キャンディーズ
Candies
基本情報
出身地 日本(3人とも東京都生まれ)
国籍 日本
ジャンル 歌謡曲、アイドルポップス
活動期間 1972年(マスコットガールとして)、1973年 - 1978年(レコードデビュー〜解散)
デビューアルバム 1973年 シングル「あなたに夢中」
身長 / 体重 ― cm / ― kg
レーベル CBS・ソニー
事務所 渡辺プロダクション
ファンクラブ 全国キャンディーズ連盟(全キャン連)
関連活動 スクールメイツ(東京音楽学院)
別名 キャンディーズ(ラン・スー・ミキ)
その他 メンバー:伊藤蘭(ラン)、田中好子(スー)、藤村美樹(ミキ)



概要[編集]

キャンディーズ(Candies、1973年 - 1978年)とは、伊藤蘭(ラン)・田中好子(スー)・藤村美樹(ミキ)の3人による日本の女性アイドルグループである。「年下の男の子」「春一番」「微笑がえし」などのヒットを持ち、コントもこなす万能アイドルとして70年代を駆け抜けた。人気絶頂の1977年に「普通の女の子に戻りたい」と解散を宣言し、翌年の後楽園球場公演で伝説となった。

詳細[編集]

「食べてしまいたいほどかわいい」から始まった3人[編集]

3人はもともと、渡辺プロダクション系の東京音楽学院に所属する「スクールメイツ」の一員だった。スクールメイツはミニスカートとポンポン姿で人気歌手の後ろを盛り上げる大所帯のダンス隊で、ラン・スー・ミキはその中の数十人の一人にすぎなかった。

転機は1972年4月。NHKの歌番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールに3人が抜擢され、番組プロデューサーが「食べてしまいたいほどかわいい女の子たち」という意味を込めて「キャンディーズ」と名付けた。その後、音楽プロデューサーの松崎澄夫が担当に名乗りを上げ、1973年9月1日、シングル「あなたに夢中」でレコードデビューを果たした。

センター交代で一気にブレイク[編集]

デビューから4枚目のシングルまでは、最年少のスーがメインボーカルを担当していた。ところが売れ行きは伸び悩み、オリコン最高位は30〜40位台にとどまった。

1975年2月、5枚目のシングル「年下の男の子」でランがセンターに立つと状況が一変する。お姉さん的な雰囲気のランが「年下の男の子」を歌うという設定が10代の男性ファンに刺さり、オリコン9位で初のベストテン入り。以降、「春一番」「やさしい悪魔」「わな」とヒットを重ね、1975年から3年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。ちなみにランによれば、コンサートでは3人がローテーションでセンターを務めており、本人たちはレコードのセンター交代を大きな変化とは感じていなかったという。

歌えて、踊れて、コントもできる[編集]

キャンディーズのもうひとつの顔が、バラエティでの活躍である。TBSの『8時だョ!全員集合』(1973年 - 1977年出演)ではアシスタントとしてザ・ドリフターズとコントを繰り広げ、テレビ朝日の『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』(1976年 - 1978年)では伊東四朗・小松政夫を相手にいたずらっ子役を熱演。カツラや変装もいとわず、ダンスのギャグを自分たちで考えることもあったという。

「アイドルがコントで体を張る」スタイルは、のちのおニャン子クラブやモーニング娘。のバラエティ路線の先駆けともいえる。グループアイドル、メンバーカラー、ファン組織といった現在のアイドル文化の要素を早くから備えていたことから、「グループアイドルの元祖」と呼ばれることも多い。

メンバー[編集]

愛称 名前 生年月日 出身 主な担当
ラン 伊藤蘭(いとう らん) 1955年1月13日 東京都武蔵野市生まれ 「年下の男の子」以降のセンター。最年長
スー 田中好子(たなか よしこ) 1956年4月8日 - 2011年4月21日 東京都足立区 デビュー当初のメインボーカル。最年少
ミキ 藤村美樹(ふじむら みき) 1956年1月15日 東京都世田谷区生まれ、福島県福島市育ち アルトのコーラス、音楽面のまとめ役

ラン(伊藤蘭)[編集]

3人の中で最年長。「年下の男の子」から事実上の不動のセンターとなり、グループの顔として知られた。1977年の解散宣言で「普通の女の子に戻りたい!」と叫んだのもラン。解散後は女優として復帰し、1989年に俳優の水谷豊と結婚。娘は俳優の趣里である。2019年には解散から41年を経てソロ歌手デビューし、現在もツアーを続けている。

スー(田中好子)[編集]

最年少で、デビューから4作目まではメインボーカルを務めた。「年下の男の子」以降は向かって右側のポジションでハーモニーを支えた。解散後は女優として大成し、映画『黒い雨』(1989年)で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞をはじめ多数の賞を受賞。連続テレビ小説『おしん』『ちゅらさん』にも出演した。2011年4月21日、乳がんのため55歳で死去した。

ミキ(藤村美樹)[編集]

向かって左の立ち位置で、コーラスではアルトを担当し、難しいパートを受け持つことが多かったとされる。本人は音楽面のリーダーを自任していたという。シングルでセンターを務めたのは「わな」(1977年)の1曲のみで、ここで初めてソロパートを得た。解散後は1983年に期間限定でソロ歌手として活動し、同年の結婚を機に芸能界を引退した。

歴史[編集]

1972年 - 1974年:マスコットガールからデビューへ[編集]

1972年4月、NHK『歌謡グランドショー』のマスコットガールとして3人組での活動を開始。1973年9月1日、山上路夫作詞・森田公一作曲の「あなたに夢中」でCBS・ソニーからデビューした。同年から『8時だョ!全員集合』にも出演し、お茶の間での知名度を上げていく。

1974年には「そよ風のくちづけ」「危い土曜日」「なみだの季節」を発表。「なみだの季節」から作曲家・穂口雄右がシングルを手がけるようになり、以後のキャンディーズサウンドを決定づけるコンビが生まれた。ただしこの時期のシングルはいずれもヒットには届いていない。ファンクラブの東京支部の会員も、1974年時点では約500人程度だったとされる。

1975年:「年下の男の子」で大ブレイク[編集]

1975年2月21日、ランをセンターに据えた「年下の男の子」を発売。オリコン9位、売上約26万枚と、グループ初の大ヒットになった。同年10月には蔵前国技館で「キャンディーズ10000人カーニバル」を開催し、ファンの組織化が一気に進む。年末にはNHK紅白歌合戦に初出場した。

「内気なあいつ」「その気にさせないで」「ハートのエースが出てこない」と、穂口雄右・森田公一らの作品で年4枚のペースを維持。洋楽カバーでライブの実力を磨くという渡辺プロの伝統にならい、コンサートでは海外のソウルやポップスのカバーも積極的に取り入れた。

1976年 - 1977年:人気絶頂[編集]

1976年3月、穂口雄右が作詞・作曲を手がけた「春一番」がオリコン3位、約36万枚のヒット。今では春の定番ソングとして毎年のように流れる曲である。続く「夏が来た!」も5位と好調で、同年秋からは『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』がスタートし、コメディエンヌとしての人気も爆発した。同じ1976年にはピンク・レディーが「ペッパー警部」でデビュー。両者は70年代後半のアイドルシーンを二分したが、本人たちはライバルというより同時代の仲間という意識だったとされる。

1977年には歌手の吉田拓郎が作曲した「やさしい悪魔」で大人っぽいイメージに転換し、オリコン4位を記録。夏の「暑中お見舞い申し上げます」、秋の「アン・ドゥ・トロワ」もベストテン入りした。

1977年7月17日:「普通の女の子に戻りたい」[編集]

1977年7月17日、東京・日比谷野外音楽堂でのコンサート終盤、3人は突然解散を宣言した。涙ながらにランが叫んだ「普通の女の子に戻りたい!」は、たちまち流行語になった。

この宣言は所属事務所の渡辺プロダクションにも事前に知らされていない、3人の独断だった。ステージで出演していたバンドメンバーですら、一瞬何を言っているのか理解できなかったと振り返っている。翌日には緊急記者会見が開かれ、3人は騒動を謝罪。ステージでは「9月で解散」と告げていたが、関係者との協議の結果、解散は翌1978年春まで延期された。

1977年 - 1978年:ありがとうカーニバル[編集]

解散までの約半年間は、全国を回る「ありがとうカーニバル」に充てられた。解散発表後に人気はむしろ再燃し、1977年12月の「わな」はオリコン3位・約39万枚、1978年2月25日の「微笑がえし」は同年3月12日付でついにグループ初のオリコン1位を獲得、約83万枚を売り上げる最大のヒットになった。「人気が落ちたから辞めるのではない」ことを、数字ではっきり証明した形である。

1977年末には3年連続3度目の紅白に出場し、これがグループとして最後の紅白となった。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

オリコン最高位・売上は主な集計による概数。

# 発売日 タイトル 作詞 / 作曲 最高位 売上(約)
1 1973年9月1日 あなたに夢中 山上路夫 / 森田公一 36位 8.1万枚
2 1974年1月21日 そよ風のくちづけ 山上路夫 / 森田公一 39位 6.3万枚
3 1974年4月21日 危い土曜日 安井かずみ / 森田公一 46位 3.8万枚
4 1974年9月 なみだの季節 千家和也 / 穂口雄右 40位 5.9万枚
5 1975年2月21日 年下の男の子 千家和也 / 穂口雄右 9位 26万枚
6 1975年6月1日 内気なあいつ 千家和也 / 穂口雄右 18位 9.8万枚
7 1975年9月1日 その気にさせないで 千家和也 / 穂口雄右 17位 10.3万枚
8 1975年12月5日 ハートのエースが出てこない 竜真知子 / 森田公一 11位 17.2万枚
9 1976年3月1日 春一番 穂口雄右 / 穂口雄右 3位 36.2万枚
10 1976年5月31日 夏が来た! 穂口雄右 / 穂口雄右 5位 17.6万枚
11 1976年9月1日 ハート泥棒 林春生 / すぎやまこういち 17位 9万枚
12 1976年11月21日 哀愁のシンフォニー なかにし礼 / 三木たかし 12位 22.8万枚
13 1977年3月1日 やさしい悪魔 喜多條忠 / 吉田拓郎 4位 39万枚
14 1977年6月21日 暑中お見舞い申し上げます 喜多條忠 / 佐瀬寿一 5位 29.8万枚
15 1977年9月21日 アン・ドゥ・トロワ 喜多條忠 / 吉田拓郎 7位 28.1万枚
16 1977年12月5日 わな 島武実 / 穂口雄右 3位 39.2万枚
17 1978年2月25日 微笑がえし 阿木燿子 / 穂口雄右 1位 82.9万枚
18 1978年11月21日 つばさ 伊藤蘭 / 渡辺茂樹 16位 10.9万枚

楽曲の聴きどころ[編集]

  • 年下の男の子:ランがセンターに立った最初のシングル。「真っ赤なリンゴをほおばる」年下の男の子への恋心を、お姉さん目線で歌う。キャンディーズの「型」が完成した1曲。
  • 春一番:穂口雄右による作詞作曲。もともとは1975年のアルバム曲で、のちにシングル化されたとされる。いまや卒業・春の定番曲で、テレビの春の天気コーナーでも頻繁に使われる。
  • やさしい悪魔:吉田拓郎作曲。衣装を含めてイメージを大きく変えた転機の曲で、ランが印象深い曲の一つに挙げている。コーラスが際立つよう工夫されたという。
  • 微笑がえし:解散直前に発売されたラストシングル。阿木燿子の歌詞には「春一番」「わな」「ハートのエース」「やさしい悪魔」「年下の男の子」など過去のヒット曲のタイトルがちりばめられ、引っ越しになぞらえた別れの歌になっている。
  • つばさ:解散後の1978年11月に発売された、本当の最後のシングル。作詞はラン自身。
  • 銀河系まで飛んで行け!:1977年のアルバム曲。2025年、YouTube発のSFショートアニメ『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』の主題歌に使われ、約半世紀ぶりにリバイバルヒットした。2026年2月公開の劇場版でも主題歌に採用されている。

ライブアルバム[編集]

解散コンサートを収録した『キャンディーズ ファイナルカーニバル プラス・ワン』(1978年5月21日発売)は3枚組・全39トラック、約2時間42分の大作で、オリコンのアルバムチャートで1位を獲得した。3枚目には「わな」「微笑がえし」など最後のスタジオ録音も収められている。

解散コンサート「ファイナルカーニバル」[編集]

1978年4月4日、後楽園球場[編集]

1978年4月4日、東京・後楽園球場で解散コンサート「ファイナルカーニバル」が開かれた。観客は約5万5000人。会場の外にも、漏れてくる音を聴くために多くのファンが集まった。女性アイドルグループによるスタジアムコンサートはこれが初めてだったとされ、上空にはヘリコプターが飛んで記録映像を撮影した。

ステージは約4時間。オープニングはアース・ウインド・アンド・ファイアーなど洋楽のカバーで始まり、ヒット曲の数々へと続いた。3人は直前の1週間、群馬県嬬恋村で合宿し、午前は走り込み、午後は約8時間バンドと練習を重ねて本番に臨んだという。

紙テープの海[編集]

客席からは大量の紙テープが投げ込まれ、ステージは色とりどりのテープで埋め尽くされた。この「紙テープ応援」はキャンディーズのコンサートの名物で、のちの伊藤蘭のソロ公演でも一部の公演で復活している。

コンサートの模様はテレビでも放送され、関東地区の平均視聴率は32.3%だったと報じられている。後楽園球場はのちに解体され、跡地周辺には東京ドームと東京ドームシティが整備された。2008年のファンの大同窓会が後楽園球場跡地に建つJCBホールで開かれたのは、この日への思い入れゆえである。

ファン文化:全キャン連[編集]

日本初の全国組織型ファン団体[編集]

キャンディーズのファンを語るうえで欠かせないのが「全国キャンディーズ連盟」、通称全キャン連である。起源は1975年10月の「キャンディーズ10000人カーニバル」の実行委員会とされ、1976年頃に大学生ファンを中心とした「全国大学生キャンディーズ連盟」として発足。その後全国組織に広がった。事務所主導の公式ファンクラブとは別の、ファン自身による全国規模の組織として、日本初の例とされる。

全キャン連は単に応援するだけでなく、「キャンディーズ・カンパニー」を立ち上げて解散前の「ありがとうカーニバル」を支えるなど、運営側に近い役割も担った。統制のとれた声援、紙テープ、コールなど、現在のアイドル現場の応援文化の原型がここにあるといわれる。

解散後も続くつながり[編集]

1978年の解散とともに全キャン連は事実上活動を停止したが、ファンのつながりは途切れなかった。2008年4月4日、解散からちょうど30年の日に「全国キャンディーズ連盟2008大同窓会」が開かれ、約2000人が集まった。2009年には「キャンディーズナイト2009」も開催されている。

現在は「日本キャンディーズ協会」として活動が続き、2024年時点では元全キャン連メンバーで編集者・著述家の石黒謙吾が代表を務めている。2023年に伊藤蘭が紅白に出場した際には、150人以上のファンが応援に駆けつけたとされる。

解散後の3人[編集]

再結成しなかったグループ[編集]

キャンディーズは解散後、一度も再結成していない。2008年のデビュー35周年に向けて再結成ツアーの構想があったとされるが、スーの女優業のスケジュールやミキが表舞台に出ない意向だったことなどから実現しなかった。3人が顔を合わせることなく、ベストアルバム『タイムカプセル』に協力する形にとどまった。

ラン:女優として、そしてソロ歌手として[編集]

解散後しばらく休業したのち、1980年にドラマ『春のささやき』と映画『ヒポクラテスたち』で女優として本格復帰。『ヒポクラテスたち』で第2回ヨコハマ映画祭助演女優賞を受賞した。以降、『少年H』(2013年)、『祈りの幕が下りる時』(2018年)などの映画や、『DOCTORS〜最強の名医〜』シリーズ、『この世界の片隅に』(2018年)などのドラマに出演。1989年1月に水谷豊と結婚した。

2019年5月29日、アルバム『My Bouquet』でソロ歌手デビュー。解散から41年ぶりの歌手活動だった。2021年には『Beside you』、2023年には『LEVEL 9.9』を発表し、2021年9月には解散宣言の地・日比谷野外音楽堂に44年ぶりに立った。デビュー50周年の2023年には、第74回NHK紅白歌合戦にソロとして初出場。キャンディーズ時代を含めて46年ぶり通算4回目の出場で、「キャンディーズ50周年 紅白SPメドレー」として「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」「春一番」を歌った。

スー:『黒い雨』の女優[編集]

1980年、映画『土佐の一本釣り』で主演し、ドラマ『虹子の冒険』で女優として再出発。1983年から1984年の連続テレビ小説『おしん』ではおしんの養女役を演じ、国民的ドラマの一翼を担った。

1989年、井伏鱒二の小説を今村昌平監督が映画化した『黒い雨』で、被爆した女性・高丸矢須子を熱演。日本アカデミー賞最優秀主演女優賞をはじめ、その年の主演女優賞を総なめにした。その後も『鉄道員』『リング0 バースデイ』『明日への遺言』などの映画、朝ドラ『ちゅらさん』(2001年)などで活躍した。1991年5月に実業家の小達一雄と結婚している。

ミキ:一度きりのソロ、そして引退[編集]

解散後は芸能活動を休止していたが、1983年にBOURBONレーベルからシングル「夢・恋・人。」とLPを発表し、期間限定でソロ活動を行った。同年、実業家との結婚を機に芸能界を引退。以後は表舞台にほとんど登場していない。長女は俳優の尾身美詞である。

2011年:スーとの別れ[編集]

田中好子は2011年4月21日、乳がんのため55歳で死去した。最期は伊藤蘭と藤村美樹の2人が手を握って看取ったと報じられている。

東京・青山葬儀所で営まれた葬儀・告別式では、亡くなる約1か月前に病床で録音されたスー本人の肉声メッセージが流された。デビュー以来の感謝とともに「幸せな、幸せな人生でした」と語り、ランとミキへの思いも伝える内容だった。ランは弔辞で「美樹さんと私にとって、いつまでも特別な存在のスーさん、ありがとう。ずっとずっと愛しています」と語り、ミキは「私たちは永遠にキャンディーズだから」と呼びかけた。この告別式の模様は、NHKのニュース番組でも大きく報じられた。

伊藤蘭の近年の活動(2024年 - 2026年)[編集]

2024年 - 2025年[編集]

2024年9月から2025年1月にかけて、全国9都市を回るホールツアー「〜Over the Moon〜」を開催。最終日の東京ガーデンシアターでは、アンコールに娘の趣里が登場して母娘共演が実現した。2025年4月から6月には舞台『おどる夫婦』に出演。

2025年10月には、CSで『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』が約50年ぶりに放送され、ランは「歌とドラマ・コントがしっかり作り込まれた贅沢な番組だった」「大切な青春の1ページ」とコメントした。同じ年、キャンディーズの「銀河系まで飛んで行け!」がアニメ主題歌としてリバイバルし、若い世代にキャンディーズの名が届くきっかけになった。

2026年:ソロ7周年[編集]

2026年1月26日に先行配信シングル「Dance on! Love on!」を発表し、4月1日には本間昭光プロデュースの4thアルバム『Bright on』をリリース。オリジナルアルバムとしては2年8か月ぶりで、トータス松本が手がけた「花ざかり」なども収録された。

4月4日、キャンディーズの解散記念日に神奈川・カルッツかわさきでツアー「伊藤蘭 コンサートツアー 2026〜Dance on! Love on!〜」が開幕。大宮、大阪、名古屋、東京、福岡の6都市9公演を回った。5月30日・31日の東京・SGC HALL ARIAKE公演では、キャンディーズ曲を12曲披露し、「哀愁のシンフォニー」ではツアーで唯一紙テープ応援が解禁された。アンコールには趣里がスペシャルゲストとして登場し、朝ドラ『ブギウギ』の「ラッパと娘」「買物ブギー」を歌ったあと、母娘で「花ざかり」をデュエットした。MCでは「音楽を通してあの2人に出会えた」と語り、「音楽の力は素晴らしいです」と締めくくったという。この公演は8月にWOWOWで放送された。

9月11日・12日にはEXシアター六本木、27日にはKT Zepp Yokohamaでライブハウス公演「Special Premium Live〜Don't Stop The Music!〜vol.3」を開催し、ソロ曲とキャンディーズのヒット曲を織り交ぜて披露した。

評価と影響[編集]

「グループアイドルの元祖」[編集]

活動期間はレコードデビューからわずか4年7か月。それでもキャンディーズは、山口百恵や森昌子らソロアイドル全盛の70年代に「3人組」という形で成功し、のちのグループアイドルの雛形を作った存在とされる。2011年にはテレビ朝日系『ミュージックステーション』の歴代アイドルランキング企画で32位に選ばれ、総売上は500万枚以上と紹介された。

2026年6月放送のテレビ朝日系『EIGHT-JAM』の「女性アイドル50年史」企画でも、1975年の代表として「グループアイドルの元祖」と紹介された。SNSでは「衣装が今見てもかわいい」「今のメンカラ衣装の流行はキャンディーズへの回帰では」という声が上がり、ももいろクローバーZや乃木坂46、AKB48など現代のグループとの共通点を指摘する反応も見られた。

「辞め方」の伝説[編集]

キャンディーズは辞め方でも語り継がれている。人気絶頂の中で自分たちの意思で解散を宣言し、その後半年でグループ最大のヒットを出して球場で幕を閉じる、という流れは、1980年に引退した山口百恵と並んで「伝説の引退劇」の代表例とされる。「普通の女の子に戻りたい」というフレーズは、その後もアイドルの卒業・引退のたびに引用され続けている。

余談[編集]

  • グループ名の由来は「食べてしまいたいほどかわいい女の子たち」。NHKの番組プロデューサーが名付け親である。
  • ラストシングル「微笑がえし」の歌詞には過去のシングルのタイトルが多数織り込まれており、ファンへの「答え合わせ」のような1曲になっている。
  • 『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』では、3人が伊東四朗を「お母さん」と慕っていたという。ランのセリフ「私、のーしたらいいの!」は当時の流行語になった。
  • ピンク・レディーとはライバル視されがちだったが、共演番組ではピンク・レディー側がキャンディーズを立てていたとされる。ランの再デビュー時には未唯mieと増田恵子が観に来てくれたことをきっかけに交流が続いており、2023年の50周年コンサートでは2人から祝花が届いた。
  • 解散を「独断」で発表したことで事務所との関係が危ぶまれたが、翌日の会見で謝罪したうえで、解散は半年延期という形で着地した。当時のマネージャー大里洋吉は、のちに大手芸能事務所アミューズを創業している。
  • 1980年には、3人を擬人化した猫のキャラクターで描くアニメ『スーキャット』が作られている。
  • 2026年の伊藤蘭のツアー初日が4月4日に設定されたのは、キャンディーズの解散記念日に合わせたもの。

外部リンク[編集]

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