Kenji Nagae
ながえ けんじ
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イモ欽トリオ45周年ツアーについて語る長江健次(2026年6月、都内。出典:デイリースポーツ)
誕生日 1964年7月17日
年齢 62歳
出身地 大阪府
国籍 日本
家族 妻(2002年に一般女性と再婚)、双子の息子
学歴 大阪府立渋谷高等学校 卒業、大阪芸術大学
職業 タレント、俳優、歌手、スノーボーダー(インストラクター)
活動期間 1970年代後半(素人番組)、1981年 -
代表的な実績 『欽ドン!良い子悪い子普通の子』フツオ役、イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」(1981年)、『突然ガバチョ!』司会、NHK『まんが道』才野茂役、2006年トリノ五輪スノーボード日本代表コーチ
事務所 フリー
関連活動 イモ欽トリオ
別名 フツオ
あだ名 フツオ、ふなむし
その他 YouTubeチャンネル「IMOKEN-TV R40」(2020年4月開設)
リンク X(@NagaeKenji)


概要[編集]

長江健次(ながえ けんじ)とは、大阪府出身の日本のタレント・俳優・歌手である。1964年7月17日生まれ。1981年に萩本欽一の人気番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の「フツオ」役でデビューし、イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」で大ブレイクした。番組卒業後は大阪を拠点に活動し、スノーボードの指導者としても知られる。

詳細[編集]

大阪の「素人番組キッズ」[編集]

芸能界入りの前から、地元大阪では知る人ぞ知る存在だった。学校の人気者で、中学時代から大阪の素人参加番組にたびたび出演し、物真似を中心にした芸を披露していた。中学2年の時には読売テレビの素人参加コーナー(『プリン・キャッシーのテレビ!テレビ!!』)に出演している。

転機になったのは関西テレビの『ザ・びっくりショー』。中学3年の時、審査員の到着が遅れたため、その場をつなぐ形で急きょステージに上がり、漫談や物真似で時間を埋めたところ番組側に気に入られ、そのまま高校1年の3月までレギュラーとして出演したという。いわば「穴埋めから始まったレギュラー」で、ここで場数を踏んだことが後のフツオ抜擢につながっていく。

フツオ誕生[編集]

高校在学中、フジテレビの新番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』のオーディションを受ける。大阪予選は突破したものの、東京での本選では一度落選。ところが帰りの新幹線がなく局内で時間をつぶしていたところ、萩本欽一がその「普通っぽい」雰囲気に目をとめ、フツオ役での合格が告げられた――というのが有名な逸話である。

別のインタビューでは、大阪のオーディションには遅刻してしまい、その場で桜田淳子の物真似を披露して合格したとも語っている。関係者からは、物真似の出来よりも「すぐに特技を見せた」積極性を評価されたそうだ。当初はフツオ役に山口良一、悪い子役に中原理恵が想定されていたが、配役が組み替えられる中でスタジオに残っていた長江が選ばれた、という裏話もある。

「…な!!」で全国区へ[編集]

番組は1981年4月6日にスタート。フツオの決めゼリフ「…な!!」が流行語のように広まり、長江は一躍全国区の人気者になった。番組の最高視聴率は38.8%を記録したと報じられている。放送直後から大量のファンレターが届き、翌年のバレンタインにはチョコレートが山のように届いたという。

一方で、松田聖子のファンであることを公言したことから、聖子の熱心なファンの反感を買ってしまい、登下校中に待ち伏せされたこともあったと明かしている。16歳でいきなり「国民的番組のレギュラー」になった少年の、なかなかハードな日常である。

1年半での降板[編集]

1982年9月27日放送分で番組を降板し、同時にイモ欽トリオからも離れた。在籍はわずか1年半ほど。表向きの理由は大学受験で、萩本は長江を送り出し記者会見の場まで用意してくれたという。しかし後年、本当の理由は大阪の毎日放送からの要請だったことを本人が明かしている。この「降板の真相」が、のちの長い確執の出発点になった。

経歴[編集]

欽ちゃんに叱られ続けた日々[編集]

第1回放送の収録では、萩本のかつらを取ってツッコむという大胆な行動に出て、会場は大爆笑。ところが収録後に呼び出され、「そのあとの展開をどうするのか」と注意を受けた。いわゆる「ハゲヅラ事件」である。当時はその意味がわからなかったが、のちに自分がMCを務めるようになって、前の出演者が場を崩してしまうと後が続かない、という教えだったと気づいたという。

ネタ合わせでいちばん叱られていたのも長江だったとされる。本人は「関西出身の自分は『ウケたもん勝ち』と思っていたが、前に出ようとするタイプを萩本さんは好まなかった」と振り返っている。萩本の有名な言葉「聞いちゃダメ」の通り、答えは教えてもらえず、16歳の長江は悩み続けたそうだ。

大阪での再出発[編集]

降板後は大阪芸術大学に通いながら、大阪を中心に芸能活動を再開。毎日放送の『突然ガバチョ!』(1983年~1985年)では笑福亭鶴瓶とともに司会を務め、MBSラジオの『MBSヤングタウン』では明石家さんまと共演した。リスナー公募によって付いたニックネームは「ふなむし」。

ただしこの再始動は、萩本や番組側に事情を伝えないままのものだった。その結果、周囲からは「不義理」と受け取られ、マスコミには「欽ちゃんファミリーから破門」と書かれることになる。本人いわく、当時は意地になって「欽ちゃんには頼らない」と決め、「ハイスクールララバイ」を歌うことも「フツオ」を名乗ることも一切やめたという。

俳優としての顔[編集]

1980年代以降は俳優としても活動の幅を広げた。NHKの銀河テレビ小説『まんが道』(1986年)と続編『まんが道 青春篇』(1987年)では、藤子不二雄をモデルにした二人組の片割れ・才野茂を演じている。1988年にはTBSの『潮風にとべ!!ウルトラマン』で主演を務めた。

その後も時代劇『水戸黄門』、『土曜ワイド劇場』などの2時間ドラマ、『仮面ライダーキバ』(2008年、研究員役)、『警視庁捜査一課9係 season8』(2013年)、NHK連続テレビ小説『ごちそうさん』(2013年~2014年、石川公之助役)、『99.9-刑事専門弁護士- SEASONⅡ』(2018年)など、関西・東京を問わず多数の作品に顔を出している。映画では『藁の楯』(2013年)や『劇場版 さらば仮面ライダー電王』(2008年)、2024年公開の『KYロック!』などに出演。舞台では松竹新喜劇の公演などにも参加してきた。

どん底と「しくじり」の告白[編集]

長い確執は仕事にも影を落とした。東京での活動は制限され、欽ドンの同窓会的な番組にも長く呼ばれなかったとされる。さらに本人いわく、さんまや鶴瓶に対しても「おれの方がおもろいやん」と思い込み、食事やゴルフの誘いを嘘をついて断るなど不義理を重ねていたという。

2016年8月、テレビ朝日の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』に出演し、萩本との約30年に及ぶ絶縁、仕事の激減を赤裸々に告白した。一時は仕事も収入もゼロになり、アルバイトで生活を支えた時期もあったと語っている。後年のテレビ番組では「子どもが出来た時は明日のご飯を食べさせるお金もなくて、バイトも始めた」とも振り返った。

和解へ[編集]

年齢を重ねて自分の未熟さに気づいた長江は、関係者に頭を下げて回った。十数年連絡を絶っていたさんまの舞台を観に行って受け入れてもらい、鶴瓶からは「気づいただけで十分」という趣旨の言葉をかけられたという。萩本との和解は、番組降板から20年以上たってからのこと。2007年には日本テレビの『24時間テレビ』でマラソン応援に参加し、2018年頃には同番組の日本武道館で萩本と再会したと報じられている。近年は欽ちゃんファミリーの番組にも出演するようになった。

とはいえ関係が「完全にベタベタ」になったわけではないのが長江らしいところ。2024年のインタビューでは、数年前に萩本と会った際に目をじっと見つめられ「おまえはダメ。目が汚れてる」と言われたと明かし、「欽ちゃんファミリーの中で一番嫌われてる」と自虐気味に語った。それでも「なんだかんだ言って、自分のことを気にかけてくれているような気はします」と話している。

イモ欽トリオ時代[編集]

イモ欽トリオは、番組内のキャラクターであるヨシオ(山口良一)、ワルオ(西山浩司)、フツオ(長江)の3人で結成されたユニット。番組発の企画ユニットの元祖ともいわれる。グループの詳細は個別記事に譲り、ここでは長江本人に関わる部分を中心にまとめる。

ソロのはずが3人で[編集]

実は当初、いちばん若い長江ひとりに対して複数のレコード会社からソロデビューの話が来ていたという。しかし萩本は「絶対にダメ。でも3人でなら」と判断し、3人でのデビューが決まった。長江は当時を「今思えば、自分のことしか見えてなかった」と振り返っている。

「ハイスクールララバイ」の大ヒット[編集]

1981年8月5日発売のデビュー曲「ハイスクールララバイ」は、作詞・松本隆、作曲・細野晴臣という今見ると豪華すぎる布陣。大ヒットとなり、売上は150万~160万枚超とされ、オリコン週間1位を7週連続で獲得、1981年度の年間チャートでも4位に入った。

それでもイモ欽トリオは「歌手ではない」という理由で賞レースをすべて辞退。出演した歌番組は『夜のヒットスタジオ』と『ザ・ベストテン』くらいだったという。大みそかは萩本が裏番組を担当していたため、NHK紅白歌合戦への出場も実現しなかった。

メンバーとの関係[編集]

年齢の近い西山とはライバル意識が強く、ぶつかることも多かった。最年長の山口が間に入って場を和ませていたという。2000年代のトリオ復活当初も関係はぎこちなかったが、2026年の取材では「この3~4年で本当にフラットになった」「三人三様で楽しい」と語っている。

音楽活動[編集]

ソロ作品[編集]

ソロとしては1983年11月21日にシングル「BOY'S LIFE」を発表。その後しばらくは前述の事情もあり音楽面で目立った活動はなかったが、2010年代に入ってから本格的に再開した。2016年1月にアルバム『Hito no Uta』、同年12月に『Hito no Uta 2』をリリース。2024年には還暦を記念したアルバム『Back to Baby』を発売している。

ライブハウスを回る60代[編集]

現在の活動の中心はライブハウス。歌とトークを交えたステージを携えて、毎週のように全国を回っているという。出演交渉から構成まで自分で手がけるセルフプロデュース型で、2015年頃には東京・四谷のライブハウスで月1回ライブを開き、「長江健次 with YoNaGa TOUR2015」として姫路・京都・二子玉川を回った。若手と組んでDREAMS COME TRUEやKiroroのカバーを歌うこともあった。

ライブでは自身のバンド「長江健次バンド」を率いており、2025年12月のイモ欽トリオ公演では江口正祥(ギター)、太田公一(キーボード)、根岸和寿(ベース)、吉川弾(ドラム)、久保田響(キーボード)らがバックを務めた。

トリオ再結成の旗振り役[編集]

長年、再結成の話を断り続けてきたのは長江自身だった。転機は2014年7月、神戸市のライブハウス「チキンジョージ」で開いた生誕50周年ライブ。ここで自ら山口と西山に声をかけ、2人が喜んで参加。結成から30年以上を経て「初の3人そろったライブ」が実現し、チケットは即完売した。

翌2015年1月にはイモ欽トリオ名義で有料ライブを開催。2021年には松本隆の作詞活動50周年コンサート『風街オデッセイ2021』に3人で参加し、2022年7月から8月には全国10都市ツアーを行った。2024年7月には同じ神戸チキンジョージで還暦記念公演「更地にイモ欽Special」(演出:東京ヴォードヴィルショーの大森ヒロシ)を開催。十数本のオムニバスコントで構成され、公演期間中の7月17日に60歳の誕生日を迎えた。

スノーボーダーとしての顔[編集]

26歳からの挑戦[編集]

芸能界の表舞台から遠ざかっていた時期、長江が打ち込んだのがスノーボードだった。始めたのは26~27歳頃で、専門はスピードを競うアルペン系。最高ランキングは国内35~36位、世界57位ほどだったと本人は語っており、長野オリンピックを目指して全日本選手権にも出場していた。1998年の長野五輪では聖火ランナーも務めている。

本人は「アルペンは100分の1秒で勝敗が決まる」と、その明快さに魅力を感じたという。「売れる・売れない」があいまいな芸能界とは真逆の世界だったわけだ。

指導者・コーチとして[編集]

2006年のトリノオリンピックでは、スノーボード日本代表チームのコーチとして参加した。もっとも本人いわく、主な役割はメディア対応だったそうだ。

「長江健次スノーボードスクール」を運営し、長野県の白馬五竜スキー場では自身の名を冠した「長江健次杯4時間耐久レース」を毎年3月に開催。2021年時点では長野県のリエックス・スキーバレーでインストラクターを務め、スクール運営や町おこしイベントにも関わっていると紹介された。冬場は企業やスキー場の依頼で各地を指導に回るという。

最新動向[編集]

45周年ツアー[編集]

2026年はイモ欽トリオ結成45周年。長江はプロデューサーとして、7月から8月にかけて9都市12公演の全国ツアーを企画した。年頭に西山の所属事務所が解散し、山口が所属していた東京ヴォードヴィルショーも5月末に解散したことで、「3人ともほぼフリー」になったという。

ツアーについて長江は「2人に喜んでもらいたい」と語り、移動やホテル、経費削減のためにサウナに泊まることまで含めて「ステージ」だと位置づけ、旅のしおりまで作る予定だと明かした。見どころは旅先の空気に合わせた「おしゃべり」で、イモ欽を知らない人でも楽しめるステージを目指すとしている。

直近の活動[編集]

2025年には3人で4曲入りCD『SNACK KYOKO』を発売。同年には山口良一の古希記念ライブツアーにも参加し、全国7か所を回った。12月6日・7日には東京都町田市のまほろ座MACHIDAで「イモ欽トリオ 年忘れLIVE 2025」を開催し、チケットは完売している。

また、YouTubeチャンネル「IMOKEN-TV R40」を2020年4月に開設しており、2021年のイモ欽トリオデビュー40周年にはヒット曲メドレーを公開した。SNSでも近影を発信しており、60代になった姿に「渋みが出て良き」といった反響が寄せられたことがニュースになった。

主な出演作[編集]

テレビ番組[編集]

  • 『プリン・キャッシーのテレビ!テレビ!!』(読売テレビ)
  • 『ザ・びっくりショー』(関西テレビ)
  • 『TVジョッキー』(日本テレビ)
  • 『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ、1981年~1982年)
  • 『突然ガバチョ!』(毎日放送、1983年~1985年)
  • 『紅白ものまね』(フジテレビ、2005年)
  • 『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日、2016年)
  • 『大追跡!懐かしのあのスターは今?7』(BSテレ東、2021年)

ラジオ[編集]

  • 『MBSヤングタウン』(MBSラジオ)
  • 『金パラ~長江健次のDARADAラジオ』(FM世田谷、毎週金曜の4時間生放送)

ドラマ[編集]

  • 『壬生の恋歌』(1983年、NHK)
  • 『はじめての情事』(1983年、TBS)
  • 『まんが道』(1986年、NHK銀河テレビ小説)- 才野茂 役
  • 『まんが道 青春篇』(1987年、NHK)- 才野茂 役
  • 『心はロンリー気持ちは「…」IV』(1986年、フジテレビ)
  • 『潮風にとべ!!ウルトラマン』(1988年、TBS)- 主演
  • 『名古屋嫁入り物語』(1989年、関西テレビ)
  • 『ママの神様』(2008年、CBC)
  • 『仮面ライダーキバ』(2008年、テレビ朝日)- 研究員 役
  • 『警視庁捜査一課9係 season8』(2013年)
  • 『ごちそうさん』(2013年~2014年、NHK連続テレビ小説)- 石川公之助 役
  • 『99.9-刑事専門弁護士- SEASONⅡ』(2018年)

映画[編集]

  • 『プロジェクトA子』(1986年)
  • 『クレイジーボーイズ』(1988年)
  • 『バカヤロー!3 へんな奴ら』(1990年)
  • 『友子の場合』(1996年)
  • 『劇場版 さらば仮面ライダー電王』(2008年)
  • 『藁の楯』(2013年)
  • 『KYロック!』(2024年)- 健一 役

主な作品(音楽)[編集]

  • 「ハイスクールララバイ」(1981年、イモ欽トリオ)
  • 「BOY'S LIFE」(1983年、ソロシングル)
  • 『Hito no Uta』(2016年、アルバム)
  • 『Hito no Uta 2』(2016年、アルバム)
  • 『Back to Baby』(2024年、アルバム)
  • 『SNACK KYOKO』(2025年、イモ欽トリオ、4曲入りCD)

炎上とバズ[編集]

「破門」報道[編集]

1982年の降板後、大学受験を理由にしていながら間もなく大阪でレギュラー番組を始めたことが「不義理」と受け止められ、マスコミに「欽ちゃんファミリーから破門」と報じられた。2016年の『しくじり先生』では、この件がきっかけでフジテレビに出入りできなくなったとも語られている。本人は後年、「調子に乗っていた」「ひとりで強がっていただけ」と率直に振り返っている。

「しくじり先生」での告白[編集]

2016年の『しくじり先生』出演は大きな反響を呼んだ。共演の関根勤が「初めて聞いたよ」と驚くほどの内容で、往年の人気者が自らの失敗と転落を語る姿がスポーツ紙などで大きく報じられた。

近影がバズる[編集]

SNSで公開した60代の近影には「お顔が少し変わりましたね」「渋みが出て良き」といった声が寄せられ、スポーツ紙系ニュースサイトで記事化された。フツオ時代とのギャップも含め、たびたび話題になる存在である。

余談[編集]

  • 「ハイスクールララバイ」の作詞は松本隆、作曲は細野晴臣。バラエティ番組発のユニットのデビュー曲としては破格の布陣だったとされる。
  • ヤングタウン時代のあだ名「ふなむし」はリスナー公募で決まったもの。「フツオ」とはまったく別方向の愛称である。
  • 若い世代に「ステキなオッサン」と思われる存在であり続けることが目標だと語ったことがある。
  • 2005年の『紅白ものまね』には、なんと「本人」として登場した。
  • ツアーの移動では経費削減のためサウナに泊まることもあるといい、本人はそれも含めて「ステージ」と考えているそうだ。
  • 萩本の「聞いちゃダメ」という教えの意味が、ライブを一人で企画・運営するようになってようやくわかってきた、と語っている。「繰り返しやり続ける。その意味が今はわかります」とのこと。

外部リンク[編集]

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