Imokin Trio
いもきんとりお
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「ハイスクールララバイ」ヒットから45周年を迎えたイモ欽トリオの3人(2026年8月。出典:デイリースポーツonline)
出身地 『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)
国籍 日本
職業 音楽ユニット(バラエティ番組発の企画ユニット)
活動期間 1981年 - 1983年(音楽活動)、2014年頃 - (再集結)
代表的な実績 デビュー曲「ハイスクールララバイ」(1981年)が累計約160万枚のミリオンセラー、オリコン週間1位7週連続・1981年度年間4位、『ザ・ベストテン』8週連続1位
関連活動 山口良一(ヨシオ)、西山浩司(ワルオ)、長江健次(フツオ)
あだ名 イモ欽
その他 レーベル:フォーライフ・レコード/プロデュース的役割:萩本欽一


概要[編集]

イモ欽トリオ(いもきんとりお)とは、萩本欽一のバラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系、1981年)から生まれた3人組ユニットである。メンバーは山口良一(ヨシオ)、西山浩司(ワルオ)、長江健次(フツオ)。松本隆作詞・細野晴臣作曲のデビュー曲「ハイスクールララバイ」が約160万枚の大ヒットとなり、「テクノ歌謡」の代表曲として今も語り継がれている。

詳細[編集]

番組の「息子たち」がそのままユニットに[編集]

1981年4月6日、フジテレビ系で毎週月曜21時から『欽ドン!良い子悪い子普通の子』がスタートした。萩本欽一が父親役を務め、視聴者から投稿されたネタをもとに、息子たちとの掛け合いで笑いをとる家庭コントが看板コーナーだった。その「良い子」ヨシオを山口良一、「悪い子」ワルオを西山浩司、「普通の子」フツオを長江健次が演じた。

番組開始からほどなく、この3人がそのまま組んだのがイモ欽トリオ。結成は1981年4月とされ、番組開始から4か月目の8月5日に「ハイスクールララバイ」でレコードデビューしている。番組から生まれた企画ユニットの「元祖」的存在と紹介されることも多い。

名前の由来は「たのきん」+「YMO」[編集]

ユニット名は、当時人気絶頂だったアイドルグループ「たのきんトリオ」と、テクノポップで一世を風靡したYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)にあやかったもの。「YMO」を「イモ」と読ませるアイデアは萩本欽一によるものとされる。「欽」はもちろん萩本の欽ちゃんから。

長江はのちに「たのきんトリオよりイモ臭いから」という趣旨の発言もしており、田舎っぽさを自虐的に笑いに変えるネーミングだった。とはいえ人気は本物で、2015年の日刊ゲンダイの記事では「たのきんトリオより人気があった」とまで書かれている。

企画ものとしては異例のミリオン[編集]

「ハイスクールララバイ」はオリコン週間チャートで7週連続1位、1981年度の年間ランキングでは4位を記録。累計160万枚のミリオンセラーとなった。TBSの『ザ・ベストテン』では8週連続1位を獲得し、1981年9月17日放送回は同番組の瞬間最高視聴率41.7%を記録、その日の1位がまさにこの曲だった。

さらに、オリコン1位を獲った翌週には、番組自体が初めて視聴率30%を突破したとされる。曲をきっかけに番組を見る層が広がり、「歌と番組の相乗効果」はその後、『欽ちゃんのどこまでやるの!』のわらべや『欽ちゃんの週刊欽曜日』の風見しんごにも受け継がれていった。

活動期間はわずか約1年半[編集]

爆発的なヒットとは裏腹に、オリジナルメンバーでの活動期間は約1年半と短い。1982年9月27日の放送を最後に長江が大学受験を理由に番組を降板し、トリオから離れた。その後2代目フツオを経て、3代目フツオは一般公募で選ばれるという異例の展開をたどる。

音楽活動は1983年1月1日発売の3rdシングル「ティーンエイジ・イーグルス」を最後に事実上凍結。以降、番組外でのユニット活動は長く途絶えたが、2010年代に入って3人が再び集まり、2020年代には全国ツアーを回るまでになっている。

メンバー[編集]

名前 番組での役 生年月日 主な経歴
山口良一(やまぐち りょういち) ヨシオ(良い子) 1955年3月27日 広島県広島市出身。劇団東京ヴォードヴィルショー所属の俳優
西山浩司(にしやま こうじ) ワルオ(悪い子) 1961年1月10日 萩本欽一の弟子として欽ちゃんファミリー入り。俳優
長江健次(ながえ けんじ) フツオ(普通の子) 1964年7月17日 大阪府を拠点に活動。メインボーカル担当

山口良一(ヨシオ)[編集]

最年長のメンバー。広島県広島市の出身で、旧広島市民球場近くの市営住宅で育った。広島市立広島工業高校の建築科に在学中は落語研究会に所属し、落語家を志していたという。高校卒業後は呉服店勤務を経て1974年に上京、東映の俳優養成所を経て1979年に佐藤B作率いる劇団東京ヴォードヴィルショーに入団した。

番組では「誕生日不詳の謎の高校生」というふれこみで、バック転を武器にした優等生ヨシオを演じた。メガネに青の学ランというスタイルがトレードマーク。視聴者から実年齢の問い合わせが殺到し、のちに番組内で年齢と既婚であることが明かされた。実は1981年に劇団の女優と結婚しており、「高校生役の既婚者」だったことになる。

その後は1982年から『オールナイトニッポン』のパーソナリティを担当し、テレビ東京『クイズところ変われば!?』(1987〜2000年)の司会、大河ドラマ『平清盛』(2012年)など俳優としても息の長い活躍を続けている。

西山浩司(ワルオ)[編集]

リーゼント頭の不良少年・ワルオ役。中学生時代に日本テレビの『スター誕生!』の「欽ちゃんと遊ぼうコーナー」で5週連続チャンピオンとなり、高校2年生で萩本欽一に弟子入り、萩本の家と作家陣のもとで過ごした生粋の欽ちゃんファミリーである。

運動神経は抜群で、TBS『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』には7回出場し、初出場で総合2位。40代になってからは「40代のスプリンター」と呼ばれた。俳優としては1986年に『太陽にほえろ!』へDJこと太宰準刑事役で出演し、石原裕次郎との共演は最終回の1シーンのみだったという。1985年にはソロアルバム『RUSH』も出している。

妻は女優の吉内里美。夫婦で東京都内に18席の小料理店を約14年営んでいたが、2022年5月に建物の建て替えにともない閉店した。同年6月からはポッドキャスト「西山浩司のどこまでワルオなの!?」を毎週木曜に配信している。2026年には30年以上所属した事務所が解散し、人生初のフリーランスとして「新たなスタート」を切った。

長江健次(フツオ)[編集]

最年少メンバーで、イモ欽トリオのメインボーカル。中学時代から地元・大阪の視聴者参加型番組に出演していた素人で、『欽ドン!』のフツオ役で芸能界デビューした。大阪でのオーディションに遅刻した際、即興で桜田淳子のものまねを披露し、出来よりも「すぐに特技を見せる姿勢」を評価されたという。

もっとも東京での次の選考ではすぐに落とされた。当初の配役案はフツオが山口、ヨシオが西山、悪い子役が中原理恵だったが、中原が「良い妻・悪い妻・普通の妻」の三役を兼ねることになり負担を考えて変更に。その結果、スタジオに残っていた長江が萩本によってフツオに選ばれた、という劇的な経緯がある。

脱退後は大阪芸術大学に通いながら、明石家さんまの『MBSヤングタウン』や笑福亭鶴瓶の『突然ガバチョ!』などに出演し、大阪を中心に活動した。現在はライブハウスを中心にソロで音楽活動を行うほか、俳優・DJ・スノーボーダーとしても知られ、2006年のトリノオリンピックではスノーボードのコーチも務めたとされる。

結成とデビューの舞台裏[編集]

長江ソロデビュー案を萩本が却下[編集]

番組で人気が出ると、最年少の長江には複数のレコード会社からソロデビューの話が舞い込んだ。しかし萩本欽一は「絶対にダメ。でも3人でなら」と答え、トリオでのデビューが決まったと、3人は2025年の『週刊女性』のインタビューで振り返っている。

その後、フォーライフ・レコードが熱心に口説き、リリースにこぎつけた。当時のフォーライフは吉田拓郎が社長を務めていた時期にあたる。長江によれば、レコード発売は「突然決まった」という。ジャケット写真は『欽ドン!』のセットの前で撮影され、コントの詰襟学生服バージョンと歌衣装バージョンの2種類が存在する。

松本隆×細野晴臣という豪華布陣[編集]

作詞は松本隆、作曲・編曲は細野晴臣。はっぴいえんど時代の盟友コンビである。松本の詞が先にあり、細野はそのイメージから約30分で曲を書き上げたとされる。イントロはYMOの代表曲「ライディーン」のパロディになっており、「イモ」の名前とあわせて二重のYMOオマージュになっている。

細野自身もこの大ヒットには驚いたとされ、坂本龍一からの評価や、松任谷由実が新聞でこの曲の転調に触れたことにも言及している。この曲をきっかけに、細野は「職業作曲家」としても広く知られるようになった。

「元祖エアーバンド」の振付[編集]

サビの振付は土居甫が担当した。一方、イントロや間奏で楽器を弾くマネをする動きやビンタの振りは、長江のボーカル録りの最中、暇を持て余した山口と西山がスタジオでYMOの演奏を真似てふざけていたものがそのまま採用されたもの。レコーディング当日に細野が拍手の音を入れることを提案した、というエピソードも残っている。

この動きは強烈なインパクトを残し、のちに「元祖エアーバンド」と評されることになった。歌はメインボーカルが長江、山口と西山はコーラスと振付担当という分業スタイルである。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

発売日 タイトル 作詞 / 作曲 備考
1981年8月5日 ハイスクールララバイ 松本隆 / 細野晴臣 デビュー曲。オリコン7週連続1位、1981年度年間4位、累計約160万枚
1982年3月21日 ティアドロップ探偵団 松本隆 / 細野晴臣 2ndシングル
1983年1月1日 ティーンエイジ・イーグルス — 3rdシングル。長江脱退後の作品で、これを最後に音楽活動は凍結

アルバム[編集]

発売日 タイトル 備考
1981年12月5日 ポテトボーイズNo.1 一部を除き全曲の作詞を松本隆が担当。演奏の主体はムーンライダーズ

その後のリリース・収録[編集]

  • 2011年には、同じく萩本欽一の番組から生まれた「わらべ」とのカップリングベスト盤が発売され、「ハイスクールララバイ」「ティアドロップ探偵団」などが収録された。
  • 3作品はMEG-CDからCD-Rでも発売されている。
  • 「ハイスクールララバイ」は『青春歌年鑑1981』や、YMO関連楽曲を集めた『イエローマジック歌謡曲』など、多数のコンピレーションに収録されている。

主なカバー[編集]

「ハイスクールララバイ」は多くのアーティストにカバーされている。ロマンポルシェ。(アルバム『盗んだバイクで天城越え』)、音速ライン(『青春色』)、LITTLE CREATURES(細野晴臣トリビュートアルバム)、SOLEIL(『LOLLIPOP SIXTEEN』)など、ジャンルもさまざま。

アニメ『夏のあらし!〜春夏冬中〜』では、杉田智和らが演じるキャラクターによるカバーが挿入歌として使われた。80年代歌謡の枠を超え、テクノポップ文脈やアニメ文脈でも再発見され続けている1曲である。

番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』[編集]

番組の基本データ[編集]

『欽ドン!良い子悪い子普通の子』は1981年4月6日から1983年9月12日まで、フジテレビ系で毎週月曜21:00〜21:54に放送された。『欽ドン!』シリーズの一作で、1983年9月19日からは後継の『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』(〜1985年5月6日)に引き継がれた。

家庭を模したセットで、父親役の萩本と息子たちが視聴者投稿のネタを演じるのが基本スタイル。ネタが採用された投稿者には番組オリジナルのトレーナーが贈られ、「欽ドン賞」に選ばれた作品は再放送された。

キャラクター設定[編集]

  • ヨシオ(良い子):メガネに青の学ランの優等生。演じるのは山口良一。
  • ワルオ(悪い子):リーゼント頭の不良少年。ただし変形学生服は着ていない。演じるのは西山浩司。
  • フツオ(普通の子):どこにでもいる普通の高校生。初代は長江健次。

ほかに中原理恵が「良い妻・悪い妻・普通の妻」を一人三役で演じ(途中降板)、降板後は島倉千代子や森光子らがゲスト出演した。よせなべトリオによる「良いOL・悪いOL・普通のOL」や、萩本と車だん吉による映画の名場面再現コントなども人気だった。

歴代フツオ[編集]

長江が1982年9月27日に降板すると、2代目フツオには後藤正が起用された。しかし後藤は1983年5月2日に降板し、そのまま芸能界を引退している。

3代目は一般公募で選ばれることになり、1983年5月9日から最終選考に残った沢村雅彦・大野哲也・境田晃一の3人が「フッくん」「ツッくん」「オッくん」として番組に登場。最終的に境田晃一が選ばれ、後継番組『おまけの子』でフツオを務めた。オーディション自体を番組の企画にしてしまうあたり、いかにも欽ちゃん流である。

「二度とやりたくない番組ナンバーワン」[編集]

西山は2025年のインタビューで、『欽ドン!』を「振り返ってみて二度とやりたくない番組ナンバーワン」と語っている。スケジュールが過酷なうえ、毎週ネタを外せないプレッシャーがあったからだという。

長江も、ネタ合わせで萩本に一番叱られたのは自分だったと振り返る。年齢の近い西山には負けたくない気持ちが強く、大阪の高校生だった長江から見て、東京で会った西山は「スター」に見えたそうだ。一方の山口は「当時のことはあまり覚えていない」と話しており、3人の温度差がそのまま笑いになっている。

紅白辞退・脱退・「破門」騒動[編集]

紅白歌合戦を辞退[編集]

大ヒットした1981年、イモ欽トリオにはNHK紅白歌合戦からの出演依頼があったが、萩本欽一の助言で辞退したとされる。西山はのちに、本当は出たい気持ちがあったと明かしている。

2026年8月のデイリースポーツの取材では、長江が「うまくいけば年末の紅白に出られるかも」という趣旨の冗談を飛ばしており、45年越しの紅白はメンバーにとって半ば持ちネタになっている。

長江の脱退と「破門」報道[編集]

長江は約1年半の活動を経て、大学受験を理由に番組とユニットを離れた。ただし2025年の記事によると、大阪で別番組への出演がすでに決まっていたとされ、番組側に断りなく大阪で芸能活動を再開したことで、萩本との関係が気まずくなった。

当時のマスコミには「欽ちゃんファミリーから破門された」と書かれた。長江自身は2015年のインタビューで、当時は「欽ちゃんには頼らへん」と意地になり、「ハイスクールララバイ」は二度と歌わない、「フツオ」も使わないと決めていたと告白。今ではその頃の自分を「ひとりで強がってただけ」と振り返っている。

その後、長江が関係者に謝罪したことで状況は好転したとされる。2024年には「萩本欽一さんとは多く共演しており、欽ちゃんを崇拝している」とも語っており、わだかまりは過去のものになっている。西山は長江の離脱について「受け入れるしかなかった」と振り返っている。

再集結と現在の活動[編集]

長らく断り続けた「再結成」[編集]

長江によれば、再結成の話が持ち上がっても「ずっと断ってきた」という。2007年の『24時間テレビ』(日本テレビ)では「ハイスクールララバイ」が披露されたが、このときは山口の代わりに勝俣州和が加わった。

流れが変わったのは2014年。神戸市で行われた長江の生誕50周年ライブに山口と西山がゲスト出演し、イモ欽トリオが集結した。「結成35年目の初ライブ」として話題となり、チケットは即完売したという。西山は2012年に「ワルオバンド」を結成しており、2014年以降は折に触れてイモ欽トリオとしてもステージに立つようになった。

風街レジェンドと40周年[編集]

2015年には神戸のライブハウス・チキンジョージでイモ欽トリオ名義のライブを開催。同年8月21日・22日に東京国際フォーラム ホールAで行われた松本隆の作詞活動45周年記念コンサート『風街レジェンド2015』にもオリジナルメンバー3人で出演し、「ハイスクールララバイ」を披露した。

2021年には結成40周年を記念してYouTubeで楽曲を公開し、松本隆の作詞活動50周年記念コンサート『風街オデッセイ2021』(日本武道館)にも出演している。

初の全国ツアー(2022年)[編集]

2022年夏、イモ欽トリオは初の本格的な全国ライブツアーを敢行。東京や大阪など10会場がほぼ完売となった。活動期間わずか約1年半のユニットが、40年以上を経て初めて全国を回るという異色の展開である。

西山はこのころ「3人の関係は今が一番いい」と語っており、以後このフレーズはイモ欽トリオを語るときの定番になっている。

コント舞台「更地にイモ欽」[編集]

2024年7月12日〜18日には、神戸市のチキンジョージで長江の還暦記念公演「大森カンパニープロデュース 更地にイモ欽Special」を開催。東京ヴォードヴィルショーの大森ヒロシが演出する10本以上のオムニバス形式の「大人のコント」で、山口と西山も共演した。長江は「ハイスクールララバイ」について「普通には歌わない」と予告し、60歳の誕生日を前に「今も集まれていることに感謝」と語っている。

2026年9月9日〜16日には、東京都の下北沢小劇場B1で「更地にイモ欽そして歌〜更地23〜」に出演。3人がこのシリーズに出るのは3度目で、約10本のコントに登場した。

古希ツアーから45周年へ[編集]

2025年には山口良一の古希を記念したライブツアーが全国7か所で行われ、長江も参加した。ライブの歌はリハーサルをするものの、トークはほぼフリー。山口は「ついてこい」と言えるようなパワーはもうない、と気負わず楽しんでもらうスタンスを語っている。

2026年は「ハイスクールララバイ」の大ヒットから45周年。7月には全国ツアーを行い、9月1日にはNHK総合『うたコン』への出演も報じられた。2026年夏時点で山口71歳、西山65歳、長江62歳、平均年齢66歳。山口は体が続く限りツアーを続けたいと語り、西山は80歳記念ツアーを提案、長江はバーの周年記念のように何かとツアーの口実を見つけようと応じている。

炎上とバズ[編集]

札幌駅で「イモ欽ドッグ」誕生[編集]

2026年7月、全国ツアーで北海道を訪れていた西山は、札幌駅のホームで、同じく札幌公演に来ていたハウンド・ドッグのベース・鮫島とギター・八島にばったり遭遇。西山はInstagramに「なんと!札幌駅のホームでハウンドドッグ八島さん鮫島さんと遭遇」と投稿し、5人の写真に「イモ欽ドッグ」という即席ユニット名をつけた。

写真では鮫島と長江が並んでサムズアップ。ファンからは「すごい偶然」「お元気そうでうれしい」「同じステージで共演してほしい」といった反応が寄せられ、ネットニュースにも取り上げられた。なお西山は、その数日前に八島と飲みに行ったばかりだったという。

余談[編集]

  • ヨシオ役の山口は「誕生日不詳の謎の高校生」として登場したが、実際には1955年生まれで、1981年には劇団の女優と結婚している。視聴者から年齢の問い合わせが相次ぎ、番組で明かされることになった。
  • 長江は初回放送後に届いた7通のファンレターすべてに返事を書いたところ、その後ファンレターが急増。翌年のバレンタインには見たこともない量のチョコレートが届いたという。同級生からは「キャーキャー言われるなんて気持ち悪い」と冗談まじりに言われたとか。
  • オーディション後、まだ採用も決まっていないうちに、西山が階段の踊り場で山口に握手を求め「これから一緒にやりますね。よろしく!」と声をかけたという。山口は「これが芸能人か」と強く印象に残ったと語っている。
  • 当時のフォーライフ・レコードは本作や漫才ブームに乗った「恋のぼんちシート」(ザ・ぼんち)などのヒットを出したが、「アーティスト主導のレコード会社」という設立理念から離れたとされ、1982年に社長が交代している。
  • 「ハイスクールララバイ」のヒットで生まれた「番組発ユニットの歌が番組視聴率を押し上げる」という成功パターンは、わらべや風見しんごへと受け継がれ、80年代の欽ちゃん番組の黄金期を支えたとされる。

外部リンク[編集]

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