Ryoichi Yamaguchi
やまぐち りょういち
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イモ欽トリオの(左から)山口良一、長江健次、西山浩司(2026年8月。撮影・持木克友、出典:デイリースポーツ)
本名 山口良一
誕生日 1955年3月27日
年齢 71歳
出身地 広島県広島市
国籍 日本
家族 妻(劇団の先輩女優、1981年結婚)、娘、姉
身長 165cm
血液型 A型
学歴 広島市立広島工業高等学校 建築科 卒業
職業 俳優、タレント、歌手、リポーター、司会者、ラジオパーソナリティー
活動期間 1979年 -
代表的な実績 『欽ドン!良い子悪い子普通の子』ヨシオ役、イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」(1981年)、『クイズところ変れば!?』司会(1987年~2000年)、『噂の!東京マガジン』リポーター、『山口良一のオールナイトニッポン』
事務所 劇団東京ヴォードヴィルショー(1979年~2026年5月の劇団解散まで)、オフィスPSC(2019年に業務提携)
関連活動 イモ欽トリオ、花組エキスプレス、ごらく亭
別名 ヨシオ(よし夫)
あだ名 ヨシオ
その他 剣道2段、日本健康マスター検定ベーシック・コース合格(2018年)
リンク X(@ahondarasuke)


概要[編集]

山口良一(やまぐち りょういち)とは、広島県広島市出身の日本の俳優・タレント・歌手である。1955年3月27日生まれ。劇団東京ヴォードヴィルショーの劇団員だった1981年、萩本欽一の『欽ドン!良い子悪い子普通の子』で眼鏡に学ランの優等生「ヨシオ」を演じてブレイクし、イモ欽トリオの一員として「ハイスクールララバイ」を大ヒットさせた。その後は舞台を軸に、司会・リポーター・落語・ラジオと幅広く活動している。

詳細[編集]

落語家志望の工業高校生[編集]

広島市基町(現在の中区基町)の生まれ。牛乳瓶を作る工場で働く父のもと、2歳上の姉がいる長男として育った。生まれたときは仮死状態だったとされ、乳児期には自家中毒でたびたび命の危険にさらされた虚弱体質の子どもだったという。年に一度あるかないかのすき焼きでも肉に手を付けず、ネギとしらたきばかり食べて母に叱られたほどだったそうだ。

少年時代の夢は落語家。大学進学は考えずに広島市立広島工業高校の建築科へ進み、落語研究会に所属した。中学から高校2年の2学期までは剣道にも打ち込み、2段の腕前を持つ。

桂米朝に電話で弟子入り志願[編集]

高校2年のとき、大阪から公衆電話で上方落語の大看板・桂米朝に弟子入りを志願した。ところが電話口に出た米朝本人から「大事な話を電話でするものではない」と諭され、「まだ高校生なら家に帰って勉強しなさい」と言われてしまう。山口はそれ以上何も言えずに引き下がったが、後年「あの時もう少し粘っていたら落語家になれていたかも」と振り返っている。

高校3年のときには父が49歳の若さで亡くなった。10年近く重い糖尿病を患っていたといい、山口は「自分が病弱だったせいで父が仕事を休めなかったのでは」と語っている。この経験から健康には関心が強く、2018年には日本健康マスター検定(健検)のベーシック・コースに合格、名誉リーダーも務めた。

着物店勤務から上京、劇団へ[編集]

高校卒業後は着物店「やまと」に就職し、梅田店と広島駅ビル店でそれぞれ半年ずつ働いた。1974年、19歳半で上京。1977年に東映演技研修所に入って2年間学び、1979年に佐藤B作が率いる劇団東京ヴォードヴィルショーに入団した。初舞台は『そして誰も笑わなくなった』。無名時代には日本テレビの『テレビ三面記事 ウィークエンダー』の再現フィルムにも出演している。下積み時代の写真として、東洋劇場の舞台に立つ姿も紹介されている。

「ヨシオ」誕生[編集]

劇団員として過ごしていた1981年、フジテレビの新番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』のオーディションに合格する。番組は1981年4月6日から月曜21時に放送され、萩本欽一演じる父親と、「良い子」「悪い子」「普通の子」の3人の息子とのやりとりで笑わせる三段落ちのコントが看板だった。

当初はフツオ(普通の子)役に山口が想定されていたが、配役が組み替えられて山口は良い子のヨシオへ回り、フツオは長江健次、ワルオ(悪い子)は西山浩司に決まった。眼鏡に青い学ランという「いかにも勉強ができそう」なヨシオだが、運動は苦手そうな見た目に反してバック転を披露し、客席を驚かせたこともある。

経歴[編集]

「謎の高校生」の正体は26歳の妻帯者[編集]

ヨシオは高校生という設定で、イモ欽トリオのデビュー盤のジャケットでも生年月日は「不明」と書かれていた。だが実際の山口は当時26歳で、しかも番組開始直前の1981年1月6日に劇団の先輩女優と結婚していた。

視聴者から「本当は何歳なのか」というはがきが大量に届いたため、番組内で実年齢と既婚であることを公表。客席は一瞬どよめいたが、最後は拍手が起きるなど、おおむね好意的に受け入れられたとされる。1983年2月には娘が誕生した。後年のテレビ番組では、週刊誌に「隠し妻」としてスクープされたものの、萩本のおかげで美談になったという思い出話も披露している。

欽ちゃんに叱られない男[編集]

3人の中で最年長の山口は、10歳ほど年下の長江を「子どもじゃん」と見ていたといい、当時はほとんど会話をしなかったそうだ。長江は後年、萩本に叱られてばかりだった自分に対し、叱られない山口の立ち位置を「いいな」と思っていたと明かしている。それに対する山口の返しは「良い子のヨシオだから」。

西山は「番組をいちばん楽しんでいたのは山口さん」と評しているが、当の本人は深夜まで続いたリハーサルの話を振られても「あまり覚えてないなぁ」。この辺りのとぼけた温度感が、ヨシオの持ち味でもある。

『おまけの子』で多役をこなす[編集]

長江は1982年9月に番組を降板し、2代目フツオに後藤正、3代目に境田晃一が起用されたが、山口は一貫してヨシオを演じ続けた。1983年9月にリニューアルされた『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』(1985年まで)では、ヨシオのほかに「ジェームス山口」(おまけの教頭)、「チャーリー・チャン」(おまけの刑事)、さらに良いお婆ちゃん・悪いお婆ちゃん・普通のお婆ちゃんの3役まで担当。部活コントでは「花柄満」なるキャラクターで野球ネタを演じるのが定番だった。長江が離れた時期について山口は、番組の中で「良い子悪い子普通の子」を続け、そのレールの上でうまくやることに気持ちが向いていたと語っている。

司会・リポーターとしての30年[編集]

1987年7月から2000年12月まで、テレビ東京のクイズ番組『クイズところ変れば!?』の司会を13年半にわたって担当した。あまりに長く続いたため、のちに出演した『オールスター感謝祭』で司会の島田紳助から「『クイズところ変れば』の代表の方ですか?」といじられたことがあるという。

1989年に始まったTBSの『噂の!東京マガジン』では、地上波の放送が終わる2021年3月までリポーターとして出演した。ほかにも『ジャスト』『しあわせ家族計画』『ルックルックこんにちは』『趣味悠々』などにレギュラー・セミレギュラーで出演し、旅番組のリポーターとしてもおなじみの顔になった。

舞台人としての顔[編集]

本業はあくまで舞台。東京ヴォードヴィルショーでは1979年の第23回公演から2023年の創立50周年記念公演まで数多くの本公演に出演した。1989年には同期のたかはし等らと劇団内ユニット「花組エキスプレス」を立ち上げ、『あほんだらすけ』シリーズを毎年初夏に下北沢ザ・スズナリで上演。シリーズは2018年の第30作まで続いた。X(旧ツイッター)のアカウント名「ahondarasuke」もここから来ていると見られる。

2002年以降は外部公演にも積極的に出演し、ラサール石井のプロデュース作品、明治座や博多座の大劇場公演などにも参加。劇団の後輩・大森ヒロシが率いる大森カンパニーのコント公演「更地」シリーズのレギュラーでもあり、大森とは漫才コンビも組んでいる。2024年には『更地20』に出演した。

落語の夢を「ごらく亭」で[編集]

かつて諦めた落語の夢は、役者として形を変えて実現している。役者たちによる落語会「ごらく亭」を2012年から定期的に開催し、2017年には春風亭昇太のプロデュースで下北沢演芸祭の一環として本多劇場で「ごらく亭~冬の陣~」を上演。2018年にはコント赤信号を迎えたスペシャル回も行った。寄席に出演することもあり、2007年の『24時間テレビ』でイモ欽トリオが集結した際には、寄席の予定が入っていたため山口だけが出演できず、勝俣州和が代役でヨシオのパートを務めたという。

イモ欽トリオ[編集]

イモ欽トリオは、ヨシオ(山口)、ワルオ(西山浩司)、フツオ(長江健次)の3人で1981年に結成された番組発のユニット。グループ全体の詳細は個別記事に譲り、ここでは山口に関わる部分を中心にまとめる。

「ハイスクールララバイ」の裏側[編集]

1981年8月5日発売のデビュー曲「ハイスクールララバイ」は、作詞・松本隆、作曲・編曲・細野晴臣。テクノサウンドを取り入れたこの曲はオリコンの1981年年間チャートで4位に入る大ヒットとなった。もっとも山口いわく、当時の制作は「いいかげんだった」そうで、ジャケット写真は『欽ドン!』のスタジオセットの前で撮影されたもの。細野や松本が「すごい人」だと聞かされても、当時はピンと来ていなかったと笑う。

有名な振り付けにも偶然の産物が多い。レコーディング中、コーラス部分の出番を待つ間に西山と2人で曲に合わせてキーボードを弾くまねをしていたら、それがそのまま振り付けに採用された。デモにはなかった歌い出し前のクラップは、当日スタジオに来ていた細野の提案で入ったもので、山口と西山がビンタのふりをしてふざけていたのも振りになったという。「細野さんが来ていなければ、あの部分はなかった」と振り返っている。

その後の作品[編集]

1981年12月5日にはアルバム『ポテトボーイズNo.1』を発売。松本隆が9曲の作詞を担当し、吉田拓郎、細野晴臣、南こうせつらが作曲・編曲に参加、演奏はムーンライダーズという豪華な一枚だった。1982年3月21日にセカンドシングル「ティアドロップ探偵団」、1983年1月1日に3作目「ティーンエイジ・イーグルス」を発表。山口個人としては1983年にソロアルバム『about』を出しており、2013年にCD化されている。

再集結から「今がいちばん」へ[編集]

長江の降板後、トリオとしての活動は途絶えていたが、2008年11月8日に池袋サンシャインシティで再結成イベントが開かれた。2014年7月には神戸市のライブハウス「チキンジョージ」での長江の生誕50周年ライブに西山とともにゲスト出演し、2015年1月24日に同会場で初の有料「イモ欽トリオ」名義ライブを開催。同年8月には松本隆の作詞活動45周年コンサート『風街レジェンド2015』(東京国際フォーラム)に3人で出演した。

2018年1月20日には、神戸チキンジョージで『ポテトボーイズNo.1』を全曲再現する初のライブを行い、山口は当時実現しなかったアルバムのライブを36年越しに果たせたことを喜んだ。このときは「ハイスクールララバイ」で山口と西山の立ち位置と振りを入れ替える趣向もあった。2021年にはデビュー40周年としてYouTubeで「ハイスクールララバイ」を披露し、同年11月には日本武道館の『風街オデッセイ2021』に出演。2022年7月から8月には初の本格的な全国10都市ツアーを行った。

西山は山口のことを、年下2人の間に入って場を和ませる「長男」のような存在だと語っている。

最新動向[編集]

古希記念ツアー[編集]

2025年3月8日から30日にかけて、70歳の節目を記念した『イモ欽トリオ山口良一古希記念LIVE』を全国7か所で開催し、長江と西山も同行した。山口はこのライブを「懐かしい曲を聴きに来て、意外に面白いと感じてもらえるような、ゆるい内容」と説明。「『ついてこい!』というような力はもうない」と体力面を冗談まじりに語り、地方に足を運ぶきっかけ程度の気軽さで来てほしい、「そのくらいがちょうどいいです」と話した。

同年10月13日には東京・立川ステージガーデンの「昭和百年 時間旅行コンサート~歌とトークで綴る80'sアイドル~」(MC:山田邦子)にイモ欽トリオとして出演。山田が山口の年齢に触れると会場から祝福の拍手が起き、山口はソロ曲「ママのお店は今はない」も披露した。

劇団の解散[編集]

2026年5月、47年間所属した劇団東京ヴォードヴィルショーが解散した。1973年旗揚げの同劇団は、2025年10月の『狐と南吉』が最後の公演となり、解散公演は行われなかった。山口は「ここ何年かの動員数とか経営状態を思うと、やっぱりねっていう感覚でした」と冷静に受け止めつつ、「バックボーンがなくなったさみしさがあります」と心境を明かしている。同じ年に西山の所属事務所も解散しており、トリオは「3人ともほぼフリー」という転換期を迎えた。

45周年ツアーと「更地23」[編集]

2026年はイモ欽トリオ結成45周年。7月には全国ツアーを行い、各地で大歓迎を受けた。山口は「自分たちも楽しかったし、お客さんも楽しんでる」ことが幸せだと語り、平均年齢66歳のトリオの今後について「私が健康であれば回れると思う」と話している。9月1日にはNHK総合の『うたコン』に出演した。

9月9日から16日には、東京・下北沢の小劇場B1で大森カンパニープロデュース『更地にイモ欽そして歌~更地23~』が上演された。イモ欽トリオとしての「更地」出演は3回目で、約10本のコントに3人が加わる構成だった。12月2日から5日には同じく大森カンパニーの『灯り、かえり花』(下北沢駅前劇場)の公演が予定されている。

ドラマでは2026年に『あきない世傳 金と銀3』で和助役を演じたほか、『おかしな刑事』の2026年10月放送回にも出演している。

主な出演作[編集]

テレビ番組[編集]

  • 『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ、1981年~1983年)- ヨシオ
  • 『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』(フジテレビ、1983年~1985年)
  • 『クイズところ変れば!?』(テレビ東京、1987年~2000年)- 司会
  • 『噂の!東京マガジン』(TBS、1989年~2021年)- リポーター
  • 『しあわせ家族計画』(TBS、1997年~2000年)
  • 『ジャスト』(TBS)- レギュラー
  • 『ルックルックこんにちは』(日本テレビ)- セミレギュラー
  • 『クイズ!脳ベルSHOW』(BSフジ、2015年)- パネラー
  • 『うたコン』(NHK総合、2016年・2026年)

ドラマ[編集]

  • 『煙が目にしみる』(1982年、NHK銀河テレビ小説)- 小柳三段 役
  • 『吾輩は猫である』(1982年)- 吾輩 役
  • 『天まであがれ!』(1982年~1983年)- 吉村新吾 役
  • 『ウルトラマンをつくった男たち』(1989年)- 宮城哲夫 役(金城哲夫がモデル)
  • 『ビーファイターカブト』(1996年、テレビ朝日)- 小山内勝 役
  • 『TRICK 新作スペシャル』(2005年)- 祥子の父 役
  • 『結婚できない男』(2006年、フジテレビ)- 吉田 役
  • 『渡る世間は鬼ばかり』(2010年、TBS)- 神林 役
  • 『平清盛』(2012年、NHK大河ドラマ)- 藤原季範 役
  • 『相棒』(テレビ朝日、2012年・2014年)- 堀江邦之 役
  • 『警視庁捜査一課9係 season8』(2013年)- 小林克徳 役
  • 『特命係長 只野仁』(2018年)- 駒田 役
  • 『99.9-刑事専門弁護士- SEASONⅡ』(2018年)- 弁護士 役
  • 『刑事7人』第7シリーズ(2021年)- 中根誠 役
  • 『無用庵隠居修行』(2022年~2023年)- 仙吉 役
  • 『あきない世傳 金と銀3』(2026年)- 和助 役

映画[編集]

  • 『コータローまかりとおる!』(1984年)
  • 『男はつらいよ 寅次郎の告白』(1991年)
  • 『息子』(1991年)
  • 『チーム・バチスタの栄光』(2008年)
  • 『泣くもんか』(2009年)
  • 『ゴールデンスランバー』(2010年)
  • 『決算!忠臣蔵』(2019年)
  • 『石岡タロー』(2023年)

ラジオ[編集]

  • 『山口良一のオールナイトニッポン』(ニッポン放送、1982年4月~1985年4月)
  • 『るんるんナイト 清六・山口 おじさんワオ!』(TBSラジオ)
  • 『山口良一 今日もいきいき あさ活ニッポン』(ニッポン放送、2014年9月~2016年3月)

CM・ナレーション[編集]

  • 花王「バブ」
  • 「えがおの黒酢」
  • ゆうちょ「満期貯金」(ナレーション)

音楽[編集]

  • 「ハイスクールララバイ」(1981年、イモ欽トリオ)
  • 『ポテトボーイズNo.1』(1981年、イモ欽トリオ、アルバム)
  • 「ティアドロップ探偵団」(1982年、イモ欽トリオ)
  • 「ティーンエイジ・イーグルス」(1983年、イモ欽トリオ)
  • 『about』(1983年、ソロアルバム。2013年CD化)

ラジオとプロレス[編集]

「代打」から始まったオールナイトニッポン[編集]

1982年4月6日、ニッポン放送の『オールナイトニッポン』火曜2部でパーソナリティーデビューし、同年10月には金曜1部に昇格、1985年4月まで約3年続けた。起用のきっかけは、予定していた出演者が急に出られなくなり、プロデューサーに呼ばれてその場で引き受けたことだったとされる。構成は鶴間政行。

オープニングとエンディングにはアントニオ猪木の入場曲「炎のファイター」を使用。自他ともに認めるプロレス好きで、コーナー「プロレスアワー」には猪木、坂口征二、藤波辰爾、初代タイガーマスクらが登場した。リスナー参加型の合奏イベント「LET'Sトライアル」は1058人が参加し、指揮は斉藤清六、音楽監督は坂本龍一という今では考えられない布陣だった。

早朝ワンマンの「あさ活」[編集]

2014年9月29日から2016年3月25日までは、ニッポン放送の早朝番組『山口良一 今日もいきいき あさ活ニッポン』を担当。キャッチコピーは「朝イチ 早起きジョッキー」で、アクティブシニア向けに話題と音楽を届けた。アシスタントなしの一人しゃべりで、野球の話題は広島東洋カープ中心になりがちだったという。

余談[編集]

  • トレードマークだったヨシオの眼鏡は番組終了後もしばらく掛けていたが、現在は外している。
  • 趣味はバイクで、国産・外国車を合わせて多数所有していた時期もあり、仕事場にもバイクで向かうことが多いとされる。バイク関連の番組への出演も多い。
  • 銭湯と相撲が好き。一方で酒は飲めない下戸で、タバコも30年以上前にやめている。
  • しょうゆ味が好きでラーメンのスープを飲み干す習慣があったが、健検の勉強を機にしょうゆはスプレーで軽くかける程度にすると宣言した。
  • 『欽ドン!』のオーディションの後、スタジオへ向かう階段の踊り場で、まだ合否も出ていないのに西山がくるりと振り返って握手を求めてきたという。『スター誕生!』出身の西山は山口にとって「テレビの人」で、「これが芸能人か」と感心したそうだ。
  • 2025年のコンサートで長江が中森明菜との親交を明かした際には、「なんで俺に教えてくれなかったんだ!」と本気で驚いていたと報じられた。
  • 大相撲の霧島が3度目の優勝を果たした場所の後、西山がInstagramに霧島を囲む写真を投稿し、そこに山口と長江も写っていたことから「なぜここに」とネットで話題になった。
  • 健康マスター検定の勉強法を問われ、「台本を覚えるときと同じように繰り返し読んだ」と答えている。役者らしい攻略法である。

外部リンク[編集]

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