Toshikazu Fukawa
ふかわ としかず
f_20115912.jpg
ABEMAの密着企画「NO MAKE」で離婚の真相を語った布川敏和(2026年3月。出典:デイリースポーツ)
本名 布川敏和
誕生日 1965年8月4日
年齢 61歳
出身地 神奈川県川崎市
国籍 日本
家族 元妻・つちやかおり(1991年結婚、2014年離婚)、1男2女(長男は俳優の布川隼汰、長女はモデルの布川桃花)
身長 171cm
血液型 B型
学歴 東京実業高校 入学、明治大学付属中野高校(定時制)に編入後 中退
職業 タレント、俳優、歌手
肩書 元シブがき隊
活動期間 1980年頃 -
代表的な実績 シブがき隊「NAI・NAI 16」「スシ食いねェ!」、第24回日本レコード大賞最優秀新人賞(グループとして)、『2年B組仙八先生』、『ウルトラマンダイナ』コウダ・トシユキ副隊長役、ソロシングル「そば食いねぇ!」
受賞 日本レコード大賞最優秀新人賞(1982年、シブがき隊として)
事務所 Fdce(2020年11月 - )
関連活動 シブがき隊
別名 ふっくん布川
あだ名 フックン、フッくん
その他 アメーバブログ「ふっくんの日々是好日」
リンク Instagram(@fukawatoshikazu)


概要[編集]

布川敏和(ふかわ としかず)とは、神奈川県川崎市出身の日本のタレント・俳優・歌手で、薬丸裕英・本木雅弘とともに1980年代のアイドルグループ「シブがき隊」で活躍した「フックン」である。1965年8月4日生まれ。グループ解隊後は俳優・バラエティタレントとして活動を続け、現在はブログやSNSで孫や愛犬との日常を発信している。

詳細[編集]

友だちの応募で始まった芸能人生[編集]

芸能界入りのきっかけは、本人ではなく友人だった。中学3年生のころ、仲の良い友人がジャニーズJr.募集の広告が載った週刊誌を持ってきて、自分の写真と一緒に布川の写真も送ってしまったのである。当の布川は「ジャニーズJr.」が何なのかもよく知らなかったという。

その後、ジャニー喜多川から友人のもとに直接電話があり、テレビ朝日のリハーサル室に呼ばれた。面接のあとJr.たちに混ざって踊ってみたところ、その場で合格。15歳ごろのことだった。本人は2015年の週刊女性PRIMEのインタビューで、ジャニーやメリー喜多川への感謝とともに、いちばん感謝しているのはこの友人だと語っている。

いきなり日劇のステージへ[編集]

レッスンに通い始めてまだ2回目というタイミングで、ジャニーから「来週、日劇でたのきんのコンサートに出る」と告げられる。前日の夕方に入って振り付けを覚え、翌日にはもう本番という強行日程だった。幕が上がった瞬間の大歓声、ペンライト、紙テープの雨に全身鳥肌が立ち、「この人たちみたいになるしかない」と思ったという。

素人をいきなり大観衆の前に立たせ、生の歓声で「ああなりたい」と思わせるのがジャニー流の育て方だった、というのが布川の分析である。ちなみに日劇のあとはしばらくレッスンをサボっていたが、テレビで先輩の後ろで踊るJr.の姿を見て焦り、自分から電話をかけたところ、ジャニーは布川たちの連絡先を書いた紙をなくしていた……というオチまでついている。

「せんぱちトリオ」からシブがき隊へ[編集]

ジャニーの指示で受けたのが、TBS『3年B組金八先生』の後番組のオーディション。演技経験ゼロで「受かるわけがない」と思っていたが合格し、1981年放送の『2年B組仙八先生』で本格デビューを果たした。顔合わせで出会ったのが本木雅弘と薬丸裕英で、3人は「せんぱちトリオ」と呼ばれ、たのきんトリオの弟分としてアイドル誌の常連になっていく。

同じ1981年にはテレビ東京の音楽番組『ザ・ヤングベストテン』にも出演し、のちの少年隊や小泉今日子と共演した。これもジャニーに「テレ東行くよ」と言われてその場で決まった仕事だったという。そして1982年5月5日、3人は「シブがき隊」としてシングル「NAI・NAI 16」でレコードデビューする。布川は当時16歳だった。

シブがき隊時代[編集]

名前もあだ名も「ジャニーさん命名」[編集]

グループ名は、当時の流行語「渋い」と、たのきんトリオの前身「悪ガキトリオ」を組み合わせたものとされる。さらに「ヤックン、モックン、フックン」という呼び名もジャニーから告げられたもので、本人いわく「3人とも嫌がった」。それでも布川は2016年の週刊女性のインタビューで「一生、フックンでいこう」と語っており、今ではすっかり代名詞になっている。

デビューイベントはデパートの屋上で行われたが、各地でファンが殺到して混乱し、大阪会場は人が集まりすぎて中止になったという。会場には上沼恵美子が明太子を買いに来ていた、南野陽子が人混みで靴を片方なくした、といった今聞くと豪華すぎる逸話も本人が明かしている。

新人賞と紅白、そして「スシ食いねェ!」[編集]

デビュー曲「NAI・NAI 16」に続き、「100%…SOかもね!」「挑発∞」「アッパレ!フジヤマ」などのヒットを連発。1982年には第24回日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞し、1982年から1986年まで5年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。

1986年の「スシ食いねェ!」は、懐かしの映像特集で今もいちばん流れるシブがき隊の代表曲。この曲の誕生には、布川がバックバンド「シブ楽器隊」のベーシスト・葛口雅行とラップ調の楽曲を作っていたことが関わっているとされる。グループとしては『シブがき隊 ボーイズ&ガールズ』『三等高校生』(ともに1982年)、『ヘッドフォン・ララバイ』(1983年)、『バロー・ギャングBC』(1985年)などの映画にも主演した。

「お試し用」だったという自負[編集]

布川は後年、シブがき隊は事務所にとって「お試し用」で、失敗しても後ろに少年隊や光GENJIが控えている立場だった、と振り返っている。当時はジャニーズのタレントが連続ドラマに出るのは珍しかったが、布川が単独で出たドラマの視聴率が良かったことから、1987年のフジテレビ『あまえないでヨ!』が始まったという。ジャニーが後輩たちに「シブがき隊のトークを盗みなさい」と言っていた、という話も本人が明かしている(ただし「踊りと歌は少年隊」だったそうだ)。

ジャニーズ在籍中には個人のアパレルブランド「Jemmy's」を立ち上げ、解隊まで展開していた。所属タレントの副業が認められた数少ない例とされている。

18歳で「辞めたい」[編集]

華やかなアイドル生活の裏で、布川は18歳のときに一度、事務所に辞めたいと申し出ている。当時は父親の会社を継ぐつもりで、「アイドルは長く続けられるものではない」と考えていたという。事務所側は引き留め、温泉に連れて行って説得したが、結局辞めさせてはもらえなかった。

ちなみに高校は東京実業高校に入学したものの、活動が忙しくなって明治大学付属中野高校の定時制に編入。丸4年通ったが卒業には至らなかった。同級生で親友だったのが、のちの振付師パパイヤ鈴木である。

1988年、解隊[編集]

1988年8月7日、東京厚生年金会館のコンサートで解隊を宣言し、同年11月2日の代々木第一体育館公演をもってシブがき隊は「解隊」した。解散理由は諸説あり、本木が俳優業への関心から申し出たのがきっかけという説や、布川が「アイドルグループは寿命が短い」と考えていたという説が語られている。布川は解隊と同時にジャニーズ事務所を退所し、アンクルエフに移籍した。

解散後の俳優・タレント活動[編集]

ドラマの「主演級」常連に[編集]

解隊前後から俳優業が本格化。1987年の『熱くなるまで待って!』『オレの妹急上昇』(フジテレビ)を皮切りに、TBSの『田舎の王様TOKYOへ行く』(1989年)、『田舎の王子様スキーへ行く!』(1990年)など主演作が続いた。1990年代には『世にも奇妙な物語』、NHKの『私が愛したウルトラセブン』(1993年)、『おばさんデカ 桜乙女の事件帖』シリーズ、『味いちもんめ』(テレビ朝日、1995年)など、連ドラから2時間ドラマまで幅広く出演している。

2000年代以降も『踊る大捜査線』(第6・7話)、電車男、NHK大河ドラマ『利家とまつ』、連続テレビ小説『天花』、『水戸黄門』、『犯罪心理分析官』シリーズなどに出演。バイプレーヤーとしての顔もすっかり定着した。

スーパーGUTSのコウダ副隊長[編集]

特撮ファンにとっての布川といえば、1997年の『ウルトラマンダイナ』(円谷プロダクション)で演じたコウダ・トシユキだ。隊長を補佐してチームを引っ張る人格者で、第34話から正式に副隊長に任命される。撮影当時は自分の子どもがちょうどウルトラマンに夢中な年頃で、よく撮影所に連れて行ってはキャストやスタッフにかわいがってもらったという。

2017年の放送20周年イベントでは、オンエアでコウダの銃から光線が出る場面やガッツイーグルで空を飛ぶ姿を見て感動したこと、今でもDVDで見返すと泣きそうになることを明かした。2022年8月には池袋で開かれた25周年記念「スーパーGUTS スペシャルナイト」にもつるの剛士、木之元亮らと登壇している。劇場版『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ』や『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』(2006年)にも出演し、特撮作品との縁は深い。

映画・監督・プロデュース[編集]

映画では『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)、『デビルマン』、『20世紀少年〈第1章〉終わりの始まり』、『MOON DREAM』(2013年)、『神さま待って!お花が咲くから』(2024年)などに出演。『大怪獣総攻撃』は2026年6月に4Kデジタルリマスター版として再公開されている。

2001年には吉本興業の芸人によるダンスユニット「WEST SIDE」をプロデュースし、2005年には映画『バッシュメント』で原案と初監督を務めた。2008年にはアパレルブランド「To.EARTH」を設立し、売上の一部を団体へ寄付するなど、裏方・実業方面にも手を広げている。

バラエティ・情報番組[編集]

バラエティでは『5時に夢中!』、『朝は楽しく!スマイルサプリメント』、『峰竜太のホンの昼メシ前』、『人生強壮剤キヨブタX』(司会)、『あっぱれ!KANAGAWA大行進』などに出演。ふくしまFMでは「ふっくん布川の光リアル道」というラジオ番組も持っていた。元アイドルらしい軽妙なトークで、ワイドショーのコメンテーター的な役回りも多い。

音楽活動[編集]

22年ぶりのソロデビュー「そば食いねぇ!」[編集]

2010年8月4日、45歳の誕生日かつ芸能生活30周年の記念日に、「ふっくん布川」名義でシングル「そば食いねぇ!」を発表してソロデビューした。タイトルの通り「スシ食いねェ!」のアンサーソングで、シブがき隊解隊から22年ぶりの歌手活動再開となった。

この曲は日本蕎麦協会の公式ソングに認定され、布川は「全国蕎麦大使」にも任命されている。カップリング曲「願晴れ!〜夢に向かって笑顔で羽ばたけ」の作詞は布川自身が手がけた。

主な作品[編集]

  • 「NAI・NAI 16」(1982年、シブがき隊デビュー曲)
  • 「100%…SOかもね!」(1982年、シブがき隊)
  • 「挑発∞」(1983年、シブがき隊)
  • 「スシ食いねェ!」(1986年、シブがき隊)
  • 「そば食いねぇ!」(2010年、ふっくん布川名義ソロ)

著書[編集]

  • 『布川敏和のセーターブック』(1989年)
  • 『パパ、やっつけちゃうぞ! ―フッくんの子育て騒動記』(1996年)
  • 『布川家の防災ミーティング』(2011年)

家族・私生活[編集]

つちやかおりとの結婚[編集]

1991年11月19日、高校時代から交際していたタレントのつちやかおりと結婚し、1男2女をもうけた。布川は後年、26歳で結婚し、27歳で子どもが生まれたころからようやく仕事にまじめに取り組むようになったと語っている。子育て本『パパ、やっつけちゃうぞ!』を出すなど、「芸能界のおしどり夫婦」「子煩悩なパパ」のイメージが長く定着していた。

長男の布川隼汰は俳優で、映像制作会社「Fdce」を設立。布川自身も2020年11月16日にFdceへ移籍しており、息子が社長の事務所に父が所属するという珍しい形になっている。長女の布川桃花はモデルとして活動している。

2014年の離婚[編集]

2013年8月には、つちやが週刊誌で夫婦仲を語った記事が「離婚」を含む見出しで報じられ、夫婦連名で否定のファクスを送る騒ぎになった。しかし2014年春、つちやをめぐる週刊誌報道をきっかけに5月に別居を明かす会見を開き、6月に協議離婚の成立を公表した。

同年10月のイベントでは「(つちやの)ブログを見る限り彼女も楽しそうだし、僕も幸せ。結果的にいい離婚だった」と話し、復縁は否定。離婚後も電話で話すことがあるといい、その距離感を「他人とも友人とも言い切れない、親戚のような感じ」と表現した。

「俺がダメだった」[編集]

2026年3月、ABEMAの密着企画「NO MAKE」に出演し、離婚の真相をあらためて語った。原因については、妻への感謝が当たり前になってしまい、家事や子育てを担う大変さへの細かい気遣いができなかったと自己分析し、「俺がダメだった」と反省を口にしている。番組では長男の隼汰も出演し、「基本的には優しいお父さんでしたね」「めちゃめちゃいいパパって感じ」と語る一方、夫婦げんかの最中に子どもとして気を遣っていたことも明かし、布川は「可哀想な思いをさせた」と後悔をにじませた。

現在の元妻との関係は良好で、紅ショウガをおすそ分けし合うような間柄だと笑って話した。2026年8月には、つちやのInstagramで、子どもや孫に囲まれて2人の合同バースデーを祝う家族写真が公開され、「幸せいっぱいですね」と反響を呼んだ。

じぃじになったフックン[編集]

2021年に初孫が誕生し、その後も孫が増えている。お食い初めに仕事で参加できず、代わりに愛犬が「出席」した写真をブログに載せたり、孫の誕生を「狂喜乱舞」と喜んだりと、ブログはすっかり「じいじ」の顔である。

薬丸裕英との関係[編集]

「不仲説」の真相[編集]

シブがき隊の3人は解隊後、表立った交流がほとんどなく、とくに布川と薬丸裕英は「犬猿の仲」と噂されてきた。2014年12月、布川は読売テレビの『上沼・高田のクギズケ!』でこの不仲説を認め、「17歳のころは仲良かった」が18歳ごろから関係が悪くなったと告白した。

きっかけは夜遊び。ディスコに行ける年齢になり、本木と六本木で遊んでいた布川が、デビューしたばかりのチェッカーズや吉川晃司らと一緒にいたところ、薬丸に「ライバルと遊ぶな」と本気で怒られたという。布川は「他のグループのほうがかっこいいんだから仕方ない」と夜遊びをやめず、その後は「仲が悪いというより性格が合わなかった」と振り返っている。

「連れション」で約20年ぶりの再会[編集]

2008年、日本テレビ系『オジサンズ11』の収録で薬丸と数年ぶりに顔を合わせた。収録前にトイレで偶然会い、ブログで「約20年ぶりの連れション」と報告。5人目の子どもを授かったばかりの薬丸に祝福の言葉をかけ、不仲説は「ネタ」、15歳から24歳まで一緒に過ごした「戦友」だとつづった。なおこの収録中、布川はアクシデントであばらを強打し「左肋軟骨損傷」で全治1か月と診断されている。

2013年の48歳の誕生日には、薬丸からLINEで「エンジョイしてもいいけど…世間を騒がせないでね」とツッコミ交じりの祝福が届き、布川が「了解」と返したやりとりをブログで公開した。

3人そろうことは…[編集]

2017年、SMAPメンバーの退所が話題になった際に『とくダネ!』のVTRで、シブがき隊には「解散して5年たったら3人で飲もう」という約束があったが果たされていないと明かした。「2人での共演はたくさんあるけれど、3人揃ったことは一度もない」とし、ファンの熱気に応える覚悟が固まらなければ再結成すべきではない、という持論を語っている。毎年5月5日のデビュー記念日にはブログで当時の写真を公開し、ファンへの感謝を伝えるのが恒例になっている。

最新動向[編集]

還暦で「家族の家」を手放す[編集]

還暦を迎えたタイミングで長年の家を手放し、「90%断捨離して、10%だけ新居に持ってきた」と語っている。2025年の父の日には娘たちからの合同プレゼントに「最高な親孝行やねぇ~」と喜ぶ様子をブログで報告した。

2026年3月の「NO MAKE」では、現在は一人暮らしで愛犬との散歩が日課、外でぼーっと座っている時間が好きだと話し、仕事は半分ほど断っていると明かした。生きがいは孫と犬だという。

30年ぶりの植草克秀と共演[編集]

2025年8月には、Instagramで少年隊の植草克秀との2ショットを公開。同年9月8日放送の『ネプリーグSP』(フジテレビ)での共演を告知した。最初は「40年ぶり」と書いたが、『フレンドパーク』で一緒だったことを思い出して「30年ぶり」と訂正し、BGMに少年隊の「デカメロン伝説」をつけるあたりがフックンらしい。

5年ぶりの免許更新[編集]

2026年7月には、5年ぶりに運転免許を更新したことをInstagramで報告し、新旧2枚のゴールド免許を並べた写真を公開した。ファンからは「若返ってますね」「ゴールド素晴らしい」といった声が寄せられている。車好きで知られ、愛車にはワンオフのパーツを取り付けているという。

SNS・ネットでの発信[編集]

長年続けているアメーバブログ「ふっくんの日々是好日」のほか、Instagram、X、Threadsでも近況を発信している。内容は孫や愛犬、食べ物の話題が中心で、カップヌードルの「パクチー香るトムヤムクン」をネットで箱買いしたことがニュースになったこともある。2026年10月時点で、本人名義のYouTubeチャンネルの活動は確認できず、発信の軸はブログとSNSである。

炎上とバズ[編集]

2013〜2014年の離婚報道[編集]

2013年8月、つちやが週刊誌で夫婦仲について語った記事に「離婚」の文字が躍り、夫婦連名で否定ファクスを出す騒ぎに。翌2014年には週刊誌報道を受けて別居会見、協議離婚と続き、ワイドショーで連日取り上げられた。離婚後には薬丸が、つちやの「大切な方」という発言に納得がいかないとテレビでコメントしたことも報じられている。

踏切事故[編集]

2013年6月12日、布川の乗ったタクシーが東京都大田区の踏切で電車と接触する事故が起きた。原因は運転手の遮断機の見落としとされ、布川は首に軽傷を負ったものの大事には至らなかった。

免許証公開で「若返ってる」[編集]

2026年7月の免許更新報告では、5年前の写真より新しい写真のほうが若く見えると話題に。60代になってからの近影がたびたびネットニュースになる、根強い人気を見せている。

余談[編集]

  • デビュー時に告げられた「フックン」というあだ名は3人とも嫌がっていたが、35周年を前に本人は「一生、フックンでいこう」と宣言している。
  • 2016年の取材には、シブがき隊時代に流行した「セーラーズ」のスタジャンを着て登場。「おニャン子クラブより前、17歳から着ていた」とのこと。
  • アロハシャツのコレクターとして知られる。
  • 2013年の誕生日には、横浜赤レンガ倉庫の野外イベント「ウクレレ・ピクニック」にふらりと訪れたところステージに呼ばれ、約3000人がウクレレを弾きながらバースデーソングを歌ってくれたという。
  • 明大中野時代の同級生パパイヤ鈴木とは今も親友で、2014年のイベントには2人そろって登場し、少年隊や中森明菜、近藤真彦らとのアイドル時代の思い出話で盛り上がった。
  • ジャニーは新人をいきなり大舞台に放り込んで「やる気」を引き出すタイプだった、というのが布川の持論。本人がまさにその第1号的な体験をしている。

外部リンク[編集]

💬 みんなの声

この記事を読んだ人が、ひとことつぶやく場所です。