| Hiromi Iwasaki いわさき ひろみ | |
|---|---|
![]() 岩崎宏美(2023年。出典:デイリースポーツ) | |
| 本名 | 岩崎宏美 |
| 誕生日 | 1958年11月12日 |
| 年齢 | 67歳 |
| 出身地 | 東京都江東区深川 |
| 国籍 | 日本 |
| 家族 | 妹:岩崎良美(歌手・女優)、元夫:今拓哉(ミュージカル俳優、2009年 - 2023年)、一般男性との間に息子2人 |
| 血液型 | B型 |
| 学歴 | 成城学園中学校、堀越高等学校卒業(1977年) |
| 職業 | 歌手、女優、声優 |
| 肩書 | 『スター誕生!』出身、チェコ共和国親善大使(2008年 - ) |
| 活動期間 | 1975年 - |
| 代表的な実績 | 「ロマンス」(1975年)、「センチメンタル」(1975年)、「思秋期」(1977年)、「聖母たちのララバイ」(1982年)、NHK紅白歌合戦通算15回出場、ミュージカル『レ・ミゼラブル』ファンテーヌ役 |
| 受賞 | 日本レコード大賞 歌唱賞(1977年「思秋期」)、日本歌謡大賞 大賞(1982年「聖母たちのララバイ」)ほか1975年の新人賞多数 |
| 事務所 | 芸映(1975年 - 1984年)→ スリー・ジー(1984年 - 2010年)→ コンリアルアート(2010年 - 2023年)→ スリージーカンパニー(2023年 - ) |
| ファンクラブ | オフィシャルファンクラブあり |
| 関連活動 | 岩崎良美(妹)、野口五郎(デュエット) |
| 別名 | 益田宏美(1988年 - 1995年頃の芸名) |
| あだ名 | ヒロリン |
| その他 | キャッチフレーズは「天まで響け岩崎宏美」。2025年にデビュー50周年 |
| リンク | 公式YouTubeチャンネル(2020年開設)、公式Instagram |
概要[編集]
岩崎宏美(いわさき ひろみ、1958年11月12日 - )とは、日本の歌手・女優である。1974年に『スター誕生!』の決戦大会で優勝し、翌1975年に「二重唱(デュエット)」でデビュー。「ロマンス」「思秋期」「聖母たちのララバイ」などのヒットを持ち、70年代アイドルの中でも群を抜く歌唱力で知られる。2025年にデビュー50周年を迎え、37年ぶりに紅白歌合戦へ出場した。
詳細[編集]
「天まで響け」の歌唱力[編集]
デビュー時のキャッチフレーズは「天まで響け岩崎宏美」。その名の通り、高音まで伸びる声量と正確な音程で、同期のアイドル勢とは明らかに違う「歌える新人」として売り出された。週刊女性PRIMEの記事では、同業者や音楽評論家から「例外的にうまい歌手」と評されてきたことが紹介されている。2020年放送のバラエティ番組の歌唱力ランキングでは、還暦を過ぎた現役歌手の中で最高位となる7位に入った。
ただし本人の武器について、デビュー曲から長く楽曲を手がけた作曲家・筒美京平は「高音をほめられると思うけど、あなたのよさは中低音であることを忘れないで」と助言したという。岩崎はこの言葉を半世紀たった今も大事にしており、2026年のインタビューでも「中低音が今も自分を支えている」と語っている。
『スター誕生!』の申し子[編集]
日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』出身組の代表格のひとり。中学3年で応募し、「あなた」を歌って関東大会代表に選ばれ、1974年7月の決戦大会で最優秀賞を獲得した。このとき8社がスカウトのプラカードを挙げ、最終的に芸映とビクターレコードとの契約が決まった。
同番組出身の山口百恵、森昌子、桜田淳子とは同学年にあたり、とくに森昌子とは高校の同級生でもある。のちに同じ番組から登場する中森明菜は、オーディションで岩崎の「夏に抱かれて」を歌ったことが知られている。ミッツ・マングローブは、明菜の初期シングルが清純路線とツッパリ路線を交互に出した戦略について、岩崎宏美と山口百恵がモデルだったのではないかと語っている。
「ぱっつん前髪」と都市伝説[編集]
10代から20代にかけてのトレードマークは、眉の上で切りそろえた前髪。これはデビュー前の面接で「顔がでかい」と言われ、おでこを隠すために作った髪型だったとされる。あまりに前髪を上げないため、当時は「おでこに第三の目がある」という都市伝説までささやかれた。
本人は2026年のインタビューで、30代で結婚・出産したあとは額を出して歌う映像もあると明かし、「どんな姿でも歌への姿勢は変わっていない」と語っている。
火曜サスペンス劇場の「声」[編集]
1980年代を知る世代にとって、岩崎の声は日本テレビ系『火曜サスペンス劇場』と切り離せない。初代エンディングテーマ「聖母たちのララバイ」をはじめ、「家路」「橋」「25時の愛の歌」「夜のてのひら」、そして1992年から1993年の「愛という名の勇気」まで、同枠の主題歌を何度も担当した。崖の上のラストシーンから流れるあのイントロは、ドラマの「お約束」として今もネタにされるほどである。
「自然児」の素顔[編集]
本格派の歌声とは裏腹に、素顔はさっぱりした性格。週刊女性PRIMEのインタビューでは「歌ったり、ステージでドレスを着たりしなければ、自分は男じゃないかと思う」と語っている。デビュー年の1975年にはテレビ企画「日本おてんば大賞」で優勝しており、棒のぼり競技で「このへんでやめておこう」と思ったのにダントツになってしまったという話は、今もコンサートのトークの持ちネタになっている。
ミッツ・マングローブも、岩崎には大スター特有の緊張感がなく、ライブを見に来てくれたり、自分の車で家まで送ってくれたりしたと交流を明かしている。
経歴[編集]
生い立ち(1958年 - 1974年)[編集]
1958年、東京都江東区深川に生まれる。父は木場で製材機械を製作する会社を経営しており、3姉妹の次女。2歳半ほど年下の妹がのちの歌手・岩崎良美である。2025年12月放送のNHK『ファミリーヒストリー』では、先祖に奄美大島の島唄の名手がいたことが明かされ、本人も初めて知って驚いていた。
小学2年で合唱団に入り、小学5年のときにジャクソン5の「ABC」を聴いて歌手に憧れる。成城学園初等学校・中学校に通い、中学では松田トシに師事。中学の同級生だった岡村清太郎(のちの清元延寿太夫)との縁で、先代水谷八重子の部屋子として見習い経験もした。父は芸能界入りに強く反対していたが、『ファミリーヒストリー』では「ある一曲」をきっかけに状況が変わったことが紹介された。
デビューと「ロマンス」(1975年 - 1979年)[編集]
1975年4月25日、阿久悠作詞・筒美京平作曲の「二重唱(デュエット)」でデビュー。2作目の「ロマンス」は90万枚近いヒットとなり、この年の新人賞を総なめにした。同年の第26回NHK紅白歌合戦には紅組トップバッターとして初出場している。続く「センチメンタル」はオリコン週間1位を獲得し、1976年の選抜高校野球の入場行進曲にも選ばれた。
「ロマンス」以降、シングルは12作連続でオリコンTOP10入り。1977年には初のバラード「思秋期」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、アイドルから実力派歌手へと評価を固めた。同年3月に堀越高等学校を卒業しているが、卒業式のあとに単位不足で2か月補習を受けたというエピソードもある。1979年には『ロック・ミュージカル ハムレット』でオフィーリアを演じ、舞台にも進出した。
「聖母たちのララバイ」と全盛期(1980年 - 1987年)[編集]
1982年、『火曜サスペンス劇場』のエンディングテーマ「聖母たちのララバイ」がシングル化され、オリコン1位、80万枚を超える大ヒットに。TBSの『ザ・ベストテン』では5週連続1位を記録し、第13回日本歌謡大賞を受賞した。1983年には2度目となる選抜高校野球の入場行進曲にも採用されている。
1986年には外務省主導の「ジャパン・ウイーク」の親善大使として、エジプトのピラミッドとスフィンクスの前でコンサートを開いた。同年にミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』でホーデル役、1987年には『レ・ミゼラブル』日本初演でファンテーヌ役を務める。同年は明石家さんま主演のTBS系ドラマ『男女7人秋物語』にも出演した。
結婚・出産と「益田宏美」時代(1988年 - 1990年代)[編集]
1988年、一般男性と結婚し、芸名を「益田宏美」に改めた。同年の紅白で14年連続出場となったが、翌1989年は出産のため出場を見送り、これが長いブランクの始まりになった。1989年発売のアルバム『誕生 〜BIRTH〜』はロングセラーとなり、のちの『家族』『きょうだい』とあわせて「胎教&育児3部作」と呼ばれる。
1988年には『レ・ミゼラブル』出演中に声帯ポリープが見つかり、途中降板も経験した。1995年に協議離婚し、その後しばらく息子たちと離れて暮らす時期が続いた。1997年から2000年には再び『レ・ミゼラブル』のファンテーヌ役を演じ、1998年の公演で共演したのがのちの再婚相手・今拓哉である。
カバーと海外公演(2000年代)[編集]
2001年に喉のポリープの摘出手術を受ける。2003年にはカバーアルバム『Dear Friends』を発表し、以後シリーズ化。2007年にはオリジナルアルバム22枚が紙ジャケットCDで復刻された。
同年、チェコの首都プラハでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、アルバム『PRAHA』を発売。これが縁となり、2008年にチェコ共和国の初代親善大使に任命された。2009年4月、約7年半の同居を経て今拓哉と再婚している。
2010年代[編集]
2010年、今拓哉が設立した個人事務所コンリアルアートに移籍。2012年には熱烈なファンを公言するさだまさしの楽曲を集めた『Dear Friends VI さだまさしトリビュート』を発表した。2017年にはディズニー映画『美女と野獣』実写版の日本語吹き替えでポット夫人の声を担当し、声優としても話題を呼んだ。
2020年 - 2024年[編集]
2020年のデビュー45周年では、4月の記念コンサートがコロナ禍で延期となり、12月にようやく開催された。同年に公式YouTubeチャンネルを開設し、秘蔵映像の公開やネットでのサイン会を始めている。同年には宮本浩次がカバーアルバムで「ロマンス」を取り上げ、若い世代にも名前が知られるきっかけになった。
2021年には野口五郎と初のデュエット・シングル「好きだなんて言えなかった」を発表し、2022年にはコラボアルバム『Eternal Voices』を発売して全国11か所をツアーで回った。2023年4月に今拓哉と離婚し、7月に連名で「前に歩を進めるために、籍を離れ、それぞれの人生を歩んでいく道を選びました」と関係者に報告した。同年から所属事務所はスリージーカンパニーとなっている。
2025年 - 2026年[編集]
2025年はデビュー50周年。3月にTBSの秘蔵映像を集めたDVD6枚組BOX『HIROMI IWASAKI 50th TBS Special Collection』を発売し、デビュー記念日の4月25日に昭和女子大学人見記念講堂、27日に大阪・オリックス劇場で「デビュー50周年記念コンサート 〜永遠のありがとう〜」を開いた。9月と11月には妹・良美のデビュー45周年と合わせた「ファンタステックオーケストラコンサート」を東京と西宮で開催している。
11月には第76回NHK紅白歌合戦への出場が発表され、本人は「37年ぶりに復帰いたします」「デビュー50周年の年に最高の贈り物」と報告。大みそかの本番では「聖母たちのララバイ」を歌い、通算15回目の出場となった。年明けにはさだまさしの新春生放送に出演して妹と共演し、2026年も2月のASKAのコンサートへのゲスト出演、4月のABCテレビ『爆踊!アバンギャルディ 昭和歌謡の宴』出演、6月の『NHKプレミアム Blu-ray BOX』発売と、50周年イヤーの勢いのまま活動を続けている。
主な作品[編集]
代表的なシングル[編集]
シングルは1975年から2017年までに68枚を発表し、うち15枚がオリコンTOP10入り。週間1位は「ロマンス」「センチメンタル」「聖母たちのララバイ」の3作。
- 「二重唱(デュエット)」(1975年)- デビュー曲。作詞・阿久悠、作曲・筒美京平
- 「ロマンス」(1975年)- 出世作。90万枚近いヒット
- 「センチメンタル」(1975年)- オリコン1位。1976年センバツ入場行進曲
- 「ファンタジー」(1976年)
- 「思秋期」(1977年)- 初のバラード。日本レコード大賞歌唱賞
- 「シンデレラ・ハネムーン」(1978年)- アップテンポのディスコ歌謡
- 「すみれ色の涙」(1981年)
- 「聖母たちのララバイ」(1982年)- 最大のヒット曲。日本歌謡大賞。1983年センバツ入場行進曲
- 「家路」(1982年)- 火曜サスペンス劇場主題歌
- 「好きにならずにいられない」(1988年)
- 「万華鏡」(1979年)
- 「好きだなんて言えなかった」(2021年)- 野口五郎とのデュエット
「ロマンス」誕生の舞台裏[編集]
「ロマンス」は作曲の筒美京平が「16歳が歌うには歌詞が大人っぽすぎる」とA面化に反対したという。一方で作詞の阿久悠は「岩崎の声なら爽やかに聴こえる」と推し、最終的に関係者の多数決でA面に決まった。結果的に彼女の出世作になったのだから、阿久悠の読みが当たった形である。
筒美京平は生涯で岩崎に約80曲を提供しており、本人は今でも筒美を恩師と呼ぶ。2026年のインタビューでは、「ロマンス」「センチメンタル」は歌うと当時の自分に戻れる感覚があり、解釈は変わっていないと話している。
主なアルバム・映像作品[編集]
- 『誕生 〜BIRTH〜』(1989年)- 胎教&育児3部作の第1弾
- 『Dear Friends』シリーズ(2003年 - )- カバーアルバム。第6弾はさだまさしトリビュート
- 『PRAHA』(2007年)- プラハでチェコ・フィルと共演
- 『Eternal Voices』(2022年)- 野口五郎とのコラボアルバム
- 『HIROMI IWASAKI 50th TBS Special Collection』(2025年)- 『8時だヨ!全員集合』『ザ・ベストテン』『ロッテ歌のアルバム』などの出演映像を約7時間収録したDVD6枚組。全映像が初DVD化
- 『NHKプレミアム Blu-ray BOX』(2026年)- 紅白歌合戦、『レッツゴーヤング』、『ビッグショー』、『うたコン』などの映像を約400分収録。限定盤「ピラミッド」付き5枚組もあり
舞台・出演作[編集]
ミュージカル[編集]
歌手としての地力を生かし、早くからミュージカルにも出演してきた。代表作は『レ・ミゼラブル』のファンテーヌで、1987年の日本初演、1988年、そして1997年から2000年にかけて演じている。娘を思いながら命を落とすファンテーヌの「夢やぶれて」は、彼女の歌唱力が最も生きる役どころとして評価された。
- 『ロック・ミュージカル ハムレット』(1979年)- オフィーリア役
- 『屋根の上のバイオリン弾き』(1986年)- ホーデル役
- 『レ・ミゼラブル』(1987年、1988年、1997年 - 2000年)- ファンテーヌ役
テレビ・声優[編集]
- 『男女7人秋物語』(1987年、TBS)
- 『魔法の剣キャメロット』(1998年)- ジュリアナ役(日本語吹き替え)
- 『美女と野獣』(2017年)- ポット夫人役(日本語吹き替え)
- 『ファミリーヒストリー』(2025年12月、NHK)
- 『爆踊!アバンギャルディ 昭和歌謡の宴』(2026年4月、ABCテレビ)
紅白歌合戦と岩崎宏美[編集]
14年連続出場(1975年 - 1988年)[編集]
デビュー年の1975年、17歳で紅組トップバッターに抜擢されて初出場。以後1988年まで14年連続で出場し、昭和の紅白の常連だった。当時は大みそかに日本レコード大賞の会場とNHKホールを行き来する慌ただしい日程で、本人は「昔は白バイ先導で」移動していたと振り返っている。
紅白恒例だった応援合戦のラインダンスは苦手だったようで、毎年のアンケートに「ラインダンスをやめてください」と書いていたと明かしている。夜中の合同練習も当たり前だった時代である。
37年ぶりの復帰(2025年)[編集]
2025年の第76回紅白で、37年ぶり・通算15回目の出場を果たした。曲は「聖母たちのララバイ」。リハーサルでは「応援合戦がない」「ラインダンスがない」と紅白の変化に驚き、「今は歌に集中できる」と感想を述べた。会見では「歌が売れていなくても悲壮感なく仕事ができた。困ったのはコロナ禍のときだけ」と語り、恵まれた50年だったと感謝を口にしている。
一方で、後年のインタビューでは「後ろにバンドもいないし、出演者に知り合いも少ない中」で、数えきれないほど立ったNHKホールがすべて新鮮に感じられたと明かした。予想以上に緊張していたそうで、今でも思い出すと嫌な汗が出るという。この回は綾瀬はるか・有吉弘行・今田美桜らが司会を務め。
岩崎宏美と岩崎良美[編集]
姉妹デュオの原点[編集]
妹の岩崎良美は1961年生まれ。1980年に「赤と黒」で歌手デビューし、1985年にはタッチのアニメ主題歌「タッチ」が大ヒットした。父親は良美の芸能界入りにも反対していたが、姉の宏美とボイストレーナーの後押しで両親の了承を得たとされる。姉妹そろってヒット曲を持つ歌手という例は、昭和の歌謡界でも珍しい。
1984年には姉妹で「聖母たちのララバイ」を歌唱したことがあり、ミッツ・マングローブが率いる星屑スキャットがこの曲をライブで歌うきっかけになったという。
ジョイントライブと共演[編集]
2008年に姉妹のジョイントコンサートを開催し、2023年以降は宝くじの助成事業として姉妹のジョイントライブが定期的に行われている。2025年には「岩崎宏美50周年・岩崎良美45周年」を冠したオーケストラコンサートを、指揮者の栁澤寿男と東京・西宮で開催した。
2026年元日には、さだまさしが両国国技館から届ける新春生放送に姉妹で出演し、「おさるのジョージ」と良美の「にがい涙」を披露。紅白とは打って変わって「緊張の『き』の字もないほど楽しく歌えて、2026年の素晴らしい歌い初めになりました」と語った。2026年12月から2027年5月にかけても、鎌倉・大宮での姉妹コンサートや「ファンタスティックオーケストラコンサート2027」(西宮・名古屋・東京)が予定されている。
共演者・関係の深い人物[編集]
作家陣[編集]
デビュー当時の楽曲は、作詞・阿久悠と作曲・筒美京平のコンビが中心。阿久悠は『スター誕生!』の審査員でもあり、いわば番組の延長線上でヒットを作り上げた。筒美京平は約80曲を提供し、歌い方の指針まで与えた恩師である。「聖母たちのララバイ」は作詞を山川啓介が担当した。
野口五郎・ASKAとのデュエット[編集]
同世代の野口五郎とは2021年に初のデュエット・シングルを出し、2022年にはアルバムとツアーで本格的にコンビを組んだ。2026年2月には、ASKAのコンサート「昭和が見ていたクリスマス!?」(東京国際フォーラム、グランキューブ大阪)の全公演にゲスト出演し、30年以上前の共演曲「Love is alive」をデュエットした。
宮本浩次・ファンを公言する人々[編集]
エレファントカシマシの宮本浩次は2020年のカバーアルバムで「ロマンス」を歌い、岩崎本人も「いい歌は歌い継がれていくもの」と歓迎した。ほかにも石破茂、林家たい平、石原詢子、神野美伽らがファンを公言している。
本人も音楽の好みは幅広く、あいみょんや宇多田ヒカルも好きだと話している。高校の同級生・森昌子とONE OK ROCKのライブに行き、ボーカルのTakaに「日本のフレディ・マーキュリーね!」と伝えたというエピソードもある。Takaは森昌子の息子であり、「同級生の息子のライブに一緒に行く」という微笑ましい構図である。
炎上とバズ[編集]
「聖母たちのララバイ」の盗作騒動[編集]
「聖母たちのララバイ」は大ヒットの一方で、映画『ファイナル・カウントダウン』の劇中曲に酷似していると指摘され、作曲者側が盗作を認めた。その後、作曲者として米国の作曲家ジョン・スコットの名がクレジットされるようになった。この経緯もあり、同曲は日本歌謡大賞を受賞しながら、日本レコード大賞にはノミネートされなかったとされる。歌い手である岩崎本人の責任が問われた騒動ではない。
アバンギャルディとの「シンデレラ・ハネムーン」[編集]
2025年には、ダンスチーム「アバンギャルディ」との共演で「シンデレラ・ハネムーン」を披露し、若い世代からも反響を集めた。本人は映像で小節数を間違えて慌てている様子が残っていると笑いながら振り返っている。2026年4月にはアバンギャルディの冠番組『爆踊!アバンギャルディ 昭和歌謡の宴』(ABCテレビ)の第2回ゲストとして再びコラボし、TVer・ABEMAでも配信された。
息子たちとの3ショット[編集]
2026年8月、ビルボードライブ大阪での「アコースティックツアー2026」に息子2人が訪れ、Instagramで親子3ショットを公開した。32年前に子どもと離れて暮らしていたころの思いにも触れ、「夢が実現しつつある」とつづった投稿には「そっくり」「お2人共にイケメン」などのコメントが寄せられ、ニュースでも取り上げられた。
余談[編集]
- 「シンデレラ・ハネムーン」はものまね芸人コロッケの定番レパートリーとして有名になりすぎ、本人が一時期歌うのを封印していたとされる。
- 熱心なさだまさしファンで、「まさし教の信者」を自称している。2012年にはトリビュートアルバムまで作り、2026年の歌い初めもさだまさしの生放送だった。
- 1977年の高校卒業時のインタビューでは、外国人客の前で発音に自信が持てず「私の発音じゃダメだと思う」として英会話を習いたいと話し、ステージのイメージを「ボーイッシュからエレガンスへ」変えたいとも語っていた。
- 業界の慣習でベストアルバムが毎年のように出ることに、ディレクターへ強く抗議したことがあるという。
- ファンクラブの会報やコンサートレポートは本人が自分で書いている。かつての親衛隊が再結成され、コンサートでのれんを贈られたことが励みになっていると語っている。
- 1976年に「センチメンタル」、1983年に「聖母たちのララバイ」と、選抜高校野球の入場行進曲に2度選ばれている。高校生アイドルとして選ばれた1回目と、国民的歌手として選ばれた2回目で立場がまったく違う点がよくネタにされる。
