秋吉久美子
あきよし くみこ / Kumiko Akiyoshi
本名 小野寺久美子
誕生日 1954年7月29日
年齢 72歳
出身地 静岡県富士宮市生まれ、福島県いわき市育ち
国籍 日本
学歴 福島県立磐城女子高等学校卒業、早稲田大学大学院公共経営研究科修了(2009年、公共経営修士)
ジャンル 映画、テレビドラマ、司会、エッセイ、詩、作詞、シャンソン
活動期間 1972年 -
デビューアルバム 1972年 映画『旅の重さ』(松竹、本名で出演)
家族 長男(1979年生まれ、2015年死去)
身長 / 体重 162cm cm / ― kg
血液型 O型
事務所 オフィスakiyoshi.k(合同会社秋吉)
代表作 『赤ちょうちん』、『妹』、『バージンブルース』、『あにいもうと』、『挽歌』、『八甲田山』、『の・ようなもの』、『男はつらいよ 寅次郎物語』、『異人たちとの夏』、『深い河』、『透光の樹』
関連活動 詩集・エッセイの執筆、作詞、NHK『思い出のメロディー』司会、詩誌『ココア共和国』「秋吉久美子賞」審査員
あだ名 クミコ、シラケ女優
その他 ブルーリボン賞主演女優賞(1976年)・助演女優賞、第1回報知映画賞主演女優賞、キネマ旬報賞助演女優賞、日本アカデミー賞優秀主演女優賞、モナコ国際映画祭主演女優賞(2013年)
リンク https://akiyoshikumiko.jp/


概要[編集]

秋吉久美子(あきよし くみこ、1954年7月29日 - )とは、日本の女優である。1974年に藤田敏八監督の『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』で一気にスターとなり、「俳優ってバカみたい」と言い放つ醒めた態度から「シラケ世代の旗手」「シラケ女優」と呼ばれた。『異人たちとの夏』『深い河』などで演技派として評価を固め、50代で早稲田大学大学院を修了した異色の経歴も持つ。

詳細[編集]

ラジオで知ったオーディションから[編集]

出発点は高校3年生だった1972年。福島県いわき市の高校に通っていた彼女は、吉田拓郎がパーソナリティを務めるラジオ番組『パックインミュージック』で、拓郎が音楽を担当する映画『旅の重さ』のヒロイン募集を知る。親に内緒で応募し、主役候補まで残ったが、最終的に主役は遅れてオーディションに来た高橋洋子に決まった。それでも文学少女役として本名の「小野寺久美子」のまま出演することになり、出演料は7万5千円だったという。

この映画出演が響いて大学受験には失敗。地元で浪人していたとき、街頭で上演されていたアングラ演劇「はみだし劇場」に衝撃を受け、劇作家・内田栄一の妻に預けられる形で上京した。この内田夫人が最初のマネージャーとなり、初仕事は赤福餅のCMだった。のちに本人は、母を看取った際に「誇れる娘ではなかった」と感じた理由として、この受験失敗を挙げている。

1974年、藤田敏八三部作で大ブレイク[編集]

1973年撮影の『十六歳の戦争』(松本俊夫監督、公開は1976年)で初主演し、ここから「秋吉久美子」を名乗る。そして1974年、日活で藤田敏八監督と組んだ『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』の3作が立て続けに公開され、無名だった19歳はわずか1年でスター女優になった。この3本はまとめて「藤田敏八三部作」「日活ニュー青春映画三部作」などと呼ばれる。

『赤ちょうちん』はフォークグループ・かぐや姫のヒット曲をモチーフにした作品で、貧しい若いカップルの同棲生活を描く。秋吉はスーパーのレジ係・幸枝を演じ、キネマ旬報ベスト・テンで9位に入った。『妹』では林隆三演じる兄の部屋に転がり込む妹・ねりを、『バージンブルース』では長門裕之演じる中年男と逃避行する女子大生を演じている。いずれも説明しすぎない藤田演出と、秋吉の天真爛漫で投げやりにも見える存在感がかみ合った作品だ。

「シラケ世代の旗手」[編集]

1970年代前半は、学生運動が急速に退潮し、政治にも将来にも熱くなれない若者たちが「シラケ世代」と呼ばれた時代だった。『赤ちょうちん』などをプロデュースした岡田裕は後年、内向きになった若者の空気と、秋吉のあどけなさ、藤田監督の演出がぴたりと重なったと分析している。

本人の言動も「シラケ」そのものだった。取材で「面白くもないのにカメラの前で笑ったり、俳優ってバカみたい」と発言し、「シラケ女優」の異名を頂戴する。『妹』の宣伝番組では、他の出演者が行儀よく受け答えする横で頬杖をつき、まったく別の方向を見ていたという逸話も残る。後年、本人はこの頃の自分を「不器用だったのかな」と振り返っている。

演技派への脱皮[編集]

1976年には『さらば夏の光よ』『あにいもうと』でブルーリボン賞主演女優賞、『あにいもうと』で第1回報知映画賞主演女優賞と毎日映画コンクール女優演技賞を受賞。「時代の気分を体現したアイドル的女優」から、演技で賞を取る女優へと評価が変わっていった。1977年には東宝の大作『八甲田山』にも出演している。

1980年代には森田芳光監督のデビュー作『の・ようなもの』(1981年)で風俗嬢エリザベス役、『ひとひらの雪』(1985年)で不倫に溺れる人妻役を演じ、さらに男はつらいよシリーズ第39作『寅次郎物語』(1987年)のマドンナも務めた。そして1988年の大林宣彦監督『異人たちとの夏』で、亡くなったはずの母親役を演じ、キネマ旬報賞など助演女優賞を総なめにする。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1954年7月29日、静岡県富士宮市に生まれ、福島県いわき市で育った。妹が1人いる。母親は11人きょうだいの家庭に育ち、高等教育を受けられる環境ではなかったため、娘には学んでほしいと願っていたのではないか、と本人は語っている。高校は福島県立磐城女子高等学校。

1972年 - 1970年代:デビューとスターダム[編集]

1972年に『旅の重さ』で映画初出演。1974年の藤田敏八三部作で大ブレイクし、ゴールデン・アロー賞映画新人賞を受賞した。同時期には日産チェリーF-IIのCMで「クミコ、君を乗せるのだから…」というナレーションとともに登場し、こちらも人気を集めた。1975年には詩集『いないいないばあ』、LP『秋吉久美子』を発表するなど、詩や歌の分野にも進出。1977年にはドラマ『下町のおんな 風子』で芸術選奨新人賞(放送部門)を受けている。

1979年、作曲家の岩久茂と結婚し、同年夏に長男を出産。結婚会見での「卵で産みたい」発言は大きな話題になった(後述)。出産後はしばらく活動を休止している。

1980年代:大人の女優へ[編集]

復帰後は映画とテレビの両方で活躍。1980年のアニメ映画『地球へ…』では声の出演も務めた。NHKでは吉永小百合主演の『夢千代日記』シリーズ(1981年 - 1984年)に出演し、1985年の時代劇『天璋院篤姫』では和宮を演じている。

映画では『の・ようなもの』『誘拐報道』『ひとひらの雪』『夜汽車』『男はつらいよ 寅次郎物語』と話題作が続き、1988年の『異人たちとの夏』がキャリアの大きな山場となった。1989年に岩久茂とは離婚している。

1990年代 - 2000年代:熊井啓、根岸吉太郎作品へ[編集]

1995年、遠藤周作原作・熊井啓監督の『深い河』に主演。インドのガンジス川を舞台に、人生に迷う日本人たちを描いたこの作品で、日本アカデミー賞優秀主演女優賞、日本映画批評家大賞女優賞などを受賞した。2004年には根岸吉太郎監督『透光の樹』で再び日本映画批評家大賞女優賞を獲得している。

テレビでは『ケイゾク』(1999年)、『電車男』(2005年、フジテレビ)、『のだめカンタービレ』(2006年)など、若い世代が見る人気ドラマにも顔を出した。2006年にはNHK『思い出のメロディー』で初めて司会を担当している。

2007年 - 2009年:早稲田大学大学院へ[編集]

2006年、52歳のときに母親を看取ったことをきっかけに学び直しを決意し、2007年に早稲田大学大学院公共経営研究科(専門職学位課程)に入学。2009年に修了し、公共経営修士の学位を得た。詳しくは「早稲田大学大学院」の節を参照。

2010年代:インディーズ作品と海外での受賞[編集]

2012年の『「わたし」の人生 我が命のタンゴ』で、2013年のモナコ国際映画祭主演女優賞を受賞。同じく2013年には、閉館する銀座シネパトスの最後の公開作となった樋口尚文監督『インターミッション』に主演した。2013年、消費者庁の「東北未来がんばっぺ大使」にも就任し、育った福島を含む東北の応援役を務めている。

2015年1月、長男を事故で亡くした。2016年には若き日の未公開カットを収めた写真集『1973 NUDE』を刊行している。

2020年代:『秋吉久美子 調書』と『母を葬る』[編集]

2020年、映画評論家・映画監督の樋口尚文との共著『秋吉久美子 調書』(筑摩書房)を刊行。自身の作品歴を総覧できる初の本で、刊行に寄せて「これは『調書』だからセンチメンタルではいけない。読み物だからつまらなくてはいけない」「ウソはない。調書だから」とコメントした。同年からは詩の投稿誌『ココア共和国』で「秋吉久美子賞」の審査員も務めている。2020年には吉高由里子主演の日本テレビのドラマ『知らなくていいコト』にも出演した。

2023年にはWOWOWのドラマ『フィクサー』、映画『かぞく』に出演。2024年11月には作家・下重暁子との対談本『母を葬る』(新潮社・新潮新書)を出し、「理想の娘になれなかった」という思いを母娘問題として語り合った。

主な出演作[編集]

映画[編集]

公開年 作品名 監督・備考
1972年 旅の重さ 斎藤耕一。本名で出演
1974年 赤ちょうちん 藤田敏八
1974年 妹 藤田敏八。役名・ねり
1974年 バージンブルース 藤田敏八
1974年 青葉繁れる
1975年 昭和枯れすゝき 兄役・高橋英樹
1976年 十六歳の戦争 松本俊夫。1973年撮影、初主演作
1976年 さらば夏の光よ 山根成之。役名・戸田京子
1976年 パーマネント・ブルー 真夏の恋 山根成之
1976年 あにいもうと 今井正
1976年 挽歌 河崎義祐
1977年 突然、嵐のように 山根成之
1977年 八甲田山 森谷司郎
1980年 地球へ… アニメ。声の出演
1981年 の・ようなもの 森田芳光。役名・エリザベス
1982年 誘拐報道
1985年 ひとひらの雪 渡辺淳一原作
1987年 夜汽車
1987年 男はつらいよ 寅次郎物語 山田洋次。マドンナ・高井隆子
1988年 異人たちとの夏 大林宣彦。主人公の母役
1989年 誘惑者
1995年 深い河 熊井啓。主演
2003年 青の炎 蜷川幸雄
2004年 透光の樹 根岸吉太郎。主演
2012年 「わたし」の人生 我が命のタンゴ 主演
2013年 インターミッション 樋口尚文。銀座シネパトス最後の公開作
2019年 笑顔の向こうに
2023年 かぞく

テレビドラマ[編集]

  • 『太陽にほえろ!』第53話(1973年)
  • 『下町のおんな 風子』(1977年)
  • 『夢千代日記』シリーズ(1981年 - 1984年、NHK)
  • 『天璋院篤姫』(1985年、和宮役)
  • 『ケイゾク』(1999年)
  • 『電車男』(2005年、フジテレビ)
  • 『のだめカンタービレ』(2006年、フジテレビ)
  • 『八重の桜』(2013年、NHK大河ドラマ)
  • 『愛おしくて』(2016年、NHK)
  • 『知らなくていいコト』(2020年、日本テレビ)
  • 『フィクサー』(2023年、WOWOW)

異人たちとの夏[編集]

「こんなホームドラマをやるなら…」[編集]

1988年公開の『異人たちとの夏』は、山田太一の小説を大林宣彦が映画化した作品。妻子と別れた中年の脚本家(風間杜夫)が、浅草で12歳のときに死んだはずの両親(片岡鶴太郎と秋吉)に出会い、ひと夏の団らんを過ごす。秋吉は、主人公とほぼ同年代に見える若いままの母親を演じた。

意外なことに、本人は最初この役に乗り気ではなかった。2017年の大林宣彦映画祭での登壇時には、役どころがホームドラマ的な母親だと知って「こんなホームドラマをやるなら、もっと前にホームドラマをやっていた!」と不満だったことを明かしている。

「それが君だ」[編集]

ところが撮影初日、照明が入って第一声を発した瞬間に役の世界へ入り込めたという。片岡鶴太郎や風間杜夫とは普段の付き合いはないが、撮影中は本当の親子や親友のような感覚で、「数少ない心から楽しめた現場」だったと語っている。

2019年の東京国際映画祭での上映時には、当時の世間的なイメージは「自由奔放、闊達、小悪魔のよう」だったが、大林監督は稼がない夫の横でけらけら笑う自然体の母親を「それが君だ」と見ていた、と振り返った。この作品から「セクシャリティは装うものではない」と学んだという。同作はのちにイギリスでアンドリュー・ヘイ監督により『異人たち』として再映画化され、2024年に日本公開されている。

早稲田大学大学院[編集]

母を看取って[編集]

大学院進学のきっかけは、2006年に母親を看取ったことだった。高校3年の夏に映画に出たことで大学受験に失敗した自分は、母にとって「誇れる娘ではなかった」という思いがあった。そんなとき知人から、公共組織の運営を担う人材を育てる「公共経営」という学問の存在を聞き、哲学や文化人類学も学べると知って「学び直しのタイミングだ」と考えたという。

理性と情感のあいだ[編集]

本人は、女優の仕事に必要なのは「情感」で、勉強に必要なのは「理性」、両者は相反するものだと考えていた。若い頃に「理屈っぽい」と批判された経験もあり、学問をすることで演技に何が起きるか不安もあったという。それでも、女優業にこだわらず社会を深く理解し、社会活動に参加したいという思いが勝った。2007年に早稲田大学大学院公共経営研究科へ入学し、2009年に修了している。

人物[編集]

「卵で産みたい」の真意[編集]

1979年、妊娠中の結婚会見で「おなかが大きくなるのはイヤ、卵で産みたい」と発言し、ワイドショーをにぎわせた。この一言で「不思議ちゃん」「宇宙人」扱いされ、「プッツン」のレッテルを貼られたこともあったという。

後年の週刊新潮のインタビューで本人が明かした背景はかなり切実だ。当時はマネージャーの意向で妊娠6か月頃まで妊娠を伏せて仕事を続けており、連続ドラマの掛け持ちで1日20時間撮影することもあった。アメリカロケでは1日10時間バスで移動し、疲労から「こげ茶色の尿が出た」ほどだったという。だからこそ「できることなら卵で産んで、3年ほど温めて心に余裕ができてから育てたい」という思いがあり、働く女性が妊娠・出産を抱える社会の矛盾への問題提起も込めていた、と説明している。

理屈っぽくて率直[編集]

奔放なイメージで見られがちだが、本人いわく根は「理屈っぽい」。日本の女優は「かわいいひと」であることを求められ、期待に応えるために言いたいことを飲み込むこともあった、とも語っている。19歳のときの東京スポーツのインタビューでは「私ってわがままだと思うの」と自己分析し、同棲について「形式より二人の心の問題」と言い切っていた。

2016年の写真集サイン会では、デビュー当時のヌード撮影を事前に知らせなかった元マネージャーについて「まだ許していない」と率直に語り、報道された。

詩と言葉[編集]

デビュー直後から詩集『いないいないばあ』(1975年)、散文集『つかのまの久美子』(1977年)、エッセイ『勝手にさせて』(1983年)、フォト詩集『C・U Next Tuesday』(1998年)、アフォリズム集『ドレスの下に』(2007年)などを出してきた書き手でもある。作詞も手がけ、他のアーティストに歌詞を提供している。近年はシャンソンのライブにもゲスト出演している。

エピソード[編集]

藤田敏八との関係[編集]

1974年当時のインタビューでは、藤田監督は自分を「タヌキ」と呼ぶが、自分では「パンダ」みたいだと思う、と語っている。監督は細かい演技指導をしない人で、「信頼している」と口に出すと関係が終わってしまう気がする、という19歳とは思えない言葉も残した。

しゃべりが止まらない[編集]

2015年6月、『昭和枯れすゝき』ブルーレイ発売記念イベントでは、30分の予定が45分に延びるほどほぼ一人で話し続けた。兄役の高橋英樹に逮捕される場面で本物の手錠が使われて手が腫れた話などを披露し、最後は聞き手の樋口尚文について「もう少しで樋口久美子になるところだった」と冗談を飛ばして会場を沸かせた。

森田芳光への「懺悔」[編集]

2016年、『の・ようなもの』の再上映イベントでは、森田芳光監督と杉山泰一監督を「合わせてコッポラ」と評した。当時は森田監督の才能に気づけず「もったいないことをした」と悔やみつつ、エリザベス役について「監督に口説かれたわけではない」とはっきり否定している。

監督の椅子に座りたがる[編集]

大林宣彦監督の現場では、監督の椅子に座っていいかと尋ねたことがあるという。本人は後になって「失礼だった」と反省しているが、大林監督は「クリエイターとして非常に鋭いものを持っている」と尊敬を込めて語っている。

最新動向(2025年 - 2026年)[編集]

2025年:舞台とテレビに精力的[編集]

2025年の年明けは週刊文春新年特大号で、『男はつらいよ』映画公開55周年企画の歴代マドンナとしてインタビューに登場。3月には銀座のライブハウスでシャンソンをゲスト披露し、6月にはテレビ東京『開運!なんでも鑑定団』に依頼人として出演、BS12『わたしの初〇〇』にも出演した。

8月2日には池袋・新文芸坐の「第14回 戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭」で、初主演作『十六歳の戦争』の上映後にトークショーとサイン会を行った。同作は愛知県豊川の海軍工廠への空襲を題材にした作品で、秋吉は二役を演じている。9月には音楽劇『ボクとキミとピアフ』、12月には新宿FACEでのミュージカル『三文オペラ 歌舞伎町の絞首台』に出演。11月には『婦人公論』で対談、BS10の第50回報知映画賞関連特番にも出演した。50年前の第1回報知映画賞で主演女優賞を受けたのが秋吉である。

2026年:秘蔵傑作選と旧作の再評価[編集]

2026年2月・3月にはCS衛星劇場で特集「クミコが選ぶ、とっておきのクミコ ~秋吉久美子秘蔵傑作選~」を放送。『妹』『異人たちとの夏』『挽歌』『インターミッション』『パーマネント・ブルー 真夏の恋』『さらば夏の光よ』『突然、嵐のように』の7作と、樋口尚文が聞き手を務めたトーク番組『女優は語る 秋吉久美子』がラインナップされた。本人は収録後「まだまだ話足りない」とし、「映画の見方は360度あると思うんです」とコメントしている。

同年2月からはNHK総合で、出演した時代劇『茂七の事件簿 新ふしぎ草子』が再放送(全10回)。7月には『美ST』、8月には『婦人公論』9月号にインタビューが掲載された。9月13日には佐賀県の第41回古湯映画祭にゲスト参加し、『の・ようなもの』上映後のトークに登壇。9月にはテレビ東京『二件目どうする?~ツマミのハナシ~』、10月18日にはラジオ大阪の番組にゲスト出演した。9月には別番組で高倉健の気配りにまつわる秘話と、自身の「失言」を振り返って共演者から突っ込まれたことも報じられている。

そして2026年10月28日、山根成之監督の『パーマネント・ブルー 真夏の恋』が松竹からBlu-ray/DVDで発売される。半世紀前の青春映画が次々と再パッケージされており、70年代の「シラケ」の空気をまとった秋吉作品の再評価が進んでいる。

ブログでの本人発信[編集]

公式ブログ(Ameba)は現在も更新中で、愛犬との散歩や日常の出来事を綴っている。2024年7月29日の誕生日には「ハッピーバースデー私。古希となりました」と題した記事を投稿し、公称は24歳と冗談を飛ばしつつ「初老の女から、古希初心者」「ワクワク、ドキドキ」と70歳を迎えた心境を書いた。ファンからは「古希には見えない」という声が相次いだ。

受賞歴[編集]

年 賞 対象作品
1974年 ゴールデン・アロー賞 映画新人賞 『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』
1976年 ブルーリボン賞 主演女優賞 『さらば夏の光よ』『あにいもうと』
1976年 第1回報知映画賞 主演女優賞 『あにいもうと』
1976年 毎日映画コンクール 女優演技賞 『あにいもうと』
1977年 芸術選奨新人賞(放送部門) 『下町のおんな 風子』
1988年 日刊スポーツ映画大賞 助演女優賞 『男はつらいよ 寅次郎物語』
1989年 キネマ旬報賞 助演女優賞、毎日映画コンクール 女優助演賞、ブルーリボン賞 助演女優賞 『異人たちとの夏』
1996年 日本アカデミー賞 優秀主演女優賞、日本映画批評家大賞 女優賞 『深い河』
2005年 日本映画批評家大賞 女優賞 『透光の樹』
2013年 モナコ国際映画祭 主演女優賞 『「わたし」の人生 我が命のタンゴ』

余談[編集]

  • デビュー作『旅の重さ』のオーディションを知ったのは、吉田拓郎のラジオ番組だった。主役は逃したが、ここから50年以上のキャリアが始まった。
  • 最初のCMは赤福餅。のちの日産チェリーF-IIのCMは「クミコ、君を乗せるのだから…」というナレーションとともに人気を集めた。
  • 1970年代の同世代女優としては桃井かおりと並べて語られることが多く、評論家からは「地で演じているような自然さ」が共通点として挙げられている。
  • TBSの『クイズダービー』にゲスト解答者として出演したことがあり、通算成績は14勝23敗。
  • 『男はつらいよ 寅次郎物語』では、渥美清演じる寅さんと、亡き友の息子とともに母親探しの旅をする化粧品セールスの女性・隆子を演じた。旅の途中、奈良・吉野の宿で寝込んだ少年を一緒に看病する場面が見どころ。
  • 『十六歳の戦争』は1973年に撮影されたものの、公開は1976年までずれ込んだ。2025年の映画祭上映は「貴重な上映機会」として告知された。
  • 2026年の衛星劇場特集のタイトルは「クミコが選ぶ、とっておきのクミコ」。日産のCM以来、「クミコ」は半世紀にわたって彼女の代名詞であり続けている。

外部リンク[編集]

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