桜田淳子
さくらだ じゅんこ / Junko Sakurada
基本情報
誕生日 1958年4月14日
年齢 68歳
出身地 秋田県秋田市
国籍 日本
学歴 国本女子高等学校卒業
ジャンル 歌謡曲、アイドル歌謡
活動期間 1973年 - 1990年代半ば(2013年以降は記念イベント等で単発的に活動)
デビューアルバム 1973年2月25日 シングル「天使も夢みる」
家族 夫(1992年結婚)、子ども3人
身長 / 体重 161cm cm / ― kg
レーベル ビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)
事務所 サンミュージックプロダクション(かつて所属)
関連活動 花の中三トリオ(森昌子・山口百恵と)
別名 ジュンペイ、淳ちゃん、ズン子(愛称)
その他 『スター誕生!』決戦大会グランドチャンピオン(1972年)、第15回日本レコード大賞最優秀新人賞、NHK紅白歌合戦9回連続出場



概要[編集]

桜田淳子(さくらだ じゅんこ、1958年4月14日 - )とは、秋田県秋田市出身の歌手・女優である。オーディション番組『スター誕生!』で番組史上最高点を叩き出して1973年に「天使も夢みる」でデビューし、森昌子・山口百恵とともに「花の中三トリオ」と呼ばれた。「わたしの青い鳥」「はじめての出来事」「しあわせ芝居」などのヒットを持ち、のちに女優としても数々の映画賞を受賞した。

詳細[編集]

秋田の少女、『スター誕生!』で573点[編集]

1958年、秋田県秋田市に一男二女の末っ子として生まれた。父は製紙会社に勤めていたとされる。秋田市立日新小学校、秋田市立秋田西中学校に通っていた中学1年生の1972年、日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』に挑戦した。

同年7月19日、秋田県民会館で収録されたテレビ予選(8月6日放送)に出場し、牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌唱。このとき記録した573点は番組史上最高点である。続く9月6日に後楽園ホールで収録された決戦大会(9月17日放送)でグランドチャンピオン(最優秀賞)に輝き、なんと25社ものレコード会社・プロダクションがプラカードを挙げた。

その中から選んだ所属先がサンミュージックプロダクション、レコード会社がビクター音楽産業である。上京後は品川女子学院に転入し、のちに国本女子高等学校へ編入、1977年に卒業している。

「そよ風の天使」デビューと新人賞総なめ[編集]

1973年2月25日、阿久悠作詞・中村泰士作曲の「天使も夢みる」でデビューした。キャッチフレーズは「そよ風の天使」。デビュー曲はいきなりオリコン最高12位と好発進している。

同年8月発売の3枚目のシングル「わたしの青い鳥」(作詞:阿久悠、作曲:中村泰士)で第15回日本レコード大賞最優秀新人賞と第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞し、この年の各音楽賞の新人賞を総なめにした。11月の「花物語」で初めてオリコンのベストテン入りを果たし、以後ベストテン入りは通算18曲、シングル累計売上は約600万枚にのぼる。

花の中三トリオ[編集]

デビューした1973年、同じ『スター誕生!』出身で同学年の森昌子・山口百恵とともに「花の中三トリオ」と呼ばれるようになる。名付け親は番組のチーフプロデューサー・池田文雄で、同年8月26日の番組100回記念放送で命名された。由来は美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみの「三人娘」だという。

3人は学年が上がるたびに「花の高一トリオ」「高二トリオ」「高三トリオ」と呼び名を変え、1977年3月の高校卒業をもって「解散」した。ただし実際には3人はグループを組んでいたわけではなく、森昌子と山口百恵はホリプロ、桜田淳子はサンミュージックと、事務所の垣根を越えた組み合わせだった。1975年には3人の主演映画『花の高2トリオ 初恋時代』が公開され、1977年3月27日には日本武道館で卒業コンサートも開かれている。

歌手としての歩み[編集]

アイドル黄金期の看板[編集]

1974年12月発売の8枚目のシングル「はじめての出来事」(作詞:阿久悠、作曲:森田公一)でオリコン1位を獲得。1975年はオリコン年間シングル売上、マルベル堂のブロマイド売上、雑誌『明星』の年間人気投票でいずれも女性1位となり、名実ともに当時のトップアイドルとなった。

初期の楽曲はほぼ阿久悠の作詞で、作曲は中村泰士、森田公一、のちに筒美京平・大野克夫らが担当した。「十七の夏」「夏にご用心」「気まぐれヴィーナス」など、10代の揺れる気持ちを描いた阿久悠作品が淳子の代名詞である。同時期にはキャンディーズや、同じスタ誕出身の岩崎宏美らも活躍しており、女性アイドル百花繚乱の時代の中心にいた。

中島みゆき作品「しあわせ芝居」[編集]

1977年11月5日発売の21枚目のシングル「しあわせ芝居」は、中島みゆきの作詞・作曲。淳子のシングルで外部のシンガーソングライターが詞曲の両方を手がけたのはこれが初めてだった。TBSテレビ系『ザ・ベストテン』では1978年1月19日の放送第1回に第3位で初登場し、4週連続でランクインしている。

この曲で第20回日本レコード大賞金賞を受賞し、大賞にもノミネートされた。中島みゆきはこの曲と加藤登紀子に提供した「この空を飛べたら」で同年の日本レコード大賞西条八十賞(作詞賞)を受賞している。中島からはこのほか「追いかけてヨコハマ」「20才になれば」「化粧」なども提供された。

大人の歌手へ、そして歌手活動の区切り[編集]

1978年の「リップスティック」は松本隆作詞・筒美京平作曲、1979年の「サンタモニカの風」は阿久悠作詞・萩田光雄作曲と、20歳前後からは大人っぽい路線へシフトしていく。1980年代に入ると、矢野顕子や小田裕一郎、尾崎亜美、山下達郎ら当時のニューミュージック・シティポップ系の作家陣も起用した。

1981年のオリジナル・アルバム『My Dear』は、A面を矢野顕子、B面を松田聖子作品のヒットで知られた小田裕一郎が作曲し、ほぼ全曲を大村雅朗が編曲した意欲作である。1983年、小椋佳作曲の「眉月夜」が歌手活動最後のシングルとなり、以後は女優業に軸足を移した。

主なシングル[編集]

曲名 発売 作詞 / 作曲 備考
天使も夢みる 1973年2月 阿久悠 / 中村泰士 デビュー曲。オリコン最高12位
天使の初恋 1973年 阿久悠 / 中村泰士 2枚目
わたしの青い鳥 1973年8月 阿久悠 / 中村泰士 日本レコード大賞最優秀新人賞。オリコン最高18位
花物語 1973年11月 阿久悠 / 中村泰士 初のオリコンベストテン入り
黄色いリボン 1974年 阿久悠 / 森田公一 紅白初出場曲
はじめての出来事 1974年12月 阿久悠 / 森田公一 オリコン1位
十七の夏 1975年 阿久悠 / 森田公一
夏にご用心 1976年 阿久悠 / 森田公一 1976年紅白歌唱曲
気まぐれヴィーナス 1977年 阿久悠 / 森田公一 1977年紅白で紅組トップバッター
しあわせ芝居 1977年11月 中島みゆき / 中島みゆき 日本レコード大賞金賞
リップスティック 1978年 松本隆 / 筒美京平
サンタモニカの風 1979年 阿久悠 / 萩田光雄 1979年紅白歌唱曲
美しい夏 1980年 康珍化 / 馬飼野康二 1980年紅白歌唱曲
This is a "Boogie" 1981年 実川俊 / 小田裕一郎 1981年紅白歌唱曲
眉月夜 1983年 茅野遊 / 小椋佳 歌手活動最後のシングル

NHK紅白歌合戦[編集]

NHK紅白歌合戦には1974年の第25回から1982年の第33回まで、紅組で9回連続出場した。このうち1974年から1979年までの6回は、森昌子・山口百恵と3人そろっての出場だった。

年(回) 年齢 歌唱曲
1974年(第25回) 16歳 黄色いリボン
1975年(第26回) 17歳 はじめての出来事
1976年(第27回) 18歳 夏にご用心
1977年(第28回) 19歳 気まぐれヴィーナス
1978年(第29回) 20歳 しあわせ芝居
1979年(第30回) 21歳 サンタモニカの風
1980年(第31回) 22歳 美しい夏
1981年(第32回) 23歳 This is a "Boogie"
1982年(第33回) 24歳 セーラー服と機関銃

初出場の「黄色いリボン」では、森昌子と山口百恵がバックで踊るという「トリオならでは」の演出があった。1981年は白組から初出場した西田敏行がイントロ後もステージに残って1コーラス一緒に踊るという、対決ムードの強かった当時としては珍しい場面もあった。

1982年は、その年に薬師丸ひろ子が歌って大ヒットしていた「セーラー服と機関銃」をカバーして歌唱。その年のヒット曲を本人以外が紅白で歌うのは極めて珍しく、しかも淳子版の音源は未発売のままである。歌手活動を終えたあとの1985年にも、連続テレビ小説『澪つくし』出演の縁で応援コーナーにゲスト出演し、紅組司会の森昌子に花束を贈った。

女優として[編集]

映画[編集]

歌手としての全盛期から映画にも数多く主演した。1975年の『スプーン一杯の幸せ』をはじめ、『遺書 白い少女』『若い人』『愛情の設計』『愛の嵐の中で』などで主演を務めている。

同じ1975年12月27日公開の松竹『男はつらいよ 葛飾立志篇』(シリーズ第16作)では、山形からやってきた女子高生・最上順子を演じた。毎年手紙とお金を送ってくれる寅次郎を実の父ではないかと考え柴又を訪ねる役どころで、彼女の訪問をきっかけに寅さんは山形県へ向かい、やがて「学問」に目覚めていく。マドンナ(樫山文枝)ではないものの、物語の発端を担う重要な役である。

1979年の『病院坂の首縊りの家』では法眼由香利と山内小雪の二役、1980年の『動乱』では高見葉子を演じた。1987年の『イタズ』(岩田キミ役)では日本アカデミー賞助演女優賞とキネマ旬報ベスト・テン助演女優賞、1989年の『花の降る午後』(荒木実沙役)でも日本アカデミー賞助演女優賞を受賞している。

1993年の『お引越し』では主人公の少女の母・漆場なずなを演じ、キネマ旬報、毎日映画コンクール、報知映画賞の助演女優賞を受賞。これが最後の映画出演作となった。

テレビドラマ[編集]

1985年にはNHK連続テレビ小説『澪つくし』で坂東律子を演じ、1987年のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』では渡辺謙演じる伊達政宗の正室・愛姫を演じた。1989年には日本テレビ『池中玄太80キロIII』で小日向あきら役、1992年にはNHK『オバサンなんて呼ばないで!』で野村洋子役を務めるなど、単発の主演ドラマも多数ある。

舞台[編集]

1978年、長谷川一夫の相手役を務めた『おはん長右衛門』で初舞台。1980年の『アニーよ銃をとれ』で初主演し、アニー・オークリー役で文化庁芸術祭大衆芸能部門優秀賞を当時史上最年少で受賞した。この作品で女優としての評価を確立したとされる。その後も『細雪』の四女・妙子役で繰り返し出演したほか、『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』『エドの舞踏会』『十二夜』『楡家の人びと』などの舞台に立った。

受賞歴[編集]

  • 1973年 第15回日本レコード大賞 最優秀新人賞(「わたしの青い鳥」)
  • 1973年 第4回日本歌謡大賞 放送音楽新人賞(「わたしの青い鳥」)
  • 1978年 第20回日本レコード大賞 金賞(「しあわせ芝居」)
  • 1980年 文化庁芸術祭 大衆芸能部門 優秀賞(『アニーよ銃をとれ』)
  • 1986年 芸術選奨 文部大臣新人賞
  • 1988年 日本アカデミー賞 助演女優賞、キネマ旬報ベスト・テン 助演女優賞(『イタズ』)
  • 1990年 日本アカデミー賞 助演女優賞(『花の降る午後』)
  • 1991年 日本文芸大賞 ルポルタージュ賞(『神様がくれた贈り物』)
  • 1993年 キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、報知映画賞 各助演女優賞(『お引越し』)

1992年の合同結婚式とその後[編集]

1992年6月30日、記者会見で世界基督教統一神霊協会(統一教会。現・世界平和統一家庭連合)の合同結婚式に参加することを表明した。同年8月25日、韓国・ソウルのオリンピック主競技場で行われた合同結婚式に参加し、会社役員の男性と結婚。この件は当時、ワイドショーや週刊誌で大きく報道された。

結婚後は映画『お引越し』(1993年)などに出演したものの、1990年代半ばを境に表立った芸能活動からは遠ざかり、事実上の休業状態となった。のちに3児の母となっている。2006年にはエッセイ集『アイスルジュンバン』(集英社)を出版した。

2022年7月以降、旧統一教会をめぐる報道が相次ぐ中で、淳子の過去の合同結婚式参加も改めて取り上げられた。教団側は、淳子の芸能活動には関与していないとし、「広告塔」として扱ったことは否定したと報じられている。2025年3月には東京地裁が同教団に解散命令を出し、この際にも淳子の名前が週刊誌などで言及された。

再始動(2013年 - 2018年)[編集]

2013年5月28日、サンミュージックの創業者・相澤秀禎の通夜に参列し、約16年半ぶりに公の場に姿を見せた。デビュー40周年の同年10月23日には本人が選曲に関わったベストアルバム『Thanks 40 〜青い鳥たちへ』を発売し、11月26日には東京・銀座の博品館劇場でファン感謝イベントを開催。生歌、トーク、握手会で約21年ぶりにファンと直接交流した。

2017年4月7日には同じ博品館劇場の「スクリーン・ミュージックの宴」にゲスト出演し、3年4か月ぶりにステージに立った。ただし、このときは芸能界復帰については明言していない。

2018年2月には「桜田淳子プロジェクト」が発表され、デビュー記念日の2月25日に約35年ぶりとなるオリジナルアルバム『マイ・アイドロジー』を発売。報道によれば本人側が原盤制作費を出資する形での制作とされる。3月21日には45周年記念BOX『Thanks 45 〜しあわせの青い鳥 [The Live Anthology]』が発売された。こちらは本人選曲のライブ音源45曲に、1980年秋から1981年春に出演していたラジオ番組『セイ!ヤング』の音源、歌番組の初商品化映像約100分を収めたDVDなどを詰め込んだ大作である。3月27日には博品館劇場でコンサート「マイ・アイドロジー スペシャル〜ありがとうのかわりに」を開き、新曲「ありがとうのかわりに〜プロローグ」を含む13曲を披露、約380人のファンが集まった。

2020年代の動き(2019年 - 2026年)[編集]

配信・復刻[編集]

2019年7月3日、ビクターから配信限定のライブアルバム『16才のリサイタル(Live at 渋谷公会堂 1974/10/19)』と『ビバ!セブンティーン リサイタル2(Live at 文京公会堂 1975/10/26)』がリリースされた。10代のリサイタル音源がデジタルで聴けるようになったのはファンにとって大きな出来事だった。

2020年代に入るとシティポップ再評価の流れに乗り、ビクターの復刻シリーズ「マスターピース・コレクション」の女性シンガー編で、2022年6月29日に『パーティー・イズ・オーバー +2』、2024年7月3日に『My Dear +4』が発売された。『My Dear +4』は高音質UHQCDで新規リマスタリングされ、ボーナストラック4曲と新規ライナーノーツ、オリジナル盤の帯や歌詞カードの復刻、シングルジャケットの縮小版まで封入されている。アイドル歌謡としてだけでなく、矢野顕子や小田裕一郎、大村雅朗らが参加した「シティポップ作品」としても淳子の音楽が聴き直されているわけだ。

50周年と報道[編集]

2022年8月には、翌2023年のデビュー50周年に向けた動向に関心が集まっていると報じられた。全国霊感商法対策弁護士連絡会の弁護士が50周年の活動に反対する姿勢を示したことも伝えられている。2018年の博品館劇場公演以降、大規模な公演や新作発表は報じられていない。

2025年 - 2026年[編集]

2025年3月の旧統一教会への解散命令の際には、週刊誌が淳子の夫の近況などを報じた。一方で2026年には、表舞台を離れて33年となった淳子のかつてのドラマ出演シーン(秘書役や母親役)がSNSで「すごい」「色白」などと再び話題になっているとする記事がウェブメディアで相次いで配信されている。

テレビでも過去の映像に触れる機会は残っており、2026年10月から11月にかけてのスカパー!の番組表には、NHKの歌番組『レッツゴーヤング』の再放送回、映画『お引越し』(1993年)、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』傑作選(1979年1月8日放送回)が組まれている。ディナーショーなど本人が出演する新たなライブ活動は、2026年10月時点で確認できなかった。

余談[編集]

  • 1982年10月4日、フジテレビ『笑っていいとも!』の名物コーナー「テレフォンショッキング」の記念すべき第1回ゲストは桜田淳子だった。司会のタモリが大ファンだったからだという。
  • 井関農機の田植機「さなえ」のCMで、秋田弁まじりの「やっぱし早苗だべさ」というセリフが話題になった。本人は重度の近眼で、秋田弁を話すこともあるという。
  • 「わたしの青い鳥」の鳥の鳴き声のような歌詞部分は、作曲の中村泰士が「鳥の鳴き声に合わせて言葉を変えた」と語る一方、作詞の阿久悠は「最初から鳴き声の言葉だった」と語っており、作者2人の証言が食い違っている。
  • 「わたしの青い鳥」は『ウルトラマンタロウ』第49話のラストシーンで使われたほか、『オレたちひょうきん族』の「タケちゃんマン」で明石家さんまがこの曲を歌うギャグもあった。2008年にはモーニング娘。がカバーしている。
  • 紅白で1982年に「セーラー服と機関銃」を歌った淳子版の音源は、商品化されていない幻のテイクである。
  • 秋田市出身の紅組歌手は、淳子ただ1人とされる。
  • 「花の中三トリオ」の後、事務所は年下の3人で「花の末っ子トリオ」を作ろうとしたこともあった。

外部リンク[編集]

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