| 傷だらけの天使 Kizudarake no Tenshi | |
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![]() 作中の「エンジェルビル」のロケ地となった東京・代々木の代々木会館(2020年に解体。出典:ウィキメディア・コモンズ) | |
![]() 乾亨役の水谷豊(2014年撮影。出典:ウィキメディア・コモンズ、CC BY-SA 2.0) | |
| 略称 | 傷天(きずてん) |
| ジャンル | 探偵ドラマ、青春ドラマ、アクション |
| 放送シーズン | 1974年秋 - 1975年冬(2クール) |
| 放送期間 | 1974年10月5日 - 1975年3月29日 |
| 放送時間 | 毎週土曜 22:00 - 22:55 |
| 話数 | 全26話 |
| 放送国家 | 日本 |
| 言語 | 日本語 |
| 放送局 | 日本テレビ系列 |
| 配信 | U-NEXT、FODほか(時期により異なる) |
| 平均視聴率 | 序盤は1桁台近くまで低迷、最終回19.9%とされる |
| 制作 | |
| 企画 | 清水欣也(日本テレビ) |
| プロデューサー | 清水欣也(日本テレビ)、工藤英博(渡辺企画)、磯野理(東宝企画) |
| 演出 | 恩地日出夫、深作欣二、神代辰巳、工藤栄一、児玉進 ほか |
| 制作 | 日本テレビ、東宝系の東宝企画、渡辺企画 |
| 脚本 | 市川森一(メイン)、鎌田敏夫、柏原寛司 ほか |
| 撮影 | 木村大作 ほか |
| 音楽 | 井上堯之、大野克夫(演奏:井上堯之バンド) |
| 出演者 | 萩原健一、水谷豊、岸田今日子、岸田森、ホーン・ユキ、西村晃 ほか |
| その他 | |
| 原作 | なし(オリジナル) |
| 関連番組 | 小説『傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを』(矢作俊彦、2008年) |
| オープニング曲 | 「傷だらけの天使」メインテーマ(井上堯之バンド) |
| エンディング曲 | 同テーマ(井上堯之バンド) |
| 制作費 | 1話あたり約1000万円とされる |
概要[編集]
傷だらけの天使(きずだらけのてんし)とは、1974年10月5日から1975年3月29日まで日本テレビ系で放送された全26話のテレビドラマである。怪しげな探偵社の下っ端調査員・木暮修(萩原健一)と、彼を「アニキ」と慕う弟分・乾亨(水谷豊)が、都会の底辺でもがきながら汚れ仕事に挑む姿を描いた。放送当時は苦戦したが、再放送を重ねて「伝説のドラマ」と呼ばれるようになった。
詳細[編集]
どんな作品?[編集]
ひとことで言えば「70年代の若者の怒りと挫折を、探偵ドラマの形で描いた反ヒーロー物」。舞台は東京・代々木の雑居ビル「エンジェルビル」と、その屋上にぽつんと建つペントハウス。主人公の修はここに住み、表向きはまっとうな調査会社だが裏では違法すれすれの仕事も請け負う「綾部情報社」から仕事を回してもらって食いつないでいる。
依頼は迷子の親探しから暴力団の抗争、企業の内紛、賭場のイカサマまで実にさまざま。一話完結型だが、正義が勝ってすっきり終わる回は少なく、修と亨は毎回のように利用され、殴られ、報酬も取りっぱぐれる。そのやるせなさと、二人のじゃれ合うようなコンビ芸の落差がこの作品の味である。
映画監督たちがテレビに集結[編集]
本作の大きな特徴は、演出陣の豪華さである。『仁義なき戦い』を撮ったばかりの深作欣二、東宝の恩地日出夫、日活ロマンポルノの旗手だった神代辰巳、時代劇の名手・工藤栄一といった映画界の監督たちが、回ごとに入れ替わりでメガホンを取った。撮影には、のちに映画監督としても知られる木村大作が参加している。
メインライターは市川森一で、鎌田敏夫、柏原寛司らも脚本を担当した。監督も脚本家も回ごとに違うため、同じシリーズでもハードなバイオレンス回、しみじみした人情回、ナンセンスなコメディ回と色合いがかなり違う。これが「回によって全然違うドラマを見ているよう」と言われるゆえんである。
視聴率は苦戦、そして伝説へ[編集]
土曜22時という大人向けの枠で、序盤は暴力描写や裸のシーンを多く含んだこともあり、視聴率は伸び悩んだ。第3話の時点で打ち切りの話が出たとも言われる。そこで第8話(1974年11月23日放送)あたりから、音楽や笑いを重視した明るめの作風や、修と息子・健太の父子のエピソードを増やす方向へとかじを切った。
第2クールに入ると数字は安定し、最終回は19.9%を記録したとされる。さらに放送終了後の再放送では、平日夕方の枠で25%に達したこともあったという。学校帰りの高校生が急いで帰宅して見ていた、という証言も残っている。こうして本放送より再放送で人気を広げたことが、本作が「伝説」と呼ばれる大きな理由となった。
木暮修と乾亨というコンビ[編集]
修は粗暴で女好きで金にもだらしないが、根は人情家で、弱い立場の人間を放っておけない。亨は孤児として育った繊細な青年で、修と健太の3人で暮らす日を夢見ている。亨が修を「アニキィ〜」と呼んで追いかける甘えた口調は当時の若者の間で真似され、水谷豊の出世作となった。
この二人の関係は単なる相棒ではなく、兄弟分であり、時に保護者と子どものようでもある。最終回の結末がファンの心に深く刺さるのも、26話かけてこの関係が積み上げられてきたからだといえる。
登場人物とキャスト[編集]
主要人物[編集]
- 木暮修(こぐれ おさむ) - 演:萩原健一
- 24歳。エンジェルビル屋上のペントハウスに住む、綾部情報社の調査員。若くして亡くなった妻との間に息子・健太がいるが、亡き妻の実家に預けたままにしている。いい加減で喧嘩っ早いが情にもろい。
- 乾亨(いぬい あきら) - 演:水谷豊
- 修を「アニキ」と慕う弟分。リーゼントに革ジャン、スカジャン姿がトレードマーク。孤児として育ち、いつか修と健太と一緒に暮らすのが夢。
- 綾部貴子(あやべ たかこ) - 演:岸田今日子
- 綾部情報社の女社長。ミステリアスで底知れない雰囲気を漂わせ、修たちを金で動かして危ない仕事に放り込む。
- 辰巳五郎(たつみ ごろう) - 演:岸田森
- 貴子の右腕。修たちに仕事を持ち込む連絡役で、ねちっこい嫌味と妙な愛嬌が同居する名脇役。演じた岸田森は岸田今日子のいとこにあたる。
- 浅川京子 - 演:ホーン・ユキ
- 綾部情報社の経理兼受付。
- 海津警部 - 演:西村晃
- 綾部情報社をマークする警部。第1話・第7話・最終回などに登場する。
主なゲスト[編集]
各話には当時の人気俳優や個性派が多数ゲスト出演している。主な例は以下のとおり。
- 第8話「偽札造りに愛のメロディーを」 - 有島一郎
- 第10話「金庫破りに赤いバラを」 - 小松政夫、加納典明
- 第11話「シンデレラの死に母の歌を」 - 浦辺粂子、平田昭彦
- 第13話「可愛い女に愛の別れを」 - 吉田日出子
- 第14話「母のない子に浜千鳥を」 - 桃井かおり
- 第15話「つよがり女に涙酒を」 - 松尾和子
- 第19話「街の灯に桜貝の夢を」 - 関根恵子(現・高橋惠子)
- 第20話「兄妹に十日町小唄を」 - 犬塚弘
- 第22話「くちなしの花に別れのバラードを」 - 篠ひろ子
- 第24話「渡辺綱に小指の思い出を」 - 前田吟
- 最終話 - 森本レオ(エンジェルビルの立ち退きを告げる建設会社の主任)
制作[編集]
企画の成り立ち[編集]
『太陽にほえろ!』のマカロニ刑事で人気者になった萩原健一は、次は体制側ではない役をやりたいと考えていたとされる。日本テレビ側も、性や暴力をある程度許容する大人向けの枠として土曜22時を用意した。プロデューサーの清水欣也が当初考えていたのは銃撃戦が派手なアクション物だったが、萩原主演作の流れを受けて探偵物へと形を変え、市川森一が実在の探偵社を取材して設定を固めたという。萩原自身はアメリカ映画『スケアクロウ』に刺激を受けたと語っており、企画段階から深く関わっていた。
なお、萩原の証言などによれば、修と亨は当初在日コリアンという設定で構想されていたが、放送段階では認められず、作中では明確に描かれなかったとされる。
水谷豊の起用[編集]
亨役には当初、火野正平が予定されていたが、大河ドラマの出演とスケジュールが重なり実現しなかった。湯原昌幸も候補に挙がったが恩地監督が見送ったとされる。そこで萩原が推したのが、『太陽にほえろ!』第1話で共演していた水谷豊だった。
水谷は当時、俳優をやめることを考えていたと後に語っている。2026年7月に出演したバラエティ番組では、ちょうど辞めようと思っていたところに萩原が主演に推してくれ、それで俳優を続けることになったと明かしている。結果的に本作がなければ、のちの『相棒』の杉下右京もなかったかもしれない。
予算と現場の混乱[編集]
当時の1時間ドラマの制作費の相場が約1300万円だったのに対し、本作は1話あたり約1000万円だったとされる。にもかかわらず、初期に撮られた深作欣二と恩地日出夫の回が予算を大幅にオーバーし、そのしわ寄せが後半の回に及んだという。脚本の遅れも重なり、現場はかなり混乱していたとされる。萩原はこの経験から、のちに制作体制の整った作品づくりを求めるようになり、それが次作『前略おふくろ様』(1975年)につながったともいわれる。
撮影中のトラブルも多く、第3話のロケ地だった浅草の劇場では客席で男性が亡くなっているのが見つかり撮影が中断された(後に病死と判明)。第4話は出演者の映り込みが放送直前に問題となり、複数の編集バージョンが存在するという。
衣装とファッション[編集]
修の衣装は、デザイナー菊池武夫が率いていた当時のブランド「BIGI」が衣装協力として手掛けた。売れ残りの服が焼却処分されると聞いた萩原が、それなら衣装に使わせてほしいと申し出たのがきっかけだったとされる。劇中には修がBIGIの服をほめる場面まである。菊池と萩原はその後、雑誌の対談などを通じて親しい友人になった。
一方、亨のリーゼントに革ジャンやスカジャンというスタイルも若者の間でブームになったとされる。
オープニング[編集]
本作の代名詞ともいえるのが、約1分半のオープニングタイトルである。ペントハウスで目を覚ました修が、ヘッドホンとゴーグルを着けたまま、新聞紙を前掛けのように首に巻き、トマトにかぶりつき、コンビーフをかじり、クラッカーや魚肉ソーセージを次々と口に押し込む。最後は牛乳瓶のふたを歯で開けて飲み干す。これを手持ちカメラが追いかけ、井上堯之バンドのテーマが重なる。
実はこのオープニング、当初は作る予定がなく、放送直前になって恩地日出夫と木村大作が急きょ即興に近い形で撮ったものだという。新聞紙を首に巻くアイデアは、萩原が水道工事の作業員を見て思いついたものとされる。本来は牛乳を画面に向かってぶちまける予定だったが、食べ物を粗末にすることにスポンサーが難色を示し、ストップモーションで終わる形になったともいわれる。
脚本の市川森一はこの貪るような食事シーンを「セックスの代償行為」と説明していたが、萩原本人は特に深い意味はなかったと話している。のちに萩原が亡くなった際も、各局のワイドショーがこのトマトの丸かじりの映像を繰り返し流した。
音楽[編集]
音楽は、萩原と同じくPYGで活動した井上堯之と大野克夫が担当し、演奏は井上堯之バンドが手掛けた。『太陽にほえろ!』と同じ布陣であり、萩原にとってはかつてのバンド仲間の音が自分のドラマの背後で鳴っていた形になる。エレキギターがうなる疾走感のあるメインテーマは、オープニングの映像とセットで記憶されている。
挿入歌「一人」は作詞が岸部修三(現・岸部一徳)、作曲が井上堯之で、第25話と最終回で印象的に使われた。また萩原と水谷のデュエット曲「兄貴のブギ」が、1975年9月発売の萩原のシングル「お前に惚れた」に収録されている。綾部貴子の登場場面では、1935年の映画『マズルカ』の劇中歌が流れ、これは岸田今日子の提案だったとされる。
サウンドトラックは長年まとまった形で出ておらず、2010年に企画されたサントラ盤は中止になったという。同年、大野克夫のアルバムにテーマ曲の短いバージョンが収録された。
エピソード一覧[編集]
| 話数 | 放送日 | サブタイトル |
|---|---|---|
| 1 | 1974年10月5日 | 宝石泥棒に子守唄を |
| 2 | 1974年10月12日 | 悪女にトラック一杯の幸せを |
| 3 | 1974年10月19日 | ヌードダンサーに愛の炎を |
| 4 | 1974年10月26日 | 港町に男涙のブルースを |
| 5 | 1974年11月2日 | 殺人者に怒りの雷光を |
| 6 | 1974年11月9日 | 草原に黒い十字架を |
| 7 | 1974年11月16日 | 自動車泥棒にラブソングを |
| 8 | 1974年11月23日 | 偽札造りに愛のメロディーを |
| 9 | ピエロに結婚行進曲を | |
| 10 | 金庫破りに赤いバラを | |
| 11 | シンデレラの死に母の歌を | |
| 12 | 非情の街に狼の歌を | |
| 13 | 可愛い女に愛の別れを | |
| 14 | 母のない子に浜千鳥を | |
| 15 | つよがり女に涙酒を | |
| 16 | 愛の情熱に別れの接吻を | |
| 17 | 回転木馬に熱いさよならを | |
| 18 | リングサイドに花一輪を | |
| 19 | 街の灯に桜貝の夢を | |
| 20 | 兄妹に十日町小唄を | |
| 21 | 欲ぼけおやじにネムの木を | |
| 22 | くちなしの花に別れのバラードを | |
| 23 | 母の胸に悲しみの眠りを | |
| 24 | 渡辺綱に小指の思い出を | |
| 25 | 虫けらどもに寂しい春を | |
| 26 | 1975年3月29日 | 祭りのあとにさすらいの日々を |
サブタイトルはすべて「○○に△△を」という形にそろえられているのが特徴。萩原健一本人は、特に印象に残る回として第6話「草原に黒い十字架を」を挙げている。
最終回[編集]
最終回「祭りのあとにさすらいの日々を」は、日本のドラマ史でもよく語られる結末である。綾部貴子は橋の建設をめぐる汚職で逮捕状が出たことから姿を消し、海外へ逃亡する。貴子をかばおうとした辰巳は逮捕され、修は退職金をもらいそこねたまま取り残される。
一方の亨は風邪をこじらせて肺炎になり、ペントハウスでひとり息を引き取る。帰ってきた修は、亨の亡骸をドラム缶の風呂に入れてやり、生前の亨が欲しがっていた女性のヌード写真を周りに貼ってやる。そしてリアカーに乗せて東京湾のごみ処分場・夢の島まで運び、そのまま去っていく。ラストは修がカメラに向かって走り去っていく場面で終わる。
あまりに救いのない結末だが、「祭りのあと」という題が示すように、高度経済成長が終わりつつあった時代の若者の喪失感を象徴する場面として語り継がれている。なお、ヌード写真を貼るという演出は、予算が尽きていたための苦肉の策だったという話もある。
評価・反響[編集]
放送当時は性や暴力の描写への批判や低視聴率に悩まされたが、再放送を通じて若い世代に浸透し、のちに日本のテレビドラマを代表する一本として評価されるようになった。萩原自身は後年、巨匠クラスの監督、若手の脚本家、勢いのある俳優が同じ時期に重なったから生まれた作品だと振り返っている。萩原の周囲では「自分たちの世代は傷だらけの天使なんだ」と語るスタッフもいたという。
後の作品への影響も大きいとされる。都会の片隅で生きるはぐれ者の探偵、軽妙な会話劇とハードな結末の同居といった要素は、松田優作主演の『探偵物語』(1979年)などと並べて語られることが多い。また本作で注目された水谷豊は、のちに『熱中時代』『相棒』で国民的俳優となり、萩原との「アニキ」「アキラ」の関係はファンの間で長く語り草になった。
2019年3月26日に萩原健一が亡くなると、各局の追悼報道で本作のオープニングが繰り返し流された。2025年7月30日にはNHK BSの『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』で「傷だらけの天使 〜なぜ伝説になったのか〜」が放送され、水谷豊らの証言を交えて本作の舞台裏が掘り下げられた。
派生作品・同名作品[編集]
小説『魔都に天使のハンマーを』[編集]
作家の矢作俊彦が、萩原健一と市川森一の了承を得て書いた続編小説『傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを』が2008年に刊行された。ドラマから約30年後、ホームレスとなった修が主人公で、綾部貴子や辰巳も絡む殺人事件に巻き込まれるという筋立てになっている。
漫画版[編集]
やまだないと、西田俊也による漫画版も存在するとされる。
1997年の映画『傷だらけの天使』(別作品)[編集]
注意したいのが、1997年4月19日公開の映画『傷だらけの天使』である。監督は阪本順治、主演は豊川悦司と真木蔵人で、原田知世らも出演。配給は松竹系で、上映時間は118分。探偵の木田満(豊川)が、ヤクザの子どもを青森の母親のもとへ送り届けることになり、途中から友人の石井久(真木)も加わって東北を旅するロードムービーである。
タイトルは同じで「はぐれ者の男二人」という構図にはドラマへのオマージュがうかがえるが、登場人物も物語も別物で、ドラマの映画化ではない。翌1998年には、石井久を主人公にした前日譚『愚か者 傷だらけの天使』(阪本順治監督、真木蔵人主演)も公開されている。また1960年代にも同名の映画が作られているが、こちらもドラマとは無関係とされる。
放送・配信・ソフト化[編集]
本放送後も各地で何度も再放送され、2017年冬にはBS12 トゥエルビでも放送された。地方局では本放送時に系列の事情で放送日がずれた地域もあり、中京地区では最終回が1975年4月5日の昼に放送されたという。
映像ソフトはDVDが出たのち、2009年12月23日にバップの「名作ドラマBDシリーズ」としてBlu-ray全3巻が発売された。DVDのマスターテープからのリマスターで、画面比率は4:3、音声はモノラル。
動画配信では、U-NEXTやFOD、Amazon Prime Videoなどで配信・レンタルされていた時期がある。配信状況は時期によって変わるため、視聴前に各サービスで確認するのが確実である。
余談[編集]
- エンジェルビルのロケ地だった代々木会館は、権利関係の複雑さから「代々木の九龍城」とも呼ばれていた。2019年の解体は、萩原健一が亡くなったのと同じ年の出来事で、ファンの間では最終回の立ち退き話が現実になったと受け止められた。
- 修の「バカヤロー」という台詞は、プロデューサーの指摘でアフレコの際に別の言葉に差し替えられたが、その差し替えた言葉のほうが若者の間で流行ったという話がある。
- 深作欣二が演出したのは2本で、それぞれ第1話と第3話として放送された。
- 深作欣二はこの時期、『仁義なき戦い』シリーズ(1973年 - 1974年)で東映の看板監督となっていた。のちに『蒲田行進曲』(1982年)なども手掛けている。
- 萩原健一はのちに黒澤明監督の『影武者』(1980年)に出演するなど映画俳優としての道も歩むが、晩年のインタビューでは、過去の出演作を自分が生きた証しであり財産だと語っていた。

