| 宇宙企画 Uchu Kikaku | |
|---|---|
| 国家 | 日本 |
| 種類 | アダルトビデオメーカー(現在はレーベル) |
| 業種 | アダルトビデオ |
| 設立日 | 1981年10月 |
| 設立者 | 山崎紀雄 |
| 主要株主 | ケイ・エム・プロデュースグループ(販売元:トップ・マーシャル) |
| 主要部門 | 宇宙企画、BAZOOKA |
| 代表作品 | 『ミス本番・裕美子19歳』(1983年) |
| 別名 | メディアステーション(1990年11月からの社名) |
概要[編集]
宇宙企画(うちゅうきかく)とは、1981年10月に山崎紀雄が創業した日本のアダルトビデオメーカー、および現在はケイ・エム・プロデュース(KMP)系列から作品を出しているレーベル名である。1983年の『ミス本番・裕美子19歳』のヒットで「美少女本番」という路線を確立し、1980年代の「宇宙少女」ブームを生んだ老舗として、日本のAV史でよく名前が挙がるブランドの一つ。
詳細[編集]
創業者・山崎紀雄[編集]
創業者の山崎紀雄は、宇宙企画を起こした翌年の1982年に出版社・英知出版の権利を買い取り、出版とビデオを組み合わせた事業に乗り出した人物である。英知出版は1983年に『ビデオボーイ』と『Beppin』を創刊し、のちの『デラべっぴん』と合わせて、1980年代末には3誌合計で毎月100万部を発行していたとされる。
男性誌とビデオメーカーを同じ経営者が持つ体制から、アメリカ『プレイボーイ』の創業者になぞらえて「日本のヒュー・ヘフナー」と呼ばれた。一方で印象派の絵画を好む美術愛好家としても知られ、フランスの画家ジョルジュ・ルオーの作品の収集家としても名前が残っている。
「夏服のワンピースを着た美少女が、高原で麦わら帽子を手に微笑む」という、のちの美少女系AVでおなじみになる導入シーンは、山崎の指示によるものだと言われている。宇宙企画の作品に通じる淡い色調や屋外ロケの多さは、山崎の絵画趣味が映像に持ち込まれた結果だとする見方がある。
山崎は2001年に英知出版の経営から退き、2002年には宇宙企画も手放した。英知出版はその後、親会社の経営破綻を受けて2007年3月に事業を停止し、同年4月に自己破産を申し立てている。
ブルーフィルムからAVへ[編集]
宇宙企画が創業した1981年は、成人向けの映像がフィルム(いわゆるブルーフィルムやピンク映画)から家庭用ビデオへと移り変わる時期にあたる。ビデオ作品の審査団体として日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)が置かれ、各メーカーは審査を通した作品を正規ルートで流通させる一方、審査を通らない裏ビデオも出回っていた。
初期のアダルトビデオは、ピンク映画や成人映画の延長にあるドラマ仕立ての作品が中心で、出演者も映画畑の女優が多かった。宇宙企画はここに、それまでの作品とは明らかに雰囲気の違う、素朴で若々しい容姿の女性を起用した。あわせて、出演者の素顔やインタビューを見せる「素人ドキュメント」型の作品を作り、市場の関心をドラマから「その人自身」へと移していった。
『ミス本番・裕美子19歳』と美少女本番[編集]
1983年に発売された田所裕美子主演の『ミス本番・裕美子19歳』は、空前のヒット作となった。名前と顔を前面に出した若い女性が実際に撮影に臨むという企画性そのものが話題になった。
同作の構成は、ストーリーをほぼ取り払い、イメージ映像とインタビューを場面のつなぎに使い、撮影そのものを作品の軸に据えるというものだった。この形式は現在の一般的なアダルトビデオの基本構成の原型として位置づけられている。以後「美少女本番」は宇宙企画を代表する路線となった。
宇宙少女の時代[編集]
1980年代半ばの宇宙企画は、秋元ともみ、かわいさとみ、小森愛らを次々とデビューさせ、彼女たちは「宇宙少女」と呼ばれた。デビュー前に英知出版の雑誌グラビアで顔と名前を売り、話題が高まったところでビデオを出すという、雑誌とビデオのメディアミックスがこの時期の宇宙企画の強みだった。
女優の供給面では、当時業界最大手のプロダクションだったバンビプロモーションと密接な関係にあり、同社の所属女優を多く起用した。メーカー・出版社・プロダクションが組んだこの体制により、新人の売り出しから作品化までを一つの流れで回すことができた。
同じ1980年代後半には、村西とおるがクリスタル映像で黒木香を世に出し、その後ダイヤモンド映像を設立して過激な企画と大量生産で業界を席巻した。清楚なイメージと美しい映像を売りにした宇宙企画とは、作風が正反対だった。村西の半生はNetflixドラマ『全裸監督』として映像化されている。
メディアステーションへ[編集]
1989年には、より本番志向の企画作品を扱うレーベル「BAZOOKA(バズーカ)」を始動した。1990年11月には社名を株式会社メディアステーションに改め、衛星放送事業やマルチメディア事業にも手を広げている。宇宙企画の名は社名からは外れたが、レーベル名としては残った。
2002年には、新作を期間限定で先行配信する公式サイト「宇宙企画CLUB」を開始し、インターネット配信にも乗り出した。一方、この時期にはPIX、トンファー、EXERTといった派生レーベルも展開していたが、いずれも2006年10月までに終了している。
KMP系列のレーベルとして[編集]
2006年4月には販売業務がトップ・マーシャルに移った。トップ・マーシャルはケイ・エム・プロデュース(KMP、2002年4月創業)やレアル・ワークスの販売も手がける会社で、以後の宇宙企画はKMPグループの一レーベルとして作品を出す形になった。2010年時点では、宇宙企画やレアル・ワークスの作品はKMPからリリースされている。
現在のレーベル構成は、単体女優作品の「宇宙企画」と、企画作品の「BAZOOKA」の2本立てに整理されている。創業者も社名も変わったが、「宇宙企画」の名前は40年以上にわたって使われ続けていることになる。
年表[編集]
| 年月 | 出来事 |
|---|---|
| 1981年10月 | 山崎紀雄が株式会社宇宙企画を創業 |
| 1982年 | 山崎が英知出版の権利を買い取る |
| 1983年 | 『ミス本番・裕美子19歳』が大ヒット。英知出版が『ビデオボーイ』『Beppin』を創刊 |
| 1980年代半ば | 秋元ともみ・かわいさとみ・小森愛ら「宇宙少女」が活躍 |
| 1989年 | 企画作品レーベル「BAZOOKA」を始動 |
| 1990年11月 | 社名を株式会社メディアステーションに変更 |
| 2001年 | 山崎が英知出版の経営から退く |
| 2002年 | 山崎が宇宙企画を手放す。公式配信サイト「宇宙企画CLUB」開始 |
| 2006年4月 | 販売業務をトップ・マーシャルへ移管 |
| 2006年10月 | 派生レーベルPIX・トンファー・EXERTが終了 |
| 2007年 | 英知出版が事業停止・自己破産申立 |
| 2010年時点 | 宇宙企画の作品がKMPからリリースされている |
業界での位置づけ[編集]
宇宙企画の功績としてよく挙げられるのは、次の3点である。
- 出演者像の転換:映画系の女優ではなく、素朴な印象の若い女性を主役に据えた。のちの単体女優という考え方につながる。
- 作品形式の確立:ストーリーを薄くし、イメージ映像とインタビューでつなぐ構成を定着させた。
- 雑誌との連動:グラビア誌で知名度を作ってからビデオを出すメディアミックスを、1980年代の時点で実践していた。
1990年代以降にはソフト・オン・デマンドやエスワンなどの大手メーカーが台頭し、専属女優を軸にした売り出し方が業界の主流になっていく。同時代の老舗メーカーとしては、マックス・エーやアリスJAPANなどが並ぶ。
余談[編集]
- 「宇宙企画」という社名はアダルトビデオメーカーらしからぬスケールの大きさで、AVに詳しくない層にも名前だけは知られていることが多い。
- 創業者の山崎紀雄は、アダルト業界の人物としては珍しく、絵画コレクターとしての顔でも語られる。
- 「高原で麦わら帽子を手に微笑む美少女」に代表される屋外ロケの導入シーンは、のちの美少女系AVの定番になった。
- 宇宙企画の草創期の業界の様子は、本橋信宏『全裸監督 村西とおる伝』などのノンフィクションでも描かれている。
- 社名がメディアステーションに変わってから30年以上が経つが、現在も一般に通じているのは旧社名の「宇宙企画」のほうである。
関連項目[編集]
- ケイ・エム・プロデュース - 現在の系列。
- バンビプロモーション - かつて蜜月関係にあったプロダクション。
- マックス・エー / アリスJAPAN - 同時代の老舗AVメーカー。
- 青山未来 / ほしのみゆ - 宇宙企画作品に出演した女優。