吉行和子
よしゆき かずこ / Kazuko Yoshiyuki
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1962年頃の吉行和子(出典:Wikimedia Commons「File:吉行和子.png」・パブリックドメイン)
本名 吉行和子
誕生日 1935年8月9日
死亡日 2025年9月2日
死亡年齢 90歳(数え年91)
出身地 東京都(当時の東京府)
国籍 日本
学歴 女子学院高等学校卒業
ジャンル 映画・テレビドラマ・舞台・エッセイ・俳句
ポジション 女優、エッセイスト
活動期間 1955年 - 2025年
家族 父:吉行エイスケ(作家・詩人)、母:吉行あぐり(美容師)、兄:吉行淳之介(作家)、妹:吉行理恵(詩人・作家)
事務所 テアトル・ド・ポッシュ
代表作 『アンネの日記』(舞台・1957年)、『にあんちゃん』(1959年)、『愛の亡霊』(1978年)、『ふぞろいの林檎たち』、『折り梅』(2002年)、『東京家族』(2013年)、「家族はつらいよ」シリーズ
関連活動 エッセイ執筆(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、俳句(俳号「窓烏」)
あだ名 和子っぺ(冨士眞奈美による呼び名)
その他 劇団民藝出身。毎日映画コンクール田中絹代賞(2002年)、NHK放送文化賞(2023年)ほか


概要[編集]

吉行和子(よしゆき かずこ、1935年8月9日 - 2025年9月2日)とは、東京都出身の日本の女優・エッセイストである。劇団民藝で『アンネの日記』の主役に抜擢されて頭角を現し、大島渚監督の『愛の亡霊』で日本の映画史に残るヒロインを体当たりで演じた。晩年は山田洋次監督の『東京家族』『家族はつらいよ』シリーズで「日本のお母さん」像を担った。作家・吉行淳之介の妹、美容師・吉行あぐりの娘という文学一家の長女でもある。2025年9月2日、肺炎のため90歳で死去した。

詳細[編集]

文学一家に生まれた病弱な少女[編集]

父はモダニズム作家・詩人の吉行エイスケ、母は日本の美容師の草分けとして知られる吉行あぐり。兄は後に芥川賞作家となる吉行淳之介、妹は詩人で同じく芥川賞を受賞する吉行理恵という、とんでもなく濃い家庭に長女として生まれた。2歳で小児喘息を発症し、子ども時代はほとんど病弱そのもの。4歳のときに父エイスケが34歳で急逝し、母は美容院の仕事で多忙を極めたため、発作がひどいときは岡山の祖父のもとに預けられて過ごしたという。兄とは年齢がかなり離れており、本人いわく打ち解けたのは大人になってずっと後のことだった。

「衣装係になりたかった」のに女優へ[編集]

女優志望ではまったくなかった、というのが吉行和子の有名な逸話である。絵と裁縫が得意だったことから舞台衣装の仕事を夢見て、女子学院高校在学中の1954年に劇団民藝付属水品研究所を受験。ところが試験官の目に留まったのは裏方の才能ではなく本人の存在感で、女優候補として採用されてしまった。1955年に初舞台を踏み、同年に映画『由起子』でスクリーンデビュー。つまり「なりゆきで女優になった人」が70年にわたって第一線に立ち続けたわけで、本人も後年のエッセイでこの皮肉をたびたびネタにしている。

アンネ・フランクで一躍注目[編集]

1957年、民藝の正式所属となった年に舞台『アンネの日記』のアンネ・フランク役に抜擢され主演。これが大きな評判を呼び、吉行和子の名を一気に広めた。ただしその後に回ってきたのは地味な農村の娘役などが多く、本人はくすぶりを感じていたともされる。1959年には民藝に籍を置いたまま日活と契約し、今村昌平監督の『にあんちゃん』や『才女気質』に出演して毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。映画女優としての評価もここで確立した。1960年にはベルリン国際映画祭に出席するため西ベルリンを訪れている。

33歳でフリーへ、そしてアングラへ[編集]

1969年、33歳で14年以上在籍した劇団民藝を退団しフリーとなる。新劇の「本流」から飛び出した彼女は、唐十郎作の『少女仮面』に出演するなど、当時勢いのあったアングラ演劇とも積極的に関わった。親友の岸田今日子とは清水邦夫の芝居に続けて出演している。1974年には舞台『蜜の味』で紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。のちに代表作となる一人芝居『MITSUKO』も含め、舞台女優としてのキャリアは映像と並ぶもう一本の柱だった。

経歴[編集]

民藝・日活時代(1954年 - 1969年)[編集]

1954年に研究所入りし、1955年初舞台、1957年に『アンネの日記』で主演。1959年に日活と契約した後は、『にあんちゃん』で戦後の炭鉱町を生きる人々を演じ、映画でも存在感を示した。新劇の看板女優候補として順調に見えたが、本人の中では「与えられる役」への物足りなさが募っていったとされ、1969年に退団。フリーの女優として舞台・テレビ・映画を横断する活動に入った。

『愛の亡霊』とテレビ黄金期(1970年代 - 1980年代)[編集]

フリー転向後はテレビドラマへの出演が急増する。NHKの大河ドラマでは『樅ノ木は残った』(1970年)、『国盗り物語』(1973年)、『風と雲と虹と』(1976年)、『徳川家康』(1983年・北政所役)と常連に。1978年には大島渚監督の日仏合作映画『愛の亡霊』で主演し、第2回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した。TBSの『3年B組金八先生』(1979年 - )では池内友子役、山田太一脚本の『ふぞろいの林檎たち』(1983年 - 1997年)では西寺知子役を演じ、お茶の間にも深く浸透した。1983年刊行のエッセイ『どこまで演れば気がすむの』は翌1984年に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し、文筆家としての顔も持つようになる。

「母を演じる女優」へ(1990年代 - 2000年代)[編集]

1992年にはドラマ版『サザエさん』で磯野フネを演じた。1997年には実母・吉行あぐりの半生をモデルにしたNHK連続テレビ小説『あぐり』に出演し、母の物語のドラマ化に娘として関わるという珍しい形で話題になった。2002年、『折り梅』(松井久子監督)で認知症の義母と向き合う家族の物語に出演し、毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞。2006年の映画『佐賀のがばいばあちゃん』では、たくましく明るい祖母役で幅広い世代に知られた。2008年には本木雅弘主演の『おくりびと』にも出演している。同じ2008年、舞台『アプサンス〜ある不在〜』を最後に舞台引退を表明したが、評判が良すぎて2009年にアンコール公演が決まり、本人が「女優って嘘つきですね」と笑ったのは有名な話である。

山田洋次作品と晩年(2010年代 - 2025年)[編集]

2009年に朝ドラ『つばさ』(玉木千代役)、2013年には朝ドラ『ごちそうさん』(卯野トラ役)に出演。2013年1月公開の山田洋次監督『東京家族』では、小津安二郎の名作『東京物語』で東山千栄子が演じた母に当たる平山とみこ役を演じ、第37回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した。同作の老夫婦役は当初菅原文太らが予定されていたが、東日本大震災による撮影延期で配役が変わり、吉行が起用された経緯がある。その後も同じキャストによる『家族はつらいよ』(2016年)、『家族はつらいよ2』(2017年)、『妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII』(2018年)で平田富子役を務めた。2013年にはテレビ朝日のドラマスペシャル『二十四の瞳』にも出演。2023年にはNHK放送文化賞を受賞し、同年も映画『湯道』『愛のこむらがえり』、2024年『ココでのはなし』と出演作が続いた。

『愛の亡霊』[編集]

『愛の亡霊』(1978年)は、『愛のコリーダ』で猥褻論争の渦中にあった大島渚が次に撮った作品で、明治中期の北関東の農村を舞台にした怪談風の愛憎劇である。吉行が演じたのは、本能のままに生きる人力車夫の妻・せき。年下の男・豊次(藤竜也)と関係を持ち、ふたりで夫・儀三郎(田村高廣)を殺して井戸に捨てるが、やがて儀三郎の亡霊がせきの前に現れ、二人は追い詰められていく。

当時の吉行は40代前半。激しいラブシーンを伴う役であり、周囲からは「難しい選択」と見られたが、本人は台本を読んで「ここに女がいる」と感じ、迷わず引き受けたと伝えられる。背景には、年齢を重ねた女優にヒロイン役が回ってこない当時の映画界への不満もあったとされる。結果として本作は第31回カンヌ国際映画祭で大島渚に監督賞をもたらし、吉行自身も日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。孤独・恐怖・情欲が混ざり合っていくせきの変化、特に視力を失った後に臨む最後の場面は、批評家から吉行の覚悟を示す名演として繰り返し言及されている。のちに大島の『戦場のメリークリスマス』などが国際的評価を得るが、大島作品で主演女優として正面から向き合った日本人女優として、吉行の名は今も残っている。

家族と「吉行家」[編集]

吉行和子を語る上で外せないのが、文学史・美容史の両方に名を刻む家族である。

  • 父・吉行エイスケ:ダダイズム・モダニズムの作家、詩人。1940年に34歳で死去。和子は後年、父の著作を兄も妹も最後まで読んでいないのでは、と書き「可哀想なお父さん」と記したこともある。
  • 母・吉行あぐり(1907年 - 2015年):日本の美容師の草分け。自分の美容室を開き、97歳まで現役を続けた。2015年1月5日に107歳で死去。その生涯は朝ドラ『あぐり』(1997年)のモデルになった。和子は寝たきりになった母のもとへ1日に何度も通い、その時間を「修行のような時間」と振り返っている。91歳の母とメキシコ旅行に出かけた逸話もあり、母は「飛行機ぐらい何でもないわよ」と言ってのけたという。
  • 兄・吉行淳之介(1924年 - 1994年):『驟雨』で芥川賞を受賞した「第三の新人」の代表的作家。和子が日活映画に出始めた頃、映画館前で妹の写真を見つけた淳之介が驚いて素通りした、というエピソードが著書『兄・淳之介と私』(1995年)に描かれている。淳之介原作の『星と月は天の穴』は2025年に荒井晴彦監督・綾野剛主演で映画化され、宮下順子も出演した。
  • 妹・吉行理恵(1939年 - 2006年):詩人・作家で、『小さな貴婦人』で芥川賞を受賞。兄妹で芥川賞という珍しい記録を持つ。成人後は気難しくなり、和子はあえて距離を置いたが、2006年に亡くなる直前に姉妹で笑い合えたことで、和子にとって死は怖いものではなくなったという。

私生活では28歳で結婚したが約4年で離婚し、子どもはいない。以後は独身を通し、家族を次々に見送って「一人になった」晩年を、エッセイで淡々と、しかしユーモラスに書き残した。

文筆と俳句[編集]

吉行は女優と並行して筆の立つエッセイストとしても知られた。デビュー作『どこまで演れば気がすむの』(1983年)で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞して以降、コンスタントに著書を発表している。

主な著書は以下のとおり。

  • 『どこまで演れば気がすむの』(1983年)
  • 『気分は夕焼け色』(1986年)
  • 『男はみんなハムレット』(1989年)
  • 『兄・淳之介と私』(1995年)
  • 『楽園幻想』(1997年)
  • 『老嬢は今日も上機嫌』(2008年)
  • 『ひとり語り 女優というものは』(2010年)
  • 『質素な性格 欲は小さく野菊のごとく』(2011年)
  • 『そしていま、一人になった』(2019年)
  • 『目覚めると、ひとりだと気づく』

共編著には『吉行エイスケとその時代』(1997年)、『東京俳句散歩』(2004年)、『あぐり白寿の旅』(2006年)、冨士眞奈美との『おんなふたり 奥の細道迷い道』(2018年)などがある。

俳句は親友の岸田今日子と冨士眞奈美に誘われて始め、俳号は「窓烏(まどがらす)」。句会仲間として3人の交流は一層深まり、「お〜いお茶新俳句大賞」の審査員も務めた。1984年末から1985年初めにかけては3人でインドを旅し、その道中は同行した山際素男の『脳みそカレー味』に描かれている。岸田・冨士との共著『ここはどこ』『わたしはだれ』(2000年)は、仲良し3人組の珍道中ぶりがにじむ一冊として知られる。

出演作[編集]

映画[編集]

  • 『由起子』(1955年) - 映画デビュー作
  • 『にあんちゃん』(1959年、今村昌平監督)
  • 『才女気質』(1959年)
  • 『愛の亡霊』(1978年、大島渚監督) - せき役
  • 『折り梅』(2002年)
  • 『佐賀のがばいばあちゃん』(2006年)
  • 『おくりびと』(2008年)
  • 『人生、いろどり』(2012年)
  • 『東京家族』(2013年、山田洋次監督) - 平山とみこ役
  • 『御手洗薫の愛と死』(2014年) - 主演・人気女流作家役
  • 『家族はつらいよ』(2016年) - 平田富子役
  • 『家族はつらいよ2』(2017年) - 平田富子役
  • 『妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII』(2018年) - 平田富子役
  • 『湯道』(2023年) - 堀井貴子役
  • 『愛のこむらがえり』(2023年) - 白鳥あかね役
  • 『ココでのはなし』(2024年) - 三園泉役
  • 『金子文子 何が私をこうさせたか』(2026年、浜野佐知監督) - 文子の朝鮮の祖母役
  • 『あなたの息子ひき出します!』(2026年、深川栄洋監督) - 三浦和子役

テレビドラマ[編集]

  • 大河ドラマ『樅ノ木は残った』(1970年) - のぶ役
  • 大河ドラマ『国盗り物語』(1973年) - 各務野役
  • 大河ドラマ『風と雲と虹と』(1976年) - 螻蛄役
  • 『3年B組金八先生』(TBS、1979年 - ) - 池内友子役
  • 大河ドラマ『徳川家康』(1983年) - 北政所役
  • 『ふぞろいの林檎たち』(TBS、1983年 - 1997年) - 西寺知子役
  • 『サザエさん』(1992年) - 磯野フネ役
  • 連続テレビ小説『あぐり』(1997年) - 平山真佐子役
  • 連続テレビ小説『つばさ』(2009年) - 玉木千代役
  • 連続テレビ小説『ごちそうさん』(2013年) - 卯野トラ役
  • 『二十四の瞳』(テレビ朝日、2013年)

舞台[編集]

  • 『アンネの日記』(劇団民藝、1957年) - アンネ・フランク役
  • 『少女仮面』(唐十郎作)
  • 『蜜の味』(1974年・紀伊國屋演劇賞個人賞)
  • 一人芝居『MITSUKO』
  • 『アプサンス〜ある不在〜』(2008年、2009年アンコール)

受賞歴[編集]

  • 毎日映画コンクール 女優助演賞(『にあんちゃん』『才女気質』)
  • 紀伊國屋演劇賞 個人賞(1974年・『蜜の味』)
  • 第2回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(1979年・『愛の亡霊』)
  • 日本エッセイスト・クラブ賞(1984年・『どこまで演れば気がすむの』)
  • 毎日映画コンクール 田中絹代賞(2002年・『折り梅』)
  • 第37回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(2014年・『東京家族』)
  • NHK放送文化賞(2023年)

人物[編集]

料理をしない女優[編集]

家事、とくに料理が大の苦手として有名で、台所を汚したくないという理由で料理をほとんどしなかった。これが離婚の一因になったとも言われ、包丁を買ったのは80代になってからという筋金入り。自宅にトースターがなく、トーストは友人宅で食べていたという話をラジオで披露したこともある。一方で裁縫や手芸は得意で、そもそも衣装係志望だったことを考えると筋が通っている。

仲良し3人組[編集]

岸田今日子・冨士眞奈美との3人組は芸能界きっての名物トリオだった。冨士は吉行を「和子っぺ」と呼び、インドや上海などを一緒に旅している。テレビのフィギュアスケート中継を3人で見ていた際、圧倒される冨士と吉行の横で、岸田が「日本語をしゃべりながら舞台に立ったら私のほうがうまい」と言い放ったという逸話を冨士が語っている。2006年に岸田が亡くなった後も、冨士との共著や旅番組は続いた。

温厚でお茶目、でも言うことは言う[編集]

素顔は温厚でお茶目とされる一方、2003年に始まったイラク戦争については公然と批判するなど、意見ははっきり口にするタイプだった。タレントのピーコががんで入院した際には毎日見舞いに通ったという面倒見の良さも知られる。52歳のとき、長年苦しんだ喘息が鍼治療で良くなったと語っている。

死去[編集]

2025年9月2日未明、肺炎のため都内の病院で死去した。90歳。所属事務所のテアトル・ド・ポッシュが9月9日に公表し、葬儀は本人の遺志により近親者のみで執り行われた。訃報を受けて、TBSラジオ『日曜天国』に何度も出演していた縁のある安住紳一郎アナウンサーは番組で言葉を詰まらせながら感謝を述べ、「つないでもらった人間関係が私の宝になっている」と語った。安住は冨士眞奈美と吉行の3人でテレビのロケによく出かけていたことも振り返っている。

死去の時点で撮影済みの出演作が複数残されており、2026年2月には浜野佐知監督の『金子文子 何が私をこうさせたか』がユーロスペースほかで順次公開され、文子の朝鮮の祖母役で出演。深川栄洋監督の『あなたの息子ひき出します!』(2026年10月2日公開)にも三浦和子役で出演しており、深川監督と作品公式アカウントが追悼のコメントを寄せている。

余談[編集]

  • 『東京家族』で演じた平山とみこは、小津安二郎『東京物語』で東山千栄子が演じた「とみ」に当たる役。半世紀以上を隔てて同じ母親像を継いだことになる。
  • 「家族はつらいよ」という題名は山田洋次の『男はつらいよ』を踏まえたもので、吉行はこのシリーズで橋爪功演じる夫に突然離婚届を突きつける妻を演じ、熟年離婚ブームを象徴する存在になった。
  • 「衣装係志望で研究所を受けたら女優にされた」「舞台引退を宣言したら好評でアンコール」など、本人の意思と逆方向にキャリアが転がっていくエピソードが多く、本人もそれを面白がっていた。
  • 映画情報サイトには2027年公開予定の作品として『ひとりで死ぬのはイヤだから』も掲載されており、死去後も新作が続く形になっている。

外部リンク[編集]

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