由美かおる
ゆみ かおる / Kaoru Yumi
Actress_Kaoru_Yumi_1967.png
1967年ごろの由美かおる(日本語版ウィキペディア掲載画像「Actress Kaoru Yumi 1967.png」)
本名 西辻由美子(にしつじ ゆみこ)
誕生日 1950年11月12日
年齢 75歳
出身地 京都府京都市(6歳から兵庫県川西市で育つ)
国籍 日本
学歴 梅花高等学校中退
ジャンル 女優、歌手、ダンサー、呼吸法講師
活動期間 1966年 -
デビューアルバム 1966年 日本テレビ『11PM』で歌手デビュー/同年 映画『夜のバラを消せ』で女優デビュー
身長 / 体重 157cm cm / ― kg
血液型 A型
代表作 『水戸黄門』(かげろうお銀・疾風のお娟)、『同棲時代 -今日子と次郎-』『しなの川』『日本沈没』(TBS版)『トラック野郎・天下御免』『火の鳥』『小春日和 Indian Summer』
関連活動 西野バレエ団(1962年 - 2022年)、レ・ガールズ、呼吸法レッスン講師、港区観光大使
あだ名 お銀さん
その他 合気道四段
リンク Instagram:yumi.kaoru.official


概要[編集]

由美かおる(ゆみ かおる、1950年11月12日 - )とは、京都府出身の女優・歌手である。西野バレエ団で鍛えたダンスを武器に1966年、15歳で芸能界入りし、ミニスカートに網タイツで歌い踊る「元祖アイドル」的存在として一世を風靡した。その後は時代劇『水戸黄門』のくノ一「かげろうお銀」「疾風のお娟」を約25年演じ、お茶の間の顔となった。デビュー当時から体型が変わらないことでも知られ、70代となった現在は呼吸法の講師として全国を回りつつ「世界のシニアアイドル」を目指している。

詳細[編集]

15歳で全国区になった「11PM」の衝撃[編集]

1966年、中学生だった由美は日本テレビの深夜番組『11PM』に出演し、ミニスカートに網タイツ姿でドリス・デイの楽曲に合わせて歌って踊った。中学生のため生放送には出られず、収録での出演だったという。放送後は局の電話回線がパンク寸前になるほどの反響があり、本人は後に「夢の中にいるような感じ」だったと振り返っている。この放送を見ていたのが石原裕次郎で、自ら局に電話をかけて主演映画の相手役に指名したとされる。こうして同年の日活映画『夜のバラを消せ』で女優デビューも果たし、歌手と女優の二刀流でキャリアが始まった。

西野バレエ団と「レ・ガールズ」[編集]

由美の芸能人生の土台になったのが、振付師の西野皓三が主宰した西野バレエ団である。3歳でクラシックバレエを始めた由美は、小学6年生だった1962年に同団へ入団した。同団はテレビ番組の振付・構成にも進出し、金井克子、奈美悦子、原田糸子らを輩出したことで知られる。1967年には金井・奈美らとユニット「レ・ガールズ」を結成し、マリリン・モンローのナンバーなどをミニスカートで歌い踊るステージが評判を呼んだ。由美は2022年2月、59年間在籍した西野バレエ団を退団したと伝えられている。

「かげろうお銀」と時代劇の顔[編集]

時代劇との縁は、テレビ版『座頭市』へのゲスト出演から始まったと本人は語っている。その後TBSのナショナル劇場『江戸を斬る』に出演し、そこから同じ枠の『水戸黄門』に引き抜かれた。初代黄門・東野英治郎の時代にはゲストとして6回出演しており、1986年の第16部からはレギュラーのくノ一「かげろうお銀」として一行に加わった。第29部からは「疾風のお娟」に役名を変え、2010年の第41部まで出演を続けた。黄門様が西村晃、佐野浅夫、石坂浩二、里見浩太朗と代替わりするなかで、一行の華であり続けた存在である。

70代でミニスカート復活[編集]

長年ロングスカート中心だった由美だが、70歳のとき事務所の社長から「ミニスカートをはきなさい」と言われ、再びミニを着るようになった。本人はこれを「70歳のリニューアル」と呼び、街で視線を感じる緊張感が良い刺激になっていると語っている。渋谷の109やZARAでインナーを探し、昔の服は肩幅などを今風に直して着ているという。Instagramでは近影のミニスカート姿を投稿してたびたびニュースになっており、2026年4月にはAIで作った「20歳の由美かおる」の画像を公開し、「スリーサイズは維持できています!」とコメントして話題を集めた。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1950年、京都市の東寺の近くで生まれた。八百屋を営む家の末っ子で、兄が2人いる。近所のバレエ教室をのぞき見して真似をしていたことから、母親の勧めで3歳でバレエを習い始めた。6歳で一家は兵庫県川西市に移り、宝塚歌劇団の舞台にも親しんだ。店の客に宝塚で声楽を教える人がいた縁で歌のレッスンも始め、ピアノも買ってもらったという。本人は、芸能の道に進むうえで母親の後押しが大きかったと語っている。

歌手・女優として多忙を極めた1960〜70年代[編集]

デビュー後は仕事が殺到し、何年も睡眠時間2〜3時間の生活が続いたという。『夜のバラを消せ』の撮影中は京都から東京に通い、裕次郎の夫人が自宅に泊めてくれたことや、裕次郎が車で撮影所まで送ってくれたことを明かしている。16歳でイタリアを訪れた際には現地のレコード会社の社長から声がかかり、ベネチアの音楽祭に出演した経験もある。音楽面ではクラウンレコード、フィリップス・レコード、ミノルフォン、コロムビアなどから作品を発表し、「レモンとメロン」(1967年)、「炎の女」、「しなの川」などを歌った。司会者としても『ヤング720』『ヒット大作戦』などの音楽番組に出演している。

「同棲時代」とスクリーンの代表作[編集]

22歳で主演した松竹映画『同棲時代 -今日子と次郎-』(1973年)は、本人いわく「社会現象」になった作品で、同年には『しなの川』にも主演した。1974年には東宝の『ノストラダムスの大予言』『エスパイ』に出演し、同年から翌年にかけてはTBS系のテレビドラマ『日本沈没』で阿部玲子役を演じた。1976年の東映『トラック野郎・天下御免』では、菅原文太演じる星桃次郎が一目ぼれするマドンナ・我妻和歌子役を務め、挿入歌「夜のひとりごと」も歌った。1978年には市川崑監督、手塚治虫原作の映画『火の鳥』に出演している。テレビでは中村雅俊主演の『ゆうひが丘の総理大臣』(1978 - 1979年、日本テレビ)、田宮二郎主演の『高原へいらっしゃい』(1976年、TBS)などに出演した。

水戸黄門の25年[編集]

1986年から2010年まで、約25年にわたって『水戸黄門』のレギュラーを務めた。1995年にはお銀を主人公にしたスピンオフ『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』も制作されている。2010年5月、第41部をもってレギュラーを降板すると発表し、理由については国内外でのコンサート活動を挙げたと報じられた。後任のくノ一役には雛形あきこが起用された。降板後も2010年と2011年に放送された第42部(最終シリーズ)に、お娟役でゲスト出演している。番組は2011年12月にTBS系での42年の歴史に幕を下ろした。

歌手活動の再開と60周年[編集]

2019年3月、1982年のシングル「夢淡きタンゴ」以来37年ぶりのオリジナル作品となるアルバム『Jewel Box』を発売した。当時の作品はレコードだったため、CDは初めてだったという。同年4月には東京・渋谷のタワーレコードで自身初のインストアライブを開き、約150人の前で新曲「スパドゥパランデブー」など5曲を披露した。この時「歌手が本業。原点に戻った」と語り、夢として歌手でのNHK紅白歌合戦出場を挙げている。2023年には東京都港区の観光大使に就任し、区の公式サイトの観光大使一覧にも名前が載っている。2026年でデビュー60周年を迎えた。

49年ぶりの映画出演[編集]

2026年4月、大阪で行われた記者会見で映画『小春日和〜Indian Summer〜』(松本動監督)への出演が発表された。俳優の楠部知子が多発性骨髄腫の闘病経験を踏まえて企画・製作した作品で、由美は「おばあちゃん」役を演じ、主題歌「とまり木」も歌っている。49年ぶりの映画出演と報じられた(48年ぶりとする報道もある)。若い役ばかり演じてきたが、年齢を重ねて高齢者の気持ちがわかるようになったと語り、オファーに感激したという。同作は5月16日に大阪・シアターセブンで先行公開され、5月29日に全国公開された。

かげろうお銀というキャラクター[編集]

衣装は自分で考えた[編集]

女忍者という新しいキャラクターだったため、プロデューサーは衣装の工夫を由美に任せたという。由美はバレエのタイツを合わせ、着物は動きやすいよう切って丈を短くし、足元はファスナーが見えないよう工夫したブーツにした。放送後には、この忍者衣装をまねた子どもを連れた母親が撮影所の見学に来たこともあったと振り返っている。網タイツとミニ丈の着物という組み合わせは、デビュー当時のミニスカートと網タイツのスタイルを時代劇に持ち込んだものともいえる。

アクションと合気道[編集]

由美は合気道四段の腕前を持ち、劇中の立ち回りもこなした。バレエで培った身のこなしと武道の動きを組み合わせたアクションは、お銀・お娟の見せ場のひとつだった。西野皓三が武道を取り入れた呼吸法を確立していく過程と、由美の合気道修業は重なっており、1983年には著書『美しくなるための合気道』も出している。

お約束になった入浴シーン[編集]

お銀の名物として知られるのが入浴シーンである。本人によると、最初から自分で希望したわけではなく、西村晃が黄門様だった時期に岩風呂の場面を撮ったのが始まりだった。深夜のバラエティ番組で「由美かおるの入浴シーンは何時何分か」というクイズが出されたことで注目が集まり、制作側から頻繁に撮りたいと頼まれるようになったという。1986年の初披露から降板までに通算約204回を数え、本人は「一つのドラマでの入浴シーンの回数」としてギネス記録に申請中だと語っている。撮影が進むとお湯が減っていくので苦労した、という裏話も明かしている。

後輩くノ一への継承[編集]

お銀・お娟の路線は、2010年からの雛形あきこ、2017年からのBS-TBS版で篠田麻里子が演じたくノ一へと受け継がれた。報道では、由美のお銀が後のくノ一役の原型として位置づけられている。

CMとアース渦巻の看板[編集]

昭和40年代、由美はアース製薬の蚊取り線香「アース渦巻」のCMキャラクターを務めた。この時に作られたホーロー看板は、ネグリジェ姿の由美が素足を見せたデザインで、昭和のホーロー看板の中でも屈指の知名度を誇るとされる。製造は同年のCM出演と時期が重なる1970年ごろと考えられている。アース製薬は1969年に経営破綻して大塚グループの傘下に入り、同グループはタレントを起用したホーロー看板を広告戦略に活用した。収集家の間では大村崑、浪花千栄子、松山容子、水原弘、由美かおるの5人を「大塚五人衆」と呼ぶという。由美の「アース渦巻」は、水原弘の殺虫剤「ハイアース」の看板と並べて貼られることが多かった。現在は収集ブームや盗難で田舎の軒先からはほとんど姿を消し、レトロ居酒屋などの飾りとして再利用されることが増えているとされる。1973年には「ごきぶりホイホイ」のCMにも起用された。

呼吸法と健康法[編集]

西野流呼吸法との出会い[編集]

由美が健康の秘訣として真っ先に挙げるのが呼吸法である。師匠の西野皓三は大阪府出身で、宝塚歌劇団のバレエ教師などを経て西野バレエ団を率い、50歳を過ぎてから合気道や中国拳法を学んで、武道と医学、バレエの知識を統合した「西野流呼吸法」を創始した。由美は20代でその最初期の弟子の一人になったと語っている。1988年には『由美かおるの西野流呼吸法』を出版した。西野は2021年6月に94歳で亡くなった。

由美流のブリージング[編集]

本人によると、デビュー直後の10代のころ、全国を回る激しいステージで呼吸ができていないと声が出ないことに気づき、息を吐いてお腹に空気をためるようにしたのが原点だという。以来60年近く毎日続けており、口から吐いて鼻から吸い、空気を丹田にためるのが基本だとしている。両足の裏から地球の中心につながるイメージで、腰椎の上に上半身を乗せる姿勢を大切にするという。現在は「由美かおるのブリージングレッスン」として全国で講師を務め、介護施設などでも活動している。2023年には『由美かおる ブリージン・レッスン』を出版し、寝ながらできる方法も考案中だと話している。

食事は「おいしい」が基準[編集]

特別な食事制限はしておらず、「好きなものを食べて、飲んで。20代のときからやっている呼吸法以外は特に何もしてないの」と語る。朝はたっぷりの果物を入れたヨーグルトや卵かけご飯、仕事中はサンドイッチやコーヒーでつなぎ、夕食が夜11時になることも、焼き肉とビールで打ち上げることもあるという。料理は得意ではないとしつつ、みそ汁やカレーをスマートフォンで分量を確かめながら作っている。病気や疲労で仕事を休んだことはここ数十年ないとも語っている。デビュー時のスリーサイズを今も維持しているという話は、本人がたびたび公言している。

主な出演作[編集]

映画[編集]

  • 『夜のバラを消せ』(1966年、日活) - 女優デビュー作。石原裕次郎の相手役
  • 『同棲時代 -今日子と次郎-』(1973年、松竹) - 主演
  • 『しなの川』(1973年、松竹) - 主演・主題歌
  • 『ノストラダムスの大予言』(1974年、東宝)
  • 『エスパイ』(1974年、東宝)
  • 『超高層ホテル殺人事件』(1976年)
  • 『トラック野郎・天下御免』(1976年、東映) - マドンナ・我妻和歌子役
  • 『火の鳥』(1978年、東宝) - 市川崑監督
  • 『小春日和〜Indian Summer〜』(2026年) - おばあちゃん役、主題歌「とまり木」

テレビドラマ[編集]

  • 『日本沈没』(1974 - 1975年、TBS系) - 阿部玲子役
  • 『高原へいらっしゃい』(1976年、TBS系)
  • 『ゆうひが丘の総理大臣』(1978 - 1979年、日本テレビ)
  • 『紅い旋風ワンダーウーマン』(1980 - 1981年) - ダイアナ・プリンス役の日本語吹替を担当したとされる
  • 『江戸を斬る』(TBS系ナショナル劇場)
  • 『水戸黄門』(TBSテレビ系) - 第1部の時代にゲスト6回、第16部 - 第28部 かげろうお銀、第29部 - 第41部 疾風のお娟、第42部ゲスト
  • 『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』(1995年) - 主演

舞台・その他[編集]

  • 東宝ミュージカル『グリース』(1977年) - サンディ役
  • 音楽番組『ヤング720』『ヒット大作戦』『スターむりむりショー』 - 司会

音楽[編集]

歌手としてのデビューは1966年。「レモンとメロン」(1967年)、「炎の女」、「しなの川」、「別れる前に」、「ちぎれ雲」などのシングルを残し、1982年の「夢淡きタンゴ」がしばらく最後のシングルとなった。『トラック野郎・天下御免』では挿入歌「夜のひとりごと」を担当している。2019年のアルバム『Jewel Box』で歌手活動を本格再開し、ジャケット裏には洋風のバスタブにつかるシルエット写真がスタッフの発案で使われた。2024年5月には『徹子の部屋』で、友人が英訳した『水戸黄門』主題歌「あゝ人生に涙あり」の英語版をその場で披露している。

余談[編集]

  • 1979年7月、搭乗していた東亜国内航空のYS-11が車輪の故障で緊急着陸したことがある。乗員乗客は全員無事だった。
  • 作家の小松左京、ノーベル物理学賞の小柴昌俊、政治家の渡部恒三らが由美のファンを公言していたとされる。小松左京原作の『日本沈没』にはテレビ版で出演している。
  • 2019年の『Jewel Box』発売時点で、「平成」に入ってからライブを開くのは初めてだったとされる。インストアライブ自体も自身初だった。
  • 2010年の降板時には、後任をめぐって芸能リポーターがSNSで別の女優の名前を挙げ、その後に訂正する騒ぎもあった。最終的に雛形あきこの起用がTBSから発表された。
  • 1986年11月、天皇陛下御在位60年を祝う大奉祝祭で挨拶に立ったことがある。
  • 英語、料理、アコーディオン、貼り絵など、年齢に関係なく新しいことに挑戦しているという。若いころより挑戦すること自体がずっと楽しいと話している。

外部リンク[編集]

💬 みんなの声

この記事を読んだ人が、ひとことつぶやく場所です。