代々木忠

代々木忠
Tadashi Yoyogi
ファイル:代々木忠.jpg
誕生日 1938年3月18日
年齢 88歳
出身地 福岡県
職業 AV監督、映画監督、映画プロデューサー
肩書 アテナ映像社長・アクトレス代表
活動期間 1963年 - 2021年
事務所 アテナ映像
別名 渡辺忠、ヨヨチュウ


概要[編集]

代々木忠(よよぎ ただし、1938年3月18日 - )は、福岡県出身のAV監督・映画監督・映画プロデューサー。愛称はヨヨチュウ。AV黎明期の1981年に愛染恭子主演作で監督デビューし、女優の「本当の快感」やトランス状態を執拗にカメラで記録する“ドキュメントもの”を切り拓いた、業界の生ける伝説である。加藤鷹が「師」と仰ぐ人物としても有名で、村西とおると並んでAV草創期を語るうえで絶対に外せない巨匠らしい。2021年8月、「コロナ禍ではもう撮れない」を理由に83歳で引退した。

壮絶すぎる生い立ち[編集]

代々木の半生は、それ自体が一本の映画のように壮絶である。3歳の頃に実母を盲腸の誤診で亡くし、日本軍の技術者だった父も家を離れたため、2年間も親戚の家を転々として育ったらしい。敗戦後に父が再婚相手と戻ってくるが、やがて実家は売春宿となり、代々木が寝ている部屋に客を入れられたこともあったという。性をめぐる原風景が、この異様な少年期にあったことは間違いなさそうだ。

福岡県立小倉南高校定時制を中退後、大阪の花屋で華道に出会い、わずか2年で師範になるという器用な一面もある。だが地元の先輩に頼まれて暴力団の構成員となり、芝居小屋の進行係などを手伝う日々へ。子分が起こした集団暴力事件の責任を取って左手の小指を詰めたこともあるという、まさに“仁義なき”青春だった。29歳でやくざを辞めて放浪生活を送るなか、一時は神戸の田岡一雄に面倒を見てもらったこともあるというから、スケールが違う。

ピンク映画とプリマ企画の摘発裁判[編集]

東京に出てきて偶然ピンク映画の撮影現場に遭遇したことから映像の世界に興味を持ち、1963年にワールド映画へ助監督として入社。1972年、プリマ企画の常務取締役として渡辺忠名義でプロデュースした『女高生芸者』(梅沢薫監督)が猥褻容疑で摘発・起訴されてしまう。一審無罪→検事控訴を経て、1980年にようやく被告人全員無罪が確定した、息の長い裁判だった。

奇しくも公判中の1972年8月に『ある少女の手記・快感』で監督デビュー。このとき「代々木忠」を名乗ったのは、裁判が続く渡辺忠名義を避けた方がいいという弁護士の助言によるもので、当時住んでいた代々木4丁目が芸名の由来というから洒落ている。その後にっかつの下請会社で山本晋也に痴漢シリーズや未亡人シリーズを撮らせ、プロデューサーとしても成功を収めた。

AV監督・代々木忠の誕生[編集]

1981年10月、愛染恭子主演『淫欲のうずき』でAV監督デビュー。同年11月にはアダルトビデオメーカーアテナ映像を設立し、自らの作品づくりの拠点とする。1982年8月以降の『ドキュメント ザ・オナニー』シリーズが大ヒットし、性感マッサージシリーズ、いんらんパフォーマンスシリーズ、チャネリングFUCKシリーズ、『多重人格 そして性』など、女性の内面と快感をテーマにした実験的作品を量産した。『ザ・面接』は1993年から2020年まで全166作品も続く長寿シリーズとなっている。

加藤鷹をはじめ多くの男優・監督から師と仰がれ、その手法は後世の“ドキュメントAV”の源流となった。同じ草創期を支えた村西とおるチョコボール向井らと共に、日本のAV史の最初の1ページを書いた人物である。

精神世界とヨヨチュウ[編集]

代々木の作品を語るうえで欠かせないのが、その独特の精神世界への傾倒である。かつて交際していた女性の影響でインドの導師バグワン・シュリ・ラジニーシに傾倒し、事務所の社長室の壁にはラジニーシの言葉を額装して掲げ、毎朝自宅ベランダでの瞑想を日課にしていたという。コラムでグルジェフの「水素論」に言及するなど、その関心はオカルティズムや変性意識にまで及ぶ。『プラトニック・アニマル』『至高体験』など多数の著書を持つ“思索するAV監督”でもあるのだ。

YOYOCHU 〜世界が認めた巨匠〜[編集]

2010年、代々木の半生を追ったドキュメンタリー映画『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』(石岡正人監督)が、第5回ローマ国際映画祭EXTRA部門に出品。現地入りした代々木監督と石岡監督がレッドカーペットを歩き、AV監督としては異例の国際的脚光を浴びた。2023年には88歳を目前にして『人生を変えるセックス 愛と性の相談室』(幻冬舎)を上梓し、晩年は性の悩み相談という“人生の相談役”としても活動した。

余談[編集]

  • 愛称の「ヨヨチュウ」は、代々木忠を縮めた親しみやすい呼び名。ファンや業界人からこう呼ばれている。
  • 映画『仁義なき戦い 代理戦争』に登場する人物のモデルになったという逸話も報じられている。やくざ時代の壮絶な体験を考えると、妙に説得力がある。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]