| 株式会社ドグマ Dogma | |
|---|---|
![]() 創業者のTOHJIRO(伊藤智生)(cinefilより) | |
| 国家 | 日本 |
| 業種 | アダルトビデオ |
| 本社所在地 | 東京都港区(オムプロダクション内) |
| 設立日 | 2001年 |
| 設立者 | TOHJIRO |
| 関係する人物 | TOHJIRO、二村ヒトシ、溜池ゴロー、森下くるみ |
概要[編集]
ドグマ(Dogma)とは、AV監督・映画監督のTOHJIROが2001年に立ち上げた日本のアダルトビデオメーカーである。当初はソフト・オン・デマンド(SOD)グループ内のレーベルとして始まり、2002年に独立。監督の作家性を看板に据える「ディレクターズメーカー」として知られ、世間的にはSM・緊縛系の老舗という印象が強い。運営会社はTOHJIROが代表を務めるオムプロダクションで、拠点は東京都港区に置かれている。
詳細[編集]
設立の経緯[編集]
創業者のTOHJIROは、もともと映画畑の人間である。1956年に東京・六本木で生まれ、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)の第一期生として映画を学んだ。1980年代には自主製作の長編映画『ゴンドラ』を借金をして撮り上げ、同作は横浜映画祭の新人監督賞をはじめ国内外で評価を得たものの、劇場公開までには長い時間を要した。次の映画企画が頓挫したことなどをきっかけに、1989年にアダルトビデオの世界へ入り、「TOHJIRO」の名で監督デビューしている。
1990年代後半、AV業界の主戦場がレンタルからセル(販売用)ビデオへ移ると、TOHJIROは1997年ごろから新興のSODで作品を発表するようになり、のちに看板監督の一人となった。1998年には、後にドグマの顔となる森下くるみのデビュー作もSODで手がけている。英語版Wikipediaによれば、1999年末にはSOD創業者の高橋がなりから一時的にAV制作を禁じられ、その間はVシネマを撮っていたという逸話もある。
2001年2月、TOHJIROはSODグループ内のレーベルとしてドグマを立ち上げ、同年4月に第1弾作品をリリースした。翌2002年2月にはSODから独立したインディーズメーカーとなり、販売は北都系のアウトビジョンへ移行した。SODとの関係が完全に切れたわけではなく、2006年にはSODと共同で作品を製作したこともある。
所属監督と主な女優[編集]
設立時の監督陣は、TOHJIRO、溜池ゴロー、二村ヒトシの3人。いずれも後に業界で名を成す個性派で、旗揚げメンバーとしてはかなり豪華な顔ぶれだった。
- 溜池ゴロー:2002年4月に独立して自身の事務所を構え、その後は他社で人妻・熟女ものを中心に活躍。「美熟女」ブームの火付け役とも評される。
- 二村ヒトシ:2008年にドグマ専属を離れてフリーとなり、2011年には自身のメーカーを設立。ドグマ時代には、のちに定番化する痴女系の演出を数多く考案したとされる。恋愛論の著書でも知られる。
その後もTENUN、ノーマルKIM、浪花乱交、侍・ヴァンといった社内監督が育ち、ジャンル別の担当制が敷かれた。品番の頭文字が監督ごとに割り振られていた(TOHJIRO作品は「DDT」など)のも、監督を前面に出すメーカーらしい特徴である。2021年時点でもTOHJIRO、TENUN、ノーマルKIMらが名を連ねている。
女優では、SOD時代からTOHJIROと組んでいた森下くるみが2002年にドグマ専属となり、2008年に引退するまで看板を務めた。引退後は文筆家として活動している。2006年には星月まゆらが専属女優となった。このほか堤さやか、桃井望、樹若菜らもドグマ作品で知られ、友田真希はハードSMレーベル「CORE」の第1弾作品に起用されている。
レーベル[編集]
メインの「ドグマ」レーベルのほか、目的別にいくつかのサブレーベルが設けられた。
- ヌーベルバーグ:若手社内監督のための実験的なレーベル。名前はもちろん、1950年代末からのフランス映画の新潮流「ヌーヴェル・ヴァーグ」にちなむと見られ、映画出身の創業者らしいネーミングである。
- ドグマアウト(Dogma Out):社外監督を招いて撮らせるレーベル。2005〜2006年ごろを中心に、ばば☆ザ☆ばびぃやカンパニー松尾らが作品を発表した。
- CORE:2005年12月に始動したハードSM路線のレーベル。
- Shyness:2007年11月に始動したレーベルで、設立当初からのシリーズの流れをくむ。
- Dogma Guild など。
また他社との協業も行っており、2005年にはMOODYZと共同でレーベル「MOODYZ KILLER」から作品を製作している。
自社設備とシアタードクマ[編集]
ドグマの特徴としてよく挙げられるのが、制作体制の「内製率」の高さである。拠点の自社ビルには専用の編集室・衣装室・スタジオスペースがあり、さらに専属の広報・経理・美術部まで抱えている。外注が当たり前のAV業界において、一メーカーがここまでの体制を持つのは異例とされる。2007年には編集室・衣装室を備えた第二社屋へ移転している。
2024年には、スタジオの一角を映画上映用のスペース「シアタードクマ」に改装した(日本語版Wikipediaでは「ドクマ」表記)。ここではAV作品の劇場版を製作し、不定期で上映会を開いている。AVの「作品」を、配信やディスクではなく暗い部屋の大きな画面で観せるという発想は、自主映画から出発したTOHJIROの経歴を考えると納得のいく展開である。
販売・海外展開と近年の動向[編集]
公式サイト「Dogma×Web」では早くから通信販売を行い、2007年4月のサイトリニューアルを機に、英語・韓国語への対応とダウンロード販売を開始した。日本のAVメーカーとしては比較的早い時期の多言語対応である。かつては監督・女優・スタッフの日記やブログも公開していたが、掲示板(BBS)は後に閉鎖された。英語版Wikipediaによれば、2009年ごろは月8本前後の新作を出し、そのおよそ半分がTOHJIRO監督作だった。DVDは北都を通じて流通し、森下くるみデザインのTシャツを販売したこともある。
TOHJIRO自身は2010年代半ばから映画監督としての活動を再開し、2017年には『ゴンドラ』のデジタルリマスター版が全国のミニシアターで再上映された。2023年には新作映画『しゅら』を発表し、同年9月にドイツのオルデンブルク国際映画祭にノミネートされている。ドグマのシアター開設も、こうした「映画へ戻る」流れの延長線上にあるといえる。
受賞歴・イベント[編集]
- D-1クライマックス:ドグマが2005〜2007年に主催した監督コンテスト。所属監督が作品で競い合う形式で、2005年・2006年はTOHJIROが優勝、2007年は二村ヒトシが制した(英語版Wikipediaによる)。第3回をもって一時中止が発表された。
- AVグランプリ2009:業界最大級のコンテストにTOHJIRO作品で参戦。TOHJIROは前年王者のS1 NO.1 STYLE打倒を公言していた。グランプリこそ逃したが、配信売上賞を受賞し、賞金200万円を獲得した。
- AVグランプリの前身にあたる2006・2007年の「AV OPEN」には、ドグマは参加していない。
- TOHJIRO個人としては、AV雑誌『オレンジ通信』の賞を2度受賞している。
主なシリーズ・作品傾向[編集]
作品の主軸はSM・緊縛・拘束などのフェティッシュ系ジャンルで、「ドグマ=SMのメーカー」という一般的なイメージはここから来ている。ただし実際のラインナップは幅広く、ドラマ仕立ての作品や、監督ごとの得意分野を突き詰めたシリーズが並ぶ。
代表的なシリーズとしては、2002年11月開始のTOHJIRO監督「拘束椅子トランス」、2005年9月開始の「Mドラッグ」、SOD時代の2001年に始まった「青い性欲」などが知られる。二村ヒトシ監督によるふたなり系シリーズも人気を集めた。どれも監督の名前とセットで語られるシリーズであり、「どのメーカーの作品か」より「誰の作品か」で選ばれる、ディレクターズメーカーらしい構図になっている。
余談[編集]
- 社名の「ドグマ」と、若手レーベル「ヌーベルバーグ」は、どちらも映画・思想寄りの言葉選び。AVメーカーの命名としてはかなり硬派で、映画青年出身の創業者の趣味がよく出ている。
- 主要な出身者の多くが、のちに独立して自分の看板を掲げている(溜池ゴロー、二村ヒトシなど)。監督に裁量を持たせる社風が、結果的に「監督の養成所」のような役割を果たしたともいえる。
- TOHJIROの生まれも、ドグマの拠点も港区・六本木界隈で、創業者の地元に根を張ったメーカーでもある。
- 同じ「ドグマ」の名を持つものに、1999年のケヴィン・スミス監督による米国映画『ドグマ』がある(2024年に続編企画が報じられた)。もちろん両者に関係はない。
- 2018年8月、TOHJIROは佐賀市で女性限定のAV鑑賞会を開いたこともある。「作品として観てもらう」ことへのこだわりは、シアター開設以前から一貫している。
