| Kaori Momoi Kaori Momoi | |
|---|---|
![]() ドラマ『緊急取調室』第4シーズンにゲスト出演した桃井かおり(出典:リアルサウンド映画部) | |
| 誕生日 | 1951年4月8日 |
| 年齢 | 75歳 |
| 出身地 | 東京都世田谷区 |
| 国籍 | 日本 |
| 居住地 | アメリカ合衆国 ロサンゼルス |
| 家族 | 父:桃井真(国際政治学者)、兄:桃井章(脚本家)、夫:音楽プロデューサー(一般人) |
| 身長 | 162 cm |
| 学歴 | 女子美術大学付属高等学校卒業、文学座附属演劇研究所 |
| 職業 | 女優、映画監督 |
| 活動期間 | 1971年 - |
| 代表的な実績 | 『幸福の黄色いハンカチ』『もう頬づえはつかない』『SAYURI』、監督作『無花果の顔』『火 Hee』 |
| 受賞 | 日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞・最優秀助演女優賞、紫綬褒章(2008年)、旭日小綬章(2022年) ほか |
| 別名 | モモイ・カオリ(監督名義) |
概要[編集]
桃井かおり(ももい かおり)とは、東京都世田谷区出身の女優・映画監督である。1970年代に気だるく自由な存在感で「新しい女」の象徴となり、『幸福の黄色いハンカチ』『もう頬づえはつかない』で日本の映画賞を総なめにした。2005年の『SAYURI』以降はロサンゼルスを拠点に国際的に活動している。
詳細[編集]
「あの話し方」の人[編集]
桃井かおりと聞いて、多くの日本人がまず思い浮かべるのは、あの語尾をだらりと伸ばす、けだるくて投げやりなのに妙に色っぽい独特の喋り方だろう。この話し方はものまねの定番ネタになっており、清水ミチコや椿鬼奴らが繰り返しネタにしてきた。本人の名前を知らない若い世代でも「あのものまねの元ネタの人」として認識しているケースは少なくない。
ただし、ものまねのイメージだけで語るのはもったいない人物である。1970年代後半には日本アカデミー賞、ブルーリボン賞、キネマ旬報賞の主演・助演女優賞を次々に獲得し、名実ともに日本映画のトップ女優となった。
日本からハリウッドへ[編集]
キャリアの大きな転機は2005年公開のハリウッド映画『SAYURI』である。父の死をきっかけに海外作品のオーディションを受けるようになり、50代にしてハリウッドデビューを果たした。2006年にはアメリカの映画俳優組合(現在のSAG-AFTRA)に加入し、以後はロサンゼルスを生活と仕事の拠点にしている。
日本の大女優が50代で海外に拠点を移すのは異例のことで、その後も『ゴースト・イン・ザ・シェル』(2017年)などの海外作品に出演しつつ、日本のドラマや映画にもたびたび「里帰り出演」している。
監督としての顔[編集]
女優業のかたわら、映画監督としても活動している。1991年のオムニバス映画『ご挨拶』の一編で「モモイ・カオリ」名義で監督デビューし、2006年には原案・脚本・監督・出演を兼ねた長編『無花果の顔』を発表。同作はベルリン国際映画祭でNETPAC賞を受賞するなど海外で高く評価された。2016年には中村文則の小説を原作とする『火 Hee』で監督と主演を務めている。
経歴[編集]
生い立ち[編集]
1951年4月8日、東京都世田谷区に生まれる。父は国際政治学者の桃井真で、厳格で教育熱心な人物だったとされる。母の悦子はアトリエを構える画家であった。兄の桃井章は脚本家で、ほかにも研究者や銀行員の兄弟がいる、なかなかのインテリ一家である。
3歳からクラシックバレエを習い、中学時代にはイギリスのロイヤル・バレエ・スクールへ単身留学した。しかしバレエの道では挫折を味わい、帰国後は女子美術大学付属高校に進学。東京バレエ団にも所属していたが、やがてバレエをやめて文学座附属演劇研究所の門を叩いた。
デビューと勘当騒動[編集]
1971年、市川崑監督の『愛ふたたび』で浅丘ルリ子の妹役として映画デビューした。同年にはATG作品『あらかじめ失われた恋人たちよ』でヒロインを務め、本格的に映画界へ足を踏み入れる。
ところが、厳格な父には映画出演が受け入れられず、勘当されて家を出ることになった。のちに実家に戻っている。また文学座では、有吉佐和子作の舞台『ふるあめりかに袖はぬらさじ』で与えられた役に納得できず降板し、そのまま退団したとされる。この時点ですでに「自分の納得しない仕事はしない」という桃井らしさが表れていた。
闘病と『傷だらけの天使』での復帰[編集]
1973年には脚本家早坂暁の指名でNHKドラマ『たった一人の反乱』に出演するなど順調に仕事を重ねていたが、22歳ごろに腎臓結核が見つかり、片方の腎臓を摘出する手術を受けた。
療養明けの復帰の場となったのが、萩原健一と水谷豊が主演したドラマ『傷だらけの天使』である。萩原の強い要望によりゲスト出演が実現したとされ、桃井にとっては芸能活動を再開する大事な一歩となった。デビュー当初の桃井は萩原との共演が多く、1975年には二人の対談を収めた書籍も刊行されている。2019年3月に萩原が亡くなった際には、桃井も追悼のコメントを寄せた。
『前略おふくろ様』でブレイク[編集]
1975年、萩原健一主演、倉本聰脚本のドラマ『前略おふくろ様』に「海」役で出演。萩原演じる主人公の周りをかき回す、気ままで生意気な娘を演じて一気に人気が高まった。ここで確立された「けだるくて自由奔放な女」のイメージは、その後の桃井の代名詞となっていく。
映画女優としての黄金期[編集]
『幸福の黄色いハンカチ』[編集]
1977年、山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』に出演。高倉健演じる刑務所帰りの男・勇作と、武田鉄矢演じる青年・欽也の珍道中に同行する若い女性・朱実を演じた。
失恋旅行中にひょんなことから二人と旅をすることになる朱実は、軽いノリと人懐っこさで物語に柔らかさを与える役どころで、倍賞千恵子演じる光枝との再会のラストシーンへ向かうロードムービーの空気をつくった。この演技で第1回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞したほか、ブルーリボン賞やキネマ旬報賞の助演女優賞にも輝いている。
『もう頬づえはつかない』[編集]
1979年には東陽一監督の『もう頬づえはつかない』で映画初主演を果たした。見延典子のベストセラー小説を原作に、大学生の女性が二人の男性の間で揺れる姿を描いた青春映画で、等身大の若い女性の生き方を体現した桃井は同世代の女性から大きな共感を集めた。
同年の『神様のくれた赤ん坊』(前田陽一監督、渡瀬恒彦共演)とあわせて、第3回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。ブルーリボン賞、キネマ旬報賞の主演女優賞、毎日映画コンクール女優演技賞も獲得し、まさに映画賞を総なめにした年となった。翌1980年には芸術選奨文部大臣新人賞も受けている。
1980年代[編集]
1981年、人気絶頂のさなかに単身ニューヨークへ渡ったが、帰国後は早坂暁の誘いもあって本格的に俳優業に復帰した。1982年には野村芳太郎監督の『疑惑』で岩下志麻と火花を散らし、報知映画賞主演女優賞を受賞。同年の『青春の門 自立篇』とあわせて日本アカデミー賞優秀主演女優賞にも選ばれた。
テレビでは、NHKのドラマ『花へんろ』(1985年〜)で主人公の静子を約12年にわたって演じたほか、火曜サスペンス劇場の「女検事・霞夕子」シリーズ(1985〜1993年)でも主演を務め、お茶の間にもおなじみの存在となった。1988年にはブルーリボン賞とキネマ旬報賞の主演女優賞を再び受賞している。
1990年代[編集]
1990年代も第一線で活躍を続け、岩井俊二監督の『スワロウテイル』(1996年)、三谷幸喜監督の『ラヂオの時間』(1997年)などの話題作に出演した。『ラヂオの時間』では、わがままな大物女優・千本のっこを演じ、自身のパブリックイメージを逆手に取ったようなコミカルな怪演が評判となった。
1997年にはブルーリボン賞、キネマ旬報賞の主演女優賞と毎日映画コンクール女優主演賞を受賞。三谷作品つながりでは、ドラマ『古畑任三郎』シリーズにもゲスト出演している。ラジオやバラエティ番組でも活躍し、女優としてだけでなく「桃井かおり」というキャラクターそのものが広く親しまれるようになった。
ハリウッド進出[編集]
『SAYURI』[編集]
2004年に父・桃井真が亡くなったことを機に、桃井はハリウッド作品のオーディションを受けるようになったという。そして2005年、ロブ・マーシャル監督、スティーヴン・スピルバーグ製作の『SAYURI』でハリウッド映画デビューを果たした。
『SAYURI』はアーサー・ゴールデンの小説『さゆり』を原作に、戦前の京都・祇園で芸者として生きる少女の半生を描いた作品で、チャン・ツィイー、渡辺謙、役所広司、工藤夕貴らが出演した。桃井は置屋の女将を演じ、英語のセリフで存在感を示した。
海外作品への出演[編集]
『SAYURI』の翌2006年、アメリカの映画俳優組合に加入。以後はロサンゼルスを拠点に、オーディションを受けて役をつかむ日々を送っている。日本の大女優がゼロから海外のオーディションを受け直すという挑戦は、当時大きな話題になった。
同じ2005年にはアレクサンドル・ソクーロフ監督のロシア映画『太陽』でイッセー尾形演じる昭和天皇の皇后役を演じている。2017年にはスカーレット・ヨハンソン主演、攻殻機動隊の実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』にも出演。同年にはラトビアとの合作映画『ふたりの旅路』でイッセー尾形と再び共演した。
日本作品への「里帰り」[編集]
海外を拠点にしてからも日本作品への出演は続いている。2006年の山田洋次監督作『武士の一分』(木村拓哉主演)では日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。2020年には阪本順治監督の『一度も撃ってません』(石橋蓮司主演)で第44回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受け、同年の藤井道人監督作『宇宙でいちばんあかるい屋根』では清原果耶演じる主人公と交流する謎の老婆を演じた。
ドラマでは、2018年度の放送文化基金賞演技賞を受けたNHKの『詐欺の子』、2021年の『緊急取調室』第4シーズンへのゲスト出演が記憶に新しい。
監督作品[編集]
『ご挨拶』[編集]
監督デビューは1991年のオムニバス映画『ご挨拶』の一編で、このときは「モモイ・カオリ」名義だった。女優として現場を知り尽くした桃井が、カメラの反対側に立った最初の作品である。
『無花果の顔』[編集]
2006年、原案・脚本・監督を務めた長編映画『無花果の顔』を発表し、本格的に長編監督デビューを果たした。ある家族の日常と喪失を独特のユーモアと映像感覚で描いた作品で、桃井自身も母親役で出演している。主演には山田花子を起用したとされる。
同作は海外の映画祭で高く評価され、2007年の第57回ベルリン国際映画祭でNETPAC(最優秀アジア映画)賞を受賞。さらにウラジオストック国際映画祭で最優秀監督賞と最優秀主演女優賞、フライング・ブルーム国際女性映画祭でFIPRESCI(国際批評家連盟)賞、フリブール国際映画祭で長編コンペティション部門特別賞と、国際舞台で次々に賞を獲得した。
『火 Hee』[編集]
2016年には中村文則の短編小説『火』を原作とする『火 Hee』を監督・脚本し、主演も務めた。精神科医を前にひとりの女性が延々と過去を語り続けるという、ほぼ一人芝居に近い異色作で、女優・桃井かおりの語りの力をそのまま映画にしたような作品である。ロサンゼルスで撮影され、ベルリン国際映画祭にも出品されたとされる。
ロサンゼルス移住と結婚[編集]
LAでの暮らし[編集]
2006年の俳優組合加入以降、桃井はロサンゼルスに住居を構え、日米を行き来する生活を送っている。近年は自身のInstagramで、LAの自宅での手料理やおうちごはん、愛用の食器、セルフカットした髪型などを頻繁に公開しており、そのたびにニュースサイトで取り上げられる「LA在住の料理上手な女優」としても知られるようになった。
63歳での入籍[編集]
長らく独身を通してきた桃井だが、2015年1月、事実婚状態にあった年上の音楽プロデューサーと婚姻届を提出した。結婚は同年10月の京都国際映画祭のトークイベントで公表され、「桃井かおりが結婚していた」というニュースは大きな驚きをもって報じられた。
夫は一般人のため詳細は公表されていないが、Instagramには夫が作ったサンドイッチや二人で使うコーヒーセットなどがたびたび登場し、仲睦まじい様子がうかがえる。
人物[編集]
独特の話し方とものまね[編集]
倦怠感たっぷりのゆったりした喋り方は、桃井かおりの最大のトレードマークである。ものまね芸人にとっては格好の素材で、清水ミチコ、椿鬼奴らが定番ネタとして演じてきた。また、フジテレビのコント番組『笑う犬の生活』シリーズのキャラクター「ミル姉さん」のモデルになったともいわれる。
ものまねが広まりすぎた結果、本人の実際の声よりもものまねの方を先に知ったという視聴者も多い。本人もこうしたものまねを特に拒むことなく受け止めているとされ、ものまねも含めて「桃井かおり」というブランドが形づくられているといえる。
交友関係[編集]
文学座や同時代の俳優との交流が深く、萩原健一、原田芳雄、松田優作らと親しかったことで知られる。芸能界の外にも交友は広く、松任谷由実、後藤久美子、宮沢りえ、B'zの松本孝弘らとの親交が伝えられている。
近年もInstagramで長澤まさみや松本潤らとの2ショットを公開して話題になっており、世代を超えた交流がうかがえる。
美肌とファッション[編集]
肌の美しさでも知られ、化粧品のCMに多数起用されてきた。ヘビースモーカーであることを公言していた時期もあり、本人デザインのZIPPOライターが製作されたこともある。ジュエリーのデザインなど、女優以外のクリエイティブな活動も手がけている。
母校につながる女子美術大学で客員教授を務めているとされる。
受賞歴[編集]
映画賞[編集]
- 日本アカデミー賞
- 第1回(1978年)最優秀助演女優賞:『幸福の黄色いハンカチ』
- 第3回(1980年)最優秀主演女優賞:『神様のくれた赤ん坊』『もう頬づえはつかない』
- 第6回(1983年)優秀主演女優賞:『疑惑』『青春の門 自立篇』
- 第30回(2007年)優秀助演女優賞:『武士の一分』
- 第44回(2021年)優秀助演女優賞:『一度も撃ってません』
- ブルーリボン賞:助演女優賞(1977年)、主演女優賞(1979年、1988年、1997年)
- キネマ旬報賞:助演女優賞(1977年)、主演女優賞(1979年、1988年、1997年)
- 毎日映画コンクール:女優演技賞(1979年)、女優主演賞(1997年)、田中絹代賞(2015年)
- 報知映画賞 主演女優賞(1982年):『疑惑』
- 芸術選奨文部大臣新人賞(1980年)
テレビ・海外映画祭[編集]
- 放送文化基金賞 女優演技賞(1998年度):『青い花火』
- 放送文化基金賞 演技賞(2018年度):『詐欺の子』
- 第57回ベルリン国際映画祭 NETPAC賞(2007年):『無花果の顔』
- ウラジオストック国際映画祭 最優秀監督賞・最優秀主演女優賞(2007年):『無花果の顔』
- フライング・ブルーム国際女性映画祭 FIPRESCI賞(2007年):『無花果の顔』
- 第21回フリブール国際映画祭 長編コンペティション部門特別賞(2007年):『無花果の顔』
栄典・その他[編集]
- 紫綬褒章(2008年)
- 旭日小綬章(2022年)
- 第6回種田山頭火賞(2023年)
2026年現在の活動[編集]
SNSでの発信[編集]
2026年現在もロサンゼルスに在住している。Instagramでの発信は活発で、2026年6月には夫が作ったサンドイッチ、7月には「給食のよう」と評された手作りのポトフを公開するなど、LAでの日常の食卓がたびたびネットニュースになっている。ピザ、焼きそば、和食の朝ごはんなど、投稿のジャンルは幅広い。
過去作の再評価[編集]
2025年12月には、劇場版『緊急取調室 THE FINAL』の公開に合わせ、桃井がゲスト出演した第4シーズン第1・2話が2時間の特別編として再放送された。桃井が演じたのは、50年前の演説で伝説となり「黒い女神」と呼ばれた活動家・大國塔子で、天海祐希演じる真壁有希子との取調室での対決は「伝説回」と呼ばれている。
また2026年には、出演作『スワロウテイル』が公開30周年を迎え、岩井俊二監督の完全監修による4Kリマスター版での上映が決定した。70代半ばを迎えてなお、新旧の出演作が話題に上り続けている。
余談[編集]
- 父・桃井真は防衛庁防衛研修所(当時)などで知られる国際政治学者で、娘の女優業に当初は猛反対だったとされる。
- いとこには女優で人形作家の結城美栄子がいる。
- 母・悦子は2022年7月に亡くなっている。
- 2023年にはトーク番組『マツコ会議』に出演したとされる。
- 『SAYURI』出演時は50代半ば。日本で頂点を極めた女優が「新人」としてハリウッドのオーディションに挑んだ姿勢は、後進の俳優にも影響を与えたといわれる。
