Yoshio Nomura
のむら よしお
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ギター・コレクション本の発売時にインタビューに応じた野村義男(2015年。出典:Real Sound)
本名 野村義男
誕生日 1964年10月26日
年齢 61歳
出身地 東京都中野区
国籍 日本
家族 既婚(1995年1月に結婚)
血液型 A型
職業 ギタリスト、音楽プロデューサー、ナレーター、俳優
肩書 元アイドル、元「たのきんトリオ」、THE GOOD-BYEのボーカル・ギター
活動期間 1977年 -
代表的な実績 『3年B組金八先生』(1979年)、たのきんトリオ、THE GOOD-BYE「気まぐれONE WAY BOY」(1983年)、浜崎あゆみのバックバンド(1998年 - )、RIDER CHIPS
受賞 日本レコード大賞 最優秀新人賞(1983年、THE GOOD-BYEとして)
事務所 コンポジラ(個人事務所)
関連活動 たのきんトリオ、THE GOOD-BYE、RIDER CHIPS、音屋吉右衛門、三喜屋・野村モーター's BAND
あだ名 よっちゃん、ヨッちゃん、よちを
その他 ギター・コレクションは400本超
リンク 野村義男スタッフ公式X


概要[編集]

野村義男(のむら よしお、1964年10月26日 - )とは、東京都中野区出身のギタリスト・音楽プロデューサーである。愛称は「よっちゃん」。『3年B組金八先生』の生徒役でブレイクし、田原俊彦・近藤真彦と「たのきんトリオ」として一世を風靡した元アイドル。1983年にバンドTHE GOOD-BYEでデビューし、のちに浜崎あゆみのバックバンドなどで活躍する、日本有数のギタリストになった。

詳細[編集]

「たのきん」の「の」[編集]

1979年10月に始まったTBS系ドラマ『3年B組金八先生』第1シリーズに生徒・梶浦裕二役で出演し、一躍人気者になった。同じクラスの生徒役だった田原俊彦、近藤真彦とあわせて、3人の名字から「た(田原)」「の(野村)」「きん(近藤)」を取って「たのきんトリオ」と名付けられた。つまり「の」が野村である。

3人はドラマ終了後もセットで売り出され、バラエティ番組や「たのきんスーパーヒットシリーズ」と呼ばれる主演映画群で大ブームを起こした。ただ、本人は後年のインタビューで、急に有名になった当時の状況について、どこか自分のことではないような不思議な感覚だったと振り返っている。なぜ自分たちがデビューできたのかは「今も分かりません」とも語っている。

踊らないアイドル、ギターを持つ[編集]

トシちゃん(田原)とマッチ(近藤)がソロ歌手として次々にヒットを飛ばすなか、よっちゃんだけはなかなか歌手デビューしなかった。グラビア撮影でもギターを抱えていたというほどのギター好きで、選んだのは「バンドでのデビュー」だった。

本人によれば、当時の男性アイドルは1人でスタンドマイクの前に立って歌って踊るのが王道で、引っ込み思案な自分にはそれを続けるのは難しいと感じていた。バンドなら仲間がいるし、踊らなくて済む。そうして1983年に結成したのがTHE GOOD-BYEである。自分たちで曲を作ることが許されたのは当時のアイドルとしては画期的だったとして、それを認めた事務所やレコード会社に感謝しているという。

ギター一本で生きると決めた男[編集]

1990年にTHE GOOD-BYEが活動を休止し、同時に当時所属していたジャニーズ事務所も退所した。フリーになった直後にはドラマ、クイズ番組、ミュージカル、司会などのオファーが来たが、「ギターの人」になりたいとしてすべて断った。

ところが音楽の仕事の依頼は「全然来ませんでした」。そこで、用もないのにビクタースタジオへ通い、1階の食堂で水1杯で粘り、顔見知りのディレクターが通りかかると「ちょうど打ち合わせで来てたんですよ」と声をかける作戦に出た。食事に誘われれば「もうラッキー」で、雑談の中から「来月のレコーディングで弾かないか」といった話が生まれていったという。元トップアイドルとは思えない地道な営業が、現在のギタリスト人生の土台になった。

浜崎あゆみの「左側」[編集]

ギタリストとしての代表的な仕事が、1998年にデビューした浜崎あゆみのバックバンドである。デビュー当初からステージに立ち続け、浜崎からは「皆勤賞」と称えられてきた。2017年には、本人のブログの「卒業」という言葉から引退説がファンの間で広まったが、浜崎がInstagramで「私の左側は永遠によっちゃん」という趣旨の投稿をして否定し、話題になった。

一方で本人は、ボーカリストとの距離感を大事にしていると語る。20年近くバックで弾いてきたが一緒に飲みに行ったことは一度もなく、「電話番号すら知らないんです(笑)」と明かしている。MCは天然で上手とは言えないと笑いつつ、歌声には「すさまじい説得力」があると絶賛している。

経歴[編集]

生い立ちとスカウト[編集]

東京都中野区で、オートバイ店を営む家に生まれた。父方の実家は代々続く和菓子屋だったが、父は家業を継がずに好きなバイクの店を開いたという。子どもの頃は人前で話すのが苦手で、授業中に手を挙げたこともなかったと本人は話している。

ギターとの出会いは小学5年生のとき。姉がギターを弾いていて、最初は隣の部屋から聞こえる音を「うるさい」と思っていた。ある日、姉にいとこから借りたギターを渡され、いきなりEマイナーのコードを押さえさせられたのが人生初のギター体験だった。姉がソロを弾き、自分はコードを押さえるだけの「バッキングマシーン」役。押さえ方が甘いと厳しく叱られた悔しさから、姉の帰りが遅い日にこっそり練習を重ね、「知らない間に上達して、見返してやるつもりだった」という。

小学6年生のとき、代々木公園で遊んでいたところをジャニー喜多川にスカウトされ、ジャニーズ事務所に入った。そのときにもらった名刺は今も机の上に飾っているという。レッスン場のある六本木までは電車を乗り継ぐ「大冒険」で、後になって母親がこっそり後をついてきていたと知ったそうだ。ダンスレッスンはどうにも性に合わず、同じくサボりがちだった近藤真彦と2人で抜け出してゲームセンターに行っていたこともある。本人いわく「僕とマッチはどっちもうまく踊れません(笑)」。

中学2年のとき、初めてのエレキギターとしてアリアプロIIのストラトキャスタータイプ(ST-400N、2万4800円)を手に入れた。代金は後払いで、親には「死ぬまで使うから!」と訴えたという。エレキに興味を持ったきっかけは、Charのファンだった女の子の影響だった。

1979年 - 1983年:たのきんトリオ時代[編集]

入所後はジャニーズJr.のメンバーと「ジャニーズ少年団」を組み、特撮番組『小さなスーパーマン ガンバロン』の主題歌を歌った。1979年、15歳で『3年B組金八先生』に出演し、たのきんトリオとして大ブレイクする。

1980年代前半は映画『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』(1981年)、『ハイティーン・ブギ』(1982年)など、たのきんの主演映画に次々と出演。1982年にはドラマ『ボクの音楽武者修行』で若き日の小澤征爾を演じ、NHK大河ドラマ『峠の群像』では矢頭右衛門七役を務めた。テレビドラマ版『サザエさん』で三平役を演じたこともある。

この時期、ジャニーズの後輩にはシブがき隊がいて、同世代の女性アイドルとしては松田聖子、河合奈保子、中森明菜、小泉今日子らが人気を競っていた。

1983年 - 1990年:THE GOOD-BYE[編集]

1983年6月、ソロアルバム『待たせてSorry』でレコードデビュー。同年9月1日、自らが中心となって結成した4人組バンドTHE GOOD-BYEがシングル「気まぐれONE WAY BOY」でデビューし、同年の日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞した。詳しくは下記「THE GOOD-BYE」の節を参照。

1980年代後半からは他のアーティストへの楽曲提供も増え、少年隊や松本伊代、早見優らに曲を書いている。1988年には小泉今日子のバックバンドとして「三喜屋・野村モーター's BAND」が始動した。

1990年代:フリーのギタリストへ[編集]

1990年4月にTHE GOOD-BYEが活動を休止し、26歳でジャニーズ事務所から独立。系列のジャニーズ出版を経て、個人事務所「コンポジラ」を設立した。当時は音楽シーンの主役がアイドルからB'z、X JAPAN、DREAMS COME TRUEといったアーティストに移っていった時期で、本人にとっては「冬の時代」だったとされる。実家に戻ったとき、父から「ここは、お前が戻る場所じゃない」と言われたというエピソードもある。

前述の地道な営業でスタジオワークを増やし、1992年にはソロアルバム『440 Hz with〈Band of Joy〉』を発表。ジョニー吉長のソロツアーにも参加した。1996年からはフジテレビ系『LOVE LOVE あいしてる』のハウスバンド「LOVE LOVE ALL STARS」の一員となり、KinKi Kidsや吉田拓郎らと毎週共演。元アイドルではなく「ギターのよっちゃん」として、新しい世代に知られるきっかけになった。

1998年からは浜崎あゆみのバックバンドに参加し、長年にわたってツアーやライブを支えている。

2000年代 - 2010年代:ユニット活動と再始動[編集]

2000年、仮面ライダーシリーズの楽曲を演奏する公式バンド「RIDER CHIPS」を結成し、ギターを担当。大の仮面ライダー好きとして知られ、『劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4』『劇場版 仮面ライダー剣 MISSING ACE』にも出演している。

2001年頃からは世良公則との活動を始め、2008年にはアコースティックユニット「音屋吉右衛門」を結成。同年、アニメ『ヤッターマン』(2008年版)のオープニング「ヤッターマンの歌」を担当した。宇都宮隆のプロジェクトや、田村直美のバンドなどにも参加している。

2003年、デビュー20周年を機にTHE GOOD-BYEが再始動。2013年11月17日には東京国際フォーラムで30周年ライブを開き、「解散しません」と宣言した。同年7月にはベースの加賀八郎が55歳で死去している。2018年には35周年ライブ、2019年8月には約30年ぶりのオリジナルアルバム『Special ThanX』を発表した。2018年からはサザンオールスターズの関口和之の呼びかけでウクレレ活動も本格化させている。

2020年 - 2024年:マッチとの「のきん」ツアー[編集]

2020年2月、24年ぶりのソロアルバム『440 Hz with〈LIFE OF JOY〉』を発売。50歳記念に50人のミュージシャンと共演する構想で48歳から制作を始めたが、完成まで7年かかった。参加者はムッシュかまやつ、金子マリ、Char、世良公則、宇都宮隆、田村直美、近藤真彦、高木ブーらと豪華で、本人は完成後に「やっぱり人生は楽しいね」と語っている。

2021年4月に近藤真彦がジャニーズ事務所を退所すると、同年11月2日に中野サンプラザで行われた近藤の再出発コンサート「ReSTART」にギタリストとして参加。12月からは2人の名を冠した「MasahikoとYoshio Live Tour 2021-2022」を全国7カ所14公演で行った。田原を除いた2人の組み合わせであることから、一部メディアでは「た抜き」「のきん」とも呼ばれた。以後このツアーは毎年恒例となり、年明けの沖縄公演も定番になっている。

2021年には高木ブー率いる「1933ウクレレオールスターズ」にも参加し、ウクレレのソロアルバム『Ukulele slow life2』を発表。コロナ禍で時間ができたことをきっかけに、ウクレレを自作するようにもなった。

2024年10月11日には、ギター写真集の還暦記念増補版を発売。60歳の誕生日である10月26日には還暦記念アルバム『440hz with〈No Guitar, No Life〉』を発表した。

2025年 - 2026年:近況[編集]

2025年1月から2月にかけて「MasahikoとYoshio Live Tour 2025」を開催し、2月23日の沖縄市ミュージックタウン音市場でファイナルを迎えた。全22曲のステージでは、野村が編曲と演奏を担当した小泉今日子版「学園天国」も披露。近藤が沖縄をテーマにした曲を即興で作ろうと振ると野村がその場でギターを合わせ、「いつか2人で曲としてまとめましょう」と盛り上がった。5月にはRIDER CHIPSのファンツアーで石垣島を訪れ、夏から秋にかけてはTHE GOOD-BYEのツアー(8月30日から9月23日まで7公演)も行った。

2025年10月には、近藤が「MasahikoとYoshio Live Tour 2026」として翌2026年2月に全国4都市を回ることを発表し、「ロックの色を強めたい」と語っていた。

2026年7月22日、近藤真彦の「BIRTHDAY LIVE 2026」東京公演(東京国際フォーラム ホールA)にサプライズゲストとして登場。ギター柄の開襟シャツ姿でいったん顔を出し、「ギターを取りに行く」と退場したあと、「ミッドナイト・シャッフル」でギターを持って再登場した。本編ラストの「Baby Rose」、アンコールの「ギンギラギンにさりげなく」「また明日」まで参加し、会場を沸かせた。出演のオファーは本番の約1週間前で、手違いによる急な依頼だったと報じられている。

秋には宇都宮隆の「LIVE UTSU BAR TOUR 2026 〜それゆけ歌酔曲!!〜」(10月25日の金沢から11月29日のZepp DiverCity TOKYOまで)にも名を連ねているほか、チケット情報サイトでは「MasahikoとYoshio Live Tour 2027」の名前も確認できる。

たのきんトリオと再結成の話題[編集]

たのきんトリオは正式な「グループ」としてのデビューではなく、3人がそれぞれソロ(野村はバンド)で活動しながらセットで売り出された存在だった。そのため「解散」というはっきりした区切りもなく、40年以上たった今もファンの間では3人の再集結を望む声が根強い。

ただ、田原俊彦は2024年2月の誕生日会見で再結成について問われ、「三者三様にステージの魅せ方が違う」と消極的な姿勢を示し、それぞれがやっていけばいいと答えた。2026年6月にはBS11『鶴瓶のええ歌やなぁ』で笑福亭鶴瓶に近藤との関係を聞かれ、「会わないですねえ」と答えている。

近藤は2026年8月29日に関根勤のYouTubeチャンネルに出演し、川崎麻世から田原との不仲説を聞かれた際、当時は事務所の方針で2人を同じ番組に出さない決まりがあったと説明し、不仲を否定した。この発言を受けて週刊誌でも再結成の可能性が取り上げられたが、ギタリストとして確固たる地位を築いた野村には今さらアイドル企画に参加するメリットがない、といった見方も出ており、本記事作成時点で3人そろっての活動は発表されていない。

一方、近藤と野村は小学生の頃に知り合ってから約50年の付き合いで、野村は「仕事仲間という意識はない」と話している。ライブ前に改めて打ち合わせをすることもないという、気心の知れた関係である。野村は20年以上前に近藤のアルバム曲「君のためにサヨナラ」を書いており、もともと自分で歌うつもりだったが「いい曲は人にあげるべき」と考えて提供したと明かしている。

THE GOOD-BYE[編集]

1983年に野村が中心となって結成した4人組ロックバンド。もともとは野村のソロデビューのバックバンド「ヨッちゃんBAND」として始まり、のちにTHE GOOD-BYEを名乗った。

  • メンバー
    • 野村義男 - ボーカル・ギター
    • 曾我泰久 - ボーカル・ギター
    • 加賀八郎 - ベース(2013年死去)
    • 衛藤浩一 - ドラム

野村と曾我のツインボーカル・ツインギターが特徴で、メンバー自身が曲を作るスタイルは、のちの男闘呼組、TOKIO、関ジャニ∞(現・SUPER EIGHT)といった事務所のバンド系グループの源流の一つとして語られることがある。男闘呼組の成田昭次と岡本健一は野村にギターを習ったとされる。

1983年9月1日に「気まぐれONE WAY BOY」でデビューし、同年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。1984年には「YOU惑-MAY惑」がCMソングに起用され、1985年にはメンバー全員でミュージカル『ラ・ボエーム'85 ミュージカル 原宿物語』にも出演した。1990年までにシングル15枚、アルバム9枚を発表して活動を休止した。

2003年にZepp Tokyoでの「再会」ライブで復活し、以降は周年ごとにライブを開催。2019年には『Special ThanX』を発表した。曾我は2026年秋から冬にかけてもソロツアーを行っている。

ギターコレクター「よっちゃん」[編集]

野村のもう一つの顔が、日本屈指のギターコレクターとしての顔である。2015年6月に出した写真集『野村義男の“思わず検索したくなる”ギター・コレクション』(リットーミュージック)には300本超が掲載され、2024年10月の還暦記念増補版では100本以上が追加されて400本を超えた。増補版には『ギター・マガジン・レイドバック』の連載「よっちゃんのギターいじりism」全15回も収録されている。2016年にはエフェクターを集めた『“足の踏み場もない”エフェクター・コレクション』も出している。

  • 最も高価とされるのは、ヴィンテージギターの最高峰と言われるギブソン・レスポール・スタンダードの1959年製。
  • ギブソン・レスポール・カスタムの1954年リイシューは、ジャニーズ事務所を退所した翌日に買ったものだという。
  • 浜崎あゆみのライブではラインストーン仕様のPRS(ポール・リード・スミス)を使用。普段の仕事で使うのも主にPRSで、ポール・リード・スミス本人がヘッド裏にサインした1本もある。
  • 自宅のほかガレージを数棟借りて保管している。

本人は「集めている」という意識はなく、全国の楽器店や質屋で出会ったギターをすべて一目惚れで衝動買いしているだけだという。ヴィンテージは弾かずに保存し、オイルやワックスを使わず1〜2時間かけて手の脂を拭き取るのが手入れの流儀。「未来に、最高のギターを残したいから」として、自分は「最後のオーナー」ではないと語る。珍しいギターを探す人には「今、一番人気のないギターを買え」とアドバイスしている。「100万円のギターでも1万円のギターでも、買うときの覚悟は一緒」「俺はコレクターというよりも、変態なのかもしれないなあ」といった名言(迷言)も多い。

人物[編集]

  • 愛称は「よっちゃん」「ヨッちゃん」。ファンや本人周辺では「よちを」とも呼ばれる。
  • 最初に憧れたギタリストはCharとジミー・ペイジ。ギターで個性を出そうとは思わないといい、目標は「日本一のギターバカボン」。ギターのことならあの人に聞けば大丈夫、と言われる存在を目指しているという。
  • 「エアギター撲滅委員会委員長」を自称している。
  • 大の仮面ライダーファン。RIDER CHIPSでの活動はその延長線上にある。
  • 沖縄好きで、半年に一度は訪れるという。ニンジンが苦手なのでニンジンしりしりだけは食べられない。普段の酒はジャックダニエルの水割り。
  • コロナ禍で飲みに行けなくなった寂しさから、Instagramやツイキャスで生配信を始めた。
  • 「おいしいものが食べられること」が自分にとっての平和だと語っている。近藤からは「1日5食」といじられている。
  • 1995年1月に結婚している。私生活について多くを語るタイプではない。

主な作品[編集]

ソロアルバム[編集]

  • 『待たせてSorry』(1983年)- ソロデビュー作
  • 『440 Hz with〈Band of Joy〉』(1992年)
  • 『JARGON』(1999年)
  • 『WORKS』(2005年)
  • 『ROOTS』(2006年)
  • 『440 Hz with〈LIFE OF JOY〉』(2020年)- 24年ぶりのソロアルバム
  • 『Ukulele slow life2』(2021年)- ウクレレ作品
  • 『440hz with〈No Guitar, No Life〉』(2024年)- 還暦記念

THE GOOD-BYE[編集]

  • 「気まぐれONE WAY BOY」(1983年)- デビューシングル
  • 「YOU惑-MAY惑」(1984年)
  • 『Hello to Good-bye』(2010年)
  • 『Hello to Good-bye 2』(2016年)
  • 『Special ThanX』(2019年)- 約30年ぶりのオリジナルアルバム

主な楽曲提供・参加[編集]

  • 少年隊、松本伊代、早見優、男闘呼組(作詞)、嘉門達夫、KAN、関ジャニ∞(作詞作曲)などに楽曲を提供。
  • 近藤真彦「君のためにサヨナラ」(アルバム収録曲)
  • 「ヤッターマンの歌」(2008年、音屋吉右衛門名義)

著書[編集]

  • 『野村義男のロックギター教室』(2000年)
  • 『野村義男が弾いて教える 10日間エレキギター塾』(2005年)
  • 『野村義男の“思わず検索したくなる”ギター・コレクション』(2015年)
  • 『野村義男の“足の踏み場もない”エフェクター・コレクション』(2016年)
  • 『野村義男の“思わず検索したくなる”ギター・コレクション還暦記念増補版』(2024年)

主な出演[編集]

ドラマ・映画[編集]

  • 『3年B組金八先生』(1979年 - 1980年、TBS)- 梶浦裕二 役
  • 『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』(1981年、映画)
  • 『ハイティーン・ブギ』(1982年、映画)- サミー 役
  • 『ボクの音楽武者修行』(1982年)- 小澤征爾 役
  • 『峠の群像』(1982年、NHK大河ドラマ)- 矢頭右衛門七 役
  • 『サザエさん』(ドラマ版)- 三平 役
  • 『劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4』(2001年)- 声の出演
  • 『劇場版 仮面ライダー剣 MISSING ACE』(2004年)- 特別出演

バラエティ・音楽番組[編集]

  • 『LOVE LOVE あいしてる』(1996年 - 2001年、フジテレビ)- LOVE LOVE ALL STARS
  • 『めざせ!ロック・ギタリスト』(NHK Eテレ)
  • 『マツコの知らない世界』(TBS)
  • 『ぴったんこカン・カン』(TBS)
  • 『野村義男のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)

CM[編集]

平野楽器「ロッキン」のCMには2006年から出演しており、正月向けの新作CMが毎年のように制作されている。ほかにサントリー「ザ・プレミアム・モルツ」、ANAなどのCMにも出演した。

炎上とバズ[編集]

ヤッターマンの歌騒動[編集]

2008年、世良公則とのユニット音屋吉右衛門が、リメイク版アニメ『ヤッターマン』のオープニング「ヤッターマンの歌」を担当した。旧作の作曲者である山本正之が制作陣への苦言の中で、この音源を「デモテープ」と表現したことから、ネット上で賛否が巻き起こった。一方で話題性もあって、配信・CDともにヒットしている。

引退説と「左側は永遠によっちゃん」[編集]

2017年、浜崎あゆみの全国ツアー『Just the beginning -20- TOUR 2017』の途中から生バンドなしの構成になったことで、野村がブログで使った「卒業」という言葉が引退と受け取られ、ファンの間で心配の声が広がった。浜崎がInstagramで否定し、デビュー以来自分の左側でギターを弾き続ける存在だとつづったことで、逆にファンの感動を呼ぶ「バズ」になった。

1年で職質4回[編集]

2017年12月、フジテレビ系『ノンストップ!』に出演した際、その年だけで地元の警察官から4回も職務質問を受けたと告白。カプセルトイで遊んでいたところを呼び止められ、持ち物検査で「これは?」と聞かれた四角い物体がガラケーだったという。司会の設楽統からは長髪の風貌のせいではないかと突っ込まれた。

余談[編集]

  • スカウトされたときにジャニー喜多川からもらった名刺を、今も机に飾っているという。
  • 初めてのエレキギターを買うとき、親に「死ぬまで使うから!」と宣言した。その言葉どおり、ギター人生は半世紀近く続いている。
  • たのきんの3人のうち、ソロ歌手として売り出されなかったのは野村だけだった。そのことが結果的に「バンドを組めるアイドル」という道を開いたとされる。
  • 2024年の沖縄公演では、沖縄で買った三線とウクレレを組み合わせた楽器で「島人ぬ宝」を演奏した。ステージ上でここまで踊ったのは初めて、と本人が話すほど張り切っていたという。
  • ジャニーズ時代の先輩には郷ひろみ、後輩には少年隊や光GENJIがいる。少年隊には楽曲提供もしており、裏方として後輩を支えた一面もある。
  • 2021年以降の近藤とのツアーは、田原抜きであることから一部で「のきん」と呼ばれた。トシちゃんファンからは「いつか『た』も」という声が今も上がっているとされる。

外部リンク[編集]

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