。

外部リンク[編集]

  • 本人名義の公式サイト・公式SNSは確認されていない。近況は夫・薬丸裕英のブログやSNSで伝えられることが多い。

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