Chiemi Hori
ほり ちえみ
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デビュー40周年記念ライブを報じた記事の画像(2023年2月。出典:日刊ゲンダイDIGITAL)
本名 尼子智栄美(旧姓:堀)
誕生日 1967年2月15日
年齢 59歳
出身地 大阪府堺市
国籍 日本
家族 夫・尼子勝紀(2011年結婚)、実子5人と夫の連れ子2人の計7人の子、妹・堀美矢子(元タレント)
学歴 帝塚山学院中学校 → 堀越高等学校 卒業
職業 歌手、タレント、女優
肩書 元アイドル歌手、日本歯科大学生命歯学部 客員教授(2025年度)
活動期間 1982年 - 1987年、1989年 -
代表的な実績 シングル「潮風の少女」(1982年)、「リ・ボ・ン」(1985年)、ドラマ『スチュワーデス物語』松本千秋役(TBS、1983年)、NHK紅白歌合戦出場(1984年)
受賞 第6回ホリプロタレントスカウトキャラバン 優勝(1981年)
ファンクラブ C☆S☆C
あだ名 ちーちゃん
その他 「花の82年組」の一人。2019年にステージ4の舌がんを公表し、手術とリハビリを経て歌手活動に復帰
リンク 堀ちえみ オフィシャルサイト


概要[編集]

堀ちえみ(ほり ちえみ、1967年2月15日 - )とは、大阪府堺市出身の日本の歌手・タレント・女優である。1982年に「潮風の少女」でデビューした「花の82年組」の一人で、ドラマ『スチュワーデス物語』の「ドジでノロマな亀」で一世を風靡した。2019年にステージ4の舌がんを公表し、大手術とリハビリを経てステージに戻ってきた。

詳細[編集]

スカウトキャラバン優勝から「花の82年組」へ[編集]

芸能界入りのきっかけは、1981年の「第6回ホリプロタレントスカウトキャラバン」での優勝である。当時14歳の中学生で、この大会では「白いパラソル」を歌った。のちに本人は、歌手を目指してこの曲を練習した日々を「43年ぶりにステージで歌ったら胸が詰まった」と振り返っている。

1982年3月21日、ホリプロから「潮風の少女/メルシ・ボク」でアイドル歌手としてデビュー。キャッチフレーズは「GOOD FRIEND」だった。1982年は新人アイドルが大量にデビューした当たり年で、のちに「花の82年組」と呼ばれる。中森明菜、小泉今日子、早見優、松本伊代、つちやかおり、男性グループのシブがき隊らと同期にあたり、デビュー当時のメンバーの中では最年少組だった。

「ドジでノロマな亀」の大映ドラマ[編集]

堀ちえみの名を全国区にしたのが、1983年にTBS系で放送された大映ドラマ『スチュワーデス物語』である。演じたのは日本航空の客室乗務員訓練生・松本千秋。失敗ばかりの千秋が、風間杜夫演じる村沢浩教官に厳しく鍛えられながら成長し、やがて恋心を抱いていく物語で、千秋が自分を指して言う「ドジでノロマな亀」は当時の流行語になった。千秋が繰り返し呼びかける「教官!」は、1984年の流行語大賞で大衆賞を受賞している。

撮影は過酷で、真冬の沼津の海に飛び込む海難訓練シーンもあった。共演者によれば、撮影中に堀が盲腸で手術を受けたのを皮切りに、出演者が次々と体調を崩したという。2024年12月に毎日放送(MBS)で再放送されると、「面白くてつい見入ってしまう」「今なら絶対アウト」といった声がネットで飛び交い、40年越しに話題になった。

二十歳での電撃引退[編集]

その後も『スタア誕生』『花嫁衣裳は誰が着る』など大映ドラマの主演を重ね、歌手としても1984年に「東京Sugar Town」でNHK紅白歌合戦に初出場した。人気絶頂のさなか、20歳の誕生日を迎えた直後の1987年3月に芸能界引退を表明する。

引退直前の1987年2月のインタビューでは、「アイドルだから恋愛しちゃいけないなんて、今の時代おかしいと思う」「人間ですから恋愛もします」と語っていた。この映像は2019年にフジテレビの情報番組で改めて放送され、新人時代をともに過ごした北原佐和子は「全盛期に区切りをつけた潔さと芯の強さが格好良かった」と振り返っている。

舌がんステージ4からの生還[編集]

2019年2月19日、自身のブログでステージ4の舌がんであることを公表した。リンパ節への転移もあり、同年2月22日に約11時間に及ぶ手術を受けて舌の約6割とリンパ節を切除し、太ももの組織を移植して舌を再建した。3月に退院したが、4月には初期の食道がんも見つかり、内視鏡で切除している。

術後は発音・発語に後遺症が残り、話すことも歌うこともゼロから取り戻すリハビリが始まった。2024年2月27日、ブログで主治医から舌がんの「完治」を告げられたと報告。本人はこのとき、夫と一緒に「完治ですか?」と2度聞き返したという。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

大阪府堺市の出身。帝塚山学院小学校・中学校で学び、芸能界入り後は上京して堀越高等学校に進学した。仕事が多忙を極めたため卒業には時間がかかっており、在学期間は「4年」とも、3年で卒業式を迎えたあと補習を受けて1年後に卒業証書を受け取ったともいわれる。妹の堀美矢子も一時期タレントとして活動していた。

アイドル時代(1982年 - 1987年)[編集]

デビュー年の1982年には、ドラマ『メチャン子・ミッキー』にも出演。翌1983年の『スチュワーデス物語』で人気が爆発し、1983年から1986年にかけては「さよならの物語」「白いハンカチーフ」「稲妻パラダイス」「東京Sugar Town」「リ・ボ・ン」「青春の忘れ物」など、ほぼ3か月おきにシングルを出し続けた。

ドラマでは大映ドラマの看板女優として『スタア誕生』(1985年)、『花嫁衣裳は誰が着る』(1986年)に主演。バラエティでも『ドリフ大爆笑』などに出演している。1987年3月21日発売の「愛を今信じていたい」がアイドル時代最後のシングルとなった。

結婚と再出発(1987年 - 2000年代)[編集]

引退後、大阪の外科医と結婚して3人の男の子をもうけた。1989年には松竹芸能に所属して芸能活動を再開し、関西を拠点にタレント・女優として活動。1997年から1998年には連続テレビ小説『甘辛しゃん』にも出演している。最初の結婚は1999年に離婚に至った。

2000年に再婚して2人の子を出産。2001年には14年ぶりのシングル「ピンクのアオザイの裾を夜風にあそばせ -サウスウインド-」をリリースした。同じ年、特発性重症急性膵炎で一時重体となり、35日間入院している。2005年からは歌手活動を本格的に再開し、ソロコンサート「青春の忘れ物」を大阪・東京で開催。2007年にはデビュー25周年記念ライブ「君といる世界」を行い、同名シングルも発表した。

タレント・ブロガー時代(2009年 - 2018年)[編集]

2009年には映画『色即ぜねれいしょん』で23年ぶりに映画出演を果たした。テレビでは『クイズ!ヘキサゴンII』の準レギュラー、毎日放送の情報番組『ちちんぷいぷい』のレギュラーなどを務め、2010年のドラマ『ヤンキー君とメガネちゃん』、2011年の『妖怪人間ベム』にも出演している。2010年に2度目の離婚をし、2011年12月に実業家の尼子勝紀と3度目の結婚をした。

このころからAmebaの公式ブログで、大家族の食卓や日々の出来事をこまめに発信するようになり、ブログは主婦層を中心に多くの読者を集めた。一方で2017年には初期のリウマチと神経障害性疼痛、2018年には特発性大腿骨頭壊死症を公表するなど、病気との付き合いも続いた。2017年にはデビュー35周年記念ライブを開催している。

舌がんの公表と治療(2019年)[編集]

2018年夏ごろから舌の裏に口内炎ができ、通院治療を続けていたが、2019年1月に痛みに耐えかねて受診したところ、ステージ4の舌がんと判明した。2月19日にブログで公表して入院し、2月22日に手術を受けた。公表の日には『スチュワーデス物語』で共演した風間杜夫が「今は貴女が人生の教官です」とエールを送り、ニュースになった。

2019年10月には闘病記『Stage For』を刊行。2020年3月には体調を考慮して『ちちんぷいぷい』のレギュラーを降板している。

復帰と歌への挑戦(2020年 - 2023年)[編集]

2020年1月3日に芸能活動への復帰を報告し、1月7日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)が復帰後初の仕事となった。術後初めてテレビで肉声を披露し、一語一語を確かめるように話す姿が反響を呼んだ。

同年8月23日には『24時間テレビ43』(日本テレビ系)で、アイドル時代の代表曲「リ・ボ・ン」を歌い、手術後初めて歌声を披露した。ボーカルトレーナーには、コーラスグループ・AMAZONSの大滝裕子がついており、2020年から指導を受けている。

2023年2月15日、56歳の誕生日に東京・かつしかシンフォニーヒルズで「Chiemi Hori 40th+1 Anniversary Live〜ちえみちゃん祭り2023〜」を開催。2017年以来6年ぶりのコンサートで、約1300席が完売した。デビュー曲「潮風の少女」から始まり、約2時間半で21曲を歌い切ったと報じられている。ライブは東京・大阪・愛知・福井の4か所で行われ、冬には初のクリスマスディナーショーも開いた。

完治と新曲(2024年 - 2026年)[編集]

2024年2月27日、ブログで舌がんの完治を報告。4月20日には日本橋三井ホールで「CHIEMI STYLE 2024〜come to my room〜」を開催した。同年には自ら作詞した新曲「FUWARI」を発表し、10月には6曲入りの『FUWARI』をリリース。新曲の発表は17年ぶりだった。10月29日・30日には渋谷で「CHIEMI STYLE 2024〜Autumn〜」を行い、客席の最前列では松本伊代、早見優、つちやかおり、渡辺めぐみの82年組の同期たちが見守った。

11月には夫・尼子勝紀との共著『人生の悩みをシンプルにする50の言葉』を主婦と生活社から出版。12月25日には、日本歯科大学生命歯学部の客員教授に2025年4月から1年間就任することを発表した。12月31日の『年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京)では、約4年半ぶりにテレビで歌声を披露している。

2026年1月24日には、埼玉県の葬儀式場のオープン記念イベントでライブを行い、終盤に風間杜夫が花束を持ってサプライズ登場。「千秋と教官」の再会が話題になった。5月27日には、全曲を自ら作詞したEP『月に祈りを』(全6曲、作曲は白山タカシ)を配信リリース。Shibuya Cross-FMでは毎月第1土曜日に生放送のラジオ番組『堀ちえみの渋谷でふわり』を担当している。11月21日には羽田空港で風間杜夫とのランチ&トークショーが予定されている。

人物[編集]

「完治」を2度聞き返した人[編集]

病気について語るときの口調は、悲壮感より前向きさが勝っている。完治を告げられた場面について、夫と「完治ですか?」と2度聞き返したと笑いながら明かし、病気を経て「今、この命を生きよう」と気持ちを切り替えられたと語っている。

一方で、家族の思いも隠さず話している。40周年ライブで、歌うことにも話すことにも苦労する姿を見た家族は、手術を選んだことを一時後悔しかけたという。それでも客席から届いたファンの「ありがとう」の声に、家族も励まされたと振り返っている。

発声を一から作り直す[編集]

舌の一部を失ったことで、話す声は以前のようには出なくなった。スポーツ紙記者によれば、YouTubeの動画などで人の口の動きを観察して発声練習を続けているといい、話し声とは裏腹に、歌い出すと全盛期以上に力強い声が出ることもあるという。

本人の目標は「70代、80代になっても口パクではなく自分で歌えるおばあちゃん」。影響を受けた人物にはシンディ・ローパーを挙げている。

大家族の母[編集]

3度の結婚を経て、実子5人(4男1女)と夫の連れ子2人の計7人の子どもを育ててきた。ブログやインタビューで家族の話題はよく出るものの、子どもたちの名前や詳しい私生活はほとんど明かしていない。娘は手術当時まだ10代で、その娘の成人の日を無事に迎えられたことに涙したと報じられている。

痛みに強すぎる体質[編集]

本人いわく、痛みに強い性格で、夢中になると痛みに気づきにくいという。2026年に入ってからは腰椎すべり症・腰椎狭窄症による腰痛に悩まされ、1月にはブロック注射を受けたことをブログで報告した。手術については「最終手段」とし、医師の「やらないに越したことはない」という見解に納得していると書いている。3月には「病名が軽すぎて損した気分」と題したブログで、すべり症という名前と痛みの強さが釣り合わないと嘆き、話題になった。

ディスコグラフィ[編集]

シングル(アイドル時代)[編集]

発売日 タイトル
1982年3月21日 潮風の少女/メルシ・ボク
1982年6月21日 真夏の少女
1982年8月21日 待ちぼうけ
1982年11月5日 とまどいの週末
1983年1月21日 さよならの物語
1983年4月21日 夏色のダイアリー
1983年7月7日 青い夏のエピローグ
1983年10月5日 夕暮れ気分
1984年1月21日 白いハンカチーフ
1984年4月21日 稲妻パラダイス
1984年7月18日 東京Sugar Town
1984年10月17日 クレイジーラブ/愛のランナー
1985年1月23日 リ・ボ・ン
1985年4月24日 Deadend Street GIRL
1985年7月3日 Wa・ショイ!/風のサザン・カリフォルニア
1985年9月25日 青春の忘れ物
1986年1月21日 夢千秒
1986年4月21日 ジャックナイフの夏
1986年7月14日 夏咲き娘
1986年10月21日 素敵な休日
1987年3月21日 愛を今信じていたい

復帰後の主な作品[編集]

  • 「ピンクのアオザイの裾を夜風にあそばせ -サウスウインド-」(2001年)
  • 「ミッキーマウス・マーチ(ファミリー・パラパラ・ヴァージョン)」(2005年)
  • 「君といる世界」(2007年)
  • 『FUWARI』(2024年)- 表題曲は本人作詞
  • 『月に祈りを』(2026年、EP・配信)- 全6曲本人作詞

主な出演[編集]

テレビドラマ[編集]

  • 『メチャン子・ミッキー』(1982年)
  • 『スチュワーデス物語』(1983年 - 1984年、TBS)- 松本千秋 役(主演)
  • 『スタア誕生』(1985年、フジテレビ)- 主演
  • 『花嫁衣裳は誰が着る』(1986年、フジテレビ)- 主演
  • 『家族八景』(1986年)
  • 連続テレビ小説『甘辛しゃん』(1997年 - 1998年、NHK)
  • 『ヤンキー君とメガネちゃん』(2010年、TBS)
  • 『妖怪人間ベム』(2011年、日本テレビ)

映画[編集]

  • 『色即ぜねれいしょん』(2009年)
  • 『映画 妖怪ウォッチ エンマ大王と5つの物語だニャン!』(2015年)

バラエティ・音楽番組[編集]

  • 『ドリフ大爆笑』
  • 『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ)- 準レギュラー
  • 『ちちんぷいぷい』(毎日放送)- レギュラー(2020年3月まで)
  • 『徹子の部屋』(テレビ朝日、2020年1月)- 復帰後初出演
  • 『24時間テレビ43』(日本テレビ、2020年8月)
  • 『年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京、2024年12月)

ラジオ[編集]

  • 『堀ちえみの渋谷でふわり』(Shibuya Cross-FM、毎月第1土曜日)

著書[編集]

  • 『Stage For』(2019年)- 舌がんの闘病記
  • 『人生の悩みをシンプルにする50の言葉』(2024年、主婦と生活社)- 尼子勝紀との共著

スチュワーデス物語[編集]

「教官!」とセットの40年[編集]

『スチュワーデス物語』は、大映テレビが手がけた、いわゆる「大映ドラマ」の代表作のひとつである。大げさな台詞回しとたたみかける展開が特徴で、千秋の「ドジでノロマな亀」のほか、片平なぎさ演じる教官の元婚約者・新藤真理子が恨めしそうに口にする「ヒロシ〜」も、共演者いわく「同じくらい真似された」という。真理子が義手の上にはめていた高級そうな手袋は、実は白のゴム手袋だったというのも有名な裏話である。

衣装は、大映の野添和子プロデューサーから各自2万円を渡され、原宿のラフォーレで自分に合った服を買ってくるよう指示されたという。現代の感覚では無茶な演出が多い作品だが、それも含めて昭和のテレビの熱量を伝える作品として、今も再放送のたびに話題になる。

教官との再会[編集]

風間杜夫との縁はドラマ終了後も続いている。2019年のがん公表時には「今は貴女が人生の教官です」とエールを送り、2026年1月のイベントでは花束を持ってサプライズで登場した。同年11月には、羽田空港を会場に2人でのランチ&トークショーも予定されている。客室乗務員を目指す物語の2人が空港でイベントを開くという、ファンには嬉しい組み合わせである。

闘病とリハビリ[編集]

公表から手術まで[編集]

2018年6月ごろに舌の裏にできた口内炎は、なかなか治らなかった。2019年1月にがんと診断され、2月19日の公表から3日後に手術を受けた。手術では舌の約6割とリンパ節を切除し、太ももの組織で舌を再建している。退院は3月26日。その後見つかった食道がんは初期段階で、内視鏡で切除された。

声を取り戻すまで[編集]

手術直後、専門医は「違和感なく会話や歌唱ができるようになるには数年かかる」との見方を示していた。そこから約1年半で「リ・ボ・ン」を歌い、約4年でワンマンライブを開くまでになった。2026年9月のブログでは、手術から約7年半が経ち、毎日のリハビリで口の開き具合も最大約4.3cmまで戻ってきたと報告している。

講演と歯科大学[編集]

復帰後はメディア出演に加え、講演や書籍でがんの経験を発信している。口腔がんの経験者として、2025年度には日本歯科大学生命歯学部の客員教授も務めた。

炎上とバズ[編集]

ブログへの誹謗中傷[編集]

がん公表の前後から、堀のブログには心ない書き込みが相次いでいた。本人が被害を訴えたこともあり、2021年には、ブログに中傷の書き込みをしたとして奈良県の女性が書類送検されたと報じられた。この件について、かつて同じ事務所に所属していた和田アキ子はラジオで「警鐘を鳴らしたことは確か」と述べ、ネット上の誹謗中傷を考えるきっかけとして注目された。

「病名が軽すぎて損した気分」[編集]

2026年3月、腰椎すべり症の痛みについて書いたブログのタイトル「病名が軽すぎて損した気分...になるなぁ」がネットニュースで取り上げられた。「すべり症」と聞くと軽く聞こえるが、実際の痛みは相当なものだとして、周囲の人に気遣いを呼びかけた内容で、共感の声が集まった。

40年後の再放送[編集]

2024年12月の『スチュワーデス物語』再放送では、溺れた千秋への人工呼吸など、昭和の大映ドラマらしい過激な場面がSNSで改めて話題になり、「今なら絶対アウト」とツッコミが相次いだ。

余談[編集]

  • デビュー40周年ライブのアンコールでは、バンドメンバーとファンから誕生日のサプライズを受けた。ライブ当日がちょうど56歳の誕生日だった。
  • デビュー当時からのファンクラブ「C☆S☆C」の親衛隊メンバーは、40周年ライブの前に会場付近で集まってコールの練習をしていたと報じられている。中心は50代だという。
  • 2024年の渋谷ライブでは、スカウトキャラバン時代の思い出の曲「白いパラソル」を歌って号泣し、「本当は自分の曲で泣くべきなのに」とファンに詫びた。
  • 3度目の結婚相手とは、大阪で出勤途中に声をかけられ、さらに羽田行きの飛行機で偶然再会するという、ドラマのような出会い方をしたと語っている。本人はその瞬間を「ビビビ!」と表現した。
  • 公式のInstagramやYouTubeチャンネルも開設しており、ブログと並ぶ発信の場になっている。

外部リンク[編集]

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